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エンデラの森の黒き魔女  作者: 暫定とは
一章『脱走』
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 事態は未明に起こった。

 巨大な塔か何かが地に倒れるような鈍い轟音と、修道院を揺るがす地響きに、トーマはハッと目を覚ました。焦りと共にベッドから身体を起こし、窓の外に目をやる。曇りガラスなので外の様子は伺えないが、少なくとも朝はまだ来ていないようだ。次いで隣のベッドに目をやると、ハレは当たり前のようにいびきをかきながら眠っていた。呆れと共に笑いが零れそうになるのを堪えながら、「起きろ、ハレ」とトーマは声をかけた。

 「んー」と返事はしたものの、ハレに起きる気配はない。ベッドサイドのテーブルから眼鏡を拾い上げてかけ、同じくテーブルに畳んでおいた白い立ち襟を、トーマは三つのボタンで留めながら(トーマの薄青のボタンシャツの、セーラーカラーにも似た立ち襟は、シャツから独立しており取り外すことが出来たので、トーマは普段、就寝時にはこれを外している)、「シスターマリーの授業に遅れるぞ」と言った。

 パチリ、と目を見開き、勢いよく身体を起こしながら、「シスターマリー!?」とハレは声を荒げた。

「良い反応だ」

 旅に出た自分たちに授業などないことと、ここが平野の真っただ中の修道院であること、それらの情報から必然的に導き出せる、トーマの発言が嘘であることを理解すると、まだ重い瞼を右手でこすりながら、ハレは言った。

「……なんだよトーマ。お前だって疲れてるだろ。こんな悪戯してないで、今日くらい昼まで、泥のように眠って――」

 その瞬間、二度目の轟音と振動があった。驚きに身体を震わせて目を見張ると、ハレはゆっくりと、トーマへと目を向ける。と、今度は窓の外から、炎によるものらしき赤い光が差し込んでくる。光に頬を照らされながら、眼鏡のブリッジをくい、と持ち上げると、トーマはあくまでも冷静な語調で言った。

「残念ながら、俺もここまで大掛かりな悪戯はしない。さあ起きてくれ。少なくとも、ここは安全ではない」

 大急ぎでベッドから起き上がり、身支度を整えると、ハレとトーマは部屋を後にした。


 東アンモス平野、修道院から程近い屋外。

 地面に跪くような姿勢の黒髪の少女と、赤い光を放つ二足歩行の巨体が、そこには対峙していた。三メートルはありそうなその巨体は、左の肩に何やら小さな人影を乗せている。一帯の草には一部、メラメラと音を立てて燃えている箇所があり、既に焼け焦げて黒くなっているところもある。が、辺りに火元らしきものはない。

 東の空は僅かに白み始めており、月明かりにも照らされる平野は仄明(ほのあか)るかった。

「いい加減に諦めてよ。あたしはあなたを殺したいわけじゃない。ただついてきてくれれば、それでいいんだから」

 巨体の肩の上から、小さな人影はそう言った。全身を覆うような白いローブを羽織っている上、被ったフードで顔も隠れている為に、その姿や顔付きを確認することは出来ない。が、抑揚のない無機質な声はまだ若く、少女のものらしかった。

 既に痛めつけられた後なのか、黒髪のほうの少女は、苦しみに呻きながらもその場に立ち上がると、巨体の上の白いローブの少女に向かって返した。

「あなた方の目的は分かりませんが、少なくとも良い人でないことは分かります。ついていくわけには参りません」

 「抵抗するなら」とローブの少女が左手を前に差し出しながら言うと、それに従うように赤い巨体は、拳を握った右の腕を振り上げた。ぼう、と拳に火が灯る。どうやら、一帯の草を()した火元はこれらしい。

「無理矢理にでも連れていくだけ」

 ローブの少女の声を合図に、巨体は炎の拳を地面へと振り下ろした。轟音と共に、巨体の拳は地を穿(うが)って、草の地面に火を撒いた。

「きゃあ!」

 すんでのところで拳を(かわ)した少女だったが、衝撃波によって吹き飛ばされ、その身体は草の上に転がされた。巨体の拳から飛び散った火の粉が、少女の左手のグローブへと燃え移る。起き上がりざま、少女は捨てるようにグローブを脱いでその場に(ほう)った。気力で立ち上がるが、身体に力が入らずに、少女は再び、その場に跪く。そこへ――。

