表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/68

13 警備と寮監はウェスギニーが嫌いだ


 子爵の位を持ち、軍では大佐の地位にあるウェスギニー・ガイアロス・フェリルド。

 サルートス軍でも工作部隊、それも激しい戦闘を伴うリスクの高い実戦部隊に所属し、かなりの戦功をあげていると言われている存在だ。

 玉蜀黍の黄熟色(メイズイエロー)の髪、針葉樹林の深い緑色(フォレストグリーン)の瞳を持つ美丈夫は、人目を惹く華やかさがあった。昔のフォトを見れば髪をぼさぼさにして瞳も見えないとか、野暮ったい髪型だとかで地味なのだが、どうやら結婚後にまともになったらしい。

 ともあれその紳士的な物腰は、荒っぽい部隊を率いているとはとても思えないものだ。子持ちながら妻を亡くしているので女性からの人気は高い。

 だが、それはあくまで表面の姿。彼は出世の為なら何でもする男として暗い噂と共にあった。

 特に士官達の間では、彼の善良さに騙されるなと(ひそ)やかに囁かれている。


「子爵となる身でありながら平民の女を娶って子を産ませ、貴族令嬢と浮気していた」

「愛人扱いに耐えきれなくなった貴族令嬢に妻を殺させ、そして貴族令嬢を破滅させた」

「軍における愛憎のもつれ事件を、大臣や行政部署まで巻き込んで騒ぎを大きくした」

「醜聞に耐えきれなくなった貴族令嬢の実家から多額の賠償金を受け取り、懐に入れた」

「遺恨を忘れる代わりにと、貴族令嬢の実家の権力を使わせて出世街道を歩いている」


 ウェスギニー・ガイアロス・フェリルド。

 彼にとっては、妻子すらどうでもいい存在だと言われている。気が向いたら手に入れ、気が向いたら金にして捨てる。そういった存在だ。

 幼い息子を戦場に連れていき、囮として使ったという噂まであった。その結果、莫大な報奨金を得たとも言われている。

 ゆえに国立サルートス上等学校の警備棟では、今回、王子エインレイドの警備状況の情報を受け取る王宮の部署の責任者に彼が着任したことを不快に思う者は多かった。

 勿論、上官である以上は逆らえない。だが、どうして彼の出世に自分達が加担しなくてはならないのか。


「何故、ウェスギニー大佐が」

「なんでもいざという時には彼を出動させたいという思惑が動いたとか」

「ざけんな。俺らでは力不足とでも言う気か」


 実戦部隊とはいっても、彼は上層部からの命令に唯々諾々と木偶(でく)のように動くわけではない。そういう存在ならばサルートス軍のみで高く使い勝手のいい存在として重宝されただけだろう。

 彼は軍に所属しているというのに、何故か役人の上層部から人気があるのだ。どんな尻尾を振ってみせたのか。

 それでも学校の警備に回されているのは軍の兵士達である。今回は王子が入学するというのでそれに紛れるようにして士官達も回されてきているが、それはまさに特別な配慮だ。

 非常時、兵士では判断する権限を持たない上、時には権限をよそから取られる恐れがある。ゆえに有能な士官が配置された。そして士官だからこそ悪い噂と共にあるフェリルドの名前に眉を顰めた。

 どんなに文句を言っていても、それでも自分達は大佐である彼に対して忠実に振る舞わなくてはならない。

 だが、そんな鬱屈した警備棟にも救世主が舞い降りたのだ。


「聞いたか? なんでも男子寮の寮監、土壇場でフォリ中尉が着任なさったそうだ」

「嘘だろっ。なんでだよっ。・・・って、やっぱりそういうことかっ?」

「どうするよ、おい。道理でここまで人材揃えたと思ったんだよっ」

「そっちの方が総責任者でいいじゃないか」


 勿論、ウェスギニー大佐とフォリ中尉。軍においてどちらの立場が上かなど言うまでもない。

 しかし着任が王子エインレイドの警護における以上、ウェスギニー大佐よりもフォリ中尉を優先したところで、全く問題はないのだ。

 サルートス上等学校の警備を行う人員は軍から回されていても、警備棟は学校長の監督下に置かれる。しかし非常時には警備棟の方が優位になり、学校長に指示できる立場となる。

 そして王子エインレイドが入学することによって士官が多く配属された今、臨時的に対等な状態となっていた。しかもフォリ中尉の着任だ。こうなると学校長も、何かあればまず男子寮にお伺いを立てなくてはならないだろう。


「ざまあみろ、ウェスギニーッ。こっちに鼻っ面つっこんでくるからだ」

「だよなっ」


 警備棟では拍手喝采(はくしゅかっさい)となった。

 



― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 だが、さすがはウェスギニー大佐。

 反発心や色々な思惑もあり、わざと王宮にいるフェリルドへの報告を最低限に絞っていた警備棟と男子寮だが、なんと男子寮ではフェリルドの息子アレンルードが入寮予定になっていた。

 肝心のフェリルドはエインレイドの為の一人暮らしの部屋を確保し、更にはその護衛チームや使用人達の人選もしていたから、学校内のことは後回しにされていた。

 危険があるとしたら通学時だからだ。通学路における治安や途中にある建物の持ち主情報など、調べることは多岐に渡っている。

 だから報告書だけあげておけばいいという話だった。

 その隙を縫うようにして、本来の男子寮の寮監となる兵士達をどかして士官達を配属したというのに、とっくの昔にフェリルドの息子が入寮申し込みを終えて許可されていたのである。


「さすがはウェスギニー大佐。先手先手を打ってきやがる」

「寮に入れる必要などないくせにな」

「だが、所詮はまだ子供だ。親ほどではないだろう。実際、成績もひどいもんだ」


 そう言い合いながらも、まさか父親が気にくわないからと入寮許可を取り消すわけにもいかない。所詮は成績も悪い落ちこぼれな生徒だろうという思惑もあった。

 だが、何としたことか。フェリルドの子供達はやはり見事としか言いようのない存在だった。

 彼らはそれを強く実感することになる。



― ◇  ★  ◇ ―



 始まりは、入寮日の前日だった。

 男子寮に一人の女の子がやってきたのである。持ってきたのは、とある有名な菓子店の焼き菓子缶が十個程だった。

 寮監室には五人の寮監が揃っていたが、まじまじと皆がアレナフィルに注目してしまった。


「兄のウェスギニー・インドウェイ・アレンルードが明日からお世話になりますので、ご挨拶に参りました。今まで一人暮らしなどしたことなく、集団生活もしたことのない兄ですので、色々とご迷惑をおかけすることもあろうかと存じます。何かありましたらすぐに当家までご連絡ください。こちらで兄によく言い聞かせます。

