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エンデラの森の黒き魔女  作者: 暫定とは
一章『脱走』
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 丸一日探索し続けた結果として、その日のうちに洞窟を抜けることは出来ない、という結論に達したハレたちは、ひとまず洞窟生活一日目の夜を、テントで過ごすこととなった。ノアを何処で寝かせるべきか、一通りの議論をし尽くした後で、(ハレたちが持ち出したテントは、ハレとトーマが並んでもまだ幾らかの余裕があったし、ノアもそれで構わないと言うので)ハレとトーマとノアの三人は、テントで川の字となって眠ることとなった。左から、トーマ、ハレ、ノアという並びとなって、三人は寝転がった。

「ハレ、もうちょっとそっちに詰めろ」

「しょうがねーだろ、ノアがいるんだから」

「あの、もしもお邪魔でしたら、私は外で寝ましょうか……?」

「いいんだよ、ノアは気にしなくて! トーマ、お前が我慢しろ!」

「俺の腰痛が悪化したらお前のせいだからな、ハレ」

「え、トーマお前、十六で腰痛なんか持ってるのかよ……」

「冗談だ。引っかかる奴があるか」

「ふふ……」

「笑うなノア! トーマもつまんねー冗談言ってんじゃねえ!」

「すみません、つい」

「気にするな、ノア。いつものことだ。それよりも」

「いつものことって言うな!」

「それよりも、なんですか?」

「一人で旅をしてるのに、今までテントも持っていなかったのか?」

 無視するな、と言おうと口を開いたハレだったが、トーマの問いに対するノアの答えが気になったので、声に出すことはせずに口を閉ざした。ゆっくりと、ノアは語り出した。

「つい数日前まで、私はカミナという雌の馬と共に旅をしていました。私が小さい頃からずっと一緒だった、パートナーのような馬だったのです。カミナがいてくれたから、私は私を追いかけてくる、あの白いローブの方々からも逃げ続けることが出来ていました。テントは勿論持っていましたよ。私の荷物はいつも、カミナが運んでくれていたのです。数日前、今朝と同じようにあの方々に襲われた私は、カミナに乗って逃げました。その途中で、カミナは岩場に躓いてバランスを崩し、私はその拍子に、カミナから振り落とされてしまったのです。打ち所が良かったので大事には至りませんでしたが、カミナは私に気付かずに、荷物を背負ったまま走り去ってしまいました。途方に暮れて、なんとかあの修道院に辿り着いたところを、明け方再び、あの方々に襲われた、というところです」

 ノアの話の終わりには、触れてはいけない類の沈黙が残った。「つらいことを思い出させてしまった。すまない」とトーマが言うと、「いえ」とノアは然し、なんでもなさそうに言った。

「大丈夫です。いつかまた、何処かで会えると信じていますから」


 翌日。缶詰の保存食でこの日の朝食を済ませたハレたち一行は、二日目となる洞窟探索へと赴いた。

 周辺の景色に、昨日と変わり映えするところは凡そない。ハレたちの周りには、薄黄色で光沢のある地面と壁面が広がっており、頭上には鋭く尖った鍾乳石だけが、ただひらすらに並んでいる。昨日と一つだけ違うのは、岩盤の小さな隙間から、時折水が漏れ出して流れているところがある、ということだけだった。

「なあトーマ、昨日の話だと、お前はここがどういう場所なのか、或る程度の目星がついているような口振りだったよな」

「まあ、まったく見当もついてないわけじゃない。ただ確証がないから言ってないだけだ」

「じゃあ、それを教えろよ」

「確証がないのにか?」

 わざと冗談ぶって驚いたように、トーマは言った。苦い顔になって、ハレもまた冗談めいた棒読み口調で返す。

「確証があるのかどうか、この期に及んで気にしてるのは世界中でお前くらいだよ」

「そうか。それなら話そう」

 一つ呼吸を挟んでから、「恐らく」とトーマは言った。

「ここはかつて、ガルダバム川の支流だった地下水脈の跡地だろう。本で読んだことがある。大規模な地殻変動によって、ガルダバム川よりも高度が上がった為に水が入り込まなくなったが、その代わりにこの真上にある山脈の湧き水が洞窟を通るようになり、長い時間をかけて今の鍾乳洞のような姿になった、とな」

