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雑事屋、ことはじめ  作者: 一枝 唯
第3章

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10 丸め込まれるところ

 まんじりともしないで夜が明けた。

 クレスは寝台の上でじっと膝を抱え込んだままで、石牢のなかに射し込むわずかな光がまっすぐな線を引くのをただ見ていた。光の線はゆっくりと形を変えて移動し、時間の流れていくことを少年に教える。

 かたん、と音がした。誰かがやってきたようだ。クレスが顔を上げれば格子の向こう、ラウセアが盆を手に立っていた。

「おはよう」

 町憲兵は言ったが、クレスは黙っていた。別に無視をしようとか考えている訳ではなく、どう返せばいいのか判らなかったのだ。

「食事を持ってきたよ。食べられそうかい?」

「――俺は、やってない」

 クレスはそれを繰り返した。ラウセアは少し躊躇って、それから、うなずいた。

「判ってる」

「……えっ?」

 思いがけない言葉で、クレスは瞬きをした。

「判ってる?――それじゃ、どうして。出してくれよっ」

 クレスが勢いを得だせば、ラウセアは盆を片手に任せると、空いたもう片方の手で黙るように合図をした。それから慌てて、盆を持ち直す。

「僕の個人的見解に過ぎないよ。でも、きちんと話を聞き、君ははめられたんだと証明をしないと、君は無罪放免になんてならない。そのためには第一歩としてたぶん、食事をするといい。〈大事の前に腹を空かす〉のは馬鹿げているから」

 こんな状況でも健康的な肉体というのは正直なものだ。麺麭(ホーロ)蜂蜜(オーラ)の匂いは少年に、彼が昨夜の昼から何も食べていないことを思い出させた。ぐう、と腹が鳴る。

 ラウセアはそれに笑うと、あろうことか、留置場の鍵を開けて彼自身が入ってきた。

「本当は、きちんと向こうの部屋に呼んで、記録をつけて、トルーディも一緒に、話をすることになってるんだ。でも、彼がいると僕も君もまとめて脅されて終わってしまいそうだ」

 ラウセアは半ば以上本気で言った。

「だから、これは規則違反。予定の食事時刻より早いし、話をするべきでもないんだ。でも、君の婚約者が心配をしている」

「こ」

 クレスは口をぱかっと開けた。だがラウセアはクレスに心当たりがないなどとは思わず、少年がここにいると彼女が知っていることに驚いているのだと思った。

「君のことを知って驚いて、朝いちばんでまた駆けつけてくると言ったよ。必死に君をかばって、泣きそうにしていた。いい子だね」

 ウィンディアだろうか、と考えた。だが、婚約者などと騙る必要はないだろう。そういう小細工をしそうなのは――リンだが、まさか、リンが泣くなど、有り得ないだろうと、少年の判定はそうだった。

「きちんと食べて。彼女を心配させないように」

 少年は曖昧にうなずき、正体不明の婚約者のことは脇に置いて、有難く朝食をもらい受けることにした。

「クレス。君は、やっていないと言うけれど」

「本当だ」

「それでも、判っているよね。どこからどう見ても、君がやったとしか思えないこと」

 言われてクレスは黙ったが、渋々とうなずいた。

「俺の小刀も……あったもんな」

 思い出すとやり場のない思いが湧き起こった。せっかく手に入れた自分の道具。野菜を刻むこともないままで、あんなことに――使われた。

 少年は、ちぎった麺麭のかけらを口に運ぶ気分ではなくなってしまった。

「どうしてあんなものを持っていたんだい?」

 問われてクレスは話し出した。あの小刀ははじめて自分が買ってもらったものだということにはじまり、どうしてあの場にいたのかと言う問いにも当然正直に、やばそうな話を聞いて云々、と説明をした。

 クレスとしては、トルーディが聞く前から疑っているように、作り話と疑われるのではないかと心配をした。だがラウセア・サリーズという若者は、少なくともこの「話を聞く」という点においては、彼自身や周辺が考える以上にずっと優秀な町憲兵であった。

 先入観を抜き、実にまっすぐに話を聞く。

 真剣に聞いているから、矛盾点があればすぐに判る。

 トルーディならばこれを手札の一種と考え、効果的に使う場所を考えて、相手を自白に追い込もうとでも考えるところなのだが、ラウセアは素早くその場で尋ねて、それが意図的であるのかうっかりであるのかを容易に見破った。つまり、トルーディは黒を前提とするが、ラウセアはそれをしない。

 もっとも、クレスはもちろん、意図的に嘘などつこうとはしていなかった。彼の話に生じた矛盾(レドウ)はちょっとした記憶違いであったり、言い間違いだ。ラウセアはそこを咎めることなく、クレスは本当のことを語っていると判定をした。トルーディには、騙されるなと咎められるかもしれないが。

