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ハレとトーマが知り合ったのは、アーロンが孤児院を去ってからのことだった。とはいえトーマも、ハレほどではないが孤児院の中では古株で、アーロンの失踪前から、二人はお互いに、その存在自体を認知はしていた。但し、特別に用事でもなければ話したりすることはない、その程度の仲だった。
「ハレだっけ。どうしたの、そんなに浮かない顔して」
先に歩み寄ったのはトーマだった。アーロンがいなくなってから、数週間後だったとハレは記憶している。その理由について、酷く落ち込んでいたから、放っておくのは忍びなかったんだと、ハレは後になって、トーマから聞いた。
「それは多分、アーツだな」
アーロンがいなくなった時の状況を一通り聞き終えると、彼を連れ去った巨人の正体について、トーマはハレにそう言った。アーツ、という言葉を聞くのは、ハレはその時が初めてだった。頭上にハテナマークでも浮かべるかのように、ポカンとした表情になったハレに対し、当時のトーマは次のように説明した。
この惑星アシリアには、全ての生命と、そしてアシリア自身にも宿り、その大部分を構成する重要な元素――フォルスが存在する。フォルスには火、水、風、土の四つの属性があり、人もその身体に、四種のフォルスのうちのいずれか一つを宿している。但し、人やその他の生命体が持つフォルスは微量で、それを体外へと顕現することは、基本的には出来ない。然し、それを可能とする生命体は、この世界に二種、存在する。精霊と、精霊を基に造られたと言われる人工生命体・アーツだ。
最も原始的な生命体、生命の始祖とも呼ばれる精霊は、その肉体のほぼ全てがフォルスのみで構成される『フォルス体』である。精霊は古くより、火と水、風と土を操り、この星の生命を育み、その営みを与えてきた。
通常、精霊は『精霊言語』と呼ばれる言葉(便宜上、言語と呼ばれてはいるが、実際には精神的に深い位置で交わされる、テレパシーのような会話である)を使ってコミュニケーションを取る為、人は彼らと意思の疎通をすることは出来ない。然し、長い歴史の中で或る時、精霊言語を理解し、彼らと契約を結び、その力と共に彼らを使役する者が現れた。この能力は後に『精霊術』という名が付き体系化され、精霊術を扱う者は『精霊術師』と呼ばれるようになった。
火や水、風や土を自在に操る精霊の力は強力で、精霊術の黎明期、これは主に軍事利用を目的として使われていた。一方で、日常生活や仕事の中でも、料理や洗濯、風車業や建築業などのあらゆる分野に於いて、精霊術はその利便性を発揮し、戦乱の時代が終わりに向かうにつれて、次第に後者の目的で利用されることが多くなった。然し、精霊術の習得は非常に困難で、元々才能ある者が、数年に渡る修練を積んでようやく身につけることの出来る、高等技術であるというのが、その当時の常識であった。
「アーツが造られたのは、今から凡そ千年前。〝太陽王の時代〟だと言われている」
ハレがトーマからこの話を聞いた五年前、それはあくまでも推測の域を出なかった。然し、その凡そ二年後、今から三年前の冬に、とある学者が発表した『フォルスの流れについて』という論文の中で、それは実証された。
「太陽王と呼ばれた、権威ある王による統治の時代だ。原因不明の人類蒸発により終焉を迎えているが、現代よりも遥かに高度な文明だったと言い伝えられている。そしてその文明は、アーツによって支えられていた、と」
太陽王の時代、誰もが精霊術と同等の力を扱えるようになることを願った、天才的な精霊術師によって、アーツは開発された。アーツは精霊と同じくフォルス体で、フォルスを自在に操ることが出来る。アーツを使役するのに特別な才能や修練は必要ない。ただ、自身が持つフォルスの属性と波長が、アーツと一致してさえいれば。その為アーツは、特定の使役者を想定して――詰まるところ、完全受注生産によって造られたのではないかと、現代においては推定されている。
栄光が何故潰えたのかは分からないが、現代までに明らかになったことは幾つかあった。
「細かく言うと、精霊やアーツは、自分の身体から直接フォルスを放出しているわけじゃない。フォルス体は自然に存在するフォルスへの融和性が高いんだ。その融和性を活かして、彼らはアシリアが持っているフォルスを受け取り、それを操っている。更に言えば、精霊との契約や、アーツとの〝共鳴〟を利用して、その力の一部を借り受ける俺たち人間も、アシリアの持つフォルスを間接的に操っているということになる」
