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エンデラの森の黒き魔女  作者: 暫定とは
二章『共鳴』
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「こんな私を匿ってくれてありがとうございました。でも、これ以上の迷惑はかけられません。ここから先は私一人で行きますから、お二人は私に構わず、アーロンさん探しに専念してください」

 話の最後に、ノアはそう言った。ノアの話への驚きに、ハレはその場で言葉を返すことが出来なかった。

 また、恐らく自分の爪が黒いこととは何かしらの関係があるのだろうが、とした上で、夜明けの月光が自分を追い求める理由は自分にも分からないのだと、ノアは話した。

「今日はもう遅い。うちへ泊まっていくと良い」

 そうシンが言ってくれたので、ハレとトーマはその言葉に甘えることにした。病院を出た時点で、トーマの巻き取り時計は午後の六時前を指していた。外は夕闇に包まれていた。学院傍に借りた小さなアパートの一室に、シンは二人を招待してくれた。

「ファンテーヌの街灯は、既にフォルス(とう)に差し替えられてるんですね」

 通りを歩きながら、ひとりでに灯る街灯に気付いたトーマはそう言った。

 「ああ、未だ試験運用の域は出ないがな」とシン。「そろそろ、アルバティクスの方へも出荷が始まるはずだ。しばらくは、フォルスの流れを見ながらの運用になるだろうな」

「フォルスの有限性、ですか。むず痒いものですね。利便性を手に入れながら、それを普及させることが出来ないというのは」

「むず痒くとも、それが壁として立ちはだかる以上は、目を逸らさずに真正面から、それに立ち向かわなければならない。研究者とはそういうものさ」

 「あの~お取込み中悪いんだけど」と、ハレは(しか)め面になって言った。「俺にも分かるように説明してくれねーかな? さっぱり置いてけぼりだ」

 お手上げ、とでも言いたげに、両の掌を天へと向けて困り顔のハレに対し、トーマは少し意地悪く、「孤児院でも散々習ったろ」と言った。

「それに、シンさんが元素機構(げんそきこう)の研究をしてることも、下調べしてきたんじゃなかったのか?」

 「あ~~」とハレは上ずった声で、それが分かったような、分からないような反応をして見せた。勿論ハレに思い出せるのは、あくまでも『何処かで聞いたことがある』程度で、それがどういうものかということまでは、ハレは記憶してはいなかった。

「ゲンソキコウね。ゲンソキコウ。え~っと~……、なんだっけ?」

 ハレの再びの問いには、シンが順を追って解説をしてくれた。

 「元素機構とは、フォルスを操るアーツのメカニズムを分解し、部分的に利用している、意思を持たないアーツのようなものだ。あの街灯の場合は――」と、シンは進行方向右手の、一本の街灯を指差した。

 背の高い街灯はその天辺(てっぺん)に、ガラスで出来た球状の構造を持っており、その内側からは炎のような揺らめきを持った、橙色の光が放たれている。一見してそれは、単にその中に灯された炎が燃えているようにしか、ハレには見えなかった。

「ガラス球の中に構築された元素機構が、空気中に存在する火のフォルスを顕現することによって、灯りとして光を放つというような仕組みになっている。フォルス灯と呼ばれるものの一種だな。本当はもっと複雑なプロセスを踏んでいるんだが、分かりやすく言えばそんなところだ。十八時になると自動で点灯し、朝の五時には自動で消灯するように、機構を組み込んである」

 「へ~~っ」と目を丸くして、感心するようにハレは言った。

 通常、このアシリアに存在する街々では、夕方になると役人が街灯に火を灯して回るのが基本だ。このフォルス灯が世界的に普及すれば、その作業は必然的に、必要がなくなる。それが革命的で、大変に便利な技術であるということは、ハレにも分かった。

「でも、なんでそんな便利なもんを普及させられねーんだ?」

 「良い質問だ」とシン。「アシリアに宿るフォルスが、その場に留まってはおらず、常に流動していることは知っているか?」

 ハレは頷き返す。「ああ、フォルスの流れって奴だよな」

「そうだ。アシリア上に存在するフォルスは莫大ではあるが有限で、短期間中に大量のフォルスが消費されれば、再使用可能になるまでの回復が追い付かず、フォルスは枯渇する。フォルスの枯渇は、フォルスの流れの乱れを生み、流れの乱れは或る症状となって、このアシリアに現れるんだ」

