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作者: たまむし

連載作品のリハビリで書いてみました。

エンディングで何も解決しない、読後感悪い作品です。

怖さはあるとすれば中盤以降から。




 寒々とした灰色のホーム。病的な几帳面さで敷き詰められたタイルの床へ、重く苦いため息がぼとりと落ちた。


 男は、壁際に並んだつるりと形ばかりはまろいが固い椅子に沈み込むように腰掛けていた。

 ダークグレーのスーツの膝を大きく開いて、間にぐったりと頭を垂れる。


 見るからに草臥(くたび)れ果ててげっそりとしている男の名前は池由誠吾(いけよしせいご)と言った。


 独身ひとり暮らしの会社員。三十一歳。

 彼は今、普段は健康的な顔色を病人のように変えている。

 その理由は。


「一体どこに行った…」


 先日たったひとりの弟が行方不明になった所為だった。


「どこだよ…」


 この数日で腐るほど(こぼ)した台詞を、癖のように吐き出す。

 弟は痕跡なく、前触れもなく、煙のように消えてしまった。


――――何かの事件か事故に捲き込まれたのか。


「はぁあっ…」


 身体中の何かを絞り出してため息に変える。

 毎日心当たりの場所をしらみ潰しに探し回る日々。

 有給を使いきってからは仕事帰りに足を動かすようになった。今日も真新しいルーティンを終えたばかりだ。腕時計の針は午前に近い。


 終電二本前の電車を待つこの時間、駅構内は見事に閑散としている。

 目の前の線路はオフィスからひとつずつ川と山を越えた、それでも一番近いベッドタウンへ向かう路線だが、商業施設も話題になるような名物もない、ただの乗り換え駅である。


 オフィス街から帰るには、少し遠回りになるが別ルートの方が賑やかな繁華街に寄れるため、人はそっちに流れている。その所為でご覧の有り様だ。

 ダイヤも都会に比べて随分と間が空いていた。


 終電の方が寧ろ利用客は多く、時刻表上で二十四分もある空白のこの時間に当たると、毎回ぽつねんとひとり、座っていることになる。


 静かで、人目がない。

 誠吾はこの時間が嫌いだった。静か過ぎて余計なことを考えてしまう。


 早く電車が来るように願う。

 流石に疲れていた。歩き回った体もだが、日が経つにつれて悪い方へ転がっていく心も。


――――そういえば、深夜の誰もいないホームには幽霊が出るって言っていたな。


 誰が、とは言わない。そういう話が好きな年頃の時分、面白半分に聞いた内のひとつがこの駅の話だった。


――――もし死者に会える特別な場所なのなら、少しぐらい顔を見せてくれても良いのに…。


 緩慢に頭を抱えて思考を散らす。

 生きている筈だ、絶対生きているとそう、何度も小声で言った。

 自分に言い聞かせることすら、弟の生存を疑っている証拠な気がして唇を噛んだ。


 妙な音が聞こえてきたのはそんなときだった。



 ドュエドュエドュエドュエ…



 擬音が豊富な日本語であっても、文字に起こすのが難しい、低いのに軽い音が、小さく、しかし途切れることなく続いている。



   ドュエドュエドュエドュエ



 しかも、段々大きくなって…いや、近付いているような気がして、誠吾はのろのろと顔を上げた。


 年期が入った無機質な駅。どこか色褪せたような殺風景なホーム。その、見慣れた景色の中。電灯があっても夜闇がうっすらとかかる視界の端に、背景から浮きまくった異物を捉えてぽかんと呆けた。


 角張った箱状のものが線路を走ってくる。


 電車が走るための場所を辿っている物体だが、上部には何の装置もなく、線路の上に張られた電線には触れもしない。


 それはつるっとした灰色の平面で出来ていた。

 先頭の面の殆どを占め、側面に等間隔に並ぶ水色の四角。

 前にある面の下部に、レモンイエロー一色の丸がふたつ。


 やたら縦に細かく揺れながらドュエドュエドュエとやってくるそれは、箱がひとつ。電車一両と同じぐらいの大きさで、奇妙な動きをしている割に見慣れた電車と同じ速度でホームの半ばまでやって来た。


 …水色の四角は窓。レモンイエローの丸はライト。

 あるべき凹凸も、丸みの一切もないが…極限までデフォルメされている電車のような気がした。


 異様な物体が近づくにつれ、明るくなりきらない深夜の駅に似つかわしくない角張った何かの全体が、細部まで見て取れるようになってきた。


 しかし、細部といっても新しい情報は何もない。凹凸のない灰色の平面に、ライトブルーとレモンイエローの四角と丸。艶消し加工なのか映り込みもなく、蛍光灯に近い上の方が明るく見えるような気がするのみだ。


 まるで下手なCGを実写に合成したような違和感を漂わせる電車もどきが近づく様は強烈に不気味だ。


 ぞくり


 悪い予感と背筋を走る悪寒に身を震わせて、思わず立ち上がった。

 もう既にそれ(・・)は誠吾の目の前に迫っている。


「ひっ!」

 形振り構わず逃げ出そうとする誠吾にお構い無しに物体が至近距離に停止する。



 ティランティン♪



 同時に軽やかな音が鳴った。

 

――――…スーファミ?


