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11 進学とは社会への一歩


 子供達も幼年学校の卒業が近くなると、リンデリーナが亡くなってから長いようで短いものだったと、そんなことを思う。

 さすがに上等学校は市立ではなく国立サルートス上等学校に進ませろと、父や弟がしつこく念押ししてきた。私も進学はそのつもりだったが、このところ礼儀作法の教師をつけろとうるさい。


(上等学校は未来の結婚相手との相性を見る期間でもある。貴族にとっては)


 仕方がないのでアレンルードを連れて、休日の昼過ぎにウェスギニー子爵邸へ出向いた。

 アレナフィルは留守番だ。彼女ではリンデリーナを亡くした気持ちをアレンルードと共有できない。

 ウェスギニー子爵邸で父の書斎に入れば、弟も既に待っていた。


「兄上。・・・まだ早いのでは」

「誰かから聞かされるよりマシだろう。人の口に戸は立てられん」

「フィルは連れてこなかったのか、フェリルド」

「あの子は全く母のことを覚えていません。それならばルードだけでいいでしょう」

「あの・・・父上?」


 アレンルードが不安そうな声になる。

 

「まずは座りなさい、ルード。フェリルドの話を聞くがいい」

「おいで、ルード」

「えっと、おじ上?」


 レミジェスに抱きかかえられるようにしてソファに座ったアレンルードが困惑した顔になった。

 遊んでもらっている時は小脇に抱えられたりもするが、12才にもなると膝の上に座らされるようなことはないからだ。


「ははっ、本当に大きくなったなぁ。もうすぐ上等学校生になるのか。本当に月日が経つのは早い」

「その前にはずかしいよっ。せめて横にすわらせてよっ」

「はいはい。フィルなら喜んでお膝に座るのにルードはつれないなあ」


 顔を真っ赤にして文句を言う甥を自分の隣に座らせたレミジェスだったが、その赤い瞳には案じるような気配が(たた)えられている。

 実の父である私よりも叔父のレミジェスを、アレンルードは父親もしくは兄のように慕っていた。それはレミジェスも同様で、弟の中ではアレンルードが息子になっていそうな気がしてならない。


(結婚すら先延ばしにする程にルードが可愛いか。少しでもルードの障りを防ごうと、レミジェスは私に何かあった時のことまで考えている)


 二人とはテーブルを挟み、父と私は腰を下ろした。私の向かい側にアレンルードがいる。私とよく似た色合いで、リンデリーナの面差しを持つ息子が。


「ルード、お前も上等学校にもうすぐ進学する年だ。今までお前を貴族が通うサルートス幼年学校に通わせず、市立の幼年学校に通わせていた理由は分かっているか?」

「・・・近いからですか?」

「それもある。だが、一番の理由は貴族の子供とお前達を接触させたくなかったからだ。幼年学校の授業など市立で十分。だが、上等学校はそうもいかない。今後のことを思えばサルートス上等学校がいいが、そうなるとお前は貴族の子供達と交流が増える。・・・ルード、それはもしかしたらお前達にとって辛いことになるだろう」

「・・・それは、ぼく達に母親がいないからですか?」

「それもある」


 きゅっと唇を噛んで俯いたアレンルードだったが、すぐに顔を上げた。


「別に平気です。ぼくの母上は母上だけでいい。父親しかいない子って言われても平気です」

「そうだな。生きていればリンデリーナも強くたくましく育ったお前を抱きしめて喜んだだろう。リーナにとって、お前達は生きる希望だった」

「・・・・・・父上?」


 少し不安になったらしく、針葉樹林の深い緑色(フォレストグリーン)の瞳が小さく揺れる。


「その話は、・・・そうだな、私と出会ったリンデリーナの年にお前がなったら語ろう」

「・・・はい。じゃあ、今日はぼく達が母親のいない子って言われるかもしれないってお話ですか?」

「いいや。もっとひどいことを言われるかもしれないという話だ」

「それは、・・・たかが貧しい娘が、子爵家の父上をたぶらかしたとかいう話ですか?」

「絵のプロポーズは事実だが、本当の出会いは異なる。しかし、それは話せない。そういった秘匿事項についての理解はあるか?」

「え。あ、はい」


 面食らった様子だったが、アレンルードはこくりと頷いた。

 その後で私の言葉を考えたらしく、表情が消え失せる。


「辛いか? 耐えられないようならここまでだ。お前がどれだけリーナを愛していたか、どれだけリーナがお前達を愛していたか、私は知っている。辛い気持ちをなかったことにする必要はない、ルード」

