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21 ヒロインは無自覚



 アレンルードがアレナフィルに男子寮の鍵を渡して山ほどの洗濯物を押しつけたという情報。

 誰にもばれないと思っていたアレンルードだが、アレナフィルは王子エインレイドと一緒に行動していたので隠す必要性を感じていなかった。


「だから放課後は男子寮に行かなきゃなりません。今日は送らないでいいって伝えてもらっていいですか?」

「いいけど大変だね、アレルも。だけど鍵を渡しちゃったら、部屋に入れないんじゃない?」

「どこに出しても恥ずかしい兄は頭が悪いんです。ということで、今からは見知らぬ者同士ですよ、レイド」

「了解」


 男子寮で双子が一緒にいても初対面のようにしてくれと言われ、エインレイドも了承する。

 そのことを移動車内で語ったエインレイドは、まさかアレンルードが代わりに自宅へ帰ってしまったことまでは知らなかった。

 けれども男子寮で寮監達は即座に身代わり計画を見抜き、それが警備棟へと通達される。

 髪の色を落として戻ってきたエインレイドは、アレンルードとしてアレナフィルが洗濯物を洗いまくっているという情報に目を丸くした。

 驚いて警備棟から男子寮の洗濯室の映像を見れば、エインレイドも混乱せずにはいられない。


「え? これがアレル? アレンじゃないの? だってアレル、こんな口、悪くないよ?」

「ですよねぇ。この口の悪さはアレンだと思うんですけど」

「やっぱり戻って来て入れ替わったんでしょうか」


 警備棟にいた士官や兵士達も、困惑気味だ。

 手際よく複数の洗浄機と脱水機を使いながら手洗いもしている少年はアレンルードとしか思えなかった。


『バッカじゃねえの。溜めこむからそうなんだよ。アレン、洗濯ってなぁ二週間に一度はやるもんだぜ』

『っさいなあ。何が二週間に一回だよ。てめえな、んな生活してたら臭くてオンナにもてねえ人生まっしぐらって分かってるぅ? 陰でコソコソ、

「あの人、いつもくさいのよねー」

とか言われちまうの。お・わ・か・り? 洗濯物はせめて三日に一回は洗え。でもって服は毎日着替えろ。当たり前だろが、クソが』

『そんだけ溜めこんだ奴のセリフかっ』

『こーれーでーもぉ、ワタシぃ、汗臭いのだけはイヤだから毎日着替えてたんですぅ。体臭って大事に決まってんだろ。自分じゃ分かんねえから気をつけろっつーのさ。せっかくいいツラしてんなら、ちゃんと磨いてけや、もったいねえぜ?』


 人差し指で少年の前髪をつんっと払ってあげる仕草は、いきなりの親しみ溢れる行動で、その少年もドギマギしてしまったのか、顔が赤くなる。


『え? あ、・・・う、うん』

『いやん。きっしょいから惚れないでねん?』

『誰が惚れるかっ』


 元々、少女のように可愛らしい顔立ちのアレンルードだ。以前から本当は女の子じゃないのかと思っていた寮生は多い。

 勿論、あの運動神経を見て、週末の合宿でも男の子だと理解したからもう誤解はしていない。

 けれどもアレンルードはその口の悪さがあまりにも惜しい少年だったので、たまにそういうことをされてしまうと、やっぱりドキドキしてしまう。


「アレルなら籠だって普通に手で持つと思うし」


 そんな洗濯室の様子を警備棟の映像室で見てしまったエインレイドは、画面の向こうで籠を足で蹴ってひょいっと担ぎ上げたりしている少年がアレナフィルとはとても思えなかった。


『あ、わりい。ちょっとコレ先に部屋置いてくっわ。すぐ戻ってくっから、誰かすぐ使いたい奴いたら待っててもらってよ』

『別に早いもん順だからしょうがなくねえ? アレンが使ってんなら、終わるまで待たせろよ』

『ばーか。こーゆーのは譲り合いしてった方が結果としてみんなが早くすむのさ。・・・ふっ、今日も愚かな子羊を救ってしまった。この救世主ぶりが自分でも恐ろしい』

『いや、誰も救ってねえから』


 エインレイドは、どう考えてもあれはアレンルードだと確信する。

 いつもアレナフィルと一緒にいるのだ、間違いない。


「アレル、いつも脱力系だもん。あんな洗濯物を投げてパシッと受け取ってってことしないと思う。それにあんな口調で喋らないよ」

「ですよねぇ。だけど男子寮からは訂正が来ていませんし、アレナフィルちゃんだと思うんですけどねぇ」

「エリー王子が声を掛けてみたら分かるんじゃないですか? 逃げたらアレン君、合わしてきたらアレルちゃん」

「そーする」


 たったかたったかと走って男子寮に行き、寮監室に顔を出したら、やっぱりアレナフィルだと言われてしまった。

 仕方なくエインレイドは、やっぱり自分が正しいと思うのに分かってくれない大人達へ見返してやるという思いで声をかけてみた。 


「アレンじゃないか。凄い洗濯物を抱えてたってみんなが言ってたよ。今から食事か? ちょうどよかった。僕と一緒に食べないか?」

「あ、殿下。はい、そうします」

「やだな。いつもみたいにエリーって呼んでくれよ」


 すると少年がエインレイドの近くによってきて耳元で囁く。アレンルードではありえない仕草だ。


「エリー殿下? エリー王子様? エリー様? エリー王子?」

「アレンはエリー王子って呼んでるよ。敬語だけど、ちょっと崩れてる感じだ。自分からは話しかけないけど、こっちから声をかければ会話する」

「了解です」


 エインレイドはアレンルードと一緒に食事をしたことがない。

 アレンルードなりに、王子に寮でも近づける唯一の貴族として利用されないようにと考えてくれていることは分かる。

 平民の寮生から王子に何かを頼むことなどできないが、貴族ならば親しくなればできないこともない。 そういうリスクを減らしてくれているのだと分かっていても寂しかった。


(だけど今日は一緒に食べた方がいいわけだしね。アレル、食堂の仕組み知らないから。・・・アレン、アレルがご飯を食べられなかったらどうするつもりだったんだろう)


 アレナフィルは、皆に怪しまれないよう小さな動きできょろきょろと食堂や調理室を見渡している。


「そっちで、自分の棚から食事の載ったトレイを取っていく。パンと冷たい料理はもう載ってるからね。温かい料理は、トレイの中の皿に入れてくれる」

「棚を見れば誰が食事を終えているか分かるんですね」

「そうだ」


 システムが気になるらしいアレナフィルと互いに耳元でこそこそ話したら、まるで親友同士のようだ。

 いつもみんなに教えてもらう立場なので、エインレイドは教える立場が少し新鮮である。


「えーっと、お肉はそこまで食べないので減らしてもらっていいですか?」

「ああ。じゃあ人参とキノコを多めに入れておくかい?」

「はい。ありがとうございます。美味(おい)しそうです」

 