「……或る症状?」

 「ああ」とシンは続ける。「地震や津波、火山の噴火や竜巻などの、大規模な自然災害だな。これらは連鎖的に発生し、かつてアシリア上で流れの乱れが起こった時には、それによって多くの人や街が犠牲になったらしい。とはいっても、それは太陽王の時代、世界中で大量のアーツが稼働していた頃の話だ。ファンテーヌやアルバティクスなどの限られた地域でのみ使う分には、元素機構を今の状態で提供しても、なんら問題にはならないだろう。然し、俺たち研究者の最終目標とするところは、かつてアーツがそうであったように、元素機構の世界的な普及だ。そしてそこには、先人が怪我をして示してくれた、通ってはいけない道がある。俺たち現代の研究者に出来ることは、それと同じ(てつ)を踏むことのないよう、最大限の努力を惜しまないことなのさ」

 歩きながらそう語るシンの目は、何処か遠くを見つめるようで、儚げであった。シンの視線の先には他でもない、三年前、元素機構の未来を嘆き、人類と共にそれを葬り去ろうとした男と、その男を千年に渡って支え続けた、一人の研究者の姿があった。

 同じ研究者として、彼らに学ぶべきところはシンにとって多くあった。然し、人類が千年前とは違う道を歩めることを信じて、シンは彼らと対立したのだ。その結果、シンは彼らとの戦いに勝ち、今の実りある研究生活を生きている。だからこそ、利便性や名声に溺れて、不完全な状態の元素機構を世に送り出すことだけは絶対に避けねばならないと、シンはその心に強く誓っていた。

 丁度シンの話の終わる頃、ハレたちはシンの暮らすアパートへと到着した。二階の角部屋がシンの部屋だった。中はきっちりと整頓されており、ハレの想像する成人男性の一人暮らしとは、少しばかりかけ離れたものだった。

 荷物を部屋に置かせてもらい、ハレたちはシンが通っているという、近場の風呂屋で身体を流した。ハレとトーマはこの晩、帝都を発って初めて、風呂で身体を洗うことが叶った。再び部屋に戻った二人に、シンは「簡単なものですまないが」と言って、貝のパスタとタマネギのスープを振舞ってくれた。パスタもスープも絶妙に美味く、特にハレは、久々にありつけたまともな食事にすっかり感服し、凄まじい勢いでそれをかき込んだかと思えば、暫し言葉を失った。

「……」

 祈るように目を閉じてパスタを咀嚼するハレに、「口に合わなかったか?」とシンは尋ねた。十数秒に渡る咀嚼の後で、ごくり、とそれを飲み込むと、「……美味い。美味すぎる」とハレは答えた。

「あ、ああ……。それは良かった」

 食事中、ハレとトーマの二人はシンに、孤児院での生活から旅立ち、そしてファンテーヌに辿り着くまでの経緯(いきさつ)を話した。ノアとの出会い、夜明けの月光の襲撃、ガルダバム川への飛び込みと、ロロキア旧水脈の探索と脱出。三人が共に食べ終わろうか、というタイミングで、「ところで」とシンは改まって切り出した。

「ノアは一人で行く、と言っていたわけだが、ハレ、トーマ。お前たちはどうするつもりだ?」

 その答えはハレに委ねる、という意味で、トーマはハレへと目をやった。器の底に残ったスープを、ごくりと喉へ流し込むと、「ご馳走様」とハレは言った。瞼を閉じ、細く長い溜息を一つ吹き出すと、再びぱちりと開いた目をまっすぐにシンへと向けて、ハレは答えた。

「俺は行く。俺、ノアを助けてやりてえ。助けてやる、ってのは違うか。とにかく、ノアが困ってんのなら力になりたい。ノアは一人で行きたがるだろうけど、少なくとも、俺が何か出来ることが残ってるうちは、俺はノアの傍にいたい」

 何を疑うこともなくそう言い切ったハレに、忠告するようにトーマは言った。「ハレ。前にも言ったが、困ってる奴をみんな助けて回っていたら、身体が幾つあっても足りなくなる。お前の目的、――アーロンを見つけて連れ帰ることなんて、夢のまた夢になるぞ」

 シンからトーマへと視線を移すと、こくり、と一つ頷いて、「分かってる」とハレは答えた。

「困ってる奴全員を、見つけた傍から助けようってわけじゃない。エンデラの森、って言ったっけ? 探してる森の場所は見当も付かないから、片っ端から当たるしかないってノアも言ってたろ。そんで俺たちも、アーロンの行方は今んとこ、虱潰しに探すしかねえ。そういう意味では俺たちもノアも、やろうとしてることは同じなんだよ。どうせバラバラに各地を当たっていくくらいなら、最初から一緒に動いた方が安全だろ? 情報も共有出来る。それに……」