「平気です。続けてください、父上」


 それでもアレンルードの声は震えていた。レミジェスがその肩を抱いて、どこか遠くを見るような眼差しになる。

 ああ、そうだった。レミジェスもまた・・・。

 因果なものだと、私は思った。


「他の誰かにいいかげんなことを言われる前に私の口から伝えよう。ルード、お前の母親は病気ではなく、殺された。その際、母が亡くなるのを目撃してしまったフィルはその場で気を失い、言葉と記憶を失った」

「・・・・・・え?」

「既に犯人は捕らえられている。とある貴族令嬢が私に対する片思いから、私の妻であるリンデリーナを見かけて突発的に殺してしまった、というものだ」

「え?」


 アレンルードから表情が抜け落ちていく。

 まだ伝えるには早かった。だが、貴族の世界は陰湿だ。揶揄(やゆ)されない筈がない。

 母の死因を教えてやると誰かに言われ、そうして家に対する不信を植えつけられてからでは遅いのだ。


「その貴族令嬢の家と我が家とで、話は終わっている。あちらは秘密裏に令嬢をなぶり殺しにしていいと、私に話を持ってきた。命には命を、だ」

「ち、父上・・・。そしたら、・・・その人を、殺したんですか?」

「結果として殺してはいない。本人は殺されたがっていたが、私は殺さなかった」

「どうして・・・! どうして、殺さなかったんですっ!?」


 がんっと立ち上がったアレンルードの瞳にあるのは復讐の思いか。


「教えてくださいっ。その人はどこの家の誰なんですかっ」

「座りなさい、ルード。お前はその人を殺したいのか? ならばいずれ会えばいい。彼女は喜んでお前に殺されてくれるだろう。そういう人だ」

「え?」

「座りなさい、ルード。それとももう部屋を出ていくか? 私はそれでもかまわない。お前にはまだ早かったようだ」

「・・・座ります。続けてください、父上」


 不満そうな顔でアレンルードが座りなおす。


「もう一度言うが、そのリーナを殺した令嬢を殺していいというのは、その貴族の家からの申し出だった。だが、私は殺してくれと頼むその令嬢に、違うことを要求した。それはかつてリーナが願っていたことを叶えてほしいというものだ。だが、これは口外される内容ではない。そういうことは理解できるか、ルード?」

「は、はい。・・・だけどっ、だけどどうしてっ、どうして母上を殺した人がっ、それで許されるんですっ。フィルだってっ、フィルだってっ!」


 はいと言いながら、アレンルードの表情は全く違うことを語っていた。


「ルード、落ち着きなさい」

「おじ上っ、だってっ、・・・だってっ、病気って、病気って言ったじゃないですかっ。うそつきっ、うそつきっ、だって、病気だったってっ、・・・助からなかったってっ!」

「ごめん、ごめんよ、ルード」

 

 わああっと、泣き出したアレンルードを抱きしめて慰めるレミジェスはアレンルードの嘆きを見ていられなかったのだろう。


「兄上、もう、これ以上は・・・」


 暴れるアレンルードを抱きしめ、レミジェスが私に懇願するように見つめてきた。自分の胸にアレンルードの頭を抱えこむレミジェスは別にリンデリーナに思い入れがあるわけではない。

 そこまで辛いことならもう何も聞かせない方がいいと思ったのだろう。


「他人に嘘を聞かされるより、私達の口から聞くべきだ」

「それはそうですが・・・。だけど、それなら貴族があまり選ばない部に行かせれば・・・」

「この邸の中だけならば守ってやれても、外に出したなら傷つくだろう。それが弱みを作るということだ、レミジェス。母への愛を逆手に取られてからでは遅い」

「だがな、フェリルド。ここまでルードも辛い思いをしているのだ。せめて続きは違う日にしてやったらどうだ?」

「父上・・・。はあ。・・・ちょっと飲み物をとってきます」


 父も孫息子の嘆きが辛かったのか。

 私が席を立ち、人払いをしていたものだから無人の廊下を通って厨房に行き、四人分のレモネードとカカオの入った焼き菓子を持って戻ると、アレンルードを挟んで父と弟が寄り添っていた。

