19 その上映会は何のために2
勘弁してくれと思ったうちの娘の映像だが、凄まじい説得力を放っていた。
通常の貴族令嬢ならば社交性や礼儀作法で価値を判断されるが、アレナフィルはそっちは全滅という真逆を行っていた。
ならば不出来な貴族令嬢ということで終わる筈が、かえってそこらの大人よりもしっかりしているように見えてしまったのである。
次は教室の映像だった。どうやら天井に設置してあったらしい。この為に取り付けたのか。
『こんにちは、ベルナ、リンダ、フェニア。ご飯を食べましょう』
『えーっと、アレルって、本当に用事に向かって一直線で生きてるんだね』
『あのね、アレル。私達、休み時間にも話しかけようとしてたの、気づいてた?』
『休み時間になった途端、ぐでっと寝てたのが凄かったよね』
うちの娘は休み時間、全て寝ていたようだ。友達作り・・・。うん、無理だな。
やはりバーレミアスの研究室にいる方が楽しいのではないか。
『え? 休み時間って寝る為の時間だよね?』
『・・・違うんじゃないかな』
『なんかアレルって、見た目と中身が違うんじゃないかなって、私、思えてきた』
『同感』
私はアレナフィルが宵っ張りであることを思い返していた。細切れ睡眠をしていたのか。
そこへ髪を青紫に染め、眼鏡をかけたエインレイドが登場してくる。
『やあ、アレル。僕も一緒にお昼を食べていい?』
『・・・ぅ、・・・でっ、殿っ』
『やだなぁ、また僕の名前、忘れちゃったの? レイドだよ、アレル。本当に人のこと覚えないんだから』
アレナフィルの顔には「何故、ここに出没した」と、思いっきり迷惑そうな感情が表れていた。
うちの娘の表情が正直すぎて辛い。せめて形は取り繕ってくれ。
それでも来てしまったものは仕方がないと、アレナフィルも思ったらしい。五人は仲良くランチを食べ始めた。
『えっと、えっと、・・・あのね、この人はね、実は私と同じ幼年学校の同級生のお兄さんの親戚の弟なんだってっ。で、同じ学校に行ってるからなんかあったらお友達になってねって言われてたんだ。それで昨日の放課後、捜しに行って、それでね、早速みんなに決めてもらったアレルって呼ぶようにしてもらったのっ』
娘よ、王子の素性を隠そうとするのはいいがちゃんと考えなさい。同じ幼年学校の「同級生のお兄さんの親戚の弟」は、つまり「同級生の親戚」だろう。
パニックになるとアレナフィルはぼろぼろ失敗しまくるクセがある。落ち着いて動けば賢いのに。
『あ、だけど経済軍事部なら王子様いるんじゃなかった? なんかとっても儚げな王子様って聞いたけど』
『うちのクラスの子も、みんな休み時間とかお昼にあっちの校舎に押しかけてたもんね。だけど、なかなか見られなかったみたい。空気に溶けそうな、薔薇みたいな王子様って話よね』
『やっぱり一般の部からも来てたんだ? アレルに聞いたら、校舎が違うから誰もわざわざ見に行かないよって言ってたけど』
『それ、アレルだけルールだよ。アレルがみんなのことを語る資格はない』
『レイドも災難だったね。アレルのこと、あまり信じちゃ駄目。こういう子なんだなって見守ってあげた方がいいと思う。おかしいなって思ったらちゃんと教えてあげて。教えてあげたら理解するから』
娘のいい加減さは既にクラスメイトにも理解されていたようだ。
やはり感性が異常だと子供達にも分かるのだろう。
『じゃあ、まだ友達を作るチャンスはあるかなぁ。僕も誰かに話しかけようにも、なんだかクラスにいない方がいいんじゃないかって感じでそそくさと出てきたんだ』
『分かる。だってうちのクラスからもあれだけの人が見に行ってたし。どの部もそういう人達がいただろうから、それはもうクラスにいられないよね。よほど神経が図太くないと』
『やっぱり王子様に気に入られたいって人、多そうだもん。その内、落ち着くとは思うけど』
『同じ授業はわざわざ経済軍事部のを受けに行っているって人もいたらしいよ』
『え? 何それ。わざわざ一般から聴講しに行ったの? 授業を聞いたところで、王子様に近づけるわけじゃないのに? おかしくない?』
『アレルったら分かってない。王子様と同じクラスで授業を受けられたってことがいいんじゃない。もう聴講枠、凄いって話だよ』
駄目だ。五人中、何も分かっていないのはアレナフィル一人だ。
いや、アレナフィルの意見は人間としてまともだ。大多数の認識とかけ離れすぎているだけで。
『あのね、みんな。よく考えてみなよ。私は王子様が同じ学校にいるからといって、浮つくこともなく、静かに誰にも迷惑をかけない学生生活を送っていたんだよ? 大体、三人だってそんなのに行かなかったのに、どうして私だけ責められるの。それがおかしいよ』
『その前にアレル、王子が入学してたことも知らなかったじゃないか。そうだったよね?』
どうやら王子は一晩で一皮むけたようだ。強くなったと言うべきなのか?
