10 子育ては大変
アレンルードを異国ハイキングに連れていったことで、反抗期は終わったようだ。
何かあってはいけないからワクチンをできる限り投与させたので、今後のアレンルードは熱帯での病気にかかりにくくなる。
帰宅したアレンルードは留守中の授業内容をアレナフィルから教わり、二人は何かと抱きつき合っている。
「いつもはつまらないことで喧嘩してばかりなのに全然喧嘩しなくなりましたね」
「ほほほ。フィルお嬢ちゃまも元気がありませんでしたもの。やっぱり兄妹一緒が一番ですわね」
双子は同じベッドで眠りながら色々な話をしたようだ。
おかげで次の朝、アレナフィルからは、
「パピーは、ひじょうしき。子供に合わせた手かげんを、おぼえるべき」
と、主張された。
「手加減? いつだってちゃんとしてあげてるけどな。容赦ないのはレミジェスだろう」
「違うもんっ。フィル、聞いたもんっ。パピー、ルード、大人のチームに一人入れた。ルード、全然ついていけなかったって。ルード、可哀想っ」
「それはしょうがない。ルードはまだ子供だからね。そりゃルードがもっと強かったらちゃんと参加させたけど、みそっかすなんだからぼーっと見学しかできなかったのは仕方ないだろう」
「大人はっ、子供に対して仲間外れ、しないっ」
どうやらアレンルードは戦場に連れていかれたことまでは話さなかったらしい。
「今日はフィルがお姉さんだな。よしよし、二人共仲良くしておいで」
「パピー、全然真面目に聞いてないっ。意地悪は駄目っ」
「聞いてるよ。フィルは今日も可愛いね。ぷんぷん怒ってニワトリさんみたいだ」
「パピーのばかっ。・・・もっ、パピーなんて信じないっ。今度はフィルッ、ついてって監視するからっ」
肝心の息子は顔を洗っていたので来るのが遅れていたが、廊下まで響いていたアレナフィルの主張を聞いてしまったらしい。
「だめっ。ぜったいダメッ。父上っ、フィルだけはつれていかないでくださいっ」
ダイニングルームへ飛び込んできたアレンルードは、真っ青な顔になってアレナフィルの前で両手を広げて主張した。ほとんど涙目だった。
「行く予定がないんだが。もう終わったことだろう」
「うそだっ。父上は、だましてつれてったっ」
「ええっ!? パピー、だましちゃったのっ。ひどいよっ」
私のことを何だと思っているのか。
二人はひしっと抱き合って、自分が守るからねと、言い合っていた。兄妹の仲がいいのは喜ばしいことだ。
「ルードが暴れたりないようだから、連れていっただけだよ。二人が大人しくおうちで過ごしているなら連れていかないさ」
「そうですわよ。さ、朝ご飯を食べてから二人で遊んでいらっしゃい。ルード坊ちゃまの大好きなソーセージが冷めてしまいますわ」
しばらくは私も休暇で家にいるから勝手に連れていくことはないよと約束したら、やっと二人は安心してたようだ。
朝食後も警戒するような顔になっていたが、警戒心は三日間で終わった。子供は単純でいい。
あまりの環境の違いに混乱しないようにとアレンルードは更に二日ほど学校を休ませたが、かなり心がタフな子なのか、特に混乱もしていなかった。
寝ている間も観察していたが、うなされることもなかった。
その辺りは隔世遺伝で私の母に似たのかもしれない。
― ◇ – ★ – ◇ ―
私が感心したのはアレナフィルの根性だ。
アレンルードが休んでいた間の授業内容をメインに、ちゃちゃっと教えこんでしまった。
(フィルの教え方はかなり上手いな。分かりやすく短時間で把握するやり方だ)
考えさせながらマスターさせるので頭に入りやすい。アレナフィルに教えられたアレンルードはさくさくと問題を解いていく。
間違えたところもどうして間違えてしまったのか、アレナフィルは面白おかしく説明するから頭に入りやすいのか。
そんな二人の勉強を応接用の書斎の間で見てやりながら、私は話しかけた。
「それで欲しい犬は決まったのかい? ルードとフィル、二人が気に入る犬がいいね」
前日、私はアレンルードとアレナフィルを軍用犬訓練施設に連れていった。
本で読むだけよりも実地で訓練の様子を見た方が理解しやすい。