 赤く泣きはらした瞳から涙はもう流れていなかったが、息子がきっと睨みつけてくる。


「父上っ、・・・父上は、その人とっ、母上をうらぎって、いたんですかっ?」

「いいや。それならお前達を彼女と会うような場所に連れていく筈もない。私は彼女の気持ちを知らなかったし、彼女も私に自分の気持ちを告げる気はなかった」

「なら、どうして・・・」

「色々なことが重なったのだ。それで、ルード。どうする? もう耐えられないならそこまでにしておけばいい。お前もサルートス上等学校に通わなければいいだけだ」


 私が渡したレモネードを飲み、悔しそうな顔のまま、アレンルードは考えた様子だった。


「続けてください、父上」

「彼女の命こそ奪わなかったが、私は代わりに違う命を一つもらった。それはその貴族令嬢を追い詰め、リーナが殺されるきっかけになった男の命だ」

「え? ・・・父上。それはどういう意味です? 本当は黒幕がいたということですか? どうして、だって母上に、そんな価値が・・・?」


 身を乗り出すアレンルードだが、まだこの子では理解できないだろう。分かる筈がない。この子爵家で居場所を与えられ、鬱屈を抱えて生きなければならない程の引け目などなく育っているアレンルードに。


「リーナは完全なとばっちりだ。色々とあった。だが、問題はそこではない。いいか、ルード。この世界でリンデリーナの真実を知っているのは私だけだ。いずれお前がリーナのことを理解できる年になってから話すだろう。今のお前では何一つ理解できないことはよく分かった。こんな程度で何も知らないくせに泣き喚く子供など話にならん」

「・・・はい。だけど、・・・だって」


 できることならば成人するまで教えずにいてやりたかった。


「だが、何も知らないめでたい奴らは、お前を遠慮なく侮辱するだろう。聞きかじった話だけで決めつけてくる。

 結果としてリーナを殺した貴族令嬢の実家の一族の人間とも、私は普通に談笑するし、仕事でも組むし、友人づきあいもしているからな。・・・ルード、それでもサルートス上等学校に通う気持ちはあるか?

 恐らくほとんどの貴族は経済軍事部に進学してくる。他の部に行けばあまり貴族もいないだろうから、違う部に進学するか?

 よく考えなさい。もしもサルートス上等学校に通うのが辛いなら、違う所に行ってもいい」

「それは、フィルも、・・・ですか?」

「フィルはお前と同じ学校に行かせる。だが、フィルはリーナが亡くなった時のことを覚えていない。そしてフィルは子爵になるわけではない。だからこの場には連れてこなかった。自分でよく考えて決めなさい、ルード」

「父上。・・・父上が、ぼく達を、サルートス幼年学校に行かせなかったのは、母上のことが、あったから?」

「そうだ」


 ぽたぽたと、俯いたアレンルードのズボンに雫が落ちる。

 小さな頭を両脇から撫でている二人が私を睨みつけてきた。

 どうして私が悪いことになっているのか。この二人が、サルートス上等学校に通わせろと主張していたのだが。

 ぐいっと袖で涙を拭いて、アレンルードが顔をあげる。


「父上、ぼくはにげません。サルートス上等学校に行きます。だから、その母上を殺した家を教えてください」

「呆れたものだな。つまり、お前は同じ一族に生まれたというだけで、何もしてない子供相手に自分の恨みをぶつけようというのか」

「ちがいますっ。だけどっ、だけどぼくがっ、母上を殺した相手を知らないのって、おかしいじゃないですかっ」

「別に。殺された者の身内が自分の仇を知らないことなどよくあることだ。それを言うならリーナとて人殺しだぞ、ルード。だが、リーナが殺した奴らの身内はリーナのことなど知らんままだ」