 これはつまらないものですが、どうぞ皆様でお召し上がりください」

「あ、はい。ご丁寧にどうも」

「それでは失礼いたします。おくつろぎのところ、失礼いたしました」


 ささっといなくなったが、その顔はたしかに資料で見たアレンルードのフォトと同じだった。

 正直、不気味すぎる。普通はこんな挨拶なぞ使用人がやってくるものだ。


「妹もいたのか」

「そんな筈はありません」

「じゃあ、女装か?」

「まさか痺れ薬入りじゃないですよね」


 まだ入学していないので私服姿だったが、シャツにリボンタイをつけ、上着とスラックスは揃いのものだった。子供なりに、きちんとした服装である。


「新入生、ウェスギニーの苗字を持つ者は一人しかいなかった筈だ」

「もう一度見てみましょう。他の学部も念の為に」

「いや、ウェスギニーの娘で経済軍事部が許可されないわけがない」

「念の為にですよ」


 妹のフリをしたアレンルードではないのかと疑ったが、学校のリストを改めて見せてもらったところ、経済軍事部ではなく一般の部だったから、自分達のチェックから漏れていたと判明した。

 同じ顔も納得の双子だった。


「兄程ではないが、こっちの妹もひどい成績だな」

「そうですね。まあ、貴族ですから」

「きっと今の口上も保護者の仕込みでしょう」

「まさか探りに子供を使ったと?」


 国立サルートス上等学校は、貴族ならば特別枠で入れるエリート校だ。

 ウェスギニー子爵の娘ならば父親の現在の任務との兼ね合いもあって経済軍事部に入れただろう。それでも駄目なぐらいに馬鹿なのだろうか。

 そんなことを言い合っていた寮監達だが、次の入寮日、本物のアレンルードに顎が外れるかと思う程に驚かされるとは思ってもみないことだった。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 やはり家が近いからか。受付時間が始まってすぐにアレンルードはやってきた。


「ウェスギニー・インドウェイ・アレンルードです。手続きをお願いします」


 まるで少女かと思うような可愛らしい顔立ちだ。

 ここはまず自分がと、ボンファリオがにこやかに受け付けながら話しかける。

 

「自宅は近いのに、寮に入るのかい? 何か目的があって入寮を希望したとか?」

「はい。寮に入れば面倒なことはしないでいいかと思いまして。同じ敷地内に逃げ場所があるのは最高だと思います。では、これからお世話になります」

「う、うん? 逃げ場所?」

「はい。僕は他人に惑わされずに生きていきたいんです」


 意味が分からない。

 親からの逃亡か? 自我の目覚めか? 何故、男子寮に入るのに他人が関係するのだ?

 五人の頭の中で、「?」が乱れ飛んだ。


「えっと、あ、うん、そうなのかい? これが寮の規則集だ。女の子を泊めたり、いちゃいちゃするのは駄目だけど、面会手続きをして部屋に案内するぐらいは許されている。その時はきちんと手続きするように」

「はい。・・・あ、もしかしたら双子の妹が来るかもしれません」

「そうか。別に手続きさえしてくれれば自由にしていいよ」

「ありがとうございます」


 エントランスにある部屋ごとの名前札ボードにネームプレートを掛けている様子は全くの自然体だ。

 寮生達は幼年学校で顔を知っている生徒達ではないからと、実は興味津々だったエインレイドが好奇心に満ちた瞳でその姿を見ている。

 男子寮に入るのは地方からの進学者が多い分、向学心が強い傾向もあった。

 アレンルードの持っていた名前札を見て、これがあの自分の警備報告を受け取るウェスギニー子爵の息子かと、エインレイドも気づいたらしい。

 警戒心を持っていた寮監達と違って、エインレイドにはあまり先入観もない。


「新入生? 僕もそうなんだ。仲良くしてくれる?」

「ああ。僕はアレン。お宅は?」

「え? えっと、アレンって苗字? 名前?」


 言うまでもなく、エインレイドは、名乗りとはフルネームでされるものだと思いこんでいた。それ以外の名乗りを聞いたことがないからだ。王族に対し、フルネームを名乗るのは常識である。


「普通にニックネームだけど? あ、もしかしてお宅、貴族だったりする? そういえば、お上品な家は名前を縮めないんだっけ。じゃあ、アレンルードだ。だけどアレンって呼んでくれよ。まあ、すぐにお宅、いなくなるだろうけど」


 こんなにも自分を自分と気づかない存在を、エインレイドは見たことがなかった。しかもアレンルードは、あまりにもぞんざいな態度だった。

 寮監達とてこれが王宮なら即座に叱りつけるか、その無礼を後悔させるところだ。だが、ここは上等学校の男子寮。

 どうして王子の去就をお前如きが語れるのかとムカッときた寮監達は黙って流れを見ることにした。

 エインレイドは戸惑いながらも会話を続けようとしている。


「え? どうしてそう思うんだ?」

「だってお宅、フルネームを聞こうとしたってことは、いいおうち、つまり貴族のご令息って奴だろ? そんなら早く退寮手続きした方がいいぜ」

「どうして?」


 エインレイドの混乱が、寮監達にも手に取るように分かった。

 アレンルードは敵か味方か。何か大切な情報を伝えようとしているのか。


「どうせ王子様が入寮するってんでお宅も入ったんだろ? だけどその王子様、入寮はやめたそうだ。じゃあ、もういる必要ないだろ。早めに手続きした方がいい。今ならごたごたしてるから目立たねえよ。お宅の髪と目の色、王子様の特徴とよく似てるから、面倒なことにならない内に逃げときな。王子様目当ての他の貴族に八つ当たりされたって、うざってぇだけじゃないか」

