18 その上映会は何のために1
使い捨てる予定だろうと本当は娘の婚約などまとめたくなかった。だから上等学校を卒業するまでアレナフィルに対して不可侵であるべしと、国王からの命令が下されて助かった。
問題はその後の仲直り的な夕食会だ。
何を考えているのか、食事しながらスクリーンにサルートス上等学校での各天井に取り付けられていた監視カメラの映像が流されたのである。
ガルディアスの根性を私はなめていたのかもしれない。
「言っておきますが、私とて思考能力が落ちたわけではありません。どうかご覧ください」
「お前は何を持ってきたのだ。まあ、よい。我々とていくらエインレイドの様子が心配でも、学校へ気軽に見に行ける立場ではない」
食事時なのに。
止めようと思ったら、皆が興味津々で見入っていた。いや、食事しろよ。
(フィルとの婚約を考えもしなかった報復か? 何なんだ、これ)
それは男子寮の映像から始まった。
「これがアレンルード、つまり双子の兄です。妹とそっくりです」
「あら、可愛い。髪と瞳はウェスギニー子爵とそっくりなのね。これが男子寮の玄関なの」
ガルディアスの解説に、王妃であるフィルエルディーナが息子と一緒に映っているアレンルードを興味津々で眺め始める。
『新入生? 僕もそうなんだ。仲良くしてくれる?』
『ああ。僕はアレン。お宅は?』
『え? えっと、アレンって苗字? 名前?』
『普通にニックネームだけど? あ、もしかしてお宅、貴族だったりする? そういえば、お上品な家は名前を縮めないんだっけ。じゃあ、アレンルードだ。だけどアレンって呼んでくれよ。まあ、すぐにお宅、いなくなるだろうけど』
『え? どうしてそう思うんだ?』
『だってお宅、フルネームを聞こうとしたってことは、いいおうち、つまり貴族のご令息って奴だろ? そんなら早く退寮手続きした方がいいぜ』
『どうして?』
『どうせ王子様が入寮するってんでお宅も入ったんだろ? だけどその王子様、入寮はやめたそうだ。じゃあ、もういる必要ないだろ。早めに手続きした方がいい。今ならごたごたしてるから目立たねえよ。お宅の髪と目の色、王子様の特徴とよく似てるから、面倒なことにならない内に逃げときな。王子様目当ての他の貴族に八つ当たりされたって、うざってぇだけじゃないか』
『は? え? えーっと・・・』
『あと、あんまりおどおどしてない方がいいぞ? びしっと偉そうなぐらいが似合うって。せっかく背もあんだしさ。ホント、羨ましいわ。じゃあな』
スクリーンの中にいる息子の言葉遣いが駄目すぎる。じゃなっと手を挙げて去っていく様子など、貴族令息のものではない。
映像の中には、初めて「お育ちの違い」というものを知った顔をした王子がいた。
すぐに場面が切り替わる。
『サルトス・ミヌエ・ラルドーラ・エインレイド。みんなにはエリーと呼ばれています。仲良くしてください』
照れながら挨拶をするエインレイドの映像に、皆がちょっと微笑ましい顔になった。更に別場面になった映像にはアレンルードがいて、その耳元でマレイニアルが囁いている。
『寮に入るのをやめて部屋を借りるっていう情報が流れてね、みんなが退寮しまくったのさ。それでエリー王子も安心して入寮できたんだけど』
『は、はは・・・。先生、僕、やっぱり退寮したいなって思います』
『あははは。王子がいるからと入寮希望出した人は多いけど、いなくなったと信じて入寮希望を出したのは君ぐらいかもね。てっきり、君はフェイクのフェイクを全て出し抜いて来たのかなと思ったんだけど』
『いやあ、あははは。・・・えっと、すみません。ここ、通話装置はどこにありますか?』
『あっちに有料のがあるけど?』
私はここまで高性能の監視装置を取り付けた奴に仕返ししておこうと決意した。予算、どこから引っ張ってきやがった。後できっちり監査入れてやる。
映像の中、うちの息子はまさに脱兎の如き逃走を見せていた。通話装置で助けてコールである。
『叔父上、助けてっ。父上に連絡してよっ。僕、寮出るっ。王子様、部屋借りてガードもサーヴァントもつくって聞いてたのに、なんで寮にいるんだよっ。僕、フェイクのフェイクとやらで、皆を出し抜いた形になってるんですけどっ。僕、家に戻ってもいいよねっ?』
アレンルードの言動に、本気でエインレイドのことを知らなかったと誰もが察して、複雑そうな表情になる。よりによって息子は、王子に係るまいと避けていたことをぽろぽろと吐露していた。
そこで侍従から尋ねられる。
「ウェスギニー様は、ご子息にご連絡先をお伝えしていないのでしょうか?」
「今回、エインレイド様のことがありましたので、息子には王宮に配属されたと伝えておりましたが、それだけです。私は時に外国にも、紛争地域にも行きます。子供を見張れば私の動向が分かるようでは、軍の機密情報や作戦実行日程が駄々洩れになります。部隊の人間で、自分の所属やスケジュール他、相手が家族であろうと明かす者はおりません」
「そうでしたか。失礼いたしました」
「いえ」
王城で勤務する者はそれこそが誉れであると認識している。隠すものではない。
私は臨時的に王城勤務になっただけで、通常は基地や前線にいるのだからそれに該当しない。
お前らみたいに平和にやってねえんだよという気持ちで応対していれば、映像の中の息子は気楽なものだった。
『へー、大変だね。うん、へーきへーき。それぐらい待つ待つ。叔父上、大好き。ありがとう。父上に連絡したって、あの人、ほったらかしにしそうなんだもん。叔父上の話は聞くくせに、僕のことは何も聞かずにポイなんだからさ』
これでも私は息子に対してもちゃんと愛情と手間と時間をかけている。やはり可愛いのはアレナフィルだけなのか。
次々に場面が変わっていく。
本人の退寮要望はともかく、アレンルードは男子寮で元気にやっていた。
