第一章 虎殺しの少女 七
「伽羅よ、言いなり……とは大げさであるな。
陛下は有能な方であるぞ。
確かに現在は宇文護にいいようにされていらっしゃるが、そこまでは言っておらぬわ」
父は微笑を浮かべているが、そのまなざしは真剣さを失ってはいない。
「でも、そういうことなのでございましょう?」
独孤信は、また笑う。
「やはり、そなたは聡明であるな。
しかも幼い頃より豪胆でもあった。今は史書や故事に夢中で政治談議も好む。
名門に育ちながらも贅沢は嫌い、世の理も能く知っている。寵妃となっても宮中の争いによって簡単に折れたり、うかつなまねをしたりはすまい。
幸い、我が一族は皇后ですら立てられる家柄である。陛下にはもうすでに皇后様がいらしゃるが、大人しいお人柄なうえお子もいらっしゃらない。陛下をお守りするには力量不足じゃ。
しかし、そなたのような妃がそばにおれば『天意』にも沿え、陛下の御代も末永く栄えようというものだ。
高位の妃として後宮に入り、その美貌と知識をもって素晴らしき『女帝』となり、陛下の窮状をお助けしてみようとは思わぬか?」
「……まさか。お戯れをおしゃってはいけませんわ」
伽羅はぴしゃりとはねつけた。
「わたくしは確かに書が好きでございます。
ですが、官位ある方々を動かしたことも、戦場に出たこともございません。
このような、知識ばかりの小娘に何が出来ましょう。
そもそも陛下は皇后さま以外にも多くの妃をお持ちですし、相談事なら小娘のわたくしより、太保であるお父様が適任かと存じます。
だいたい、昔から申し上げておりましょう?
わたくしは『一妻の誓い』を立てて下さる方にしか、嫁ぐつもりはありませぬ。
そのわたくしが、皇后さま方をお苦しめすることに繋がる話をお受けすると思われるのなら心外です」
伽羅はきっぱりと言い放った。
「……ふむ。それがお前の考えか。
その博識に、その美貌。まことに惜しいのう。
一夫一妻なぞは遊牧時代の遺物ぞ。一族の古い習慣に感されおって。
今の時代においては『漢人』の風習こそ正道ぞ」
独孤信は、またしてもため息をつく。
どうやら戯れではなく、先ほどの言はこの上もなく『本気』であったようだ。
「古い女で結構ですわ。
それに、北魏(北周の祖のあたる国)の孝文帝様が性急に『漢化政策』を行われたために諸侯の不満が募り、東魏と西魏に割れたのです。
お父様こそ、漢風を重んじ過ぎるのではございませぬか?
とにかく……わたくしはお父様のような不実な方には嫁ぎませぬ。
夫が浮気なぞしたら、この弓で眉間を射抜いてやりますから」
そう言って伽羅は、手元の弓を突き出すようにして見せた。
ここで家長として一喝することも出来たのだが、独孤信は、伽羅にことさら甘かった。
また、虎の眉間を平然と射抜く娘である。無理やり嫁がせても『そんなこと』を本当にしでかしそうで恐ろしい。
結局父は、その美しい面に苦笑いを浮かべるだけで、さっさと退散していったのだった。