10
ハレたちが洞窟内を歩き始めて、一時間強が経過していた。トーマの時計は午前の十一時を指している。
洞窟内はトーマの言った通りに入り組んでおり、通路には二つや三つに分かれる分岐が幾つもあった。コンパスと自身の勘だけを頼りに、流された距離とファンテーヌの方角を鑑みながら、トーマは慎重に進路を取った。
「けど、本当に抜けられるのかよ、こんな洞窟。どの道進んでも突き当りでした~ってのは、頼むからやめてくれよ」
トーマ曰く、彼の憶測に間違いがなければ、この洞窟はファンテーヌの南西に位置する、小さな山脈と繋がっているのだという。方角さえ誤らなければ、ファンテーヌの方面に抜けられる筈だと、トーマは先ほど語っていた。
「仮に全ての通路の先が突き当りだったとしても、それをこの目で確かめるまでは、そうでない可能性に賭けるしかない。もし本当にそうだった時には、俺たちには最早、もう一度ガルダバム川の激流に流されるしかなくなるんだからな」
「それだけは勘弁してくれ」と、ハレは首をブルブルとさせながら言った。
洞窟の中は外と比べて、湿度が高くひんやりとしていた。が、寒すぎるというわけではなく、過ごしやすく快適ではあった。外からの光は殆ど入らなかったので、トーマはカンテラに火を灯して、辺りを照らしながら歩いた。何処からか、川の音とは別に、チョロチョロと水の流れる音も聞こえてくる。トーマの憶測が正しければ、山脈からの湧き水ということになるのだろうか、とハレは考察する。
洞窟内には時折、魔物も現れた。洞窟特有の特殊な生態系が築かれているのか、地上では見たこともないような巨大な蛞蝓のようなものや、魚のような身体を持ちながら、四本の足で地面を這うものもいた。都度、撃退しながらハレたちは進んだ。トーマは時に、カレントと〝共鳴〟をして、『共鳴術技』をも使った。
「然し見事なもんだよな。キョーメージュツギってんだっけ? 明け方のデカブツとの戦いで、実戦で使ってるのは初めて見たけどよ」
「そうだ」と、トーマは答える。
「緻密なフォルスコントロールによりフォルスを効率よく燃焼させ、より効果的にダメージを与える、〝共鳴〟を前提とした古典武術の『共鳴術』。そしてその応用である、共鳴術を用いてフォルスを効率よく操り、高濃度・高精度の攻撃を打ち出す必殺の技――それが『共鳴術技』だ」
この話については、トーマから何度か教えてもらったことを、ハレは覚えていた。
通常、人はフォルスを使用する時、自らの体内に存在するごく僅かなフォルスと、体外から〝共鳴〟によって得たフォルスを連動し、循環・燃焼させている。フォルスを使役するにあたって、人はこの作業の中で、九割以上のフォルスを無為に燃焼させてしまっており、実際に体外へと打ち出せているのは凡そ一割ほどだと言われている。この無駄を減らす為に考案されたのが、『共鳴術』と呼ばれる技術であり、修練を積んでこの技術を極めれば、実際に打ち出すフォルスの量を九割ほどまでは底上げすることが出来る、とされている。そして、共鳴術によって濃度の高まったフォルスを利用し、そこから打ち出される強力な技の数々は『共鳴術技』と呼ばれた。
共鳴術には幾つもの流派が存在し、トーマが使うのは古くよりアルバティクスに伝わる、『アルバティクス流共鳴術』というものだった。一年前、旅立ちが決まってからというもの、トーマはこの共鳴術の修練に、ひたすら打ち込んできた。その結果トーマは、(明け方の戦闘時のように)戦闘中は共鳴術の指南書を持ち、そのページの中から状況に応じて呪文を選択し繰り出すという、独自の戦闘スタイルを身に付けたのである。
「こまけー部分は分からねぇけどよ、あんな大技使って敵を一掃出来たら、さぞかし気持ちいいんだろうな」
「否定はしないがな。共鳴術はアーツと〝共鳴〟をしていることが前提とされる。使いたいのならば、まずは波長の合うアーツを探してみることだ。まあお前の場合は、アーツ嫌いを克服するのが先か」
「こればっかりは勘弁してくれ」
バツの悪そうな顔になって、ハレは言った。そうこう話をしているうちに、ノアは目を覚ましたらしい。カレントの背中から、「うー、ん……」と彼女は唸った。ハレとトーマは一旦立ち止まると、カレントと、その背中に背負われるノアを振り返った。
「お、目が覚めたな。二度寝は禁止だぜ」
ノアを指差すと、ハレはそう言って笑った。「二度寝するのはお前だろ」とトーマに睨まれると、「怖い顔すんなよ。怖くなるだろ」とハレは苦い笑みで答える。
徐々に意識がはっきりしてきた様子で、何度かの瞬きを繰り返した後に、ノアは尋ねた。
「あの、ここは一体……」
「カレント、ノアを降ろしてやってくれ」
トーマの指示に従って、カレントは姿勢を低くし、ノアを洞窟の地に降ろした。「立てるか?」
「え、ええ。ありがとうございます」
「さてと」と、トーマは仕切り直すと、ひとまずは今の状況を説明し始めた。
「明け方、あの修道院で眠っていた俺たちは、轟音と地響きに目を覚ました。外へと駆け付けると、あのフラムとかいうデカいのを連れた白ローブの女に、あんたが襲われていた。知っての通り、飛び出したハレがあんたを助けた。その結果、俺たちは谷底のガルダバム川へと飛び込むこととなった。そしてこの洞窟に辿り着いた。今はその出口を探して彷徨っている、というところだ」
「なるほどです」とノアは頷くと、「ハレさん、トーマさん、カレントさん。今朝は助けていただき、本当にありがとうございました」と、深々と頭を下げた。