『うっわぁ、何だよ。可愛いなぁ。スカートにすれば女子生徒で通じるぜ? 何ならプレゼントしてやろうか?』
『けっ、いるんだよな。この顔見て、カワイーカワイー言い出す奴。どうせ可愛い女の子と知り合いにもなれねえヘタレ負け惜しみ組だろ。男相手に可愛いとか言ってる自分、ヘンタイって分かってるぅ? あ、分かるわけないかぁ』
『てめえっ』
『へっへーん。あ、これでもこの顔、よく狙われててさぁ。しつこく追いかけてくんなら容赦しねえぜ? じゃな』
殴りかかろうとした少年の腕の下をすり抜けたアレンルードは階段の手すりにひょいっと片手をついたかと思うと、下半身を大きく回転させて階段を一気に10段近く飛ばして着地し、また同じようにして階段を上がっていった。その素早さに誰もが追いつけず、目を丸くしている。
どこの猿だと思ったら、次に切り替わった映像の中では同じ少年と仲良く食事していた。
『アレン、お前なあ。その体のどこに入るんだよ』
『っさいなぁ。文句あるなら肉くれ、肉。そんよか、学食とランチボックスってどっちが量多い?』
『それが上級生に対する態度かっ』
『へ? 上級生だったんだ? それは失礼しました。で、先輩、学食とランチボックス、どっちが量が多いですか?』
いきなり礼儀正しくなり、しかも柔らかく微笑んだその顔はまるで少女のようだ。男と分かっていても上級生の方が赤面する。
『あ、うん。ランチボックスの方が多めだけど、アレン、おねだりが上手だから学食の方が多めによそってもらえるかもしれないな、うん』
『そうなんですね。やっぱり先輩に聞いてよかったです』
『あ、ああ。なんでも聞いてくれ』
嬉しそうに笑いかけるアレンルードは、「ふっ、ちょろいぜ」とか考えているのだろう。大体、スカートどころかドレス着用にも慣れ親しんだアレンルードは女の子のフリが上手い。
少女に間違えられたところで本当は気にしていないのだ。祖父の前でアレナフィルを演じていたぐらいに。
さてどうしよう、うちの息子が男をたらしこんでいる。やはり男子寮からは出した方がいいのだろうか。
と、思ったら夜のグラウンドが映された。皆でクロスリーボールをしているようだ。
映像としては俯瞰的になっているのだが、誰よりも多く走っているのがアレンルードだとすぐ分かった。
『アレンーッ、なんでそこでわざとパス失敗すんだよっ、この裏切り者―っ』
『やぁん、許してぇーっ。ってわけで、行っきまーすっ。見よっ、回転パースッ』
『うわあっ、どこに回してんだぁっ』
前に蹴りだした筈が、ボールが斜め後ろに飛んでいき、そこで足が遅くて一度もボールに触れていなかった生徒の前にゆっくり落ちてくるものだから、これはと皆が動き出す。
そういえば昔、私とレミジェスがアレンルードとアレナフィルによくやっていたものだ。
(そうか。お前はもう自分でできるようになったんだな。だがな、ルード。お前、それだから男子寮から出られなくなったんじゃないのか?)
アレンルードはあれで賢い。実際、このクロスリーボールも、皆が楽しめるように全員の動きを把握して動いている。
同時に馬鹿だ。これだけの技能を見せつけられた奴らがどう思うかを全然理解していない。
次に切り替わった映像は、どうやら誰かの服に取り付けられた監視カメラだったらしい。ブレがひどい。そして焦点が合っていない。
どうやら寮の個室らしい場所で、アレンルードがいた。
何やらとても不満そうな顔をしている。レミジェスがいたら即座にその頬をつつくに違いない。
『父の仕事、父の仕事、言われたところで、僕は子爵の子供にすぎないんです。僕よりも上の身分の貴族の子から言われたら断れないんです。
殿下に近づける都合のいい奴がいると、そんな風に思われて利用されるのもまっぴらごめんですし、厄介なことに殿下を巻きこむわけにはいかないんですよ。父の仕事を考えればこそ、僕なりに考えてるつもりなんですけど?』
『あの素直な性格みただろうが。いいお友達になろうとか思わないのかよ。お前の運動神経で守ってやろうとか、そういう騎士道精神はないのかよ』
『何を情に訴え始めてるんですか。軍人ならそういう貴族の虚栄心では何も守れないことぐらい分かってると思いますけど』
『できることはやってみたらどうだと、そう言ってるつもりだがな』
『生憎と、飛んでくる茶のポットは蹴り返すこともできますが、変な罠を仕掛けられてもすり抜ける自信はありません。自分を過信するなと、父にも言われています。僕にできることは、殿下の護衛の邪魔をしない、それだけです。訓練された軍人が動く時、一般人ができる一番の協力法はその指示に従って愚かな独断をしないこと、それだけです』
うーむと、学校長や教師達が困った顔になった。
既にアレンルードはサルートス上等学校の大人達を生徒を守る力などないと判断し、信用していない。
王子であるエインレイドの将来性を見込んで色々とやらかし始めた生徒達に比べ、アレンルードだけが全体を見渡したうえで動いていた。あの無礼さすら、その思慮の前では霞むだろう。
『ウェスギニー、退寮はやめておけ。お前がいなくなったら、その空室に入らせろと厄介な要求が出てくるんだ。新寮生で自宅から通える生徒はお前だけだ。もう目はつけられている』
『げっ』
『今みたいに毎日クラブ見学してたら、お貴族様もお前を捕まえる暇もないさ。そうだろう? お前は好きにしろ。何か要求されたらこちらで対処してやる。お前の家ごと守ろう。生徒にそこまで決意させるほど、俺達は落ちぶれちゃいねえんだよ』
『そーですね。仕方ありません。じゃあ、おとなしく寮にいることにします』
『ああ』
どういう納得の仕方だと思ったが、アレンルードのことだ。とっくにクラスでも何かしているのかもしれない。
