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エンデラの森の黒き魔女  作者: 暫定とは
一章『脱走』
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3

 物心がついた頃には、ハレはあの孤児院で暮らしていた。

 シスターから聞いた話によれば、生後間もない状態で、ハレは孤児院の前に捨てられていたのだという。残念ながら珍しい話ではない、とシスターは言った。そしてそれは、十五年間に渡る孤児院生活の中で、ハレも身を以て体感していた。一年間に一度や二度は、そうして孤児院の前に置き去りにされる赤ん坊を、ハレは自分の目でも確かめてきたのだ。

 然し、ハレ自身にとって好都合だったのは、ハレが自分の境遇を恨んだり、他人の境遇を妬む必要のない人格に恵まれたことだった。ハレは、或る程度の悪ふざけや気の緩みの許される孤児院での生活にも満足していたし、その中で自分が楽しいと思えることが少しでもあれば(尚、ハレは楽しくないことでも自分の力で捻じ曲げて、その凡そ殆どを、楽しいことに変換して生活していたが)特に不満はなかった。

 通常、ハレたち孤児は引き取り手となる里親が見つかるか、十八歳の春を迎えると孤児院を出ることになる。孤児院では孤児の生活保障とは別に、或る程度の学問の教示や、自立・就職に向けての手助けもしていた。十三歳前後から、進路についてのシスターとの面談が始まり、十八歳までに里親と巡り合わなかった者は、孤児院を出て、自分の力で生活していくこととなる。無論、十八歳の春を迎えた時点で、無条件で追い出されるわけではなく、進路が決まらなかった者に関しては、孤児院でのシスターの手伝いなどをしつつ、進路を定めていくこととなる。

 お調子者で落ち着きのないハレの性格からか、十五歳になる現在まで、ハレは良き里親と巡り合うことはなかった。が、ハレはこれに関しても、特に自分が不幸であるとは思っていなかったし、他の孤児が引き取られていくのを、悔しがることもなく、祝って見送ってきた。無欲、というわけではないが、ないものねだりをしないのが、ハレの特長だった。


 アーロンは、ハレの八つ上の男児だった。初めて出会った時、ハレは七歳で、アーロンは十五歳だった。

「ねえ、なんでみんなと遊ばないの?」

 ハレは当時のことを、そこまで鮮明に記憶しているわけではない。思い出せるのはただぼんやりとした図書室の風景と、なんの感情も籠っていない目をしたアーロンの顔だけだ。

 かくれんぼか鬼ごっこの最中に、修道院の図書室に逃げ込んだ時のことだった。アーロンは広い机の端の席に座って、難しそうな本を読んでいた。

「…………」

 唐突に話しかけられたことに驚いたように、アーロンは目を丸くして、しばらくの間、何も言わなかった。

「お前のこと知ってるよ。いくらか前に、傷だらけでここに運び込まれた。もう一ヶ月くらい経つけど、誰とも話してない。名前は、アーロン」

「……」

「友達、いないの?」

「……」

「……友達、要らないの?」

「……」

 「ま、いいや」と言って、ハレはアーロンに、右手を差し出した。

「友達になろうぜ。一人でいるより、多分楽しいよ。俺ハレ」

 キュッと目を細めて、「へへ」とハレは笑いかけた。アーロンは、ハレの手を握り返しはしなかった。微笑み返したりもしなかったが、その代わりに、静かに一度だけ頷いた。


 それから、二人の奇妙な交友関係は始まった。アーロンは大抵図書室にいた。

「いつも何の本読んでんの?」

「……精霊」

「セイレイ? それって冒険する話?」

「……冒険は、しない。お話ではない」

「じゃあ、何のための本なの?」

「……勉強」

 「ええ……」と表情を歪ませて、ハレはアーロンの顔を覗き込んだ。アーロンは、きょとんとした表情になってそれを見つめ返した。

「授業でもないのに勉強してんの?」

「……まあ」

「アーロンって……、ひょっとして頭良い人?」

 アーロンはこれには答えなかった。あることを思い付いたハレは図書室の一角から、数冊の本を抜き取って、アーロンの前に広げた。ハレの好きな冒険小説の数々だった。その中の或る一冊の、或るページを開くと、或る単語を指差して、ハレは尋ねた。「これ、なんて読む?」

 暫しの沈黙の後で、「逆鱗(げきりん)」とアーロンは答えた。「それ、どういう意味?」とハレ。

「……竜の鱗の中に一枚だけあるといわれる、逆さに生えた鱗。触れられると竜が激怒するといわれていることから、人を怒らせることを、逆鱗に触れる、というんだ」

 「はあはあはあ」と言いながら繰り返し頷いて、ハレは自分が指さした一文を再度読み返しながら、「なるほどな~~」と言った。

「じゃあじゃあ、こっちは!?」

 また別の一冊の、或るページの或る単語を指差して、ハレは問う。

 ハレの指先を覗き込みながら、「瑰麗(かいれい)」とアーロンは言った。「どういう意味!?」とハレ。「類を見ないほど美しい、というような意味だ」

 それを聞いたハレは、先と同じようにその一文を読み返して、「はあ~~~」と感嘆の声を漏らした。その表情には、『合点(がてん)がいった』というような感情を浮かべている。次いで本から顔を起こすと、アーロンの瞳をまっすぐに見つめて「アーロン、すげえ!」とハレは言った。

「俺、冒険する本が好きなんだけど、難しい言葉が出てくるとバカだから分かんないんだ! なんとなく意味を想像して読んでたけど、今度からアーロンに聞くことにするな!」

 ハレはそれから、分からない言葉にぶつかるとその都度、アーロンを訪ねるようになった。博識なアーロンに、ハレは憧れを抱くようになり、次第に兄貴分として、強く慕うようになっていった。