 毎日のように、

「余りそうならお肉欲しいです」

と、やらかしているアレンルードなので、調理員の男性が不思議そうな顔になる。肉を減らしてくれと言われた上、いつものアレンルードなら、

「おじちゃん、ありがと。大好き」

と、やらかすのに、丁寧にお礼を言われてしまったからだ。


(変なこと言われないようにしといた方がいいかな。さすがにアレルも、まさか大人にまでアレンがあんな口調で喋ってるとは思わなかったんだね)


 こっそりアレナフィルに見えない位置で、口元に指一本を立てて「しーっ」と、合図すれば、調理員も何かあったのかと思ったようで、納得したように頷いてくれた。

 エインレイドはいつも皆に配慮されて動く立場なので、自分がそういう合図をして黙ってもらったということも、思えば滅多にないことかもしれない。

 少し奥のテーブルに行けば、あまり人も近くに来ないだろう。


「アレン、こっち」


 そう考えてエインレイドはアレナフィルを案内した。大抵の生徒は、なるべく動かないですむよう入り口近くのテーブルで食べて、さっさと出ていく。


「この辺りでいいか。好きなテーブルで食べていいんだ」

「夜だから中庭は見えないんですね」

「朝は(まぶ)しいよ」


 窓際の席で並んで座れば、まるで同じ寮生のようだ。

 このままずっと入れ替わってくれていればいいのにと、エインレイドは思った。

 一緒に食べ始めれば、

「良かった。美味しい」

とか、アレナフィルが呟いている。


「で、逃げられたんだって? 災難だったね」

「でしょ? 人を勝手に危機に(おとしい)れてくれたんだから、どう仕返ししてやろうかと考え中ですよ、全く」


 そのぷんぷんしている様子が楽しくて、普段は見られないアレナフィルを見たような気がした。

 つい、ぷっと噴き出してしまう。

 全くあのウェスギニー大佐の子供とは思えない。

 勿論、エインレイドはウェスギニー大佐を嫌いではない。礼儀正しく、親切だ。子供だからというのもあるのだろうが、頼めばなるべく聞き届けようとしてくれる。

 だけど彼はそういう人だと、皆が言っていた。


――― 表面的な態度に騙されてはなりません。誠実な悪夢と呼ばれているウェスギニー子爵の本性は恐ろしいものです。完全に気をお許しになりませんように。殿下には誰もが優しい顔を見せているだけなのです。


 ならば、あのウェスギニー大佐も家では違う顔を見せるのだろうか。


「明日の朝、怒られる予定だって聞いたぞ。あのウェスギニー子爵だろう?」

「ええ。父はいつも甘いんですよ。今夜のうちにダメージのある仕返しを考えないと」

「え? ウェスギニー子爵だろう? 悪夢の・・・」


 なんで怒られることが甘いことになるんだろうと、エインレイドは混乱した。

 ガルディアスはかなり無茶なやり方で男子寮の寮監となったそうで、その際、邪魔されぬようフェリルドに全く相談していなかったそうだ。おかげで罰として、それに加担した者は半日がかりの肉体労働をさせられたらしい。

 その肉体労働でそれなりの予算が浮き、フェリルドはどこかから感謝されたそうだ。

 人への罰を己の手柄にするというのもどうかと思うが、悪いことではないからいいのではないかとも、エインレイドは思った。

 けれども侍従からは言い聞かされた。


『本来はガルディアス様も叱責程度ですむことでした。それを何も知らぬ自分の子供達を(ほう)りこむことで現場を混乱させ、その流れに持っていったのです。あの計算高い男を信用してはなりません。子供達とて家ではどんな扱いを受けているやら、知れたものではありません』


 たしかにあそこまで洗濯が上手な貴族令嬢がいていいのだろうかとも思う。家で、どんな下働きをさせられて育ってきたのだろう。

 もしも辛い日々だったなら自分こそが助けてあげたいのにと、エインレイドは思った。

 だって自分達はもう友達だ。


「悪夢? 何ですか、それ。・・・何かとお間違えですよ。うちの父は甘々な人なんです。それでも体は鍛えてるから、兄は逆らわないんですけどね。それよりエリー王子。地味にダメージ受けることって何がありますか? ここはもうほんのり嫌がらせをしておかなくては気がすまない」


 子供には優しい人なんだろうか。

 ウェスギニー家の親子関係はともかく、アレナフィルが主張する地味にダメージを受けることとは何を指すのか、エインレイドには不明だ。

 ほんのり嫌がらせって何なのだろう。

 嫌がらせは嫌がらせじゃないのか? ほんのりがつくと、何かが変わるのか?

 だけど知らないというのもカッコ悪くて、エインレイドは真面目そうに答えてみた。


「嫌がらせねえ。僕は別に兄上にそんなことしようと思わなかったが」

「そういえばエリー王子って何人兄弟なんですか? 父に聞いたら、もう何も知らないままでいけと言われました」

「それならもうそれでいったら?」

「えー、なんでそんなどうでもいいことを隠すかなぁ。それが分かりません」

「そこで他の子に聞かないのが君だよね」


 アレナフィルが知りたいことなどすぐ分かる。ウェスギニー子爵邸に問い合わせれば即座に教えてくれるだろう。

 この学校であっても、貴族の家の子ならば答えられる。


「目の前に本人がいるのに、人に聞くのって卑怯じゃないですか。勿論、仕事で必要なことなら遠慮なく調べますけど、別に私達は利益関係のない友人同士でしょう。陰険な真似はしません」

「うん、陰険さは無縁だね。だけど兄に嫌がらせとかはするんだ」

「当たり前です。ここはしっかり上下関係を教えこまないと」


 むふっと拳を握るアレナフィルにとって、双子の兄は自分の格下らしい。

 そこへガルディアスとレオカディオの姿が目に入り、エインレイドは小さく手を振った。嫌がらせ方法を熱心に考えているアレナフィルは気づかなかったようだが、向かい側の椅子を引いて二人が座れば、さすがに気づく。


「珍しい組み合わせじゃないか、エリー、アレン。いつもは肉をねだりまくってるのにそれで足りるのか、アレン?」

「ああ、これぐらいでいいんです。何なら明日からもずっとこの程度でいいと思います。ええ、本当に。特に人参、玉葱、ピーマンたっぷりにしておくといいですね」

「そうか。じゃあ、明日からの夕食はそうしといてやろう。肉は減らして野菜は多めだな。特に人参、玉葱、ピーマンと」

「はい。お願いします」

「ねえ、思いっきりそれ、もう嫌がらせになってない? ほんのりどころか、ずっぽり」

「嫌ですねぇ、エリー王子ったら。これは序の口です」


 エインレイドは、アレンルードが明日どんな悲し気な顔になるのだろうと思った。

 だけどアレナフィルは次に向かって進んでいる。


「それより先生、エリー王子って何人兄弟ですか? お兄さんへの嫌がらせを聞こうとしたら、兄弟の数も教えてくれないんです。やっぱり弟にされてダメージがある嫌がらせって何がありますかね。地味にダメージを受けて、それでいて成長や取り返しのつかないことにはならないものが希望です」