自分が退寮することでエインレイドにとっての煩わしさが生まれるのだと知って即座に取り下げた判断力に、学校側からも感嘆の囁きがあった。
「この子が、次のウェスギニー子爵ですか。エインレイド様がお友達になりたかった気持ちがよく分かります。ここまでガルディアス様にきっぱり言えるとは」
「違うってば。そりゃアレンとも友達になりたいけど、僕が友達になりたいのはアレルの方っ。アレンは行動がおかしすぎて、僕じゃついていけないよっ」
エインレイドの反論に、私はもう帰りたくなった。
どうせなら王子の姿を映すべきじゃないのか。何故、うちの息子特集になっている。
「そしてこちらが双子の妹だ。エリーが友達になりたい本命だな」
とても恨みがましくガルディアスがこちらへ目を向けたものだから、私はワインのグラスを口に運んだ。
息子も頭が痛いが娘程ではない。一体どんな映像が撮られたのか。
もう誰もが興味津々となっている。
「あら、さっきの男の子と同じじゃないかしら。制服も男の子のだもの」
「アレルはスカートじゃなくて、いつもスラックスなんです、母上」
王妃の疑問に、楽しそうにエインレイドが答えている。白いシャツは適当なものを着ているようだが、うちの双子はどちらも灰色の上着とスラックスという組み合わせでベストは着ていなかった。
髪も背中で一つにまとめているので、同じ姿にしか見えない。
やはり男子寮だったが、角度の事情なのか、階段の映像は顔しか映っていなかった。
『この4階に王子の部屋があるわけだ。ちなみにアレンルードは1年生だから2階、2年生になったら3階、3年生になったら4階に移れる』
『つまり、このフロア毎に表示されている数字を見て、絶対に2階よりも上には行くなということですね』
『おいおい。迷子になったフリして上に行ったなら、運が良ければ王子様に会えるぞって教えてやったんだが』
『ああ、そういう・・・。王子様も在学して入寮していらしたんですね。大丈夫ですよ、先生。そうやって反応を見なくても。どうせ私、数年後とか、何かの祭典で手をお振りになるのを遠くから眺めさせていただくからそれでいいんです』
映像の中のアレナフィルは、バーレミアスと一緒にいる時みたいな話し方をしている。
私達の前であの子はこういう話し方をしない。何故なら甘えられなくなるからだ。
アレナフィルは、とても愚かな生き物だと言わんばかりに、ガルディアスを見上げていた。
『それでもまかり間違って何か私が行動を起こした時、責任を問われるのは、先生、あなたです。だからそういうことは言わない方がいいと思います。こういう時はシンプルに、
「学年別で色々と権限も違ってくるから上階には行くな」
だけでいいんです。どんな高貴なお方であろうとも、学生の時ぐらい気楽な日々を過ごす権利があります。お気の毒ではないですか』
『どうせ寮生からみんな王子の部屋位置ぐらい聞き出してるさ』
『言われてみればそれもそうですね。じゃあ、いっか』
『おい。それで終わりか。しかも敬語が一気に崩れたな』
私には分かった。アレナフィルが目の前にいる寮監をダメな奴認定したことを。
それがあまりにも見え見えだったから、執着し始めたのか。ここまで馬鹿にされた目で見られたことなど、ガルディアスにはなかっただろう。
『学生の情報を売る寮監に払う敬意の持ち合わせが品切れしました。これでも我が家は父の職業的に、王族の方々には敬意と忠誠を捧げて生きているのです。
部外者に王子様の部屋がある場所を教えるだなんて、とんでもないことですよ。もうここに投書箱があったら密告するところです。
だけど先生は鍵を開けてくれたし、案内もしてくれたので、そこは目をつぶります。何より先生の情報が本当のこととは限りません。わざと嘘情報を流した可能性の方が高いと私は見抜きました』
どうしよう。うちの娘が可愛すぎて腹筋が痛くなりそうだ。
えっへんと威張っているアレナフィルは、やはり以前から思っていたが子リスの精霊に違いない。子ウサギの精霊と迷うところだったが、あの表情は子リスだろう。
『いや、そこは自分だけ特別扱いされて感激するところじゃないのか?』
『え? ・・・そういうものなんですか? 感激というか、感謝はしています。洗濯籠持ってくれていますから』
そこで籠をちょいちょい指差すアレナフィルの顔を見れば分かる。
「なるほど。うちの娘は、たかが籠を持ったぐらいで恩着せがましい寮監だなと思ったわけですね」
「言われなくてもあの顔見ればそれぐらい読み取ったっつーのっ」
折角だから追撃しておいたら、真っ赤になった顔での反論が来た。
そうだろう。うちの娘はかなり紳士というもののボーダーが高い子なのだ。
『王子様に気になるところですか? うーん、全くお会いしたことないお方ですから気にしようがないです』
至極妥当なアレナフィルの発言だが、ガルディアスが納得していないと知り、適当なことを言い始めている。
『だけど大変ですよね、こうして王子様なばかりにみんなから注目されてしまうと。露出狂みたいな人ならそれも快感だと思いますけど』
『なんでここで露出狂との比較だよ』
では何を聞きたいのだと、アレナフィルがむっとしたのが分かった。
『どの王族の方か知りませんけど、とても真面目で禁欲的な方だと聞いた覚えがあるんですよ。それならストレスたまるだけじゃないんですか? 人に囲まれてちやほやされるのもうざいと思い続けて毎日を生きていそうです。知りませんけど』
『・・・そーか。で、その真面目で禁欲的な王族を語ってたのって誰だ?』
『祖父です』
『世代が違い過ぎるわっ』
くくっと、国王トリエンロードが笑いをこらえる。
父のセブリカミオがそう評した相手が誰か、すぐ分かったからだろう。
『なんで先生が怒るんですか。祖父の世代でそういう王族の方がいらしたなら、その子供世代も孫世代も同じように真面目で禁欲的な方ですよ、きっと』
