12 父から息子への情報がいい加減すぎる
子供って、とても不公平な立場に置かれてしまう存在だと思う。
まあ、聞いてくれ。
僕の名前は、ウェスギニー・インドウェイ・アレンルード。この度、国立サルートス上等学校に進学する予定だ。友達はアレンって呼ぶし、家族はルードって呼ぶ。
父はいるが、母はいない。双子の妹は同じ学校に進学予定だが、校舎は別になるだろう。
そんな僕は先日、父にひどい真実を教えられ、気分は荒れ狂う嵐の海って奴だったのに、それはちょっとした前置きだったらしい。
本題は次にやってきた。
(親は選べないってこういう意味だったんだね)
ねえ、なんで大人って子供の気持ち分かってくれないの? 僕には自暴自棄になって不良少年する自由もないわけ? 家出しても夕食前に回収されるってひどくない?
(一晩ぐらい家出する権利ぐらい子供にはあると思うんだ)
そこまでせっかちに生きてる大人の物差しで子供の心を踏みにじらないでよ。母親のことで荒れて家出したいなら成人してから好きにやれって、僕が家出したいのは今なんだよ。ついでに家出したいなら外国まで連れてってやるってそれ家出じゃないよ。
(こうやって子供だけが理不尽にさらされるんだ)
どうやら入学が近づくにつれ色々な問題が出てきているらしい。僕は王子と同じクラスになる可能性が高いそうだ。
僕まだ幼年学校生なのに。上等学校入学まだ先なのに。
普通はさ、卒業式とか入学式ってさ、お祝いしてもらってご馳走食べる日じゃないの? どうしてお祝いそっちのけで校舎内の構造を頭に入れなきゃいけないの? もうすぐ卒業なわくわく気分が行方不明だよ。
妹なんて平和そうに卒業したらお祝いに可愛いバッグを買ってもらう約束を今から祖父に取り付けているっていうのに、僕だけが苦労人じゃないか。
妹は父の本性を知らないから甘やかされてるにしても、人間ができた僕だけがこうして苦悩して生きなきゃいけないだなんて社会はあまりにも過酷だ。
それでも僕は父に対して問いかけた。
「それで、父上。僕はその、王子様の学友になった方がいいということですか?」
「勿論、友達になってうまくやれるならやってもいいが、やっかみも凄いだろう。父の立場を利用して近づいたと言われることは覚悟しておけ。
今、王子と同じクラスになった生徒には、自分の所の娘と王子とがゆっくり語り合える時間を作ることでこれだけの謝礼をと、そんな話ばかりだ。
言うまでもないが、お前がちょっとした小遣い欲しさにそれをやった場合、私は仕事をクビになるだろう。もしもお前が王子とその娘を二人きりにした場で王子の身に何か起これば、お前は処刑だな」
「え・・・」
容赦ない父は、目をつけた男子生徒に薬を飲ませて一夜の関係に持ちこむケースを一つ一つ挙げていった。実話だった。
それで人生が変わってしまった貴族令息や令嬢も毎年もしくは数年おきに出るとか。貴族社会、怖すぎる。
王子と二人きりの時間を確保しようとする貴族令嬢も後遺症のない薬を飲ませるとは限らないのが厄介なんだって。分量を間違えてとんでもない副作用を起こすこともあるらしい。
植物人間になった事例もあるなんて、どんな怖いお薬を使ったのさ。
その場合、二人きりの時間を画策した僕も加害者側になるそうだ。
「金に惑わされることがなかったとしても、何かトラブルの責任をお前に押しつけ、
『それをどうにかしてほしければ・・・』
と、やられることもある。ルード、注意して生活しなさい」
「どうやって注意しろと?」
「取り込まれるな。お前を使うのは無理だと思わせろ」
「そんな無茶な」
「為せば成る」
何それ。子供ってほんと理不尽に虐げられる存在なんだね。
基本的に貴族の子供達はサルートス幼年学校に通っている。市立に通っている僕やアレナフィルはその存在がばれていない可能性が高いが、今いきなり貴族関係者からの接触があったなら注意深く回避するようにと、父は言った。
「父上。フィルにも注意しといてください。危ないです」
「フィルはレミジェス並みのサイフと私並みの甘やかしがない奴に興味を持たない。近づいてくる奴がいたら、まずお前を捜す」
「そうだった」
僕の妹はちょっと変わっている。興味のない人間には徹底して興味がない。多分、頭が悪いんだと思う。それでもテストの成績は悪くないんだけど。
怖がりだし、何かあると僕の所まで一目散に駆けてきて、
「ルードルード大変大変」
と、言って抱きついたかと思うと全てを僕に押しつけて逃げる。
うちの妹、それでいて僕よりしっかりしてるつもりなんだ。笑わせるよね。
そんな頼りない妹と同じレベルに合わせるのも大変なんだよ。
「父上。どうやったら王子様と会わずに、そして無関係に過ごせますか?」
「殿下は上等学校入学を機に、王宮ではなく部屋を借りて通学してみたいと考えておられる。・・・ルード、係わりたくないのなら男子寮に入れ。お前が通学するのであれば、陰ながら王子を尾行して、何かあれば同級生が偶然出会った風に装って対処しろと、そういう流れにもなるだろう」
「男子寮に入ればそれをしなくてすみますか?」