「お前なあ。んなこと聞かれても末っ子で可愛がられて育った王子が、どんな嫌がらせを兄にするというんだ。入学式で居眠りこいて王子の顔すら見てなかったお前が、今更んなこと気にすんな」

「父と同じことを言わないでください。じゃあ先生がお兄さんに嫌がらせするとしたら何がありますかね?」


 ガルディアスに厭味(いやみ)ったらしく言われてもアレナフィルは(くじ)けない。親の小言と同じレベルで聞き流してきた。

 王子本人を前にして言われたらもう少し神妙な態度をとるものじゃないのかと、ガルディアスとレオカディオが、ハトが豆鉄砲を喰らったような顔になる。普通はもっと恥じるものだ。

 それでも真面目に問いかけてきたのだからと、二人で顔を見合わせてからレオカディオが口を開いた。


「嫌がらせも何も、そんなことするぐらいなら(こぶし)で語りますよ」

「だな。なんで嫌がらせなんざネチネチやらなきゃならねえんだ。んな恥ずかしいことしねえよ」


 アレナフィルがむっとしたのがその表情で分かる。

 そんな陰湿なことを考えるのは女ぐらいだと言外に言われたことが気に(さわ)ったのだろう。

 瞼を伏せてその針葉樹林の深い緑色(フォレストグリーン)の瞳を隠すと、アレナフィルは食べ終わった皿をエインレイドの皿に重ね、自分のトレイを空にしていった。


(普通、僕の空いた皿を自分のトレイの上に移動させて、こっちを空にすると思うんだけど)


 二人の寮監が、悲しそうな顔で黙りこんだアレナフィルの反応に気まずい思いをしてカップを口元に運ぶ。

 そこで二人がごくりと飲んだ瞬間を、アレナフィルは見逃さなかった。


幼気(いたいけ)な少女の盗撮と鑑賞会はしたくせに」


 ぼそっとした糾弾の呟きが、「あなた達の方が陰湿でしょ」と、寮監二名の心を直撃する。


「ぐっ、ぐふぉっ」

「ごほっ」


 飲みこむ瞬間を狙った言葉の矢。気道に入ってむせた二人は、げほげほと口から吐き出した。


(うわぁ。アレルってば、アレルってば・・・)


 やられたらやり返す。先程の悲しそうな表情は演技だったのか。

 空になったトレイを顔の前に立て、自分には何も飲み物がかからないようにしていたアレナフィルは、とてもいい笑顔をしていた。

 今にもホーホッホッホと高笑いしそうな意地悪フェイスだ。


「汚いなぁ、ちゃんと汚した人が綺麗に拭いてくださいね、先生。台拭きはあちらです」

「くっそ。覚えてろ、アレン」

「ええ。仕返しは明日の夜以降、アレンルードにどうぞ」


 ガルディアスの負け惜しみすら、アレナフィルにとってはそよ風に過ぎない。

 可愛らしく庇護欲をそそる外見を利用し、こんなにも鮮やかなイタズラを仕掛けるド根性はさすがアレンルードの妹だった。


「そうきたか。アレルってば策士だね」


 深く濃い群青色(ウルトラマリン)の髪をしたレオカディオが台拭きを取りに行き、テーブルを拭いたのだが、結果として「使用したテーブルは自分で拭く」というそれを、アレナフィルは他人にさせていないだろうか。

 エインレイドは、アレナフィルのたくましさに感動だ。

 しかも馬鹿にされたら馬鹿にし返すといったそれですっきりしたらしいアレナフィルは、再びアレンルードへの仕返しを考え始めている。

 まだゲホゲホとしているガルディアスの状況を無視して質問し始めた。


「そういえば寮生ってお昼ご飯はどうなってるんですか? エリー王子はランチボックスですよね?」

「食堂で食べる奴もいるからな。前の週の間にランチボックスの場合は発注しておくんだ。そうしたら朝食後にそれが渡される。支払いは発注時に渡す」


 ここまで「もう終わったことです」みたいな空気を出されると、それ以上は何も言えないのだろう。ガルディアスもちゃんと答えてあげていた。

 その代わり自分からも質問するところがガルディアスなのか。


「そういえばお前、かなり度胸あんだな。なんだ、あの口調は。アレンが乗り移ったかと思ったぞ」

「見慣れてましたから。兄が丁寧に話すのは家族の前だけです。ちゃんとお布団掛けておいたのに、寝ている間に蹴り飛ばして熱出したりするから、代わりに私が兄のフリして試合に出たこともありますよ? 嫌でも慣れました」

「ちょっと待て。お前もあんだけ動けるのか?」


 二人が思わず身を乗り出したのを見たエインレイドは、まさかアレナフィルを軍にスカウトする気だろうかと危機感を抱いた。


「それはないです。やっぱり兄の方が筋肉質で、走る速さもスタミナも私では追いつけません。だけど先に風邪っぽくて調子が出ないって言っておけばごまかせます」

「つまり入れ替わりそのものは珍しくなかったのか、お前ら。だが、それじゃお前さんばかり男装して損じゃないか?」

「そんなことないですよ。私に会えなくて寂しがっていた祖父の為、兄が私のフリしてドレス着て、一日中祖父と一緒にいたこともあります。兄も私の真似はできますからね。祖父の誕生日には二人でドレス着て、祖母の誕生日には二人でズボン穿いて、お揃いでお祝いしてますけど、もうそろそろ無理になりそうですよねぇ」


 アレナフィルは溜め息をついた。


「それの何が悪いんだ」

「いえ。なんかドレス着てても、いつの間にか、うち、双子の男の子ってことになってたんですよ。だから女装趣味のある双子の兄弟ってことで、私があまり子爵邸に行かなくてもそれで済んでたんです。継承的に双子の兄を尊重してるんだなって思われて。兄も兄で、ドレス着ておけば女の子の相手をせずにすむので嫌がりませんでしたしね」


