17 悪いと思うならそれ以上を望むな
私が王宮の仕事をする時は、いつも送迎の運転手が回され、決まった移動車が使われる。
それはいいのだが、フォルスファンドもそれなりに出世している。どうして未だに私の運転手に手を挙げているのかと言いたい。
とはいえ、送迎時のやりとりもまた一つの報告だ。彼との会話で大切だと判断したことは王宮に報告されているからこそ、スムーズにやっていける。
ガトルーネ・シミラ・フォルスファンド。
王宮で働く彼にとっても、いち早く警備体制の動きを知ることができるので先に動けるといった利点があるのだろう。
彼が移動車の運転をするのはもう私だけだ。もしかして彼の部下の仕事を無理に取り上げているのかもしれない。気に入られたのか、何なのか。
ここまで長い付き合いになると、それはそれで助かる事情が私にもあった。
「軍のことでご迷惑をおかけして申し訳ありません。ガトルーネ殿がとりなしてくださったと聞きましたが」
「いえいえ。軍のことと仰いますが、そうとばかりも言えませんでしょう。それを言うのであればウェスギニー様は子爵、貴族のご当主です。私も様々な無茶リクエストや無理オーダーを受ける身ながら、ここはもう好きにさせた方がいいと思ったのです。そろそろウェスギニー様に頭を下げてくるでしょう」
つまりあの反抗的な態度には軍ではなく王宮も絡んでいるということだ。宮廷とは様々な思惑と層が絡み合う場所である。誰かが私を蹴り落とす為、策を巡らせたのかもしれなかった。
やってられんと思うが、国王トリエンロードへの報告が滞っていてもそれが理由で了承されていたわけだから、もういいやという気分にもなる。
このままずっと自分達でやってろ。全くお子様共が。
「何か分かっていることでも?」
「そろそろ学校で警備していた者達も謝罪してくることでしょう。誰も近づけない砦を造ってみたらそれを軽々と乗り越えてきた何も知らない登山者がいて、それにスパイ容疑をかけようとしたら、本気でただの登山者だったと」
「うちの息子のことなら私に聞いてくれればよかったのですがね。謝罪なんて何の役にも立たないことより、普通に仕事をしてほしいものです。だからこういうのは性に合わない」
やってられるかという気分でぼやけば、クリームイエローの髪が軽く揺れて、フォルスファンドが苦笑したのだと分かった。
色々と悪い噂が消えない私だが、フォルスファンドはその表と裏を何かと特等席で見ることも多かったのだ。
「ウェスギニー様はどうしても目標とされやすい。だから追いつこうとして、誰もがやってしまうのでしょう。ですがこれからはもっと煩わしいことになるでしょう」
「何故?」
「恐らくですが、・・・フィルお嬢さん、かなり気に入られてしまったのではないかと思うのです。殿下方の侍従からウェスギニー様の親子情報、特にフィルお嬢さんについての要求が入っています。無難に、仕事で留守がちな父親しかおらず、家政婦に育てられた双子の兄妹と報告しておきましたが、どうも物足りないのかしつこい。何を聞きたいのやら。ご希望はありますか?」
褒めておいてほしいのか、貶しておいてほしいのかという質問。
フォルスファンドはアレンルードとアレナフィルを幼年学校時代から見続けている。
大人が読むような法律の専門書を渡したところ、言葉もたどたどしいとされているアレナフィルが慣れた様子でぱらぱらとめくってきたものだから、王宮内に出回っている噂を消しておきましょうかと尋ねられたのは何年前だったか。
私はあえて消さないようにと頼んだ。かえって他人に目をつけられるよりも悪い噂で覆い隠し、社交界にも出すことなくひっそりと隠しておきたいのだと。
フォルスファンドにしても高位にあたる貴族令嬢を敵に回すより、アレナフィルの幸せが一番だと考えたようで協力してくれた。
警備棟と寮監のメンバーなど知らないが阿呆ばかりの集団でもあるまい。実際のあの子達を間近で見てしまったのなら、そんな悪い噂を否定しない程度の報告で満足するだろうか。
「潰せませんか?」
「これでもフィルお嬢さんの情報はストップしていたつもりです。勝手ながら結婚対象年齢の貴族令嬢リストからも削除しておりました。だから資料しか見ない役人では気づかないと思っていたのです」
「ありがとうございます。一回だけお喋りできればいいという話だったのですが、やはり一回ではすまなかったのでしょうかね」
「恐らく」
アレナフィルは私が軍に所属していることから、フォルスファンドも軍の所属だと信じていた。
それを否定しなかったフォルスファンドだが、アレナフィルの役人になって定時で帰宅してのんびり過ごすといったとても堅実な将来の夢にこっそり大笑いしていたのはいつだったか。
同じ役人でも王宮勤務だと高給だと話してあげたそうだが、アレナフィルは残業も泊まり込みも嫌だと突っぱねたそうだ。家賃が要らない自宅暮らしだからと、日々を幸せに生きていける月給試算表を見せられて相談されたフォルスファンドは、アレナフィルの成長を楽しく見守っている。
「あまりにも事実と違うことを報告するとあなたの評価が落ちますね。仕方ない。ウェスギニーの父親は娘を溺愛していて、ボーイフレンドを作らせる気も、社交界に出す気もないということでお願いします。なんといっても愛しい妻の面影を持つ娘。一生手放すつもりはありませんね」
「・・・楽しい反応が見られそうですな。ですが今、理由がどうであれ、伯爵にといった話があればそれが目的だと思われておかれた方がいいかと」