「多分な。実は男子寮に入るという嘘の情報を流して皆が殺到したところで、王子の通学用の部屋を手配していたのだ。護衛と世話をする者の手配もしたし、男子寮に申し込んだ貴族の子供達は、すぐに逃げ出すことだろう」
僕は市立の幼年学校に通っているから実感がなかったけど、サルートス幼年学校に通っていた生徒は持ち上がりでサルートス上等学校に進学する。だからもう寮の手配とか制服の購入とかも始まっているそうだ。
僕の学校の友達、進学する先もまだ決めてない子もいるんだけど。上等学校ではなく職人養成学校に行く子もいて、放課後は進路相談に父兄も訪れて情報集めに大変なんだ。
「入ります。僕、男子寮に行きます」
本当は男子寮になんか僕は入りたくなかった。だって僕がいなかったら双子の妹がどれ程に落ちこむだろう。妹は僕を世界で一番愛してる。
(フィル、寂しがるだろうな。だけど通学とかで一緒にいたらフィルの存在がばれる。このいい加減な父上でさえ、フィルは王子と同じ学部に入れない方がいいと判断したんだ)
僕は可愛い。同じ顔の妹も可愛い。妬まれることは十分に予想できた。だって僕だって女の子に泣かれたことがある。私よりもスカートが似合うなんてずるいって。
(これが貴族令嬢だと私より可愛いなんてずるいってことになるのかな。フィルじゃ泣いておうちに帰っちゃうよ)
妹を泣かしていいのは僕だけだ。妹が大好きなのは僕だけなんだから。
それに僕だって馬鹿じゃない。
毎朝、王子様の安全の為に早起きして、王子様の通学を見守って、何かあった時は偶然通りがかった同級生って設定で手を貸せって、・・・面倒だよ。やってられない。
それぐらいなら男子寮に入るさ。当たり前だろ? そういうのはちゃんと護衛がいるんだから。
(あーあ。なんか来年が来るのが嫌かも。父上も、フィルには心配させないよう王子のことは言わなくていいとか言うし)
そう思っていても月日は流れる。やがて幼年学校を卒業する日はやってきた。
そして上等学校に入学する日も。
だが、問題はその先にあったんだ。僕は父を信じていたことを後悔した。思えばあの人、感性がおかしかった。そして圧倒的に説明が足りない人だったよ。
― ◇ – ★ – ◇ ―
国立サルートス上等学校。その敷地内にある男子寮はそれなりに大きい建物だ。
僕の叔父レミジェスからは、嫌になったら子爵邸から通えばいい、送迎ぐらい出してあげるよと、こっそり耳打ちされていた。だから気は楽だ。一緒に通学しなければアレナフィルの存在に気づかれることもないだろうしね。
父と違って叔父はとても頼りになる。
(まずは男子寮新生活っ。学校すぐそこだから朝も長く寝てられるよなっ)
男子寮の玄関前にある受付にいる五人が寮監らしい。入寮許可証を出して手続きしてもらうのだ。
寮監は軍から出向する兵士達というだけあって、誰もがたくましい感じだった。起床時間、消灯時間が決まっている寮生活は、規則で雁字搦めと聞く。
だけど父から聞いたその規則とやらは、別にそこまで厳しくなさそうだった。叔父にその疑問をぶつけたら、
「そりゃメイドに世話してもらって生活してきた子には辛いだろうけど、ルード達はお手伝いもしながら生活してきた子だからね。楽勝だろ」
と、言われた。
納得した。
思えば僕達、市立で平民に混じって暮らしてきたんだよ。しかも家なんてほとんど父親不在、夜も大人不在に慣れてるよ。お世話してもらうどころか、二人で相談しながら色々と決めてたよ。
ローグおじさんとマーサおばさんも最近では泊まらずに自宅へ帰るようになっていたから、僕達はほとんどのことを自分でできる。
「ウェスギニー・インドウェイ・アレンルードです。手続きをお願いします」
すると淡く紫がかったピンクの髪をした寮監が手続きをしてくれた。五人も並んでいると誰に頼めばいいのか分かりにくいよね。
「ああ。荷物はもう部屋にあるから自分で片付けてくれ。ウェスギニー君、君は208号室。自宅は近いのに、寮に入るのかい? 何か目的があって入寮を希望したとか?」
「はい。寮に入れば面倒なことはしないでいいかと思いまして。同じ敷地内に逃げ場所があるのは最高だと思います。では、これからお世話になります」
「う、うん? 逃げ場所?」
「はい。僕は他人に惑わされずに生きていきたいんです」
どうせ僕、大人になったら叔父と一緒に領主の仕事をする予定だもん。出世とか考えなくても、そこまで勢力を伸ばして養わなきゃいけない一族がいっぱいってわけじゃない。
王子様を取り巻くご令息ご令嬢のご寵愛戦争からは遠ざかっていたいんだよ。
「えっと、あ、うん、そうなのかい? これが寮の規則集だ。女の子を泊めたり、いちゃいちゃするのは駄目だけど、面会手続きをして部屋に案内するぐらいは許されている。その時はきちんと手続きするように」
「はい。・・・あ、もしかしたら双子の妹が来るかもしれません」
「そうか。別に手続きさえしてくれれば自由にしていいよ」
「ありがとうございます」
玄関を入ったところにある部屋ごとの名前札ボード。そこに自分の札を掛ければ、興味深そうな顔で見ている、どこか手持ち無沙汰といった感じの少年が斜め後ろにいた。
僕より背が高い。くっそ、別に羨ましいなんて思ってないけどね。だけど牛乳って本当に背が伸びるの?
