16 学校と寮監は生徒に教えられた
国立サルートス上等学校も、今年の新入生はそれなりに絞ったつもりだった。
それでも限界はある。どの貴族も親戚というだけの子供達をも入学させようとかなり頑張った。
貴族ではない子供すら親戚との養子縁組で貴族として入学させてきた為、エインレイドの周囲はとても騒がしい。
爵位のある貴族の子が、王子に向かってみっともないことやはしたないことはできない。かえって嫌われたら意味がない。
だから親戚の子を王子にさしむけ、運よくお気に入りになれたらその縁で仲良くなればいいと考えたのである。
「親戚の子を斥候として使うようなものですか」
「捨て駒ですわね」
王子エインレイドと親しくなるよう家から命じられている令息や令嬢は動向を注視し、その令息令嬢に命じられて振り回されている子供達が王子に群がるといった混乱が発生していた。
王子に纏わりつこうとする生徒達は、親戚筋にあたる令息や令嬢の機嫌を損ねることこそが一番恐ろしいらしく、やんわりとした王子の拒絶にも気づかずにその命令を遂行しようとする。
そこで助け舟を入れようとする貴族の生徒も出るが、それで王子に恩を売り、そしてその生徒を糾弾しようとするものだから、王子もそんな一幕で未来を閉ざされかねない生徒も被害者だ。
「これも時代の流れというものですかねぇ。私達の頃は殿下方の前だからこそ、お言葉を掛けられるまでは近づかなかったものですが」
「そうですなぁ」
教員室ではそんな会話も交わされている。
「そういえば貴族の子が、殿下を殿下と知らずにやらかしたとか」
「ああ、聞きましたよ。うちのウェスギニー君でしょう。いや、あの子はおかしいなと思ってたんですよ。貴族の子だから白紙でも合格だったのですが、一般の部で満点でしたからね。幼年学校の評価表はひどいものでしたが」
「ああ、それで学校長が驚いてたんですか。わざわざ入試の資料を出してこいとか」
「隣の修得の講師がやってきて、ウェスギニー君は、幼年学校でわざとテストの点を落としていたとか言ってのけたそうでしてね。学校長、入試の答案見て納得してましたよ」
「そうそう。入試問題にこっそりいたずら書きしてたんですよ。見ますか、これ」
「へえ、どれどれ。・・・何ですか、これ」
「ぷっ。・・・余白はメモ書きOK、叱るわけにもいきませんな」
誰もが笑ってしまうのは、試験問題の中にアレナフィルがメモしていた内容だ。
よほど時間が余っていたのだろう。
『 ここでおじいさんは、孫を逃がす為に、やさしいウソをついたのです。この時のおじいさんは、何を願っていたでしょうか。前後の文を読んで、一番ふさわしい心情を選びなさい。
1 孫が幸せに生きてくれること
2 孫がいつか真実を突きとめてくれること。
3 孫がこのやさしいウソを真実にしてくれること。 』
答えそのものは合っていたが、問題文の合間に小さく花模様だの丘に建つお墓だのが描かれている。問題文に挿絵をつけてどうするつもりなのか。
かと思えば、違う余白に、
『行けっ、行くんだっ』『そんなっ、思いっきりウソな話でだまされる程、ボク、子供じゃないよっ」『むっ、こういう時は分かってて逃げるのが様式美だ』『あ、すんません』
といったやり取りまで書かれていた。
どうやら問題文の内容に深みを出そうと思ったらしい。
真面目にやれと言いたいが、ここまで余裕をかまされてしまうと何も言えない。
点数がひどいのならばともかく、アレナフィルは満点だった。
「どうして評価表がひどいものだったんですかねえ」
「市立の幼年学校でも優秀な子には細かく分かれた評価表を記入してもらい、入試の時点で出してもらうことになっているでしょう。ところがウェスギニー君達、どうせ貴族枠だからとそれをしなかったようで、だから細かいそれらは全部0点になっていたそうです」
「うーむ。なかなかやらかしてくれますなぁ。そういう落とし穴があるとは」
肝心の王子よりも、見た目も可愛らしい双子の方が不敬問題もなく話題にあげられやすい。
「双子の兄の方はそこまででもないのですかね?」
「悪くはないですが、普通より優秀といったところですかね。いたずら書きもしていませんでしたよ」
「ふむ。ですが入試でこれなら悪くないのでは?」
のんびりと生徒の品定めをしている教師達とは裏腹に、肝心のアレナフィルは全くのんびりした気分になれずに放課後、校長室へと呼び出された。
― ◇ – ★ – ◇ ―
朝から上等学校までやってきたウェスギニー大佐・フェリルドからとても個人的な事情を聞き出したキセラ学校長・ヘンリークは、習得専門学校の講師バーレミアスの意見を疑ったわけではないが、市立レミー幼年学校の評価表、そして入試の答案用紙を全て出させた。
学校長室に集まった五人の寮監達、そして王子エインレイドもアレナフィルの答案用紙に目を丸くしている。
「え? これ、暗算で出したの? どこにも計算式、書かれてない」
「いえ、ここに何かミミズがのたくっています。これが計算式じゃないですか?」
「参ったな。あの講師が言っていたことは嘘じゃなかったか」
「講師って?」
エインレイドが首を傾げるが、さすがに話せないことはある。
ウェスギニー子爵家の双子はあまり成績もよくないと聞いていたのに、実は妹の方は入試で満点を取っていたのだと知り、エインレイドは改めてアレナフィルに興味を抱いていた。
アレンルードの方は入試結果もそこそこ良い程度だ。成績が悪いと言われる程ではないが、格別に優秀なわけでもない。
「失礼いたします。学校長先生からのお呼び出しということで参りました」
そこへコンコンとノックの音が響き、呼び出されたアレナフィルがやってきたが、室内にいた寮監達と王子の姿を認めて、げっという顔になった。
エインレイドは、母を目の前で殺されて記憶を失ってもここまで立ち直ったという彼女と是非お友達になりたいのだが、まさかここで真っ先に子供のように口を開くわけにもいかない。
「いや、悪かったね。まさか本当に王子の顔を知らないとは思わなかったそうだよ。君のお父上にはとても悪いことをしてしまった。
しかも君がお父上にそれを報告するとは、殿下も全く思っていなかったそうだ。こんなことなら誰か寮監からウェスギニー子爵に説明連絡してもらえばよかったと、殿下も反省しておられた。