その後、様々な犬種を扱っているペットショップにも寄った。二人は楽しそうに犬を撫でていた。
「それなんだけど、パピー、犬のおせわは、とても大変。そんな気がする」
「父上。ボクもしらべたけど、このあたりに犬を泳がせるみずうみや、毎日つれていける山とかもないです」
アレンルードは軍用犬のスタミナや必要な運動量、躾の細かさなどを知り、自分達では無理だと思い始めていた。
軍用犬を訓練する兵士達は、巣立っていった犬達の可哀想な最期を案じている。
私は仕上がった犬のデータと説明を受けていたので訓練スペースの様子は見ていなかったが、どうやら犬の訓練や習性を理解していなかった飼い主の為に犬がおかしくなったとされ、哀れにも命を奪われていった悲劇を聞かされたようだ。
どんな優秀な犬であっても、人間が愚かであればその良さすら壊される。
「別にこの家でお前達と暮らす犬なんだから、そこまで狩猟能力が必要だとは思わないんだがね。それこそ一緒に眠ったり、庭で追いかけっこしたりするぐらいでちょうどいいだろう」
軍用犬や狩猟犬ならば森や湖での運動も必要だろうが、番犬という名前の愛玩犬ならそこまでの訓練は必要ない。
子供が抱き上げられる大きさの犬でいいだろうと、私は考えていた。
「かわいい犬も考えたの。だけどパピー。学校に行ってる間、犬、ひとりぼっち。マーシャママ、二つのおうちがあるから忙しい。フィルとルードの犬、マーシャママにお世話させるの、ダメ」
「父上。ボクたちのわずかな時間のために、犬を不幸にしてはいけないと思います。犬のことを何も分かっていないくせに、世話を人まかせにして、そして犬がしたがわないわるい子だと決めつける、そんなはじ知らずになっちゃいけないんです」
二人の顔には悲壮感が漂っていた。
「普通は欲しいから飼うものだがね。だが、二人ともきちんと考えたようだ」
実の所、あまり警備については心配していない。夜になったら塀と門の上部に流されるガードシステムがあるからだ。
私とエイルマーサが特定の鍵を特定の位置に回した時点でそれが起動する。一応、事故も考えて微弱なタイプにしているが、そこに触れただけで体が痺れてしまうのだ。
手を離して休んでいれば治るし、ガードする物を身につけていれば問題ないが、それは脅しでそれでも中に入りこもうとするならば・・・という無言の意思表示に気づかぬ泥棒はいないだろう。
一人で暮らしていた母は、それでも入りこんできた者達を、・・・・・・いや、言うまい。
この塀と門だけで十分だろうと思い、それまでの私はガードシステムまでは使わずにいた。けれども子供達と暮らし始めた時点で最新のものに入れ替えさせた。
早朝の散歩をしている人達は、たまに新鮮な鳥を拾って持ち帰っては調理しているらしい。
「だが、困ったね。今はお前達が小さいからローグさんもマーサ姉さんも私が連日帰宅しない時は泊まりこんでくれるが、いつまでもそう甘えてはいられまい。しかし子供だけではあまりにも不安だ。やはり泊まりこみの使用人を寄越させるか」
愛玩犬でも何かあれば騒ぐだろうし、二人にとっても心強いだろうと思ったのだが。
「パピー、それは、いらないって思う。フィル、ルードといっしょで大丈夫。もしルード、お熱出したら、夜中でもマーシャママ、来てもらうから」
「父上。ボクだって、フィルを守ってたたかえるって思うんです」
私とアレンルードがいない間、一人でお留守番の練習とか言って、ローグスロッドとエイルマーサに家の戸締り点検をしてから帰ってもらっていたアレナフィルが、とても健気なことを言い出した。
アレンルードも新聞で小さく取り上げられていた記事を読み、今までなら気にも留めず忘れるだけの異国の地における犠牲者のことを知ったのか。
「それは駄目だよ、ルード。お前は子供で、ここは普通のおうちだ。悪い者がいたら、治安警備隊に引き渡すものであって、悪い人だからって何をしてもいいわけではない。人を傷つけるのは犯罪だ。分かるかい?」
「・・・はい。だけど、父上。だからってフィルに何かあったら・・・」
「そうだね。だが、我が家にわざわざ侵入しようとする者がいるかな」