「分かりました。では、お礼に経理部に恩を売れるようにしておきましょう」
「ありがとうございます」
灰色の瞳を細めるフォルスファンドは移動車を王宮の決まった門の所へと滑りこませた。
許可された者しか出入りできないエリアはなりすましを防ぐ意味もあって、王宮から常に決まった送迎が出される。
会話もまた本人確認の一環だ。
(変質者扱いされて恋に落ちた王子ってことか? 世も末だ。可愛いもの好きだったのか? ああいうのが好みなら可愛い感じの貴族令嬢を揃えさせた方がいいだろうに)
私には理解できない少年の気持ちがあるのだろうか。
(父上とレミジェスもなあ。めかしこんで孫(姪)とデート、とか言って楽しんでるし。フィルはあの二人をサイフ認定していそうな気もするが、どうしてどいつもこいつもあの子にはまるんだ)
うちのアレナフィルは可愛い。そして必要以上に男に好かれる。
いや、別に可愛がる男が家族であれば問題はなかった。
等しく男にも女にも好かれるアレンルードと違い、何故かアレナフィルを可愛がるのは男が多い。肝心のアレナフィルは男に対して要求が多いだけの我が儘娘なのだが、フォルスファンドも実は卒業後は残業無しで自分の所へ引っ張りこみたいらしい。
そしてローグスロッドの職場でもアレナフィルは大人気だ。
本人は何かと、
「これも私のミリョクがツミなのね」
と両の頬を手で押さえてくねくね悶えて遊んでいるが、本当に何なのだろう。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
現在、王宮勤務となっている私は、国立サルートス上等学校における警備状況の報告を受けて国王トリエンロードに報告する部署の責任者となっているが、それだけが仕事ではない。
いざという時には王城に配属されている軍人を学校にも急行させられるという役割を持たせておく為の部署なので、王城内の警備報告を受けて指示するのも別部署における私の仕事である。
つまり国立サルートス上等学校の報告を受ける部署の責任者だが、違う部署の仕事もしているわけだ。どうやら私にとっては毎日寝て過ごしていればいいだけの仕事が与えられるのはむかつくとかいう思惑があったらしい。
とはいえ、こういうことは決まった手順で動いている。余程の事態が起きない限、兼業でも問題ない。せいぜい決済のサインをするぐらいだ。
何より今まで基地に所属していた私に仕事を割り振らなくても、王城内にはちゃんと人材がいて回っていたのである。無理に仕事なんて作らないでくれていいのに。
国立サルートス上等学校には兵士ばかりか士官クラスまで揃っている。そこらの強盗などコーヒーを飲みながらでも退治してしまうだろう。まず問題は起きない。だから無報告はムカつくが、放置していられた。
問題は私の子供達だ。息子は男子寮にいるのでレミジェスに任せてあるが、自宅にいる娘の話と現実が何故か乖離中である。
――― 王子様にね、フィル、王子様からお声かけられたら、みんなにいじめられて死んじゃうって教えたげたの。だからみんなの前では、しらんぷりってお約束したの。
可愛らしく甘えながらピーチクパーチク囀っていたアレナフィルだが、本人はそれで終わったと断言していた。
フォルスファンドの話からして、どう考えても終わっていない。
何より私の勘も、アレナフィルの認識が間違っているだけで何も終わっていないだろうと告げていた。
娘から詳しく話を聞けばよかったのかもしれない。だけど面倒だった。
何より私の前ではいつも猫かぶりしているアレナフィルに説明させて、真実など把握できよう筈がない。甘やかされたい一心で被害者ぶるアレナフィルの報告なぞ、分かるのは誰が関与したかということだけだ。
それぐらいなら、
「やっぱりパピーが一番ステキ。ひどいの。寮監先生、自分が説明しなかったのに、フィルが知らないのが悪いって言うの。あれ、女の子にもてないと思う。人のせいにするの、最低」
とか言っている娘を膝の上に乗せて、よしよしと頭を撫でてあげている方がいい。
どうせ焦れた奴らが勝手に接触してくる。
(ここまで人をイラつかせてくれたんだ。少しは仕返ししてもいいだろう)
だから私は、
「自分達で判断できることはやっておけ。決済するもの、そして報告書は机の上にまとめておいてくれ」
と、命じておき、動きやすい服に着替えて見回りに行くことにした。普段は報告を聞くだけですませているが、やはり顔を出せばそれなりに気合いが入る。
そうしてあちこちで危険な大木の処理だの、ぐらついている彫像の撤去だの、厩舎の修理の手伝いだので感謝されていたら、いきなり
「ウェスギニー大佐っ」
と、怒鳴られた。
「捜しましたっ。どうして制服を脱いでいらっしゃるのですかっ」
実は知っていた。彼らが自分を捜していたことなら。
何度も後ろを通り過ぎていたからだ。
彼らもまさか頭と首に布を巻きつけて、汚れたシャツとズボンの労働着で作業している下働きが私とは気づかなかったのだろう。
さすがに軽々と木材と石板を運んでいる姿を見られて気づかれた。
「制服でこんな作業をする馬鹿になった覚えはありませんが、基地からお戻りだったとは気づきませんでした。捜される覚えも敬語を使われる覚えもございませんが、つまり現時点においては私の指揮下と判断しても?」
ぐっと唇を噛み締めるガルディアスは、何を言おうかと考えたのだろう。
「この度は、報告が遅れましたことをお詫びいたしますっ。申し訳ありませんでしたっ」