 どうせ食堂にもう他の寮生はいない。そうなれば兄のフリをする必要もないと思ったのか。

 お喋りしながらアレナフィルは考えていたらしい。すぐに質問してきた。


「私はランチボックスでしたっけ、食堂でしたっけ?」

「食堂だな。日替わりランチセットを食べてるって話だったと思うぞ」

「それ、幾らですか?」

「6ナルだな。ところでアレンが女装していたら女の子の相手をしなくて済むってどういう意味だ? 女装していたら女の子と思われて女友達が寄ってくるんじゃないか?」

「へ? 先生。無神経ってよく言われるでしょう。女心を分かってないって」


 子供にズバッと言われたガルディアスは、ちょっとこいつ、年上の人間に対する礼儀ってものを教えてやった方がいいんじゃないのかと考える。

 そこで怒るほど狭量ではないつもりだが。


「どうしてそこで俺が馬鹿にされるんだ」

「それが分かってないからですよ」

「え? ちょっとちょっと待ってよ、アレル。僕だって分からないよ。女の子ってやっぱり女装してる男の子、駄目なの? 僕、子供の頃、なんか着させられてとても喜ばれたけど。それにアレルそっくりにできるんでしょ? なら女装って分からなくない?」

「うーん、仕方ありません。レイドがそう言うのなら、分かってない男共に私が教えてあげましょう」


 むっふんと偉そうな顔になるアレナフィルに、ガルディアスの頬がぴくぴくっとするのをレオカディオは見た。


「いいですか? 女の子は誰もがお姫様。その場で一番可愛いねって言われたい、ちょっと寂しがりやなフェアリーさんなのです。

 それなのに女装している男の子が自分より可愛かったら女の子のプライドはずたぼろです。しかも、その男の子が次の子爵だから仲良くなっておきなさいと親に指示されていても、相手の男の子の方が可愛いんですよ? 隣に行く方が惨めです。

 そして兄は、一緒にボールを蹴ったり、ラケットを振ったりできない女の子に興味はなかったのです」

「ああ、なるほど。たしかに分かりますが、ウェスギニー君。それ、自分のことも可愛いって言ってるって分かってますか? 褒められるのは人に言わせるもので、自分から言うものではありませんよ?」


 レオカディオの意見に、

「うちの兄は可愛いですよ? みんなが記念に一緒のフォトを撮りたがる可愛らしさです」

と、アレナフィルはきょとんとした顔で言った。

 

(そうかもしれない。アレル、こうして男の子っぽい制服着てるから、可愛い顔だなって程度だけど、ドレス着てたらとても可愛いだろうなって思うもんなぁ)


 ガルディアスがアレナフィルに求婚してでも取られまいとしたのは見ていたエインレイドだが、今までの彼が色々な女性に囲まれていたことはよく知っている。

 頬を赤く染めることもなくガルディアスと普通に話しているだけで、アレナフィルは珍しい存在なのかもしれない。

 エインレイドなりにそんなことを思った。


(みんなも、このぞんざいな対応が新鮮だったんじゃないかって言ってたしなぁ)


 こうして見ていても、ガルディアスからアレナフィルに対する恋心なんて全く感じない。

 エインレイドとアレナフィルを二人でセットのように構ってくる程度だ。


「ところで、部屋にある引き出しの鍵って、合鍵ありますか?」

「合鍵をねだらなくても、部屋の鍵の反対側だ。ほら、こっち側が引き出しの鍵になってる」

「ありがとうございます」


 一体アレナフィルは何をする気なのだろう。

 夕食のトレイを片付けたエインレイドは、そのままアレナフィルにくっついていくことにした。


「アレン、僕、他の部屋って見たことないんだ。行ってもいい?」

「勿論です、エリー王子。ただし今、僕の部屋、洗濯物が縦横斜めで凄い有り様ですけどね?」

「あはは、そうなんだ? 見てみたい」

「ふっふっふ。僕の見事な空間配置に感動するといいですよ」


 アレンルードではあり得ない了承だが、まさに親友同士の少年達といった様子の二人がお喋りしながら食堂を出ていく。

 二人を見送った寮監二人は、やはり見た目はアレンルードだなと思った。


「話してみりゃアレナフィルなんだが、やっぱりアレンにしか見えんな。しかもどっちもどっちになりすませるって何なんだ」

「兄と違って妹は人見知りも激しく必要以上はクラスメートとも話さないそうですが、あれだけアレンになりすませるんです。その気になれば問題なく友達は作れるでしょう。どうしてしないんでしょうね」

「兄より前に出まいとしているのか?」

「・・・そうかもしれません」


 映像監視装置で洗濯室の様子を見ていた寮監達、そして警備棟が混乱する程、アレルフィナのアレンルードのなりきりぶりは見事なものだった。

 あのアレンルードみたいな馬鹿な言動も即興でやってのける。アレンルードじゃないから寮生の名前など分からないのに、それでもあの口の悪さを真似してなりきっていたのだ。

 

「その気になれば、あいつ、何日でもアレンになりすませるんじゃないか」

「全くですね」


 そんなことを言い合いながら寮監室に戻った二人は、いきなり警備の士官及び兵士達から撃銃を突きつけられた。

 さすがの物々しさに、ガルディアスとレオカディオに緊張が走る。

 低い声でガルディアスは尋ねた。


「これは何事だ? 答えろ、ネトシル少尉」

「大人しく拘束されてください、フォリ中尉。ウェスギニー大佐より、麻酔撃銃の使用許可が下りました。拘束され、行動不能にしておけば使用せずにすむでしょう。自発的な拘束か、強制的な睡眠か。お好きな方をどうぞ」


 既に呆れた顔になっている他の寮監達は、おとなしく捕縛された状態で椅子に座っている。

 抵抗する価値はないと判断した様子だった。


「って、何を麻酔撃銃の設定、高にしてやがるっ。しかもどこまで信用がないんだよっ!? 俺が本気で子供に手ぇ出すとでも思ってるのかっ!? しかもお前だって同じ立場なのになんで俺だけだよっ」

「おとなしく投降されますか、拒否されますか?」


 安全装置を外して狙いを定めているグラスフォリオンの手は下ろされていない。


「勝手に人を犯罪者かっ。・・・仕方ない。大人しく警備棟に連行されておこう」

「はい。・・・大佐がいらっしゃるまで二人も吊るしておくのはこちらも辛いところです。全員、解除。フォリ中尉は無抵抗で連行されてくださるそうだ。ゆえに捕縛の必要もない」


 警備棟に属する彼らも、

「はいっ」

と、麻酔撃銃を腰に仕舞った。何人かが

「お疲れ様でーす」

と、捕縛されて座っていた寮監達を解放していく。

 

「何を吊るすんだ、何を」

「アレンルード君です。牢の天井から吊るしておくようにと」

「・・・あの男、息子への虐待がひどすぎないか?」


 仲間同士でやり合っても仕方がない。大人しくガルディアスは警備棟へと連行されておいた。

 グラスフォリオン、そして他の士官や兵士達もどうせ本気ではなかったし、エインレイドが一緒にいるのだからアレナフィルに危険はないだろう。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 他の業務で手が離せなかったらしいフェリルドが到着したのは、消灯時間ぎりぎりだった。