どうかウェスギニー君ももう気にしないでほしいと、殿下は望まれていらっしゃる」
「え? いえ、私が殿下のお顔を存じあげなかったのが問題だったわけで・・・。本当に申し訳ありません」
学校長に対して謝るアレナフィルは、学校の名を貶めてしまったと責任を感じているのかもしれない。そんな悲し気な表情だ。
エインレイドはそんなことよりもアレナフィルと仲良くなりたいのだが、寮監達には悪くもないのに謝らされている少女の状況は自分達のせいだという罪悪感が、ズキズキザクザクと疼きまくりだ。
大至急で捜させた過去の診療記録でもアレナフィルが数日間目を覚まさなかったばかりか、記憶障害と言語障害についてもはっきり記載されていた。
様々な検査も行われたが聴力に異常はなく、全ての言葉が分からなくなり、まともな言葉も話せなくなったとある。医師も一時的なものだろうかと悩み、かなり手を尽くした様子がうかがえた。
ヘンリークもその古い診療記録を見せてはもらったものの、今こそが全てだ。アレナフィルと会話することで見極めようと考えている。
「いやいや、君はサルートス幼年学校には行っていないと聞く。ならば殿下方のことを知らなかったのも無理はない。
何より殿下は普通の学生として過ごしたいと望まれて入学なさった。殿下もいい経験をしたと思っておられる。
実はあの日、殿下はあそこまで生徒達に囲まれることになるとは思っておられず閉口し、寮に戻っておられたそうなのだよ」
「そうでしたか。身分を隠して生徒の間に混ざっておられたかったのですね」
「・・・う、うむ?」
アレナフィル以外の頭に「?」が乱舞したが、トントンとノックの音がして、秘書の女性が入ってきた。
「お茶のご用意ができました」
「ああ。では隣に移動しようか。ウェスギニー君も気楽にしたまえ。これは叱る為でも何でもなく、本当に気にしなくていいという気持ちで呼んだのだよ。皆様もどうぞ」
アレナフィルは濃いオレンジが混ざった黄色い髪をしていて、目がくりっとしている。そのせいだろうか、とても感情が分かりやすい。
隣の部屋には丸い大きなテーブルがあり、八つの椅子それぞれの前に菓子が置かれているのを見て、アレナフィルの深く濃い緑の瞳が幸せそうに煌めいた。
なんと正直な顔だろうかと学校長は腰をかがめ、アレナフィルの顔を覗きこむ。
「ウェスギニー君は、こういうお菓子は嫌いじゃないかな?」
「大好きです」
「それはよかった」
それこそ「うわーい」という幻聴が聞こえてしまうような、幸せそうな笑顔だ。まるで人懐っこい子熊のようで、学校長はつい撫でたくなる気持ちを抑えるのに苦労した。
「本当に昨日は申し訳ありませんでした」
「こちらこそ申し訳なかった。普通の女の子なら当たり前の警戒心で、僕があまりにも無知だったと知った。なんてことをしたんだと、僕こそ恥じるばかりだ」
「いえ、こちらこそ」
「いや、僕が」
学園長の隣に座ったアレナフィルは、更に隣のエインレイドと謝罪合戦を始めている。
誤解が解ければ二人とも素直な性格だから、相手を気に病ませることのないようにと、そんなものなのだろう。
掃除や洗濯、片付けといったメイド仕事も得意そうなことから、実は冷遇されて育ってきたのではないかと言われていたアレナフィルだが、学校長ヘンリークが見た限りではそんな感じもなかった。
「本当にすまない。自意識過剰と思われるだろうが、僕の顔を知らない人がいるとは思わなかったんだ」
「いえ、そんなの当たり前です。誰だって3年も学校生活していて、自分の顔を覚えてくれてないなんて思わないですよね。本当に申し訳ありません」
「え? 3年?」
「え? 違うんですか?」
「いや、どうしてここで3年?」
室内にいた皆の頭の中で、再び「?」が乱舞した。
いや、勿論、フェリルドは子供に何も教えていないとは聞いたが、息子はともかく、娘にあまりにも教えていなさすぎではないだろうか。
アレナフィルは確認するような表情で、テーブルの反対側にいたガルディアスを見て言った。
「たしかあそこの棟は、2階が1年生で、1年ごとに上の階に上がっていくんですよね? じゃあ、4階にいらっしゃるということは、3年生ですよね?」
「・・・あのなぁ、2階だと外からすぐ侵入できるだろうが。王子の警護も一晩中、窓の外で立ちっぱなしになる。だから特別に最初からずっと4階なんだよ」
「そうでしたか」
まるで真理を得たかのように、うむうむと頷いているアレナフィルだ。つまりガルディアスが4階に王子の部屋があると言ったことから、王子は3年生だとアレナフィルは判断したのである。
同学年に王子がいるということを、アレナフィルは本気で知らなかったのだ。
ここまで知らないというのは違った意味で問題がないだろうか。
経済軍事部に行く息子には最低限のことを教えておいたが、一般の部に行く娘には何も教えなくていいと、本気であのフェリルドは考えていたのか。校内ですれ違うこともあり得るだろうに。
寮監達の頭の中には、「育児放棄」といった言葉が乱れ飛んでいた。
そんな大人の気持ちなど知る気もないアレナフィルは、言葉の足りない寮監に見切りをつけたらしい。
「すみません、殿下。それでしたら殿下は1年生ですか、2年生ですか」
「数日前に入学したかな」
「同い年だったんですね。背が高いから上級生だと思いこんでいました。すみません」
「え。いや、・・・うん」
本気で背の高さを羨んでいるらしいアレナフィルに、双子それぞれに背の高さを褒められてしまったエインレイドは少し照れて赤くなった。
しかし学校長としてはそれに対しては疑問を抱くのだ。
「入学式で君は何をしていたのかな、ウェスギニー君? 殿下は新入生の代表を務めておられたのだが」
「え? ・・・いえ、あの、その、実は兄が入寮するものだから、・・・実は前夜、寂しいからと別れを惜しんでいたら、かなり夜更かしをしてしまいまして。その、双子なのでいつも一緒だったから、不安で・・・。だから入学式の間もぼうっとして、頭が働かなくて・・・。すみません。言われてみれば、たしかに新入生代表で堂々としたお姿を拝見しておりました」
