表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エンデラの森の黒き魔女  作者: 暫定とは
一章『脱走』
6/77

6

 ハレたちがアルバティクスの修道院を脱走して、早三日が経過しようとしていた。

 旅立ちの前、憧れた冒険小説の世界に旅立てると浮かれていた自分には、「そんなに楽しいものじゃない」とハレは教えてやりたい気分だった。

 歩き続けること三日、景色に大きな変化はない。遥かに霞む広大な平野を、ただひたすらに歩くだけだ。魔物が現れれば倒し、夜はテントで眠る。そんな生活に、ハレは早くも慣れ、もとい飽きを感じ始めていた。

「それでだ、ハレ」

 前方を歩くトーマは、ハレを振り返ることはせずに尋ねた。「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?」

 退屈そうな素振りは、ハレはしなかった。退屈そうにしてしまえば、それが一番退屈を招くのだと、ハレは何となく知っていたからだ。首から提げたゴーグルのアイカップを両手で摘み、額にかけながらハレは尋ね返す。

「教えるって? 何を」

「とぼけるな。お前が行きたがるファンテーヌの街に、一体何があるのかってことだ」

 「あ~」とハレは、そのことか、という声色で相槌をした。

 『湖上の研究都市・ファンテーヌ』とは、アルバティクスの東方面に存在するテーヌ湖という湖の上に栄えた、フォックシャル帝国第二の都市である。世界最大の学問の街として知られ、国内外を問わず様々な分野の研究家や学者たちが集まり、あらゆる分野に於いて常に最先端の研究が行われている。

 そしてその根幹を支えるのは、街の中心部に(そび)え立つ国内最大の学校・王立ファンテーヌ学院の存在だ。学徒を志す者は、世界中からこの王立学院に集まる。レベルの高い環境の中で、互いに競い合い、切磋琢磨し、優秀な者はそのままファンテーヌに根付き、この街で研究者として生きることとなる。ファンテーヌは、才能が才能を呼び寄せ、そこに新たな才能が生まれる、良い循環を持った街なのであった。

 また、景観の豊かさでも有名なファンテーヌは、観光好きの間では『水の都』としても知られている。湖上に栄えたという特性を活かした街作りがファンテーヌでは行われており、街の中には隅から隅に至るまで、美しい水路が張り巡らされている。その景観の美しさを保つのにもまた、王立学院の存在は一役を買っていた。学院はその地下に巨大な浄水施設を有しており、『ファンテーヌの心臓』などとも呼ばれるこの施設は、湖から汲み上げた水を浄化し、張り巡らされた水路で街中へと運ぶ役割を担っている。この浄水施設もまた、別の意味でファンテーヌに良き循環を齎しているのだった。

「あ~、じゃない。いつまでも誤魔化せると思うな」

 ファンテーヌには、アーロンの足取りを追う為のヒントがある。或る筋からハレはそのような情報を手に入れていた。そしてその詳細を知りたがるトーマには、面白がって今日の今日まで、ハレはその中身を伝えてはいなかったのだ。教えないことに関して、特に深い意味はなかった。が、トーマがそれを気にすれば気にするほど、ハレにはそれを隠しておくのが楽しくなってしまっており、今のところ、ハレはまだそれをトーマに教えるつもりはなかった。

 顔のニヤけを憚ることもなく、ハレはヘラヘラと笑いながら、「まあまあトーマさん。楽しみは取っておきましょうや!」と答えた。

「アーロン探しを手伝ってほしいと言ったのはお前だろう。それに、別に俺は楽しみになんて――」

 「お!」とトーマの言葉を遮ると、ハレは前方に或る建造物を発見し、そちらへと駆けた。呆れるトーマの横を駆け足のまま通り過ぎて、或るところでハレは立ち止まった。ハレの眼下に広がるのは、深き谷を走る幅の広い川と、そこに架けられた巨大な橋であった。

「これだな! 昨日トーマが言ってた、ガ、……ガル……、なんだっけ?」

 「――ガルダバム大橋」と、ハレの隣に並んだトーマは言った。

「それだ。ガルバダム大橋!」

「違う。ガルダバム大橋だ」

 轟音を立てながら、谷を削るように激しく流れる川面にトーマは目をやると、その視線をゆっくりと、左手側――川の上流へと向けていった。最終的にトーマの視線には、自分たちから見て北側に位置する(赤茶の土をその山肌に讃える)峻険(しゅんけん)たる山脈が映った。