自分のことなのに素知らぬふりをしたエインレイドによって突っ込まれている。それもアレナフィル効果なのか。
しかもうちの娘、なんだかお友達からは駄目な子認定されている気がしてならない。
『え? 入学式で王子様、壇上に上がったじゃないの』
『あの名前聞いて、気づかない人いないよ、アレル』
『あー、それ、アレルを責めちゃ駄目。私、アレルの隣にいたけど、アレル、前髪を垂らして居眠りしてたもん。最初の起立から最後の起立までずっと。私と反対側の女の子に
「ごめん。悪いけど最後の起立の時に起こして」
とか頼んで。実は具合が悪いんだろうなって、その子も反対側の子と囁いて寝かせてあげてたけど、式の後で、
「体、大丈夫?」
って聞かれてアレル、
「んー。折角だから式の後に遊びに行く体力残しておこうと思って」
とか答えてたよね』
うちの娘がどうして王子の年も名前も知らなかったのかが、ランチ友達によって暴露された。
いたたまれないのは私だけだろうか。
『そうだったんだ。見た目はふわっとしてるのに、アレルってとても無駄のない考え方してるよね。そりゃ王子の名前も存在も知らない筈だ。うん、理解した』
こうして王子エインレイドは新しい価値観を知ったのか。だからアレナフィルと友達になりたいとごねたのか。
こんな珍妙な生き物、誰だって捕まえたくなる。エインレイドにとっては本気で王子という身分に興味がなく、それでいて一人の生徒同士として本音でぶつかってくれる相手だったのだ。
同時にうちの娘の気持ちも分かる。アレナフィルにとって上等学校時代など居眠りして過ぎるのを待つだけの時間なのだと。
『ふわふわしたラブリー顔なのに、アレル、性格が不精なんだよね。最小限しか動かないし』
『休み時間も、ぐでーって感じで寝てるものね』
『お昼休みもご飯食べたら寝てるしね』
『か、体が弱くて・・・。虚弱体質なの』
娘の悪あがきがどうしようもなさすぎる。親として心が痛かった。
『私、入学式でびっくりして、よほどの不良なのかなって思って見てたんだ。だけどアレル、体力測定とかもいい感じだったよね』
『あ、私も目がくりくりして可愛い子だな、ドジっ子かなって見てたら、スポーツ測定、けっこう上位だったでしょ。意外だった』
『見た目はリスみたいで可愛いのに、凄いバネがあったよね』
『・・・しゅ、瞬発力はあるんだけど、その後は無理がたたって寝こんじゃうから』
娘の嘘のつき方がヘタクソすぎる。顔があげられない父の気持ちも察してくれ。
先程の映像の中では娘の気迫に押されていたエインレイドも、この映像の中ではなんだか馬鹿だけど可愛い生き物を見る目になっていた。
『安心しなよ、アレル。僕の親戚にあたる君の同級生からは、幼年学校、一度も欠席したことないって聞いてるから。・・・じゃ、そろそろ戻ろっかな。明日も迷惑じゃなかったら一緒に食べていい? 女の子の中に僕一人がまずければ、他の男子も連れてくるけど。それともこういう時は女の子を連れてきた方がいい?』
『そんな変なこと気にしないでよ。レイドが女の子ばかりでも気にしないならいつでも歓迎だよ。ねー、みんな?』
同意していないのはうちの娘だけだ。
その顔にはありありと、「え? もう二度と来なくていいんですけど?」という意思が、はっきりと浮かんでいる。
それが分かっていても、もうエインレイドは気にしなくなっていた。
アレンルードに避けられて傷ついていた少年はどこへ行ったのだろう。
『言える。大体、アレルってばひどいんだよ。私達とお昼ご飯、一緒に食べようと思った理由聞いたら、一人で食べているのを先生が見て成績評価表に影響したらまずいからって言ったんだ。それに比べたらレイドはとっても気遣いさんだよ』
『普通、もうちょっと違うこと言うよね。仲良くしたいからとか、嘘でも。あのね、本当にレイド、変な気を遣わず一人で来て。気づまりじゃなかったら。どうせアレル、中身は男の子だもん』
『なんかもう、あの時はアレルの顔、二度見しちゃったよね。正直すぎてびっくり』
うちの娘はあまりにも嘘がつけない子だった。おかげで墓穴を掘っている。
学校サイドにあわせる顔がない父の気持ちも察してほしい。
『そっか。アレルは少女の皮をかぶったお婆ちゃんじゃなくて、クールボーイだったんだね』
映像の中で結論づけた王子エインレイドは、うちの娘によって学んだのだろう。
どんな言い訳もきちんと裏付けを取らないと真実は分からないものだということを。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
やはり父親としては何か言わなくてはならないのだろう。
「うちの子供達があまりにも非常識でありましたことを心よりお詫びいたします。娘には王族の方々、貴族としての在り方についてきちんと説明し、そして式というものに対しての態度をどう取るべきか、よく言い聞かせておきます。どうぞご容赦くださいますよう」
そこで口を挟んだのがガルディアスだった。
「ちょっと待っていただけませんか、ウェスギニー子爵。それは私のことも話すということでしょうか」
「勿論です。娘からはエインレイド様への無礼しか聞いておりませんでした。どうかお許しくださいますようお願い申し上げます。また、息子も知らぬことながらガルディアス様に対してあのような態度をとっていたとは。きつく叱っておきます」
「その謝罪は不要どころか、悪いのはこちらだとお分かりの筈です。どうかお子さん方には私のことは告げないでいただけないでしょうか。何一つ叱る必要はありませんっ」
「それこそあり得ない話です。息子はともかく、これ以上の無礼を娘がした日には私の命が縮みます」
