7-12
短期留学随行に際し大公家から帯びた密命、その決行日。
ついに明かされた目的地に向かう馬車の中、距離にして3時間を要するというのが現状なわけだけど。
特に共通の話題ない相手を目の前に、差し向かい状態で沈黙を続けるのもそれはそれで苦痛な時間となる。わたし的に自分はおしゃべりな方だと思ってはいないが黙っているのも限度というものがあろう。
かくして先に出した話題、密命の疑問は闇が深そうだったので自ら封印。
であれば異なる話題をどこからか掘り当てる必要があり、どうにか捻りだしたのは今朝に見かけたドッペルゲンガー、わたしの似姿。
「そういえばアヤメイトさん、だっけ」
「某の配下が何か?」
「あの人ってばどこに潜んでいたの?」
突然現れたわたしの影武者と化した女性に話題を擦り付ける。
強引な方向転換ではあるが気になったのも事実。留学の主導は言うまでもなくブルハルト家が行ったのだ、当然人選も彼の家が行ったはずで、わたしのような教会推薦を除けば大公家の諜報員を入れ込むのは至難の業ではなかろうか。
別に難しい話ではないでござる、と明かしてくれたカラクリは
「留学使節団の中に雑務を任せる下々の一団、そこに組み込んでおりまする」
「ふむふむ」
「セトライト伯爵家の子飼い、イルツハブ子爵家の係累でござるが、アヤメイトは彼らに従う女中に紛れていたで候」
「……ふむン?」
「他にも某の手となる者を仕込んでござる。雑務の人足は数多く、アルリー様を始めとする近侍周辺に比べれば目を盗むのが容易きことゆえ」
「ンンンンン!?」
頭の中でビキビキと氷の割れる音がした。唐突に心の冷凍庫へ保存していた疑問のひとつが自然解凍されたのだ。
留学の事前壮行会でわたしは列席していたバカボン一団と少し会話した。交わした議題は「どうして派閥違いの事業に参加しているのか」。
『急遽、そう、急遽だね。突然、父──セトライト伯から推薦されたんだ、僕達は。ブルハルト家が主導するリンドゥーナ留学に随行し勤めを果たせってね』
『……詳しい説明は何もされなかったと?』
『その通り。何も分からないままここに来て、見つけたってわけさ、君の姿を』
比較的会話の通じるヒダリーはそう告げた。何故推薦されたのかも分からないうちに参加を決められ、一員に組みこまれていたと。
この時は聞き流した小話、他人事だし重要でもないからどうでもいいやと投げた結論の解答が突然降って湧いたのだ。
ひょっとして、ひょっとして、
「……あの、バカボン達、あの3人は『あなたの部下を紛れ込ませるデコイ』だったって解釈で合って、る?」
「然り」
こ れ は ひ ど い 。
前世世界のスポーツ大会には「参加することに意義がある」なる名言が存在する。ぶっちゃけ綺麗事、大会で結果を出さないと評価されないし注目も浴びない、スポンサーも金を出さないと無情を感じさせる祭典だけど言いたいことは読み取れなくもない言葉だ。
しかし本当に参加だけ望まれたパターンだと哀れみを覚える。仕掛け人にとっては紛れていれば充分、君たちはもう用済みなんだ、気負う必要すらないんだ、どれだけ真面目に務めても、その後何をしても評価の対象にならないんだ──との扱いだとすれば、とても好感を抱く余地のない連中にせよ多少の同情を禁じ得な
「そして伯爵家の庭先を騒がせた罰則だとも伺った所存」
「え、ああ、うん、そう……」
急転直下に納得させてきた。
ゲームヒロイン・マリエットのデビュタントを見に行った社交界、立食パーティ懇談会の席でバカボン達3人が我が友ランディに無体を働き、結果的にちょっと関節を極めることになった『腕ねじり事件』がまだ糸を引いていたとは!