 全てを肯定するつもりこそなくとも、ハレの意見は暴論というほどではなかったし、或る程度の筋は通っていたので、トーマは否定はしなかった。表情を無にして、トーマはそれを語るハレのことを見つめていた。

「ノアはなんつーか、特別なんだよ。見てて危なっかしいっていうか、()っとけねーんだ。すぐ無理しようとするし、自分がつらいことは隠そうとするし、弱いのに強がりなんだよ、あいつは。だから心配なんだ。あいつがそれを望んでたとしても、一人にはしたくねえ」

 何処かこっ恥ずかしそうにそう言ったハレに、「ああ」とトーマは少しだけ、呆れるような素振りをして見せた。

「つまり、好きなんだな?」

 「す!?」とハレは奇声とも取れるほどの声を上げ、一瞬にして熟れたトマトのように顔を真っ赤にすると、慌てた様子でそれを否定した。

「すっ、すすすすす、好きとかじゃねーよ!! すぐそういうこと言うのやめろよ、昔からお前は!」

 グラスに注いだ水を飲みながら、微笑ましさ半分、呆れ半分に、シンは目を細めた。

(なんて分かりやすい反応……)

 少なくともトーマの知る限り、ハレはトーマと知り合ってからの五年間で、十回は別の人間に恋をし、その度勝手に失恋していた。その都度ハレは本気なので、軽率なわけではないのだが、惚れっぽいところがハレにはあったのだ。トーマにとっては慣れたもので、『毎度のこと』程度に、彼は捉えていた。但し、こうなった以上ハレにはもう、それ以外の選択肢が見えていないことを覚悟するほか、トーマにはなかった。

 数度の深呼吸で息を整えると、顰めたままの表情で、「ただよ」とハレは言った。

「ノアの意見を尊重して、あいつを一人で行かせたら、多分俺は一生後悔する。それにそっちが気になって、アーロン探しどころじゃなくなると思うんだ。だから、トーマ」

 そこに含まれる感情が、恋であろうとなかろうと、トーマにはいっそどちらでも良かった。ハレの言っていることが、少なくとも悪だったという試しはないし、一度そっちを向いてしまった暴走特急を、軌道修正するのは簡単なことではない。

「行かせてくれ。そして、付いてきてほしい」

 ハレがそちらを向いて走り出す以上、基本的にトーマは、それに逆らうつもりはなかった。せいぜい振り落とされることのないように、しっかりしがみついてやろうと、トーマは思っていた。旅立ちについていくと決めた、自分の責任として。そして、暴走特急に相乗りする、ハレの相棒として。

 「……分かってるよ」と、トーマは頭の後ろを掻きながら答えた。

「改めて言うな、恥ずかしい。……ノアと一緒に行こう。俺も行く」

 トーマの返答に、心底嬉しそうに驚くと、右手の親指を突き立てて、ハレは言った。

「これだからお前は最高だぜ。トーマ」


 シンの部屋には(当たり前だが)ベッドは一つしかなかったので、この夜トーマはリビングのソファで、ハレはその床で眠りに就いた。二人が寝静まった真夜中、アパートの屋上に設けられた小さな庭園のようなスペースで、シンはドボロと共に、夜風に当たっていた。

「すまないな、付き合わせてしまって」

 シンの言葉に、なんでもなさそうにドボロは笑った。

「気にすることないだ。どっちにしても、オデは眠らないだしな」

 「それもそうだな」と、シンはその頬に微かな笑みを浮かべた。

 庭園の柵に手を付いて、夜のファンテーヌを見下ろすシンの後ろ姿に、ドボロは尋ねる。

「それよりもシン、オデに話があるんじゃなかっただか?」

「ああ、ドボロ――」

 くるり、とドボロを振り返ると、一瞬溜めて、シンは言った。その視線は、ドボロのギョロリとした丸みのある黒い瞳へと、まっすぐに向けられている。鋭くつり上がったシンの目付きは、何かを見つめる時、一見して睨んでいるかのように見えることもある。然し、ドボロはこの時、シンの視線の奥底に、どちらかといえば祈りや、懇願と言ってもいいほどの、切実な思いを垣間見た。白く輝く月の光が、この夜もファンテーヌを照らしていた。

「――頼みがある」

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