学校長ヘンリークに問われ、恥じ入るように俯くアレナフィルは、それまで双子の兄と一緒だったという。父兄の連絡先こそウェスギニー子爵邸になっていても、生活している場所は違う場所で、アレナフィルは父親と二人暮らしとなっていた。
その父親は王宮勤務で忙しい日々を送っている。
アレナフィルに関しては、バーレミアスも引きこもりだと断言していた。そんな人見知りの激しい少女だ。もしかしたら双子の兄に「行かないで」と、夜更けまで泣いて頼んでいたのかもしれない。
室内にそんな罪悪感が立ちこめていく。
これでは話が続かないと判断した寮監のドルトリ中尉・マレイニアルが、そこでちょっと明るい口調で参加してみた。
「意外だなぁ。自分が学校に通っていた時は、数才違いで王女様がいらしたからさ。もう大人気だった。それにほら、君の横にいる王子ってば見た目も悪くないと思うんだけど、今の子はそんなドライな感じなんだ?」
「殿下と同じ部なら騒ぐ生徒もいたかもしれませんけど、一般の部は校舎も違いますし・・・。騒ぐには恐れ多いと思ったのではないでしょうか」
言葉こそ神妙ではあるが、そんなアレナフィルの顔は、「何言ってんだ、こいつ。めでたい思考してるな」と、明らかに語っていた。
可愛い顔立ちで表情もくるくると変わって楽しい子なのだが、馬鹿にしてくる時も分かりやすい。
「ふぅん。それでさ、こうして間近で見てみてどう? うちの王子様、けっこう女の子に人気出そうじゃない? この際、ガールフレンドに立候補してみない?」
あえてアレナフィルの感情に気づかないフリをしてマレイニアルがぐいぐい押してみれば、ふぅっと吐息が一つ、そしてアレナフィルが駄目な大人を見る目になった。
ここまで馬鹿にされるといっそ小気味いいかもしれないと、マレイニアルは思う。
「先生。それは大人として考えなしなセリフですよ」
「え? そう?」
「そうです。よく言うでしょう、一生の親友は十代で作れと。国内の優秀な生徒が集まるサルートス上等学校。そして人は朱に交われば赤くなるもの。つまり自堕落な友人に囲まれていれば自堕落になり、努力を貴ぶ人間に囲まれていれば努力するようになるものなのです」
びしっと言ってのけるアレナフィルに、隣で見ていたヘンリークの胸が震えた。
この少女は年長者そして教育者のあるべき姿をとっくに理解していたのだ。控えめにへりくだりながらも、アレナフィルは寮監達に説諭する。
「私はあくまで広く浅くといった一般の部の生徒です。殿下にとっては、授業数も少なく、楽な日々を送っているとしか思えないでしょう。そんな生徒を間近に見てしまったら、自分の努力が馬鹿らしく思えるだけです。
ですが、他の部は国内でも優秀な生徒が既に進路を決め、邁進すべく集っているのです。年長者としてそういったことも考えて殿下を導いて差し上げるべきです。寮監とは、寮におけるみんなのお兄ちゃんじゃありませんか」
その時のアレナフィルは、王子たるエインレイドばかりか、とっくに成人した寮監達すら迷子の羊と見做した羊飼いだった。
ヘンリークの脳裏に、子供が社交を学ぶのは学業を修めてからでいいと言ったフェリルドの顔が思い浮かぶ。
ウェスギニー家にとって王族であろうと貴族であろうと関係ないのだ。学校とは学びの場、それ以外のことは学外でやるべきだと考えている。
教育機関の責任者として見失いかけていた何かをヘンリークは取り戻した。
「言うことがいちいちババくさいが、一理ある」
ガルディアスが、もう負けを悟った気分で呟く。
これはもうフェリルドに謝罪するしかないだろう。まさか同じ顔をした双子のそれぞれが、どちらも違った意味でここまでの逸材とは思わなかったのだ。
上等学校に入学したばかりの生徒とはとても思えない程に自我もしっかりとしている。アレンルードもそうだが、アレナフィルもまた自分の中にまっすぐな定規を持っていた。
「だがな、そこの王子はあまりにもみんなに押しかけられて握手をせがまれ、席から立ち上がればみんなに囲まれ、もうびびっちまったのさ。友達を作る前に、友達になりたい奴の近くにも行けねえ有り様だ。これも何かの縁だ。せめて話し相手の一人になってくれねえか?」
偉そうに言ってみたものの、言ってみただけのアレナフィルは自分が素敵な女子生徒として華麗に引っ込む理由付けは何がいいだろうと考える。
「この場だけでしたら。殿下のお話し相手など、私には力不足もいいところです」
謙虚そうな口調で賢そうな受け答え。これこそ完璧だと、アレナフィルの内心は勝利ポーズだ。
「この場だけって・・・、まあ、いい。いや、こっちも色々とお近づき希望の奴が多すぎて、困ってたんだ。対処法を考える間、肝心の王子をどこに置いておくかって話なのさ。ちょっとここで子供同士、お茶飲んでお喋りでもしといてくれ。ああ、不純異性交遊は許さん。ドアは開けておくぞ。・・・学校長、すみませんがこちらへ」
「はあ。・・・遅くなったら帰りは送っていくから大丈夫ですよ、ウェスギニー君」
ぞろぞろと校長室に移動すれば呼んでおいた数人の教師もいて、学校長と寮監達もやれやれと疲れた顔で頭を軽く振った。
娘は異常な感性なので引き離せと父親は言っていたが、たしかに異常だ。そして健全だ。
お腹が空いたから帰ると言い出さないよう、新しい茶と薄い焼き菓子を運ばせれば、子供達は二人で仲良くお喋りを始めた。
校長室のモニターに隣の部屋の様子が映っている。
『友達も作れないなんて大変だったんですね、殿下』
『そうだね。友達ってどうすれば作れるんだろう』
サルートス幼年学校で仲が良かった友達も、サルートス上等学校に入ったのを機に、親や親戚から色々と言われ始めたらしい。
いきなりこれからもずっと仲良くするという約束をさせようとしてきたり、誰が一番好きかを尋ね始めたりと、エインレイドもみんなの変わりようにかなり傷ついていた。
――― エリー、僕はずっと一緒にいたいんだ。エリーもそう思ってくれる? その証をもらえる? そうすれば僕は君をずっと近くで支えられる。
――― 僕はずっとエリーと一緒だ。そうだよね? 誰よりも僕のこと、親友だって思ってくれてるでしょ? ならさ、頼みがあるんだ。いつか君を一番近くで守るのは僕だって約束してほしい。そうすれば、僕は強くなる。
――― あの・・・、エリー様。私達、ずっと仲良しだと信じていて、いいですわよね?