「は? え? えーっと・・・」

「あと、あんまりおどおどしてない方がいいぞ? びしっと偉そうなぐらいが似合うって。せっかく背もあんだしさ。ホント、羨ましいわ。じゃあな」


 アレンルードは王子に対し、王子と同じ顔の特徴だなと言ってのけたわけである。

 少女めいた少年が奥の階段に進み、割り当てられた部屋へと向かっていくのを見送ったエインレイドと寮監達は顔を見合わせた。


「いくら何でもエリーの顔を知らないって無理がないか? 何なんだ、あの態度は」

「だけど、初めて見た顔だと思うよ。あんな女の子みたいな男の子いたら、僕だって覚えてるもん。それに乱暴な感じだったけど、僕のこと、貴族だと思って親切で言ってくれたんだと思う。そっか。僕、もっと偉そうにしておいた方がいいのか。それに名前ってニックネームだけでいいんだね。知らなかった」


 ぞんざいなのに親切。しかも変わった褒め方。

 エインレイドはくすぐったい気持ちで笑ってしまう。


「考えてみれば、家に帰る暇もなかった彼に、息子にあれこれ言ってられる余裕がある筈もなかったですね」

「ですが、あんなやり取りだけで判断するのは拙速(せっそく)に過ぎます」


 そんなアレンルードは本気で王子の顔を知らなかったらしい。

 新寮生達の自己紹介で最後にエインレイドが名乗った時の反応は、それを如実に物語っていた。


「サルトス・ミヌエ・ラルドーラ・エインレイド。みんなにはエリーと呼ばれています。仲良くしてください」

 

 面白そうだからと、マレイニアルがアレンルードの耳元で

「寮に入るのをやめて部屋を借りるっていう情報が流れてね、みんなが退寮しまくったのさ。それでエリー王子も安心して入寮できたんだけど」

と、囁いてみたら強張(こわば)った表情を浮かべた。


「は、はは・・・。先生、僕、やっぱり退寮したいなって思います」


 いくら何でも王子が入寮しているから寮を出るなんて冗談だろうと思っていたら、本気だった。

 エインレイドのフォトも、父親は見せていなかったとでも言うのだろうか。さすがにそれ、無理がないかと思っていた寮監の面々だが、アレンルードの逃げっぷりは凄まじかった。

 そこまで王子が嫌いか? と、こっちがエインレイドに同情する程だった。


『叔父上、助けてっ。父上に連絡してよっ。僕、寮出るっ。王子様、部屋借りてガードもサーヴァントもつくって聞いてたのに、なんで寮にいるんだよっ。僕、フェイクのフェイクとやらで、皆を出し抜いた形になってるんですけどっ。僕、家に戻ってもいいよねっ?』


