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雑事屋、ことはじめ  作者: 一枝 唯
第1章
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09 何か、あるべきだな?

 不意に笑いを含んだ声がして、クレスはぱっと横を向く。リンも同様にした。二十代半ばくらいの男がそこにいた。見覚えは、ない。

(……いや)

(こいつ、どっかで見たような)

 考えると、少年はすぐに思い出した。

「ああ、今朝、裏の戸を開けてくれた人じゃないか」

 木箱を抱えて取っ手を回せずにいた彼を助けてくれた男だ、と気づいた。相手はうなずく。

「あの箱の中身は魚だったって訳だ」

 リンの平らげた皿の上に残された骨を見て、男は言った。

「腹は減ってるし、バルキーの飯は美味いが、ひとりで食ったら怒られるから今度にするか」

 バルキーに「売り込み」にきたらしい青年はどうやら、ここの店主の飯を気に入っているようだった。他に仕事は見つけたのだろうか、などとクレスは問おうかと思ったが、それより先に――男は何かを卓に置いた。ちゃらん、という音は銀貨を思わせる。

「……こ、これっ」

 思わせる、どころではなかった。男の仕事がどうとかいうことなど、少年の頭からは吹っ飛んだ。

「やっぱお前さんのか。もう()られんなよ」

 それは間違いなく、昼時までクレスの腰に吊されていた小袋だった。クレスは可能な限りに目を見開く。

「あんた、これ、どこでっ」

「その前に」

 男はにやっとした。

「何か、あるべきだな?」

「――詐欺師(ジェルテ)か?」

 そう言ったのは、リンである。

「盗んで、返して、礼金をせびる。これは犯罪として訴えられにくい、賢いやり方かもな」

「おいおい」

 男は天を仰いだ。

「何でいきなりそんなことを疑われなけりゃならない?」

「怪しいからに決まっている」

「俺はな、常識の話をしてるんだよ。落とし物を届けられたら、何か尋ねる前に何て言う?」

「……『有難う』?」

 クレスが答えた。

「そう、それだ(アレイス)

 男はうなずいた。

「そこで俺が、いや、大したことじゃないと答える。そのあとで、『これをどこで?』だ」

 どうだ?――とばかりに男はふたりを見た。リンは胡乱そうな目つきのままだったが、クレスはその通りであると思えた。

「ごめん。有難う」

「よし」

 男はにっと笑った。何となく人懐っこい感じのする笑い方だった。優しい笑顔に慣れていないクレスは、そんな笑みを向けられると弱かった。

 この人は、あの連中とは違う。

 比較対照がかなり悪人であるから、クレスにとっては普通の感性の持ち主でもたいてい善人だ。大概においてそれは悪い考え方ではなかったが、もしも本当にこれが詐欺師であるならば、実に簡単に騙されもするだろう。

「もう盗まれるなよ、と言ったな」

 リンがじとんと男を見る。

「遺失物ではなく、盗難品と考える理由は」

「そりゃ、これだ」

 男は袋に刺繍されている模様を指した。

「俺は、これがウィンディアの縫ったものだと知ってた。俺の前でこの財布を開いたガキがこの店と関係がないのも判った。だから、問いつめた。そしたら、逃げた。そこで、追いかけた。町憲兵がいたんで協力してくれてな、めでたくそいつはご用となった。以上」

 質問は?――と言うように男はふたりを見た。クレスには不審な点が見当たらなかったが、少年は何となくリンの反応を伺った。

「幾つか疑問点はある」

 案の定と言おうか、金髪の若者は言った。

「だが、この店を知り、ウィンディアのことを知る。一応はクレスとも面識があるようだし、詐欺師ではなさそうだ」

「ありがとさん」

 男は乾いた笑いを浮かべて礼を言った。

「できれば先に、そこに気づいてほしかったけどな」

「財布を取り返したと言って何かを要求する。そちらの順番の方が誤っていたんじゃないかな」

 リンが冷静に指摘すると、男は天を仰いだ。

「判った、判ったよ、俺が悪かった」

 クレスは男が「悪い」とは思っていないし、そうも言わなかった。だが男のそれは冗談であったようだ。すぐに苦笑を浮かべる。

「それで?」

 男はリンを見る。

「『疑問点』は何かな?」

「あんたのものではない財布を町憲兵があんたに渡した理由について」

「俺のだと言ったんだよ」

 こともなげに男は告げた。

「それがいちばん面倒が少なくて話が早いだろうと思ったんだ。掏摸のガキは俺から()ったんじゃないことを知ってるが、『盗んだことは盗んだがこいつからじゃない』と言ったところでお咎めは免れない。食うに困ってやっちまったガキなら俺も目こぼしてやりたいけどな、ありゃ常習だ。盗賊組合(ガーラ・ディル)にしっかり上納金を献上して、盗むのは権利だと考えてる連中のひとりだよ」

 男は肩をすくめた。

「町憲兵は、俺のだという主張を疑う理由もない。いかにも、その場で盗られて追っかけたように見えただろうからな。それに、ここで俺ががめれ(・・・)ば犯罪者の仲間だが、ちゃんと返しにきたんだから文句ないだろ? あ、中身が減ってても、それは俺じゃないぞ」

 言われてクレスははたとなり、慌てて袋を開いた。

「――少し、足りないかな。でも、思ったほどじゃない」

 これくらいならば、自分の小遣いで足りる。少年は安堵した。バルキーから預かった分は、無事だ。

「そりゃよかった」

「なら、次は私だ」

 リンが手を出した。ああ、金を返すんだったな、とクレスは思い出し、うなずいて銀貨を取り出す。

「何だ。礼金要求か?」

 男が笑って言った。

「人を詐欺師と糾弾した割には」

違うよ(デレス)

 素早く、クレスが否定した。男の口調は冗談めかしていたが、ここはきちんと言っておかなければ。

「金がないから、借りたんだ。それを返すだけ」

「そんなことはどうでもいい」

 と言ったのはリンである。

「銀貨より、袋だ」

「――ああ」

 もとより、若者の目的はそれであった。クレスは右手に返すべき銀貨を掴んだまま、左手で袋を差し出す。リンは言った通りに、金よりも袋を選んだ。

「……これだな。間違いない」

 その目はきらきらと輝いていた。クレスがはじめて見る若者のその様子は――おかしな言い方だが――リンを魅力的に見せた。

(魅力)

(……なんてのは、女の子に感じるものだよな)

 クレスはそっと首を振って、思ったことを否定した。

 しかし正直なところ、少年はあまりそういうことを知らないので、このように考えるのは耳から仕入れた知識によるだけのものであったのだが。

「これで確信ができた」

 そんな少年の思いなどつゆ知らず、リンは大きくうなずく。

「あれは本物だ。ああ、私は何て運のいい」

「『あれ』って何だ?」

 男は首を傾げる。当然の疑問だろう。

「それより」

 リンははっとしたようだった。

「疑問点はまだあるんだ」

 その青い瞳からは無邪気な子供のような輝きが消え、既にクレスが見慣れた冷静な色を宿している。リンは男の疑問より、自分の疑念の方を先に追及するつもりのようだった。


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