8-03
面倒事のひとつ、闇に紛れ遂行たれと命じられたレドヴェニア案件が終わった。
なんと心晴れやかたるか!
『ご協力感謝致し候、アルリー様。これにて我が主命の半ばを達することが敵いましてござる』
帰りの馬車の中、御者に漏れぬよう潜めた声で会話する。
ニンジャ執事セバスハンゾウは彼にしては稀有な安堵の雰囲気を醸して頭を下げて来た。わたしのしたことなどせいぜい名義貸しに近いくらい何もしてないのだけど、任務に確実を期する彼にとって正式な理由でリンドゥーナに立ち入れる貴族を隠れ蓑に便乗できたのはラッキーだったのだろう。
まあそれはいい、それはいいけど。
今少し聞き捨てならない台詞があったような?
『え、まだ半分なの!?』
『然り。返信なる書状を主の下に届けてこそ主命を完するものなれば』
『ああ、そっか。手紙を渡すって話だったんだから返事もあるわよねそりゃ』
そういう意味かと安堵する。これ以上の高難易度ミッションは発動されなさそうで一安心。
しかし返事なんて速達で出せばいいのに、と簡単に言えないのが国際郵便の闇。それが出来れば最初から今回のようなミッションは発令されなかった。
色々複雑で友好と対立の揺れ幅大きなロミロマ2世界の国際情勢を下敷きに、国を跨ぐ郵便の類は相手が誰であれ検閲が入る可能性が高い。勿論封を破ったりはしない、検閲を気取られないよう魔術で中身を確認するらしいのだ。
『高貴な方々の手紙を中身拝見、とはどの工作機関も容易く行えませぬゆえ。封を切らずに覗き見る手段が確立され候』
『プライベートが死んだ』
『我が身が携え国境を抜けるのも手でござるが、此れも捕捉される可能性が零ではないゆえ、確実性のより高き手段を採るが最上に候』
『はいはい、98%を99%にするって話ね。それでどうするの?』
『簡単にござる。往路と同じくこのまま短期留学が終わるのを待ち、堂々と帰国の途に着くので候』
『……ああ、うん、そうね』
いわゆる外交官特権的なノータッチ狙いと申すか。
正式に入国してきた要人、他国一行様の荷物検査など出来るはずもなく、また情報漏洩云々も人を止められないのであれば検めても無意味。
成程、摘発される可能性のない手段、下手に違法行為に手を染めるより確実安全。急いては事を仕損じる、果報は寝て待てという奴だろうか。
ただし帰国はまだ二か月近く先。となると気になるのは、
『手紙届けるの急がなくていいんだ?』
『然り。詳細は明かせませぬが、安寧なれば急を要さぬと申し付けられ候』
『それはなにより』
元より深く関わりたくない案件、安全に上手く進められるならこれ以上の詮索は無用不要というものだ。ゆえに最後の確認は、
『じゃあもうそっちの件でわたしはお役御免ってことでいいのよね?』
『後は不審を煽らぬ程度にこの身の主人らしく振舞っていただきたく候』
『お、おう』
上がり盾の男爵令嬢に大公家執事の御眼鏡に適うご主人様やってください、というリクエストは正直荷が重いんですけど? 敷居が高すぎませんかね?