裏庭で何かとボール遊びをするアレンルードとアレナフィルなので、裏庭側のバルコニーに面した窓はほとんど格子戸を閉めっぱなしだ。
バルコニーに出て月を見上げ、恋に悩ましい溜め息をつくような乙女は不在である。子供達は大の字になって、夜になったら朝までくぴくぴだ。
そして道路側、つまり門に面した側の窓には全て鉄格子がはまっているのだから、侵入するだけでも大変だろう。
そこまで根性を入れてこの家に忍びこむ必要がないのだ。
私だって自分が泥棒なら、こんな家に侵入しようとは思わない。人知れず殺されて裏庭に埋められていたとしても分からないのだから。
しかも家の主人である私は軍に所属している。
ケチな金銭目当てで何かしようものなら、実はそれに見せかけた国家反逆罪だろうと決めつけられ、処刑される恐れも出てくるのだ。場合によっては敷地内に侵入した時点で射殺だ。二重の門がある以上、それで迷いこんだだの何だのは通じない。
「言われてみれば、うちって、よそよりもかなり安全かも」
思慮深げな表情を浮かべ、アレンルードが頷いた。
「フィルもそう思う。だってよそのおうち、門に柵、ない。うち、門は二つ。それにうち、トリさんもバタバタたおれるおうちって有名」
「なんでだろう。だけどボク、鳥がおちてるのなんて見たことない」
息子よ、早朝に散歩する習慣をつければすぐに見つけられる。お前がいつまでも起きないだけだ。
「ここは以前の持ち主が女性で、一人暮らしだったからね。だから頑丈なのさ。鳥がどうのこうのは、思うにそんな変な噂を流すことで、その女性は身を守っていたのだろう」
「ええっ。女の人が一人で住んでたの? こんな広いおうちに?」
アレナフィルが目を丸くする。
家族内で変な感情を抱かぬよう、マリアンローゼが私の母だと子供達には信じ込ませてあった。私の母アストリッドの姿が分かるものは倉庫に片付けてある。
「ああ、そうさ。だからこの家は防犯性が高いだろう? とはいえ、お前達だってすぐに熱を出したりする。この家は安全だからと油断せず、ちゃんと自分の健康管理はしなくちゃいけないよ?」
「はーい」
「はい、父上。だけど父上、もう少しボクが大きくなったら、軍用犬をかってもいいですか?」
「いいよ。ただし、軍用犬はとても難しい。学校に通いながら躾をするのは無理だ。それでもできるのならね」
「はいっ」
「えー。ルード、ふつうの犬から始めよ? 小さいワンちゃん、かわいいよ」
「弱虫なフィルは、それにしとけば?」
「弱虫じゃないもんっ」
ここは来客を迎える応接用書斎だが、置かれている机が広くて勉強しやすいらしく、二人は自室ではなくこの部屋を使って宿題をするのがお約束だ。
いつの間にか本棚に子供用の本が並んでいるし、汚さないようにとエイルマーサが思ったからなのか、机の上に薄いウッドカバーが掛けられている。
(こうして子供は家を侵食していくのだな。そしていいものを欲しがるようになる。軍用犬だの狩猟犬だの飼い始めたら、次は馬だな)
思うにどの犬種がいいかというところで、二人の意見が割れたのだろう。
どこまでも強く賢く忠実な軍用犬もしくは狩猟犬タイプにこだわるアレンルードに対し、アレナフィルはその犬をどうやって躾けるのかと、不安を抱いた。
きちんと躾をしなければ、自分達が襲われるからだ。
さすがにアレナフィルからその辺りをどうするのかと一つ一つ詰め寄られ、アレンルードは自分の負けを悟った。だけど愛玩犬ではもう満足できなかったのだ。
「そうだ、フィル。ルードは弓を習いたいと言い出したんだ。だからクロスボウを習いに行かせようと思っているんだが、お前も行くかい? あれなら単に命中させるだけだ。だが、たとえば不安なら家にスリングショットを置いておけば、離れた場所からインク瓶を侵入者にぶつけることぐらいはできるようになるだろう」
普通の弓矢と違い、クロスボウは弓にバネが組み込まれているので、腕の力が要らない。正面の的をめがけて放つだけだ。
スリングショットは自分の腕の力が必要になるが、それでもあまり力を必要としない。
「あ、それ、行きたいっ」
「ボクもっ、ボクも行きますっ」