『なんつー決めつけだよ。お前の父親はそういう話をしないのか』
『うちの父は、家庭に仕事を持ちこまないのです。それにうちの父は軍で働いていますから基地の所属です。王族の方なんてお会いしませんよ?』
『お前んち、貴族だろうが』
『うちは祖父がまだ健在でして』
既に王宮サイド、そして学校側も表情が固まっていた。アレナフィルの言葉の意味を考えて、余計に意味が分からなくなっているらしい。
子爵として王城に出向く際は、私はウェスギニー子爵邸を使う。だから軍の基地に所属している父は留守ばかりだと思っている娘は、そのあたりのことに気づいていない。
そう思っていれば、違う組み合わせの映像へと切り替わった。
階段を降りようとしているアレナフィルをエインレイドが追い抜き、振り返る。
『おい。君の名前は?』
『・・・すみません。自分は寮生じゃありませんが、きちんと面会届は出しています。寮監先生にも許可は取っています。不審人物ではありません』
『いや、そういうことを疑っているわけではない。・・・君の名前を聞いているんだが?』
二人が熱く見つめ合っているようにも見えるが、私には分かった。
ああ、アレナフィルだと。
あの場に私がいたら、あの子は恐怖に震えた顔で、すぐに飛びついてきただろう。
『ま、まさか、これがナンパッ? 街中じゃなくて階段だけどっ』
『・・・は?』
『なんて怖いっ。寮生だと思って立場を利用して近づこうと思ったら、部外者と知って名前を知ることから始めてるわけ!? 恋愛感情無しに見境なく毒牙にかけるという変質者に、こんな子供の頃からっ!? なんて恐ろしい国なのっ』
『ちっ、・・・違うっ』
映像の中で、王子エインレイドは変質者認定されていた。
可愛い女の子がいれば声をかけること自体は普通だと思うのだが、どうしてそれで変質者になるのか。
うちの娘が相変わらずおかしい。
『騙されませんよっ。そうでなければ部外者の名前を聞くどんな理由があるとっ!? この顔が気に入ったということは、あなたっ、うちの兄にも手を出す気ですねっ』
『そっ、そんなわけないだろうっ』
『いいでしょうっ、兄は私が守ってみせますっ。まずはあなたの名前を名乗りなさいっ。性的犯罪者の恐れ有りとして報告しますっ』
『だから違うんだぁっ』
何なんだ、これは。
私はいたたまれない気持ちで皿の上のものを綺麗に食べ終えた。誰もが見入っている。
そこへガルディアスが登場した。
『何をやってるんだ、お前らは』
『あ、先生。ちょうどよかった。この人、いきなり私の名前を聞いてきたんです。私、寮生じゃないって言っているのにっ。面会手続きをしたから泥棒でもないのにっ。私の顔を気に入ったなら、兄に手を出す可能性がありますっ。うちの兄が襲われてからじゃ遅いんですっ。この人の名前を教えてくださいっ。兄に注意しておかないとっ』
『・・・いや、そういう場合、連れて帰りますって言うんじゃないのか? お前さんち、通学できるんだろ?』
疲れきった声の彼には分からないだろうが、私には分かる。アレンルードがアレナフィルを守るように、アレナフィルもアレンルードを守ろうとしたのだと。
うちの子供達はとても仲が良く、お互いを大切に思い合っている。ただ、ちょっとおかしいだけだ。
映像の中のアレナフィルは、この寮監はどうしようもない大人だと判断していた。
『いいですか、先生? 世の中には男女問わず、狙われる時は狙われるんです。しかし犯罪者を見抜くのはとても難しい。だからこそ、それを潜り抜ける技能を身につけて人は強くなるのです。
共同シャワー室で変な目で友人の体を物色している人がいたら、被害者が出る前に皆で情報共有し合う。その要注意人物には近づかない。
被害者を出さない、それが大事なんです。徒党を組まれることを考えて、自分達でも集団で自衛しなくてはなりません。
同時にまだ10代。未成年ならば、言い聞かせることで正しい道に戻れる可能性もあるのです。実は家族の愛に飢えていて、変な方向へ向かっているだけかもしれません。正しい愛情を教われば、更生は可能です』
学校長と教師達が、
「なんと立派な。まさに教育者の視点」
「素晴らしい。さすが英才教育」
などと、呟いている。
何の英才教育だよ。
『それはそれでもっともだ。だが、そいつがお前の名前を聞いたのは、単に興味がわいたからだろう』
『だから危険なんじゃないですかっ。世の中、どれだけの少年がそんな善人の皮をかぶった狼に襲われていると思ってるんですっ』
あそこまでの身軽さと運動神経を披露したアレンルードにどんな危険があるというのか。
アレナフィルもそうだが、アレンルードもまたレミジェスに自衛手段を叩きこまれていた筈だ。
『いや、それなら少女の方が襲われると思うぞ。そしてお前こそ少女の皮をかぶったババアだろう』
『・・・何してるんですか、先生。立ちくらみですか? 階段は危険ですから廊下の方で休んだ方がいいです。そんなでかい図体で落ちてこられたら、か弱い私が骨折します』
映像の中で大きな溜め息をつき、しゃがみこんだガルディアスにアレナフィルが優しい言葉をかけながら、すすすすっと横へと移動している。
落ちてきても助けない気満々だ。
『そいつ、聞いてたんだよ』
『何を?』
『・・・さっきのお前との会話。階段の話し声は上下によく響く。そいつ、下に降りにくくてずっと上の階で聞いてたんだ』
今まで彼が何かを言えば、誰もがその意を酌んで動いてくれていた。ここまで懇切丁寧に説明しなくてはならないとは、寮監とはなんという面倒な仕事なのかと後悔したのかもしれない。
そんな疲れが滲む声だった。
しかし私には分かる。アレナフィルはまだ納得していないと。
