天瞰図
『……すいません師匠。取り乱してしもうた』
デルモンドは頭を掻きながらバツが悪そうに念じた。
『うふふ。良いのよクープ、デルモンド。二人とも私のかわいい子なんですから。今はあなた方の弟子は居ないのです。日頃の地位など忘れて甘えても良いのよ。今夜は三人で川の字で寝ましょうね』
ミスランティアは隣に座らせたクープの血の気の失せた手と、反対側の隣に座ったデルモンドの岩塊のような拳に、左右の掌を添えて子供を寝かしつける時のように優しくトントンと叩いた。
そんな様子を横目に見て、黒魔女が『キモっ』と一つ鼻を鳴らす。
彼女が視線を戻そうとした時、ミスランティアとデルモンドの間から、老人会の前に拡げられた羊皮紙が目に止まった。
「それって地図? ずいぶん細かいわね……。ここがギリオン山地でしょ? なら、この森の中の線が今通っている廃古道。???! これ、エルベ川? エルベ川ってギリオン山地の南でテトプルシア川と合流するの?」
クープの肩越しに黒魔女が羊皮紙を覗き込む。
「むむう?」
デルモンドがジロリと黒魔女を睨む。
「お嬢さんのぞき見はいかんな」
「は、はいい!」
迫力のある声に気圧され、黒魔女は仲間の元に退散した。
「チョット! アヴァン! あのオジジたち七侯国の地図を持っているわよ!」
黒魔女はキンキラ戦士のマントを引っ張る。
「うん? それがどうしたソシエール?」
『アヴァン』と呼ばれたキンキラ戦士が、鎧の肩パットの拭き掃除をしながら問い返す。
「はあ……。わっかんないの? 精巧な地図だったのよ!! 五侯国と、今は壊滅した二侯国を含んだ地図なんて、この大陸の半分をカバーしてるじゃない! きっと統一王朝時代の秘宝か、魔法使いギルドの機密文書よ!!」
『ソシエール』と呼ばれた黒魔女っ娘は、アヴァンの世間知らず加減にため息を付きつつ説明する。
「ふーん」
しかし、アヴァンは興味が無さげだった。
「ソシエール。それは本当ですか?」
ゲス聖職がその話に喰い付いてきた。
「パストール。……本当よ」
「素晴らしいですね。こちらで買い求めた地図は、街道と町と、高い山くらいしか描かれていないお粗末な物だった。詳しい地図は是非とも手に入れたいですねぇ。君達もそう思うでしょう?」
清々しい笑顔でゲス聖職ことパストールはそう言った。
「え、ええ。そうね」
ソシエールは、笑顔で何やらブツブツ言いながら思案を始めたパストールから距離を取り、アヴァンに少し寄りかかり耳元で囁いた。
「アヴァン。大丈夫なのあの人。確かに交渉事や仕事斡旋の腕は確かだけど、私、ちょっと彼が怖い時があるのよ。独り言気持ち悪いし」
「うーん。あいつとは短い付き合いだけど、そんなに変か? 大体冒険者なんてまともな奴いなくね? それよりさ、そんなにすごい地図なら写させてもらおうぜ!」
アヴァンはそう言うと、ソシエールの手を引っ張り老人会の方に向かった。
丸眼鏡の美女、ミスランティアが羊皮紙に手をかざしている。
左右からデルモンドとクープが羊皮紙を覗き込んでいる。
「チィーっす。お爺さんたちぃ、何かぁ、すごい地図持ってるみたいッスけどぉ、写経? 写本? 写地図?? させてもらえますか?」
笑顔で話しかけるキンキラ戦士アヴァンを見上げたミスランティアは微笑み、手招きをしてアヴァンとソシエールを近くに座らせた。
「写すのはちょっと難しいわね。だけどちょっと覗くだけなら良いわよぉ」
「師匠!! グフっ!」
クープが声を上げるが、ミスランティアがクープの脇腹に『ドスっ』と肘を突き立てる。
クープは悶絶して身を屈めた。
「なんで写すのは無理なんスか?」
無遠慮にアヴァンが理由を訊こうとするが、ソシエールはアヴァンの首に腕をかけて黙らせる。
「アヴァン!! これ、よく見たら地図じゃない!!」
ソシエールは老人会の三人の前に拡げられた羊皮紙、地図だと思い込んでいたソレを詳しく見て、驚いた。
羊皮紙に地図が描き込まれているのではない。
羊皮紙を背景に、まるで現実の風景が投影されているように、空から見下ろしたように映し出されているのだ。
「……わかるかの? これは『天瞰図』の呪法じゃ」
脇腹を抑えながら、何故かクープが自慢げに言う。
ソシエールが地図だと思った物は、ミスランティアが魔法で投影した天空からの映像だった。
「ソシエール。これって凄い魔法なのか?」
首根っこを捕まれたアヴァンは、天瞰図を見入りながら訊いた。
「うーん。わたし、攻撃魔法以外わっかんないなぁ」
「あ、地図が動いている。……この赤や緑の光の点は?」
アヴァンの疑問にミスランティアが答える。
「探知魔法を重ねがけして投影しているのよ。青は害意の無い者。赤は……」
図の中で明滅する光点はほとんどが青かった。
しかし、中央に拡がる森を貫く道の上にある白い光がこの馬車だとして、その周りに、白い光を追うように赤い光が多数追尾していた。
そして、白い光の行く先、ちょうど峠の狭まった地点に、赤い沢山の光が輝いていた。
「敵?!」
アヴァンとソシエールが同時に叫び声を上げる。
ちょうど同時に、
「旦那方ぁ!!」
馬車の前方、御者台で馬車を進めていた御者が叫ぶ。
「護衛の方々、仕事だぞ!!」
デルモンドが野太い声で言う。