「そこをあえてお願いいたしますっ。私のことを知ったらもう顔を見る前に逃げるではありませんかっ」
「そんなことはありません。教えられればきちんと礼儀正しく娘は行動すると、私は信じております」
勿論、嘘だ。
ガルディアスが察している通り、彼の身分を知ったらアレナフィルは決して男子寮には近づかなくなるだろう。顔を見る前に逃げるのではなく、顔を見ないように動く。それだけだ。
「それが嫌だと言っているのですっ。どうかお願いしますっ。私はあくまで一軍人として常駐しているのですからっ」
「ウェスギニー子爵。ガルディアスもこう言っておるのだ。この際、王族や王位継承、更に高位の貴族については、どちらにも教えずにおいてやってくれぬか。少しでも知ってしまえば、あの賢い子達だ。自分で理解してしまうかもしれぬ。上等学校を卒業するまででよい。あのような楽しい姿を見られなくなるのは、ガルディアスも寂しかろう」
「それが陛下のお望みならば。・・・ですが、娘はとても意見のはっきりした子です。とっくに男子寮の寮監達は、大切な王子の情報をもペラペラ垂れ流す落ちこぼれ兵士のくせに、王子の特徴も教えてくれない不親切な人達だったとぶちまけておりましたが、本当にそれでいいのですか?」
「ぅぐっ。・・・構わないので、言わないでいただきたい」
「かしこまりました」
そこでキセラ学校長・ヘンリークが一段落したようだと判断して口を挟んできた。
「ウェスギニー様。できればアレナフィルさんの入学式の居眠りについてもお叱りにならないでくださいませんか。あの後、入試を見直しましたら、アレナフィルさんは一般の部で満点を取っており、しかも余白にいたずら書きをして時間を潰していたようです。クラセン先生によって上等学校の授業範囲を全て終えているならば入学式もつまらないものだったでしょう。
幼年学校のテストでわざと間違えていたアレナフィルさんが本気で評価表を気にしているわけがないのに、一人でいた子達に声をかけて一緒に食べようとする優しさも、殿下の苦悩を知って助けようと知恵を出そうとする思いやりもあります。それでいいではありませんか」
「恐れ入ります。ですが学校長も何かありましたら遠慮なく叱ってやってください」
「はは、こちらが叱られそうです。教育者の視点をもうアレナフィルさんは持っていますからね」
学校長がアレナフィルをとても美化していた。
アレナフィルは家でごろごろ甘やかされているのが大好きなだけの生き物だ。
あのしっかりした口調など、家ではやらない。何故なら甘やかしてくれなくなるからだ。
そんな娘が友達に対してそれなりに優しさを見せたというのなら、そうしておいた方が後々楽だと判断したか気まぐれか、そんな程度だろう。
「それでだな、ウェスギニー子爵。今、映像を見ていて思ったのだが、やはりアレナフィル嬢にはうちのエリーの友達になってもらえないだろうか」
「お言葉ですが、陛下。うちの娘は、あの通り、本当に貴族としての意識がございません。クラセン講師の指導により偉そうなことも言ってはおりましたが、あのような不出来な娘をエインレイド様の近くに置くものではありません。いずれエインレイド様も年頃になります。本気になる前に引き離しておかれるべきでしょう」
途端にエインレイドが悲しそうな顔になる。
「ウェスギニー子爵は、・・・僕では駄目なんですか?」
「エインレイド様と娘が仲良くお喋りしていたのは、映像を見れば分かりました。ちょっと娘に言われただけで生意気だとか喚くこともなく、自分と相手のことを確かめながら手探りで努力なされたエインレイド様のよく考える資質は素晴らしいものです。娘に負けっぱなしでもなかったようですしね」
私自身はエインレイドを否定したいわけではない。たかが子供のお友達付き合いである。
だから軽く笑みを浮かべて片目をつぶってみせれば、自分への好意を感じたのか、エインレイドが嬉しそうに笑った。
「あはっ。アレルといると、悩んでいた自分がつまらなく思えてきたんです。それにアレル、反撃しても後に引かないというか、何か食べたら忘れてる? そんな感じがします」
「うちの娘はちょっと馬鹿なところがありまして。・・・ですがエインレイド様。あなたには王宮の方が選別したお友達候補がいる筈です。身分や家柄、本人の資質も調査された立派なお友達候補です。いささかそのお友達候補が暴走し、状況が落ち着くまで他のお友達を先に作ればいいのではないかという流れになっていますが、いずれそのお友達候補がエインレイド様のご学友となるでしょう」
私とて分かっている。
そんな決められたお友達をどうして有り難がらねばならないのかと、エインレイドが感じていることを。
「そこに僕達の気持ちがないのに、友達になれるんでしょうか。アレルも僕が王子だから避けてはいるけれど、元々はアレル、友達がいてもいなくてもどうでもいいというか、全く気にしていない気がします。
子爵も、あの偉そうな先生もそうですよね? 本当はどうでもいいとか思っているのに、僕の周りが面倒だからアレルを遠ざけておこうって感じに思えます」
その通りだ。別にアレナフィルの友達など、その子とアレナフィルの間で決めればいい。
だから私も肯定の意を込めて苦笑してみせた。
「私もクラセン講師も、自分の出す結果が全てだという世界で生きております。敵地にあって生還できるかどうかは自分頼みの私と、己の研究成果と論文で立場を作り上げていくクラセン講師と。・・・そこで誰かのお気に入りだとか、そういうことは全く自分を助けてはくれません。ですが王宮にあっては全く違うルールが存在し、それもまた大切なことなのです。私はそれを尊重しております」