 誠吾は思わず足を止めていた。


 小さな頃に弟と夢中になったゲーム機から出る音に酷似していた。

 かつて毎日のように耳にした16ビットの効果音(サウンドエフェクト)


 恐怖、懐かしさ、子どもの頃の平穏、非現実感、嫌な予感、幸せな思い出。

 それらが入り交じり、混乱して立ち尽くした誠吾の丁度目線の先。並んだ水色の四角の間に縦線が生まれた。



 テュルルル♪



 本物の開閉音と似ても似付かない音と共に、車体ど真ん中が、まるで二枚のスライドドアよろしく開いた。


「あっ…」


 静かに鳴り始めたレトロなBGM。

 知らないメロディだが、のんびりとした明るい曲調に、昔遊んだゲームを連想した。

 当時大流行したRPGロールプレイングゲームの、序盤の田舎町。あのほっとする雰囲気を演出していた、穏やかなスローテンポ。


 ゲーム内の安全地帯の印象と結び付いた所為か、誠吾は危機感を忘れて突っ立っていた。

 彼の前面が、箱の中から射した強めの明かりで薄ぼんやりと照らされている。

 その光を切り抜いて、小さな人影がおずおずと降り立った。


「………え?」


 聞こえるか聞こえないかの声量で呟いたのは、十歳ほどの少年だった。


 真っ黒な目と、真っ黒な髪。よく日焼けした肌をして、戸惑った様子できょろきょろと辺りを見回している。

 足首までのズボンと長袖のシャツはゆったりとした作りかつ厚手のもの。

 頭陀袋のようなものを背に負って、腰にはイミテーションには見えないごつい革ベルト。

 左腰に吊っている、先が床に触れそうなほど長い()


――――ああ…。


「なんだ――夢か」


 深夜の駅に、懐かしいゲームを彷彿とさせる音と共に、小学生だろう少年が、旅立ったばかりの勇者のような格好でやってくるとは、まさに夢にふさわしい突飛な出来事だ。

 空気にたまった湿気や頬に感じる微かな風まで感じ取れる。なんてリアルで非現実的な明晰夢だろうかと感動さえした。


 すとんと椅子に腰を下ろして、どうやら自分は、思ったより疲れているらしいと誠吾は思わず苦笑した。


「あ、あの…」

「ん?ああ、何かな?」


 小走りにやって来る泣きそうな顔の夢の住人に、すっかり落ち着いた誠吾は穏やかに対応した。

 どうせ夢なら楽しもうと思ったのである。


「ここは王都じゃ、ないんですか?」

「…残念ながら違うね。王都に行くはずだったのかい?」

「はい。聖剣を抜いちゃったから」

「へえ、それはすごいね。勇者さまだ」


 えへへ、と照れて笑う少年が微笑ましくて、誠吾は笑みを深くする。王都に聖剣、勇者と、昔やったゲームの中身そのままだ。

 世間に揉まれてすっかり汚い大人になったつもりだったが、自分の奥底には無邪気な童心が残っていたらしい。蓋が外れたように次々に蘇る思い出のストーリーを記憶の中でなぞった。