 公衆通話装置を使ってウェスギニー子爵邸に連絡をとったアレンルードだったが、次の朝にはウェスギニー子爵家のレミジェスが退寮手続きに来たのだ。

 さすがにムカッときたマレイニアルが、

「保護者である父親でないと受け付けられない」

と、撥ねつけたものの、

「大丈夫です。こちらをご覧ください。私は兄によって、ウェスギニー子爵としての全ての権限を代行する権利を有しております。それは子供達の教育についても同様です」

と、父親の全権委任状を見せてきた。一枚は子爵としての、一枚は子供達の学校内における保護者としてのそれだ。

 何なのだ、あの兄弟は。兄の陰で結婚もできず、雑用に使われているだけの弟ではなかったのか。

 その様子を見かねたレオカディオが出ていき、

「今、王子の警備でごたごたしているから、しばらく待ってほしい」

と、頼んで延期してもらったが、一体どんな家なのかと言いたい。

 寮監達は弟にそんなものを渡している愚かな当主が存在するなど信じられなかった。

 ウェスギニー子爵家のレミジェスは、

「うちのような零細貴族が殿下の周りをうろちょろするわけにはまいりません」

という立場を崩さず、王子を忌避しているのではなく王子の為を思えばこそだと訴えてくるから却下しにくい。

 しかも寮監が動かないと見るや否や学校側をせっつきだす程に、レミジェスはアレンルードの味方だった。

 寮監達だってウェスギニーといえば黒い噂の多い男だ。軍での評判も悪すぎる。

 それで引き取ってくれるならそれでいいではないかという気持ちもあった。どうせ家は学校と近いのだし、本人だって本望だろう。


「だがなぁ、なんか手放したら負けって気がしちまうんだよ」

「そうなんですよね。勿体ないというのか、手放すには惜しいと思わせるというのか」

「それがあのウェスギニー大佐の手かもしれませんよ」

「ええ。よくある手です」

「だけどアレンルードを手放して、考え過ぎだとウェスギニー大佐にせせら笑われるのも悔しいですよね」


 そんなことを言い合っていたが、本当にアレンルードは目立つ寮生だった。

 少女にしか思えない、ほわほわっとした顔立ちということもあるだろう。何かと、

「あ、可愛い女の子がいる」

「女の子じゃねえよ。ちっとばかし背があると思いやがって。クソが」

などと喧嘩を売りながら、上級生達にも敬語を使わない。

 それでも上級生と知ったら敬語を使いだすので、本人としては使い分けているだけなのだろう。

 王子そっちのけで寮監達もアレンルードに注目してしまう。


「見た目が女の子だからなぁ」

「普通はそれを利用して取り入りそうなものですが、可愛いと言われるのが嫌なのかもしれませんね」

「そんな繊細さがあるのかどうかも怪しくないか?」


 肝心のエインレイドは、自分が王子だからと近づいてくる生徒は多くても、王子だからと逃げ出されようとしている経験は初めてで戸惑っていた。


「僕、嫌われてはいないみたいだけど、なんかいきなり丁寧に挨拶されても複雑な気分になるもんなんだね。だけど僕が見ていても、アレンって他の人には乱暴な口調なんだね」

「エリー王子。二人として同じタイプは存在しないと思いますから覚えておく必要はないですよ」

「うん。だけどアレンっていつも注目の的だよね。僕を遠巻きにされるより気楽かな」


 男子寮に舞い降りたマスコットガールの如く、全ての男子寮生がアレンルードを構いたくて仕方がない。

 王子には不敬問題も発生するが、貴族なのにアレンルードはそんな気配を出さなかった。

 更には、

「可愛いね、スカート穿いてくれない?」

「言っとくが高いぜ? 一ヶ月分の昼食代よこせ」

「やるのかよっ」

「ワタシぃ、安売りはしないんですぅ。ケッ、変態野郎が一昨日きやがれっ」

などとガラも悪い。


「普通、あそこまで喧嘩を売ったらどこぞに連れていかれてボコボコにされそうなもんだが」

「学校生活一日目から、同じ寮に入っているならと取り囲んだ数十人の生徒を突破しましたからね」

「え。何それ。アレンってそんなことしてたの? 気づかなかった」

「所詮、生徒が生徒を連れこむ場所なんて決まってるんですよ、エリー王子」


 これはと思って新寮生歓迎のクロスリーボール懇親会をさせてみたところ、デモンストレーション能力が高い生徒だった。

 あまり運動が得意じゃない生徒でも楽しめるように、わざとダイナミックな動きでみんなの目を喜ばせ、その時間があるから、走るのが遅い生徒達も追いつける。

 

「さあ、そこでってところで、わざと曲芸技を披露して、同点に持っていくとは」

「敵も味方も把握して動いてますね」

「あれは、たしかに惜しい」

「うまく同点になるように調節してみせるか」


 警備棟からも、

「あれがウェスギニー大佐の息子だってよ」

と、その顔を皆がぞろぞろ見に来ていたが、まずその女の子みたいな顔立ちに驚き、次に体の柔らかさと運動神経に驚くといったところだ。

 運動が苦手な生徒でも楽しく参加できるようパスの緩急をコントロールしつつ、時には敵にまで失敗を装ってアレンルードはパスを回していた。

 そこで、

「アレンッ、わざと敵に回したなっ」

「だっておかず分けてもらったしぃーっ」

「くそっ、じゃあ、僕だって分けてあげるから協力しろよっ」

生憎(あいにく)、当店は前払い制でございますぅーっ」

などと責められても気にせず笑って済ませる。

 だから憎めないのだろう。


「ははっ、楽しい子じゃないか」

「なんてスタミナだ。他の子の何倍走ってるよ」

「おっ、かなり柔らかいなっ」


 警備棟の士官や兵士達も、途中からはゲラゲラ笑いながら見ていた。

 あれは一朝一夕に身につくものではない。かなりクロスリーボールをやりこんだのだろう。

 それでも所詮は子供だった。


「うわあーっ、アレンッ」

「わあっ、しっかりっ」

「も、だめ」


 出番が終わってコートの外に出たと思った途端、ばたっと地面に突っ伏して寝てしまう。

 

「さすがにあれだけ走りこんでちゃなぁ。だけどアレン、小さいのにすごくねぇ?」

「俺が運ぶよ」

「じゃあ、俺が足持つ」


 上級生達が笑いながらアレンルードの体を二人で抱えて連れていったが、あそこまで笑顔で楽しんでいた様子を見てしまえば、子供でもあのウェスギニー大佐の息子なのだからと、警戒していた自分達が愚かしく思えてくるものだ。

 警備棟の面々及び寮監達は、苦笑して肩をすくめた。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 そしてとある放課後、ウェスギニー家のアレナフィルがやって来た時、寮監室にいたのはガルディアスだけだった。

 やっぱり同じ顔だよなと、アレンルードの変装を疑いたくなるそっくりさんだ。

 違いと言えば、こちらはアレンルードよりも礼儀正しいことか。


「こんにちは、寮監先生。いつも兄がお世話になっています。今まで自宅で甘やかされてきたものですから、一人では起きられずに先生にご迷惑をおかけしているようなら叱って来いと、父から言われまして参りました。

 ですが呼び出してもらったところ、部屋にいないようですので、洗濯物とかチェックして必要なら持ち帰ろうと思います。すみませんが部屋を開けていただけますか?」


 父親に命じられても何も、ウェスギニー大佐・フェリルドは泊まり込みもしくは深夜の帰宅といった日々の筈である。そこは双子の妹が男子寮を訪問する理由付けみたいなものだから、如才ないと評価できるだろう。

 誰もが納得し、そして誰もが恥をかかないように立ち回ることができている。


「双子でもこっちはしっかりしてるもんだ。ちょっと待て。鍵、鍵っと」

「ありがとうございます」

「いやいや、女子寮には入らないのか? 二人とも通学にしておけばよかっただろうに大変だな」


 折角だから反応を見てみるかと思い、ガルディアスは部屋まで案内することにした。


「父は軍にいるのですが、初めて野営とか行軍とかすると、それだけで心が折れる人が出てくるそうなんです。こういった集団生活を体験しておいた方が、働き始めてから皆に迷惑をかけないだろうと」

「ああ。なるほどな。うん、それはある。たしかにまだ戦ってもいないのに、雑魚寝(ざこね)だけでダメージ受ける奴がいるんだ」


 どうやら双子の妹は、兄が男子寮を逃走しようとしていることを知らないらしい。


(場の空気を読んで誰もが納得する理由を作り上げるか。大体アレン、男子寮に入ったのはそんな立派な理由じゃなくて、面倒なことは嫌だからって理由だったぞ。今にして思えばエリーを巡るいざこざに巻き込まれたくなかっただけだろ)


 嘘をつかず正直で喧嘩を売りまくる兄に比べ、嘘つきだが皆を尊重して場を取り持つ妹。

 同じ顔でありながら性格は正反対だ。


「先生は、そういったことも詳しいのですか? 寮監はそういった心構えも教えるのですか?」

「いやいや、そうじゃねえ。ここの寮監は、期間を決めて軍から派遣されてくるのさ。どうしても血気盛んなお年頃のお子様を預かるわけだからな。現役じゃないと、爺さんじゃきついだろ」