「・・・ウェスギニー子爵が、僕が子供だからって適当な返事でごまかさず、とても真面目に教えてくれているのは分かります。僕はどうやればこれを切り抜けられますか?」
「はて。・・・私も所詮は武骨な身、軍に属する者です」
他人をどうこうしようなど無駄なことだ。こればかりはどうしようもない。
問題は私達の側ではなく、エインレイドを取り巻く王宮サイド、貴族サイドにあるのだから。
私もアレナフィルも、エインレイドと親しくすることで発生するであろう他の生徒達の妬みや引き起こすであろうトラブルを察している。だから距離を取るしかないのだ。
すると一人の教師が手を挙げた。
「発言をお許しください、陛下」
「許そう」
「現在、エインレイド様のお友達作りの為、授業の時間割を見直しております。エインレイド様に次のお友達ができるまでアレナフィルさんには変装したエインレイド様と友達でいてもらい、他のお友達ができてからは解消すればいいのではないでしょうか。その短期間ならば醜聞にもならないかと存じます。
また、エインレイド様が授業で訪れるであろうクラスには映像監視装置を取り付け、警備棟でそれを常に追跡できるようにしておけば、エインレイド様のこともアレナフィルさんのことも心配するには及びません。他のお友達ができるまで。それならばウェスギニー様もご了解いただけるのではありませんか?」
「そうだな。早速ランチを一緒に食べる可愛い女の子も三人できたのだ。一緒にいれば、すぐに違う友達も作れるであろう。ウェスギニー子爵。どうかアレナフィル嬢を今しばらくエリーの友達にしておいてくれぬか」
「・・・かしこまりました。ですが、エインレイド様に他のお友達ができましたら、うちの娘は下がらせてくださいませ」
「それでいいか、エリー?」
「・・・結局、それってアレルを僕から引き離すって結果になると思うんですけど。別に恋愛感情で好きと言っているわけじゃないのに、みんなして大人は考え過ぎだと思います。僕だって他に好きな子できるかもしれないじゃないですか。勝手に決めつけないでください。何より僕、これだけ変装してるんですけどっ」
ぷんすかぷんすかと怒り出すエインレイドは、やはりアレナフィルを手放したくないようだ。
可愛い女の子三人とも友達になっているのに、エインレイドが見ているのはアレナフィルだけではないのかと、そこが気にかかる。
まるで昔のアレンルードだ。自分のことを分からなくなったアレナフィルに苛立ち、それでもアレナフィルを抱きかかえて「自分の、自分の」と、主張していた。
アレンルードと同じようにやがて落ち着くのか。それとも更にこじらせてしまうのか。
(本当にあの子が好きになった奴と幸せになってほしい。だが、まだあの子を手放すつもりはない)
問題はガルディアスだろう。ここまで国王夫妻にアレナフィルの姿を見せたのは、一つの根回しだ。国王夫妻の口から自分の親に、「気に入っている娘がいるようだ」と、言わせる為の。
どうしたものかと思っていたら、警備棟に配属されたアルメアン少尉・ジュリオナルドが手を挙げる。
「ウェスギニー大佐。色々とお気持ちはお察しいたします。私共もフォリ中尉からの指示でエインレイド様の動向を見てはおりましたが、お嬢様は相手が殿下であっても、たくましく渡り合えるのではないかと存じます。これは本日、エインレイド様とご一緒の様子のものですが、ご覧ください」
「もう何も見せないでくれ。破棄しろ」
「いや、ちょっと見せてくれぬか、ウェスギニー子爵。まだあるのであれば見たい」
「・・・・・・陛下のお望みのままに」
嫌な予感しかしなかったが、ここまでくると誰にとっても娯楽でしかないのか。
王子の送迎を行う移動車内の記録映像が流された。
移動車内に取り付けられているそれは、何かあった時の証拠や情報把握の為だ。こんなものを記録することになるとは、平和すぎて泣けてくる。
アレナフィルが変装したエインレイドに尋ねていた。
『殿下、今までの幼年学校でのお友達もいる筈でしょう。その子達はどうなったんです?』
『幼年学校の時は普通にみんなと遊んでたんだけど、上等学校になると今度はお友達だからってのですまなくなる問題も出てきてね。皆、取り入ったと思われないよう、それでいて親しい友人として選ばれるよう、色々と指示されてるんだろうなって感じなんだ。子供なんて家の意向に逆らえない立場だよね』
『・・・それ、うち程度なんて、瞬殺される案件ですよねっ? 要はレイド、今の内から狙われてますよねっ? 今の内からいい地位やお妃候補となる為のそれって始まってるってことですよねっ?』
げげっと、とても嫌そうな顔になっているアレナフィルが正直すぎて、父はもう家に帰りたい。
別に瞬殺はされない、娘よ。
『運転手さん。何か言ってあげてください。大切な王子様が、二人きりの状態で少女に誘惑されそうになってます。不純異性交遊を防止する為にも、二人は引き離すべきです。こんな可愛い少女が大切な王子様に取り入って恋人に納まり、世間知らずな王子様を意のままに操ろうとしてるんですよっ? 護衛ならどうしてそれを阻止しないのですかっ。給料泥棒って言葉知ってますっ?』
うちの娘が脅しをかけているのだが、誘惑どころかなるべく体を引き離して扉に縋りついている様子は、どう見ても被害者だ。
言葉の威勢はいいのだが、行動がぴるぴる震えている子ウサギのようでとても可愛い。
怒られている運転手だって己の取るべき行動に悩んでしまった。