『ふむ。つまり彼は先生のボーイフレンドで、二人でいた私は恋敵と勘違いされたわけですか? そういうのは二人の世界でやってください。私は自分に関係なければ、他人の愛を普通に祝福できる人間です』
『・・・は?』
映像の中のアレナフィルは二人を自分とは別世界の住人と結論付け、この私を馬鹿馬鹿しいことに巻きこむなと、その顔で語っていた。
『ですが、未成年にいい年した社会人が手を出すのは感心しません。そして立場上、踏みとどまらなくてはならない一線があるのです。寮監の契約期間が終わった後なら恋愛は自由だとは思いますが、せめて成人するまで待つべきだと私見を述べさせていただきます』
学校長が、うむうむと頷いている。
「なんという素晴らしい考え方でしょう。その通り、未だ己の価値観も定まらぬ未成年に対して、成人が恋愛を求めるなど、やってはなりません。ただ、惜しい。アレナフィルさんの勘違いすぎるところが惜しい」
「これは、うん、立派だ。うむ、エリーが友達になりたかったのはこの偉そうな子か。最初の子を見た時には、あんなにも立派な子を差し置いてと思ったが、・・・うむ、分かるぞ」
「そうでしょう、父上。アレル、とっても面白いんです」
息子が早速可愛い女の子に夢中になったのかと案じていた国王が、アレナフィルの映像にそうではないと理解した様子だ。可愛らしさよりもその言動にエインレイドは友達になる価値を見出したのだと。
もう帰りたい。本気で帰りたい。
どうしてうちの娘の特集を皆で見なくてはならないのだろう。
『違うわっ。そいつが王子だって言ってんだっ。お前は王子の顔も特徴も知らんのかっ』
『知りませんよっ。・・・・・・え?』
その呆気にとられた表情。そして王子と顔を見合わせて、「そーなの?」「じつはそーなんだ」な、こてん、こてっという首カッコン。
初対面のわりに、二人はちょっとした友情を一時的に発生させていた。表情だけで語り合っている。
『申し訳っ、ありませんでしたーっ』
王侯貴族が階段を一段一段降りなくてはならないことは言うまでもない。アレナフィルの三段飛ばしな階段の降り方は、とても豪快だった。
『い、いや、・・・いいんだ』
『ほんっとーにっ、申し訳ありませんっ』
エインレイドよりも下の段に移動した上で謝罪しているのだから悪気がなかったことは明らかだ。
映像の中でアレナフィルが平謝りだが、王子もまたパニックを起こしている。
『いや、僕も悪かったからっ。ごめんっ、あんな偉そうに声かけられたら誰だってびっくりするよねっ。ごめんっ、アレンみたいにしてみた方がいいのかって思ったんだよっ。ほんっとーにごめんっ』
『そんなことないですっ。兄が何かやっちゃったんですかっ? もしかしてっ、これっ、どこまで報告されるんですかっ。祖父や父にも迷惑をかけてしまうんですかっ。私がっ、私達が知らなかったばかりにーっ』
『そんなことないっ、ないからっ。お願いだからごめんっ。僕が悪かったんだっ。そんなことないからっ』
何をやってたんだろう、男子寮は。
私と共に王城にいて、
「上等学校からの報告無しってどうなんだよ、おい」
「あいつら、シメんぞ」
的なイライラを見せていた部下達も、なんだかもう娯楽を見ている気分らしい。
私はアレナフィルのこのギャップに二人がやられたのだと知った。
『そんなつまらんことで罪に問われるわけないだろうっ。こんなの一々報告してたら、アホかってこっちが叱られるわっ。ほら、早く帰らないと日が暮れるぞっ』
報告したりしないというのなら、映像をわざわざ王宮に持ってきて披露するべきじゃない。
私は、うちの娘がこの場にいる皆の心に鮮烈な印象を残したことを知った。
本番はこれからだったが。
― ◇ – ★ – ◇ ―
既に夕食は片付けられ、皆の前には茶だけが置かれている。
そして誰もが席を立たずにその映像を見ていた。
『初めまして。クラセン・ヴェイク・バーレミアスです。フィルちゃんのことを聞きたいとご連絡をいただいたのですが、何か問題でもあったのでしょうか?』
私にバーレミアスから連絡は入っていなかった筈だ。こういう呼び出しがあったにせよ、特に問題は起きなかったのだろう。
そうだ。あれでも学校の講師をしているのだ。当たり障りなく終わらせてくれたに違いない。
そう思いたい私の前で、映像の中のバーレミアスはとても態度がでかでかだった。
『たかが13才の女の子にちょっと偉そうに言われて、おかしいと軍人が疑ってみたわけですか? でかい図体ばかり揃えて、肝っ玉は小さいようですね。ああ、失礼。私にしてみれば、てめえらが頭悪いんだよと、そうとしか言いようがない愚問です』
こういう奴だったよ。こういう横柄な奴だった。
あいつに期待した私が馬鹿だった。
それでもバーレミアスはアレナフィルの味方だ。どんなに態度が大きくても。
私はそう信じたかった。
しかし、ここは強気に出た方がいいと判断したか、バーレミアスは大風呂敷を広げている。
『言語学の専門家が教えて、子供のお喋りしかできない方があり得ない。修得専門学校講師が1対1授業だぞ? どんな結果しか出せないと思っていたのか、そっちが疑問だね』
お前はナニサマだ。1対1授業どころか、うちの娘に食事の世話をさせてお喋りしてただけじゃないか。
何なのコイツ。しれっと人んちの娘使って自分の実績上げてやがる。
『学校長。フィルちゃんは毎年うちの入学試験を解いてます。さすがにルード君は教えてないので無理ですが、フィルちゃんは私の教え子なので引き取りますよ。ですからその程度で怖じ気づくアタマなら手を出すなと、そう言いたいのです』
『なんと。修得専門学校の入試をですか』
『ええ。便利なんですよ、あの子。だから大切な殿下の周りに小生意気な子爵の娘など置かず、もっと高貴でお淑やかな令嬢を揃えるべきです。父親だって経済軍事部には入れなかったでしょう?』
