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2-09

 会場の外が暗くなりつつある時間。

 既に会場には子供の姿はまばら、懇親懇子会は夜会への移行が進みつつある。

 ここからは大人の時間、子供は帰って寝なさいという掟。デビュタントを済ませれば夜会に出席できなくもないのだけど、わたしくらいの年頃で出席するものは稀だという。


(まあ夜会だとお酒飲んだりするわけだしね)


 夜会風景で思い描くイメージは、立食パーティ会場で使用人たちがお盆片手にカクテルを振る舞い走り回る姿だろうか。凡そ間違っては居ないはずだ。

 アルコールで唇を湿らせた貴族たちが執り行うのは完全に正気を失った酔いどれトークから一夜の情事、密室での裏取引、国家の命運を左右する陰険漫才まで、大人の夜は色んな意味でイカガワシイのだ。

 遠方から来た貴族ご一行は別邸に宿泊するか、関係筋の貴族私邸に招待されて社交2次会に突入するか様々。

 今回の社交場からウチの領地までは数時間の距離で夜中までには到着できる片道なので伯爵別邸お泊り会の企画は断念せざるを得ない。


『ならウチに泊まっていこうよ。ついでに勝負しよう、朝駆けとかいいよね』


 企画断念を残念がっていたわたしはこんなお誘いを受けた。絶対本音本命は後者だろうねクルハさん、というか目覚め前に襲い掛かる宣言はやめよう。暗殺騒ぎになりかねない。


『いつかはお泊りしたいけど、その時は是が非でもクルハを食い止めてねデクナ』

『鋭意努力する』


 もはや婚約者よりも入り婿(仮)状態でストラング邸に常備されている彼の言葉を信じていずれ招待を受ける約束をした。いや、それとも政治の世界での「努力する」は「上手くいかなくてもゴメンね」の意味だったか。


「早まったかしら」


 庭のテラスに用意された白いテーブル席にひとり座り、時を待つ平均的美幼女のわたし。ここで平然と己を卓越した美少女と言い切れない自分が可愛い。

 ちなみにセバスティングとエミリーは帰り支度で馬車の準備を、クルハとデクナは先に帰途に着いたのでここにはわたし一人だ。

 懇子会で交流持った彼ら彼女達の姿もなく、伯爵別邸に足を踏み入れて以降、初めてのソロ活動。


(……いや、2回目かな)


 初のソロ活動は着替え前、トイレに行った時だ。

 思えばイジメ現場に出くわし、機転を利かせて追い払ったのも遠い昔のように感じる。何しろ決死のエミリー救出作戦から姫将軍襲来までのイベントが濃すぎたから。

 やはりイベントとは傍観者の立場よりも当事者意識を持つ方が背負うプレッシャーが段違いである。

 学園編でヒロインの行動に介入する時、わたしは傍観者で居られるか否か。

 何しろ相手取るのはヒロインの他、上級貴族の令息令嬢合計6人。ただ人間関係の調整を行うだけと言うは易し、木っ端下級貴族の小娘が不興を買って睨まれるとわたしがバッドなエンディングを迎えかねない権力の恐ろしさ。


 要するに、ヒロインのノーマルエンドを目指しつつ、わたし個人のバッドエンドも避けなければならない。両方気をつけなきゃならないのが辛いところとかなんとか。覚悟が出来てると言える程に肝は据わっていない。


(イジメキャンセラーの立ち位置で運命を左右できるなら気楽でいいのに)


 日が沈むのと入れ替わり、庭木にセッティングされた魔導照明がライティングされていく。赤青黄、虹色に染まったイルミネーションは伯爵の本気を感じる。或いは大公家令嬢を迎えるに当たって気合を入れた結果か。

 どれだけ気合を入れても木っ端男爵家のウチには真似できないだろうなと点燈照明をボンヤリと眺めやる。

 光の柱、輝く果実の間を幾人かの影が走り回っている。煌びやかな世界の構築は人知れず働く使用人たちの努力が支えているのだ。数名の影の中にはスーツを着こなす使用人達の他、何人か作業着の姿もちらほら窺えて、