「よく分かりませんが、大変ですね」

「あー、そうだな。お前さんの年で理解しちまう方が怖いか」


 どうしても男子寮を脱走して夜の街に抜け出す生徒は出てくる。喧嘩をする時も男子達だと皆を巻き込んで乱闘になりやすい。寮生間での暴力を伴うトラブル対応も含めて、寮監は兵士が回されてくるのだ。

 

「ウェスギニー、来客だ」


 ノックして声をかけても返事がなかったので合鍵で扉を開ければ、アレナフィルは室内の惨状に絶句した。


「ま、どこの部屋もこんなもんだぞ」

「散らかってるのはともかく、どうしてシーツが泥まみれ。・・・泥棒?」


 あまりアレンルードを責めてやるな、悪いのは泥汚れも落とさずにベッドへ寝かせた上級生達だ。

 そう言ってやりたかったが、双子の妹もまた気を取り直したら決断が早い。


「持って帰るにも、ちょっとこれはひどすぎます。・・・先生、たしかここ、自分で洗える場所があるんですよね? 私の持ってきた鞄に入らない気がします」

「ああ。えーっと、じゃあ、そっちも案内しよう。合鍵はそのまま持っておいて、終わったら返しに来るといい」

「ありがとうございます」


 アレナフィルは、持ち帰るには多すぎるから男子寮の洗濯室で洗っていくと言い出した。シーツばかりか、隠れていた汚れ物を見つけ出して籠にまとめた手際は、子爵家令嬢のものとは思えなかった。

 ウェスギニー子爵家の当主はメイドを養女にしたのだろうか。

 しかし双子の髪と瞳の色はフェリルドそっくりだ。


「あいつ、クロスリーボール、かなり上手なんだな。後方回転しながら蹴ってみせたり、片手で逆立ちしながらパスしてみせたぞ。うまく皆の様子を見て、全員にボールが渡るようにしていたのは見事だった。どこでああいう動きを学んだんだ?」


 丸めてある洗濯物を探し出している少女に話しかければ、パンパンと泥汚れを払って洗濯籠へと入れながら返事してくる。


「ああ、それは父と叔父がやっていたからでしょう。真似したくて覚えたんだと思います」

「父親と叔父?」

「はい。子供の頃、父や叔父によく裏庭で遊んでもらっていたんです。私達は小さくて大人の足にはついていけないので、そうやって大胆なポーズで私達にパスを回して楽しませてくれていました。それを思い出してやってみたのではないかと思います」

「・・・そうか」


 懐かしそうに回想する様子に、ガルディアスは父親が二人いるのだろうかとそんな埒もないことを考えた。

 悪夢という別名を持つウェスギニー・ガイアロス・フェリルド。

 そんな男が、あのような思いやりに満ちたプレイを息子に教えたのか。


「全くもうっ。ちゃんと換気しないからっ。着たものは全部洗わないとダメって、今度帰ってきたら言い聞かせなきゃ」

「そうだな。最初の週末は家が恋しくなるのか、帰宅願いを出す生徒が多い。しっかり教えこんでやれ。お前さんなら洗濯室を使っていても、兄貴と思われるだけだろ」

「そうします」


 ガルディアスは、アレナフィルのころころ変わる表情から目が離せなかった。

 思えばあの生意気なアレンルードが上級生達に可愛がられているのも、この丸っこい目と次から次へと変わる表情や予想を覆す言動が原因である。


「せっかくだ。寮内を案内しておこう。迷子にならんように」


 そのつもりなど全くなかったのに籠を持ってやり、ガルディアスはそんなことまで口にしていた。

 これがフェリルドの仕掛けた罠だとしたら、もう完敗だ。この見上げてくる表情が曲者すぎる。


(なんでこう誰も彼もが個性的なんだ、ウェスギニー家)


 ガルディアスはアレナフィルの反応から情報を集めようとした。


「で、この4階に王子の部屋があるわけだ。ちなみにアレンルードは1年生だから2階、2年生になったら3階、3年生になったら4階に移れる」


 ここにやってきた時点で、妹は兄が退寮したがっているのを知らないのかと感じたが、そういうフリかもしれない。だから3年までいたら同じ階に移れるのだと、ほのめかしたつもりだった。

 たとえ子供が怖じ気づいたとしても、家族が王子と近づくことを熱望するものだ。あまりにもレミジェスとアレンルードの反応は非常識だった。

 ちょうど階段のところで、上階にエインレイドの足がちらっと見えたこともある。面白そうだから自分達の会話を聞かせてあげてもいいかと、ガルディアスは思った。


「つまり、このフロア毎に表示されている数字を見て、絶対に2階よりも上には行くなということですね」

「おいおい。迷子になったフリして上に行ったなら、運が良ければ王子様に会えるぞって教えてやったんだが」

「ああ、そういう・・・。王子様も在学して入寮していらしたんですね。大丈夫ですよ、先生。そうやって反応を見なくても。どうせ私、数年後とか、何かの祭典で手をお振りになるのを遠くから眺めさせていただくからそれでいいんです」

「興味なしか、何ともまあ」


 どうしてこんな子供に変な慰められ方をしなくてはならないのか。

 くくっと笑い出しながらも、ここまで王族をどうでもいい感じで扱われてしまうと気負っているこちらが間抜けに思えてくる。

 ガルディアスは、そこで立ち止まって自分を見上げてきたアレナフィルをじっと見つめた。


(なんで非難するような顔になってるんだ?)