「だが、分かっているね? クロスボウは習いに行くその場所でしか使ってはいけない。家では、私が鍵を掛けて預かっておく。そして家の中でスリングショットの練習をしてはいけないし、お友達に言うのも見せるのも駄目だ。スリングショットの練習をやる時は裏庭で、ちゃんと塀に向かってだし、何があろうと塀以外の場所に飛ばしてはいけない。言うまでもないが、喧嘩や遊びで持ち出した日にはお前達の全ての遊び道具を取り上げて処分し、卒業まで学校以外の場所には行かせない。それでもやるか?」
二人はちょっと考えた。何を言われたのかを頭の中で整理したらしい。
先にアレナフィルが顔をあげる。
「それは、・・・当たり前。武器の力で、自分が強くなったって、さっかくしちゃいけない。危険なもの、さわる時は、大人に見ててもらう。こどもだけ、ダメ」
「・・・ともだちに言ってもいけないんですか。父上?」
「言えば誰だってやりたくなるからね。お前は、友達が手を出せないものを自慢していたいわけか。はっ、情けないことだ」
「そんなことありませんっ。だけど、・・・じゃあ、ウェスギニーのみんななら?」
ウェスギニーのみんなというのは、ウェスギニー子爵家の親戚や関係筋の子供達のことだ。
アレナフィルはあまり子爵邸に行かないが、ちょくちょくと顔を出すアレンルードは、親戚の子供達ということで、顔を合わせれば仲良く交流していた。
ただし親戚と言っても血は繋がっていなかったり、実はかなり他人と言っていい親戚関係だったりする。
それでもアレンルードなりに、身分的に同じカテゴリーの子供達と同じ学校に通っている子供達とで言葉遣いや話題など分けて考えているらしい。
「それも駄目だ。お前とフィルの違いを理解しているか、ルード?」
「え?」
私は戸惑うような顔になった息子を見つめた。
「フィルはもしもこの家に何かあった時、お前を守る手段があるなら備えとして身につけておこうと考えた。それを誰かに言う必要などない。フィルにとって双子のお前を守るのは当たり前だからだ。だが、お前は強くなりたいという意識が先に来た。自衛手段として考えているフィルは、それらをスポーツとは思っていない」
「だけど、・・・スポーツですよね? そういうやり方に使えるだけで」
「そうだな。だが、様々なもので高得点を取ってみたいお前と、どんな技能も自分の身を守る為だと思っているフィルは違う。フィルはそれでどれだけのことを身につけようとも、友達にひけらかしはしないだろう」
「・・・・・・少し、考えます」
「ああ。お前はきちんと考える子だ。分かったフリをして、『はい』という子より、お前はきっと伸びる。必要ならレミジェスに相談し、二人でよく考えて話し合い、それから私に言ってきなさい」
「はい、父上」
「すごい。ルードが、とっても立派」
アレナフィルは本気で感心したらしく、目を瞠った。
その通りだ。先に褒められたからといってそちらが優れているとは限らない。
「ふふん、ボク、お兄ちゃんだから」
「どーかなぁ。フィルがお姉ちゃんかもしれないよ? だってフィル、ルードよりしっかりしてる」
「ちょっとまってよっ。フィル、しっかりしてないよっ」
「してるもんっ」
「してないっ」
「してるっ」
「はいはい。二人とも、その決着はコインを投げて表と裏で決めなさい」
私が二人の頭を撫でればそっくりな顔がくすぐったそうに揺れて、一人がてへっと笑う。
クロスボウはどうしても専用の矢を使うことになるが、Y字型のスリングショットはゴムを利用して手近にある物を飛ばすものなので、汎用性が高いのだ。
スリングショットも人に向かって使うのは言語道断だが、犯罪者が相手ならインク瓶を相手の居場所の上部、つまり天井にぶつけることでインクまみれにできる。追跡も容易となるだろう。
(それを使う羽目になるとは、まず思えないがな)
この子達がまだ新聞を読めなかった頃のことだ。
鍵のかかっていなかった門を開けて敷地内に入りこもうとした侵入者達がいたが、門の内側に全員が足を踏み入れた途端、次々と皮膚一枚を傷つけられる鎌鼬に見舞われ、逃げ出したくても何故か門が開かなくなっており、外に出られず深夜の通行人に泣きながら助けを求め、一晩中、鎌鼬から狩られるダンスを踊ったことから新聞沙汰になったことがあった。