「え?」


 正義も悪業も、見る側がその名前を付けるのだ。


「リーナがその手で刃物を突き立てて殺した人数がどれ程だと思ってるんだ、ルード? 十人や二十人じゃなく、全ての心臓をリーナは突き刺した。誰も生き残らないようにと」

「兄上っ、子供になんてことをっ」

「何を考えておるのだっ、フェリルドッ」


 呆然としてしまったアレンルードの代わりに二人が気色ばむ。


「甘ったれた息子に現実を教えてあげているのですよ。既にリンデリーナのことは家同士の話し合いで決着をつけ、賠償金も受け取っています。その上で、ルードが愚かな真似をするのであればどうしようもない。

 ルード、お前はこの私が妻を殺されて何もしなかったとでも思っているのか? たかが子供のお前にできることを残しておくとでも?」

「い、・・・いえ」

「母を殺した一族の子供は全て仇だから憎む権利があると思うような人間なら、さっさと子爵の跡継ぎは妹に譲るんだな、ルード。お前では貴族社会で生きてはいけない」

「フェリルドッ、まだルードは子供なのだぞっ。そこまで言うこともあるまいっ」


 そこで怒り出したのは父だった。

 何故、私が怒鳴(どな)られなくてはならないのか。


「サルートスの名前がつく学校に通う時点で、貴族社会は始まっています。母を殺した一族の子とでも仲良くやれないような子供がどうして生き抜いていけるというのですか、父上?

 ましてや同学年に殿下がいることをお忘れでしょうか。足の引っ張り合いはとっくに幼年学校でも始まっているのです。それを逃がしてあげただけでも、私はかなり優しい父親だと思いますが?」

「今はルードも気が動転しておるだけだっ。この子はまだ12なのだぞっ」


 そう、あれから時は流れた。

 4才だった子も12才。とっくに母のことも忘れ、絵を見たり、祖父や叔父の話を聞いたりしながら、母への憧憬を心に抱いている。

 今のアレンルードが持っている母との思い出は、残されたフォトや私達が語るそれによって作られたものだ。今もリンデリーナは、フォトや絵の中から優しくアレンルードに微笑みかけている。


「子供だから容赦してくれるとでも?

 うちはたかが子爵。それをあの家が、令嬢を殺してもいいと膝を屈した事実をお忘れですか。たかが平民あがりの女など、夫が私でなければそのまま殺され損で終了。相手の一族の中にはうちを憎んでいる者も多いことをお忘れなく。

 そんな中、ルードには訳知り顔で近づいてくる者の挑発に乗ることなく、惑わされることなく、賢く渡り合ってもらわなくてはなりません。そうでなければいい道化として、その復讐心をくすぐられ、破滅するだけです」

「む・・・。だが、誰もが子供だ」

「言ったでしょう、父上。同じ学年に殿下がいるのだと。何人かの令嬢はお茶会に招かれて、不幸な事故でポットの茶をぶっかけられています。多額の治療代を払われて終わりでしたが、顔に傷は残りましたね」

「うちは子爵だ。それは関係あるまい」

「子供など単純ですからね。愚かな子爵家の息子の心を傷つけていいようにからかってやろうと思う生徒もいるかもしれません。私の噂ぐらい聞いておられるでしょう? 出る杭は打たれるものですよ。私の子供である以上、ルードとフィルとて覚悟はしておかねばならないでしょう」


 勿論、杞憂で終わるかもしれない。

 しかし私はそう思わなかった。


「父上、おねがいがあります」

「なんだ?」

「ぼくは、大丈夫です。だれに何を言われても、がまんしてみせますっ。お茶をぶっかけられそうになったら、よけてみせます。ぼくは、だれに何を言われても、父上が話してくれるまで待ちます。だから、だから、おねがいですっ。フィルだけは、そんな目にあわせないでくださいっ」


 よく分からない決意を瞳に宿し、アレンルードがテーブルに手をついて身を乗り出してくる。

 さすがに私も面食らった。


「は? フィル?」

「何故ここでフィルの話が出てくるのだ、ルードよ」

「そうだよ、ルード。フィルは大丈夫じゃないかなって思うよ」


 実は私だけではなく、父と弟もアレナフィルについてはあまり心配していない。私達の前では子供っぽく舌足らずにお喋りするアレナフィルだが、単にあれは甘やかされたいだけだからだ。