 とても偉そうだ。ふんむっと無い胸を張っている。小娘は何か説教したい空気を放出していた。


「それでもまかり間違って何か私が行動を起こした時、責任を問われるのは、先生、あなたです。だからそういうことは言わない方がいいと思います。こういう時はシンプルに、

『学年別で色々と権限も違ってくるから上階には行くな』

だけでいいんです。どんな高貴なお方であろうとも、学生の時ぐらい気楽な日々を過ごす権利があります。お気の毒ではないですか」


 どうやら王子の情報をペラペラ喋るとは何事かと、怒られているらしい。

 かなり気が抜けた。

 どうしてそこで気楽な生活を送る権利とか言われなくてはならないのだろう。王族にそんなものがあってたまるか。


「どうせ寮生からみんな王子の部屋位置ぐらい聞き出してるさ」

「言われてみればそれもそうですね。じゃあ、いっか」

「おい。それで終わりか。しかも敬語が一気に崩れたな」


 双子の兄と同じで、妹も言葉遣いを一気に切り替える性格が装備されているらしい。

 実は自分を見抜いた上で何も知らない少女を装っているのではないかとも考えていたのだ。

 ガルディアスとて自分の顔を知らない貴族など爵位を継がない末端だと思っている。そして貴族令嬢なら自分の顔を知っていて当然とも思っていた。だからレミジェスが男子寮を訪れた時に出て行かなかったのである。


「学生の情報を売る寮監に払う敬意の持ち合わせが品切れしました。

 これでも我が家は父の職業的に、王族の方々には敬意と忠誠を捧げて生きているのです。部外者に王子様の部屋がある場所を教えるだなんて、とんでもないことですよ。

 もうここに投書箱があったら密告するところです。

 だけど先生は鍵を開けてくれたし、案内もしてくれたので、そこは目をつぶります。何より先生の情報が本当のこととは限りません。わざと嘘情報を流した可能性の方が高いと私は見抜きました」


 ここにバカがいる。前半はいい。だがな、お前は何かしてもらえれば便宜(べんぎ)(はか)るのか。賄賂なんてもらったらすぐに飛びつくのか。それを口にしてどうする。


(この珍獣、部屋に持ち帰って遊べないもんかな。・・・無理か。せめてもう少し小さければ)


 ガルディアスは、この面白過ぎる生き物をどうすれば自室でかまって遊べるだろうかとしばし悩んだ。

 兄も兄だが妹も妹だ。未だかつて自分にこんな態度をとった貴族令嬢はいない。


「いや、そこは自分だけ特別扱いされて感激するところじゃないのか?」

「え? ・・・そういうものなんですか? 感激というか、感謝はしています。洗濯籠(せんたくかご)持ってくれていますから」


 そこで籠をちょいちょい指差してくる。いやお前、本当は感謝なんてしてないだろ?

 いつも自分でやっていることだからどうでもいいんですけどという気配がぷんぷんしている。

 そんなみっともないことも言えず、ガルディアスは気を取り直した。


「そうじゃなくてな。手が届くところにいる王子様だ。もっと気になるもんじゃないのか?」

「そんな無茶な・・・。

 王子様に気になるところですか? うーん、全くお会いしたことないお方ですから気にしようがないです。だけど大変ですよね、こうして王子様なばかりにみんなから注目されてしまうと。

 露出狂(ろしゅつきょう)みたいな人ならそれも快感だと思いますけど」

「なんでここで露出狂との比較だよ」


 ガルディアスはこいつら兄妹やはりちょっとおかしいと確信した。


「どの王族の方か知りませんけど、とても真面目で禁欲的な方だと聞いた覚えがあるんですよ。

 それならストレスたまるだけじゃないんですか? 人に囲まれてちやほやされるのもうざいと思い続けて毎日を生きていそうです。知りませんけど」

「・・・そーか。で、その真面目で禁欲的な王族を語ってたのって誰だ?」

「祖父です」

「世代が違い過ぎるわっ」


 あのフェリルドが誰のことをそう評していたのかと思ったら、いきなり祖父ときた。

 先代の子爵を出してくると誰が思うだろう。


「なんで先生が怒るんですか。祖父の世代でそういう王族の方がいらしたなら、その子供世代も孫世代も同じように真面目で禁欲的な方ですよ、きっと」

「なんつー決めつけだよ。お前の父親はそういう話をしないのか」

「うちの父は、家庭に仕事を持ちこまないのです。それにうちの父は軍で働いていますから基地の所属です。王族の方なんてお会いしませんよ?」

「お前んち、貴族だろうが」

「うちは祖父がまだ健在でして」


 おかしい。双子の兄は父親が王宮で勤務していることを知っていた筈だ。どうして妹は知らないのか。

 しかも祖父が健在なら子や孫が貴族としての社交をしなくていいわけではないのに、何を言っているのか。


(本当にフリなのか? こんな面倒な設定を作ってまで? いくら何でもおかしすぎるだろ)


 様々な疑問を渦巻かせながら洗濯室まで連れていってやれば、さっと見回して問題なく使用できる様子だ。

 そのまま別れるのも何となく寂しい気がして、つい知っているのにその名を尋ねた。


「ああ。そういえばウェスギニー、・・・なんていう名だ?」

「ウェスギニー・インドウェイ・アレンルードです。208号室です」

「いや、お前だよ。なんでここで寮生の部屋番号と名前だよ」


 そのほっぺた、びよーんと伸ばしたい誘惑を我慢した自分は偉い。


「ウェスギニー・インドウェイ・アレナフィルです」

「そうか。じゃあ、何かあったらこの笛を思いっきり吹け。ここからなら寮監室まで聞こえる」

「あ、はい」


 ぽんぽんと頭を撫でると、えへっと可愛らしく笑う。非常時用の音が出る笛なのだが、貸し出すのに躊躇(ためら)いはなかった。上級生はもう体も大きい。何かあってからでは遅すぎる。

 

(なんつー調子の狂う双子だ。しかも妹、あまりにも面白過ぎるだろ。真面目にずれた返答しかしやがらねえ。タヌキの妖精か? あのウェスギニー、悪魔に魂売ってあの双子を手に入れたのか?)