 警備棟の牢の中で天井から吊り下げられていた息子の腰紐に指をかけて運んでいったが、アレンルードもおとなしいものだ。

 

「レミジェス殿、どちらに? 駐車場はあちらです。ご案内いたしましょう」

「ああ。姪の顔を見ていこうかと思いまして。私がいると兄も甥のことを叱りにくいだろうと思い、離れているだけです」


 フェリルドのだいぶ後ろをてくてくとついていくレミジェスは、グラスフォリオンに呼び止められて振り返った。


「一度、ご挨拶しておきたいと思っておりました。あの、・・・その、実は・・・」

「聞いております。たしかネトシル家のグラスフォリオン殿でしたか。この度は姪に過分なお話を・・・。ですが、うちの姪は恐らく樹の印でしょう。ご家族からは反対されるかと思います。五年、凍結されたそうですし、どうかいいお嬢様がいらっしゃいましたら、その方と・・・」

「あ、いいえ。全て分かった上で申し込んでおります。お嬢様にも何も告げないようにとお願いしておりますし、陛下のご命令もありますので、親しくなるつもりもございません。もしも好きな相手ができるようならば、黙って見守りましょう」

「それは、・・・単なる庇護者では?」


 レミジェスの赤い瞳が、理解不可能なことを言い出した青年に問うようなものを浮かべる。


「そうかもしれません。私は女性として欲したのではなく、守るべき小さく幼い存在としてアレナフィル嬢を見つけたのです」

「・・・守るべき存在。恐らく、いいえ、大きな誤解があるかと・・・。うちのアレナフィルはちょっと、いえ、かなりの包容力と忍耐力がないと、付き合いきれない子です」


 確かに守ってあげたくなる風情と顔立ちではあるが、あの双子はとても元気だ。

 レミジェスの視線が困惑を映してぐねぐねと泳いだ。


「存じております。ですが私は、そんな虚勢の奥に隠れている、傷つきやすい心を守って差し上げたいのです。どうか何かありましたら私のことを思い出していただければ」

「・・・恐れ入ります。兄の娘としてではなく、アレナフィル本人を見てくださったことにお礼を申し上げます。ところでグラスフォリオン殿は、休日はどのようにお過ごしですか?」


 縁談としては悪くない。というよりも、かなりいい相手だ。

 普通に貴族同士の見合いから始めるとしたら、どうしても母親が殺されたことからおかしくなったことがあるというのは瑕疵になるし、持参金なども吹っ掛けられる。だが、知っていて申し込んできた相手であればそういったこともない。

 レミジェスも前向きに検討する価値を見出した。それならちょっと私的に招いて、アレナフィルと会わせてみてもいいのではないかと。


「大抵は体を動かしておりますが、後は適当に。クラブ活動ではレミジェス殿の後輩にあたりましたが、試合を見に行くこともあります」

「おや。それでは、もしもチケットがあったらお誘いしても? ただ、アレナフィルはあまり興味がないので、見に行く時はアレンルードと一緒になりますが」

「勿論、喜んで。私とて少女趣味があるわけではございません。おうちで安全に暮らしている女の子を引っ張り出そうなどとは考えませんとも。ああいうものは一緒に熱狂できなきゃ面白くない」


 あ、こいつでいいんじゃないか? 無理にアレナフィルを家から引っ張り出すこともなさそうだ。

 レミジェスはそう思った。


「ところで、何か苦手な食材や調理法はおありでしょうか? いえ、その際は是非、当家で夕食をと思いまして。お好みの料理を伺えれば・・・」

「今まで好き嫌いを感じたことはございません。どんな味付けも楽しんで食べております」

「なるほど」


 さすがに礼儀上、割り込むのはどうかと思っていたガルディアスだが、ここまでくると見過ごせないものはある。


「ネトシル少尉、そしてレミジェス殿。私もアレナフィル嬢に求婚したいと申し込んだ身なのですが、目の前で何をやってくれているのかと言わせていただいていいでしょうか?」

「失礼いたしました、ガルディアス様。ですが、アレナフィルの母親は樹でしたし、恐らくアレナフィルも樹の印でしょう。ならばご縁はなかったものとして・・・」

「父親が虎で、祖母が蝶ならば、樹とは限らないでしょう。それに私は樹であってもいいと、考えておりますが?」


 レミジェスは、軽く頭を振った。


「ガルディアス様。きっとお疲れなのでしょう。よくお立場をお考えください」

「理解した上ですし、私は冷静ですし、疲れてもいませんが? 様々な条件の令嬢リストや見合いはこなした上での話です。あの賢さも含めて評価したつもりです。何よりウェスギニー大佐の実績を考えれば、決してそこまで謙遜される必要はないと考えております」

「姪はあまりにもおかしいのです。それこそ父や兄や私にも、自分がおしゃれしたらちゃんと何を褒めなきゃいけないかを先に要求してきますし、自分が駆け寄って話しかけたなら先にその話を聞いてくれないと拗ねます。

 要は、子供なのです。自分が中心で甘やかされていなくては満足しません。ガルディアス様に仕え、支える存在には到底なれないことでしょう。

 勿論、甘やかして育てた私共が問題ではありましょう。ですが、我が家でひっそり暮らしている生き物を、どうかお取り上げになりませんよう」

「どちらにしても、アレナフィル嬢の婚約や恋愛に結びつく接触は五年間、凍結されるものです。ネトシル少尉の抜け駆けは感心しません」


 保護者がそのつもりで夕食に招待してしまえば、それはもうお見合いだ。大抵は令嬢も同席し、相性を見るものだ。


「アレナフィルは別の家で暮らしているので同席しません。

 父もアレナフィルはちゃんと先生にハキハキお返事できただろうか、お友達はできただろうかと、気をもんでいたところへ、いきなり縁談が二件も持ちこまれそうになったというので、実は人違いではないのかと衝撃を受けております。