──それでも。
束縛からの解放と思いがけない絆の確認が叶った。
かかるプレッシャーが失敗の許されない大公家の特務から生暖かい執事の失望視線レベルに下がったのは間違いなく、ランディの消息を掴んだのと併せて抱え込んだストレスが払拭されたのも間違いなく。
わたしは自由の半分とお気楽仲間の片翼を取り戻したのだ。
ああ、ああ、明日はいい日になりそう……。
******
翌日は朝から実に気分が良かった。
こういう時の表現は何と言うのだっただろう、おろしたての下着をつけて云々だったっけ。
「興奮冷めやらずに早起きしてしまった」
気の昂りは体調にも変化をもたらしたようだ。逃避気味の精神が朝起きたくないなァと重苦しい泥のような眠りに沈みがちだった昨今と異なり、身を縛る鎖が解けたような清々しさ。
表向きの任務、四女様の抱き枕、ライナスの毛布、同郷の友人役は帰国まで終わらないが背負っているものが減るのは実によいものだ。
「なんだかお腹も空いてきた、今なら強い香辛料にも胃腸が負けない気がする」
学園の寮でお世話になっている王国一行は食事処も寮の一角を借り、決まった時間に揃って朝昼夜をいただくのが基本的な暮らし向き。しかし寮生を賄う食堂でご飯をいただくことの許可も下りていた。
留学なれば現地の生徒たちと同じ扱い、同じ環境で過ごすべきとの方針に誤りはないものの、上級貴族の子女なれば毒見役が付く。『浄化』の魔術で毒混入の危険は防げるとはいえど、彼らの手間を省くべくわざわざ雑多な環境で食事する者は限られていた。
だけど。
「男爵令嬢たるわたしにそんな配慮はない、それが今は好機!」
変に他国の上級貴族ナイズされたものでない、現地人仕様のカレーを口にする絶好のチャンス。爽快なる気勢と胃腸の後押しでわたしの足は学園の食堂に向かったのだった。
さあ、待ち受けるのは激辛か、煮込み重視のスープ料理か、それともスパイシーなペーストや炒め物をナンで好きに包めとのバイキング形式か。
今ならどんな味付けでも、素人お断りの創作カレーでも愛せそうな気がする、そう、今なら何でもナンでも──
「アルリー嬢、ちょうどいいところに!」
意気揚々と食堂に向かっていたわたしの前に立ちはだかったのは小型ゴーレムが如き体躯の男、ヒダリー。言わずとしれた三馬鹿の一角、バカボン一党で一応の常識担当を司る貴族子弟である。
まあ貴方も早起きなことね、との感慨も瞬殺して溜息を飲み込む。心安らかなるわたしは何でも愛せるとはいったがそれは食べ物限定の話で、不快な連中にそれが適用されると言った覚えはないィ……。
「アルリー嬢、少し聞きたいことが!」
「チェンジで」
「何をだい!?」
「わたしと会わなかった朝の世界とチェンジで」
「具体的に富んだ拒否の姿勢だね、君は!!」
まだ人が起きてくる頃よりも早い時間、広い廊下にヒダリーの突っ込みが警報機のように響き渡る。
これがよくない、実によくなかった。
何しろ彼らは左右の凸凹仁王像、ふたりでひとつの近侍担当。ひとりが騒げばもうひとりが駆けつけてくるのは当然で、
「お前、なんでこんな朝から出歩いてやがる!」
「チェンジ」
「何をだ!?」
「代わり映えが無い……セット販売の弊害かしら」
ヒダリーアラームで引き寄せられたのは言わずもがなのミギー、バカボンも右側に立つ男こと騎士子息ミクギリス・アーシュカ。
二人揃って朝早く起きてるのは感心、それだけが褒められるポイント。後は顔を合わせて楽しい相手ではないのでマイナス要素しか羅列できない。過去の行状ついでにネガティブポイントには今ここでわたしのカレー突撃レポートを邪魔したのも足しておくことにする。
率直に言えば好感を何ひとつ向けるに至らない、関わりを持っても楽しくないので礼儀正しく無視できればと思う連中である。
──あるのだけど。
「で、わたしのご飯を邪魔する理由は何なの」
「そ、そうだ! アルリー嬢、ソルガンス様をお見かけしなかったかい!?」
「……いいえ、存じあげませんが」
ああ、バカボンのことか。
反応の遅れは脳内で変換を掛けるのに1秒ほどかかったせいだ。二人が仕える筆頭子爵家のおそらく嫡男、ソルガンス・イルツハブ。
成人前の段階で小太りの小男という見事な小物スタイルを維持している傑物。目下の人間に対して小さな暴君たらんと振る舞う素振りはわたしの知る範囲で貴族子息の悪い見本市を取り仕切る代表選手といっても過言ではない。
そして繰り言をするまでもなく。
忌々しさランキングで堂々の一位を飾っている悪しき因縁の相手。
(ランディをイジメてた主犯め)
それこそランディとの再会で浄化された精神状態、せっかくいい気分の心持ちを耳に突き立つ固有名詞の攻撃で大きく損なってくるのもある意味悪縁の延長線とでも解釈すべきか。