 アレナフィルが思っているよりも、この子爵邸には私達の目が行き届いていたのである。

 というのも、この邸にあまり出入りしていないことから、実はアレンルードよりも可愛がられていないのだろうと思われていたアレナフィルは、とっくに似たような洗礼を受けていた。

 たしか義母のマリアンローゼが小さな淑女達のお茶会を開き、

「あとは子供達だけで」

「そうですわね。仲良くできそうですもの」

と、大人は身を隠して様子を見ていたところ、早速いじめられたのだ。

 自分達の親がいなくなったと思った途端、女の子達はふふんとせせら笑ってアレナフィルを馬鹿にしたのである。


『あなた、いらないほうの子なんでしょ? ふたごでも、たいせつにされてない方の子ってきいたわ』

『わたしも、それはききました。あまりあたまもよくないって』

『おなじかおなのに、アレンルードさまとはさがあるんですね』


 ぴーちくぱーちくと言い始めた女の子達の声に蒼白となったのはその親だった。

 子供達の情報など、大人達が言っているのを聞きかじったものだからだ。

 こっそりとやってきて隠れて見ていた父と弟も、最初はぴきっと顔を引き攣らせたが、それも長くは続かない。

 アレナフィルは泣き出すこともなく言ってのけた。


『あら、それ、親からの受け売り? あなた達、よほどおうちがすさんでいるのね。情報は正しく集めなさいな。アレンルードに尋ねてみるのね。私の方が父に愛されていると断言するわよ。

 頭が悪いも何も、私、あなた達みたいにウェスギニー子爵のたった一人の娘に喧嘩を売る程、愚かにはなれないわ。だって何も利益なんてないでしょ?

 あなた達、もっと賢くなった方がいいわよ。大人に言われたことをそのまま信じて、バカな真似して失敗しても、誰も助けてくれないの。それが社会ってものよ』


 何を言われたのか難しくて分からなかった女の子達だが、そこでどうやら自分達よりもアレナフィルの方が賢くて立場も上だと理解したらしい。

 たどたどしい話し方どころか、かなり流暢な発音でアレナフィルは難しい言葉を駆使したのだから。

 アレナフィルは女の子達に、

「ごめんなさい」

を強引に言わせた後、

「それでいいわ。可愛くお喋りできる方が、女の子は愛されるのよ」

と、三人に大人から愛される方法とやらを伝授し、その後は仲良くお茶会をしていた。


『フェリルドよ、フィルは一体・・・』

『だから言ったでしょう、父上。フィルはバーレンの所に行かせている程度でいいのだと』

『兄上、あれは本当にフィルですか?』

『お前の顔を見たらすぐにいつものフィルに戻るさ。甘やかされて抱っこされて優しくされたいだけだからな、あの子は。バーレンの職業を考えてみろ。本当に舌足らずにしか話せない子供の相手を、あいつがすると思うか?』


 そこで父と弟は納得したらしい。

 どちらかというと、

「大人なんて子供の(うわ)(つら)しか見ていないものよ。分かりやすければそれで終わるの。お喋りする時はもうちょっと、うん、そこでワンタイムおいて、はい、笑顔。あなたは雰囲気的にもう少しやや唇を上にあげた方がいいわね」

などと演技指導されていた、その女の子達の親の方が困惑していただろう。

 人見知りが激しく、言葉もゆっくりしか話せない、そんな哀れな子爵令嬢の遊び相手に選ばれたと思っていたのだから。

 それこそ馬鹿な令嬢だが利用価値はあると、そんな感じで子供達にも言い聞かせていた筈だ。

 そして自分達が家で子供達に何を言っていたかも忘れていたのだろう。子供達がそこまで上手に立ち回ることなどできる筈がないのに。

 とはいえ、私もその程度のことでどうこう言うつもりはなかった。たしかにアレナフィルは、あのカタコトっぽい言葉遣いが本物なら問題がありまくりだ。

 事態を収拾しておく為、私は皆に向かって、

「実はアレナフィル、幼年学校の学習は既に終えているのです。あの子がゆっくり喋るのは、学校のお友達に合わせているだけです。家であの子が読んでいる本は、大人用のものばかりですよ」