 「へ~」とハレは感心するように言った。壁際を歩いていたノアに、トーマは呼びかける。「ノア」

「はい」

「岩の割れ目から水が流れ出ているだろう。何色をしてるか分かるか?」

 壁にぴたりと身を寄せると、丁度良いところにあった割れ目から流れ出る湧き水を、ノアはじっくりと観察した。

「……ほぼ透明ですが、微かに青みがかっていますね」

「それは湧き水が、この上の山脈の地質が持つ特殊な成分を含んでいる証拠だ。だからこの見立ては、恐らく間違ってはいないと思う」

 「なるほどです」とノア。トーマは続ける。

「そしてこの憶測が正しければ、この先には――」

 ハレたちの進む通路は昨日からずっと、緩やかな上り坂か平坦な地形で、下るということはハレたちはしていなかった。今も、ハレたちはずっと、今までよりも微かに勾配の急になった、がたつきのある上り坂の通路を進んでいる。もうすぐでその頂上だった。

 先頭を歩いていたトーマは頂上に到着するなり、岩盤の壁面に手を着いて、その向こうに広がる景色を見渡した。ハレとノア、そしてカレントの三人がそれに続く。そこから見下ろす、見惚れるほどの絶景に、ハレとノアは思わず感嘆の声を漏らした。

「すげぇ……」「きれい……」

 これまでの通路よりも遥かに広く、美しい空洞の風景がそこにはあった。

石灰華段(せっかいかだん)、別名リムストーンプールとも呼ばれる、一部の鍾乳洞などに見られる特殊地形だ。これがあるということは、まず間違いない。この上の山脈は、ロロキア山脈。そしてこの洞窟の名は」

 空洞はハレたちから見て奥側に向かって、緩い下りの傾斜を持っており、そこには青く輝く湧き水の流れる、無数の区画に分かれた棚田のような地形が広がっていた。カンテラの光を反射する水面(みなも)は、まるで自らが光を放っているかのように、青く神々しい輝きを持っている。辺りには水の流れる美しい音が響き渡っており、その音と光が織りなす不思議な空間には、疲弊した魂まで浄化されるような感覚に、ハレたちは見舞われた。

「――ロロキア旧水脈だ」

 棚田の隙間を縫うようにして歩き、ハレたちはその空洞を渡り切った。

 トーマ曰く、ロロキア旧水脈はロロキア山脈の麓に、幾つかの出口を持っている。このまま進めばまず間違いなく、ファンテーヌの方面に抜けられる、ということだった。然し、空洞を抜けて再び通路を進むこと一日、この日もハレたちは、その出口へと到達することは出来なかった。

 結果として、ハレたちは合計で五日間、この洞窟を彷徨うこととなった。五日の間にノアの体調が、徐々に快復へと向かっていったのは不幸中の幸いだった。五日目の夕方、ようやく地上への脱出が叶ったハレたちの視界の遥か遠方には、青い瓦の屋根を持つ、塔のような建物が映っていた。双眼鏡を覗き込みながら、「間違いない」とトーマは言った。

「王立ファンテーヌ学院の時計塔だ。首尾よく進めば、ここからは二日とかからない」

「よっしゃあ!!」

「やりましたね!」

 ガッツポーズをして天へと雄叫びを上げるハレに、ノアはそう言って笑いかけた。

 ロロキア山脈から程近い、針葉樹の植生する草原の上に、ハレたちはこの晩テントを張った。久々の地上に、ハレは肺が息を吹き返すような感覚を覚えていた。夕食にと狩ってきた鳥型の魔物の肉を齧りながら、「一生出られないんじゃないかと焦ったぜ」とハレは笑った。

「ファンテーヌに到着すらせずにくたばったら、わざわざ苦労して孤児院を脱走した意味が本当になくなるな」

 「ホントだよ」とトーマに笑いかけると、少し寂しそうな顔になって、ハレは言った。「孤児院のみんな、元気にしてるかなあ。俺たちのこと探してるかな?」

 この日の空は雲一つなく晴れており、ハレたちのいる草原は、焚火がなくとも星の灯りに照らされていて明るかった。満天の星空を見上げながら寂しそうにするハレに、「フ」と笑いを溢すとトーマは言った。

「ホームシックか? なんなら明日から、アルバティクスに引き返したっていいんだぞ」

「そ、そんなわけねーだろ!」

 ふざけながら会話する二人に、「お二人は」とノアが尋ねかける。「ずっと孤児院で暮らされていたのですか?」

 魔物の肉を口いっぱいに頬張りながら、ハレが答える。「俺は赤ん坊の頃からだよ。孤児院の前に捨てられてたんだってさ。トーマは何歳くらいからいたっけ?」

「六歳ごろだったか、随分昔のことだ。忘れたよ」

 「そうだったんですね」とノアが所在なさそうにすると、出来るだけなんでもなさそうに笑って、ハレは言った。

「別に、自分が孤児だって気にしてねーから、気ィ使わなくていいぜ。寧ろ楽しんでるからいいんだよ、俺は」

「孤児という状況を楽しめるのは、最早或る意味才能だな」

「うるせー」

 口に手を当てて、ノアは静かに「ふふ」と笑った。

 食べ終わって残った骨を、焚火の中に放り込みながら、「そういえば、ハレ」とトーマは言った。肉に齧り付くべく、口を大きく開いた状態のまま、「あん?」とハレは尋ね返した。