「あ。もしかして掛ける? すぐどくよ」
自分の札を掛けたいのかなと思って声をかけたら、笑って否定してくる。
「ううん。どんな人が入ってくるのかなと思って見ていた。こんにちは」
「こんにちは」
同じように挨拶を返せばにっこりと微笑んできた。父に言わせると、にこやかに近づいてくる奴は敵だそうだ。
どうだろな、そこまで警戒する必要ないような気もする。なんて言うのかな、腹に一物あるって感じがしないんだ。せっかく背が高いのに引っ込み思案系に見える。
問題はその少年の髪と瞳の色だ。淡紫の花色の髪に、ローズピンクの瞳。
「新入生? 僕もそうなんだ。仲良くしてくれる?」
「ああ。僕はアレン。お宅は?」
いつものように名乗ればなんか面食らっていた。
「え? えっと、アレンって苗字? 名前?」
「普通にニックネームだけど? あ、もしかしてお宅、貴族だったりする? そういえば、お上品な家は名前を縮めないんだっけ。じゃあ、アレンルードだ。だけどアレンって呼んでくれよ。まあ、すぐにお宅、いなくなるだろうけど」
市立の幼年学校に通っていた僕は放課後に友達とグラウンドで遊んだり、他の幼年学校の子達と合同で遊んだりもしていた。
突発的に仲間になってチームを組む場合、ざっくばらんにニックネームを名乗り合う。フルネームなんて誰が覚えるんだよってね。知らない子からは女の子に間違われていた僕は、よく見かけによらない口の悪さだと言われていた。
子爵邸や父の前では礼儀正しくしているからいいのだ。
ここは王族や貴族が通う上等学校だが、優秀であれば平民でも入れる。というか、平民も多い。寮に入るのは平民ばかりだ。
だからそこまで礼儀正しくしなくてもいいかなと思っていた。やれやれ、失敗失敗。そういえば王子様目当ての貴族がどどどんだった。
「え? どうしてそう思うんだ?」
呆気にとられたらしい少年は、僕をまじまじと見つめ返してくる。
「だってお宅、フルネームを聞こうとしたってことは、いいおうち、つまり貴族のご令息って奴だろ? そんなら早く退寮手続きした方がいいぜ」
「どうして?」
「どうせ王子様が入寮するってんでお宅も入ったんだろ? だけどその王子様、入寮はやめたそうだ。じゃあ、もういる必要ないだろ。早めに手続きした方がいい。今ならごたごたしてるから目立たねえよ。お宅の髪と目の色、王子様の特徴とよく似てるから、面倒なことにならない内に逃げときな。王子様目当ての他の貴族に八つ当たりされたって、うざってぇだけじゃないか」
「は? え? えーっと・・・」
「あと、あんまりおどおどしてない方がいいぞ? びしっと偉そうなぐらいが似合うって。せっかく背もあんだしさ。ホント、羨ましいわ。じゃあな」
なんか玄関の外にいた寮監達に睨まれたような気がした。だけどさ、どうせ王子がいないことなんてすぐばれるんだ。そこまで睨まれるようなことじゃないよ。
そして僕は部屋に置かれていた荷物を見て溜め息をついた。
ああ、どうしてこんな時、寮は男子と女子があるんだろう。双子は同じ部屋で寮に入れるならよかったのに。
僕の妹。双子の片割れ、アレナフィル。彼女はお片付けが得意だ。
(兄妹なら同じ寮に入ってもいいとかいうのないのかなぁ。それぐらいなら部屋を借りろってことになるか。部屋借りるぐらいなら家に帰るよ。だけど家から通うとしたら、「陰ながら王子の護衛してくれ」が洩れなくついてくるしなぁ)
そんなことを思っていた僕は食事で降りていき、皆が揃ったところで衝撃的な事実を知った。
「サルトス・ミヌエ・ラルドーラ・エインレイド。みんなにはエリーと呼ばれています。仲良くしてください」
そんな自己紹介をしたのは、僕がただの貴族だと思った少年だった。サルートス国において、サルトスの名を名乗れる人間はとても限られる。
あ、道理で寮監達が睨んでると思った。
いや、言えよ。先に言ってくれよ。
(父上―っ、王子様は部屋を借りるんじゃなかったんですかーっ)
蒼白になった僕の肩に、ぽんっと手が置かれて、
「寮に入るのをやめて部屋を借りるっていう情報が流れてね、みんなが退寮しまくったのさ。それでエリー王子も安心して入寮できたんだけど」
と、柔らかな水色の髪をした寮監が耳元で囁いてきた。
「は、はは・・・。先生、僕、やっぱり退寮したいなって思います」
「あははは。王子がいるからと入寮希望出した人は多いけど、いなくなったと信じて入寮希望を出したのは君ぐらいかもね。てっきり、君はフェイクのフェイクを全て出し抜いて来たのかなと思ったんだけど」
「いやあ、あははは。・・・えっと、すみません。ここ、通話装置はどこにありますか?」
「あっちに有料のがあるけど?」
にこにこと寮監は笑っているが、僕は決めた。
逃げよう。まずは父に連絡を取って、逃げよう。
僕は即座にウェスギニー子爵邸に連絡を取った。自宅に連絡を取っても父はいないのだ。そしてアレナフィルに王子のことなんて言えない。心配かけるだけだ。
平和な妹は家でフィルフィル鳴いてりゃいいんだよ。
『どうしたんだい、ルード?』
「叔父上、助けてっ。父上に連絡してよっ。僕、寮出るっ。王子様、部屋借りてガードもサーヴァントもつくって聞いてたのに、なんで寮にいるんだよっ。僕、フェイクのフェイクとやらで、皆を出し抜いた形になってるんですけどっ。僕、家に戻ってもいいよねっ?」
父の前では叔父とも敬語で話すが、二人だけならこんなものだ。
アレナフィルが何かと父に泣きつくなら、僕は叔父に泣きつくわけで、我が家なりにバランスが取れている。
『は? うーん。すぐには無理だが、兄上に連絡を取って退寮できるように手配しよう。それまではそこにいなさい。手続きもそれなりに必要だった筈だ。大丈夫、目立たずおとなしくしていれば問題ないさ。入学式後は慣れるまで誰もがバタバタだ』
「そうなんだ? 良かった。じゃあ、荷解きもしなくていっか。もうマーサおばさんについてきてもらえばよかったって思ってたんだよ。叔父上、どうやって暮らしてたのさ」
『はは。そうだね、必要な物以外は出さないようにしておきなさい。ただ、兄上にはすぐ連絡を取れないかもね』
叔父は男子寮に入ると聞いても別にどうでもいいというスタンスだったので、出ると聞いてもなんとも思わないようだ。
当座のアドバイスだけしてきた。