『うーん。そちらにいらっしゃるのは、レイド君っていう一生徒だからねえ。少年が少女に変なことをしないよう見張れとは言われているけど、行き先も近くなんだし、そう深く考えなくていいんじゃないかな?』
『え? 近くって?』
『だってこの髪、寮に戻る前に落とさないとまずいだろ? だけど学校とかで落とすと、シャワールームの出入りを見られていたらいつばれるかも分からない。折角だからね、君の家の近くに部屋を間借りしたんだ。髪の色を落とす為だけの部屋』
エインレイドが間借りした部屋というのは、姉王女が降嫁した貴族の邸か、他の王族の邸だろう。シャワーを浴びるだけだからどこの客室でもいい。
『そこまでしなきゃいけないものだと思わないんですけど。それ、染めたわけでも何でもなく、髪ペイント剤ですよね? どこかでちゃちゃっと洗えば落ちますよ。男なら水でジャバジャバ洗えばいいのです』
『少しでも残っていたらやっぱりどこかでばれるじゃないか。落とし残しがあったら終了だよ』
正直なアレナフィルの顔には、
「いちいち移動しなくても、そこらの水で洗い流せよ。男だろ」
と、そんな気持ちが見事に透けていた。
『ところで僕が間借りしている場所で僕をおろしてから君の家に行ってもらう? それとも君の家から先に行く?』
『勿論、レイドが先ですよ。私を送ってもらう間にさっさとシャワーを浴びて色を落としてください。時間を無駄にせず、早く寮に戻らないと何事かと思われます。いいですか、レイド。あなたに万が一のことがあってはならないんです。そんなことに私のような庶民を巻きこむことなく、王子様らしく守られて生きていきましょうね』
時間を合理的に考え、なおかつ王子の在り方も指導する娘はとても立派だ。
だが、娘よ。お前は庶民ではない。
『そっか。そうなると君は僕が使う内緒の部屋を知るただ一人の生徒ってことになるわけだ。二人だけの秘密だね、アレル』
『やっぱり私の方を先におろしてください、運転手さん。身分がどうこうとかより、人として女の子を大切にできる王子様になってもらわないといけません。人格は大切です。やっぱり女の子を優先できない男の子はみっともないですからね』
特別感を演出した途端、王子よりも自分が大事なアレナフィルの行動が正直すぎて辛い。
うちの娘はどこまで自分のこと優先主義で生きているのだろう。
『身分も何も、一般の部に通う真面目な生徒達だそうだからねえ。・・・うーん。最初は一般の女の子を揶揄うなんて感心しないと思っていたけど、負けてないからいいのか』
『よくありません。この権力の波に怯え、震えている私の姿が目に入らないのですか。ここは身も心も頑丈な生徒に変更すべきです。大切な男子生徒をお守りする為にも、しかるべき人選を要求します。王族とか、公爵家とか、侯爵家とか、伯爵家とか、そういう立派なおうちの子供がいるでしょう』
エインレイド付きの侍従達が、うんうんと頷きたがる内容だ。
だが、こんな13才の子供に未だに学友の人選もできていないのかと言われてしまっては、返す言葉もないだろう。
その「立派なおうちの子供」とやらが変な暴走を見せたからこうなっているのだ。
何も親に言われずとも自分達の立場を理解し、立派に振る舞ってみせたのが子爵家の双子だった。それだけである。
『善処しよう』
『善処というのは、時間稼ぎに使う言葉です』
『その通り。さて、おうちに着きましたよ、お嬢様。今日は門の前で下ろしますね』
『あ、すみません。うち、いつも門を閉めてるんです。送ってくださってありがとうございました』
びしっと言っておきながら、おうちに着いたと見るや否やそれまでのやり取りを忘れてしまううちの娘が現金すぎた。
そこで映った我が家の塀と門に、何人かはちょっと驚いたらしい。
「監禁施設・・・?」
「別邸って・・・」
うちの近所にとってはもう見慣れた建物である。
自分大事な性格はともかく、アレナフィルがあまりにもしっかりしている上、成績も申し分ないというので、これはもう身分的にも問題なく学友の一人として加えていいのではないかと、そんな声が上がり始めた。
子爵の子供だから身分が低いというものでもない。その気になればうちはいつでも伯爵になれる。
そんな意見が出始めたところで、手を挙げたのがグラスフォリオンだった。
「エインレイド様護衛担当の私が申し上げるのは筋違いながら、アレナフィル嬢をエインレイド様のご学友というのは考え直された方がいいと、あえて申し上げます」
「ネトシル少尉はアレナフィル嬢に求婚したいと言ってのけたではないか。恋敵を減らそうという姑息な手段か?」
「いいえ、フォリ中尉。お言葉を返すようですが、アレナフィル嬢はたしかに思考と意見は立派なものです。ですが、それは習得専門学校講師によって植えつけられた表面的なものにすぎません。4才で全ての記憶を失い、言葉も分からなくなった子供が、一気に大人になる筈もありません。内面の壊れやすい幼さを考えれば、エインレイド様のご学友には不向きです。私が個人的に記録する為に持っていた物ですが、こちらをご覧ください」
どいつもこいつも盗撮が多すぎて、私はもう娘をどこか遠くに保護したくなった。
どうやらグラスフォリオンが服につけていたらしい記録装置だが、うちの玄関前が映し出されて、エイルマーサが玄関から飛び出してくる。
エイルマーサがぎゅっとアレナフィルを抱きしめる姿は、まさに母と子だった。
うちではよくある光景だ。うちの息子も娘も、「みんなでぎゅーっ」が大好きである。
『フィルお嬢ちゃまっ。旦那様からもしかしたら帰りが遅くなるかもしれないとは言われてましたけどっ、ああっ、無事でよかったっ』
『マーシャママぁ』