――――聖剣を抜いたら、チュートリアルで村を襲うモンスターと戦闘。お助けキャラの幼馴染が怪我をしたからひとりで王都に行って国王に会うんだったか。


「これから王都に行って、王さまに会うんだな」

「あの、はい…」


 ぽつりと呟いたら、少年は気弱そうな顔で頷いた。

 それが誠吾には意外だ。勇者というキャラは勇ましくて、正義感に溢れ、大人に止められても故郷を護るために戦う無鉄砲さを持っていたはずだったからだ。


「どうしたんだ。何か不安かい?」

「…はい。だって…俺が勇者ってことは、魔王を倒してくれって言われるんだろうから」


 自信がないのだと彼は言った。

 聖剣を抜いたとはいえ、今までに倒したことがあるモンスターは、最下級のスライムと、村を襲ってきたコボルトが三体、旅の途中で遭遇したゴブリン二体、オーク一体。

 いつも一緒だった幼馴染も居ないひとりの旅は心細く、そんなときに出会ったモンスターとの戦いは怖くて、しかも酷く苦戦した。

 下級の魔物にさえ手古摺るこんな自分では魔王を倒せるとは思えないのだ、と。


「けど、父さんと母さんは俺のこと、勇者だって言ってすごく嬉しそうだったし、リューイ…幼馴染ともひとりでちゃんと行ってくるって約束したし、行くしかないんだけど」


 悄然と俯く少年を眺めて、誠吾は彼に同情しつつ半ば感心していた。

――――流石大人が見る夢だな。心理描写が妙にリアルだ。


「それは大変だね。でもまぁ、大丈夫だよ。最初はみんなオークに苦労するけど、終盤にはドラゴンも三ターンで倒せるようになるから」

「?さんたーん…?」

「おっと、ともかく、レベル上げ…君が無理せず倒せる敵と小まめに戦っていたら、君はどんどん強くなっていく。そうしたらちゃんと魔王も倒せるようになるから大丈夫だよ。そうだな――」


――――チュートリアルのコボルト三体、最初の村から王都までの道のりで出るゴブリンとオークを倒しているならまず間違いなく…


「あと一体何かモンスターを倒したら、レベルアップ…ぐんと強くなれるはずだよ」

「え、本当ですか!?」


 あと一体!と急に明るくなった少年勇者に誠吾は少々不安になった。素直過ぎてすぐ騙されそうである。


――――ゲームでも人の話を疑ったりしないキャラだったな。それにまぁ、夢だし良いか。



 デレレレレン♪



「ん?」


 低くてどこか不穏な効果音がして、BGMが止んでいることに気が付いた。いや、さっきまでの呑気なものではなくもっと静かな、不安を掻き立てるような音楽が鳴っている。

 戸惑って見渡し、ある一点を目にしたとき、ぞくっと背筋に悪寒が走った。


 変な電車もどきから二メートルほど離れた所。ホームのコンクリートに白く浮かぶ線路際の白線。その向こう。

 すっぱりと床が切れて、下の線路が覗くだけの場所。

 電車の運行に支障があるのだから、本来なら何もない。はずなのに、あるのだ。


 ホームの下から突き出された、酷く白い手が(・・・・・・)


 天に伸ばされた右手。何かを掻きむしるように指がバラバラと動き、ホームの縁を掴む。

 するりと滑るように、もうひとつの手が上がってくる。

 滑り止めのファイバーラインをかりかりと引っ掻いて、指先から手首、手首から前腕が、ゆっくりと床に乗る。


「あの、どうしまし…!!」

 少年が誠吾の目線を追って振り返り、同じように固まったのが誠吾の目の端に映る。しかし、指一本どころか目さえ動かすことができない。


 腕の間に、漆黒の丸み――頭が上がってくる。


 ざんばらの長い髪の間から、真っ白な額が見える。


 それなりに遠いのにはっきりと、黒々とした眉がわかる。


 その下に空いたふたつの穴。いや、黒一色の眼窩もが露わになって。


 確かに、目が、合った。


「「わあああああああああああああああ!!!!」」


 ふたつの絶叫が重なった。

 恐怖の叫びと共に、誠吾は遮二無二逃れようと手足をばたつかせ、椅子から床に転倒した。が、


「ああああああああああああああああ!!!!」

 雄叫びと共に少年は弾かれたように疾走し、眩い光を発する(つるぎ)を抜き放ち――


 ザシュッ!