 階段の所まで戻ればエインレイドが怪訝(けげん)そうな顔で立っていた。


「アレン、またおかしくなったの?」


 少女にしか見えない少年は、ガラの悪さといい、その演技力といい、何かと話題を振りまいている。

 何か騒いでいたらその中心にいるのはアレンルードだ。本人は全く悪気がないらしい。次から次へと違う寮生と一緒にいて、更には予測不可能なアレンルードの言動に対し、エインレイドはもう理解を放棄していた。


「いや、双子の妹だ。アレンの洗濯物を部屋で干したら帰るだろ。何なら帰る時に声をかけてみたらどうだ? 本気で同じツラだ。アレンが退寮したがってるのを知らなかったらしい。あの家、相互連絡できてないんじゃないのか」

「うん。・・・あははっ、言い負かされたの、初めてじゃない? ちょっと面白かったよ」

「ぬかせ。言い負かされてなんかないっつーの」


 それはガルディアスなりに、アレンルードに避けられてそれなりに傷ついていたエインレイドを慰める為の提案だった。

 妹の方は王子を一人の人間として見ている気配があったからだ。

 どうせ貴族で王族に取り入ろうと考えない存在はいない。ならば、いいではないか。あれが取り入る為の演技だったとしても。


(まさかあんな子供に説教されるたぁな。全くざまぁねえや)


 そう思った。

 



― ◇ – ★ – ◇ ―




 何をしていたのか、アレンルードの部屋でアレナフィルはかなり閉じこもっていた。

 そういうことならばと、他の寮監達も協力体制だ。折角飛び込んできたフェリルドの子供達の片割れである。

 まだ礼儀正しい方の娘から取りこめるものなら取りこみたい。そういった気持ちもあった。


「散らかっていた物を片付けてます。掃除もしていますね。ですがもうほとんど片付いてます」


 アレンルードの部屋が見える建物から覗いてきたアドルフォンが報告する。

 そしてアレナフィルが208号室の部屋を出て、階段を降りていこうとしている時に、エインレイドが話しかけてみることになり、それを3階の踊り場で寮監達は聞き耳を立てていた。


「いいですか。さすがに二度も王子と同じ特徴の貴族だなんて言われては困ります。ここにエリー王子がいるのは周知の事実なんですから、子爵家の娘は王城の侍女みたいなものとして対応しなきゃいけませんよ? もう幼年学校生じゃないんですからね」 

「う、うん。頑張ってみる」


 王子として威厳のある物言いをと、皆から言われていたエインレイドは、アレナフィルを追い抜いた後で振り向き、たしかにアレンルードと同じ顔だなと思う。


「おい。君の名前は?」

「・・・すみません。自分は寮生じゃありませんが、きちんと面会届は出しています。寮監先生にも許可は取っています。不審人物ではありません」


 名前を尋ねてこんな拒絶を受けたのは初めてだったかもしれない。

 エインレイドにとって、アレンルードとは違う意味での衝撃だった。


「いや、そういうことを疑っているわけではない。・・・君の名前を聞いているんだが?」


 王城でも見かけない顔に気づいた時、姓名を明らかにするよう要請する。だから間違ってない筈だ。

 だけど何故だろう。

 そのアレンルードと同じ可愛い顔が、かなり警戒しているのが分かる。


(えっと、僕は悪い人じゃないって、どう言うんだろう。こういう時、怪しい者じゃありませんって言うんだっけ? だけど、なんかそれもおかしい気がする)


 見つめ合えば、はっとアレナフィルは何かに気づいたように身を震わせた。


「ま、まさか、これがナンパッ? 街中じゃなくて階段だけどっ」

「・・・は?」


 何を言われたのか、エインレイドは全く意味不明だった。

 ナンパとはどういう意味だろう? 階段で名前を尋ねてはいけなかったのだろうか。


(え? やっぱり挨拶って椅子のある部屋じゃないといけないわけっ?)


 たしかに階段で初対面の人に名前を尋ねるのはちょっと非常識かもしれない。だけど階段から先に、面談用の部屋はないのだ。

 何より女の子と分かっている生徒を男子生徒である自分が小部屋に連れこむことは失礼だとエインレイドは思うわけである。

 しかしアレナフィルは目の前で身を震わせている。


「なんて怖いっ。寮生だと思って立場を利用して近づこうと思ったら、部外者と知って名前を知ることから始めてるわけ!? 恋愛感情無しに見境なく毒牙にかけるという変質者に、こんな子供の頃からっ!? なんて恐ろしい国なのっ」

「ちっ、・・・違うっ」


 よく分からないが、自分が変質者として認識されたのは分かった。エインレイドの王子としての誇りにかけて、あまりにも不名誉すぎる。

 アレンルードと同じ顔なのに、全く違う表情を浮かべたアレナフィルは、いきなりエインレイドに冤罪をかけてきた。


(だま)されませんよっ。そうでなければ部外者の名前を聞くどんな理由があるとっ!? この顔が気に入ったということは、あなたっ、うちの兄にも手を出す気ですねっ」

「そっ、そんなわけないだろうっ」


 自分はアレンルードを少女扱いしたことはない。

 あまりにもひどすぎる誤解だった。


「いいでしょうっ、兄は私が守ってみせますっ。まずはあなたの名前を名乗りなさいっ。性的犯罪者の恐れ有りとして報告しますっ」

「だから違うんだぁっ」


 既に3階の踊り場では寮監達が、

「勘弁してくれ」

「何なんだ」

「どうしてそうなる」

と、(うずくま)っている。

 それでもエインレイドの苦難を見捨てられなかったガルディアスは諦めて階段を降り、介入することにした。


「何をやってるんだ、お前らは」

「あ、先生。ちょうどよかった。この人、いきなり私の名前を聞いてきたんです。私、寮生じゃないって言っているのにっ。面会手続きをしたから泥棒でもないのにっ。

 私の顔を気に入ったなら、兄に手を出す可能性がありますっ。うちの兄が襲われてからじゃ遅いんですっ。この人の名前を教えてくださいっ。兄に注意しておかないとっ」

「・・・いや、そういう場合、連れて帰りますって言うんじゃないのか? お前さんち、通学できるんだろ?」


 何を注意する気だ。王子が変質者だから逃げろと?

 もう待ったなしでアレンルードの逃走が始まりそうだなと、ガルディアスはこの双子は一体何なのかと思わずにいられなかった。


(嫌がらせか? これはあのウェスギニーを無視したことへの嫌がらせか? 自分を無視するとこういうジョーカーを投入してやるぞという警告なのか?)


