ザ・ビギニング 1
「依頼の品を持ってきたぜぃ。
見ろ!
この毛色!
この毛艶!
正真正銘アグラ山上層の雪嵐狼の毛皮だぜぃ!」
汚れた旅装束の冒険者達を代表して、ハエやノミが集る皮鎧を纏った戦士が、ズタ袋から取り出した灰色の毛皮を、ギルドのカウンターに放り出した。
「…………」
毛皮には、無理やり剥がしたせいなのか肉片が残っており、脂にまみれた血がカウンターに線を引いた。
今朝、その黒樫材製のカウンターテーブルを、必死に磨き上げたマルガリタは、片方の眉を上げ血のりの赤い軌跡を見下ろしている。
「今回の報酬は、たしか 四十万セルクルだったぜぃ!!」
毛皮の隣にビターンと、汚物といって差し支えないほどに汚れた戦士の手のひらが置かれた。
手がくるりと翻って甲を下にしたかと思うと、指をニキニキさせて金を催促するに至り、マルガリタの眉は両方ともつり上がった。
「Aランク冒険者パーティー『荒野行路』のホルホール様ですね。
クエストの内容をよくご確認下さい。
あなた方のお受けになったBランククエストは、リンドンの魔術アカデミーからの依頼で、『ブリザードウルフ一頭の捕獲か死体』となっています。
報酬は捕獲の生体で四十万セルクル。
死体の場合は十万セルクルです」
ギルドカウンターに立つ、受付嬢のマルガリタ。
ギルド職員の制服は貴族の執事が着るような黒のスーツである。
女性職員はスカートを、男性職員はズボンを履いている。
「ぐひへへへへ、そうだったか?」
実務的なスーツでも、タイトなスカートをもってしても、隠しおおせることのできないマルガリタのダイナマイツな色香に、純情な者は目をそらし、下卑た者の視線は釘付けとなる。
下卑たる者の筆頭であるホルホールに至っては、既に認識がゲヒタルト崩壊を起し、釘付けどころかマルガリタの豊満バストに向かって語りかけている有様である。
「しゃあねーな、生け捕りはできなかったし、十万セルクルで我慢してやるぜい!
ほうれ毛皮を受け取りな!
そして金を寄越すんだぜぇぇーぃ!!」
ここまでは織り込み済みなのか、ホルホールはめげずに毛皮を拡げだした。
べチョリ、べチョリと血塗れの毛皮が木目美しいカウンターテーブルを侵食する。内心はともかくマルガリタは冷ややかにそれを見下ろしていた。
「ホルホールさん。
冒険者パーティー『荒野行路』が今回受託したクエストの内容を、今一度確認します。
今回の依頼は『討伐』、『駆除』ではなく、『採集』クエストです。
Bランククエストとしては、研究素材用に雪嵐狼の『生け捕り』です。
生け捕りが難しい場合、クエストはDランクに切り替わり、雪嵐狼の『死体』確保が内容になります」
「わっ、わかーってるぜぃー。
だからこうして依頼の死体をだなぁ……」
ホルホールが言い訳を開始しようとしたのを遮り、マルガリタは語り続ける。
「ホルホールさん。
これは死体ではありません。
死体の一部です。
それに……」
マルガリタは毛皮を撫でる。
ホルホールは自慢していたが、灰色の毛並みはボサボサで、なんとも汚らしい毛皮だった。
「フィフィー!」
マルガリタは振り返ると、カウンターの奥でソファーに埋もれて焼き菓子を食べている子供に呼び掛ける。
ふわふわの巻き髪が可愛らしい、多分少女であるが、ギルド職員の、制服であるスーツは袖が詰めてあり、何故か男装してはいているズボンも膝までしかない。
ギルド職員であることは間違いなさそうだが、制服を着ていなかったら子供がカウンター内に入り込んだか、職員の家族が遊びに来たのか、とにかく場違い感が半端なかった。
「はいなぁ!」
元気よく返事をした少女フィフィーは、ソファーからピョンと立ち上がり、マルガリタの元に駆け寄る。
「フィフィー、鑑定お願い」
「はいはいなぁ」
フィフィーはおどけた敬礼をした後、カウンターの毛皮をツンツンしだした。
「うーん。
所々、毛が抜けてるねー。
ばっちいねー」
マルガリタの胸元位の背丈しかないフィフィーは、カウンターにのせられた毛皮を調べる。
「ちっ、鑑定士。
非番じゃねぇのか……。
毛皮の毛なんか毟ってねーぜぃ!