 白いそれ(・・)を斬り払った。


 細く甲高い悲鳴が四方八方から降り注ぎ、白がふわり、と千切れ、ゆらぎ、霞んで消えた。


「……」 


 誠吾は小刻みに震えながら、呆然と小さな背中を見つめた。


 彼はそのとき、小さな勇者が(・・・・・・)心底から怖かったのだ。

 剣を以て何かを斬る、というのは、例えそれが己に向けられなくても恐ろしい行為だった。恐怖の対象を滅してくれた、つい先ほどまで会話していた子どもだとしても――



 テッテパラパパーン♪



「……」

 能天気なファンファーレ、次いで戻ってきた呑気なBGMに、誠吾は脱力した。


――――そう、これは夢だ。深刻ぶるのもバカバカしい。


「おにいさん!!」


 何とか椅子に上がった誠吾に、きらきらとした笑顔で少年が駆け寄ってくる。

 きらきらと…本当に何かきらきらと彼の周囲の空気が輝いている。


「俺、なんかすごく強くなったみたいです!!おにいさんの言う通りだ!!すごいや!!」

「ああ…レベルアップの演出か…っと、すごいのは君だよ。あんなのに立ち向かって勝ったんだ」

「そうですか?えへへへ…」


 勇者少年が照れて笑ったそのとき、てんとろしゃんとろと力の抜ける音が鳴り響いた。


「あ、もしかして発車するんじゃないか?多分、王都に行くなら乗った方が良いだろう」

「え、あ!はい!」


 慌てて電車もどきに駆け寄った彼は、中に乗り込んだ半身を振り返って叫んだ。


「ありがとうございました!!」



 テュルルルル♪



 形容しがたい音と共に、四角い穴が閉じた――






『――間もなく二番線に電車が参ります。危険ですから白線の内側に――』


 誠吾はぼんやりと瞬いた。


――――目が覚めたみたいだな。


 自分で自分に使うのは奇妙な言い回しだが、真実そんな気分だった。

 それほど夢の中の感覚は現実に近かった。

 しかし、内容は現実ではありえないもので、混同しようがない。


――――16ビットピコピコ音源と一緒にローポリCGみたいな電車もどきから"ぬののふく"装備の駆け出し勇者が降りて来て悪霊退治して行くとか、愉快な夢を見たもんだな。


 疲れた顔をほんの少し綻ばせて、やたらと重たい体で立ち上がると、丁度ホームに滑り込んで来た予定通りの電車に乗り込む。

 現実逃避とは知っていても、現状を少しの間でも忘れていられたことで、僅かに心が軽くなっていた。




     ◇◆◇◆◇




 会社の愚痴ぐらいは聞いたことがあった。でもたまに会って呑みに行けば、遣り甲斐がある仕事だと鬱陶しいほど饒舌になって。

 後輩は一生懸命な癖に不器用で、フォローが大変なのだとか、上司には可愛がって貰って、(ちまた)で有名な回らない寿司屋に連れて行かれ、後から値段をネットで見かけて(おのの)いた、なんて話も聞いた。



 誠吾はその日も疲れ果てた足を引き摺って、ホームへの階段を上った。

 頭の中は弟のことで一杯だ。

 探せど成果などないが、過去の明るい弟の顔を思い出し、それをよすがとして望みを繋ぎ、独自の捜索を続けている。



 行方不明になったと聞いた数日の内に、弟の話に出てきた大勢が代わる代わる家を訪ねてきたり、警察の捜査に自主的に協力してくれた。


『ドライブに行こうって言われた筈なのにさぁ、いつの間にか山道に下ろされて、ハイキングさせられてんの。んで展望台で一休みしよって言われて行ったら、わって取り囲まれてさ、誕生日おめでとうだって。ゼミの同期全員。ほんとアラサー社会人男が十人も何やってんだっての』


 顰めっ面なのに照れたのか口元がちょっと曲がっていた。

 あの顔をからかってやったのはついこの間のこと。月の終わりに近かったからまだひと月と少し。


――――彼女も居るって言ってたな。会わせろって言っても、いつもまた今度なとしか返ってこなかったけど、満更でもなさそうにしてた。


 職場の人間関係も、プライベートな交遊だって順調な弟。

 兄弟仲も良かったと思っている。両親とも普通に仲が良かったと思う。


 大きな悩み事など聞いたことはなく、詐欺含め事件やトラブルの影もなく。


 なのになぜ――突然消えたのか。


「あの日も…いつもと同じ感じで家を出たのに…」


 無意識に呟いてしまった独り言に反応して、三つ隣の椅子で終電を待っている中年男性がちらっと誠吾を見たが、すぐスマホに目を戻した。


 大きなため息を、出来るだけ静かに吐いたあと口を引き結ぶ。

 不審者扱いで注目を集めるのは御免である。


 ちらりと確認した腕時計は、終電の十分前の時刻を指していた。

 少し空いた時間を潰すため、このひと月で身にこびりついた疲労感に任せ、背もたれに寄り掛かって目を閉じた。



 …ドュエドュエドュエドュエ



 はっと目を見開くと、見覚えのある電車もどきがホームに停まるところだった。



 ティランティン♪



 軽やかな効果音に気分まで僅かに軽くなる。

 テュルルルと開いたドアの向こうから降りた人影を、誠吾は微笑んで迎えた。


「お兄さん!」

「やあ、二週間ぶりかな――見ない内に…立派になったな…?」


 そうかな、と嬉しそうに笑った夢の住人は、雰囲気が変わっていて、誠吾は驚く。

 先ず背が違う。五センチ以上は伸びた。

 成長期でもたかが二週間でここまで伸びるだろうか、と考えかけて、夢なら今さらだと思い直す。

 身につけているのは鎧だ。背中には盾だろう、直径四十センチほどの板状のもの。

 但し、金属製ではなく厚目の革を整形したものだ。

 ゲームだと序盤に手に入れるレザーメイルとレザーシールドという装備だろうとあたりを付けた。

 防御力の数値だけが気になるゲーム中では弱い装備であるが、実写で見てみると、誠吾は包丁を持っていても切り裂ける気がしなかった。


 そして何より、少年の表情が落ち着いているのが何よりの違いだ。

 もう"駆け出し"っぽさは抜けて、自分に自信を持っているのが姿勢からもよくわかる。


「お兄さんのアドバイス通り、たくさんモンスターを倒してるんだよ!そうしたらどんどん強くなってね、リザードマンも倒せるようになったから、今度は仲間と海に行くんだ!」