「え? そうなんだ? 叔父上なら連絡取れるんじゃないの?」
『お前ですら何も聞いていなかったなら、わざと情報を制限していたかもしれない。それなら数日間は全ての連絡が遮断されているだろう。誰が殿下のどの情報を流していたか、そっちの追跡をしているかもしれないからね。その後はすぐに退寮手続きできるようにしておくよ』
さすがだ。叔父はいつだって状況を的確に見抜き、僕に教えてくれる。そして頼りになるんだ。
「へー、大変だね。うん、へーきへーき。それぐらい待つ待つ。叔父上、大好き。ありがとう。父上に連絡したって、あの人、ほったらかしにしそうなんだもん。叔父上の話は聞くくせに、僕のことは何も聞かずにポイなんだからさ」
『兄上はそういうところがあるからねぇ。気にかけてないわけではないんだが』
なんか有料公衆通話装置が見える位置に、寮監の一人が立っていたような気もするけど、僕は本気で面倒なことは嫌いだ。
ついでに父の立場を利用して王子に近づいたとか思われるのも鬱陶しい。
(痛くもない腹を探られたくないんだよ。本心を隠して近づいてくる奴らなんてうんざりだ。勝手な勘繰りも)
父は子爵で妻を亡くしている。僕に近づくことで父の後妻を狙う女の人やその身内ってケースは多かった。もう大人の思惑なんて知らないよ。
平民だけが通う市立の幼年学校に行っていた僕達を可哀想にと言う人は多かったけれど、僕は毎日が楽しかった。
だから僕は父の救出を待つことにしたのである。父のことだから叔父に任せるかもしれないが、その方がいい。
(だけど王子様の警護状況の責任者なら、本来は僕こそ優遇してもらえるもんじゃないの? なんで僕が放置されてるんだろう)
ある日の夕食後、新寮生歓迎ということで、生徒が誰もいなくなった夜のグラウンドでクロスリーボールをすることになった。
全学年の寮生が参加だ。
めっちゃ楽しかった。父にこういった団体スポーツを止められていたからなまっているかなと思ってたけど、久しぶりにやったら体は軽々と動いた。
「へえ、アレン、すげぇ上手いじゃないかっ」
「へへっ、そーお? もうっ、いくらでもほめてっ」
「すっげぇっ、アレンッ。お前の正体、ムササビとみたっ」
「誰がムササビだよっ。見よっ! いっきまーすっ、空中蹴りっ」
父に団体スポーツは止められたが、叔父や友達との遊びは別だ。叔父は僕にとって素晴らしいコーチだった。
そんな僕をやっかみもせず褒めてくれるなんて、ここはいい所だ。男子寮の寮生はいい人ばかりだ。
寮生の先輩後輩の誼で、クラブ見学も案内してくれるとか。
(あ。じゃあ、もう少しいてもいいかも。どうせ父上、仕事で何日も戻ってこないのいつものことだし)
王子様とはなるべく距離を置いておこう。その内、父も帰宅して動いてくれる筈だ。
だって男子寮に入ると知られたら入寮希望者が押し寄せ、部屋を借りるとなったら退寮希望者が続出したという王子様。
僕では到底お近づきになれる筈もない人気者だ。いや、とてもいい方だとは思うんだけど。
けっこう気さくだしね。
(だけど父上もなぁ。あの人、命に係わらなければ後回しでいいって人だもんなぁ。
てか、あの睨んでたのってアレだろ? 父上にも伝えずに現場の判断でさっと王子を入寮させたら、そこにはそれを見越したかのように僕が配置されてたって思いこんだって奴だろ?
もしくは父上も知っていたけど、僕の行動を見張られているかもしれないってんで何もできなかっただけかもしれないけどさ。道理で変な質問されたわけだよ。関係ないっつーの)
王子様とは最低限の挨拶にとどめておいて、礼儀正しく距離を置いておこう。
そう思った僕は、どうせ個室だし、荷物はぐちゃぐちゃのままでいいかと思っていた。どうせすぐに子爵邸だ。あそこは全て世話してくれる。
だが、なんということだろう。
実は入学式を終えた後、僕は連日、寮の先輩達に連れられて色々なクラブの見学に出かけていた。そうなれば一緒に練習してみようっていうことにもなる。
その間に、双子の妹が寮を訪ねてきていた。
『ルードへ。ちゃんとお片付けしましょうね。フィル』
妹からのメモが机に置かれていた。どうやら妹は僕に会いたくて耐えられなかったらしい。
部屋が片付いていた。汚れていた物も全て洗濯済みで干されている。
(フィルッ、なんていい手下なんだっ。さすが僕の片割れっ。・・・けど、どうせなら荷造りしてくれる方が有り難かった。いや、父上から連絡来ないからまだ出られないけど)
面倒なことには係わりたくないし、王子様とは距離を置いておきたい。その気持ちは変わらない。
だけどここまで来たらもうしばらくは寮生活でもいいんじゃないかなと思っている。寮監や王子様とはちょっとアレなんだけど、上級生達は親切だし、かなり面倒見がいい。
これでも子爵家の息子というので同じフロアの寮生からは、
「え? お坊ちゃま?」
「やっぱり貴族のお坊ちゃまって、見た目も可愛いんだ」
「えっと、挨拶してもいいのかな。身分を考えろとか言われる?」
とか言われて腫れ物に触るような態度だったけど、なんか幼年学校時代の言葉遣いで話していたら仲良くなった。
それに男子寮って通学時間を考えなくていいからとても楽だ。忘れ物があってもすぐに引き返せる。
王子様? 近づかなけりゃいいんだよ。それだけだろ。
アレナフィルが綺麗にしてくれた部屋に満足して、僕は夕食に行った。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
僕とアレナフィルは互いのことをよく分かっている双子だ。
服を取り換えっこしてなりすましたり、二人で男の子とか、二人で女の子とか、そんなこともしたりしていたから、離れていても心は一緒だ。
(ペン立てとかノートとかもまとめてくれたんだな。フィルってば分かってる。シャツや下着も一回分ごとに揃えてくれてるし)
夕食とシャワーを済ませ、アレナフィルが僕にとって使いやすいようにまとめてくれた部屋に満足しているとコンコンとノックの音が響いて、返事も待たずに青林檎みたいな黄緑の髪をした寮監が入ってきた。
正直、僕はこの寮監が苦手だ。父と同じような強さをびしばし感じる。
「ウェスギニー、ちょっといいか? 今日、記憶喪失になったお前がいたんだが」
「それ、うちの妹です。双子なんでそっくりなんです」