 黒い煉瓦で出来たガルダバム大橋へとその一歩を踏み出すと、山脈を眺めながら橋を歩きつつ、トーマは解説した。

「北に見えるのがラノーム山脈だ。谷の下を流れるガルダバム川は、あの山からずっと繋がっている。ガルダバム川は、このアンモス大陸では最大の流域面積を持つ河川で、多くの支流を抱えている。支流の一つは、俺たちの暮らしていたアルバティクスにも続いている」

 橋の幅は、五メートルはないくらいだろうか、トーマとハレが並んで歩いても、まだ幾分かの余裕があった。向こう岸までを渡り切るまで、百メートル前後はありそうだ。その表面は経年によってか、ところどころが荒々しく削られている。数多の人々の交通を、この橋はこれまで支えてきたのだろうとハレは考える。

 トーマは続ける。「その昔、ファンテーヌがまだ街として栄え始めたばかりの頃に、この橋は交易の為に作られたものらしい。もう百年以上も前のことだな。ガルダバムとはアシリア古語で、大地の恵み、というような意味を持つそうだ」

 トーマはよくこうして、本で得た知識をハレに披露した。ハレはそれを聞くのが嫌いではなかったし、寧ろ好きだった。但し、自分では絶対に覚えないし、誰かに説明することもないだろうとは常々思っていたが。

「お前は本当に色んなことを知ってるよな」

「ファンテーヌに一体何があるのか、ということを除いてな」

 嫌味っぽく言ったトーマに対し、「怖い顔すんなよ。怖くなるだろ」とハレは困り顔で笑った。

 トーマとて、それを意地でも聞き出そうということはしなかった。トーマはこの旅に於いて、基本的にはハレの付き添いという立場を外れるつもりはなかった。自分はあくまでも、アーロンを探すハレの旅に、同行しているだけなのだ、と。


「アーロンを探しには行かないのか?」

 最初にけしかけたのはトーマだった。今から凡そ、一年ほど前のことになる。

「探しにって……、どうやってだよ?」

 冗談でも聞き流すように、ハレは軽く笑いながら返した。探しに行こうなどとはハレは考えたこともなかった。アーロンを追う手がかりもなければ、この街から出ることすら、ハレには許されていなかったのだ。当然と言えば当然である。

「どうやってって……、別に良い方法があるわけではないけど。単にそう思っただけだ」

 中庭のベンチに腰掛けながら、トーマは続ける。「アーロンが失踪してから、もう四年くらいは経っただろ。お前、未だに結構な頻度で、アーロンの話をするじゃないか。そこまで気にするのなら、探しに行けばいいんじゃないのか?」

 トーマの口調には、深い意味こそ見受けられなかった。が、結果的にはその発言が、ハレをその気にさせてしまったのだった。

「頼む! トーマ!」

 その数日後、ハレはトーマに頭を下げてそう言った。

「断る」

「オッケー分かった! ってなるか! まだ何も言ってねーだろ!」

「何も言ってないが、お前が頭を下げることが異常事態だということは分かる」

「人の真剣な頼みを異常事態とか言うな!」

「じゃあ言ってみろ。頼みを聞く保証はしないがな」

 読んでいた本から目を逸らさずに、トーマは眼鏡のブリッジを押さえながら、そう尋ねた。続くハレの言葉にも、トーマは本から目を逸らすことこそなかったが、固まったまま、驚いたように目を見張った。

「俺、アーロン探しの旅に出る。孤児院を抜け出すのと、アーロンを探すのを手伝ってほしいんだ」

 ハレの話は、凡そ以下のような内容だった。

 アーロンは自分にとって、大切な兄貴分で特別な存在だった。アーロンが攫われたことは許せないし、トーマの言う通り、自分は未だに四年前の事件を引き摺っている。ただ、アーロンを探しに行くという発想がなかっただけだった。

 本当は今すぐにでも孤児院を飛び出して探しに行きたいが、街の外は危険だと、散々シスターに言い聞かされて自分は育ってきた。アーロンが何処にいるのかの見当がつかない以上、どんな旅になるかは全く想像もつかない。少なくとも、安全な旅ではないと思う。今の自分では、きっとアーロンを連れ戻すどころか、アーロンに辿り着くことも出来ずに命を落とすだろう。まず、孤児院をどうやって抜け出せばいいかも分からない。

 旅に出る前には下準備が必要だ。一つ目に、アーロンへと辿り着く為の情報を、何か一つでも手に入れること。二つ目に、自分自身が外の世界で生きていけるよう、力をつけること。三つ目に――。