伯爵に仕える筆頭子爵家の人間としてはかなりマイナスな不祥事。外で発生していればただの暴行事件で揉み消される案件でも、伯爵が主催する社交場でナンバー2の息子がやらかした騒動だ。オマケに蛮行を咎めた令嬢──わたしだけど──へと手を上げての返り討ち、丸潰れとはいかずとも顔に泥が跳ねた程度に伯爵は面目を失ったといっていい。
上の人間とても悪評背負った部下を取り立てるのはリスクを伴うし、贔屓する気も失せる。姫将軍のデビュタントを取り仕切り飛ぶ鳥を落とす勢いだった伯爵家にとんだ不始末。目撃者多数で不問も難しく、何かしらの処罰は下ると思っていたけれど、まさかこんな形に決着するのは想像の外。
表向きは出向先で外様状態、庶民に混じって雑務に従事し汚名は血と汗と功績で雪げという差配。禊の必要性を理解すればこそ、ぐうの音も異論も出ない措置だろう。ただし彼らに望まれた真なる役割を思えば、本人たちの働きは既に何の評価にも値しないというのも中々に手厳しい。
留学なんて建前である。
この理解は正しかったが友好の皮を被った視察観察、右手で握手左手にナイフ以外の要素が随所に盛り込まれてるのは想定の枠組みをちょっと超えすぎでは。
(これ以上留学に隠された思惑に触れるのは止めよう)
上級貴族の張った糸に絡まるのは御免だ、先人の教えに従い「沈黙は金」を装うべく仮眠をとる方向に舵を切ることにした。
特に眠くはないのだけど。
──下手な政情の察知で気が遠くなるよりはマシなのだった。
******
沈黙紛いの仮眠を続けること3時間、ついに問題の場所に辿り着く。
窓から覗いたお屋敷は確認できる範囲でも広さを備えた区画。
しかし一目見た感想は「セトライト伯爵の別邸よりもショボい……」というもの。門構えや壁の作りなどはそこそこ重厚であるものの、古めかしい洋館は煌びやかさと無縁で王家の信任を得て栄華を誇った名門のそれとは思えないのが正直なところ。
財政的に華美な装いを排したのか、それとも立場を弁えよと禁じられているのか。いずれにせよ事情を知る者なら「ああ、かつてと異なり冷遇されてるんだろうなァ」と寂しい佇まいから納得するだろう。
良くも悪くも、ではない。正しく悪い意味で古豪。過去の栄光をたった一代で今に残さない、王の勘気で残させて貰えなかった訪問先、クーベラ伯爵家。
本当に何をやらかしたんだろう。その頃に王国との大きな戦いなんてあったっけ、ゲームで扱ってない歴史は分からない。
「では入門の許可をいただいて参り候」
「え、アポは取ってなかったの?」
「他国の男爵令嬢がお会いになりたいと告げても断られるのが関の山にて」
「もうちょっと婉曲的にィ」
「よって家人が無視できぬ文言を伝えるので候」
それだけを言ってセバスハンゾウは音もたてずに門番へと忍び寄り、数言なにやらやり取りを続けていた。やがて門番のひとりが慌てたように屋敷内へと駆けていく。
(ああ、何やら見過ごせない爆弾を投げ込んだんだろうなァ)
果たして門番が耳に吹き込まれた情報は如何なるものか、内容は分からずともわたしの理解力は正しく、程なく馬車を迎え入れるべく門扉が開かれた。
この先は落ちぶれたといえど国家の軍神と謳われた御家、受け入れる門が虎の口に見えて来た。せめて虎の穴で勘弁してもらいたい、わたしに子供を盗む気は無いし、噛まれない分まだ逃げられる可能性がありそうだから。
こうして意外な程に波乱なく、驚くほど静かに、わたし達はクーベラ伯爵家の館に辿り着いたのであった。ここで待ち受けるのは陰謀か破滅か。
ニンジャは相手方の執事に促され、そのまま屋敷の中に。
わたしは、
「さあお嬢様、こちらにどうぞ」
と先導するメイドさんに付き従って館の敷居を跨ぐことなく庭に案内された。
……え、なんで庭???
******
大国リンドゥーナの伯爵家、その庭でお茶の席を用意してもらい、ひとり優雅に早めのアフタヌーンティをいただいている男爵令嬢ありけり。早朝の出発に合わせて軽めの食事にしたのもあって美味しくいただいている。
構図だけなら完璧なおもてなし潤いセット、しかし物寂しい気分は晴れない。人の心は複雑怪奇、栄養だけでは物足りぬ。人同士の交歓なくして精神的癒しとは言い難いのだ。
(というかただのぼっち飯じゃん! もてなせよォ!)
そりゃ分かる、分かるけど。あんた達にとって真のお客様、大事な訪問者は大公家執事のセバスハンゾウなんだろうけどさ、もうちょっと、この、手心というか。
(普通お紅茶を客に手酌させるおもてなしとか無いよ? わかってる??)
しかし現実は厳しい。
案内人は即座にこの場を去り、差し向う席は空白の風が通り抜け、面倒見てくれる使用人すら配置しないセルフサービスぶりはどういう仕儀か。
伯爵家にも子息子女くらいおるやろ、こちらが押し掛けた側にせよ、そいつらに相手させたりするのも礼儀では?