と、説明しておいた。

 義母にとってはかなりのショックだったらしく、

「やっぱりあの子もアストリッド様の孫なのよ」

と、落ちこんでいた。アレナフィルの言動に、うちの母は関係ないと思うのだが。

 そして私達は、アレナフィルに同世代の友達を作ることを断念した。また、いくらアレナフィルがお子様っぽい言動をしていようと直そうとしなくなった。

 アレナフィルが何かを言われたところで、アレンルードのように挑発されるとは思えない。

 それがウェスギニー家の見解である。


「心配せずとも、覚えていない母のことで何か言われたところでフィルは無視する。お前だってフィルのことは分かっているだろう? 顔と紳士ランクが低い奴など、フィルは相手にしない」

「うむ。フィルはいつでも可愛らしいが、あれで他人を信用しておらぬ。何よりフィルの基準は我が家ではないか。この祖父以上におねだりを叶えてやる者は存在せん」

「そうですね。乗馬クラブの大会でどの男の子が好みか聞いたら、男の真価は社会に出てからで、青い果実を物色するのは労力の無駄だと言いましたよ。フィルの基準は兄上とクラセン殿と私だそうです。・・・ルード、この三人の誰か一人でもしのぐ生徒がいると思うかい?」


 祖父と叔父という立場にある二人も、アレナフィルの嗜好には気づいていたようだ。

 彼女は十代の少年に全く興味がないのだと。

 

「そ、それはそうですけどっ。だけどっ、顔のいい男子が声をかけてきたらついていって、だまされるかもしれないじゃないですかっ。ひどい目にあわされてからじゃおそいんですっ。高い身分の男子から言われたら、断れませんっ」

「安心しろ、ルード。私はフィルに貴族との縁談を望んでいないことはとっくに告げてある。だからフィルは誰に声をかけられてもついていかない。フィルがついていくのはお前だけだ。フィルは女装もできる兄に夢中だからな。お前以上に可愛い男子生徒はいない」

「兄上、ルードだって男の子なんだから、それはちょっとひどいと思います。ルードは男らしく育ってますよ」

「そうだとも。ルードはこんなにも立派に育ったではないか。フィルのことを守ろうとしているのだ」


 この二人は誰の味方なのだ。

 私はアレンルードと二人きりで話すべきだったと悔やんだ。


「父上。それでもフィルは女の子なんです。つらい思いはさせたくありません。どうか、どうかフィルだけは、貴族のいない、ちがう部に進ませてください」

「・・・お前はいいのか?」

「ぼくは平気です。だからフィルを・・・」


 うちの息子、何かの命乞いと間違えてないか?


「分かった。では、ローグさんにも頼んでおこう。フィルは貴族のいない部に進ませる。だが、いいな? 貴族として渡り合うと決めたのならば、うまくやりなさい。私もレミジェスも相談に乗る」

「はい。・・・じゃあ、どうすれば、そういう人とかかわらずにすみますか?」

「バカな友達を作るな、友人は選べ。にこやかに近づいてくる奴はまず敵だ。避けられないなら手玉に取って反対に利用しろ」


 利害関係のある友人なんて社会に出てからで十分だ。学生時代は信頼できる友を作るべきである。


「兄上。それは兄上だけです」

「フェリルドよ、お前のやり方は極端すぎる。・・・あまり深く考えずともいいのだ、ルード。ただ、お前に対して絡んでくるような生徒や、何かしら思惑あって近づいてくるような生徒には警戒心を持ち、うまく逃げなさい」

「はい、そうします」


 私ばかりを悪者にして、この二人はいいとこばかり取っていないだろうか。

 アレンルードを慰めている父と弟の姿に、私は家庭で蔑ろにされる父親の悲哀について考えた。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 頃合いを見計らって入室してきたマリアンローゼが、アレンルードを連れていった。彼女は私の子供について口出しするのをなるべく控えている。

 自分の産んだレミジェスを、私の母が産んだことにしてある事実を私が黙認しているからだ。私にしてみれば、母らしいなと、そんなものである。

 元々、ウェスギニー子爵邸に来たのは、子供達のマナー講師について話し合う為だった。

 簡単なそれはレミジェスが二人に教えているから問題ないが、やはりいい講師に基本から習った方がいいと、レミジェスは考えている。

 