「どうせ知っていたからいい。では罰として全員、汚れてもいい服で集合。第5ゲート、3通路の修繕を行う。あまり業者は入れたくない場所だ」
「はいっ」
それで浮く予算は幾らだろうと思いながら、私はそこを通り過ぎようとした使用人に、フォルスファンド経由で経理部へのメモ書き配達を頼む。
(ムカつきはしたが、これでぎりぎり橋の予算も間に合う筈だ。かなりいい人材を引っ張ってきたようだからな)
国立サルートス上等学校の警備棟及び男子寮のメンバーをいきなり交代できたとなれば、それができる人間は限られる。ましてやアレナフィルの情報を集めた侍従達とあれば。
罰ということにして修繕費用を浮かした私は、遠慮なく彼らを働かせることにした。
暴れ足りないから反抗だの何だのに根性を入れるのだ。人間、へとへとになっていれば、面倒だからきちんと報告して仕事をさっさと済ませ、後は帰って寝る。
「少尉っ、そこはきちんと測れっ。切っている内にずれたらお前の給料から材料費を差し引くぞっ」
「ええっ!?」
「そこっ。少し大きめに切って、その上で嵌め込むようにしていくんだっ」
問題はこういった作業経験が彼らになかったことだ。
それでもエインレイド王子の護衛として入りこんだ士官達だ。体力も腕力も桁違いなものだから、手順を覚えさせてしまえばさくさくと進む。
着任の挨拶が遅れたことと、無報告の詫びはガリガリと木材を削らせながら聞いた。どうせ今に始まったことではない。自分に自信のある男達はよくやらかしてくる。
そういう時は何とか生還できるぎりぎりの所に投入して一緒に仕事させれば、その後は従順になるのだが、今回はうちの双子達が彼らの反抗心を折ってしまったらしい。
夕方前には立派に天井も壁もがっしりとした物へと変わった。
「よし。まあ、こんなものか。・・・では解散。シャワーを浴びて戻れ。明日からはきちんと報告するように」
言い捨てて、さあ帰ろうとした私の前に立ち塞がったのは、用務員姿で校内警護に当たっている筈のネトシル少尉・グラスフォリオンだった。
何やら決意が漲っている。
「何だ?」
「ウェスギニー大佐、あの、その・・・。ご息女のことなのですが・・・」
「仕事に関係ない話は受け付けん」
「いえっ、ですがっ、・・・そのっ、ご婚約者とかはおいででしょうかっ」
その場に沈黙が満ちた。
人というのは怒りがあると頭が真っ白になる。
グラスフォリオンの頭を、私は発作的にがつっと掴んでいた。
「てめえ、いつからガキに手ぇ出す変質者になりやがった? ああん? 魚の餌と獣の餌と下水、好きなの言えや」
「手なんか出してませんっ。匂わせることすらしてませんっ」
当たり前だ。どれ程にあの子の存在を隠してきたことか。それをちょっと可愛いと思って目をつけるとは、ふざけるにも程がある。
あの反抗的な眼差しを思い返せば何の心境変化があったのかと問う前に、そのまま一生反抗的に生きてろと放置しておきたかった。それなのにまだ誰も解散していない。
「うわああっ、大佐っ、それは痛いですっ」
「やめてくださいっ」
「・・・別に力は入れとらん」
メラノ少尉・アドルフォンとドネリア少尉・レオカディオが二人がかりで手を離させたものだから、私も渋々受け入れた。
「痛かったですよっ? 頭蓋骨砕けるかと思いましたよっ!? じゃなくてっ、今じゃなくてっ、・・・数年後でいいんですっ。その時っ、もしご婚約を決めるとかそういう時っ、思い出していただけませんかっ。約束しろとは言いませんっ。お嬢さんに好きな人ができたなら諦めますっ。表立ってどうしてくれとも、大人になれとも言いませんっ。ですからどうかっ」
「貴族としての申し込みか?」
上司に対して部下が言い出したとあれば速攻で却下だ。
しかし彼の実家はネトシル侯爵家。家の地位としては彼の方が上位となる。グラスフォリオンの父親を持ち出してこられたら厄介だ。
「部下であれば何も言わせていただけないなら貴族としてっ。ですがお嬢さんに貴族としての義務を求める気は全くございませんっ。印だって樹でいいんですっ。私はっ、ただあの優しい世界を守りたいだけなのですっ。どうか一生っ、守らせてくださいっ」
何のことだ。どうして送ってきたと思ったらそんなことになっているのか。
優しい世界ってなんだ?
うちの娘は常に異世界を作り上げている。アレナフィルの語る欲望に満ちた要求世界は、もうアレナフィルワールドとしか呼べないシロモノで、決して優しい世界ではない。男に対しては過酷すぎる世界だ。
父のセブリカミオや弟のレミジェス並みのサイフなくして付き合いきれるものではない。
「では、他の奴らはさっさと解散しろ」
「ええっ!? あのっ、ちょっとお待ちくださいっ、ウェスギニー大佐っ。どうかっ、どうか同席をお許しくださいっ。縁談でしたらっ、他にも私にそれなりに心当たりがっ」
「断る。ドルトリ中尉、忠実は結構だが、それは私に対して卑怯であっていいものではない。シャワーを浴びてから来い、ネトシル少尉。別に今日でなくても構わんが、今晩空いているなら夕食でも取りながら話を聞こう」
「はいっ、勿論空いておりますっ」
「ちょっ、ちょっと待ってくれっ。ウェスギニー大佐っ。それならば私とてっ」
「フォリ中尉。冷静にお考えを。あなたレベルは論外です」
約束を取り付けない、しかもアレナフィルの気持ち優先の貴族。
虫除けとしてはちょうどいい。ましてや王族に目をつけられた今、形だけの婚約がアレナフィルを守るだろう。
(今まで何かと睨みつけてきといて、何なんだろうな。だが、大人になれと要求しないってことは、あのべったり甘えるフィルでいいと思っているわけで、・・・・・・やっぱり変態か? レミジェスとフィルにチェックさせて意見を聞いてみるか)