王子の取り巻きなぞ頭の悪い貴族令嬢で十分だろうと、バーレミアスはいい笑顔だった。
何をケンカ売ってくれているのか。
ムカッときた者は多いだろう。もう帰って異動願い出したい。
『ですから上等学校の出席日数、どうにかなりませんか? 何でしたら卒業証書くれたら今から引き取ります。そうしたら殿下の目にも入らず、警戒する必要もなくなって誰もがめでたしめでたし』
『いやいや、それはさすがに。何よりアレナフィルさんにはお友達も必要ですよ』
『友達なら私と妻がいるから大丈夫です。どうせあの子、バカみたいな会話なんてやってられるかと居眠りしかしていないでしょう。何なら卒業試験に合格すれば卒業証書をあげると言えば即座に受けますよ』
それはそうだろう。試験を受けて合格すれば授業を免除してくれるというのであれば、さくさくっと受けまくるに違いない。
『お。そろそろこちらも授業の時間ですので。・・・ああ、だからフィルちゃんは殿下の目に入らない所に置いておくのが一番ですよ。学校長、フィルちゃんはうちの研究室前に捨てといてください。それでは』
そこでぷちっと途切れた映像だったが、私は誰とも目を合わさないようにして茶のカップを口元に運んだ。
バーレミアスの発言により、私に対する注目が凄すぎる。
まるで王子など気に留める価値もないし、うちの娘は賢いからどこの部に置いておいても問題ないと判断して引き離しておいたかのようではないか。私の立場も考えてほしい。
「えーっとですね。やはり出席日数は必要ですので、卒業試験を先に受けて卒業というのは・・・」
「分かっております、学校長。子供には同じ世代のお友達をと、私も考えております」
何故バーレミアスの発言が私の真意となっているのか。学校長と私の間に取り繕ったような笑顔が交わされる。それで強引に終了させた。
しかしその後で流された映像の方がもっとまずかった。
学校長室の隣の部屋で、皆が円卓を囲んでいる。
『本当にすまない。自意識過剰と思われるだろうが、僕の顔を知らない人がいるとは思わなかったんだ』
『いえ、そんなの当たり前です。誰だって3年も学校生活していて、自分の顔を覚えてくれてないなんて思わないですよね。本当に申し訳ありません』
『え? 3年?』
『え? 違うんですか?』
『いや、どうしてここで3年?』
見ていた列席者全員、首を傾げて同じ疑問を抱いたようだ。
どうして王子エインレイドが3年生ということになっているのだろうと。
『たしかあそこの棟は、2階が1年生で、1年ごとに上の階に上がっていくんですよね? じゃあ、4階にいらっしゃるということは、3年生ですよね?』
『・・・あのなぁ、2階だと外からすぐ侵入できるだろうが。王子の警護も一晩中、窓の外で立ちっぱなしになる。だから特別に最初からずっと4階なんだよ』
『そうでしたか』
うちの娘の顔からは、「そんなら先に言ってくれればいいのに」という気持ちが、ありありと見て取れた。
私もアレナフィルを社交界に出すつもりがなく、成人したらファレンディア国に行きたいと願っていることを知っていた為、サルートス国のことなど知らなくていいと思っていた。アレナフィルは善良だが、あの子がファレンディアで会う人々がサルートス国にとって善良とは限らない。
だからアレナフィルは王族メンバーのことを全く知らなかった。
『入学式で君は何をしていたのかな、ウェスギニー君? 殿下は新入生の代表を務めておられたのだが』
『実は前夜、寂しいからと別れを惜しんでいたら、かなり夜更かしをしてしまいまして。その、双子なのでいつも一緒だったから、不安で・・・。だから入学式の間もぼうっとして、頭が働かなくて・・・。すみません。言われてみれば、たしかに新入生代表で堂々としたお姿を拝見しておりました』
嘘だなと、私は目を閉じた。入学式前日には、とっくにアレンルードは男子寮に行っていた。
いない相手とどうやって別れを惜しむのだ。うちの娘の嘘はかなりバレバレだ。
そんなツッコミが入ることなく、映像は進んでいく。
『うちの王子様、けっこう女の子に人気出そうじゃない? この際、ガールフレンドに立候補してみない?』
『先生。それは大人として考えなしなセリフですよ』
『え? そう?』
『そうです。よく言うでしょう、一生の親友は十代で作れと。国内の優秀な生徒が集まるサルートス上等学校。そして人は朱に交われば赤くなるもの。つまり自堕落な友人に囲まれていれば自堕落になり、努力を貴ぶ人間に囲まれていれば努力するようになるものなのです』
映像の中でアレナフィルは、説教態勢に入っていた。
『私はあくまで広く浅くといった一般の部の生徒です。殿下にとっては、授業数も少なく、楽な日々を送っているとしか思えないでしょう。そんな生徒を間近に見てしまったら、自分の努力が馬鹿らしく思えるだけです。
ですが、他の部は国内でも優秀な生徒が既に進路を決め、邁進すべく集っているのです。年長者としてそういったことも考えて殿下を導いて差し上げるべきです。寮監とは、寮におけるみんなのお兄ちゃんじゃありませんか』
国王であるトリエンロードが、ぱしんっと膝を打つ。
「なんと素晴らしい。その通りだ」
いや、全財産を賭けてもいい。うちの娘はそんな立派なことを考えてはいない。単に面倒なことをしたくなかっただけだ。
だけど映像は進んでいた。二人きりで取り残され、お喋りを始めている。
『友達ってどうすれば作れるんだろう』
『友達はですね・・・。私もあまり殿下のことは言えないんです』
『どうして?』
『いや、それが・・・殿下は秘密って守れますか?』
そこまではアレナフィルも心細そうな表情を浮かべていた。
その表情にあまり意味はないのだが、アレナフィルのことを知らないエインレイドには分からなかっただろう。