あの時は善良な空き巣グループに対してやりすぎだと治安警備隊から苦情を入れられた。空き巣に善良もクソもないだろうに。
現在、この辺りはとても治安がいい。たとえ夜でも女性や子供が安心して一人歩きできる街だ。
「さあ。どうせクロスボウは逃げやしない。よく考えなさい。じゃあ、今からレミジェスを誘って乗馬クラブに行ってみようか」
「やったぁっ」
「え。パピー、馬、もう速くしない?」
アレナフィルの針葉樹林の深い緑色の瞳が、じとっとした気配を帯びた。
そういえばいつだったかアレナフィルを乗せて競争物をこなした際に悲鳴をあげられたかもしれない。まだ覚えていたのか。
「怖いならゆっくり歩かせよう。さあ、二人ともお出かけの用意をしておいで。着ていく服は分かるかな? 自分で考えて用意してみなさい」
「はい、父上」
「じゃあね、フィルがえらんであげるっ」
「えーっ」
「えーっじゃないもんっ。フィル、たよりになるんだからっ」
「そう言うならえらばせてあげるけどさぁ」
私もアレンルードも面倒だからアレナフィルが出してくる服を着る傾向がある。
アレナフィルはおしゃれ好きだ。
「それでね、ルード、フィルとおそろいっ」
「えーっ、またぁ? ボク、もう女の子にまちがわれるのイヤだよ」
「だけどルード。そのほうが、みんなゆずってくれるよ? 男の子はならんだ順。だけど女の子、みんながお先どーぞ、言ってくれる」
「それならいいけど」
二人はわいわい言いながら手を繋ぎ、二階へ駆け出していく。
子育てはとても大変だ。
成長や安全に気を配り、こうして体力を発散させてあげなくてはならない。
(リーナ、君も生きていたら、女装を嫌がらない息子に夢中になったんだろうか。父上も買ってあげたフリルのドレスを着ていたからって、まさかルードに一日中騙されていたとは思わなかっただろうな。あれ以来、入れ替わりっこがクセになっているようだが)
彼女によく似た双子はすくすくと育ち、喧嘩しては仲直りして、怒ったり笑ったり、いつも一緒だ。
アレナフィルの中にあるファレンディア人の魂も、大人の意識こそ持っていても、子供らしく欲望に負けては馬鹿なことをやっている。
アレンルードはそんな妹の独特な思考に刺激され、多様な価値観を身につけつつあった。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
最近、アレナフィルが怯えているような気はしていた。
けれども何も言わなかったので、私も尋ねはしなかった。女の子には色々と思い悩む時期があると、誰かが言っていたからだ。
私の帰宅が遅く、二人とはおやすみの挨拶しかできない時間が続いていたこともある。
しかし、そんなアレナフィルにも限界があったのか。
私がまだ夕方の内に帰宅して移動車から降りたところ、玄関からばひゅんっと飛び出してきて、私の腰に抱きついてきた。
「パピー、パピーッ」
「どうしたんだい、フィル? さあ、可愛いお顔を見せてくれ」
抱き上げてからただいまのキスを頬にすれば、ぎゅっと私の首にしがみついてくる。
これはこの子の甘える仕草だ。
「何があったんだい、私の可愛い子リスさん?」
「パピー。ルード、おかしいの。人生は戦場だ、生きることは罪深いって、すぐに言う」
生きる罪深さとは、肉や魚を食べない主義主張の人々が口にするスローガンだっただろうか。
新聞に載っていたのを読んだが、全ての命は同等の価値を持つのだと、植物で蛋白質を補う栄養法を説いていた。
「戦場? あの子の人生に、そんな苦難予定などあったかな? 肉食をやめて菜食主義者になるのかい?」
「ルード、おやつにソーセージパン、食べてたっ。ゆでたまごもっ」
そうなると意味不明だ。放っておいてもウェスギニー子爵になれるアレンルードの人生に、何の戦いがあるのだろう。
(よその家だと正妻の産んだ息子と愛人が産んだ息子だとか、息子よりも娘の夫が気に入ったとか、跡継ぎ闘争も発生するが、ルードはレミジェスが子爵への道に赤絨毯を敷いて先導中だ)
まさか双子の妹と子爵という地位を巡って争うのか?