グラスフォリオンが苦し気な声で解説し始めた。
「こちらの女性はウェスギニー大佐のお子様をずっとこの高い塀と門に囲まれた中で育てていらした家政婦です。こんなにも震えて、エインレイド様への不敬でどんな罰が与えられたのかと、心配していらしたのでしょう。そして家政婦をママと呼び、記憶にない存在の母親を慕う。・・・アレナフィル嬢は、まだそんな幼い子供なのです」
どうしたものか。アレナフィルは単に甘やかされるのが大好きなだけだ。
言われた言葉をそのまま覚えてしまったうちの娘は、赤ちゃん言葉をいつやめればいいのか分からずに続けている。
子供なら成長に従って周囲を見渡し、自然と大人っぽい呼びかけに移行するのだが、最初からアレナフィルの中身は大人なので、いつ移行すればいいのか分からず現状維持が続行中なのだ。うん、お馬鹿さんだ。
『あのね、怖くなかったよ。フィル、王子様のこと知らなかったけど、よくあることって、みんな言ってたもん。それにね、王子様とはお友達になったんだよ。あ、だけど、会った時にご挨拶するだけだけど』
『ルード坊ちゃまはともかく、フィルお嬢ちゃまは関係ないと思っていた私共が悪かったのですわっ。まさか王子様が寮にいらしたなんてっ』
『えーっと、うん、だけど、もう寮で会っても知らんぷりするってお約束したし、問題ないよ。ね、マーシャママ、泣かないで。それにね、ルードには、王子様のこと言わないってことになったの』
たどたどしく、それでも母親を心配させないようにと、一生懸命言おうとしている姿はまるで幼年学校低学年の子供のようだ。
それは我が家ではいつものことである。うちの娘は怠け者なのだ。甘やかされてごろごろしていたいだけの生き物なのだ。
うちの娘の猫かぶりな甘えっぷりを披露された父は辛い。
「あんな性格の悪い講師に言葉を教えられ、幼年学校では友達もできず、家ではこうして家政婦と二人きりで育っていたのです。内面が成長する筈もないでしょう。それでも母親をこうして心配させないようにと、この子は一人で頑張っているのです。家政婦とて、どんなに勉強ができる子でも中身が幼いことはよく分かっているではありませんか。ずっと見ていた彼女は、だから心配していたのでしょう」
私はグラスフォリオンを騙されやすい奴認定した。
映像の中で、エイルマーサがアレナフィルを見つめている。
『そう、・・・ですわね。それはもう外見はおしゃまなお嬢様ですけど、フィルお嬢ちゃまはまだまだ赤ちゃんですもの。お勉強ができても、お嬢ちゃまはまだまだ子供ですもの』
映像の中で、アレンフィルがエイルマーサに抱きついて可愛い声でぷんぷんし始めた。
『も、おとなしくしてるからいいの。ルードは自分でお洗濯すればいいんだよ』
『そうですわね。ルード坊ちゃまも自分で頑張ってもらわないといけませんわね』
私には分かる。アレナフィルは、用務員ならば誰かに吹聴する程の繋がりもなかろうと割り切り、甘やかしてくれるエイルマーサへの態度を優先したのだ。
うちの娘の欲望があからさますぎて辛い。そこは誰も気づいていないからいいんだが。
『こちらも気遣いが足りていなかった。今度から学校の事情で帰宅が遅れる生徒には予め保護者に連絡しておく必要があるということも留意しておくべきだな。特に女子生徒の母親は心配にもなるだろう。・・・いいお母さんじゃないか』
『世界で、一番素敵な、・・・母なんです』
ぽんぽんとグラスフォリオンに頭を撫でられ、えへへと幸せそうに笑う娘が可愛らしすぎる。
こんな風に母を自慢している顔など、見ている方が身もだえしてしまいたくなる愛らしさだろう。
「貴族でも、いつも一緒の使用人ならば家族のように思いはするでしょう。ですが母だと言いきり、ここまで大好きだという感情を隠さない。その幼い心を思えば、・・・エインレイド様のご学友には不向きです。アレナフィル嬢はたしかに賢い。ですが、人間としての当然の成長がまだまだなのです」
グラスフォリオンの切なさが混じった声が響き渡るが、見ているこちらが切なくなる事案だ。
うちの娘のあの幼さは、可愛がられたい欲望ありきである。
そう、うちの娘は猫なのだ。ごろごろーっと甘えて可愛がられ、自分がしたいことをして、むふふふーと喜び、過ぎたら忘れている。
『ああ、分かるよ。・・・それでは失礼します。お嬢様はたしかに送り届けました』
さすがのガルディアスもいささか考え込む顔になっていた。
エインレイドもどうしたらいいのか分からないといったところか。
国王夫妻はどこか痛々しいものを見る目になってはいたが、その程度は許容範囲だと判断したようである。
「たしかに心は幼いのかもしれぬが、・・・そういうものだと知っておればエリーも無神経なことは言うまい」
「そうですわね。エリー、誰もが両親といるわけじゃないのよ。家政婦をあんなにも大切に思っているだなんて、きっとアレナフィルちゃんは記憶にないお母様がとても恋しくているのね。その寂しさを分かってあげられるようになりなさい」
「はい、母上」
母が恋しいのはアレンルードの方なのだが。アレナフィルはそもそもリンデリーナに何の感情も抱いていない。
そう思っていたら、私が何故か王宮サイドから責められた。
「ウェスギニー子爵。いくらお嬢様に事情があろうと、もう少し家庭的な環境を作ってさしあげるべきだったのではありませんか? 色々とご事情はおありでしょうが、あまりにも見過ごせぬものがございます。あれではご令嬢がお気の毒すぎるではありませんか」
「そうですとも。家政婦を母親だと慕うとは、あまりにも寂しく育てすぎです。子供の成長には愛情も不可欠なのです。だからあんなにも頭でっかちになったのではありませんか」