精霊やアーツは、基本的に不死であり、或る程度なら傷を負ったとしても、それはアシリアからフォルスを受け取ることで、時間はかかるが完治する。然し、回復の時間も与えられずに損傷に損傷を重ねたり、身体を真っ二つに分断されるなど、回復のしようがないほどの重傷を負わされた場合には、命の終わりは訪れる。そのような時には、精霊、アーツを問わず、彼らはアシリアを巡るフォルスの流れへと還り、数年から数十年の回復期間を以て、アシリア上に無数に存在する、フォルスの流れの吹き出るポイント、『フォルススポット』から再生する。
この時、精霊はすぐに生命活動を再開することが出来るが、アーツには或る制限がかけられている。知能も高く、人語も解する生命体であるアーツが、野生化して反逆を起こしたりしないように、という開発者の意図かもしれない、とトーマは言った。
「カレントは、俺の家に古くから伝わるドルミールだった」
フォルススポットから発見される時、アーツは『ドルミール』と呼ばれる、楕円体の形を取っている。そして、使役者足り得る人物――つまりフォルスの属性と波長の合う人物が触れることによって初めて目覚め、活動を再開することが出来る。フォルスの波長は或る程度遺伝することが確認されており、現代に於いてアーツを使役することの出来る人物は、かつてのそのアーツの使役者の、子孫である可能性が高い、と言われている。
トーマがこの話を初めてした日、「なるほどな~~」と納得の様子を見せていたハレだったが、残念ながらその内容を、半分も理解出来てはいなかった。ただ確かなことは、ハレの中で、アーツという存在への、明確な嫌悪が生まれたことだった。
世間一般に、アーツ使いは重宝される。そしてハレくらいの年の男の子なら、各分野で活躍するアーツと、その使役者の姿を目や耳にして、いつの日か自分もアーツ使いになりたい、と夢を描くのが通例だ。然し、ハレはその逆だった。
アーツが、アーロンを攫ったのだ。凄まじい力で自分を吹き飛ばし、そしてそのまま飛び去った。ハレの中には、はっきりとしたトラウマが芽生えてしまっていた。トーマやカレントと馴れ合ううちに幾らか軽減されはしたものの、一度生まれてしまった不信感を、簡単に拭うことはハレには出来なかった。カレントのことを嫌っているというわけではないにせよ、彼に近付いたり触れたりすることはハレにとって、避けられるならそれに越したことはない事柄の一つなのであった。
「何度も言うけどよ、トーマ」と、ハレは苦い表情になって言う。
アルバティクスの東に広がる平野を、ハレたちは歩いていた。帝都を発って数時間が経過しているが、特に追手らしき姿はない。そもそも、孤児の脱走の想定はしていないであろう孤児院の特性上、心配したシスターが追ってくるのかどうかということも、ハレたちには全くの未知数であった。孤児院の業務マニュアルのようなものがあったとして、『孤児が脱走した場合』というページは恐らく設けられていないだろう。少なくともとりあえずという意味では、この脱走は成功したようだった。今、昼を過ぎたところだ。空はよく晴れている。
「カレントは出来れば、ドルミールにしておいちゃくれねーか」
アーツは普段、活動の必要がない時には、使役者の意思によってドルミールの状態に戻すことが出来る。多くの使役者は、腰のベルトに専用のホルダーを用意し、日頃はそこにドルミールを入れて持ち歩いている。トーマとカレントも普段はその方法を取っていた。
「慣れないものだな、お前も」
文句ありげ、というわけでは、トーマはなかった。これに関しては、トーマも或る程度の理解はしているつもりだった。もちろん当事者でない以上、その恐怖心の真髄に迫ることは出来ないと分かった上で、トーマはハレに、いずれはカレントとうまくやってほしいと、そう願っていた。だからこそ出来るだけ長時間、特にハレの前では、カレントを活動体の――巨人の姿にしておきたかったのだ。
「しゃーないだろ、こればっかりは……。俺だって、……慣れられるなら慣れてーよ」
唇を尖らせてハレが言うと、「仕方ないな」とトーマは答えながら、カレントをドルミールに戻そうとした。が、寸前でピタリと動きを止めると、前方へ向けた視線を動かすことなく、「止まれ、ハレ」とトーマは言った。何かの気配を、トーマは感じ取ったのだ。
「残念ながらその頼み、今すぐには聞けそうにない」