だからなのか、少年は力強く頷いた。
『努力する』
『約束ですよ。死ぬ気で努力してください。守れなかったら三日絶食する気合いで』
『どこまでハードル上げるんだっ』
『努力という言葉には責任が伴うのです。責任を持たない努力など、ただの言い逃れです』
『う。・・・分かった』
侍従達が息を呑んで、
「これは、まさに女官長の風格」
「なんという原石」
などと言い始めている。
そして王城に詰めていた私の部下達は、
「さすが大佐のお嬢さん」
「大佐より厳しくないか」
と、囁き合っていた。
『友達を作る為には、何か気の合うネタで話しかけ、きっかけを作るしかありません。そこで、問題が一つありました。私はとても心が大人びていたのです』
『えーっと、あの少女の皮をかぶったババアとか言われてた奴?』
『あの寮監先生は心が子供なんでしょう。赤ん坊や幼児から見れば、殿下だっておじさんです。つまり寮監先生の内面は赤ちゃんレベルだったのです』
皆の同情するような視線がガルディアスに向けられる。
私は聞かなかったフリをした。
『友達を作ろうにも同じ趣味の持ち合わせなどなかった私は、周囲を見渡しました。するとやはりおとなしくてお友達作りができていない女子生徒がいました。というわけで、私は決めたのです。彼女達と友達になればいい。お互いにメリット相互関係は築けると』
『そ、そうなんだ』
『だから私は彼女達に近づいて言いました。「あなたとあなたとあなた、私と友達になって」と。彼女達は頷きました。そうして私はお昼ご飯を一緒に食べるお友達を手に入れたのです』
うちの娘の友達の作り方があまりにもおかしすぎる。
なんだかどこかの山でキノコを収穫してきたようなレベルの話になっていた。
『それで一緒にお昼を食べるようになって、仲良く過ごせているんだ?』
『いいえ。それが三日目にして文句を言われたのです』
『なんて文句を言われたんだ?』
『たしか、いい加減に自分の名を名乗れってことと、友達になったならせめて自分達の名前を聞けということだったと思います』
うちの子の、どうでもいいことには手を抜く生き方があまりにもいつも通り過ぎる。
どうせその場限りの友達だからどうでもいいと思っていたのだろう。
『僕もあまり友達作りが得意なわけじゃないけど、君ほどではないかもってちょっと自信を持てたよ。それでどうしたの?』
『要求に応え、名乗りました。そうして彼女達は私の愛称を決めたのです』
『それ、初日にすることじゃないの?』
『殿下も大人になれば理解します。数日なんて一瞬のこと、タイムラグなどないのだと。いつか切ない気分で分かる日がくるでしょう』
『・・・うん? まあ、いいか』
やっぱり出席日数をどうにかしてもらえないだろうか。
うちの娘は在宅で勉強したことにして、一気に卒業試験を受けて済ませられないだろうか。
『殿下もまとわりついてくる生徒が煩わしいなら、自分から目をつけた生徒に、友達になれって言えばいいと思います。権力と言うのは悪く使えば悪く作用しますが、良く使えば良く作用するのです。目をつけた優秀そうな人間を青田買いしていけばいいんです。入学したばかりなら誰もそこまで友人はできていません。そこが狙い目。一気に好都合な優位性をとれば、後が楽です。いい人材は宝です』
うむうむと頷いているのは国王だけだ。王妃もさすがに表情が固まっている。
友達作りと言いながら、人材獲得を勧める子ウサギ精霊がいた。
『自分から友達になれって言えばいいって言うけど、僕、今さっき断られなかった?』
『お友達作りより大切なことは、小さく弱い生き物を慈しむ心です、殿下』
『・・・小さく弱い生き物? えっと、どこに?』
『あなたの隣に座っているじゃありませんか』
『え?』
どう考えても、王子の友達作りより自分の自由の方が大事だと言いきっているうちの娘が正直すぎて辛い。
『そういえば、僕達も結局、名前を教え合ってないような気がするんだけど、君、僕の名前、知ってる?』
『え? 勿論ですよ。えーっと、・・・えーっと、・・・明日になったら教えてあげます。実はこの学校では三日目に名前を教えてあげるっていう局地的風習があるのですっ』
『勝手に風習にしないっ。自分が名乗るのを忘れてたのと、相手の名前を知らないのとは別だろっ』
『嫌ですねぇ、殿下ったら。そんなお名前を知らないだなんて、あるわけないじゃないですか』
いや、誰が見てもお前が知らないのは丸わかりだ。うちの娘が愚かすぎて辛い。
教えておかなかった私が悪いのかもしれないが、ここまでくるともうどうしようもない気がした。
『いや、なんで顔を逸らしているんだ。忘れてるか知らないかのどっちかだろう、それ。もう自分で言うよ。エインレイドだ』
『失礼しました、エインレイド殿下。私はウェスギニー・インドウェイ・アレナフィルと申します』
アレナフィルに影響されたのか、おとなしい性格の王子がはっきりきっぱりと指摘している。
今まで何も言わなくても周囲が自分を導こうとしてきたエインレイドにとって、もしかしたらアレナフィルは初めて自分が導いてあげないといけない常識知らずだったのか。
それでも王子から名前を教えてもらえば、アレナフィルにとっては過ぎたことだ。エインレイドにとっても同様だったのか、次に進んでいる。
『うん。それで愛称ってどんなの? 友達が決めてくれたんだよね?』
『私はウェスというのを希望したのですが、結果的にアレルとなりました』
『・・・なんで苗字を愛称にしようと思うのかが分からない』
私も分からない。うちの娘の愛称はフィルだ。
幼年学校ではアレナと呼ばれていたが、もしかして嫌だったのだろうか。
『だってカッコよくないですか? アレナだと可愛すぎるでしょう』
『君、可愛いんだし、いいんじゃないの?』