いや、うちの娘の性格形成、私は関係ないと思うのだが。
(自分達の立つ瀬がなかったからってこっちに八つ当たりすんじゃねえよ)
なんか子供の養育についてどうのこうのと、皆からそれぞれに言われたが、
「敵国に潜入して様々な戦闘をしておりましたので、子育ては家政婦に任せておりましたが、では、あなたが代わりに戦地へ行っていただけると?」
で、その話は蹴り飛ばしておいた。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
私には息子もいて、その息子は王子と同じ寮にも入っているのだが、娘のインパクトが強すぎて途中からすっかり忘れられていた。
そんな疲れきった気分で帰宅すれば、寝室へ飛び込んできた生き物がいる。
「パピー、お帰りなさいっ。聞いてっ。ひどいのっ」
「ただいま、フィル。可愛い愛の妖精。まだ起きてたのかい。寝坊しても知らないぞ」
うちの娘はいつもこんなものだ。何かある度に、「大変、大変」と、慌てて私かアレンルードの所まで駆けてくる。そして解決したら忘れる。
うん、私はこっちでいいか。
あの偉そうな態度のアレナフィルも悪くはないが、家に帰ってまでギスギスしているより、愛玩用の子リスを撫でている方がいい。
「ほら、足が冷えちゃうぞ。おいで、フィル」
私のベッドに寝かせれば、甘えてごろごろと懐いてくるところが愛らしい。こればかりは父と私とレミジェスだけが堪能できるアレナフィルだ。
私の胸元に顔を埋めて、プイプイと娘は文句を言い始めた。
「フィル、ちゃんと変装も教えてあげたんだよ。だからもう終わりだったんだよ。なのに、王子様、変装してうちのクラスに出たんだよっ」
「・・・フィルにかかると王子も幽霊扱いだな。だけどびっくりしちゃったね、フィル」
「そうなのっ。王子様とご飯食べちゃったんだよっ。他のお友達もっ。こんなことがばれたら、フィル達、学校中の女の子達、みんなにいじめられちゃうっ」
「・・・それは怖いな」
問題はうちの娘、数人がかりで囲まれても相手を床に沈めそうなことだ。レミジェス、過剰防衛って言葉知ってるか?
「どうしようっ、パピー。こんなことがばれたら、フィル達、嫉妬の嵐で海の藻屑っ。ロッカーのお弁当もお着替えも、ナイフで切り裂かれちゃうっ。そしてゴミとか入れられちゃうんだよっ。ロッカーのお名前プレートに、ゴミ箱って書かれちゃうっ」
「・・・それは恐怖だね」
うちの娘の妄想が止まらない。
どこからそういったことを思いついたのか、聞く気にもなれない。一人で空回りできるから一人じょうずなのか。
「廊下を歩いてたり、お外を歩いてたら、上からお水が降ってくるんだよっ。花瓶の水をばっと撒かれちゃうのっ。そしてびしょぬれになったフィル達を、あーら、みっともない姿ねとか言って笑われちゃうんだよっ」
「・・・それはひどいな」
アレナフィルの運動神経は決して悪くはない。
上から水をぶっかけられたら犯人の顔を確認し、そいつを追いかけて捕まえ、濡れた状態で教員室まで連行するだろう。
そして生徒の名前を明らかにさせ、お互いに立場を同じにしておきましょうとか言って、教師の前で自分も相手に水をぶっかける。そういう娘だ。
教師に対しても相手に対しても、自分は黙ってやられはしないとアピールする為に、まずはやる。やらない筈がない。
「そうなのっ。そして運動服で授業受けて、フィル達、先生に、ちゃんと制服着なさいって怒られちゃうんだよ。上からお水降ってきたとか言っても、信じてもらえずにいびられちゃうのっ。それでいつも制服をぼろぼろにしてくるフィル達は、先生にいじめられてるって言っても、お前達みたいな存在が王子と一緒にいたこと自体が夢じゃないのかとか言われて、相手にしてもらえないんだよっ」
「・・・それは大変だ」
一体どんなストーリーをうちの娘は作っていたのだろう。
私が帰宅するまでそんなことを考えていたのか。どこまでも娘の語る設定が細かい。
「王子様には王子様の生きる世界があるんだよ。性格悪くておーほほほほとか高笑いしているお嬢様とか、頭悪いくせに自分は頭いいとか信じているお坊ちゃまとか、趣味は悪いけど高いドレスで着飾っているお嬢様とか、相手が手を抜いて負けてくれていることにも気づかないで自分は強いと信じているお坊ちゃまとか、そういう高い身分のおうちに生まれた子供達を取り巻きにしているもんなんだよっ」
「・・・うーむ」
お前はあそこまでお前と友達になりたいと願ってくれた王子に対して、彼がそんな子供達に囲まれて不幸になってもいいというのか。
バーレミアスと気が合うだけはあって、アレナフィルはかなり自分の欲望に正直だ。
「だけどねえ、フィル。知ってたかい? 男子寮の王子の部屋の周囲には様々な装置が取り付けられているってこと」
「え? 何それ」
「階段とか廊下とか、食堂には映像監視装置があるんだ。さすがにシャワー室やトイレにはついていないけどね」
「へー」
だから男子寮内に警備の人間を置かなくても、常時監視できるのだと教えてあげても、うちの娘はピンと来ていないようだった。
娘よ、お前は男子寮で自分がどんなやりとりをしたのかも忘れているのか。忘れていそうだな。
「でも、別にフィル、王子様のお部屋なんて近づいてない」
「そうだね。・・・髪を青紫にした姿を見たいと国王陛下が仰ったものだから、今日はその一家団欒の場に私達も呼ばれたんだけどね」
「おおっ。パピー、王様と会えたのっ。じゃあ、パピー、王子様、フィルと無関係に生きてって言ってもらえるっ?」