「――幻惑草」

 その一語に、町憲兵は顔をしかめた。

「本当であればたいへんなことだ。町憲兵隊では、根絶したと考えられているのに」

 呟いてからラウセアは、じっとクレスを見た。

「君にその話を聞かれてしまったことで、どうにかしようと犯人に仕立て上げたのかもな」

「俺もそう思った。でも、どうして殺さなかったんだろう」

「彼女を殺す理由の方が大きかったんじゃないかな。事情をよく知られているのに、仲間にはならないと踏んで……彼女が急にいなくなれば不思議に思って探す人間も多いだろうから、それは都合が悪かったんだろう」

 どうやらラウセアも、ヴァンタンと同じように、口論をしていた女がファヴであると思うようだった。確かに状況を考えれば、まず間違いないだろう。

 死んだ身体がふと思い出された。クレスは顔色を青くする。ラウセアは追悼の仕草をした。

「彼女はファヴという名前の、踊り子だ」

 少年が知らないと思って、ラウセアは説明をした。

「昨日の公演を見たなら、覚えているだろう。僕は見ていないけど……最後の大一番で座長の演目に出演し、活躍をしたとか」

「――ああ」

 やはり、あの、舞台で刺された踊り子がファヴだったのか。何となくそんな気は、したのだ。

「演目の内容も聞いたよ。皮肉と言うのかな」

 ラウセアはやるせない気持ちになった。

「刺される演技に参加したあとで、本当に刺されてしまうなんて」

「その……町憲兵さん」

「ラウセア、でいいよ」

「セル・ラウセア、俺、思ったんだけど」

 クレスは、昨夜の思いつきについて話してみることにした。あのとき、魔術師は本当にファヴを刺したのではないか、と言う。

 聞いたラウセアは、考えるようだった。

「それは、トルーディの気に入るかもしれないな」

「え?」

「彼は、君を犯人と決め込んでる。僕や君や、君の婚約者の話には耳を傾けないだろう。でも、ジェルス座長のことは疑っている感がある。トルーディに話してみるよ」

 非常に素直な反応で彼としては有難いが、昨夜のリンのように、町憲兵がこんなことでいいのだろうか――と言う思いはクレスの内にも浮かんでしまった。

「要らんね」

 だがそのとき、不機嫌そうな声がした。クレスは瞬きをし、今度はラウセアの顔が青くなる。

「ト、トルーディ」

「何をやってるんだ、ラウセア。犯罪者と一緒に朝飯か。ふざけるなよ。出てこい」

「話をしていただけです」

「それで、丸め込まれるところじゃないか。馬鹿野郎。昨今のガキは演技も達者なんだ。騙されて縄を緩める気かと、また言わせるのか?」

「嘘なんかついてない!」

「たいていはそう言うもんさ。話はあとで聞く。ヴァンタンに何を吹き込まれていたとしても、俺は騙されんぞ、ガキ」

「嘘なんか――」

 クレスは強く繰り返そうとしたが、熟練の町憲兵の強い視線に合い、気圧された。

「いいか、クレス。俺は後悔してるところだ。ダタクのとこの、クソガキ。あの密売にお前が関わっていないことは確かだと思うがな、そんなことには目ぇつむって、一緒に裁いちまうべきだった。そうすれば、事件はひとつ、起きずに済んだんだからな」

「ダタク?……あのときの、関係者なんですか?」

 ラウセアは目を見開き、クレスは嫌な予感がした。

そうだ(アレイス)。無害なガキだと思ったが、所詮、連中に飼われてた訳だ。人殺しなんか悪いことだと思っちゃいない連中と、同じ感性を持ってやがる」

「違う、そんなこと、あるもんか!」

 クレスは反論したが、トルーディが耳を貸す様子はなかった。

「それで……幻惑草なんて」

 ラウセアは哀しそうな顔をした。

「――作り話を」

「違う!」

 幻惑草のことを知っていたのは、確かにダタクの隊商で見聞きしていたからだ。けれど、彼は本当に昨夜、聞いたのに!

「ガキのしたたかさを理解できたなら、こっちにこい。それから、面会だと騒いでる娘も追い返してこい。お前と約束をしたと言っているぞ」

「判りました」

 ラウセアは落胆をした表情で、留置場にクレスを残し、出て行く。少年は気づいた。話をする前よりも――状況は酷くなってしまった。

 みんな本当のことで、ラウセアは信じてくれていたのに、いまではもう、どこもかしこも出鱈目だと思われたに違いない。本当のことを判ってくれれば出してもらえると思っていたのに、もう、彼の話のどこにも「本当」はないと思われたに、違いない。

「違う、本当なんだ。ラウセア、信じてくれっ」

「ラウセア、勝手をやったことは大目に見てやる。第二報をしたためておけ。俺が話を聞く必要も、なさそうだからな」

 若い町憲兵はうなずいた。もちろんクレスの主張にではなく、トルーディの指示に。

 もう弁明の機会は与えられない。そうと気づくと少年は、目の前が真っ暗になるかのようだった。


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