「そろそろ、教えてくれてもいいんじゃないか? 一体ファンテーヌに、アーロンの手がかりになる何があるっていうのか」

「あー、そのことな」

 持っていた肉を、丸々一本食い終わるまで、ハレは何も言わなかった。急かしたりすることはせずに、トーマはそれを待った。最後の一口をごくり、と飲み込むと、ハレは言った。

「ま、もう隠しててもしょうがねーもんな」

 始めから隠しておいてもしょうがないだろうと、トーマは思ったが言わないでおいた。「実はな」と言ってから、ハレは数秒の沈黙を挟んだ。

「手がかりなんてないんだ。最初の行き先は当てずっぽうで選んだ。近いしな」

 聞き間違いかと、トーマは思った。その証拠に、トーマは目を見張って口元を歪ませて、「は」と思わず間の抜けた声まで、その歪んだ口元から漏らしてしまった。深刻そうな面持ちで、ハレは焚火を見つめていたかと思えば、様子を伺うように、視線だけでチラリチラリと、トーマの顔色を伺い出した。その口元には堪え切ることの出来ない笑みが、思わず溢れしまっている。しまった、とトーマは思った。

「なーんてウッソ~~!! 引っかかる奴があるか!!」

「ふふ……」

 ぴくぴくと眉間を痙攣させながら、「つまらない嘘を言うな」とトーマは表情を歪ませる。

 満足のいくまで一しきり、草の上で笑い転げながら、「は~面白い」とハレは真っ赤な顔で何度も言った。数分間笑ってから、元の姿勢で焚火の前に腰を下ろすと、「でだ」とハレは仕切り直した。

「まー残念ながら、確実な手がかりではない。そもそも、孤児院ってのは孤児が集まるから孤児院なわけで、アーロンの過去を知ってる人間もいなければ、モチロン行き先を知る奴だっていねえ。情報収集も一時はマジで諦めようかと思ったぜ。然しまあ、当てずっぽうで人を探すにゃ、この世界はちと広すぎる。不屈の心で探し続けて、この情報を手に入れた時はキタ! と思ったね」

 風が、草原に吹き始めていた。荒れ狂うような暴風ではなく、それは優しささえ感じさせるような、柔らかな風だった。ハレの菜種油色の癖毛が、静かに風に揺れている。ここから北東――湖上の研究都市・ファンテーヌへと、ハレたちを導くか、或いは呼んでいるかのように。

「俺たちと同じ孤児院の出で、今はファンテーヌの王立学院で、研究者としてやってる男がいる。在籍中は国王陛下の雑務手伝いやらなんやらをしていたもんで、孤児院に住んでいながらも、俺たち他の孤児と顔を合わせることはほとんどなかったとかなんとか。三年前に孤児院を正式に退所して、それからはファンテーヌで、ゲンソキコウ、とやらの開発に勤しんでるらしい」

 トーマにとっても、そんな人物がいたことは初耳だった。ハレの話は続いた。

「その男、――聞いて驚け。八年前、傷だらけだったアーロンを拾って、あの孤児院に運び込んだ張本人なんだそうだ。医務室のシスターアネモネから聞いた時は驚いたね。シスターガーベラにも確認して、裏も取った。この情報は確実だ。そいつがアーロンの過去や、連れ去られた後の行き先について知ってるかどうかまでは、まだ分からねえ。でもよ、俺の直感がビリビリ来てんだよ。少なくとも、この男のところには俺が手にすべき何かが必ずある!」

 パチン、と指を鳴らして、ハレは自慢げに言った。トーマもノアも、この話には不思議な説得力のようなものを感じていた。

「俺たちの五つ上だそうだから、今は二十歳のはずだ。その男の名前は――」

 その瞬間、今までの柔らかな風とは違う、突き刺すような鋭い疾風が一つ、この草原を通り過ぎた。

 新たなる出会いへの期待に、鼓動が高鳴るのをハレは感じた。風は、そしてこの名前は、自分たちを一体、何処へと連れていってくれるのか。

 四年前、この惑星アシリアに巻き起こった、アーツ泥棒を始めとする一連の騒動。そしてその裏側で噛み合っていた、幾つもの運命の歯車たち。止まっていたはずの歯車は、既に人知れず、再び動き始めている。そして今この瞬間、また一つハレという歯車が、静かにそこに噛み合おうとしていた。

「――シンだ」

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