「そうか、楽しそうだな」


 はしゃいだ声音で真っ黒な目を誠吾に向けた少年は、楽しげに冒険を語る。


 国王から魔王を倒せと命を下され、その前に国境を守る四賢者を訪ねるように言われたこと。

 帰りの道中深い森に迷い込み、精霊と知り合って薬草を分けてもらったこと。

 故郷に戻って幼馴染の怪我を薬草で癒し、共に旅立ったこと。

 戦士と神官と出逢い、仲間になったこと。

 国を騒がせる盗賊団と度々衝突すること。


「それで、今は賢者さまがいる南の孤島に行くために港へ向かってるんだ」

「そうか…船に乗ったら気を付けろよ、巨大イカが襲ってくるから」

「ええっ!?」


 覚えているイベントを先回りして教えてやれば驚愕する素直さが可愛い。

 小さい頃の弟を思い出して、誠吾はほっこりと笑った。


「大丈夫だ。確か雷属性の武器、どこかで売っていたよな?あれで大ダメージを与えられる」

「あ、あります!買いました!良かったー」

「でもな、墨を掛けられたら何も見えなくなって、こっちの攻撃は当たらんし、あっちのは避けられないしで、一気に負けたりするんだよなー」

「え!?ど、どうしたら…」

「対策には、神官の魔法の――」


 調子に乗って幾つか助言を与えてやれば、真剣に聞いて、はっと息を飲み、感心して頷く。彼は実に気持ちのいい聞き手であり、誠吾は気分良く幾つか先に必要になるアイテム等も教えてやった。