しかしアレナフィルは安定性があって気楽な生活プランを構築するのだとバーレミアスに宣言していた。貴族社会の感覚が理解できていない自分はどこで陥れられるか分からないから近寄りたくないと。
そしてアレナフィルがウェスギニー子爵邸に行きたがらないのも、似たり寄ったりの年頃の少年を紹介されるのが嫌だからだ。実はアレナフィル、他人に対する警戒心がかなり強い。
(人生が戦場ねえ。貧民街で明日の食事もままならないというのならともかく。罪深い生き方を語れる程、人生経験もないってのに)
あまりにもアレナフィルが不安そうにしていたので、食事をしながらアレンルードに話しかけて観察してみたが、普通である。
「なんか変なものでも読んだか、友達に影響されたかな。フィルはあまり影響を受けない程度に見守っておいてくれるかい?」
「影響は、・・・受けられない。ルード、しりめつれつ。ルード、変」
「そうだね。この辺りは治安もいい筈だし」
双子だからとアレナフィルを信じて話したことが私に筒抜けではアレンルードも傷つくだろう。兄妹間の信頼にもヒビが入ってしまう。
そう思って手をこまねいていたら、答えをくれたのは数日後のエイルマーサだった。
休日ではあるが、ローグスロッドが出張だというので、私達は朝から二人でのんびりと語らっていたのだ。子供達は裏庭に設置したロープの遊び道具を使ってぶら下がったり、ジャンプしたりと全身を使って元気にはしゃいでいる。
私とエイルマーサは、リビングルームで寛いでいた。
「まあ、旦那様。男の子っていうのはそう言い出すものなんですわ」
「そうなんですか?」
「ええ。・・・うちの息子も上等学校ぐらいの頃に言い出しましたの。ルード坊ちゃまはちょっと早くていらっしゃいますけど、最近、『消えていった国々』とか『戦勝国の傲慢』とか、そんなものを読んでいらしたから、きっと恵まれている自分やお友達が何かすれば、世界は変わるかもって思ってしまったのでしょうね」
「なるほど」
振り返れば上等学校時代、私達も少年らしいとんがった思考で色々とやらかしたかもしれない。
あの頃、私は自分のことだけで手いっぱいだった。
一応は雇用関係にあるので旦那様呼びしてくるエイルマーサだが、こうなると親戚同士の会話になってしまう。
「フェリルド様はありませんでした? 腐敗した社会に絶望とか、自分の本当の親は英雄だとか、選ばれし運命が導くとか。上等学校に入った年あたりに男の子はそうなりますのよ。だから上等学校入学興奮症候群って俗語がありますの。妄想の中で救世の勇士に変身してしまうのですわ」
「そうですね。勇士ですか・・・。私の場合、幼年学校時代は母という生き物に絶望し、上等学校時代は本当の母親問題をごまかし、修得専門学校時代は無理に母を選ばねばならないものではないと、そんな感じで終わっていましたかね。レミジェスは優しい子だったから」
そこでエイルマーサははっと気づいたらしい。すまなさそうな顔になる。
私も表情だけで、そうではないと告げた。
お互いが思い出した存在により、ちょっと懐かしむような空気が流れる。
「お綺麗な方でしたわ。今も覚えております。私も蝶の人はそれなりに見てきましたけど、あの方には見惚れずにはいられませんでした。いえ、フェリルド様もそうなんですけど、やはり女性だからでしょうか。あの方が今も心に残っておりますの」
ほうっと溜め息をつくエイルマーサの記憶は美化され過ぎだ。
思えばエイルマーサにはここまで親身になってもらった。そうなれば騙し続けているのも悪い気がする。
というわけで、私は白状してみた。
「お気遣いなく。私が蝶というのは嘘ですから」
「・・・はい?」
私はとても神妙な顔を作る。