ストレスによる円形脱毛症の疑いがあるぜぃ……。
あっ、狼がお年寄りの可能性も、あるぜぃ!」
ホルホールの苦しげな言い訳を聞きながら、尚もフィフィーは毛皮を検分する。
「いゃーねー、もう、べちょべちょ。
……ねえ。
これ、ちょっと小さくない?」
嫌々顔で毛皮を掲げ持つマルガリタの腰元に絡みつきながらフィフィーは毛皮をツンツンする。
「こっこっこっこ子供かな?……、ぜぃ?」
「……、フィフィー鑑定結果は?」
「はいなぁー!
鑑定結果。
『斑狼』の雌。
何故か斑部分の黒い毛がむしり取られているね」
「ふぐぬぬぬぬ、」
フィフィーの宣言に、ホルホールは何かしらの精神攻撃を受けたかのようによろめいた。
「ねーねーオジサン」
フィフィーは汚れ無き眼でホルホールを見上げる。
「…………。
何でこんな事したのカナ?
手間だし、汚いし、意味わかんないよ?」
フィフィーのすぐ後ろに立つマルガリタの視線は冷ややかであった。
「これは白地に黒いまだら模様である斑狼の毛皮から、
黒い毛だけをむしり取った毛皮です。
雪嵐狼の毛はこんなくすんだ鼠色ではなく、白銀です。
これではクエスト達成とは認められません。
依頼をリタイヤするのでしたら違約金が発生します。
この毛皮は…、普通の斑狼の毛皮なら三千セルクル位で買い取りますが、毛が毟られた状態では五百がせいぜいですね。
剥ぎ取りの処理も雑ですし」
「ご! ごひゃ……」
マルガリタがピシャリとそう言うと、ホルホールは歯ぎしりする。
「なっ何を証拠に!」
「コッチは戦闘で二人やられているんだぞ!!」
「これが依頼の品じぁないとどうして言える!」
今まで黙っていたホルホールの背後にいた荒野行路のその他メンバーが一斉に声を荒げる。
「お前たちイスカンダリアのギルドは、嘘の鑑定で冒険者から依頼品を巻き上げて、依頼主から金をせしめるつもりだろう!」
「俺達がアムル人だからって足元見やがって!」
自分の吐いた台詞で勝手にヒートアップしていく荒野行路の面々は、とうとうギルドの窓口で抜刀した。
お昼。
ギルドのホールは朝のクエスト争奪戦が終わり、夕方に集中する依頼達成報告ラッシュが始まるまでの比較的すいている時間である。
現在、ここ、冒険者ギルド『ガウシェン支部』のホールには、職員以外、冒険者登録に来た超初心者くらいしかいない。
登録したてで講習を受けている初心者も敷地にはいるが、事務所とホールのある建物とは別棟の闘技場の方に、教官と共に行っている。
ちなみに超初心者達はホルホールがカウンターに来た時点で、荒野行路の面々に追い払われている。
いつの間にかギルドのホールには受付嬢二人、マルガリタとフィフィーと、荒野行路パーティー六人しかいなかった。
「ふんぬ!」
「きゃあ!」
ホルホールは不意に腕を伸ばし、カウンター越にフィフィーの首根っこを掴むと、引っこ抜いて脇に抱えた。
「なにを?!
!!……」
マルガリタは慌てて引き留めようとしたが、荒野行路のメンバーの一人、槍使いの男が槍の穂先をマルガリタの喉に当てて制止した。
「鑑定士の嬢ちゃん。
二度は言わねえ。
鑑定をやり直せ。
それが身のためだ」
脇に抱えているフィフィーに、低く狂気をはらんだ声色でホルホールはそう言った。
『ドタドタドタ、』
慌ただしい足音と共に、カウンター奥の扉の向こうから誰かがやってきた。
『バタム』
「ムハー、
ムハー、
ムハー、
な、何かありましたかな?
冒険者の方々」
ドアが開け放たれ現れたのは、小太りの髭おやじだった。