なるほど、王子の部屋周辺にしか監視装置はついてないと判断していたようだ。
私の胸にすりすりしていた娘が、瞳を期待にキラキラさせて見つめてくる。
「フィル、もう王子様と無関係でいいよねっ」
「・・・あのね、フィル。そこでお前が階段でやらかした王子とのやりとり映像、そして学校長に呼び出された部屋で王子としたやりとり映像。それから昨日と今日との移動車内での運転していた者とのやりとり、そして王子が参加した昼食でのやりとりが流されたんだよ。それで私も帰宅が遅れたんだがね」
「・・・・・・え」
やっと娘は事態を把握した。
自分の行動を振り返り、あれを誰かが見たらどう思うか、そこで理解したらしい。
「じ、人権侵害・・・」
王族にプライバシーなどないのだ。
これで次回から気をつけてくれると信じたい。
「ここまでしっかりしているお嬢さんなど他にいないだろうと、皆に爆笑されたよ。国王御一家、学校関係者だけじゃなく、私の上司や部下、軍でも警備や寮監出向予定者、色々な人がその映像を一緒に見たからね。おうちでおとなしくしてる子だと思っていたら、我が家の妖精は隙を見てお出かけしていたようだ。変な髪染めや眼鏡も知ってたぐらいだしね。まさか寄り道の為、入学式を居眠りして体力を養っていたとは」
「・・・・・・え、冤罪」
それこそ冤罪ではなく、ありのままに事態を把握する為、映像が記録されているのである。
パニックになったらしい娘の頭を私は撫でた。
「ぁう、・・・ぁぅうっ、・・・あのねっ、パピー、王子様には教えたけどっ、フィルッ、使ったことないからっ。持ってもないしっ」
「うんうん。落ち着きなさい、フィル。大丈夫だ、分かってる。お前はいい子だ」
持っていないのは知っている。自分の瞳では大して色の印象は変わらないからと、アレナフィルは買わなかった。
「あと、一人で昼食をとっていたとしても成績評価表には影響しないが、一人でご飯を食べていた三人の女の子、そして殿下を巻きこんで仲良くご飯を食べるようにしたことは評価してくれるそうだよ、フィル」
「ひゃああっ」
うちの娘が、ぴるぴると怯え始めた。やはりこんな可愛い珍獣を誰かにくれてやるのは惜しい。
今は心を奪われてしまった状態で誰もが執着しているが、さて、どうなるのか。
あんなクソ生意気な奴らにも、そして王子にもくれてやりたいわけではないのだ。
どうせ今は三つ巴だから誰も手は出せないとして、この子をどうしておくべきだろう。
(国王の命令により、印が出るまでの五、六年間は守られる。同時に五年あれば根回しはできる。そして彼が望んでいるとなれば、この子に接触する者も出てくるだろう)
私の沈黙がちょっと怖かったらしい娘の額にキスすれば、ほっとして力を抜く。アレナフィルはそういう素直さがあった。
実際、私は怒っていない。この子はありのままに過ごしていただけだ。
「少なくとも殿下の苦悩は解消されたし、色々な部が授業の時間割を少し見直してみるそうだ。殿下も一人で抱えこんでいた自分が虚しくなったと言っておられた。お前のおかげだそうだよ、フィル。よく頑張ったね」
「パピぃー」
甘えて抱きついてくる娘は、それでもう全てが終わった気分になっていた。
すりすりと私の胸に頬ずりをし始める。甘えたら全てが許されると思っているのだから困った子だ。
この通り過ぎたら忘れてしまうトリ頭にエインレイドもやられてしまったのか。
そういう可愛さは私の前でだけでいいのに。
少しは焦らせておくか? うちの子は甘えれば何でも許されると思って後始末が全くできていない。
「だけどルードじゃ考えもしない行動といい、子供らしからぬ変な思考といい、フィル、うちの書斎の本を読んでいたのかな? 大人のご本はまだ駄目だって言ってあっただろう。一体、何をどうやったらあんな耳年増で口達者な子になるのかと言われてしまったよ。私にはいつまでも可愛い赤ちゃんだけどね」
「・・・フィ、フィル、もう眠いっ」
寝てごまかす気だ。
いい言い訳を考えてそれなのか。それとも、私にだけはあまり嘘をつきたくないのか。
額にもう一度キスしてあげれば幸せそうに瞳を細めるアレナフィルは、私に愛されていることを知っている。
この子が、私に恋していることを私が知っているように。
――― おおきくなったら、パパとけっこんするの。
娘ならば一度は言ってくれるセリフだろう。けれどもこのアレナフィルが言うことはない。
あり得ないと知っているからだ。最初から切り捨てている想いでもある。
だが、それでいいのだろう。私達の体は実の親子だ。
「おやすみ、可愛いフィル。変な影響を殿下が受けてからでは遅いと、私もかなり粘ったのだが・・・。お前のたくましさなら任せていいだろうと、殿下のお友達に決定してしまったよ。王子に他の友人ができたら解消してもらうよう頼んできたがね」
「・・・ぇ。・・・パ、パピー。フィル、風邪ひいたかもっ。背中がぞくぞくするっ。どうしよう、不治の病かもっ。うつしたら大変っ」
娘の嘘があまりにも浅すぎて、父はこの子の将来が心配だ。
レミジェスなんてこれがツボに入っているようだが、どうすればいいのだろう。
「仮病してもお医者さんがやってくるだけだから諦めなさい。王子も変装している時しかお前に声はかけないそうだ。安心して男子寮にも来て大丈夫だと言われたよ」
男子寮に爵位を継承するような貴族の子供はまずいない。だから彼が平然と寮監をやっていられるのだ。
さて、この子が本当に恋するのはいつなのか。
事故を装ってあいつら全員を処分してしまったとして、今度は条件の悪すぎるハエがぶんぶん湧いても面倒だ。
可愛い娘を持ってしまった父親とは辛い立場だ。