「気にすんなよ。困った時はお互い様だろ」
ハレの言葉に頭を上げると、「はい、ありがとうございます」と、ノアは再び礼を言った。
「それで、あの……、申し上げづらいのですが、私は私で行くところがありますので、これで」
そう言いながら、彼女は会釈をすると、早々に後方を振り返り、その場を立ち去ろうとした。驚いたハレが、慌ててその右腕を掴む。「ちょ、ちょっと待てよ!」
「どうかされましたか?」と、ノアはハレを振り返る。ノアの瞳は黒く、その目はぱっちりとしていて大きい。その瞬間不覚ながら、ハレは同世代の異性としてノアを見てしまい、掴んだ腕を放さざるを得なくなった。誤魔化すように頭の後ろを掻きながら、ハレは言う。
「どうかって……、一人じゃ危険だろ。そもそも、この洞窟から一人で出られるのかよ。それにあいつら、お前を追ってるんだろ? 外に出られたとしても、見つかったらまた、今朝みたいに襲われるんじゃないのか?」
「……」
ハレから目線を落とすと、俯いてノアは沈黙した。
「なんとか言ってくれ。黙ってても分かんねーよ。分かんねーと、なんだか頭がムズムズしてくるんだ」
「……あの……、助けていただいたことには感謝しています。感謝しているからこそ、一緒にいることは出来ないんです。私と一緒にいると、あなた方まで危険な目に遭わせてしまいますから」
申し訳なさそうにそう言ったノアに対し、「その爪のことか?」とトーマは尋ねた。ハッとした表情になって、ノアは自身の両手を確認した。そこでようやく、左手のグローブがなくなっていることに気が付くと、右の手で覆うように左手の爪を隠しながら、「見られていたのですね」と、ノアは言った。
「見られたのなら仕方がないです。あなた方三人から、今の私の力だけで逃げ切ることは出来ない。……言う通りにします。私を、何処に連れていくおつもりですか」
「何か、勘違いをしてるみたいだな」と、トーマは困ったような表情を浮かべると、ハレに向かって言った。「俺の言葉は誤解を招くかもしれん。ハレ、説明してやってくれ」
「お、おう」とハレは頷く。「ノア、であってるよな?」
「はい」
「まず、俺たちはお前をどうこうしようってつもりはない。ただ、ノアがその爪のことで誰かに追われたり、何か困ってることがあるんなら、その助けになりたいと思ってる。だから教えてくれねーか? ノアみたいな女の子が、なんだって一人で旅をしてるのか。でもって、なんであんな奴らに追われてるのか」
ハレの問いに、ノアは再び、暫しの沈黙で返した。今度はハレは、辛抱強く待つつもりでいた。自分には想像もつかないような重い過去を、彼女は抱えているのだろうから。簡単に誰かを信用することなど、今のノアにはきっと出来ないのだろうと、ハレには思えた。数十秒の黙考の後に、ノアはやはり、小さく首を振るった。
「ごめんなさい。あなた方は本当に、そう思ってくれているのかも知れない。でも、それが本当ならば尚更に、私はあなた方を巻き込むわけにはいかないのです。これは、私自身の問題ですから」
そう言って、ノアは再びハレたちの前を立ち去ろうとした。踵を返して、早足で離れていくノアに対し、ハレは戸惑いながらも「おい!」と呼びかけた。しかしその背中を追いかけることは出来なかった。深い闇の底にいるのであろう彼女に、自分のような短絡的な人間が、手を差し出すことすら侮蔑になるのかも知れないと、そんな思いが胸を過ぎってしまったからだ。然し――。
十歩も歩かないうちに、ノアはふらりとよろめくと、身体を丸めるような形で、その場に蹲ってしまった。明け方の戦闘時に負った怪我の痛みや、水中で身体を冷やしたことが、彼女の中にはまだダメージとして残っているのかもしれない。その姿を見た時、やはり彼女を守らなくては、という強い気持ちが、自らの中に再び湧き起こってくるのをハレは感じた。
「そんなに弱った身体で、あんたの旅は成し遂げられるのか?」と、トーマは投げかける。
数歩、ノアへと歩み寄ると、「ノア」とハレは声をかけた。
「なんで旅をしてるのか、どうしてあいつらに追われているのか、今はまだ言わなくていい。だから、俺たちと一緒に来てくれねーか。俺たち、帝都の孤児院で暮らしてたんだけど、五年前に孤児院からいなくなったアーロンって奴を探して、三人で旅をしてるんだ」
アーロン、という言葉に、ノアがピクリと反応をしたように、トーマには見えた。ノアを説得しようと必死なハレは、それに気が付くことはなかったが。
「これから、ファンテーヌって大きい街に向かう。グローブも買えると思うし、病院もある。旅を続けるのはせめて、体調や身支度を整えてからでもいいだろ? そんな状態じゃ幾ら拒否されたって、ハイそうですかって引き下がるわけにはいかねーよ」
祈るように目を細めると、「頼む、ノア」とハレは言った。
「俺たちを信じてくれ」
慎重に身体を起こすと、倒れないようにゆっくりと立ち上がり、ノアはハレたちを振り返った。ハレの瞳を、ノアはまっすぐに見つめると、次のように答えた。
「分かりました。あなた方を信じます。でもお言葉には甘えさせてください。私は、この世界の何処かにあるという或る森を探しています。私の旅の目的について、それ以上は今は言えません。本当に信頼出来ると思える時が来たら、その時に詳しいお話はさせてください」
ノアの答えに、神妙そうだったハレの面持ちは、安堵にパッと明るくなった。「じゃ、じゃあ……!」
コクリ、と小さく頷くと、ノアは言った。
「あなた方に、ついていきます。ついていかせてください」