母性の暴走
「えへん、おほん、あー。ミスランティア先生?」
コンコン、
若返ったクープは、馬車のタラップを数歩上がり、咳払いの後、扉をノックした。
「入ってきて……」
ミスランティアの妙に艶っぽい返事が返ってくる。
クープは生唾を飲み込み、そっと馬車の扉を開いた。
「一命はとりとめました」
カーテンを閉じたキャビンは薄暗く、客室中央に座るミスランティアの周囲だけ、微かに明るかった。
魔法の光なのか、蛍のように宙を漂う明かりが、ミスランティアを照らしている。
彼女の前にはタライがあり、そのタライには湯が張られていた。
先程ガニシカ・アルマンがゴブリン城塞から発見し、ミスランティアが強奪した生き残りの赤ん坊が、湯浴みをした後であろうか、今は柔らかな布に包まれて彼女の胸の中にあった。
「アステル。あなたの名に似せて、この子は『エステル』と名付けます」
聖母の微笑みをたたえ、赤子を見下ろしながらミスランティアはそう言った。
────これで、一体何人目の『エステル』か……。
嘆息を飲み込み、アステルことクープはミスランティアの胸で眠る赤子を見た。
「先生。この赤ん坊の人相を見るに、ゴブリン……、と云うより、エルフのようですな。ゴブリンがさらった女に産ませた子だと思ったのですが、果たして親は誰なのか……」
眠る赤子は、ゴブリンに多い緑掛かった灰色の肌はしていなかった。
湯浴みをした赤子は、まるで本当にミスランティアの子であるかのように、彼女と同じ白磁の肌と銀髪をしていた。
「もしや、ハイ・エルフ、なのか……?」
クープは更に子細を調べようと、手を伸ばしたが、
「私の子です!」
ミスランティアはクープの追求から赤子を庇う。
「誰も取りはしませんて」
クープは諸手を挙げて後退った。
ミスランティアが動かした拍子に、赤子は目を覚ましたらしく、よわよわしい泣き声をあげ始めた。
「ホワアア、ホワアア、」
声はかすれ途切れ途切れである。
「あらあら! ごめんなさい!」
ミスランティアは赤子に頬を寄せ優しく揺らす。
「見たところまだ乳飲み子。このままでは餓えて、生きながらえる事は出来ますまい。どうされます?」
赤子は痩せ衰え、今にも息絶えてしまいそうだった。
「ご心配無く。魔法で体質を変え、乳を出しますから。デルモンドの時だってそうしましたもの」
そう言うやミスランティアは、幼女時よりは若干成長したとはいえ、それでもエルフの運命か、厚みのない自分の胸元に、魔法の術式を打ち込む。
「無階位魔法『豊饒化』!」
ミスランティアの乳房は途端に大きくなり始め、幼女時から着ていたワンピースから、はちきれんばかりに肥大化した。
「うくく、あう」
急激な膨張は痛みを伴うのか、彼女は苦悶の表情を浮かべる、
「辛いでしょうに! 何故そこまでなさいます?! おとどまり下され!」」
クープは慌て制止するが、ミスランティアはワンピースの脇から、腫れ上がったように発達した乳房の片方をボロンと出した。
「いや! いやよ! この子は私の子。私が、私の乳で育てるの」
首を振ってそのようなことを言ったミスランティアは、自身の乳房をそっと赤子の口元に寄せてゆく。
「いけません!」
クープは手を伸ばし、ミスランティアから子供を奪おうとする。
ミスランティアはクープの手首をつかみそれを阻止した。
そのミスランティアの手に込められた力は尋常ではなく、クープの手首を締め上げる。
「ぬぐっ!」
彼の口からは呻きが漏れた。
「アステル……」
ミスランティアの瞳は赫々と光る。
「ジャマは、サセナイ……!」
「ミスランティア!」
しかし、魔界伯爵の顔には意を決した凶相が浮かび、彼の脇の下からは、燕尾服を突き破り外骨格の悪魔の腕がもう一本生えて、彼の手首を掴むミスランティアの手首を掴む。
「母乳は血の変化。デルモンドのような怪物を、これ以上お造りあそばすな」
渾身の力を悪魔の腕に込め、それでもなお静かな声で、諭すようにクープはミスランティアに語り掛ける。
「グググ、」
しかしミスランティアは、まるで言葉の通じぬ野獣のように、うなり声をあげながらクープを睨み返した。
「ミスランティア! 諦めるのだ!!」
クープは赤子ごとミスランティアを抱きしめる。
「もう、貴女にはこの子の成長を見届ける時間は無い。この世にこれ以上の未練を残しますな」
さらに低く、クープはささやく。
「…………」
「…………」
「…………。ごめんなさいアステル」
ミスランティアの体から強ばりが消えたのを確認し、クープはやっと彼女を拘束する力を緩め、三本目の腕をわき腹に格納した。
「どうしたのです? 貴女らしくない」
ミスランティアを抱いたまま、クープはその頭をなでる。
「……アステル、この子、死んじゃうよ……」
「今、乳母のつとまる者を呼びます。心安らかに。死なせはしませんから」
赤子を挟み、向かい合い見つめ合うクープとミスランティア。
「失礼いたします、……???」
「えへん、おほん、母上、父上、これはまた、間の悪い事で……」
「え? え?! ここ、どこ?」
客室の片隅に置かれたクローゼットが開き、ククルカン戦僧『ハインツ』、イスカンダリア冒険者ギルドマスター『シグマイネン』、リンドンの魔法騎士『ユーフェン』の三人がそこから出てきた。




