ザ・ビギニング 3
「私はガウシェン郊外、ゴトレス郷で農家を営む者でトオマスと申します」
ロビーから壁で隔てられた冒険者ギルドのオフィスへ通された農夫は、マルガリタに勧められるまま応接ソファに腰を下ろし、勧められるままにお茶を呑み呑み語り始めた。
「ゴトレスと云えば、ガウシェンから見れば北の方ね」
「ええ。旧街道の始まりで、その先は人家も途絶え、後は云うに憚られる彼の山が有るばかりです……」
ここでトオマスは嘆息し、両手で挟み持つカップに視線を落とす。
「妻が消えたのは今から五日前。
私が畑仕事から帰ると、家のドアが斧で破られていたのです。
その痕跡を見つけた時には、まだ鍋は火にかけられたままで……」
「まあ……」
秀麗な眉目を顰め、マルガリタはトオマスに続きを促す。
「沢山の足跡が北に向かって続いていました。
何かを引きずったような跡もありました」
トオマスの手は震えている。
「……で、プリンストン伯爵には訴えたのですか?」
テーブル越しの向かいに座り、マルガリタが尋ねる。
プリンストン伯爵とは、ガウシェンを含むイスカンダリア候国北部の領主である。
ガウシェンには、北の旧デール候国『鉄火の森』から南下して来る魔物を警戒して、三百名ばかり領兵が駐留していた。
守備にあたる領兵の指揮官は、プリンストン伯爵の懐刀、ガウシェン城主ガランドである。
「二日前に地区長を通して、ガランド様に陳情したところ、昨日、領の北限までは探索していただきました。
しかし、そこまででは、なにも発見されず、追跡をしていた領兵のレンジャーが申すには、私の家から始まった足跡は、旧街道を更に北の領外へと続いてるそうです。
しかし、領外に関しては冒険者に頼ってくれと……」
「そうだったのですか」
マルガリタは、静かな声でそう言った。
「うううっ……」
とうとうトオマスは感極まり泣き出してしまった。
マルガリタは腕を組み、テーブルに伏したトオマスの頭頂部を見つめていた。
(旧デール候国への軍隊の立ち入りは、『五候国会議』の許可が要りますからね。
でも、『鉄火の森』の探索は、Aランク以上のパーティーでないと難しいでしょうし)
Aランクパーティーに鉄火の森への探索行を依頼するならば、相場は1日あたり15万セルクル。
身なりや出会ったときの発言から考えるに、辺境寒村の小作人らしいトオマスには、到底捻出は出来ない。
有力者であれば、縁者などを募り、自身で捜索に向かうのかもしれない。
しかし、そんな力があれば、わざわざ冒険者ギルドなどに来ない。
ふつうに考えれば泣き寝入りするしかないだろう。
(まあ、人間の事など知ったことでないけどね……)
マルガリタはプイとそっぽを向き、お茶を飲もうとカップを手にする。
(……)
「ううう、ターシャ。
あいつの腹には私の子が……」
「……、……」
口は付けず、マルガリタはカップを皿に戻してしまった。
(人間好きのフールフール伯爵様なら、ここで助け船を出すのかしら?
……そう言えば伯爵様、アムル候国のランク詐称問題を調査するため、近々イスカンダリアに来ると言っていたっけ)
「………、?」
思案の末、声をかけようと、マルガリタが口を開きかけたとき、
「んんん!
話は聴きましたぞ!
それは誘拐事件ですね。
判ります!」
ドアが開き、リンドンからやってきた魔法騎士ユーフェンが顔を出す。
「こら!
魔法騎士!
ハウス!
ハウス!」
押し止めようとしていたフィフィーの隙間を縫うようにして、ニュルニュルとユーフェンはオフィスに侵入してきた。
「ユーフェン様、すいません。
仕事中ですので。
……って言うか、本当に、もう、そろそろ、帰ってもらえませんか?」
冷ややかを通り越して、汚物でも見るような視線をユーフェンに送るマルガリタ。
「マルガリタ嬢!
ここは是非とも私をお頼り下さい。
お気の毒なこの御仁に、
わ、た、く、し、が!
力となりましょう!」
(あら……意外ですね)
マルガリタは、ちょっとにやけたドヤ顔で、フンス、フンス、と鼻息も荒く佇むユーフェンの顔に、まるで初めて会った人であるような視線を送った。
「マルガリタ。
あなたがそう望むなら、
あなたの為に、
あなたの騎士であるこのユーフェンが、何とかしますぞ!」
(……正直ウザ過ぎだわ)
せっかく少し上がった好感度を、持ち前の厚かましさで忽ち落としたユーフェンは、そうとも知らずにハグ&チュー待機姿勢で停止している。
「ユーフェン様。鉄火の森はゴブリン、オークが多いですが、強力な獣人やリザードマンの部族も確認されています。
なにより人がまったく住んでおりませんので、補給も休息も出来ないですし、軍の救援も望めません。
いかにユーフェン様が、イスカンダリア屈指の魔法騎士だとしても、単身での探索行は冒険者ギルドとして認可できませんわ」
マルガリタは事務的に告げる。
農夫トオマスは、ユーフェンの言葉にハッと頭を上げたが、マルガリタのその答えを聞いて再びうなだれてしまった。
「ご心配ありがとうございます!
『何とかします』とは言いましたが、生憎わたくし忙しいので明日にはリンドンに帰りますよ?」
ニッコリ笑ってユーフェンがそんな事を言うので、マルガリタは呆れ、トオマスはテーブルに突っ伏した。
「おっと! 罵りの言葉はまだ早いですぞ。
私は帰りますが、代わりに冒険者グループを私の私費で雇おうかなぁー」
「ほっ、本当ですか?!」
トオマスが再び顔を上げる。
「うむうむ、善良な農民が苦悩する様を、リンドンの白薔薇騎士が見過ごす訳にはー、」
トオマスに語りかけている風ではあるが、ユーフェンの顔は完全にマルガリタの方を向いている。
「ん!
ん!
ん!」
パチパチとウインクしながら、ユーフェンはマルガリタに何かを訴えている。
「…………ふう、」
マルガリタはため息をついて、
「判りましたわ。
ユーフェン様今夜は、お付き合い致します」
「っしゃあ!
キタコラ!」
両腕ガッツポーズを決めて、ユーフェンが叫ぶ。
「ありがとうございます!
騎士様!!」
トオマスはユーフェンのガッツ拳を手にとって、握手する。
「あー、オジサン。ここはマルガリタ姉様に感謝するところかな?」
ユーフェンのマントを引っ張って、ロビーに戻そうとしていたが、途中で諦めて話を聞いていたフィフィーが、ぽつりと言った。