「三つ目に、すげーダサいけど、俺、悲しいくらいに頭がよくねえ。だから頭の悪い俺の代わりに、どうやって動けばいいか考えてくれて、俺に指示してくれる、相棒が必要だ。トーマ」

 トーマの目をまっすぐに見つめると、ハレは言った。「お前しかいねえ。頼む」

 ハレにとって、危険な賭けでないわけではなかったはずだった。トーマがこの話をシスターに告げ口すれば、そもそもハレの旅立ちは失敗に終わっているからだ。

 暫しの黙考を挟んでから、「少し考えさせてほしい」とトーマは言った。結果としてその翌日には、トーマはハレの頼みを受け入れ、アーロン探しの旅に同行することが決まった。


 それからの一年間、二人は旅立ちに向けて、着々と準備を進めてきた。

 ハレは双剣の腕を磨き、トーマはカレントとの〝共鳴(チェイン)〟状態での戦闘訓練を重ねた。ハレは真剣ではなく木刀を使っていたし(そもそも真剣は孤児院で生活する上で手に入らない)、院内での修練自体、特に禁止されているわけではなかったものの、シスターに何かを聞かれた際には、ハレたちは都度、誤魔化しには苦労した。

「別にやるなとは言わないけどね、あなたたち、騎士様にでもなるつもりなの?」

 組み手の最中に怪我をして、ハレたちはよく、孤児院医務室の担当である、シスターアネモネの世話になった。アネモネは二十代前半で、丸眼鏡をかけた小柄な女性だった。

「いやー男たる者、最低限の力は付けないとと思ってね! ハハハハハ!」

「なーんか怪しいね。トーマ、ハレは何を隠してるの?」

「別に。ハレは緊張してるんじゃないですか? シスターアネモネって結構可愛いよなって、昨日も言ってましたよ」

「い、いいい言ってない!!」

 自由時間の中庭は、流石に他の孤児たちの目につきやすいので、ハレたちは基本的に、孤児院の裏手にある、屋根付きの物置のようなスペースを修業の場としていた。使わなくなったものをしまっておくような場所で、シスターたちが来ることも殆どなく、ハレたちには都合が良かったからである。

 この場所で、トーマとカレントの〝共鳴(チェイン)〟を初めて目の当たりにした日、「すっげー何それ! 俺にも出来んの!?」と、ハレは声を荒げて驚いていた。

 「残念ながら無理だな」とトーマ。「精霊術とは違い、修練を積まずとも誰にでも扱えるのがアーツの特徴だが、そもそもアーツを使役する為には、フォルスの属性とその波長が、アーツと一致していることが条件となる。まあ、お前と波長の合うアーツが、この世界の何処かにいるのなら、話は変わってくるが」

「あー、そういうもんか。じゃ無理だな」

 珍しく、ハレは諦めが早かった。さりとてトーマには、その反応は意外ではなかった。ハレのアーツ嫌いを、この頃には勿論、トーマは知っていたからだ。

「波長の合うアーツがいないと決まったわけじゃない。探しもせずに諦めるなよ」

 ハレの反応を伺うべく、トーマは素知らぬ素振りでそう言ってみた。やはり、というべきか、「そういうことじゃねーよ」と答えたハレは物憂げだった。

「アーツってのは、やっぱ苦手だ。どうも、好きにはなれそうにねえ。カレントが良い奴ってのは分かる。トーマとカレントの間にある、絆、みたいなものを見て、羨ましく感じることがないわけでもねえ。でも、なんなのかな。ずっと胸の奥がざわざわして、イヤーな感じがするんだよ。申し訳ねーけど、俺はやっぱり、アーツが嫌いだ」

 この日、街には雨が降っていた。木製の屋根を雨粒が叩く音が、物置には響いていた。

 アーロンを攫い、自らを吹き飛ばしたアーツの幻影を、ハレはカレントの中にも見てしまっていた。そしていずれはトーマもが、カレントの手により自分の前から姿を消してしまうのではないかと、ハレはしばしば悪夢のような想像に駆られた。

 ハレはそれを語ることはしなかった。語ったところで何かが解決するわけでもないし、カレントやトーマを傷つけることになるのは明らかだったからだ。自分の心の弱さが見せる幻なのだと、ハレは自分に言い聞かせた。が、それを完全に払拭することは、ハレには出来なかった。それどころか、トーマと共にあるカレントだからこそ、まだ信用出来ているまでであり、(土日の自由時間に外出した際など)街で見知らぬアーツに出くわした時には、ハレは『あの日』がフラッシュバックして、身体が震えたり、腰を抜かしたりすることさえあった。