怖がりなアレナフィルは変質者センサーの感度も高い。アレナフィルを自分の幼な妻だと勘違いしているようなレミジェスもまたチェックが厳しい。
基本的にアレナフィルは同じ世代の少年に興味がない子だ。アレナフィルが20代になった頃、同じ世代の青年を好ましく思うのかもしれないが、どうなのだろう。
勿論、グラスフォリオンの年齢を思えば何年間も無駄に待たせて捨てるのはひどい話だ。だが、グラスフォリオンとアレナフィルを私的に会わせてみていいお友達になれそうなら、虫除けで一年ほど使えばいい。
婚約者のいる娘に近づくのはマナー違反だ。引き離せば王子の熱も冷めるだろう。
(どうせこいつ虎の種だしな。縁談なんざいくらでも来るし、フィルとの話が壊れたところで痛くもかゆくもないだろ。一年の使い捨て物件と思えば腹も立たん)
そう思っていたのだが、よほどアレナフィルは気に入られてしまっていたようだ。
シャワーを浴びて着替えてから部署へと戻ると、コンコンとノックと共にやってきたのはフォルスファンドだった。
「ウェスギニー大佐。陛下が歓談なさりたいとのことです。それから今日の夕食を一緒にいかがかと。エインレイド殿下もお戻りです。そして学校で警備に当たっている方々、こちらの部署の方々もご一緒にとのことです」
「かしこまりました」
さっと渡されたメモ。
『ガルディアス様がお嬢様を気に入られ、樹の印でも結婚が可能かどうかを打診し始めています。エインレイド様を時間稼ぎに急遽こちらへお戻しになりました。グラスフォリオン様より婚約届用紙の請求がなされました。殿下の為に押さえておく為だと思いますが、マレイニアル様からも用紙請求がなされています』
基本的に婚約がどうこうとなるのは、印が体に出る18才前後からだ。それよりも前にするというのは、よほど家同士の利益が絡むといった事情だろう。
言うまでもなくそんな利益などうちにはない。
うちの娘、ママ離れもしてない子なのだが、大丈夫なのか?
うちの娘、家でずっと暮らす予定なのだが、大丈夫なのか?
うちの娘、男への要求度が高い子なのだが、大丈夫なのか?
(全員、フラれること考えてなさすぎじゃないか? ネトシル少尉だって、私の方がかっこいいと実はあの子のボーダーに達してないじゃないか。今後に期待するにしても)
グラスフォリオンを気に入っているわけではない。毎度、睨まれ続けた記憶しかない奴に好意を抱く程、酔狂ではない。
それでも話を聞くことにしたのは、まっすぐに申し込んできたことと、あの条件でありながら樹の印でもいいと言ってのけた気概を買ったからだった。
勿論、全てを敵に回してもアレナフィルを守り通せるかどうかを確認しなくてはならないが。
(一年で捨てるつもりでも、両者の合意がなければ婚約の解除はできんからな)
ここまで皆が動き始めたとなると、のんびりはしていられないのか。けれどもアレナフィルがどうして皆の目に触れると思うだろう。
校舎が違う上、一般の部など王族や貴族は目もくれない。だから安全だと思っていたのに。
レミジェスが私の弟でなければと、私は思わずにいられなかった。
小さなアレナフィルを抱きしめながら、レミジェスは誰を想っていたのだろう。
次のウェスギニー子爵はアレンルードだが、ウェスギニー子爵邸に出向いた時のアレナフィルはレミジェスの小さなお姫様だ。父親である私を通り過ぎて、レミジェスが全てを管理している。
そんなアレナフィルの心は私達と同じ世代だ。血さえ繋がっていなければ、レミジェスにアレナフィルを任せても良かったのに。
― ◇ – ★ – ◇ ―
歓談というのは、学校長や何人かの教師も参加しているものだったらしい。
案内された部屋に行けば、四人掛けテーブルが幾つもあり、誰もがそれぞれ好きな所に座っていた。
私を認め、国王トリエンロードと王妃フィルエルディーナのテーブルにいた王子エインレイドが立ち上がって駆け寄ってくる。青紫の髪に、紫の瞳と眼鏡。
本来の王子は、淡紫の花色の髪とローズピンクの瞳だ。いきなり雰囲気が変わっていた。
「ウェスギニー子爵。これ、アレルが教えてくれたんです。誰も僕って気づきませんでした」
「とても印象が変わって見えますね、エインレイド様。眼鏡をかけているからでしょうか。理知的で大人びた印象へと変化しておいでです。目が疲れたりはしていませんか? 今まで使ったことがないなら、かけすぎていると疲れるでしょう」
「平気です。度が入っていないので」
私はさりげなくその眼鏡の中に入っている刻印を見た。
バーレミアスが買っていた物と同じ製造工場の刻印だ。ならば質は悪くないだろう。
うちの娘に変質者扱いされた割に、含む様子はなさそうだ。
「そうですか。メガネ用のネジ回しはお持ちですか?」
「え? いいえ」
「では、こちらを。毎日使っていると、だんだん横のネジが緩んでくることがあるのです。そういう時にこういったネジ回しを使って締めるのです。眼鏡をかけている人は大抵持っているものですから、どうぞお持ちになってください。なくした時は同じ物を買ってもらえばいいのです」
ポケットからケース入りのネジ回しを出して渡す。エインレイドは興味深げな表情で受け取った。
「うわあ、ありがとうございます。とっても小さいんですね」
「どういたしまして。警備は視力もいいので、普段から眼鏡を使いません。だから知らないだろうと思ったのです」