勧める前に僕のベッドに腰を下ろしたから、僕も椅子に座ったままだ。
だけど記憶喪失になった僕って、ひどくない? そりゃ見分けられる人間なんてこの寮にいないけどさ。
「そうだな。お前にしか見えなかった。だがな、お前達兄妹、ウェスギニー子爵の子供だろう? どうして揃いも揃ってエリー王子の顔を知らないんだ? お前も大概ひどかったが、お前の妹、王子の特徴すら知らなかったぞ? 幼年学校で何してた」
「え? もしかしてうちの妹、殿下とお会いしてしまったんですか? まずい、全く考えてなかったから教えてなかった。あ、僕達、サルートス幼年学校は行かず、近所の市立レミー幼年学校に通ってたんです」
「市立? どうしてまたそんな所に? 一滴でも貴族の血を引いていればサルートス幼年学校、入れただろう」
「市立が近かったからです」
「・・・そうか。もしかして養子とか、親子間のすれ違いとか、ワケありか?」
「いいえ、実子です。ワケありでも何でもないです」
父とは何かと感性がすれ違っているような気はするが、別にワケありなんかじゃなく、うちは家族の仲もいい方だと思う。問題なんて全くない。あるとしたら父の性格と行動だ。
「だよな。ウェスギニー子爵家から、もう矢のような退寮手続きの催促だ。お前な、そこまで王子を嫌がるか? 何なんだよ、一体。どこまで避けてやがる」
「あ、叔父上。やっぱり動いてくれてたんですね」
「ああ。ちゃんと却下しておいた。安心しろ、お前は卒業するまで寮生活だ」
「ええっ!? ひどいっ」
「何がだよ。お前、どう見ても寮生活、性に合ってるだろうが。楽しそうに過ごしてるじゃねえか。なんでそこまで王子を嫌がるんだ。父親の仕事を考えたなら同じ場所にいた方がいいだろうがよ」
はああっと、僕は溜め息をついた。
この人達ってば一体何なんだよ。僕はただの一般生徒だっつーの。
「あのですねえ、先生。先生方も軍から回されているなら分かるでしょうけど、この学校内、きちんと警備も入ってて安全なんですよ? 別に殿下の安全は確保されてるじゃないですか。
大体、父の仕事、父の仕事、言われたところで、僕は子爵の子供にすぎないんです。僕よりも上の身分の貴族の子から言われたら断れないんです。
殿下に近づける都合のいい奴がいると、そんな風に思われて利用されるのもまっぴらごめんですし、厄介なことに殿下を巻きこむわけにはいかないんですよ。父の仕事を考えればこそ、僕なりに考えてるつもりなんですけど?」
こちとら上辺だけで考えちゃいないんだよと、そういう気持ちもあった。
父からも叩きこまれた。目の前の勝利だけを見て全体を見通せない人間は最後に負ける。
あの訓練村の様子を思い出し、僕は何も考えていない男子生徒で居続けた。本気でこの日々を楽しんでいたし、演技ではないからこそ相手の懐に入りこめる。
だからこの男子寮生活を気に入っているのも本当だ。
さりげなく僕を観察している寮監達。男子寮の監視者に疑いを持たれている以上、この場で長居することはいずれ何かを仕掛けられる可能性があった。
――― あんたらこそが、僕への敵意を持ってる張本人だろうが。その感情に振り回されて、いいように利用されるのはあんたらさ。何を白々しいことを言ってやがる。
そんな感情がもしかしたら表情に出ていたかもしれない。
どこか居心地悪そうな顔になり、寮監はガシガシと頭を掻いた。
「あの素直な性格見ただろうが。いいお友達になろうとか思わないのかよ。お前の運動神経で守ってやろうとか、そういう騎士道精神はないのかよ」
「何を情に訴え始めてるんですか。軍人ならそういう貴族の虚栄心では何も守れないことぐらい分かってると思いますけど」
何か状況が変化したのだろうか。疑っていた筈の僕にさえ声を掛けなくてはいけなくなる事態が発生したとか?
だけど僕、学校で一人ぼっちしてるだけでストレス増大中。
「できることはやってみたらどうだと、そう言ってるつもりだがな」
「生憎と、飛んでくる茶のポットは蹴り返すこともできますが、変な罠を仕掛けられてもすり抜ける自信はありません。自分を過信するなと、父にも言われています。
僕にできることは、殿下の護衛の邪魔をしない、それだけです。訓練された軍人が動く時、一般人ができる一番の協力法はその指示に従って愚かな独断をしないこと、それだけです」
今度は寮監の方が深い溜め息をついた。
なんかいきなり僕に対して好意的になっているような気がする。いや、今日の夕方、寮に戻ってきたあたりから、どこか寮監達に漂っていた警戒心が薄れたとは感じていた。
「なんで、・・・あの息子がコレなんだよ。娘もアレだが」
「もしかして父をご存じですか?」
サルートス軍と言っても所属する基地や指揮系統もあり、所属が違えば顔さえ見たことないのが普通だ。
同じ基地でも階級章を見ないとどちらが上の立場か分からないぐらいに広く、人も多い。
「まあな。お前の父親も軍にいるだろ。数日後には会う予定もある」
「そうでしたか。で、先生とどちらが地位は上ですか?」
「今はウェスギニー子爵だな」
よっしゃっ、いけるっ。
「じゃあ、上官権限で僕の退寮を手続きしてくれるよう父に伝えておいてください。あなたの息子は嘘情報に惑わされて寮に入りましたがおうちに帰りますと、重ねてお願いします」
ごつんと拳が僕の頭に落ちた。あまり痛くはなかったけど。
「アホか。・・・ここは王宮じゃない、学校だ。そう気を回さずとも、お前の生徒としての生活を侵害させたりはせん。何かあればすぐ報告しろ。ちゃんと守ってやる。そして寮生活を満喫しておけ。王子と友達になりたくなければそれはそれで構わん。・・・それに、そうだ。お前はそうだとしても、お前にしか見えん妹は王子と近づきたいかもしれんだろう?」
「それはありません」
前半はともかく、後半は取ってつけたような言葉だったので僕も正直に答える。
王子の恋人や妃なんてあのアレナフィルが目指す筈もなかった。妹は貴族が何かすら分かっていないお馬鹿さんだ。
「断言したな。何故だ?」
「うちの妹、昔から怖がりで警戒心が強いんです。王子様なんて恐れ多すぎて、一目散に逃げ出します」
「別にいじめたりなんかしないぞ? それにしっかりした妹じゃないか。お前の部屋も片付けてくれてる。見違えたもんだな」
おかしいな。うちの妹の偽物が出たのか?