彼らのお陰でランディと出会い、彼らのせいで復調したメンタルを削がれそう。なんだこれ。
「そうか、ありがとう。どうやら戻ってないようだね、寮の方には」
「ちッ、相変わらず偉そうなくせに役に立たない女だ」
「ミギー、自分のご主人の悪口を言うものではないわよ?」
「女って言ってるだろうが! お前のことだよ!!」
「そう言い返すってことは性別以外の点が合致するのは認めるわけね」
「ぐぐぐ!!」
「やめておけミクギリス、口論している場合じゃないだろう、今は」
泡食った様子で開口一番の雑言を繰り出してきたミギーに華麗なる婉曲的反撃を放っておく。見事なカウンターに何もおかしくないが虚心坦懐でバカボンに仕えているわけではないらしい。
まあ思うところは出来るよね、上の人間の出来不出来は下の人間には重要なのだ、何しろ人生が懸かっていることだし。
仕える相手が他人に定められ、選べないなら尚のこと。
(さて、わたしはどうするのが正しいのかしら)
僅かな会話と情報で把握できたのは、御付きふたりが仕える主人を見失っている状態だという程度。わたしは知らないと答えた以上は関わりを続ける意味合いは既に無い。
無いのだけど。
(隠しルートの攻略キャラ疑惑があるからね……)
右の人ことミクギリス・アーシュカは乙女ゲーム定番の俺様キャラで家名にもメインキャラ特有の色モチーフらしき文言がアナグラムされていて、わたしが未攻略のロミロマ2隠しルートのシークレットヒーローな可能性がある。
個人的には関わりたい輩ではない。彼のみならずバカボン3人衆には欠片も好感を抱けないのだから礼儀正しく距離を置くのが処世術として正解のはず。
このまま立ち去ってカレーを堪能したい気持ちが満漢全席を振る舞っているが、ここで突き放した後、彼が本当に隠しキャラだった場合。
ヒロインと仲を深めるイベントに介入できるのか。
(けんもほろろに拒否られると、それはそれで面倒ゥ……)
口論で殴り合う距離感なら問題ない。わたしに反発する性格なら反対に誘導するのが容易になるからだ。
されど完全拒否ともなると関与が出来なくなり、歯止めをかける手段を喪失してしまうわけで。
万一を考えると致命的なマイナスとなり果てる。
(おのれカレェェェェ……)
悪縁とカレーの機会をフイにされた恨みを社交スキルで覆い隠す。
最低限でも会話できる関係性を保つ必要性に苦々しい気持ちを奥歯で噛み殺し、表情を取り繕って親切声で語り掛ける。自然に、自然に、不自然だ。
「それで、ソルガンス様がどうかされたのですか?」
「フン、知らないならもうお前に用は無い──」
「待ってくれミクギリス、ここは彼女の手も頼りたい」
「ヒルダルク、お前何を!」
「ここは異国の地だ、何が起きるか計り知れない。ひとりでもソルガンス様を知る同国人の力も借りておきたい、万一を考えれば」
「ぐぐぐ!!」
あれ、思ったより深刻な事態なのだろうか。
数秒前に見事なカウンターを食らって屈辱のミギーがわたしの協力を仰ぐことに歯噛みしながらも全面的反対を表明せず飲み込んだのだ。
プライドだけが先走るような男が、顔を真っ赤にしながらも。
──とりわけ良くない予感が湧きたつ。
(……まさか誘拐略取とかそういうのじゃないでしょうね!?)
腐っても貴族、そう、バカボンは中身が腐っていても肩書はセトライト伯爵一門の筆頭子爵家嫡男なのだ。あんな男でも一応、仮にも、信じらないことに着ている服よりも中身の方が金銭換算すれば高価な値が付く、身代金的な意味で。
今回の留学の主役は言うまでもなくブルハルト家の両名。
しかし随行員の多くは貴族の係累が集められ、わたしの同僚たちなどは見事に侯爵伯爵の子女で固められていたのだ。
主役に比べて格落ちするが、立派な宝石が揃っている。
(だからって他国の貴族子息を学園って閉鎖空間から誘拐するなんて……無いとは言い切れないィ)
何しろ第1部『学園編』で似たイベントがあったのだ。ヒロインのマリエットを何者かが拉致監禁するイベント、身代金要求こそなかったが立派な犯罪行為。
事件は学園内で終始し、犯人はブルハルト家の魔女ホーリエに忖度した取り巻きだったのだけど、留学の主催と一致しているのがまた嫌な符合を見せてくる。
まさか、何かのすれ違いで似た事象が発生したのだろうか?
ゴクリ、密かに唾を飲み込み、慎重な声色で以って彼らに質しておく。
「あの、ソルガンス様の身に一体何が……?」
「うん、ここだけの秘密にすると約束して欲しい。ソルガンス様は」
同じく声を潜め、周囲を憚るような雰囲気でヒダリーは重々しく口を開いた。
「ソルガンス様は……出奔されたのです」
「は?」
「このバカ女には家出っつわないと通じないだろ」
「……………………は?」
家出?