「なーに楽しそうなことやってんだ!! 俺も混ぜろッ、コラァ!!」

 菜種油色で癖のある頭髪を靡かせながら、一人の少年が駆け付けた。ハレだ。

 巨体へと向かって、走りながら跳び上がったハレは、空中で抜刀した双剣で二度、その巨体の胸部を斬り付けたかと思えば、仕舞いに右足で蹴りを見舞ってから、その場にしゃがんで着地した。が、巨体は僅かに後ろによろめくのみで、仰け反ったり倒れたりはしなかった。

 次いでトーマも駆け付けると、少女の方へと駆け寄って、「無事か」と彼は尋ねた。

「え、ええ。あなた方は昨夜(ゆうべ)の――」

「細かい話はあとだ。無事ならそれでいい」

 そう告げながら立ち上がると、腰のドルミールに触れてカレントを目覚めさせつつも、トーマはハレと巨体を振り返った。水色の光を放ちながら、トーマの後方にはカレントが巨人の姿となって現れる。

 しゃがんでいた姿勢から立ち上がりながら、「(わり)ィな、トーマ」とハレは言った。

「考えるより先に、身体が勝手に動いちまった。騙されるかどうかとか、助けられるかどうかとか、そんなの今はどうだっていい。目の前で女子(おなご)が襲われてんだ! 男たる者、助けないわけにゃいかねェ!!」

 双剣を構え直すと、ハレは巨体を睨み付ける。腰のポーチから一冊の本を取り出すと、トーマはハレの隣に並んだ。

「その言い訳もあとでいい。それよりハレ、お前……」

 双剣を握り締めながらも、ハレの身体は小刻みに震えていた。敵が強大であるから恐怖しているわけではないことは、トーマにはすぐに分かった。

 三メートルを超える、二足歩行で人型の、全身から赤い光を放つ巨体。強靭で筋肉質な上半身と、それを支える短いが太い両足。胸部と腕には鎧のような装甲を持っており、その一部は紫と黄色に輝いている。頭部にはトサカや(たてがみ)を思わせる金の髪と、鼻から上を覆うヘルメットのような黒い仮面を、その巨体はつけている。そしてその左肩には(ハレたちとそう変わらない年齢に見える)子供と思しき人影を、一つ確かに乗せていた。

 一見して、これが何かを断定するのは難しい。然し、以上の条件から絞り出せる答えはそう多くはなかった。世界には魔物を手懐けて意のままに操る『魔物使い』なる者もいるらしいから、魔物である可能性はないではない。精霊術は大人でも習得が困難、というだけで、子供には全く扱えないわけというではないのだから、精霊という可能性もゼロではない。そうでもなければ、残る選択肢は一つ。五年前、ハレにトラウマを植え付けて、彼の前からアーロンを連れ去った、二足歩行の人工生命体――。

「皆まで言うな、トーマ! 武者震いだよ!!」

 迷いを払うように声を張り上げて、ハレは再び、巨体へと駆けた。後ろからカレントがそれに続く。トーマの声が背後から響くとその刹那、トーマとカレントの身体からは、水色の光が迸った。

「〝共鳴(チェイン)〟!」

 カレントは走りながら、水のフォルスで出来た剣を空気中から生成すると、それを手に、再び巨体へと跳び上がったハレに続いた。トーマは右手に抱えるように本を開いて、そこに手を翳すと、『共鳴術技(きょうめいじゅつぎ)』の詠唱(えいしょう)を開始した。

 巨体の肩からローブの少女が、ハレへと問いかける。

「誰なの、あなたたち。あの子の仲間ってわけ?」

 近づいてみると、少女の纏う白いローブには、青いラインの模様が入っていることに、ハレは気が付いた。その特徴に、ハレは聞き覚えがあった。

(白地に青い線のローブ……! 武具商のおっちゃんが言ってた奴らだ!)

 双剣による連撃を、巨体の胸へと放ちながら、ハレは答える。「通りすがりの旅人だよ! お前らこそナニモンだ! 何が目的であの子を襲った!!」

「答える義理はないわ。フラム」

 フラム、というのが、その巨体の呼び名らしい。ローブの少女の声に頷くと、「フン!」と唸りながら、巨体は身体を旋回させて、ハレと、その足元に攻撃を加えていたカレントの身体を吹き飛ばした。

