未来は何も変わらない
少し先の未来を語ろう。
はじめに断っておくが、語りたいのは未来のテクノロジーなどと言う夢溢れる与太話ではなく、人も社会も、何年経とうが、本質は何も変わらないと言う皮肉である。
2050年に20か国共同支援のもと、地球外からの資源回収プロジェクトが本格的に立ち上げられ、2070年には探査機コロンブス号が、小惑星より膨大な量の金、銀、プラチナを含む多数金属の回収に成功した。以降地球外からの物資の回収が盛んになり、2100年現在に至っては、宇宙空間での金属精製、加工までを可能とする、宇宙重工業地帯の建設に着手した。
これらは第二の産業革命と呼ばれ、人類史上に刻まれるべき歴史的快挙で、人類のさらなる発展は確約を得たと、誰もが信じて疑わなかった。
しかし、そううまくはいかなかった。
宇宙開発に続くは、当然宇宙開拓つまり移住なのだが、これが一向にうまくいかない。なにより、志願者が集まらないのだ。
増えすぎた人口の行先として宇宙への移住は必須ではあるが、母なる地球を離れ我こそが先駆者となると意気込む、フロンティアスピリットを持ち合わせた人間などもはや稀有な存在で、AIに単純労働すべてを盗られ、オートマチックに運用される街に飼いならされた、自らの存在意義を疑い出した無気力で自堕落な、刹那主義の人間ばかりが目立った。
では経済はというと、これもまた良くない。
長きにわたり最終通貨として位置付けられた金の価値は著しく不安定となり、結果として基軸通貨までもが大きく信用を失うことになったのだ。通貨制度の崩壊である。
金にかわりどれだけ希少価値のある物質を頼っても、宇宙進出に伴う価値の急変動は避けられない。今日のレアメタルが、明日はありふれた金属に成り下がるこもざらなのだ。無限の可能性を秘めた宇宙進出が、皮肉にも地球上のすべての物質の、信用価値を失わせた。
このまま通貨制度を成立させるためには、人類は物質以外の、普遍的に安定した価値を見出さなければいかなくなったのである。
そこで注目されたのが、寿命である。
2050年には、人類は三大死因であった「悪性新生物」、「心疾患」、「脳血管疾患」を完全に克服しており、さらに2070年には、その他主な疾病に加え、痴呆症までも完全な治療法を確立していた。これにより偶発的な不幸を除けば、人は老衰以外の死因から解放されたのだ。
人間の寿命は百年前後と価値が安定したことにより、人類は命自体を最終通貨として使い始める。
大まかに生命通貨を述べると、まず、人が生まれ出た瞬間から、寿命は2つに分けられる。
1つはベースライフ。国により多少期間が変わるが、本国では0〜30歳とした。この期間の寿命は不可侵の個人の権利であり、ベースライフを通貨に替えることはできない。
言い換えれば、30歳までは、誰もが等しく生きる権利を有するのだ。
もう1つはマネーライフ。名前の通り通貨に交換可能な寿命となる。これも本国では、無条件に30年分与えられる。
先にも記述したが、この時代はAIロボットが普及し、人間は単純労働から完全に解放されており、慎ましく生きるのであればだが、10年分のマネーライフを売ることで、一切の労働なしで、不自由なく50まで生きることができるよう設定されている。
労働を有限の時間を切り売りする行為だと考えれば、やっていることは大して違いはない。むしろ単純労働がない世界では、20年近く教育を受け専門知識を身につけ、週に40時間程度も拘束され労働に勤しみ対価を得る行為のほうが、よっぽど馬鹿げていて不自由だと考えるものも少なくなかった。
こうして人類のライフスタイルは大きく二分化した。一つは高度な教育を受講し、専門知識を深め、それぞれ分野のエキスパートとして応用的な労働をする知的階級で、彼らは労働で得た賃金よりライフマネーを購入し100年生きる。
もう一つは最低限の義務教育だけを受講し、それすらろくに身につかないまま社会に放り出され、職につくことなく自らのマネーライフを切り売りしながら、自堕落な生活を繰り返す無知階級で、当然短命である。
教育にかかる費用はすべて無償であるから、どちらのライフスタイルをとるかは個人の自由である。
もちろん、無知階級であっても、芸術やエンターテインメントの分野で活躍するものも多く、一概に短命と言うわけではない。むしろ、スポーツにしろ芸術にしろ、各分野で夢に挑む人々は、もっぱら安定の知的階級より波乱の無知階級を選びがちだった。
ダメならそれでいい。
その刹那的な生き方は、特に若人にとっては魅力的で、潔く清々しくも聞こえるが、人間そこまで割り切れるもんじゃない。
例えばとあるミュージシャン、彼は29歳にして、すべてのライフマネーを売り払ってしまった。
自堕落で快楽主義の人生だったが、それでも音楽だけには正直に生きてきた。いずれは、次こそはと一獲千金を夢見てきたが、結局は鳴かず飛ばずで29歳の晩年を迎える。
ダメなら死ぬだけだと常々豪語していた彼が、死を間近にして死にたくないと切に願った。
恥も気にせず、彼は切実な想いを詩に認め、魂を込めて歌った。ただただ生きたいと叫ぶ彼の歌は売れた。売れに売れ、無知階級はおろか知的階級にまで共感された。
やがて彼の歌をきっかけに、世の不平等を唱えデモが頻発する。生きるのは誰しもが与えられた権利であると。
これに対し、当然冷ややかな態度をとる者もいた。一番辛辣だったのは、粒子コンピューター『エデンの知恵』に搭載された人工知能(AI)である。AIはこう指摘する。
「まったくもって馬鹿げている。
そもそも、平等とは物資を均等に分け与えるという意味ではなく、機会を均等に与えることだ」
この言葉は、むしろデモ隊を活気出させた。やはり所詮機械だと。
心を理解しておらず、人間をまるで分かっていないと。
人の弱さや儚さが理解できないAIを尻目に、人類は尊厳と自信を取り戻した。
ならば活路は自分たちで見出すと、共感した人々はこぞって宇宙移民に志願し、母なる地球を後にする。
これから待ち受ける試練など如何程かと、縛られることない理想郷を目指して、期待を胸に旅だった。
さて、地球に取り残された人たちはというと、こうも予想通りになるものかと粒子コンピューター『エデンの知恵』を褒め称え、自分たちだけなら十分な広さとなった地球をどう運用していくかに思いを馳せながら、まずは年代物のワインで祝杯をあげるのだった。