 そんなガルディアスに対し、エインレイドよりもこっちが先だと狙いを定めたアレナフィルが説教をかましてくる。

 

「いいですか、先生? 世の中には男女問わず、狙われる時は狙われるんです。しかし犯罪者を見抜くのはとても難しい。だからこそ、それを(くぐ)り抜ける技能を身につけて人は強くなるのです。

 共同シャワー室で変な目で友人の体を物色している人がいたら、被害者が出る前に皆で情報共有し合う。その要注意人物には近づかない。

 被害者を出さない、それが大事なんです。徒党を組まれることを考えて、自分達でも集団で自衛しなくてはなりません。

 同時にまだ10代。未成年ならば、言い聞かせることで正しい道に戻れる可能性もあるのです。実は家族の愛に飢えていて、変な方向へ向かっているだけかもしれません。正しい愛情を教われば、更生は可能です」

「・・・それはそれでもっともだ。だが、そいつがお前の名前を聞いたのは、単に興味がわいたからだろう」


 エインレイドは可愛らしく着飾った令嬢にも慣れている。ただ、面白そうな子がいると思ったから話してみたかった。それだけなのだ。

 ガルディアスは自分のミスを悟った。そう、人選ミスだ。


「だから危険なんじゃないですかっ。世の中、どれだけの少年がそんな善人の皮をかぶった狼に襲われていると思ってるんですっ」

「いや、それなら少女の方が襲われると思うぞ。そしてお前こそ少女の皮をかぶったババアだろう」


 はああっと大きな溜め息をついてしゃがみこめば、ガルディアスだってどうすればいいのかも分からなくなる。

 実戦部隊あがりの大佐など黙っていろと思って動いていたらこれだ。

 今頃は高笑いされていそうで、とても悔しい。


「何してるんですか、先生。立ちくらみですか? 階段は危険ですから廊下の方で休んだ方がいいです。そんなでかい図体で落ちてこられたら、か弱い私が骨折します」


 心配そうな声だが、落ちてきても当たらないようにと、すすっと横へと移動している。

 なんて可愛くない小娘だ。今度、こいつがどこで売ってるか、聞いておこう。みっちりといい子になるよう調教してやる。


「そいつ、聞いてたんだよ」

「何を?」

「・・・さっきのお前との会話。階段の話し声は上下によく響く。そいつ、下に降りにくくてずっと上の階で聞いてたんだ」


 それで理解しろ。誰だって自分のことを話している人がいたら、ちょっとその人に興味を持つだろう。

 ガルディアスはそうやって二人の話をどうにか進められるように修正したつもりだった。


「ふむ。つまり彼は先生のボーイフレンドで、二人でいた私は恋敵と勘違いされたわけですか? そういうのは二人の世界でやってください。私は自分に関係なければ、他人の愛を普通に祝福できる人間です

「・・・は?」


 何を聞いたのか、ガルディアスの耳が拒絶反応を起こす。

 何かが違う。アレンルードの妹はもう人間じゃない、違う生物だ。

 エインレイドに至っては、ガルディアスとアレナフィルのやりとりにローズピンクの瞳を丸くして言葉も出ない様子だった。そして笑いをこらえている。


「ですが、未成年にいい年した社会人が手を出すのは感心しません。そして立場上、踏みとどまらなくてはならない一線があるのです。

 寮監の契約期間が終わった後なら恋愛は自由だとは思いますが、せめて成人するまで待つべきだと私見(しけん)()べさせていただきます」


 ぷちっと、ガルディアスの何かが切れた。

 本気でこのアレナフィルを持ち帰ってやろうかと思った。

 こんなクソ生意気で小憎たらしい動物、自室の檻の中に入れて飼う以外、何をしろというのだ。美味しそうなエサを見せながらぺしぺし躾けてやらねば気が済まない。


「違うわっ。そいつが王子だって言ってんだっ。お前は王子の顔も特徴も知らんのかっ」

「知りませんよっ。・・・・・・え?」


 その呆気にとられた表情は、本物だった。兄と違って王子の特徴も知らなかったらしい。くるくると変わる表情が停止していた。

 その場の空気が止まる。やがてアレナフィルが、そろーりと下方の段にいるエインレイド王子を振り返った。

 エインレイドとアレナフィルは、二人で目と目を合わせて、「そーなの?」「じつはそーなんだ」的な、こてん、こてっという首の動かし方で、何かを理解し合う。


「申し訳っ、ありませんでしたーっ」


 その三段飛ばしの階段の降り方、そしてダイナミックな謝罪に驚いたのは寮監達の方だった。

 エインレイドに至っては、もうさっきから衝撃が止まらない。

 王子よりも下の段に降りたことで礼を取ったつもりなのだろうが、王子の前でそこまでダイナミックな階段の降り方をした令嬢こそが初めてだったのである。言うまでもなく王城においてそんなはしたない階段の下り方をする侍女もいない。


「い、いや、・・・いいんだ」

「ほんっとーにっ、申し訳ありませんっ」


 そこまでぷるぷる震えて謝られてしまうと、かえって自分達が悪役だ。

 寮監達にも、本気で何も知らないアレナフィルを疑ってこんな状況を作ってしまった罪悪感が湧きおこる。

 その場でエインレイドだけがアレナフィルを落ち着かせようと奮闘し始めた。


「いや、僕も悪かったからっ。ごめんっ、あんな偉そうに声かけられたら誰だってびっくりするよねっ。ごめんっ、アレンみたいにしてみた方がいいのかって思ったんだよっ。ほんっとーにごめんっ」

「そんなことないですっ。兄が何かやっちゃったんですかっ? もしかしてっ、これっ、どこまで報告されるんですかっ。祖父や父にも迷惑をかけてしまうんですかっ。私がっ、私達が知らなかったばかりにーっ」

「そんなことないっ、ないからっ。お願いだからごめんっ。僕が悪かったんだっ。そんなことないからっ」


 ここまでくると、もうどうしようもない。

 偉そうに振るまおうとしたエインレイドも、メッキが剥がれまくりだ。


「そんなつまらんことで罪に問われるわけないだろうっ。こんなの一々報告してたら、アホかってこっちが叱られるわっ。ほら、早く帰らないと日が暮れるぞっ」


 ガルディアスが落ち着かせたからよかったものの、良くも悪くもウェスギニー子爵家の子供達は何も知らないことが判明した。

 何の救いにもならなかった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