トーマの言葉の意味を理解したハレは、彼と背中合わせになって、その背後に立った。耳を澄ますと、確かに何かが、草むらの中を走り回るような音がしている。草の高さはハレたちの、凡そ膝下。標的は小さい。初動は、向こう側からだった。
「カレント!」「ああ!」二人の掛け声が響く。
草むらから飛び出した、白い毛皮を持った肢体は、トーマを目掛けて一直線に跳んだ。身を屈めて、ハレは距離を取る。グローブを嵌めた左手の甲に右の掌を翳すと、トーマは唱えた。「〝共鳴〟!」
その刹那、トーマとカレントの身体からは、凄まじい勢いで水色の光が迸った。光と共に放たれた波動によって、毛皮の獣はトーマに触れることも叶わずに、後方へと吹き飛んでいく。二人の身体から放たれた光は、次第にその勢いを落としていき、やがて煙のような流動性を持つと、その身体へと纏わりついた。
「長細い胴で四足歩行、白い毛皮の種といえばヴァイス! 通常十匹から二十匹の群れで行動する魔物だ、気を付けろ!」
吹き飛ばされた獣は、然しすぐに起き上がって、トーマを威嚇した。イタチのような姿と、強靭な牙を、その獣――ヴァイスは持っていた。
「御託は結構だけどよ、既に囲まれてるみたいだぜ!」
右の鞘には左手を、左の鞘には右手をかけ、構えの姿勢のまま、ハレは駆け出した。それに呼応するように、草むらからは同種の魔物が四匹、ハレに向かって跳んだ。跳び上がりながら身体を捻らせ、ハレは空中で抜刀しつつ、四匹のヴァイスに回転切りを放った。四匹のヴァイスは血を吹き出しながら、後方へと吹き飛んでゆく。
「カレント、位置が分かるな」とトーマ。カレントはトーマの背後に、背中合わせに立っている。「ああ」
「水の弾丸だ。タイミングを誤るなよ」
カレントと共に、トーマは両の掌を、前方の草むらへと向けて開いた。二人の掌の正面の空気中には、ほんの小さな水の弾が、異空間から捻り出されるようにして、無数に現れて浮遊した。トーマとカレントは感覚を研ぎ澄ます。ヴァイスの息遣いが分かれば、彼らの飛び出してくるタイミングは、自然と読むことが出来る。「――来るぞ!」
草むらから、トーマとカレントを囲うようにして飛び掛かった八匹のヴァイスに、二人は作り出した水の弾丸を、一斉に放った。空中で弾丸にその肢体を撃ち抜かれ、地に落ちたヴァイスの群れは、数秒の間悶えたかに見えたが、間もなく息絶えた。
トーマの後方では、ハレが別のヴァイスとの戦闘を終えたところだった。
「どうやら終わりのようだな」
安堵と共に、構えの姿勢を解いたトーマに向かって歩き出しながら、「チョロいもんよ」とハレは言った。トーマとカレントを覆っていた煙のような水色の光は、辺りの空気へと溶け出すように飛散し、数秒の間には、完全にこの場から消え去った。
このアシリアには、今のヴァイスを含め、『魔物』と呼ばれる種が無数に存在した。家畜などの温和な動物とは一線を画しており、彼らの多くは非常に獰猛で、人を見つければ襲い掛かってくる。街や村のように、人々が一定数集まって暮らしているところには近づいてこないとされており、普段アルバティクスを出ることのないハレやトーマは、実際にその目で魔物を見るのは初めてだった。
この世界を渡り歩く上で、基本となる交通は雇いの馬車だ。馬車業者は多くの街に点在しており、世界最大の都市であるアルバティクスにも勿論、馬車を生業とする人々は常に数名から数十名、滞在している。然しながら、ハレやトーマには馬車を雇うような余裕はない。否、それは二人に限った話ではなく、多くの旅人にも同じことが言える。結果として、街と街を隔てる広大な平野――或いは荒野、岩場、森、山、川など――を彼らは歩いて越えることとなる。そしてその旅路には常に、魔物という名の危険が伴った。
夜、眠りの床を襲う狡猾な種も少なくはない。そのため旅人は二人一組以上で、交代で寝ずの番をするのが基本であった。然し、アーツがいれば話は別である。アーツらフォルス体には、食事や睡眠を取る必要がない。アシリアからフォルスを受け取る、という実にシンプルな(そして無意識下での)行動によって、彼らはその生命活動を維持することが出来るからだ。夜、魔物が近づけば使役者に知らせて起こし、昼、魔物と出くわせば共に戦う。旅人にとって、自身がアーツ使いであること以上に、都合の良いことはなかったのだ。
「よくやった、カレント」
トーマはカレントをドルミールに戻すと、ハレと共に再び、東へと進路を取った。
アルバティクスから目的地であるファンテーヌまで、普通に歩いて凡そ一週間ほどがかかる。道のりはまだまだ長いが、アーロンへと続くこの旅路に、ハレの期待は膨らんでいた。