 そして、それを間近で見ていたからこそ、トーマもハレを、無理をしてアーツ好きに転向させるようなことはせずに、ハレに変化があるのならば、それを見守る程度の心持ちでいられたのだ。

「でもさ! 〝共鳴(チェイン)〟? っていうのか? その力はすげーよ。自分で使えたら心強いだろうな」

「〝共鳴(チェイン)〟、もといアーツは、そもそも精霊術を元に造られている。アーツが嫌いなら、精霊術を学ぶのもいいかも知れないな」

「それって、使えるようになるのがスッゲー難しいって奴だろ? 頭使うのは勘弁してくれ」

 「まあ、お前はそういうタイプではないな」と、言いながらトーマは立ち上がると、カレントと共に、〝共鳴(チェイン)〟を使った戦闘訓練を再開した。煙のような水色の光を、二人はその身体から放ちながら、突き出した掌や拳から、水の光線や水の弾丸を、次々と作り出していく。

 後ろからそれを眺めながら、ハレはかつてトーマから聞いた、〝共鳴(チェイン)〟の仕組みについて、記憶を巡らせてみた。〝共鳴(チェイン)〟とは――。

「〝共鳴(チェイン)〟とは、『フォルスチェイン』と呼ばれる装飾品を媒介に、使役者とアーツがフォルスによって繋がることによって、本来はアーツのみが扱える、『フォルスを自在に操る能力』を、使役者もが扱えるようになる現象のことだ」

 自分の場合、左手のグローブがフォルスチェインになっており、そこに右手を翳しながら、〝共鳴(チェイン)〟と唱えることが、現象の引き金になるのだと、トーマは言った。

「アーツを造り出す技術こそ、太陽王の時代の終幕と共に失われたが、フォルスチェイン自体の製造にはさして難しいことはなく、現代でも普通に行われている。金属が望ましいがその素材は問わず、なんらかの装飾品に、使役者とアーツの名前と、それを結ぶようにイコールの記号を彫る。そこに、世界中に点在するバルド教の教会や修道院――うちの修道院でも行われている『精霊のまじない』の儀を施せば、それで完成だ」

 「こんな風にな」とトーマが見せてくれたグローブの淵の金属部分には、『トーマ=カレント』というアシリア文字が、小さいが確かに彫られていた。

「〝共鳴(チェイン)〟を発動させた使役者とアーツの身体からは、肉眼で確認出来るほどの高濃度のフォルスが、煙のような光となって現れる。この光は属性によって色が異なり、俺とカレントが持つ水属性なら水色だ。俺も実物を見たことはないが、火なら赤、風なら緑、土なら黄色の光となるらしい。〝共鳴(チェイン)〟を発動させた使役者は、アーツを通してアシリアに宿るフォルスを、間接的に顕現することが出来るようになる」

 アーツの身体からも光が溢れ出るのは、〝共鳴(チェイン)〟の現象は使役者だけにではなく、使役者とアーツに相互的に作用するものだからだと、トーマは言った。〝共鳴(チェイン)〟の発動中、アーツも通常時に比べ、操ることの出来るフォルスの総量は格段に上昇するのだ、と。

「戦闘終了時など、〝共鳴(チェイン)〟の必要がなくなった時には、使役者がそれを念じることにより〝共鳴(チェイン)〟は()ける。〝共鳴(チェイン)〟の回数や、扱えるフォルスの量自体に制限はないが、〝共鳴(チェイン)〟をし、フォルスを操ること自体が、或る程度の集中力と精神力を必要とする。長時間の戦闘などに於いて集中力や精神力が擦り減れば、それに伴って攻撃の精度も、必然的に落ちていくことになる」

 初めてその話を聞いた時は、その突拍子のなさにハレの想像力は追いつかなかった。が、実際にその現象を目の当たりにした今、理解出来ることも多々、ハレにはあった。そしてその現象が齎す力に、憧れもした。

 冒険小説の主人公なら、大抵特別な力や才能を持っている。ハレはそんな力を欲していた。それだけで世界を変えられるような。それ一つで、誰かを救ってやれるような。

 然し、仮に〝共鳴(チェイン)〟を扱う機会が――自分と波長の合うアーツとの出会いが――、この先の人生に待っていたとしても、自分がそれを使うことはないだろうと、ハレは思っていた。そんなアーツがいたとして、きっと自分は、そのアーツに触れることすら、恐ろしくて出来ないのだろう、と。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