彼らが望んだのは、エインレイドが持つ王子としての刻印が入った小物だ。
それは私的に信頼する者に渡すものでもあった。今のエインレイドはまだ持たない。
いずれそれを渡してくれないかと、そんな約束を欲しがる彼らにエインレイドは何を言えばよかったのだろう。
自分はみんなと一緒にいればほっとする。一緒に遊べば楽しい。
あの時の時間を同じ心で共有できていたと信じていたのは自分だけで、みんなは違ったのだろうか。
綺麗な花だったから可愛い女の子達にあげた。嬉しそうに笑ってくれたその気持ちは、もっともっとと違うものを願っていたのだろうか。
そんな気持ちが言わせたエインレイドのぼやきに、アレナフィルは深刻そうな表情となった。
『友達はですね・・・。私もあまり殿下のことは言えないんです』
『どうして?』
『いや、それが・・・殿下は秘密って守れますか?』
『努力する』
『約束ですよ。死ぬ気で努力してください。守れなかったら三日絶食する気合いで』
『どこまでハードル上げるんだっ』
そもそもドアは開けっぱなしで、隣の校長室には学校長と寮監達がいるのである。それで何の秘密だと、エインレイドだって思わずにはいられない。
だけどそれを指摘したら何も教えてくれなくなりそうだ。
そんなエインレイドの気持ちに気づきもせず、アレナフィルは偉そうに説明してくる。
『努力という言葉には責任が伴うのです。責任を持たない努力など、ただの言い逃れです』
『う。・・・分かった』
エインレイドはアレナフィルの迫力に負けた。
聞いていた教師達の方が、
「すばらしい」
「まさにその通り」
と、苦笑する。
学校長ヘンリークもぷるぷると感動に肩を震わせていた。
反対に寮監達は、
「どうしてそうなる」
「何なんだ、もう」
と、声をのせずにぼやいてテーブルに突っ伏す。
『実は私も入学して友達を作ろうと思ったんです。だけど友達を作る為には、何か気の合うネタで話しかけ、きっかけを作るしかありません。そこで、問題が一つありました。私はとても心が大人びていたのです』
『えーっと、あの少女の皮をかぶったババアとか言われてた奴?』
『あの寮監先生は心が子供なんでしょう。赤ん坊や幼児から見れば、殿下だっておじさんです。つまり寮監先生の内面は赤ちゃんレベルだったのです』
未だかつてこんな揶揄をされたことがあるだろうか。
ガツンっと分厚いテーブルを叩いたガルディアスは、
「あのクソ小生意気な動物、ウェスギニー家から買い取ってこい。礼儀というものを教えこんでやる」
と、低く呟く。
肩をすくめた寮監のメラノ少尉・アドルフォンが
「対価にサルートス一国とか言われるんじゃないですか? あのウェスギニー大佐ですから」
と、軽口を返した。
『そうかもしれない。たしかに姉上の子供におじさん呼ばわりされた』
『気にしちゃいけません、殿下。世間一般の大人から見れば、殿下は夢と希望に満ち溢れた活きのいい美少年です。変なおじさんやおばさんにはついていかないようにしてくださいね。特に目がはぁはぁしている人からは全速力で逃げてください』
『うん、・・・ありがとう?』
駄目だ、何かが違う。
校長室内では、小さな恋のメロディーどころか、同い年な筈なのに王子を見守るお姉さん生徒という図式が築かれつつあることを、誰もが察し始めた。
アレナフィルは4才までの記憶と言葉を失ったことのある哀れな少女で、それを努力で取り戻した健気な生徒の筈だが、何かが違っているような気がしてならない。
何かとは常識だ。
『どういたしまして。そういうわけで、友達を作ろうにも同じ趣味の持ち合わせなどなかった私は、周囲を見渡しました。するとやはりおとなしくてお友達作りができていない女子生徒がいました。というわけで、私は決めたのです。彼女達と友達になればいい。お互いにメリット相互関係は築けると』
『そ、そうなんだ』
もうエインレイド王子は、新しい価値観に圧倒されている。
どうして友達作りにメリット相互関係という言葉が出てくるのか。友達を作るのは微笑んで名乗り合い、ちょっとした会話から始めるものではなかったのか。気の合うネタとは何だろう。
そして校長室に集まった教師達は、この新入生の思考が意味不明で混乱していた。
『だから私は彼女達に近づいて言いました。
「あなたとあなたとあなた、私と友達になって」
と。彼女達は頷きました。そうして私はお昼ご飯を一緒に食べるお友達を手に入れたのです』
『・・・なんだかそれ、友達を作ったというよりも命令した、いや、捕まえたように聞こえるのだが』
エインレイドはサル山のボス猿を思い浮かべる。アレナフィルのしたことは、それこそ気の強い貴族令嬢そのものだ。
『お互いに対等な関係ですよ? 私、何の権力も持ちませんから』
『まあ、いいか。それで一緒にお昼を食べるようになって、仲良く過ごせているんだ?』
『いいえ。それが三日目にして文句を言われたのです』
少年の順応力は高い。
この子はこういう子なんだなと理解して、もう会話についていっている。
『なんて文句を言われたんだ?』
『たしか、いい加減に自分の名を名乗れってことと、友達になったならせめて自分達の名前を聞けということだったと思います』
聞いていた大人達だって、それなくしてどうやって友達になれるというのかが不可解だ。
『僕もあまり友達作りが得意なわけじゃないけど、君ほどではないかもってちょっと自信を持てたよ。それでどうしたの?』
『要求に応え、名乗りました。そうして彼女達は私の愛称を決めたのです』
『それ、初日にすることじゃないの?』
実はお山の大将なのかなと思ったが、文句を言われて愛称をあちらが決めたというのならそうでもなかったのかと、エインレイドは考えた。