「元々、うちの妹は家の中で引きこもって、学校以外では誰とも会わない生活していましたので、家事は得意なんです。だけどしっかりしているどころか、うちの妹はとても甘えん坊で頼りないというか、のんびりしたタイプですよ?」
家族にはいつでも全力で抱きつき、すぐに甘えてはおねだりするくせに、アレナフィルは知らない人を見るだけで逃げてしまう。逃げ足は速いけど、逃げ込む先はみんながお見通しというお馬鹿さんだ。
「ふぅん。だけどお前が入寮する前、寮監全員へ挨拶しに来てたじゃないか。かなり、・・・そう、かなりしっかりした新入生だなと思ったもんだが」
「え? そうなんですか? ああ、じゃあマー、・・・うちの親戚が連れてきたのでしょう。親戚の者がうちの家政婦をしているので、妹はいつも一緒なんです」
「・・・そうか」
寮監はすっと立ち上がった。僕もさっと立ち上がる。
そんな僕の頭にぽんっと片手が乗せられた。
「ウェスギニー、退寮はやめておけ。お前がいなくなったら、その空室に入らせろと厄介な要求が出てくるんだ。新寮生で自宅から通える生徒はお前だけだ。もう目はつけられている」
「げっ」
「今みたいに毎日クラブ見学してたら、お貴族様もお前を捕まえる暇もないさ。そうだろう? お前は好きにしろ。何か要求されたらこちらで対処してやる。お前の家ごと守ろう。生徒にそこまで決意させるほど、俺達は落ちぶれちゃいねえんだよ」
これはもしかして詫びているのだろうか。僕を疑ったことを。
そう感じ、心清らかで寛容な僕は水に流すことにした。だって男子寮、便利だし。
「そーですね。仕方ありません。じゃあ、おとなしく寮にいることにします」
「ああ」
にやりと笑って出ていったが、どうしてアレナフィルのことを聞いていったのだろう。
変なこと考えてなけりゃいいけど。
(フィルだからなぁ。誰かにいいように動かされる前に逃げて来ちゃうよね。何かあったらすぐに、「ルードルード、大変っ大変っ」だし)
僕達も成長すれば男女差が出てくるのだろうが今はそっくりだ。
僕は女装もできる男の子で、妹は男装もできる女の子。
(あ。もしかしたら僕とフィル、寮でも入れ替わりとかできるかも? 記憶喪失になった僕とかって、つまり話しかけられなければばれないってことだよな)
そんなことを僕は思った。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
他の寮監達からも値踏みするような視線が消えていた。だから僕は普通に男子寮で暮らしている。突撃おばけごっことか、夜中の肝試しとか、あまり騒がなければそこまで怒られない。
いやぁ、人気者は辛いってもんだね。
けっこう僕の運動神経はよかったらしい。毎日、クラブ見学ということで、違う先輩にあちこちへ連れていってもらった。そうなるとできるとこまで体験させてもらうのって当たり前だろ?
もうねぇ、寮があってくれてよかった。だって帰宅の手間もかからず、同じ敷地内に部屋がある。最高だね。
だけど幸せなんて長くは続かない。すぐに問題が発生した。
毎日クラブ体験で体を動かし、シャワー浴びてご飯食べて寝てしまったら、洗濯物が溜まりまくったんだ。
僕だって洗浄機、脱水機の使い方を知らないわけじゃない。だけどこんなに洗濯物が溜まったらどうしようもない。
僕は朝から一般の部の校舎に行った。妹を探す為だ。
(へえ。一般部の校舎ってパステル調なんだな。明るい感じがする。フィルにはここで良かったかも。うちなんて暗い色合いだからなぁ)
すると淡いオレンジの髪に緑色の瞳をした女の子が声をかけてくる。
「あ、アレル。おはよう」
「妹じゃないけど、おはよう。ごめん、うちの妹、まだ来てない? 僕と同じ顔してるんだけど」
「うわぁ、本当にそっくりだね。だけどアレル、お昼まで戻ってこないよ? 他の校舎で授業受けてみたら面白そうって出かけてるから。用事なら、アレルのロッカーにメモ入れておく?」
「そっか。ありがと」
淡いオレンジの髪をした子はアレナフィルのロッカーを教えてくれて、後からやってきた明るい水色の髪をした女の子が、
「これ、使って」
と、封筒と便箋をくれた。
『フィル、助けてくれ。洗濯物が洗濯物なんだ。これをどうにかできるのはフィルしかいない。これが僕の部屋の鍵だ。ルード』
僕は便箋に用事を書き、寮の鍵を入れて封をした。ロッカーの小さな窓からそれを差し込む。
「ありがとなっ。やっぱり女の子ってミラクル。こーゆーのがさっと出てくるなんてさ。妹の友達が親切で助かったよ。じゃあね、ベルナとフェニア。感謝っ」
ちゅっと投げキスしてから教室を出れば、どうやら注目されていたらしく、
「同じ顔なのに、性格が違いすぎる」
とか、
「そっくりだけど別人」
とか、そんな囁き声が追いかけてきた。
まあね。うちの妹はあまりにも頼りないし、口下手だ。
そっくりな僕達だけど、慣れてしまえば言動で見分けられる。
(だけど僕達、それだけじゃないってね)
どうせ僕とアレナフィルは、お互いになりすませる双子だ。無気力系に見せかけて、アレナフィルだって裏庭で僕と一緒に体を動かせるぐらいに身が軽い。その気になればアレナフィルは僕を完璧に演じられるんだ。ウェスギニー兄妹のトップシークレットってとこ?
