プロローグ イ・ハ・ンスレイ
いかにもおぞましいものであり、その単なる存続と持続でさえも、荒漠たる秘境のただ中のこととはいえ、過去と未来に悪影響を及ぼし、何らかのかたちで星辰を危うくするものである。それが存続するかぎり、この世界の誰ひとりとして価値ある、もしくは幸福な人間ではありえない。
――― J.L.ボルヘス 『不死の人』より
2019年7月11日
マサチューセッツ州 インスマス沖の海底 イ・ハ・ンスレイ
黒衣の男は、冠と祭服で正装をした<ダゴン秘密教団>の司祭とともにやって来た。司祭が自ら案内することは、この男が賓客であることを意味する。男は、すらりとした長身の若い男で、その黒い長髪や服装とは対照的に、吸血鬼を思わせるような異様に白い肌、赤い唇をしていた。何より特徴的なのはその目で、知的で揺るぎない自信に満ちてはいるが、一方で何ら憐れみや慈しみといった感情を持ち合わせていないかのような冷たい目をしていた。
<深きもの>の血を引く者ではないらしく、イ・ハ・ンスレイには教団本部の地下から続く地底回廊を通って来たようだ。今いるこの第二の謁見の間は、海中で活動できない者が<父なるダゴン>と<母なるハイドラ>に拝謁するために設けられた、空気が存在する空間だ。この海底都市には、純粋な人間やまだ<深きもの>としての身体機能が発育していない混血種を受け入れるための区画があるのだ。
数日前、インスマスの若い混血種が教団本部に招集された。招集した司祭の話によれば、近々外部から重要な客人が我らの父と母を訪問するので、この場に集められた者たちがその警備に当たることになったというのだ。その客人は空気のある区画に招かれるので、警護に当たる者も陸上では動きの鈍る<深きもの>よりも、人間に近い若い混血種のほうが素早く対応できるからだ。
ジェイコブ・アボット(またの名をジェイコブ・マーシュ)もそんな招集された者のひとりだ。ジェイコブは、自分がインスマスの穢れた血筋―――とりわけあの呪われたマーシュ家の血脈を継承する者であることを知ったのは、ほんの数年前のことだった。