 孤児院での生活が長いハレは、陽気で明るい彼の性格も手伝って、孤児たちの中では人気者、と呼べる立ち位置にいた。何かを決める時、リーダーを選ぶ時、ハレはいつも、孤児たちの中心となって動いていた。然し、そんなハレをよくは思わない者も、勿論中にはいた。

「調子に乗ってんなよ、ハレ」

 当時八歳だったハレが、中庭でボール遊びをしていた時のことだ。遊び相手の女の子が蹴ったボールが、ハレの二つ年上で、力自慢の男の子に当たってしまったことがあった。

 女の子はすぐさま謝ったが、日頃からハレの人気を妬んでいた男の子の怒りの矛先は、無実のハレに向かっていた。

「まあ、場所を選ばなかった俺も悪かったよ。ごめん」

 素直にハレが謝ったことに、よりプライドを傷つけられたらしい。聞こえよがしに舌打ちをすると、男の子は逆上して吠えた。「いっつもいっつも目障りなんだよ、お前は!」

 基本的には温厚のハレもこの発言には怒りを覚え、負けじと大声で怒鳴り返した。「いつも目障りかどうか、今はカンケーねーだろ!」

「なんだとォ? 年下の癖に生意気だな! この、モジャモジャ頭!!」

 男の子が振り被った握り拳が、ハレの頬をめがけて振り下ろされた。ハレは驚きに、目を瞑ってしまった。然し、その拳がハレを襲うことはなかった。寸前で、何者かによって防ぎ止められたからである。ハレが目を開けると、そこには男の子の拳を掌で受け止める、アーロンの姿があった。

「ハレは謝ってるだろ。偉そうに年上ぶるなら、ちょっとは年上らしくしたらどうだ」

 アーロンにいなされた男の子は、最後までぶつくさと文句を言いながら、取り巻きを連れて引き下がっていった。「お前もお前だ、ハレ。勝てない喧嘩を売るもんじゃない」と、アーロンは言った。

「先に売ってきたのはあいつらだぜ? 不当な悪に屈しろってのかよ」

「不当な悪と戦うなら、まず正義の拳を鍛えることだな」

 その日からアーロンは、ハレに双剣の扱いを指南するようになった。自由時間などを使って、二人は木刀を使った修練を繰り返した。ハレはめきめき上達して、その成長ぶりにはアーロンも驚かされた。


「アーロン、初めて会った時よりもずっと喋るようになったよな」

「誰かさんが、あんまりしつこく話しかけてくるからな。黙り方のほうを忘れてしまった」

 「ひでー。感謝してほしいくらいだよ」と、ハレが顔を(しか)めると、「感謝してるよ」とアーロンは笑った。


 アーロンは、終始自分から何かを語ったりすることはしなかったが、ハレはそれでもよかった。この孤児院に暮らす中で、他人に言いたくない過去の一つや二つ、誰もが持っているのが当たり前であることを、ハレはなんとなく理解していたし、それを語ってもよいと思える時が来たのならば、それはアーロンの口から自然に語られるであろうと、ハレは信じていたからである。

「なあ、ハレ」

「なんだよ」

 アーロンのほうから話しかけてくることは、ハレにとっては珍しかった。どうでもよさげに返事をしつつも、ハレはその続きが気になって耳を澄ませてみた。

「……もしも」

 長い沈黙があった。深い海の底で息をひそめる、誰も知らない巨大な生き物がするような沈黙だった。痺れを切らしたハレの頭がむずむずしてくる頃になって、「いや」とアーロンは言った。

「なんでもない」

 しばらくはその続きを気にしていたハレだったが、続きが気になっていたことすらも、いつの間にはハレは忘れてしまっていた。


 結果として、十八歳になったアーロンが、十歳だったハレの前から姿を消すまでに、ハレはアーロンの口からその話の続きも、彼の過去や、彼が孤児院に来ることになった経緯(いきさつ)も、聞くことは叶わなかった。アーロン自身のことを、殆ど何も知らないまま、ハレは彼を、みすみす見送ることになったのだ。

「ふいーっと、すっきりした~」

 その晩トイレに起きたハレは、部屋に戻るまでの廊下を歩きながら、窓の外の中庭に、こちらに背を向けて立つ巨大な人影を見た。人の形をしてはいるが、その身の丈は二メートルを優に超えており、身体には鎧のような装甲を纏ってもいる。

(なんだ、あのでかいのは……!)

 廊下の窓にぴたりと顔をくっつけて目を凝らすと、その巨人の左の肩に、一人の青年が背負われていることにハレは気が付いた。長くしなやかな紅い髪を持つ、その青年はアーロンだった。

 何が起こっているのか、それが何者なのか、その時のハレには分からなかった。ただ、よくないことが起ころうとしていることだけは確かだった。慌てて廊下を駆け抜け、中庭に出られる扉から、外へと飛び出した。風が、中庭には吹き荒れていた。

「アーロン!!」

 左後方から巨人へと駆け寄りながら、ハレはアーロンを呼んだ。白銀の月光に照らされる巨人は、横顔でハレを振り返ると、左の腕をハレへと振るった。指先のほんの少しでも、ハレに触れることはなかった。然し、その指先から巻き起こった、突風か、或いは波動によって、ハレの身体は後方へと吹き飛ばされた。中庭の地面に叩き付けられ、痛みに呻きながらも起き上がろうとした時には、巨人は既に、中庭を飛び立つところだった。

 巻き起こる風に足を踏ん張りながら、精々その背中を睨み付けることしか、ハレには出来なかった。今まさに、その肩に友を乗せて連れ去ろうとする正体不明の巨人を前に、ハレは無力だった。

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