 せめてグラスフォリオン殿と食卓を囲んで話をすることができたなら、父も安心するかと思ったのです」

「ならば私も招待してもらいたいのだが」

「・・・ガルディアス様の顔を知らない貴族がいる筈もありません」

「いや、不公平ではないかと言っているのだが」

「分かりました。では、兄に相談しておきます。あ、そろそろ出てきそうですね。それでは、私はここで失礼いたします。皆様には夜遅くまでご迷惑をおかけしました」


 窓から見える室内の様子から兄と姪が出てくることを察したらしく、レミジェスは男子寮の寮監エリアの出入り口まで近づいていった。

 すぐに二人が出てくる。

 ガルディアス他全員、灯りの届かぬ所から見ていたが、レミジェスに声を掛けられたアレナフィルは即座に笑顔でその腕の中に飛びこんでいった。


『ジェス兄様っ』


 未だに結婚していないレミジェスは、姪をも可愛がっているのか。抱っこされたアレナフィルは会えて嬉しいといった気持ちを隠すことなく、

「えーいっ、すりすり攻撃っ」

などと、頬ずり攻撃をしかけている、


『おかしいよっ、ジェス兄様っ。今、夜っ。それなのに、チクチクしないっ。レン兄様の嘘つきっ。騙されたっ』

『本当にフィルは可愛いなぁ。制服もよく似合ってる。さあ、ご機嫌を直して』


 ぷんぷんしているアレナフィルは、叔父のほっぺたが滑らかなのが不満らしかった。そんな姪の頬にちゅっとキスする様子は叔父というよりも年の離れた兄のようだ。

 見ている方が羨ましくなってしまう。


「え? 何、あの子。ちょっとうちの妹に欲しい」

「もしかしてお髭チクチクしててほしかったのか?」

「攻撃じゃない。あれは攻撃じゃない。むしろプレゼント」


 今はもう時間外なので、警備員もひそひそと囁き合った。当直以外は、アレンルードが戻されてきたことで面白そうだと残っていたのだ。

 アレナフィルの子供っぽさはたしかに幼い。しかし先程ガルディアスとレオカディオの茶を噴き出させてくれた犯人だと思えば、どこまでも引き出しの多い子でそれが全てとは思えなかった。


『暗いから手を繋いで歩こうね。フィルは真ん中』

『はーい』


 父親と叔父に挟まれて手を繋ぎ、楽しそうに二人に持ち上げてもらって、ジャンプしながら帰っていく。


「何なんだ、あの仲の良さは。大事にされているのは跡取りのアレンだけじゃないのか」

「アレナフィル嬢は、自分の感情に正直な行動をとります。顔を見た途端のご挨拶からして、かなり可愛がられているのではないでしょうか。父親が厳しいなら、叔父が甘やかすといった役割を持っているのかもしれません」


 ドネリア少尉・レオカディオがガルディアスに応じながら、手で外に出てきたエインレイドを示す。屋内からの光に照らされた三人がいた。

 アレナフィルの声が聞こえたからなのか。

 王子エインレイドは寮監二名に付き添われ、

「あれ、誰? ジェス兄様って聞こえたけど、アレル、お兄さんいなかったよね?」

と、尋ねていた。

 メラノ少尉・アドルフォンから、

「恐らくレミジェス殿でしょう。ウェスギニー子爵の弟、つまりアレン達の叔父ですよ」

と、教えられてエインレイドは「ふうん」と頷いている。


『ちょっとだけ後ついてっていい? なんかアレル、ああいうのが楽しいんだ。ちょっと知りたい』


 無人の敷地内だ。移動車に乗り込むところまで安全を確認しておきたい気分だったのか。

 エインレイド達が距離を開けてアレナフィル達の後をついていくものだから、そうなればガルディアスやグラスフォリオン達もついていくしかない。


『きゃー、浮いてるぅ』

『はは、そーら、ジャーンプ』

『まだまだ軽いな』


 保護者二人が腕を上げる度に空中に浮く移動を楽しんでいたアレナフィルは、くるりと回転させてもらっていた。空中逆立ちなど、「君達はおとなしく歩くこともできないのか?」と、言いたくなる有り様だ。

 だけど楽しそうだから、エインレイドも邪魔せずに見ていたいと思ったのだろう。


『あれ? そういえばパピー、今日は遅いって、フィル聞いたよ。無理してお迎え、来てくれた?』


 この時、皆の動きが止まった。

 いや、子供っぽい話し方を知らなかったわけではない。グラスフォリオンが私的に撮影していた映像で見ていた。

 だけどそれは家政婦に対してだけだろうと、誰もが思っていた。

 そろりと、ガルディアスが周囲を見回す。


――― 普通、幾つの子までだ? パピーとか言うのは?


 そんな声にならない質問を誰もが理解していたが、それこそ1才までではないのかと、言いたくても言えない。屋外で騒いだらすぐにあの三人に気づかれる。だけどせめてパパと呼ぶぐらいには進化してほしい。


「通常、貴族令嬢であれば、お父様と呼ぶのが一般的です。幼年学校に入った時点で」

「叔父に対しても兄様呼びはまずしないかと・・・」

「普通はいつまでも子供っぽい呼び方をしていると親に怒られるものですが」


 それを許しているのが自分達の上司のウェスギニー大佐、つまりフェリルドだ。

 何やら三人の会話も聞こえてくるが、こうなると誰もが、パピーパピー、フィルフィルといったそれしか耳に(とら)えられなくなる魔法がかかり始めた。

 エインレイドも、あれ? あれ? と、混乱して足を止めている。


『ジェス兄様、パピーと一緒でよかった。だけどパピー、そしたらルード、ちょっと可哀想かも』


 そんなこととは知らないアレナフィルは、二人にせっせと話しかけていた。

 そのたどたどしい話し方にも慣れているのか、父親と叔父は気にすることなく会話を続けている。


『どんな嫌がらせをしたんだい? 人参でも枕に詰めたかな? それともピーマン?』

『ううん、そっちは寮監先生にお願いしちゃった。明日からルード、ご飯はお肉を減らされてお野菜増えるんだよ。もう寮監先生はフィルの手下なんだよっ。ルード、お野菜食べるいい子になるんだよっ』


 さすがにガルディアスも聞き流せない。(うめ)くように呟いた。


「誰が手下だ。あのクソガキ」

「フォリ中尉、お言葉にお気をつけください。そのクソガキ様は、あなたが五年後に求婚予定のお嬢様です」


 マシリアン少尉・ボンファリオが、夜空を見上げながら(たしな)める。

 叔父と姪の会話があまりにも健全すぎて、聞いている方が泣けてきそうだ。


「いい子じゃないですか。兄の野菜不足まで心配してあげるだなんて」

「あのな、お前がそもそも何を言い出してくれたんだってことなんだが? お前があんなガキに求婚の許しをもらおうとしなければ、俺だって・・・」

「先にフォリ中尉に言われてしまえば、誰もが黙るしかありません。独走なんてつまらないのでは? 五年後、二人だけで争えるのならいいのですが」

「お前な、それ喧嘩売ってる? 俺となら勝てるとか思ってんのかよ」


 ネトシル少尉・グラスフォリオンは軽く肩をすくめた。


「あの様子を見たらどうしようもないのでは? 社交界の花となるより、どう見ても家の中で皆に愛されていたい子じゃないですか。ウェスギニー大佐と同じ家で暮らしていたなら、不規則な帰宅やいきなりの不在にも慣れていることでしょう。やっぱり私の方がいいと思います。たまには失恋もいいものですよ? ホント、負けなしのフォリ中尉の初黒星だなんて、男性諸氏がやっと留飲を下げることでしょう」