さ。洗濯物は妹に任せて僕は今日おうちに帰ろう。
― ◇ – ★ – ◇ ―
家政婦をしてくれているマーサは僕の話を聞いて、うーんと悩みはしたものの、美味しいご飯を食べさせてくれた。
「それなら持って帰ってきてくださればお洗濯ぐらいしてあげますのに」
「そりゃバッグ二つ分とか三つ分ならそうしたけど大量すぎたんだ。何よりおうちのご飯食べたかったし。フィルだって入れ替わりなんて慣れてるしね」
「幼年学校と違って、上等学校生は体の大きな子もいるでしょうに。フィルお嬢ちゃま、怖い思いをしてらっしゃらなければいいんですけど」
「大丈夫だよ」
男子寮といっても個室だし、何より僕達はいつも入れ替わっていたのだ。トイレだって個室に入ればいいし、シャワールームだって共用だけどそれぞれ鍵がかかるようになっているから、ま、平気だろ。
「だってさぁ、部屋の物干しスペースってこんぐらいしかないんだよ? あれはもうフィルにやってもらわないと、僕じゃムリ。マーサおばさんだって知ってるだろ? フィル、あれで器用だもん」
「それはそうですけどねぇ。危険じゃありませんか。フィルお嬢ちゃまは女の子なのですよ」
「別にみんな鍵かかる個室だし、どうせあそこに僕達を見分けられる人なんていないよ」
やっぱりおうちはいい。他人の目がないって気楽だよね。
男子寮も悪くはないけど、自宅の有り難味をしみじみと感じた。
「さあさ、ルード坊ちゃま。ゆっくり入浴もできなかったでしょう? ちゃんと耳の裏まで洗うんですよ」
「はーい」
早めの入浴をすませて牛乳を一気飲みし、リビングルームでだらだら寝転がるだけで幸せだ。すると当たり前のように門と玄関の鍵を持っている叔父が部屋に入ってくる。
「まあ、レミジェス様。今、ルード坊ちゃまが帰っておられますのよ」
「おやおや、やっぱりですか。フィルを身代わりにおいてなりすましさせたそうですね」
「あらま、もうご存じですの?」
「寮監から連絡をもらったんですよ。女の子だからあちらも保護を考えたみたいで」
「それで連絡が行きましたの?」
「ええ」
実は人を見る目のない寮監達だと思っていたから、まさかもうばれるとは思わなかった。
「叔父上、なんでばれちゃったの?」
「顔色もいいし元気そうだね、ルード。辛いことはないかい? とはいえ、今は私もお前を男子寮に戻さなきゃいけないんだ。ほらおいで。まずは髪を乾かさなきゃね」
「えー」
まだ濡れていた髪を拭いてくれた叔父は、足りないものがないかを尋ねてくる。制服と体操服は十セット増やしてくれるそうだ。
そして僕は男子寮に送還された。
「全くルード、お前もいくら何でもフィルを男子寮に置き去りって何を考えてるんだ。兄上だって、とても怒ってたぞ」
「ええっ!? なんで父上がもう知ってるのっ」
父はずっと帰宅していないとマーサは言っていた。だから僕もそれなら仕方ないかなって思ってたんだ。
それなのに僕が王子様を狙って男子寮に入りこんだという疑惑を掛けられていた時は無視で、アレナフィルが男子寮に行った途端に対応するってなんかおかしくない?
「さあね。私が聞いたのは、お前を学校に戻しておけと、それだけだ」
いずれ僕が大きくなったら譲ってあげると約束した移動車で、叔父は僕を上等学校に連れていった。
夜なのでもうとっくに上等学校の門は閉ざされている。だから警備員達が使っている警備棟へと誘導された。既に父から連絡が来ていたらしい。
「この度はうちの子がご迷惑をおかけしまして、申し訳ございません」
「いえいえ。家が恋しくて逃げ出す寮生っていうのも、たまにいるんですよ。身代わりにそっくりな子を置いていったというのは初めてのケースです。ウェスギニー大佐からの指示ですので、拘束させてくださいね」
僕は手足を動かせない拘束用の衣をつけられ、牢の天井からぶら下げられてしまった。
別に苦しくはないけど、身動き取れないのはちょっと悲しい。
「父上って前から思ってたけど僕にだけひどくない?」
「そうかな。兄上はかなりお前を大事にしてると思うよ、ルード」
送り届けることだけ頼まれたという叔父は、それでも僕と一緒にいてくれた。
どうやら警備棟でも誰かを捕まえた時に使う牢らしかったけれど、別に鍵を掛けられているわけじゃない。
だけどこんな風にされちゃったらトイレ行きたい時とかどうするんだろう?
「それなら今からフィルと交代してくるから下ろしてほしいです、叔父上」
「兄上が到着するまでぶら下がってなさい。大体、あの怖がりなフィルを男子ばかりの中に置いてくるなんて恥知らずもいいところだぞ、ルード。男子生徒ばかりだなんて、女の子が紛れこんだらどんなことになると思ってる」
牢には吊るされている僕と、椅子に座って呆れた顔をしている叔父だけだ。
それなのに父の味方っぽいことを言う叔父に僕は唇を突き出す。
「別に個室だし・・・。それに僕達、けっこう熱出した時とか入れ替わってたから大丈夫だよ。今だから言えるけど、優勝した日、僕になってたのフィルだもん。それより叔父上。なんで王子様が寮にいて、しかも僕が退寮したら代わりの王子様目当ての貴族が入りこんでくるとかいう話になっているのか分かんない。別に暗殺者が入ってくるわけじゃないってのに」
「ま、ピリピリしてるんだろ。そういう時に変わった動きをするなってことさ」
くすっと失笑して叔父が僕の頭を撫でてきた。えへ、結局は叔父って僕を愛してるよね。
「けどさぁ、王子様って別に長男じゃなかったよね? そりゃ王子様なんだから大切だろうけど、長男がとっくにいるんなら、そこまで取り入る必要なくない?」
「さあね。うち程度には分からない理由があるんだろ。だけどそんな所にフィルを置いてきてどうするんだ。あの子がその王子様に接触したら、それこそ『たかが子爵家の娘が・・・』ってことになる。お前はそういうことも考えなさい」
説教こそしてくるが、叔父だって本気で思っているわけじゃないだろう。
うちのアレナフィルはかなり好みが激しいんだ。我が儘というか、ちょっとおかしいって、みんなが思うぐらいに。