「あれ? ウェスギニー子爵も視力はいいですよね?」
「友人がよく使っております。何か眼鏡を掛けていて違和感とかはありませんか? 位置がずれやすいとか、ぐいっと当たっていて鼻や頭が痛いとか」
「え? ああ、そういえばちょっと赤くなりますけど、大丈夫です」
「そうですか。ちょっとそこにお座りになってください」
そんなことだろうと思った。
椅子に座らせた王子の眼鏡を外させると、私はその顔に残った赤い痕を見る。子供用を買ってきても、本人が行かなかったらどうしても合わないものだ。
「放課後か休日にでも眼鏡屋に行って、眼鏡を調節してもらうといいでしょう。そうすれば痛くなくなります。あまり耐えられないようならこちらをどうぞ。これはもっと簡易的なものなので、メガネ型玩具ですが、チャチで壊れやすい分、ゆるい感じで掛けていられます」
バーレミアスの土産だった「瞳の色を変えられる眼鏡」のジョークグッズバージョンの方をポケットから取り出して掛けさせると、エインレイドの目が丸くなる。
「あ、ホント。痛くない。これ、とっても楽です」
「その代わりに見た目で安い眼鏡ってすぐ分かってしまうのです。予備にどうぞ。ずっと使い続けるのであれば最初の眼鏡がいいですから、ちゃんと眼鏡屋で調節させてください」
サルートス上等学校に通う生徒は誰もが裕福な家庭の子供達だ。安物の眼鏡など掛けない。
一周回って、安物のオモチャ眼鏡を見たことがないからおしゃれと勘違いされることはあるかもしれなかった。
「はい。そうします。もしかして、軍でもこういうものを使っているのですか?」
「いいえ。これは友人からもらったものです。私どもの場合、髪や目の色も本人確認で大切な要素ですから、こういったものは使いません。エインレイド様が青紫の髪にしてしまうとそれだけで別人になってしまうように、私達の本人確認が混乱したらとんでもないことになります」
私の場合、瞳の色が暗く濃いので意味がなかったのだ。赤い瞳のレミジェスにあげれば紫の瞳を楽しめたかもしれないが、弟は変装する必要性がなかった。
「他にも髪のペイント剤はあったんですけど、青紫の髪の生徒がけっこう多いからということでこれに決まったんです。眼鏡をかけると瞳が紫になるのに肌の色は変わって見えないのが不思議です」
「赤という色が持つ何かが眼鏡の中に組みこまれている素材と反響し合って色が違って見えるとか、そんな感じでしたか。原理は理学分野の先生が詳しいことでしょう。使う側にしてみれば、使えれば良しです」
「あはは、そうですね。本当にもらってもいいですか?」
「ずっと引き出しの奥で眠っていたものです。私はその眼鏡をかけても印象が変わりません。使える人を選ぶのです」
「あ。そういえばアレルも僕の目を確認していました。やっぱり赤色じゃないと駄目なんですね。父上も紫になったのに、母上は変わらなかったんです」
「おやおや。ですが陛下の瞳が違って見えたら、その眼鏡の存在がみんなに知られてしまいます。エインレイド様の変装の為にも、その眼鏡は隠しておかなきゃいけませんよ? 陛下に貸し出しなんてしたら、皆がすぐエインレイド様を見つけ出してしまいます」
「本当だ」
わざとおどけたように言えば、楽しそうにエインレイドが笑い出す。
そこで私は片膝を床についた。
「ところで、私の息子と娘がエインレイド様に失礼を働いたとか。教育が行き届かず、申し訳ございません」
「あ、いいえ。僕が悪かったんです。それに失礼なんてされていません。二人とも、とても親切なんです。えっと、それは僕が王子でなければ・・・みたいなんですけど」
私はエインレイドに非はないのだと示すように微笑みかけた。
「上等学校生活は始まったばかりです。エインレイド様が色々なお友達を作るのはこれからですよ」
「はい。今日は三人も友達が増えたんです。変装しただけで」
「それは凄い。それがご自身の本当の魅力です」
「はいっ。・・・それで、あの、ウェスギニー子爵、あの、その、・・・僕、やっぱりアレルと友達になりたいんです。駄目ですか」
「うちの娘は貴族としての意識が全くなく、貴族としての常識も作法も全く知りません。私がエインレイド様に係わる任務に就いていることも知りません。どうかうちの娘とは距離を置かれますように」
子供同士の友達関係など本当はどうでもいい。うちのアレナフィルにとっては、どれも恋人対象外だ。
それでも権力や腕力で無理やり襲われてもまずいと思えば、アレナフィルの友人は同性が望ましかった。
「それは知ってます。アレル、僕の名前も年も知らなかったから。だけど、アレンもそうだけど、僕はアレルと友達になりたいです。僕は、アレルみたいに強くなりたいんです。だから父上にも、今、不敬とかそういうのは無しにして、アレルと友達にさせてくださいって頼んでたんですっ」
「・・・うちの娘は、別に強くないと思いますが? エインレイド様よりも背は低いし、体力自慢でも何でもありません。息子のことでしょうか? よく似た名前ですから」
色合いは儚げだが、王子としてエインレイドはそれなりに武芸も嗜んでいる筈だ。
あんなベッドでごろごろ転げまわってはむふふ、ぐふふといかがわしい本を読んでいる少女を強いと評価する理由が分からない。
「女の子のアレルの方です」
「お友達は男の子にしておかれた方がいいでしょう、エインレイド様。私も見過ごせぬところです。うちの娘には女の子の友達だけ作るように常々言い聞かせております。何より今、うちの娘には縁談も出てきております。婚約が進みかけている娘に興味など持たれず、学業に邁進なさいますように」