「ありがとうございます!」

「いや、いいよ。けどな、今教えた通りにしたら戦い易いが、やっぱりレベルが足りてなかったら勝てない。一番大事なのはちゃんと鍛えておくことさ」

「大丈夫ですよ!だって俺、お兄さんの言う通りちゃんといっぱいモンスター倒してすごく強くなったんだ」

「そういう油断が命取りなんだから気を付けろよ」

「大丈夫ですってー」


 笑いながらの注意に、少年勇者は気分を害したようだった。唇を尖らせて不満そうな顔をする。

「大丈夫って思ったときこそ気を付けないといけないものなのさ」

「大丈夫って言ったら、大丈夫なんですよ!もう、そんなに言うなら――」



 デレレレン♪



 唐突に鳴った不穏なサウンドエフェクト。

 聞いたことがある、と記憶を探って息が詰まった誠吾を見上げ、少年は、にぃっと笑った。


「――証拠、見せますね?」


「それは」どういうことだ、と続くはずだった言葉が、少年の背後の存在を目にして止まる。


 強烈な寒気に体が震える。歯がかちかちと音を立てる。

 扉が開いたままの電車もどきと、目の前に立った小さい背中との間にある、ほんの三メートルしかないその場所に、前々から存在していたかのように静かにそれは居た。


 真っ赤なワンピースを着た女だ。

 病的に白い腕をだらりと垂らし、膝丈のフレアの裾から同色のすんなりと細い脚がふわふわと覗く。


 誠吾に判るのはそこまでだ。


 なぜなら、彼女には――首と足が、なかったのだ。



「っぅぁああああああ!!!!」


 渾身の悲鳴が迸る。愚かにも思い切り背もたれに体を押し付けて距離を取ろうとした。

 意識を沸騰する危機感と恐怖が埋め尽くす。閉じることも忘れた目に、輝く剣を抜き放った勇者を映した。


 赤いワンピースが揺れて、女が少年へとゆらりと近づく。その周囲の虚空を埋め尽くし、無数の手が湧き出した。

 少年が身を捻り、振り返りながら剣を担ぐように構える。

 迫る腕。その掴もうとする無数の白ごと、内側に囲まれた赤が、一刀両断に斬り捨てられた。



     テッテパラパパーン♪



 BGMが戻って来る。

 だが、なんだかノイズが酷いと思った。いや、ぜいぜいと荒いこの音は、誠吾自身の荒らげた呼吸音だ。

 折角の落ち着く音楽が聞こえにくい。


「ほらね、俺強いでしょう?」


 きらきらと周囲を輝かせた少年が得意気に振り返った。


「………ああ、すごいな!さすが勇者だ!」


 誠吾は自分のことのように誇らしく、嬉しい気持ちで褒めた。

 とても爽快だった。スポーツ観戦で、応援していた選手が思った通りの大活躍をしてくれたときに近い快感。

 しかも彼は、テレビの向こうの選手ではない。目の前で照れながら「お兄さんのアドバイスのお蔭ですよ!」と誠吾を尊敬の眼差しで見上げて来るのだ。


「…はははっ!この様子ならオバケイカも倒せるだろうな」

「でしょう!俺、絶対魔王も倒すんです!!」

「そうか、君なら出来るさ」


 手放しでそう言えば、少年は嬉しそうに笑った。


「必ず倒しますからね!」


 そう宣言したタイミングで、電車もどきの発車メロディーが流れ出す。

 彼が身軽に飛び乗る。そうして振り返って手を振ってくれた。

 それに振り返したそのとき、テュルルルルとドアが閉まった。






『――間もなく二番線に電車が参ります…――』


 ふと、聞きなれたアナウンスに瞬きをした。

 どうやらまた眠ってしまったらしい。よくもまぁ電車を逃さないで丁度目覚められたものだと誠吾は思う。


 ホームに滑り込んで来た電車に乗るため、立ち上がった。寝起きだからか疲れが出たのか、体が重い。

 つい少しふらついた拍子に誠吾と同じく椅子に居た中年の男と目が合ったが、何故か急いで目を逸らされてしまった。


 まじまじと見られても困るので、別に気にしないことにした。

 そんな小さなことは気にならないほど、爽快な気分だった。


「あいつ、ちょっと祥吾(しょうご)に似てるよな…」


 最愛の弟と勇者の少年を思い浮かべてうっそりと笑う。

 素直で可愛く、誠吾を頼りにしている辺りがそっくりだと口の中で呟いて、誠吾は機嫌よく考えた。弟と同じくきちんと力になってやろう、手助けをしてやろうと。


 誠吾は最近になく上機嫌だったから、中年がわざわざ離れたドアを通って別の車両に乗り込んだのも深く考えずに忘れた。




     ◇◆◇◆◇




「池由ぃ」

 退社の準備をしていると、同じ部署の先輩が声を掛けてきたので、誠吾はのろりと顔を上げた。


「あぁ…櫃口(ひつぐち)さん…?何か?」

「ん、ああ…」


 櫃口は思わず一瞬口ごもった。

 それほど誠吾の顔色は血の気が失せて頬はこけ目は落ち窪み、目はとろりと力がなかった。見るからに不健康で病人に見える。


「…お袋さんから電話」

 迷って結局そう言った櫃口の様子に気付かず誠吾は礼を言って、デスクの隅の内線を取り、点滅している外線ボタンを押す。


「もしもし?」

『誠吾?』

「うん。母さん。なにか、用?」

『…ええとね、あのね…』


 口籠る母に、不意に苛立ちを覚えた。

 今日も探してやらねばならないのに、その邪魔をされている気分だ。いや、邪魔だと断じる。


「母さん、もう退社するんだ。用があるなら手短にしてくれ」

『あ、ええ…ごめんなさい誠吾。実はね……警察の方が、お話を聞きたいって』

「っ!何かわかったのか!?」


 気が付くと、立ち上がり大声を出していた。

 同僚が皆誠吾に目を遣って、慌てて逸らすが、誠吾は気付かない。


『あの、いいえ。まだね、もしかしたら手掛かりになるかもしれないって…』


 膨らみかけた期待が萎むが、しかし手掛かりになるということは、捜査が進展する可能性があるということである。ならば協力を惜しむことなどありえない。

 誠吾は勢い込んで受話器を両手で握った。


「今から行けば良いのか!?」

『ええ…都合が良ければ』

「大丈夫だ行く!場所は前に話を聞いた警察署?」

『そうよ』

「分かった。直ぐ行く」

『そうお伝えするわ――ねえ、せいちゃん』


 じゃあ、と言って切りかけた受話器から聞こえてきた母の声に、誠吾は離しかけた手の中のものをもう一度耳に近づけた。


『――お母さん、信じてるから』


 ぷつっと通話が切れる音がして、ツー・ツー・ツー、と無機質な音が続く。


――――信じてる?祥吾は生きてるってことを?そんなの当たり前じゃないか。


 なぜ今それを言うのかと釈然としないまま、受話器を置いた。


「池由」

「…ああ、櫃口さん?ちょっと用事出来たんで、上がらせてもらいます」

「……おう。気いつけて帰れ。それと、ちゃんと休めよ」

「はい。お疲れさまでした」


 いつもの挨拶を口にしながら、誠吾は櫃口の言ったことをまるで聞いていなかった。心配げに見送る先輩の目が、オフィスを出るまで背中を追っていたことにも気づかなかった。

 暗記してある会社最寄り駅の、この時間のダイヤを思い出し、退勤ラッシュの道路の様子を思い出し、タクシーよりも電車で向かう方が早いだろうと考えるのに忙しく、我知らず口元を綻ばせていた。




