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――かつて、そこに森はなかった。
遥か古のことである。
広き世界の何処かに、漆黒の衣を纏いし、紅き瞳の命があった。
血脈は持たず、呼吸のない、神霊の類の者である。
その身の丈は至大にて、人々は此れを畏敬崇拝す。
この者、人の世の穢れを喰らい、浄化、再生す特異の力を持つ。
また、此れを守護する眷族の人々もあり。名を巫女の一族と称す。
巫女の者共、彼の者の力の一部を借り受け、その力を振るわん。
代償として、その爪、髪、瞳は黒く変色す。
人の穢れを喰らう中、穢れによりその姿は悍ましく変わりゆかん。
人の為にとその力使えど、その忌まわしき姿を恐れる人もあり。
黒き巫女の一族と共に忌み嫌われ、軈て人々はこれを『魔女』と呼び、迫害す。
魔女と巫女の一族は新天地を目指し、人里離れた荒れ野へと根付く。
人の世からは見放されど、人の世の為、その力振るうことを惜しまず。
然してそれも長くは続かず、隊列を成した鎧の者共、この荒れ野をも追う。
逆らうも逃げるもその術はなく、対話の時すら与えられず。
蛮族の剣と弓矢にて、とうとう虚しくその命を散らす。
幾つ穢れをその身に重ねど、人を恨まぬ魔女であったが、死を以て積年の穢れと共に、呪いをその地に振り撒かん。
魔女の命は泉となり、魔女の怒りは森となった。
泉湧くこと嗚咽の如し、森萌ゆること火の如し。
泉を棺として魔女は眠り、木々は巫女を除くすべての人を喰らった。
魔女を失った人の世は、この後、長きに渡り、激しき戦乱に見舞われん。
終天の時は過ぎ去れど、未だ森に人は寄り付かず。
然して史実を知る者は凡そなく、文献の類もそれに同じ。
根葉のない噂噺と、旧き名だけがその地に残されん。
森の興りに畏れた者が、ぽつり口から零したそうな。
人々への、祈りを忘れた報いの炎、――『終末の火』と。