私達の会話は、ずっと皆が注目していた。
そこで立ち上がったのはガルディアスだ。彼は寮監や警備の士官達と同じテーブルにいた。
「ちょっと待っていただきたい、ウェスギニー大佐っ」
「何か、フォリ中尉? どうして君が割り込むのか。先程の反省は嘘だったと?」
「もっ、申し訳ありませんっ。・・・いえっ、今は時間外ということでお願いしますっ」
「・・・仕方ありません。何でしょうか、ガルディアス様? 私は現在、エインレイド様とうちの娘のことで話しているのですが?」
「そのことですっ。普通、貴族令嬢なら婚約は体に印が現れる年になってからというのに、まだ13才ではありませんかっ。しかも貴族令嬢としての教養も全くほどこされていない、しかも社会に出て働くつもりの娘に婚約話とは、どう見てもエリーからアレナフィル嬢を引き離すつもりではないのですかっ」
「これは異なことを。引き離すも何も、最初からうちの娘は近づいてなどおりません。我が娘の非礼はお詫び申し上げますが、ガルディアス様も冷静にお考えになることです。エインレイド様は、家柄も資質も優れたお友達を作るべきであって、ちょっと毛色が変わっているだけの娘に興味など持つべきではありません。・・・それはあなたも同様です。大切なエインレイド様に、同性のお友達を作らせるならともかく、異性のお友達を作らせて何をさせようというのですか」
ぐっとガルディアスが息を呑む。
王族にとっての上等学校時代や習得専門学校時代は側近になり得る学友との出会いを視野に入れ、私達も動いている。男女交際はいつでもできるからだ。
同性の親友や腹心はこの十代にかかっている。
「だからって、婚約など可哀想だと思われぬのかっ。初恋すらしていない子供に、親が勝手に婚約者を宛がうなどっ」
「全くです。亡き妻に生き写しの愛娘を、どうして婚約などさせなくてはならないのか。私も苦渋の決断です。うちの娘の心はまだ幼いままなのです。私はあの子の心が少しずつ成長し、好きな人ができたら恋をし、いずれ幸せな結婚をしてほしいと願っておりました。ですから経済軍事部からは引き離しておいたのです。そんな深窓の箱入り娘を、何故か校舎すら乗り越えて引っ張り出してくださった方がいらっしゃいましてね。ええ、本当に迷惑なことです」
ぐぅっと、ガルディアスが唇を噛み締めた。
「だがっ、そんな当てつけみたいな婚約話だけはやめていただきたいっ。それならばっ、どうかご息女を私にいただけませんかっ。責任は取りますっ。結婚するまで手は出しませんっ。だから、それまではエリーの友達としてっ」
「・・・だからあなたは論外ですと言っているのです。大体、何が婚約してそれまではエインレイド様のお友達ですか。ふざけるのも大概になさってください。うちの娘をもてあそぶ気ですか?」
「ちっ、違いますっ。そうじゃなくてっ。・・・私自身は本気ですっ。まだ子供だと分かっているから手を出す気もありませんっ。だがっ、・・・あんなにも可愛いのだっ、誰だってっ」
「うちの娘はあなたの妻にはなれません。どうか家柄も教養も優れたお美しいご令嬢とお幸せに」
うちの娘はたしかに可愛い。
けれども息子とそっくり同じ姿だった筈なのだが、どうしてこうなっているのだろう。
エインレイドにとって同級生であり、同じ男子寮で寝起きし、同性のアレンルードが学友として目をつけられたなら分かる。
けれどもアレナフィルは校舎も違う自宅通学の女子生徒だ。
「謙遜なさるが、そもそもウェスギニー子爵家の令嬢であれば引く手数多でありましょうっ。ましてやあなたの実績をもってすれば・・・っ」
「だから私は娘を表舞台に出す気が無いのです。エインレイド様に近づいたとして、娘が他の貴族に目をつけられるのも論外ですが、私の娘だからと、娘の好みからかけ離れた男共からの縁談も冗談ではないのです。どうぞご理解ください」
困惑から立ち直ったエインレイドがそこで割り込んでくる。
「あの、ちょっと待ってください。なんでアレルの結婚とか婚約とか出てるんですか? だって僕、そんなの関係ないです。学校で一緒に授業を受けたりお喋りしたりするだけじゃないですか。しかもアレル、ちゃんと先生の目がある所って、条件出してます。それで引き離すっておかしくないですか? 僕は、普通にアレルと友達になりたいだけです。僕はアレルみたいに、ふてぶてしくなりたいんですっ」
「ふてぶてしい・・・」
なんかとんでもない話が出てきた。女の子相手にふてぶてしいって何なのだ。いや、アレナフィルだから仕方ないのか。
私は変質者扱いされて恋におちた王子という前情報を少し修正した。どうやら王子エインレイドはアレナフィルの図々しさに興味を覚えたらしい。
「お待ちくだされっ。一体、何事でしょうかっ。いくらウェスギニー子爵家のご令嬢であろうと、お二人とも頭をお冷やしになられませっ。どれ程に可愛いご令嬢か知りませんが、こう申しては失礼ながら、無垢な姿で近寄ってくる令嬢など普通におりますっ。それをお二方ともっ」
「お前こそ口を慎め。この私がたかが13才の小娘の演技に騙されて籠絡されたとでもいうのか。私が気に入ったのは外見ではない、あの小憎らしい中身だ。誰の娘であろうが関係ない」
うちの可愛い娘が、中身は小憎らしいとか言われている。
いや、お前、うちのアレナフィルに変なひっかけをやらかしただろ?
どうせ十分に「自分を知らない令嬢がいる筈がない。演技だ」と、疑いまくってただろ? それが違うと分かって、大恥かいたんだよな?