     ◇◆◇◆◇




 誠吾は駅までの道を歩きながら、スマホに繋いだイヤフォンから聞こえてくる音に耳を傾けていた。

 水音と共に、音とテンポを少し外した鼻歌が耳に流れ込んでくる。

 祥吾が好きなバンドの当時の新譜だ。皿洗いをしながら口ずさむほど気に入っていたのだろうと、切なく思いながら誠吾は重たい足を動かしている。


 弟の失踪から、もう半年以上が経過した。

 誠吾は未だに毎日弟を探していた。

 雨だろうが台風だろうが雪だろうが、一日も欠かすことなく歩き回り、探し回り、そうして成果なく疲労を積み重ねてきた。

 その風貌はもはやめっきりと老け込み、未だ三十台に乗ったばかりとは、初対面の人間にはわからない。


 覚束ない足取りながら、弟の声に耳を傾けていると気分が良い。今の誠吾の数少ない楽しみのひとつだ。


 定期入れを改札に押し付けて通る。

 誠吾はふわふわと微笑みながらエスカレーターを上がっていった。



 …ドュエドュエドュエドュエ



 いつも通り(・・・・・)、ホームに着くと同時に電車が到着した。


 誠吾のもうひとつの楽しみはあの勇者と会うことだった。

 この半年の間に、彼らは数えきれないほど会っていた。

 最初は期間も間遠でしかも深夜にしか会えなかったが、今では駅に行けば会えるようになっていた。畢竟毎日朝晩の二回、顔を合わせている。



 ティランティン♪ 



 誠吾はもはや聞きなれたこのSEを聞く瞬間がたまらなく好きだ。

 どれだけ疲れて気分が沈んでいても、この陽気な効果音を聞くだけで全て吹っ飛ぶ。

 


 テュルルル♪



 ドアが開き、勇者が降り立つ。

 逞しくなった体に、オリハルコン製だという白銀の鎧が似合っている。

 背はもう誠吾を追い越し、腰の聖剣は引き摺る心配など必要ない位置に、きちんと片手剣らしく納まっている。

 幾多の戦いを経て、黒く焼けた肌にはいくつか傷跡がある。

 そこにいたのはもうどこからどう見ても小学生ではない。歴戦の勇士である立派な青年だ。

 真っ黒の髪に真っ黒の目だけは、最初の日から変わっていなかった。


「やあ、今日も会ったね」

「あぁ…来てくれて嬉しいよ」


 気安く挨拶をしてくる勇者に、誠吾もまた嬉し気に歓迎する。


 この半年、会う度に進む冒険の話に耳を傾け、真摯にアドバイスを送り、幾らかの雑談をして、最後に駅に表れた幽霊を勇者が倒して電車に乗って去る、という流れを繰り返していた。

 勇者は助言をくれる誠吾に親しみを覚え、誠吾は毎回身の毛もよだつほど恐ろしい目に遭いながら、化け物を消し去ってくれる勇者にすっかりと気を許していた。


「それで、四天王の最後のひとりは倒せた?」

「うん!言われた通りの戦法でやると楽に倒せたよ。ありがとう」


 誠吾は嬉しくなってへらへらと笑った。


「そうか…じゃあやっと」

「ああ――次は魔王を倒す番だ」


 誠吾は思わず身震いをした。

 ここまで我ながら完璧に勇者をサポートしてきたのだという自負と、魔王戦も出来る限りの助言をして、勝利に導くのだという決意が体を震わせたのだ。


 そして、魔王を倒した暁に、己へ向けられる勇者の感謝の眼差しと言葉、それを受け入れ、鷹揚に返す自分の姿がありありと思い描かれて、得も言われぬ陶酔を覚えてうっとりとした。


「ああ…任せてくれ。魔王戦も研究はばっちりだ。デバフはほぼ効かないからバフを目いっぱいかけて、弱点の光属性攻撃を中心にするんだ。魔法攻撃の後には範囲攻撃が来るから魔法が来たら後衛は防御を前衛は「ああ、いい、いいんだよ」