「ぐあっ!」

 衝撃に耐えながらも、空中でなんとか体勢を立て直し、ハレとカレントは着地した。間もなくして、トーマの共鳴術技の詠唱が終わる。

「〝聖母の祈りよ、睡蓮の花とし咲き誇れ〟」

 フラムの頭上に、その巨体を囲うほどの水色の魔法陣が現れる。魔法陣からは青白く光を放つ、睡蓮の花を模した水のフォルスが具現化した。巨大化をしながら周りの地へと茎を伸ばし、茎からは同じく、青白く輝く巨大な睡蓮の葉もが、次々と現れた。

「〝アクアリーリエ!〟」

 トーマの声に呼応するように、光の葉たちは素早く回転をしながら、一斉にフラムの巨体に襲い掛かった。凄絶(せいぜつ)なる連撃の最後に、フラム頭上の花は舞い散ったかと思えば、今度はその花びらの一枚一枚が、フラムへと高速で落下した。フラムへと接触すると共に花びらは爆裂し、フラムの身体は爆裂による白煙と、舞い上がった土埃によって、一時完全に見えなくなった。

 「やったか……!?」とハレ。

 しん、と辺りが静まり返る。一つ風が吹き抜けると、白煙の中からフラムは姿を現した。フラムの巨体は倒れるどころか、二本の足でしっかりと地に立ち、赤い肉体には僅かな傷が見受けられるのみであった。それどころか、フラムは次の攻撃へと移るべく、再び右の腕を振り被っている。

「カレント!!」

 焦りに目を見張り、トーマはカレントを呼んだ。咄嗟の判断でカレントはハレへと跳び、ハレを右腕に抱えると、トーマのいる後方へと更に跳んだ。紙一重で、カレントは振り下ろされたフラムの拳を躱すことが叶った。

「カレント! 女を連れて走れ!!」

 トーマの声に、カレントは従った。「おい! トーマ!」とカレントに抱えられたハレが叫んだが、トーマは無視した。今度は黒髪の少女を左腕に抱えると、カレントは自分たちが日中進んできた方角を遡る形で、西の方角へと走った。トーマもそれに続く。

 〝共鳴(チェイン)〟を発動させている間、アーツと人間、特に人間の身体能力は格段に上昇する、通常ならアーツであるカレントの方が、足の速さはもちろん上だが、〝共鳴(チェイン)〟を発動させている今、トーマはカレントに、負けずとも劣らない速度で走ることが可能だった。

 カレントの右腕から、ハレが隣を走るトーマを指差して怒鳴る(抱えた時の姿勢上、ハレはカレントと同じ前方を、左腕の少女は後方を向く形となっていた)。

「やいトーマ! 逃げるなんて情けねェ真似してんじゃねーぞ! 俺はまだ戦えるっつーの!」

「残念ながら無理だ、ハレ! いま俺が使える最大級の術を使ったが、あのデカブツはびくともしなかった! 今の俺たちでは絶対に勝てん!」

「え!! マジかよ! でもそんなに()えー奴から、ただのダッシュで逃げ切れんのか!?」

「知るか! カレント、後ろはどうだ!」

「俺だって後ろを振り返る余裕などない! 少なくとも、奴の足音は聞こえない!」

 足音が聞こえない、ということは、奴らは追ってきていないということだろうか、トーマは振り返ろうか迷ったが、黒髪の少女の声が、それを差し止めた。

「あの! トーマさんと言いましたか!? 眼鏡の(かた)!」

「そうだが! 自己紹介してる余裕はないぞ!」

「非常にお伝えしづらいのですが! あのフラムという巨大な方! 〇×△□※!!」

 カレントと自分の足音、そして平野を吹き荒れる風の音で、最後の言葉を聞き取ることが叶わず、トーマは聞き返した。

「最後の方が聞き取れない! もう一度頼む!」

「フラムという! 巨大な方!」

「それは聞こえた! そのあとだ!」

「――浮いています!!」

 浮いています、と今度は確かに聞こえた。そんな馬鹿な、とトーマは思ったが、もし本当に浮いているとするならば、確かに足音など聞こえるはずもない。何故なら足音は鳴らないからだ。速度を落とすことはないように、恐る恐る、トーマは振り返ると、後方の景色に驚愕した。

 左の肩にローブの人物を乗せたまま、フラムの巨体は僅かだが、本当に宙へと浮かび上がり、凄まじいスピードで自分たちへと迫りつつあった。トーマはすぐに正面を向き直って、更に速度を上げる。