あの外見と私の娘という条件に騙されたのはお前だ。
彼の立場が立場でなければ、そう言ってしまえたのに。
ぷりぷりしていたアレナフィルの様子と関係者の顔ぶれと性格や行動パターンを頭の中でシャッフルさせれば事情はもう分かる。
「そうだよ。アレル、可愛いけど、近寄ってくるどころか逃げてるよ。僕、とっても避けられてるんだけど?」
「それが手管というものですっ。こう申しては失礼ながら、お父君がエインレイド様の報告を受ける立場にいる以上、ウェスギニー様とてご令息ご令嬢に指示しておられぬ筈がありますまいっ」
「それは買いかぶりというものだと、言っておきましょう。私は息子にも娘にも何も伝えておりません」
「そんなことを誰が信じるというのですかっ」
なんだかなぁと、私は思った。
面倒くさくなった。
学校で警備に当たっている士官達のグループを振り返る。
「ネトシル少尉」
「はいっ」
「この状況を見ろ。私の娘であればと、こんなにも様々な思惑が乱れ飛ぶ。私がわざわざ娘を経済軍事部から引き離しておいても、サルートス幼年学校に行かせていなくてもこれだ。うちの娘は、自分の力で自分の世界を築き上げ、その優しい夢の中で生きていたいと願っている。お前は、守り通せるのか? 何よりお前、うちの娘の基準に達していないのだが」
「は? あの、基準に達していないとは・・・?」
グラスフォリオンが戸惑うような声で問い返してきた。
私は現実を語ることにした。夕食を取りながら確認するつもりだったが、うちの娘が要求するボーダーは身の程知らずと言ってもいい程に高い。
「うちの娘は人づきあいを全くしてこなかった。あの子が間近で接していた男など、祖父と父と叔父と双子の兄、そして育てのもう一人の父親と、私の友人ぐらいだ。ゆえにあの子は、自分を大切にしてくれて甘やかしてくれる男しか知らん。お前が虎の印を持つ貴族であろうと、あの子にとっては何の価値もない。既に娘は上等学校に行っても紳士はいなかったと、とっくに不貞腐れている」
「えーっと、・・・すみません。何も知らぬ用務員という設定ですので、あえてざっくばらんな言動をしておりました」
「それはそれでいい。だが、お前は耐えられるか? この茶番にしても、娘が知れば言ってのけるだろう。自分の婚約者を自分で決められない程、頭は悪くないと。・・・婚約はいい。だが、娘はそんな父親の決めた結婚に従う娘ではない。お前はアレナフィルに何を求める?」
「どうも誤解があるようです、ウェスギニ―大佐」
グラスフォリオンは、茶色い瞳をまっすぐ私に向けてきた。
ちなみに私はこいつが超熟女好みで、エイルマーサに近づく為にアレナフィルから始めている可能性をも捨てていない。
「私とて13の子供に女性を見ているわけではありません。たしかに賢いお嬢様でしたが、その本質はまだ幼いものだと理解しております。あの家を見れば分かりました。あの講師によって大人としての知識を植えつけられていても、母親が恋しい幼児の心なのだと。ですが、それはお嬢様の罪ではありません。仕事は仕事ですので、学校で声をかけることもしません。何も出しゃばる真似もいたしません。お嬢様が年頃になった時、好きだと告げる権利をお許しください。・・・我が家からも口出しをさせるつもりはありません。それこそかつてウェスギニー大佐が家を捨てた時のように、私もお嬢様の為ならば家を捨てましょう」
「そうか」
なんかもうこいつでいいんじゃないかという気がしてきた。
どうせ使い捨てだし。
「ちょっと待ってくれっ、ウェスギニー子爵っ。それこそご息女を欲しいのはこちらだっ」
「私は娘を出世の為に使うつもりなどございません、ガルディアス様。娘の母親は樹の印でしたし、娘は母親に生き写し。娘が樹の印だからと一族に反対されるならば家を捨てると言えるぐらいは、当方にとって最低ラインです」
「出世とかどうでもいいことをここで持ち出さないでくれっ。私はあの存在が欲しいと言っているっ。家を捨てるも何も、そもそもウェスギニー子爵やネトシル少尉が守らなくてはならない程、弱くないだろうがっ。あれが他の貴族に黙っていじめられるようなタマかっ。貴族令嬢の作法も何も、すぐに覚えられるだろうっ。何を勝手に価値を下げているっ」
その通りだ。マナーもダンスも、うちの双子など即席でも大丈夫だろうと思っていた。あの二人にダンスレッスンに行かせたところで、創作ダンスをやらかすだけだ。
社交? あの可愛い顔で人から声を掛けられない筈がない。
「妻の亡くなった理由が理由ですので、色々とそしりもありましょう。私は娘に辛い思いをさせたくないのです。ガルディアス様は貴婦人の世界をお分かりではない。母を亡くした貴族令嬢など母親同士の根回しもなく恥をかかされ、泣かされて家に帰るのです。だから娘は一生結婚せず、私と共にいればいいと思っていたのですがね。・・・それを一度だけお喋りすればいいだけだからと許せば、次はもっとと言われ、更にはうちの娘がエインレイド様に近づく手管だと侮辱された日には・・・。本当に困っております」
私は王宮側の人間と、そして学校側の人間をゆっくりと見回した。
私は娘を使う気はないのだと明言する為である。アレナフィルに関して口出しなどこれ以上させるつもりもなかった。
「エインレイド様のお近くに、当家の子供達を近づけるべきではありません。そうでなくては、私は13才の子供に、こうして不本意な婚約をさせることになるのです。
これ以上の侮辱を受けなくてはならぬ理由もありません。
そしてガルディアス様には、そのお立場をよくお考えになるようお諭しを。あまりにもおかしくなられますと、こちらも婚約を早めなくてはなりません」
すると一連の流れを見守っていた国王が溜め息をつく。