「エスコートやダンスとかもできないと困りますからね。ルードとフィル、二人で習うならいいと思うのです」

「レミジェス、ああいうマナー講師は教えている子供達の情報を他の家に流すものだ。どちらかというと、そっちの情報料が目当てともいえる。正直、フィルの存在はあまり出したくない」


 親しくなったマナー講師が、

「それではちょっと同じような年頃の皆さんとサロンに行って参加してみましょう」

と、言い出すだろう。

 断る理由がないから厄介だ。


「フェリルド。そのようなことをいつまでも言い続けていても始まるまい。いきなりルードにあのようなことを伝えたことといい、何を焦っておるのだ」


 アレンルードをこの邸にある自室へと行かせてしまえば大人の会話になる。今頃はマリアンローゼに慰められながら、アレンルードはリンデリーナのフォトを見ていることだろう。


「実は、殿下がいずれ臣籍に戻ることを内々に表明なさったのですよ。おかげでこっちはてんやわんやです。今、私は王宮に配属されていましてね」


 私の投下した内容に、はっと二人が目を見開いた。父の青い瞳と弟の赤い瞳。だが、その顔立ちはよく似ている。

 そして私だけが緑の瞳で顔も似ていない。それでも三人でいれば共通項があると思われるのだから、血の繋がりとは不思議なものだ。


「で、では・・・、フェリルド、それはどこまで知られているのだ」

「どこにでも水は流れていくものです。今、何かあった時にお守りできる生徒がいるかどうか、入学申込書をチェックし直し、武芸の習い事をしているかどうかを調べているところですよ。わざと留年しようとする生徒まで出たそうですが、入学者数は例年より少なくなることでしょう」

「なんということだ。だが、フィルでは・・・。そうだな、フィルは違う部に進ませた方がよい。厄介なことになるだけだ。あの子は自覚なく目立つことがある。子爵家の娘程度がそれはまずい」


 父が苦し気に頭を振る。

 侯爵家などの令嬢であればともかく、子爵家の娘など使い走りに使われかねない。

 そうならなかったとしてもアレナフィルは見ているだけで心が和む娘だ。我が家よりも身分の高い家の少年に目をつけられるのも望ましくない。

 少年時代の恋のお相手に使われ、花の盛りが終わったところで捨てられるなど冗談ではないと、二人も理解したらしい。

 可愛い子がいると他の貴族令息からアレナフィルの話が出るのも、我が家としてはお断りだった。


「父上の(おっしゃ)る通りです。ですがルードは兄上の息子です。それこそ学友としてお守りできる立場につけと言われているのでは?」

「大丈夫だ。あの子の評価など『お友達と楽しく遊ぶ良い子です』レベルだ。早々に脱落した。サルートス幼年学校の評価表なら詳しいものだが、市立など簡単すぎてどうしようもなかったのだ。

 学友になりたい生徒は沢山いて、今、どこも親戚の子供まで数を頼みにねじこませてきている。学校の警備に当たっている者の一人は便宜を(はか)るよう、親戚の職を失わせるぞと脅しをかけられた。・・・そして私は学校の警備状況の報告を王宮で受け取る立場だ」


 父と弟が道理でと納得する。

 どうして私がアレンルードに厳しく現実を見させたかを強く理解したのだ。


「それではたしかにルードに揺さぶりはかけられよう。どうしたものか」

「困りましたね。違う部に進ませましょうか」


 私は軽く首を横に振る。


「もう調査は始まっていると言ったでしょう。ルードにはああ言いましたが、ルードは経済軍事部、フィルは一般部で入学申込書を提出済みです。なるべく違うクラスになるよう頼んではありますし、そしてルードにも接触しないように言い聞かせるつもりですが、所詮、ルードは男です。今年は女子生徒の希望者が多いですよ。その生徒も全て洗い出してデータ化しているところです」