どうしよう。誰にでもマイペースを貫くこの子が頭いいのか悪いのか全然分からなくて面白すぎる。
『殿下も大人になれば理解します。数日なんて一瞬のこと、タイムラグなどないのだと。いつか切ない気分で分かる日がくるでしょう』
『・・・うん? まあ、いいか』
切なげに語っている声はまだ子供だ。男の子、女の子、どちらでも通じる。
学校長室の中では、こんな小さな子供にあのクラセン講師・バーレミアスは何を教えていたのかという思いが漂った。大人になればも何も、アレナフィルだって未成年だ。
きっとまともな友達づくりの方法は、言語学の専門外だったのだろう。
『だからですね、殿下もまとわりついてくる生徒が煩わしいなら、自分から目をつけた生徒に、友達になれって言えばいいと思います。
権力と言うのは悪く使えば悪く作用しますが、良く使えば良く作用するのです。目をつけた優秀そうな人間を青田買いしていけばいいんです。入学したばかりなら誰もそこまで友人はできていません。そこが狙い目。
一気に好都合な優位性をとれば、後が楽です。いい人材は宝です』
学校長室の中には、沈黙が満ちた。
よりによって少女が教えている友達作りとは、社会における人材確保だ。友情など最初から切り捨てている。
全てがおかしすぎた。それでいて一蹴できないところが恐ろしい。
迫力に押されていたエインレイドだが、王子として訳が分からないまま頷くことをしない程度の胆力はあった。
二人はちょっとお茶を飲んで考えをまとめる。その沈黙時間、校長室内にもお互いの目を見交わしてしまう時間が続いた。
そしてエインレイドが尋ねる。
『自分から友達になれって言えばいいって言うけど、僕、今さっき断られなかった?』
その通りだと、校長室でみんながうんうんと頷いた。
あまりにも整合性がなさすぎる。
それを言うのであればアレナフィルこそ優秀であるがゆえに目をつけられるべき生徒だ。
『お友達作りより大切なことは、小さく弱い生き物を慈しむ心です、殿下』
『・・・小さく弱い生き物? えっと、どこに?』
『あなたの隣に座っているじゃありませんか』
『え?』
たしかに小さくて丸っこい可愛い生き物だが弱くはないだろうと、校長室内にいた皆が思った。
「なんて図々しい」
「言ってやるな。本人が一番分かっていないのが自分のことだとよく言うだろう」
マシリアン少尉・ボンファリオの指摘に対し、ドネリア少尉・レオカディオも微妙に庇いきれない。
「同じ顔でもここまで違いますかね。アレンはカラッとした性格なのに、あの子は微妙にねじれてます」
ドルトリ中尉・マレイニアルがぼやいた。
隣室にいるエインレイドも二の句が継げなかったらしい。
お茶菓子を食べながら、時間稼ぎをした様子だ。
するとアレナフィルもお茶を飲み、菓子を食べたことでその話題から心が離れたらしい。さっきまでの真面目そうな表情が消え、ぽわぽわとした幸せそうな顔になった。
もしかして悩んでいるのは自分だけなのかと、エインレイドも眉根を寄せる。
『ねえ、何考えてるの?』
『母の味というものを考えてました』
『・・・あ。・・・ごめん』
アレナフィルの母親が殺されたというのは、エインレイドも今日になって聞いたことだ。
いたたまれない顔で謝る。するとそんな顔をさせるつもりはなかったのか、アレナフィルが慌てたような仕草で説明し始めた。
『あ。いえ、あの、・・・実は私には親代わりで育ててくれた人がいるのですが、何かと実の母がいないことを謝るんです。私は十分に愛情を注いでもらい、第二の父と母だと思っているのですが、実の母が作ってくれたようなお菓子を作ってあげられないことが辛いらしくて・・・。母が作ってくれたお菓子を私は覚えていません。今、お菓子を食べながら、それを考えてしまったんです』
世の中、努力だけでは打ち破れない壁など沢山ある。悲し気に語るアレナフィルの言葉は、そんな切なさを聞く者に感じさせた。
どれ程に覚えていたくてもアレナフィルに母の記憶は欠片も残っていないのだ。思い出したくてもその記憶が自分の中に無い。
学校長室に、あの空気をどうにかしてやれと、そういう押し付け合いの気配が漂い始める。
『君は、・・・・・・そういえば、僕達も結局、名前を教え合ってないような気がするんだけど、君、僕の名前、知ってる?』
かなり無茶があったが、話と空気を変えてしまったエインレイドの奮闘に、学校長室では、よくやったという空気が流れた。
『え? 勿論ですよ。えーっと、・・・えーっと、・・・明日になったら教えてあげます。実はこの学校では三日目に名前を教えてあげるっていう局地的風習があるのですっ』
『勝手に風習にしないっ。自分が名乗るのを忘れてたのと、相手の名前を知らないのとは別だろっ』
『嫌ですねぇ、殿下ったら。そんなお名前を知らないだなんて、あるわけないじゃないですか』
ほほほほと笑ってごまかそうとしている少女がいる。
いや、知らないのはもうばればれだ。頭はいいかもしれないが、こいつバカだ。なんでそう見え見えの嘘をつくんだ。
誰もがそう思った。
寮監のドネリア少尉・レオカディオが、
「一日あれば名前は聞いてこられますからね」
と、呟く。
『いや、なんで顔を逸らしているんだ。忘れてるか知らないかのどっちかだろう、それ。もう自分で言うよ。エインレイドだ』
『失礼しました、エインレイド殿下。私はウェスギニー・インドウェイ・アレナフィルと申します』
『うん。それで愛称ってどんなの? 友達が決めてくれたんだよね?』
『私はウェスというのを希望したのですが、結果的にアレルとなりました』
『・・・なんで苗字を愛称にしようと思うのかが分からない』