「……おや」


 人工的な光に照らされて褐色の横顔が垣間見えた。

 駆け抜ける大人たちよりも頭ひとつ以上小さな、簡素な作業用の衣装に身を固めた少年。うん、少年である。

 一際目立つ外見、エキゾチックな外見をした、わたしと年の頃は変わらなそうな少年。

 そう、多分わたしがトイレ前で見かけた少年だ。どこぞの貴族子息達に絡まれて殴る蹴るされていた少年。あの場では慌てて立ち去ったので仔細は掴めていないが、ああやって作業しているからには本格的な怪我などせず無事だったのだろう。

 完全に面倒見切れたわけでなく、名前も素性も知らない相手だけど、それでも多少は安堵の気持ちが宿る。この辺は心を鍛えたところで根っこが小市民なのだ。

 庶民なんて石ころですわヲホホホとは行かないし出来るから立派だとも思えないのはこの先で良いのか悪いのか。


(『戦争編』だと兵士は数字って割り切って処理してたけど、こうやって生きてる世界に転生すると無理だよねェ)


 自分の手をにぎにぎして感触を確かめる。肉があり血の通う手だ。

 同じように周囲を走り回る使用人たちも生きている、クルハ達やセバスティング達だって生きている。


「プレッシャーだなァ……あれ?」


 顔を上げた先で少年と目が合った。

 まあわたしが時折目で追って観察していたのだからそういう事もあろう。

 それでも向こうがわたしの正体に気付く可能性は低いだろう、距離があるし特に目立つ特徴もない外見の小娘には。


 刹那の邂逅で特徴のない人間の顔と名前を覚えるのは困難だけど、人の上に立つ人間には求められる能力である。やましい事が無い限り、人は他者の記憶に残ることを意外と喜ぶものだ。承認欲求とやらが満たされて幸せな気分を味わうらしい。

 それが偉い人、他者の尊敬を集める立場の人物からの覚えであれば尚更。自分が偉くなったと錯覚できるからとセバスティングから教わっていた。

 故にこれも社交スキルのひとつ。

 今日出会った人々の顔と名前はしっかり記憶に刻み込んでいる。世知辛い貴族社会、いつどの出会いが自身の損得に関わるか分からないのだから。


 さて、そういった事情でわたしは少年のことを覚えている。

 印象に残るイベントと顔立ちがあればこそ覚え易くもあったのだけど、あちらからは判別つくまい。何しろわたしには大公令嬢ほどのオーラや特徴はないのだから。


「……はれ?」


 今日何度目に驚きか、後で数えることにしよう。

 わたしが呆気にとられたのは、目線のあった少年が。

 こちらに向かって一礼してきたからだ。

 ──それはとても綺麗な一礼だった。


 市井の少年少女がぎこちなくするそれに比べても洗練された、必要な場で必要な相手に交わす礼法定まった会釈。

 見よう見まねで出来るものではない、きちんと習って伝承された立礼だったことの驚かされたのは事実。

 ウチに出入りしている臨時雇いの庭師なんて片手上げて気楽に挨拶してくるのだからまるで違う。


「う~ん、流石は伯爵家出入りの庭師ってことかしら。教育行き届いてるゥ」


 庭師見習いか徒弟か、わたしと同じ年頃の子に立派な礼法を。上級貴族を視野に入れた伯爵家は違うなと感心しきりである。

 さて、どうやらあの少年は慌しい一瞬の交流でしかなかったイベントでもわたしを覚えていてくれたらしい。ならば返礼するのが礼儀なのだけど。

 あまり大仰にするのもどうかな。

 個人的にはこれはご丁寧にと頭を下げるお返しをしたいところだけど、これでも一応貴族の端くれ。どこかの誰かに目撃され、軽々しく庶民に頭を下げるなど云々を言われるのも面倒だ。

 だからここは軽妙に。


(ウェーイウェーイ)


 サムズアップ!

 心の中では喝采を上げ、顔にはニヤリと笑顔、親指立てるハンドサインを送ることにした。少年は一瞬面食らい、不敵な笑顔で同じサインを再して寄越してきた。

 うん、心意気が伝わったようだ。隣国との微妙な関係にある王国で、リンドゥーナ人の異国情緒溢れる見た目では苦労を背負うかもしれないけれど。

 名前も知らない少年にはバカ貴族に難癖つけられることなく、強く生きて欲しいものである。わたしも国が滅びないよう頑張るからと願掛けしつつ。


「お嬢様、馬車の準備が整いましてございます」

「うん、わかった」


 色々あったデビュタントの長い一日は終了したのだった。

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