 つらつらと語っていたのを遮られ、誠吾は目を見開いた。こんなことは初めてで混乱する。素直なはずの勇者が、助言を真面目に聞かないなどということは考えたこともなかった。


「…何が、いいっていうんだ?」

「面倒な手順は必要ない。そういう意味での"いい"さ」

「バカな。魔王は流石にラスボスだけあって手強いんだ!そんな驕った考えでは倒せないぞ!」


 カッとなって叫ぶ誠吾に、おいおい怒るなよ、なんて言いながら勇者は肩に手を回してきた。



  ドゥロロン♪



 聞いたことのない効果音と、何よりスーツ越しにも感じる冷たさに顔が引きつった。

 しかも何やらアップテンポのBGMが流れているのに気が付いた。

 レトロな16ビットは可愛らしいが、それを補ってあまりある勇ましさがある曲調。


「おい、君はなんでこんなに冷たいんだ…?何かの状態異常か?大丈夫なのか?」

「ふふ…大丈夫だ」


 心配ににやにやと返されて、誠吾はむっとした。

 だが、背を回り、肩を包んだ手がぐいっと前へ押し出してきて、前方へよろめいてしまい、返そうとした文句は言えなかった。


「何するんだ!」

「何をって、そんなの決まってるじゃないか」


 すっと耳元に顔を寄せて、勇者はにぃっと唇を吊り上げた。


「魔王退治さ」


 ぽん、と軽く押されて、誠吾はいとも容易く宙を舞った。


 どばごん!というような、やはり聞きなれないSEが轟音の大きさで頭蓋の内に鳴り響くと同時に、誠吾は跳ね上げられていた。


 甲高い叫び声をBGMに、放り投げられた人形のように体が空中で回転する。

 退勤ラッシュの駅構内、埋め尽くす人が全員ぽかんとこちらを見ている。


 人混みの最前列で、勇者が立っている。


 白目のない(・・・・・)黒一色の目。光を反射しない(・・・・・・・)真っ黒でざんばらの髪の、見慣れた姿で、これ以上ない上機嫌を示すように、目の下まで(・・・・・)裂け上がった口で(・・・・・・・・)笑っている。

 その背後に、(おびただ)しい数の、白色の幽霊を従えて。



「――え?」



 次の瞬間、誠吾は線路に叩きつけられ、一度彼を跳ね上げた電車が、けたたましいブレーキ音を響かせて彼を曳いた。




     テッテパラパパーン♪





     ◇◆◇◆◇




■捜査記録


 被害者:池由 祥吾

 容疑者:池由 誠吾


 20XX年4月20日 被害者失踪。

 同年4月22日 捜査開始。


 当時、事件性の有無も含めて調査を開始。被害者の周辺を洗うも何らかの事件に巻き込まれた痕跡は出ず、家出調査に軌道修正。


 同年5月10日 被害者宅より盗聴器と隠しカメラを多数発見。

 失踪原因の手掛かりとして有力と判断。ストーカー被害も併せて調査することを決定。


 同年7月28日 被害者の知人より、被害者が兄の干渉が辛いと愚痴をこぼしていたと証言した。

 カメラ・盗聴器からは犯人を示唆する手掛かりは出なかった。担当者判断で被害者の兄・池由 誠吾の周辺調査を秘密裏に開始。


 同年8月5日 被害者の兄・誠吾の言動の聞き取り調査に踏み切る。弟への並々ならぬ執着を匂わせる証言を複数確認。

 同時に、誠吾容疑者が心神耗弱(こうじゃく)状態にあることが確認された。

 通勤中、駅のホームにて誰かに話しかけるような独り言を繰り返し、あるいは絶叫し、その間周囲の人間を感知しない。

 その殆どが深夜時間帯で人が少なく、迷惑行為ではあるが周囲の被害は軽微。

 状況的に一向に弟が見つからないことのストレスが原因ではないかと思われる。

 暴力行為もなく、迷惑行為ではあるが被害軽微ゆえ、手が出せない。

 経過観察と共に更なる調査を行う。


 同年10月15日 誠吾容疑者のスマートフォンから弟・祥吾の部屋を盗聴したと思わしき音声を聞いたという証言が複数出揃った。

 聞いた『かもしれない』という曖昧なもので証拠として弱いが、容疑者の母親の協力を得て任意同行を取り付けた。

 これで盗聴の証拠を押さえらえれば容疑者宅の捜査令状も取れるだろう。


 同年10月20日 誠吾容疑者が線路に飛び込み自殺。

 容疑者宅を調査した結果、盗聴及び盗撮の証拠多数と、幻覚を見ていたことを示唆する内容の日記を押収。


 被害者の行方に関する手掛かりは出ず。




 

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