学校長室でも「?」が皆の頭に乱れ飛んだ。
家族だって苗字をニックネームにされたら困るだろう。
『だってカッコよくないですか? アレナだと可愛すぎるでしょう』
『君、可愛いんだし、いいんじゃないの?』
あ、王子がちょっといいこと言った。
ここまでくると王子だって少しはガールフレンドを作って明るく楽しい学校生活を過ごしてもらいたい大人達がうんうんと頷く。
学校長室で大人達がホッとした気分になれたのは一瞬だけだった。
いきなりアレナフィルの言葉が悲壮感を帯びる。
『なんてことでしょう。女の子に向かって「可愛いね」だなんて。子供の頃からそんな女たらしへの道を進んではなりません、殿下。
子供の内は気になる女の子がいても突っ張ってしまって、
「ど、どうせ、僕、女の子になんか興味ないし」
って、明後日の方向を向いて地面を蹴ってるぐらいでちょうどいいんです。
異性の友達よりも同性の友達といる方が楽しいからいいんだって、強がりを言ってるぐらいでいいんですよ?』
『どこのおばさんだっ』
学校長室内では、皆が机に突っ伏した。
あの少女を止めてくれ。だけどもう何をどうすればいいのか分からない。
『おばさんじゃありません。お姉さんです』
『同い年だろっ!?』
『おお、そうでした』
アレナフィルの資料を丹念に見返したことで、アレナフィル本人の資質に問題がないようなら王子のガールフレンドの一人にいいのではないかという思惑が発生していた学校関係者及び寮監達である、
そんな大人達の思惑をあざ笑うかのように、今、新たな問題が生まれていた。
「受け身で生きてきたエリー王子がここまで自分からぐいぐい指摘する日がくるとは」
「あの講師によって試験範囲の勉強は叩きこまれても日常生活はポンコツだから、実は大佐も外に出さなかったのかもしれません」
「エリー王子の学友の一人としては悪くないかと思ったものの、これでは・・・。あんな横着の為なら黒を白と言い張り、言っていることは正しくても我田引水甚だしい論理破綻した生き物を見てしまった後で、いずれ礼儀正しく社交をこなす清楚で賢い令嬢といい雰囲気になることが可能なんでしょうか」
「あの子の感性がおかしいのは構いませんが、エリー王子の感性まで破壊されても困ります」
上等学校時代といえば誰もがボーイフレンドやガールフレンドを作って健全なお付き合いをする。クラブメイトやクラスメイトから始まって婚約、結婚へと進むケースも多い。
多感な上等学校時代に奇人変人から始まるのは王子の情操教育においてもまずいのではないかと、寮監達はお互いの顔を見交わした。
そうとも知らず、二人はお喋り中だ。
『じゃあ、僕もアレルって呼んでいいか?』
『呼ぶも何も、もう会うことないと思います。うちの兄だって部が違うから全く会いませんし』
未だかつて、王子から愛称で呼びたいと言われてこういう断り方をする貴族の娘がいただろうか。
平民なら生きる世界が違うからという認識もあるだろうが、彼女はウェスギニー子爵家のたった一人の令嬢である。
あまりの非常識っぷりに、学校長室の教師達ですらうろうろと視線を迷わせた。
『だけど男子寮には来るんだろう?』
『はい。兄の生活が心配ですから。
だけどそんな、みんながお友達になろうと企んでいる王子様に近づいたら身の破滅じゃないですか。いきなり知らない人達に呼び出されて、
「王子に近づくなんて生意気だ」
「そうだそうだ、身の程を知れ」
とか言われるの、嫌です。全身全霊をこめて素知らぬフリして、こっそりと物陰で、
「え? あの素敵な方が殿下だったのね。恐れ多くて近づけないわ。取り巻きの方々も素敵」
とか言っておきますよ』
恐れ多くて近づけないどころか変質者認定した少女は、妄想と捏造を駆使して王子との縁をぶち切る理由を説明する。
とても身勝手な理由だった。
『正直すぎないかっ!?』
『それが現実なのです』
あまりにも面白すぎる断られ方に、エインレイドもどう反応していいか分からない。
悪気があったわけではないらしいアレナフィルは、がさごそと鞄からノートを取り出すと、三角形を描いて、エインレイドに階層的な上下を説明し始めた。
『いいですか、殿下。この三角形の頂点に立つのが選ばれし特権階級なのです。そして、この学校では王族や高位の貴族のご令息ご令嬢が、この辺りになります』
『ふんふん』
『そして三角形の中に存在する、このほにゃららな輪っかが、それぞれの部になります。ここにも部による格差があるのです。大体この上部に食い込んでいる輪っかが経済軍事部ですね。それでも力がない子は、このぐらい下にまでいたりもします』
『ほう』
自分は正しいのだと主張する為に説明し始めたアレナフィルに、なんだかとても面白い思考回路だなと、エインレイドは身を乗り出す。
かえって論点をぼやかすような説明よりも分かりやすい。
『で、一般の部というのは、この底辺のあたりにこういう輪っか上でゆらゆら沈んでいます。いいですか、殿下。同じ人間でも強い弱いはあるのです。たとえば一緒に生まれた子犬の集団でも、弱い子はミルクを飲ませてもらえずに淘汰されるように。それが自然の掟なのです』
『君、弱くなさそうだけど』
うんうんと、学校長室では皆が頷いた。
ミルクを一人占めする他の小犬を叱り飛ばし、順番を守らせようとするのが見えている。
『そんなことないのです。パワーゲージがこんなちびちゃんな私は、この広く押しつぶされている底辺になるわけです』
『はあ』
アレナフィルの説明は分かりやすいが変な所に欠陥があると、エインレイドは思った。
つまり自分を客観的に見る能力がアレナフィルには圧倒的に不足しているのだ。