「いやこれ放置よね放置、蚊帳の外はいいけどォ……」
理由を察することは出来る。
このクーベラ家お宅訪問が大公家の私事か陰謀かの真実は判別できないが、形式上利用されたわたしを可能な限り無縁でいられる距離に留め置こうとする一応の配慮は感謝できなくもない。館にすら立ち入らせなかったのはその極致と言えるだろう。
密談の場にいない、同じ建物の中にすらいない。成程、これ以上無関係を装える状況は無いからして。
(最初から巻き込まない選択肢は無かったのかと言いたい)
愚痴は零れど理解はする。まあ無かったんだろうけど。大公家と関係ない教会推薦に便乗する、これ以上なく都合よかったんだろうけども。
しかしそれとは別に、脳みそが止めどなく癒しを求めている。
流石にちょっと色々有り過ぎて、自らが認める心のおおらかさ、精神的な余裕領域がごりごり削られているのだ。そしてロクに回復していない。
自然回復が間に合わない分は何らかの形で補わなければならないのだ。
それはご褒美のスイーツであったり、ストレス解消の運動であったり、ふざけんな本気かぶちのめすぞこの野郎って感じの対クルハ戦闘だったり、うんうん分かるよ君の苦労は教えるの大変だよねでもイチャついてるよねって共感と糖度の勉強だったり、また届いた絵にわたしが描かれてるゥ個展の絵もこんな具合なのかと脱力と半笑いだったり。
アホ友達と庭のフルーツを分け合ったりとか、そういうのなんですことよ。
(気負わずに済むコミュニケーションの相手はいねがー!!)
今の環境、本当にそういう相手がいない、居ない、ゐない。
偉い人か、偉い人の関係者か、偉い人に仕えてニコリともしない使用人達くらいしかいないのだ。バカボン達とは活動範囲が滅多に重ならない以前に会話して楽しい間柄でもないので困らない。
四女様の友達役として選ばれたわたしが現地で友達に困窮している! なんだこれと呆れるばかり。見知らぬ他人と接触する機会も無いから人間関係に成長が無い、発展が無い、何にも無い。つらい。
「あー、気楽に会話したい。頭の悪い会話を楽しみたいィ」
人目が無い、監視の目があっても無礼を咎められないのをいいことに突っ伏した机から離れた先に人影が見えた。
はて何者がエンカウントかと仰ぎ見れば通りがかったのは貴族ならざる恰好の、貴族に仕えるにも不釣り合いな厚手の作業着姿。
(ああ、庭師さんか)
貴族邸の広大な庭を整備するには必須の人員。裕福と程遠いウチですら必要な時は人件費を捻出し、値切ったりしながら雇い入れる職人さんだ。堕ちたといえど伯爵家なら当然お抱えがいるだろう。
やや離れた庭先を横切るのもそんなひとり、すらりとした身長に手足の袖は捲り上げているのは作業着のサイズがあってないのか、さらなる成長を見込んだ先行投資なのか。
各種道具を詰め込んだ背負い袋を左肩に、如何にも重そうな折り畳み梯子を右肩にかけても軽い足取りで力強く歩く少年の横顔は、
(──駄目だ、わたしってば相当疲れてる)
目の辺りをぐいぐいと圧して揉む。
リンドゥーナ人の庭師、ただこれだけの共通点であの少年がランディに、別れて久しく会ってない友人に見えて来たのだから相当茹っていると自覚した。こんなところに居るわけないのに。
それとも禁断症状か、バカ友に飢えているのか。思った以上に心が荒れて都合のいい幻覚を創造するに至っているのか。
(これは本気で転移魔法で帰郷往復も視野に入れるべきかもしれない)
半ば逃避気味な思案に暮れていると、どうやら庭師少年もわたしの不躾な視線に気付いたらしくこちらを向いてきた。なんだか不審げにジッと見られてるようだけど気持ちは分かる。
恰好だけは一応レディの装い、しかし共も連れず控えもおらず、ひとりでティーパーティに興じてるような怪しげ少女。オマケにリンドゥーナ貴族の邸宅で外国人だとすれば、なんだあれとわたしだって訝しむ。
別に怪しくないよ、一応客なのよと説明でもすべきかなと迷う間。
少年はこちらを向いて。
──綺麗な一礼をして見せた。
(…………は?)
脳みその処理が追いつかず、思考はロクにまとまらず、冷静に踏み出すべき第一歩は硬直したまま身動き取れず。
ただ意識とかけ離れた箇所で。
ごく自然に、そうするべきだと。
親指だけが反射的にサムズアップを返していた。
「まさかと思いましたが本当にお嬢でしたか」
「こっちの台詞だランディィィィィィィィイイイイイイイイ!!!」
感性が座右の銘を無視し、第一歩が絶叫になったのは責められまい。
次回より新章となります。
3月中旬を目途にしております。
ブクマや星、感想レビューは心の支え、清き一票をよろしくお願いします。