「振り返れば私にも、少年特有の潔癖さと苛烈さを持っていた時代がありました。実はあの頃、母親似の顔だから蝶だと言えば皆も騙されるかなと、軽い気持ちで思っただけだったのです」
「って、・・・え、それは、・・・ですが印を偽るだなんて。意味ないことじゃありません?」
「そうですね。たしかに印を偽ったところで意味はなかったんですが、やってみたらけっこう騙されてくれました。だから私は蝶じゃないのでお気になさらず。・・・母も喜ぶでしょう。エイルマーサ殿にそう褒めていただけたなら」
エイルマーサの疑問はもっともだった。
体に出てきた種の印を偽ったところで何が変わるわけじゃない。その通りだ。
だが、同じ条件であれば希少な方をと、そう考える思考はどこにでもある。彼女がそういった世界を知らないだけだ。
「何故、そんなことを・・・。いえ、それは別に問題ありませんけれど。たかが印ですもの。では、樹でしたのね?」
「いいえ、虎です」
エイルマーサの動きが止まった。
恐らくあの頃のことを思い返しているのだろう。いきなり声が少し低くなった。
「フェリルド様?」
「なんでしょう?」
私は視線をやや横に流す。
「まさかと思いますけど、実はかなりお強いのでは? まさかと思いますけど、ええ、まさかとは思いますけれど、・・・実はご自分よりもがっしりとした体格だった、とんでもない不埒な男にお仕置きなんてされてらっしゃいませんわよね?」
その声は既に確信を内包していた。だから私も理解を求める。
「僕も少年だったんです。正義の為に戦えと、僕の頭に語りかけてくる声があったんです」
「嘘を言わないでください。あなたはそんな乱暴な子じゃありませんでした」
「許せないと思った途端、勝手に体が動いていました。すみません」
「ああ、なんてこと」
嘆息する表情が、少しだけ罪悪感を抱かせる。とりあえず砂糖の一粒程度の罪悪感だ。
コーヒーの中に一粒の砂糖の結晶を溶かした程度の罪悪感を、私はカップを傾けて飲み干した。
耳まで真っ赤になったエイルマーサが、気持ちの行き場が無いような顔で小さく叫ぶ。
「そうと分かっていれば・・・! どなたもっ、変な真似などなさいませんでしたわよっ」
「僕、大切なことは、相手によって態度を決めることではないと思うんです。誰に対しても、そして誰であろうと変な真似はしてはいけないことだと思うんです。それが紳士たる当然の嗜みだと思うんです」
私は胸に片手を当てて伏し目がちな表情を作り、あの頃の自分の気持ちで語ってみた。
既にエイルマーサの顔は真っ赤だ。
「そうですけどっ、・・・もうっ。ああ、それはそれでいいことですけれど。すかっとしましたけれど、・・・もうっ、なんてことっ」
「いや、いくら昔、母にフラれたからってねぇ。まさか母親似のか弱い蝶の少年を襲おうとして、反対に自分が襲われて廊下に裸で吊るされるとは思わなかったでしょうね。ははっ」
「笑い事じゃありませんのよっ。どれだけ悲鳴が上がって、皆様がそれを次々に見てしまったと思いますのっ。もうっ、私達っ、あれ見てしまったんですからっ。女性用客室のフロアだから使用人も女性しかいませんでしたしっ。助ける為には見上げなくてはなりませんでしたのよっ。そしたら裸っ。使用人も悲鳴をあげて逃げてしまいましたしっ」
「男手があったらすぐ助けられてしまいますからねぇ」
あの頃は私も若かった。
少年時代は、きっと誰もが心に審判の神を降臨させてしまうのだ。
二度とやらなくなる上、仕返しもされにくい素晴らしい解決法だと、あの時は思った。
「んまあっ。あの時、あなたにされたんだって喚きたてるのを、女性用客室の廊下で吊るされていて何を恥知らずなと、皆で責め立ててしまったではありませんのっ。だってっ、だって誰だっておとなしい令嬢目当てと思うではありませんかっ。何よりフェリルド様っ、いつも本を読んで物静かにしてらっしゃいましたしっ」