『いいですか、殿下。私はこの二つの区分け集団の中でも一番弱く、底辺で青息吐息している存在なのです。殿下はどちらであっても頂点にいらっしゃいますが、もしあなたが最下層の特定人物に手を差し伸べようものなら、もう大変なことになります』
『えーっと・・・』
エインレイドは貴族であろうと本家の爵位を継ぐ家の子と、そうではない分家の子との立場の違いを改めて思い返した。
たしかアレナフィルはウェスギニー子爵の長女で、ウェスギニー家は領地もあり、会社も経営している。更には当主には軍での地位もある。
そのヒエラルキーとやらの上位ではないかもしれないが、中位や下位という程ではない。上の中の下といったところだろうか。
それなのにアレナフィルはまるで自分が平民であるかのように説明してくるのだ。
『もうこの辺りの中間層にいる人達が、
「お前なんかが僕達よりも目をかけられるとは生意気だ」
「そうだ、身の程を知れ」
とか言って、最下層にいる私を見えない所に連れていって、みんなで蹴ったり、殴ったりして、ぼろぼろにしてしまうのです』
『・・・僕、あの階段三段飛ばし降り、普通の貴族令嬢ではまず見ない身軽さだと思ったけど』
この少女は大人しく見えない所とやらに連れていかれそうにない。
そう思ったエインレイドは、王子ながらの婉曲な言い回しで否定する気持ちを告げてみた。
『パニックになっていたら、人間は思いがけないことをします。
ですが普段の私はとても怖がりでか弱い存在なのです。うちは父と兄と私、力を合わせてどうにかこうにか社会の隅っこで暮らしているのです。
親子三人、身を寄せ合って必死に生きている儚い存在を、国の頂点にいる殿下が踏みにじるようなことはしてはいけません。王者の資質には非情さも大切ですが、同時に弱く儚い生き物を守ってあげる優しい心も大切なのです』
『う、・・・うん。なんか正しいことは言われているんだろうって思うんだけど、前提が何かおかしいような気がする。だって君のおうち、子爵家だよね?』
もっと言ってやれと、寮監達は思った。
貴族の娘としてアレナフィルはあまりにも感性がおかしすぎる。
『いいでしょうか、殿下。子爵なんて貴族社会では低位。
しかも我が家は使用人すら臨時の単発でしか雇えないような貧乏子爵家なのです。
あ、だからってお金をせびっているわけじゃありませんからね? そういう金銭とか権限とか利益供与とかのドロドロにうちを巻きこまないでください。我が家はささやかに心の充足を見つめ、ひっそり生きているのです』
『・・・はあ』
校長室内にいたマシリアン少尉・ボンファリオが、
「ウェスギニー子爵領、また人を雇って新しい工場造ってましたけどね」
と、暗い表情で呟く。
ドルトリ中尉・マレイニアルは、
「ウェスギニー子爵邸に住み込みの使用人がいないわけがないのですが」
と、肩をすくめた。
だけどエインレイドにそこまで分かる筈もない。
自分が知らないだけで、ウェスギニ―子爵家では手元不如意な事情があるのかもしれないと反省した。
『誰も見てない時にこんな風に喋ったりするのは? 要は人に見られなければいいんだろう?』
『それは、・・・問題ないですけど。
だけど私が年頃の殿下に近づいて誘惑したと思われるのも困りますので、先生の監督下じゃないといけません。
いいですか、殿下。世の中には幼気な少年を引きずりこみ、毒牙にかける悪女もいるのです。偶然を装って近づいてくることなど、よくあります。それに騙されず、警戒心を常に忘れず生きていってください』
『・・・そ、そーなんだ』
寮監達の心がズキズキと痛む。
その偶然を装って近づいてきたのではないかとアレナフィルを警戒していたら、アレナフィルの方がもっと強烈にエインレイドへ警戒心を持つよう教育している。
二人は、お互いに先生の監督下で他の生徒の目がなければ、「レイド」「アレル」と呼び合うことで手を打ったらしい。
よく似た双子だが、見分け方もあるのだとか。
『兄には頬のこの位置に小さな黒子が一つあるんです。細かい違いは幾つもありますけど、手っ取り早く父が見分ける時はこの頬にある位置ですね。レイドもまずはその位置を確認してください。幼年学校でも兄と私を間違えて気まずい思いをした子が多かったです』
『そっか。彼とはあまり話したことはないんだよね。どういう性格?』
最初の出会いがアレで、その後は避けられまくっているエインレイドである。
妹は兄をどう思っているのかなと、そんな質問をしてみた。
『あんまり物事を考えてない感じです。もう少し落ち着いてほしいんですけど。・・・レイドが兄と親しくなるのはやめた方がいいです。もっと優秀な生徒は沢山います。ただでさえ少年期特有のマウンティングを取ってくるのに、更にレイドの威光で偉そうにされたらムカつきますから』
『・・・とても私情が入りまくった意見なのはよく分かった』
自分にどんな威光があるのか分からないが、アレナフィルがかなり身勝手な性格であることはエインレイドも理解する。けれど陰湿さはない。そして自分から暴露してくるぐらいに裏もない。
保身しか考えてないアレナフィルだが、親切心も存在している。
「私みたいに気の弱そうな子を見繕って指名するやり方はレイドに合わないと思うんですよ」
「そーだね」
愛称で呼び合う以上はお友達だからと、二人はエインレイドのお友達捕獲作戦とやらを考え始めた。
友達作りは狩りじゃないと、誰か教えてやってほしい校長室だが、二人を止める者はいない。
『優秀さも大事ですが、一番はフィーリングなんですよね。友達付き合いなんて、お互いの好みが合わないと続きません。
この際、変装してみたらどうです? まずは違う部の聴講をしに行って、お友達を作りましょう。