「なんということだ。ルードにお前への鼻薬を嗅がすべく接触してくる者も警戒しなくてはならぬのではフィルまで手は回らぬ。だから一般部か」

「ええ。ルードはあの身体能力で逃げられますが、フィルは何を理由に接触されるか分かりません。同級生からお友達とのお茶会と言われてしまえば断れないのです。一般部にはまず貴族は入りません」

「仕方あるまい。フィルは賢い子だけに可哀想だが、あの子の一生をずたずたにされるよりはマシであろう」


 父は深く嘆息した。

 まだリンデリーナが平民でなければここまで考える必要もなかっただろう。いくら父親が子爵であろうと、母親が貴族でないならば、アレナフィルはそこらの男爵令嬢よりも格下だと判断されたりもする。

 たとえば茶会で怪我をさせられても、通常の子爵令嬢への慰謝料の半額程度で見積もりを出されるわけだ。

 

(可哀想かどうかは分からないがな。フィルは自宅で十分に茶会を楽しんでいる。何よりどの学部に進もうがフィルには関係ないとバーレンも言っていた)


 習得専門学校の試験期間前になるとアレナフィルを寄越(よこ)せとうるさいバーレミアスだが、どうやら採点も手伝わせている気配があった。

 独身男だけの家に泊まるのならば問題もあったが、今となっては夫婦そろって教育者だからと、エイルマーサは泊まりがけのそれを了承してアレナフィルを送り出している。

 私の許可を待たないのは、私が不在だからだ。

 エイルマーサはアレナフィルが泊まりがけで遊びに行っているだけで、学校への送り迎えもあちらがやってくれるからいいかと、そんなものだ。まさか夫婦の世話をしているとは思っていない。

 幼年学校生のわりにアレナフィルは充実した日々を送っている。


(茶会だって気の合わない令嬢とするより、マーサ姉さんとする方がフィルも嬉しいだろう。好きな菓子を選べるわけだし)


 エイルマーサと二人きりなのでアレナフィルはとっておきの皿やカップを選び、美味しい軽食やお菓子を買いに行って幸せなお茶会をするのだ。

 テーブルナプキンも変わった形に折ったりして特別なティータイムを過ごす。それでご機嫌になるのだから安上がりな娘だろう。

 エイルマーサも怖がりなアレナフィルがずっと安心して暮らせるようにと、あの家の安全性にはかなり気をつけている。息子しかいない彼女は、アレナフィルにとって誰にも(おびや)かされない安全な家を作り上げてあげたいのだ。

 

「それでも兄上。普通はフィルを経済軍事部、ルードを他の部に入れるものでは? 殿下の好みは分かりませんが、フィルならそれこそ・・・ということもあるでしょうに」

「バカバカしい。フィルは一流の料理人が作った食事をテーブルまで運んできてもらうより、家族と出かけた先で美味しそうな物を見つけて買ってもらって食べる方が楽しい子だ。それでいいだろう。あの子の野望は大人になったら世界旅行だからな」

「ははっ。フィル、まだ諦めてなかったんですか。お外に出るのも怖がりな子なのに、大人になったら船旅がしてみたいってずっと言ってますね」

「そうだな」


 アレナフィルはいずれファレンディア国に行きたいと考えている。

 保護者無しに子供が外国に行くことは許されていないと知り、小遣いを貯めながら成人するのを待っているのだ。

 

(問題はいつあの舌足らずバージョンをやめるつもりなのか。このままじゃ頼りなさすぎて海外旅行どころか街からも出してもらえないぞ、アレナフィル)


 たとえ成人しても可愛らしいであろう顔立ちのアレナフィルを考えると一人旅は危険すぎる。誰もが許さないだろう。

 その際、誰に同行してもらうことで許可を得るつもりなのか。

 なんにしてもまだ先のことではある。


「ルードはともかく、フィルがクラブ活動するとは思えないしな。そして部が違えばまず親しくはならない。フィルは安全だろう。問題はルードだ。なるべく私が責任者であることは隠すつもりだが」

「大変ですね、兄上。通常、同学年に子供がいるなら外されるでしょうに」

「色々な思惑があったということだ」


 いいことがあるとしたら、帰宅する日が増えることだろうか。

 あまりにも留守が多い父親だと思いはしているのだ。その分、子供達との時間を増やしてやりたい。

 私はそんなことを思っていた。



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