「ハレ! カレント!」

「おう!」「どうした!」

「……本当に浮いてやがる」

 苦い表情でトーマが言うと、ハレは何がツボにハマったのか、カレントの腕をボカボカと叩きながら爆笑した。

 「笑ってる場合か!」とトーマ。

「だってよ! あの巨体で空飛べるって! 笑っちまうだろ!」

 再び、黒髪の少女がトーマへと声をかける。

「トーマさん!」

「今度はなんだ!」

「火球が来ます! 跳んでください!」

 判断するより先に、「カレント、跳べ!!」とトーマは叫んでいた。跳ねた二人の足元を、確かに巨大な火球が一つ、追い抜かしていった。火球はトーマたちの幾らか前方で消滅したが、その通り道の草は一瞬にして黒く燃え尽きていく。

 「女! 次弾は!」とトーマ。

「ノアです! 次弾は……、来る! 左に避けて!」

 トーマとカレントは、左へと進路を取る。右側を、巨大な火球が通り抜けていく。

「次は右!」

「カレント!」「ああ!」

 同じく、右へ避ける。左側を火球が追い越していく。

「左右から来ます! 中央へ寄って!」

 トーマとカレントはお互いに身体を寄せる。二人の両側を二つの火球が追い抜いていく。

「今度は真ん中に来ます! 離れて!」

 寄せた身体を離す。二人の間を火球が通り抜けていく。

 「ヒューッ! 最高のアトラクションだな!」とハレ。トーマは黒髪の少女――ノアに対し、彼女を振り返ることはせずに言った。

「ナイスだノア! このまま逃げ切るぞ!」

「トーマさん!」

「なんだ!」

「もう追いつかれます!!」

「そういうのはもっと早く言うんだよ!!」

 苦しみに顔を顰めながら、トーマとカレントは速度を上げる。が、二人とももう限界だった。これ以上速度は上がらない。カレントの後方から、フラムの肩に乗った少女が、ハレたちに向かって言う。

「結構頑張ったと思うけど、残念だったわね。まあ、フラムの敵じゃなかったってこと」

 「クッソ……! まずいぞ、ハレ!!」とトーマ。

「分かってるよ! もう戦うしかねーだろ!」

「違う! この先は――」

 速度を落とすことも、最早進路を変えることも出来ない。せめて距離を計算しながら走るべきだった、とトーマは後悔した。視界の先に、トーマは巨大な崖を認めていた。

「――ガルダバム川だ!!」

「ええええええ!!」

 数秒間、トーマは沈黙して考えを巡らせた。戦うか、一瞬でも気を逸らさせて、進路を変えるか。それとも――。

「どうすんだよどうすんだよどうすんだよトーマ!!」

 慌てふためいた様子で、ハレは目をぐるぐるとさせている。

 意を決し、トーマは隣を走るカレントを呼んだ。「カレント!」

「おう!」

「もう何をしても間に合わん! このまま川に飛び込む! 二人を抱えたまま泳げるな!?」

「何のために水かきつけてると思ってる! 任せろ!!」

 言っている間にも、フラムと少女はぴったりとハレたちの後ろにくっついたまま、速度を緩める気配はない。それどころか、この巨体はこの期に及んで攻撃を加えるつもりらしい。宙に浮いたまま、フラムは腕を振り被って構えの姿勢を取った。フラムの左肩から、ローブの少女は再びこちらへと声をかける。

「チリチリ頭の子、あたしたちが何者かって聞いたよね」

「チリチリって言うな! 天然パーマだ!」

 「どっちでもいいけど」とローブの少女は、本当にどうでもよさそうに言った。少女の後方、東の空からは、霞みがかった白い満月が、この平野を照らしている。

 「冥土の土産に教えてあげる」と、少女は言う。

「あたしたちは、あたしたちがあたしたちらしく生きられる、新しい世界を創るために戦ってる。そのノアって子は、そのために必要な人柱なの。だから今日、あたしが連れていく。あたしたちの名前は……――」

 日はまだ昇ってきてはいないが、空は青く染まり始めている。青く光る空の中に、月は普段よりも心なしか白く、そして強く輝いているようだった。白銀に迸る月明かりを背に、少女は続きを、こう引き取った。

「――夜明けの月光」

 炎を纏った右の拳で、フラムは打擲(ちょうちゃく)を放った。一瞬遅れて、「跳べ!! カレント!!」とトーマは叫ぶ。

 目の前は崖で、その下は川だ。最早、跳ぶほかない。跳んで、泳いで、生き残るほかない。トーマと(ハレとノアを抱いた)カレントは、断崖絶壁からその身を放り出した。すんでのところで、フラムの打擲を躱しながら。

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