たしかに経済軍事部の先生が一番ランクが高いって言われてますけど、他の部の先生だって劣ってるわけじゃないんです。ここ、サルートス上等学校ですから。
それに、違う部でも教えている先生が同じってことありますよ』
『そんなことできるの?』
『ちゃんと校則にありました。要は試験で単位を取ればいいんです。
大体、権力なんて良い方に使うなら正義です。国の頂点に立つ王族が馬鹿になるより、賢くいてほしいって学校だって願ってます。協力して当然じゃないですか。
全ての先生の時間割をもらってしまって、後はそれを元にして全て聴講しておけばいいんです。で、色々なクラスで生徒を物色して、お友達ゲット』
学校長と教師達が、なんだか暗い瞳でお互いの顔を見た。
教師の一人が、
「単発で聴講することを認めています。全ての授業を聴講という形でどの部も問わず渡り歩いて出席日数を確保するというのは、・・・いえ、禁止されてはいませんね」
と、頷く。
お友達作りにどうしてそういう学び方を持ってくるのか。あまりにもおかしい。
おかしいけれど一蹴できない。
『変装かぁ。だけど目の色とかは変えられないしね』
『ファレンディアの製品は手に入らないんでしょうか。それに、前髪を伸ばしたり、髪型を変えたりすれば分かりにくいですけど。
ちょっと触っても不敬とかにならないですか? それともお触り厳禁ですか?』
『別に大丈夫だよ』
お触り厳禁って何なのだろうと思いながら、エインレイドは分からなくても流す技能をこの短時間で身につけていた。
それにアレナフィルのやることなら何であれ警戒する必要がないように感じている。
『じゃあ、前髪、ちょっと失礼。・・・ああ、うん、やっぱりこの瞳ならあの眼鏡で大丈夫。紫色に誤魔化せるから、後はこの髪かな。あのペイント剤なら、髪だけ染めるし、お湯で洗い流せるから、この髪の量なら、念入りにやっても三回分で一本ってところかも。だけどここまで髪の色が薄いならそこまで必要ないかな。四回分いけるかも』
『もしかして、髪の毛と目の色、ごまかせる心当たりある?』
『ええ。後は髪型ですね。殿下、全ておろしてるから、こういう時、変装している時はちょっと一つにまとめてみるとか、わざと一部だけ結んで髪の量を調節してみるとか、それだけでも印象が変わります』
ガルディアスが立ち上がり、隣の部屋に入っていって尋ねれば、とある眼鏡を教えられる。
『本来はそういう製品じゃないが、光に弱い目を守る為の眼鏡で、幾つかの会社の製品だとピンクの目が紫に見えるのか』
『はい。だけどそれも製品の善し悪しが出るので、日中の店で実際に試した方がいいです。そして殿下の髪を濃い青にしておいたら、髪が影を落として更に分かりにくくなります。
薄紫の髪にピンクの瞳で知られているなら、紺か青紫、もしくは焦げ茶の髪に紫の瞳で眼鏡をかけたら、ぐっと気づかれにくくなると思うんです。
ほら、このふわふわした柔らかな印象が、暗くきつい印象に変わりますから』
ちゃちゃちゃっと簡単にエインレイドの髪を軽く手で梳いて髪型を変化させるアレナフィルは、イメージチェンジを提案したいらしい。
『なるほどな。眼鏡屋を当たってみよう』
『あと、髪専用のペイント剤です。それ、水でも落ちるし、お湯なら完全に落ちるのがあるんです。髪しか染めないので、服や肌も汚しません。
それもファレンディアの商品である筈なんです。メーカーとしてはスズリ製かコタン製が、色の発色具合がいいですし、10年、毎日使っても頭皮を傷めなかったというのがウリだったと思います。もしかしたら他のメーカーでもいいのが出てるかもしれませんけど』
『ほう。よく知ってるな』
『お礼でしたらうちの兄が何かやらかした時、全力で揉み消してください』
『ぬかせ。明日にでもちょっと当たってみよう』
ささっとメモをとったメラノ少尉・アドルフォンとドネリア少尉・レオカディオ、そしてマシリアン少尉・ボンファリオが学校長室を出ていく。
教師達も時間割表を全て見直すべく校長室を出ていった。今から全教員で話し合い、時間割を変更することになるだろう。
残されたキセラ学校長・ヘンリークはふっと笑みを浮かべた。
「聴講と試験による単位習得か。既に習得専門学校のやり方だな」
とても面白い女子生徒だ。ちょっと我が身可愛さが出すぎているが、善良さがそれをカバーする。
まさか王子に友達を作る手段で変装させるとは。
――― 人は朱に交われば赤くなるもの。つまり自堕落な友人に囲まれていれば自堕落になり、努力を貴ぶ人間に囲まれていれば努力するようになるものなのです。
その通りだ。十代の少年における情報吸収力とそれに伴う変化は凄まじい。
自分に群がってくる生徒達に乱暴な言い方をすることもできず、不快感を強く押し出してしまえばその生徒が叱責されてしまうかもしれないと相手を思って及び腰になり、結局は一人でいることを選んでしまった王子エインレイド。
けれども同い年の女子生徒が不幸にあってもそれを克服したと知り、健気に努力して生きてきたんだろうと思って余計に興味を持ち、そうしてこんな時間を取ってみたら実はかなりの横着者だったという事実。
(学校から殿下に対する馴れ馴れしい態度を改めるようにと告げてしまえば今度は阿るだけの生徒としか殿下は会話もできないことになっただろう。そして排除された生徒の恨みも向けられた。これはかなりの掘り出し物かもしれん)
ウェスギニー・インドウェイ・アレナフィル。
自分可愛さに嘘をついたりもするが、誰もがそれを見抜けてしまうという間抜けっぷりがまだ子供なのか。
くりくりした丸い目とあどけない表情を持つ新入生は、不幸な生い立ちのわりにたくましい女子生徒だった。