「そなたら、ウェスギニー子爵にきちんと謝罪せよ。聞けばそのアレナフィル嬢は、エインレイドの為に変装方法を考案し、更に友人作りの方法も提案してくれたというではないか。それを令嬢ならばエリー目的に違いないと決めつけるとは。・・・ガルディアス、お前もそうがっつくな。だからウェスギニー子爵が、そのアレナフィル嬢の気持ちを無視して婚約をさせなくてはならなくなる」
「はい。ですが、婚約されてしまったら終わりではないですかっ」
ガルディアスは諦める気などないようだ。
「お嬢様を侮辱してしまったこと、申し訳ありません」
「心にもないことを申し上げたことをお詫び申し上げます、子爵」
渋々ではあったが、私に対して王宮側のそれぞれが謝罪してくるが、フォルスファンドは勿論それに加担していなかったので、複雑そうな笑みを浮かべていた。
彼もまたどうしてこんな短期間でアレナフィルに皆が群がったのかが分からないのだろう。私も分からない。校舎だって違うのに。
「謝罪は受け取りましたが、うちの娘をもう話題にもあげないでいただきたい」
そこで王妃が首を傾げた。
「そんなに可愛らしい子ですの? 私も会ってみたいですわ。けれど皆様、頼りないとか、心が幼いとか仰ってましたけれど、エリーによるととても神経が図太いお嬢さんだとか。男の子みたいな女の子と、エリーは言っておりましたけれど、皆様、男の子みたいな女の子がお好きですの?」
「母上、アレルは双子のアレンとそっくりです。僕もどっちがどっちか見分けがつきません。乱暴な口調が兄のアレンで、偉そうなのが妹のアレルです」
「その偉そうなお嬢さんと友達になりたいの、エリー?」
王妃が息子の感性に危機感を抱いていた。
私もその気持ちはよく分かる。息子が女の子の尻に敷かれたい願望を持っているとしたら、母親はどう対処すべきなのだろう。
「はいっ。僕、アレルといると、強くなれる気がするんです。婚約だなんてやめさせてあげてください、母上。アレルが可哀想です。大体、僕が友達になりたいって言っただけで、どうして婚約させてまで引き離すんですか」
「そうね。だけどエリー、あなたもこれから成長するのですもの。特定の女の子とだけ仲よくしていると、あなたの恋人かと、みんなに思われてしまうの。
お友達でも、今度はあなたと付き合っていたのに捨てられたとか、ひどいことをその女の子が言われてしまうのよ。
ウェスギニー子爵のお気持ちも考えなさい。大切なお嬢さんを皆に侮辱されて傷つかない父親はいないわ。慌てて婚約させようとなさっているのも、あなたの我が儘が原因よ」
「じゃあ、僕がアレルと結婚すればいいですか? 僕はアレルが好きです。ずっと一緒にいたいです。年だって一緒です」
もっとまずい。冗談じゃないと私は思った。
学校長ヘンリークは王子エインレイドに友達ができないと嘆いていたが、その友達を確保する為に婚約するのはあまりにもおかしすぎる。
「それは恋じゃないでしょう? 何より先生の監督下じゃないと会ってもらえない時点で、エリー、そのお嬢さんに逃げられているわ。仕事に娘を使ったと言われてしまうウェスギニー子爵の立場も考えなくてはね」
「仕事に使うも何も、一緒に授業を受けてお喋りすることの何が仕事なんですか。それにアレル、僕が誘わなかったら居眠りしてるだけじゃないですか」
「・・・居眠りしてるの? エリー、あなた、そのお嬢さんのどこを気に入ったの?」
「面白いところです」
「居眠りするお嬢さんが? 寝ている子にイタズラするのは感心しませんよ」
「イタズラなんてしていません。ちゃんと僕、引っ張ってってます」
そこでコホンと、国王が咳払いした。
「分かった。それではウェスギニー子爵」
「はい?」
「すまぬが、そのアレナフィル嬢、せめて上等学校を卒業するまで婚約はさせないでくれないか。その代わり、エインレイドとは別の監視と警備をつけてかまわぬ。そのアレナフィル嬢に、ガルディアスもエインレイドも、それ以外の誰であろうと誰も手出しをさせぬようにウェスギニー子爵が監視人と警備の選別及び方法を管理してよい。どこまで魅力的な子かは知らぬが、よりによってこの数日間で虎の印を持つ二人が婚約を願い、エインレイドまで執着している女子生徒だ。何かあっては遅かろう」
魅力的というのではなく、あの我が儘っぷりに衝撃を受けただけだろう。
アレナフィルを知らないのだから、たしかに将来有望な男ばかりを魅了した美少女に誤解され手も仕方がない。しかし私もこれ以上の男問題はごめんだった。
「別に魅力的というのとは違うと思いますが、かしこまりました。では陛下の権限を持ってこの場にいる者全員に、我が娘に対して一切の恋愛感情を告げることも、それを態度に出すこともせぬようにと命じていただけますでしょうか。せめて上等学校を卒業するまで。・・・そしてこの場にいない者であっても、我が娘に近づく者は排除させていただくお許しを」
「分かった。聞いての通りだ。ウェスギニー子爵家のアレナフィル嬢に対し、誰もが上等学校卒業するまで一切の手出しはならぬ。そしてガルディアス及びエインレイドであろうと、アレナフィル嬢に対して不埒な真似をしようとしたり、二人きりになろうとしたりしたならばすぐに引き離してアレナフィル嬢を保護せよ。学校長もその旨、徹底するように」
「かしこまりました」
とりあえずこれで婚約はさせなくてもよくなったようだ。
問題は監視か。
(うちのフィル、凄い音が出る笛を全ての制服の裏につけていなかったか? しょうがない。スリングショットとインク壺も携帯サイズで持たせておくか? いや、虎の印がその気になったら無駄か)
どんな護身グッズを持たせたところで、本気になった虎の種にとっては無いも同然。
もしもあの子に樹ではない印が出たならば・・・。
偽装させても諦めなさそうだなと、私は思った。