エインレイドの言葉に、なんだか恐れおののいているような表情でアレナフィルが指導し始める。
『なんてことでしょう。女の子に向かって「可愛いね」だなんて。子供の頃からそんな女たらしへの道を進んではなりません、殿下。
子供の内は気になる女の子がいても突っ張ってしまって、
「ど、どうせ、僕、女の子になんか興味ないし」
って、明後日の方向を向いて地面を蹴ってるぐらいでちょうどいいんです。異性の友達よりも同性の友達といる方が楽しいからいいんだって、強がりを言ってるぐらいでいいんですよ?』
『どこのおばさんだっ』
これは、形を変えたガルディアスのアレナフィル捕獲作戦にも思えてきた。ここまで個性的な13才の少女だ。そりゃ手に入れたくもなるだろう。
どうやらこれらは知らなかったらしいグラスフォリオンがじーっと見入っている。
『じゃあ、僕もアレルって呼んでいいか?』
『もう会うことないと思います』
うちの娘のお断りが容赦なさすぎて辛い。相手は王子だ。お前は子爵家の娘だ。
会うことがないなんてある筈がないだろう。
『みんながお友達になろうと企んでいる王子様に近づいたら身の破滅じゃないですか。いきなり知らない人達に呼び出されて、
「王子に近づくなんて生意気だ」
「そうだそうだ、身の程を知れ」
とか言われるの、嫌です。全身全霊をこめて素知らぬフリして、こっそりと物陰で、
「え? あの素敵な方が殿下だったのね。恐れ多くて近づけないわ。取り巻きの方々も素敵」
とか言っておきますよ』
侍従を含めた王宮サイドは、全員が沈黙していた。子爵家の娘が王子に取り入る為のそれだと指摘しようにも、既にアレナフィルはそんな王子を巡る子供っぽい愚かな行動などに係わるなど時間の無駄だと高みから見下ろし、蔑んでいたのだから。
双子達はそんな思惑を理解した上で、王子の立場を公平に考慮し、自分の立ち位置を決めている。
鞄からノートを取り出したアレナフィルは三角形を描いて、意味が分からないという顔のエインレイドに階層的な上下を説明し始めた。
『いいですか、殿下。この三角形の頂点に立つのが選ばれし特権階級なのです。そして、この学校では王族や高位の貴族のご令息ご令嬢が、この辺りになります』
『ふんふん』
『そして三角形の中に存在する、このほにゃららな輪っかが、それぞれの部になります。ここにも部による格差があるのです』
お前はどこの先生だという状況が展開されている。
『同じ人間でも強い弱いはあるのです。たとえば一緒に生まれた子犬の集団でも、弱い子はミルクを飲ませてもらえずに淘汰されるように。それが自然の掟なのです』
『君、弱くなさそうだけど』
『そんなことないのです。パワーゲージがこんなちびちゃんな私は、この広く押しつぶされている底辺になるわけです』
うちの娘の説得力が凄いが、自己認識能力欠如も凄すぎる。
頭が良いのか、悪いのか。それがもう混沌としているところが辛い。
『私はこの二つの区分け集団の中でも一番弱く、底辺で青息吐息している存在なのです。殿下はどちらであっても頂点にいらっしゃいますが、もしあなたが最下層の特定人物に手を差し伸べようものなら、もう大変なことになります』
『えーっと・・・』
『もうこの辺りの中間層にいる人達が、
「お前なんかが僕達よりも目をかけられるとは生意気だ」
「そうだ、身の程を知れ」
とか言って、最下層にいる私を見えない所に連れていって、みんなで蹴ったり、殴ったりして、ぼろぼろにしてしまうのです』
『・・・僕、あの階段三段飛ばし降り、普通の貴族令嬢ではまず見ない身軽さだと思ったけど』
その通りだ。誰かに呼び出されてもうちの娘は無視するか、教師を連れていく。そしてその余裕がなければ全員を地面に沈め、自力で逃げ出す。
そんなこと、分かりきっていた。
『普段の私はとても怖がりでか弱い存在なのです。うちは父と兄と私、力を合わせてどうにかこうにか社会の隅っこで暮らしているのです。親子三人、身を寄せ合って必死に生きている儚い存在を、国の頂点にいる殿下が踏みにじるようなことはしてはいけません。王者の資質には非情さも大切ですが、同時に弱く儚い生き物を守ってあげる優しい心も大切なのです』
『う、・・・うん。なんか正しいことは言われているんだろうって思うんだけど、前提が何かおかしいような気がする。だって君のおうち、子爵家だよね?』
『いいでしょうか、殿下。子爵なんて貴族社会では低位。しかも我が家は使用人すら臨時の単発でしか雇えないような貧乏子爵家なのです。あ、だからってお金をせびっているわけじゃありませんからね? そういう金銭とか権限とか利益供与とかのドロドロにうちを巻きこまないでください。我が家はささやかに心の充足を見つめ、ひっそり生きているのです』
国王トリエンロードが私を見た。
「使用人を単発でしか雇えないとは、そんなにも逼迫していたのか? ウェスギニー子爵家であろう?」
「子爵邸では普通に使用人を雇っておりますが、私は特別な任務もありますので、別邸で暮らしております。うちの娘は知らない人と接するのが苦手な為、使用人はなるべく子供達が学校にいる時間に入れております」
「そうであったか。だが、なんとしっかりした子であろうか。ガルディアスが割り込んででも欲しがるわけだ。まあ、本人は未成年に対して恋愛を仕掛ける成人など論外だと、13にして立派な意見を持っているようだが」
「その通りです」
今から家庭教師で上等学校卒業資格を取るというのはどうだろう。
私はそんなことを考えずにはいられなかった。
映像の中でアレナフィルは王子に変装の仕方を教え、よその校舎に行って友達を狩ればいいのだと知恵を授けている。
(ファレンディアはどんな殺伐とした国だったんだ?)
サルートス国では友達は狩るものじゃないのだよと、まずは娘に教えなくてはならなかったのだろうか。