「誰もまだ負けてねえよ。お前だって勝ってもねえ」


 視線の向こうでは、アレナフィルがアレンルードにしたことを身振り手振りもつけて説明している。

 どうやらアレンルードのノートにいたずら書きをしたようだが、普通はノートの一面に変な絵を描いたりするものではないのか。

 けれども授業内容をきちんと書く為にも、ノートの端っこしか使わなかったそうだ。


『あのね、

「君は誰よりキレイだ」とか

「君の瞳にメロメロ」とか

「僕の胸は燃えている」とか

「愛、それは僕の命」とか、誰が見ても

「えっと、君、恋でもしてるの? 頭、わいてる?」

って言われそうなの書いたっ。赤い文字で書いておいたし、もう頑張って全部のページに書いたんだっ。隣の人とかに見られたら恥ずかしいの。だけどルード、お小遣いないから新しいノート買えないの』


 そんなことをする意味が分からない。

 ノートの端っこに変ないたずら書きがあっても、全く支障はないだろう。そんなフレーズを書く方が疲れただけではないのか。


「やっぱりあいつ、人間じゃないだろ。実は違う生き物だろ。ウェスギニー家、戦場で人間に変身できる生き物見つけて持ち帰ってきただけだろ」


 ガルディアスは、どうして自分がこんなことになってしまったのかと、そこが理解できない。

 面白い生き物を見つけた、これは持ち帰りたい、だが子爵家の子供だった。

 そこまではいい。

 もっと幼く、そして何かの集まりで見つけたのであれば、

「可愛い子だな。どれ、お菓子をあげよう」

などと言って同じテーブルに連れ帰り、膝の上に乗せてお喋りさせて楽しむこともできた。親もまた、光栄なことだと喜んで終わっただろう。

 それはもうできない年齢だ。それでいてまだ子供。誰かに取られる前に確保しようと思えば、性別的に求婚するしかなかった。


「ムカッときてノートにいたずら書きしてやるって思っても、端っこの邪魔にならない所に書いたわけでしょう? いい子じゃないですか」


 グラスフォリオンだけが、とてもプラス思考だ。

 さすがの父親と叔父も意味が分からなかったらしく、戸惑った様子で少女を見下ろしていた。

 アレナフィルは偉そうに胸を張って主張する。


『フィル、偉いんだよっ。レイドもルードも、あれ参考にしたら、もっと大きくなって女の子口説(くど)く時、とっても大助かりでフィルに大感謝だよっ』


 少し離れた場所ではエインレイドが呟いた。


『え? 僕、感謝はしないと思うんだけど』


 それでもエインレイドはもしかしたらあれは自分への親切心からの行動だったのかもしれないと、親指と人差し指を顎に当てて悩み始める。

 ガルディアスも知れば知る程おかしな思考回路を持つ生き物がクセになりそうだ。


「もうあの生き物、どこで売ってたか聞いてこい。うちで繁殖させよう」

「恐らく最後の一匹だったのでしょう。とっくに販売終了では?」


 ドネリア少尉・レオカディオが額に指を当てて目を閉じ、投げやりにいい加減なことを言う。

 そろそろ先頭の三人は灯りが届かない道に入るだろう。さすがにエインレイドも付き添いの寮監達に止められた。

 

『反対に女の子への幻想がどんどん消えていきそうだが、まあいいか。女の子を敵に回したら痛い目に合うってことをエインレイド様もルードも理解しただろう。レミジェス、あまりにも不憫なら新しいノートだけ差し入れてやってくれ』

『はい。だけどルードですからねぇ。かえって面白がるんじゃないですか? おお、これがラブレターとか言って』

『しょうがないよ。13才なんてまだまだヒヨコだからねっ』


 エインレイドがアレナフィルのヒヨコ呼ばわりに愕然としているが、明かりが届かない中を進むことは、マレイニアルとアドルフォンも許さない。

 盗み聞きはどうかと思うが、ここまでくるとガルディアスばかりかグラスフォリオンや警備担当者達も三人の会話が気になった。

 これは上司であるウェスギニー大佐の護衛という意味で当然の業務である。

 そう自分達に都合よく解釈してついていくことにした。


『では、ヒヨコさんを温めとくか』


 ここから先は灯りがないというのでフェリルドがアレナフィルを抱き上げれば、アレナフィルは両手を父親の首に、両足を背中に回してその胴体にしがみつく。

 あまりにも色気がないが、いざという時にフェリルドも両手を使いたいのだろう。


『同じお部屋で寝ようって背高ヒヨコさんに言われてたじゃないか。ちょっとドキドキしなかったかい?』


 ちょっと待てと思った男達は、耳を澄ました。

 すると呆れたような声でアレナフィルが答える。


『あのね、パピー。女の子はちっちゃな時から女なんだよ』


 そう言われてしまえばそうなのかもと思った一同だったが、すぐにその考えは霧散した。


『そ、・・・そうなのか?』

『フィル、まだお前は子供だよ。兄上を(おど)かしてどうする』


 叔父によるお子様認定に、アレナフィルが駄々をこね始めたからである。


『そんなことないもん。フィル、とっくに淑女だもん。ヒヨコじゃないもん。見る目のある一人前の女なんだもんっ』


 ああ、子供だ。こいつ、完全な子供だ。ヒヨコ以前のタマゴだ。

 誰もがそう思った。


『そうかそうか。で、見る目のある我が家のお嬢様は、学校でドキドキしてしまうステキな男の子を見つけられたかい? エインレイド様が近くにいたら、なかなかよそに目も行かないか』

『んーん。せめてパピーよりかっこよくないと、ドキドキできないよ。そりゃレイド、可愛いけど。ついでにレイド、フィルのこと男の子って思ってるけど。だけど学校なんてお子様しかいないんだもん。全くもう、パピーより素敵な男の人いなくて、フィル、上等学校来ても、ドキドキできなくて大変だよ』


 もしかしてアレナフィルはかなり年上趣味なのだろうかと、

「え? 俺でも可能性あり?」

などと言い出す声もあった。

 

『フィル、お前って子は。兄上と比べたら、そりゃ誰もが子供だろう。だけどお前も子供だぞ?』

『男は社会に出てからなの。フィル、妥協しない子』


 すぐに、

「あ、駄目だ。ウェスギニー大佐の出世と比較されたら負ける」

と、そんな声もあがる。


『それなら学校関係者にも若い男が揃ってただろう? それとも年上すぎたかな。バーレンは彼女と結婚する前、お前を嫁にもらうとか喚いていたが』


 誰もが動きを止めてアレナフィルの言葉を聞き漏らすまいとした。


『レン兄様、フィルのこと、餌にしたよ? フィルでお嫁さん、手に入れちゃった。思えばフィル、あの頃はまだ若かったの』

『フィル、お前はまだ子供だから』


 レミジェスの言葉に、誰もがうんうんと大きく頷く。


『そんなことないの、ジェス兄様。あの頃のフィルは、若すぎた。何も分かってない若さの暴走が、そこにあったの。ピュアな姉様を、フィルの若気の至りがレン兄様の手に落とした。レン兄様、身勝手な人だって分かってたのに。フィルは大人として、姉様を逃がしてあげなきゃいけなかったの』