「女性を襲う危険を分かりやすくご案内してみました。ついでに今後の危険も分かりやすく排除してみました。手引きした使用人にも分かりやすく次はお前だと示してみました」
怒っているのか笑っているのか分からないエイルマーサと、あくまで真面目な口調を心掛ける私とで、その場がどんどんと脱線していく。
「んまあっ、なんてこと。なんという・・・! ・・・ああ、いいえ、・・・仕方がありませんわ。フェリルド様が襲われていたりするより余程よかったですもの」
「恐縮です」
既に終わったことなので、すぐに話は収束した。
「まあ、あれです。自分でも忘れていましたが、やはり少年時代っていうのは、何かをやりたい衝動に駆られてしまうものなんでしょうね」
「あんなことをなさるのはフェリルド様だけですわ。あの時だって、レミジェス様なら分かりますけど、あなたでしたから誰もが言うに事欠いて・・・と、なったんですもの。それに比べたらルード坊ちゃまはせいぜい呟く程度です。なんてことありませんわよ」
「ですがフィルが怯えているのですよ。ルードがおかしいと。女の子にそういう時代はないんでしょうか。私もルードがいきなり自分よりも背が高い大人達を相手に大立ち回りをやらかしたら心配ですね」
今やうちの裏庭は二人が全身の筋肉を使って遊べるスペースと化した。ワイヤーロープに取り付けた滑車式リングを握り、空中を移動するのが子供達のお気に入りだ。
ロープブランコにしても、木製の梯子や木枠を組み合わせた遊具にしても、どうやって動けば捕まりにくいのか、何に気をつけておかないと怪我をしてしまうのか、遊びながら子供達は学んでいる。
(ああ、本当に時は流れた。母上が生きていた時を知らぬ者が産まれ、私の少年時代ももはや思い出しもしない。母上の為の設備もすっかり形を変えてしまった)
レミジェスは、
「どうせなら昔みたいにもっと本格的に・・・」
とか、呟いていた。やめておけ、うちは野生動物飼育所ではない。
だが、家の中でもどう動けば短い移動ですむかを考え始めた子供達だ。
家の中では礼儀正しくするようにと教えているが、本当はいつだって階段の手すりを使って飛び降りたいとか、ロープを使って上り下りしたいとか、そんな思いをうずうずさせている。
気に入らない大人達を相手に、アレンルードが喧嘩っ早くなってもまずい。
「ルード坊ちゃま、そんなことしませんわ。大立ち回りしなくても、あのお顔ですもの。いつだって皆様から可愛がられていらっしゃるではありませんか」
「それもそうですね」
私と違い、アレンルードは大人達に可愛がられやすいところがあった。私の場合はねっとりとした感情が向けられたものだが、アレンルードに向けられる感情はからっとしたものだ。
父親の私よりも、いつも一緒にいるエイルマーサの方がよく分かっているのか。
大丈夫ですよと、彼女は男の子達を育ててきた母親の貫禄で微笑んだ。
「フィルお嬢ちゃまには私から説明しておきますわ。男の子はそういう期間があるものなのだと」
「助かります。やはりフィルの母親はエイルマーサ殿でよかった」
「まあ。・・・私もお二人をお育てできて、本当に嬉しいのです。嘘じゃありません」
「分かっています。あの子達の笑顔を見れば」
男の子と女の子は違う。
どんなにそっくりな外見を持っていても、内側にある魂の感性は別物だ。
夜に一人で留守番することよりも、アレナフィルにとってはアレンルードの不可解さの方が恐ろしかったのか。
(以前のファレンディア人の時、そういうのは見聞きしなかったのかねぇ)
子育てはなかなか理屈通りにはいかない。
私はふうっと息を吐き、ソファに背中を預けた。