お小遣い全部賭けてもいい。アレナフィルは全ての上等学校男子学生に興味がない。
「接触? ないない。だってフィル、男は社会に出てからっていつも言ってるもん。なんか前に面会に来た時に僕がいなくて、王子様とばったり会ったみたいだけど、王子様のことが分からなかったんだって。だけどもう顔を覚えてるんなら、フィル、ちゃんと避けるよ。王子様に取り入ろうなんて考えないって」
「入学早々、お前達は一体何をしてるんだ。だからちゃんとサルートス幼年学校に行かせておけばよかったのに。まさか子爵家の子供達が殿下の顔を知らないなんて、誰が思うんだ」
叔父が頭を抱えているが、もう終わったことを嘆いてもどうしようもない。
過ぎたらいい思い出になるよ、きっと。
「そうかなぁ。僕、授業の休み時間、しみじみとサルートス幼年学校行かなくてよかったと思ってるけど。だって叔父上、あの会話ってばなんなわけ? もう気取りすぎてて鳥肌立つね。
大体さぁ、父上が一番悪いと思うんだよ。王子様は部屋を借りて一人暮らしを体験するって話だったから、僕、それを信じたのに。
違うことになったなら、可愛い子供のことなんだから、ちゃんと知らせてくれてもいいと思わない? そこんところが父上ってーーー 」
「ストップだ、ルード」
「いやいや、言わせてくれって、叔父上。大体、父上は前から思ってたけど、子供に冷たすぎると思うんだよね。思いやりがないっつーのか」
「いや、ちょっと、ルード」
「何さ、叔父上」
そこで僕が吊るされていた背後からがしっと頭を掴む手があった。
僕も叔父が止めようとしていた理由を察する。
「ほーお? 思いやりねぇ。自分の妹を男達の巣窟に投げこんだ奴の言うことか?」
「ち、父上っ」
首だけ叔父の方へ回せば、あちゃーと叔父は顔を片手で覆っていた。
「知っているか、ルード? 男達の集団の中に少女が一人という場合、大抵の女の子は悲惨なことになる。だから女の子は男の集団から隔離するんだ。この本はそういった犯罪被害により女の子の人生が壊された事例を集めた本だ。よく読んでおきなさい。感想文をこの用紙二枚に書いて出すように。そうでないなら、来月からの小遣いは停止する」
「ええっ!? そんなっ」
「ルード、それは兄上の言う通りだよ。まだ君達は子供だから問題なかっただろうけど、ルードがいつまでもその認識ではいずれとんでもないことになる。きちんと読んで、勉強しておきなさい」
「はい、叔父上」
神妙そうに僕は頷く。
叔父はこちらへと少し踏み出し、父に向かって話しかけた。
「兄上、あまり怒らないであげてください。ルードはいつものようにフィルに助けてとおねだりしただけです。悪気はありませんでした。ルードは誰よりもフィルを愛しています。危険なことだったと知った以上、二度とやりません。ルードはいつだってフィルを守るいい子です」
「・・・お前はどうしてそうルードに甘い」
そう言う父は叔父に甘い。
「フィルはみんなに甘えていられれば幸せな子ですからね。それにルードが頑張り屋で賢い子だと分かっている以上、味方するのは当然でしょう。じゃあ、ルード。学校生活に慣れたらこちらに顔を出しなさい。見に行きたい試合があれば行こう」
「はい、叔父上」
やはり叔父は僕の味方だ。
僕はその拘束する衣をつけられたまま、男子寮の部屋に連れていかれた。
父は僕をぶら下げて運んでいったのだ。
(やっぱり父上には逆らわないようにしよう。指一本で運んでいくって何この人)
僕の部屋を確認すると、部屋はもう天井から床まで様々な状態でロープが張られ、洗濯物の世界が広がっていた。
ベッドのマットも壁に立てかけられ、ベッドの枠にロープを通して洗濯物が干されている。
こーいつはまずった。僕の部屋、床ですら寝るスペースがないじゃないか。床すれすれにまで、洗濯物がぶら下がっている。
「仕方ない。お前は廊下で寝なさい」
「え?」
「文句があるのか? 屋上から吊るされておくか? お前はフィルをこの状況で、どこで寝させるつもりだったんだ?」
「廊下でいいです。はい、文句はありません」
拘束された上から寝袋をかぶせられ、僕は廊下に放置された。しかも念入りに父は僕の口元も拘束していった。つまり声を出せない。
とっくに消灯時刻は過ぎ、ここに戻ってくるまで誰にも会わなかった。寮監はこのことを知っているのか、知らないのか。こういったことは警備棟の管轄なのだろうか。
そんなことを思いながら、僕は諦めて寝ることにした。
(ううっ、ひどい。寝袋の下にはマットを敷いてくれないと、体が冷えるだけなのに。あ、そういえばコレ、誰に脱がせてもらえばいいんだろう。誰か通りがかって助けてくれないかなぁ)
そんな薄暗い廊下で悲しく寝ていたら、いつの間にか眠っていた。体が痛い。そして手足を動かせないのが辛い。
だけどつんつんと頬を指でノックされる感触に目を開ける。
気づけば口元の拘束は外されていた。口元だけだけど。
「面白い寝方をしてるんだね、アレン」
「あれ? ん? エリー王子? もう朝? え? 暗い・・・。なんでこんな所に?」
「今日、一緒に夕食とったじゃないか。洗濯物がいっぱいだったし、みんなに啖呵きってたけど。本当に大丈夫かなぁと思って様子を見にきたら、廊下で寝てるし。やっぱり僕の部屋で寝る? もう一つ、予備のベッドあるからさ」
「・・・いいんですかっ?」
「うん。こんな所で寝てたら風邪ひくよ」
一緒に夕食をとったのはアレナフィルだ。どうやら入れ替わりには気づかれなかったらしい。
うちの妹は僕になりすまして試合にでたこともあるぐらいなんだ。さすがだね。
「はいっ。・・・・・・ところで、脱がせてもらっていいですか?」
「何を?」
「えーっと、寝袋の下・・・?」
「・・・・・・変わった寝間着だね。どうやって着たの? どこで手に入るの?」
「色々とあって・・・。多分、入手法は警備棟が知ってるんじゃないかと思います」
罪人拘束用のものである。
苦労して全ての金具を外してくれた王子はいい王子様だ。
そしてうちの父は、愛するべき息子に対して容赦がなさすぎる。