『そしてその時は、お前がバーレンの嫁になるのか? さすがに娘の婿が私と同い年というのはな』

『ううん。レン兄様、そろそろフィルのこと、用済み。ポイされる日も近いの。だから、結婚はしないの』

『は?』

『ちょっと待てっ。何をされたんだ、フィルッ』


 父親と同い年のバーレン。

 レン兄様と彼女が呼んでいるのは、つまりあの講師かと、ガルディアスとグラスフォリオンの心に殺意が芽生(めば)える。


『何って、・・・お勉強。フィル、レン兄様に習得専門学校のお勉強をさせられてるの。フィル、もう嫌だって言ってるのに、許してくれない。フィル、色々なやり方で同じ問題、させられる。解釈の違い、調べるの手伝わせる。そして兄様、執筆する。その清書、フィルに手伝わせる。だけどフィルは都合のいい女。レン兄様のワイロに逆らえない』


 ガルディアスとグラスフォリオンの殺意は、あっさりと消え去った。


『フィル、賄賂に釣られちゃ駄目だろう。欲しいものは何でもあげるから、よその人間についてっちゃ駄目だぞ。クラセン殿は安心だが』


 それだけ手伝える子だからいいように使われるのだ。

 保護者達はそれならいいかという態度である。

 

『けっこう仲がいいからフィルはバーレンみたいな奴が好みなのかと思っていたよ』

『レン兄様とフィル、利用し合う同士。共犯者になれても、恋はできない』

『クラセン殿と何をやってるんだ、フィル』

『フィルはバーレンの雑用をする代わりに欲しい物を買ってもらってるんだ。フィルはお前達には恥ずかしくて言えない駄菓子や変な雑貨、誰かが作った試作品だの何だの、ローグさんの部屋をこっそり譲り受けることで保管部屋にしている』


 愁いを帯びた少女のセリフだったが、要は親にはねだりにくい駄菓子や雑貨を買ってもらっていただけである。


『ああっ、パピー、どうしてそれをっ。フィルの秘密のお部屋っ』


 保管場所まで父親にばれている間抜けな娘に、聴衆の方が苦笑した。


『全く。大人の資本力に釣られるんじゃないぞ、フィル。だけど寮監とか警備とかで、好みの男はいたかい? お前は未成年に興味がないからな。あれぐらいの年だったらどうなんだ?』


 しっかり尋ねるそれは、娘の本心を聞きたいからなのか。真っ暗な中では父親の顔も見えず、アレナフィルも思っていることを言ってしまうだろう。

 誰もがまたもや動きを止めて聞き入った。


『んー。だけどフィル、大人のお年、よく分かんない。それに恋人にするならパピーだし、結婚するならジェス兄様だもん。フィル、大人なら誰でもいいわけじゃないの』

『そうか。あれでも選抜はあったんだが。お前は男の体にもうるさいだろう』


 家族の反対を押し切って平民の娘と結婚した男だからこそ、娘の気持ちをしっておきたかったのか。


『寮監先生もいい体してるかもしれないけど、盗み撮りしてる時点で、ダメ男決定だよ。女の子、そういうヘンタイは嫌いだよ。人間性は大事なんだよ。ここに紳士はいないんだよ』


 ガルディアス達、寮監三名の表情が止まった。グラスフォリオンも、あの録画した映像は即座に消そうと決意する。


『そこが敗因か。女の子は難しいな。だけど恋人の私を捨てて、レミジェスと結婚するのかい、フィル?』

『そうなの。フィルね、パピー、世界で一番大好きだけど、結婚、安定した愛と強さが大事なの。ジェス兄様、語らず努力の人。フィルは知ってる』

『そうだなぁ。フィルが姪じゃなかったら私もフィルをお嫁さんにしたのになぁ』


 甘やかしてくれるから、優しいから、ではなく、いきなり内実評価だ。

 ガルディアスの反応を内心は楽しんでいた一行もさすがに目を剥く。


『レミジェスみたいな男が好みならそうそういないぞ、フィル』

『いいの。そしたらフィル、おうちで一生、パピー見て過ごすの。パピー、きっとおじいちゃんになっても素敵。結婚しないで、フィル、ずっとパパの恋人するの』

『あれ? 結婚するなら私とか言いながら、結局兄上なのか、フィル』

『そうだな。やっぱりお前は嫁になど行かなくていい。ずっとうちで私と暮らしなさい』

『うんっ』


 何故かそこで一番美味しい所をフェリルドが取っていった。

 そこで一台の移動車が、ライトを点ける。


『今日は大変でしたね、フィルお嬢さん』

『あ、フォルスさんだっ。パピー、連れてきてくれたんだ』

『ええ。お嬢さんが可愛すぎて恋人志願する男共が続出してはいかんと、心配で発狂寸前だったお父様をお連れしましたよ。ですがお嬢さんのお気に召す紳士は存在しませんでしたか』


 かなり仲がいいのか、フォルスファンドが面白そうな声で問いかけている。

 ガルディアスが、

「ちょっと待て。こんなに親しかったのかよ」

と、低く呻いた。

 フェリルドの送迎を行うフォルスファンドから提出されたウェスギニー家の親子情報はとても簡素なものだったからだ。


「さすがにありのままを報告できなかったのかもしれません。私とて情報をあげろと言われても、まさか皮肉の仕返しに飲み物を吹きださせるような令嬢だとは書けません。城でのそれは誰が見るか分かりませんから」


 ドネリア少尉・レオカディオが慰めるように呟く。


『うん。フィル、もう駄目かも。かっこいいのはパピーで、頭いいのはレン兄様で、頼れるのはジェス兄様見て育ってるから、もう目が()えちゃってて大変。もうフィルの人生終わりだよ。どれもお子ちゃまにしか見えないの』


 父親に抱っこされて体の凹凸ラインすらまだないお子様が偉そうに何やら語っていた。

 もうあの小憎らしい生き物をどうしようと、ガルディアスだって考える。


『当分はお父様が恋人でいいですよ。さ、おうちに帰りましょうね』

『はーいっ』


 レミジェスとおやすみのキスをしてから移動車に乗りこんだアレナフィルだったが、見送ったレミジェスは、頭が痛いとばかりに首を横に振っていた。




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