第六章 楊麗華と幼妻 六
太子贇は尉遅熾繁をそのまま東宮に隠し置いた。
飽いたとはいえ、熾繁は辺りを払うような飛び抜けた美少女である。
夫のもとに戻すのは惜しくなったようなのだ。
しかし大貴族の幼妻を奪略したなど、世に知られれば大変なことになる。
「おそれながら、このまま尉遅氏をお留め置きになられるのなら、世間に実情が漏れ出してしまいましょう。まして、陛下がこのことを知ればどれほどお怒りになるか……。
太子殿下のお立場が苦しいものとなってしまうことに臣は心を痛めておりまする。
尉遅氏にはよく言い含めた上で、ただちに婚家に戻すべきでございます」
目付け役が、何とか太子の機嫌を損ねぬよう、苦心しながら上言する。
いくら皇帝から頼まれているとはいえ、太子は後に皇帝となる。
むやみに機嫌を損ねては、即位した後に一族皆殺しになってしまうことすらありうるのだ。
よほど気骨の有る臣下でなければ、強い言葉では諫められぬ。
太子贇も『そんな事情』はお見通しだ。
そういう、死をも恐れぬような『気骨の有る臣下』はすでに父帝と共に戦地に行っている。
残された『弱腰の目付け』の言うことなど聞くわけがない。
「漏れて不都合があるものか。
所詮は臣下の娘、そして妻。
いずれ帝位に就く『太子』に望まれるのは、むしろ家にとっても名誉といえよう」
ぐっと黙る目付けを横目に、太子の左右にはべる佞臣が、また口を出した。
「尉遅氏の実家は並ではない権勢を持つ名家。
特に祖父殿は、将軍位の中でも最高の『上柱国大将軍』で、古くからの功臣でございます。
婚家を通して祖父殿にも知られ、揃って大騒ぎされては、ちと面倒でございましょう。
ですから、尉遅氏は病気になったのだと――東宮に挨拶に参ったあと、長旅による疲れで寝付いたのだと――そういうことに致しましょう」
「ふむ。それは良い。早速、上手く手配しろ」
太子の返答を受け、佞臣どもは頭を寄せ合って相談した。
そして、熾繁の婚家に宛て文をしたためた。
『しばらく東宮の貴賓室に尉遅氏を置き留め、良くなるまでは宮廷医師に付き添わせ、責任を持って養生させる』
と書簡に書いたうえ、太子の印ももらったのだから完璧だ。
この手紙を熾繁の婚家に届ければ文句も出ないし、実家にもわざわざ知らせないだろう。
熾繁の夫も舅も戦で出払っているから、判断できるものも少ない。女主人であるはずの熾繁もこちらにいるからなおさらだ。
一方、こちらは楊家の館である。
もう日も傾いて、夕焼けが美しく広がっていたが、伽羅はそれを楽しむどころではなかった。
手には麗華からの手紙を握り締めている。
まさかとは思うが、奪略したまま夫には返さず、ずっと尉遅氏を太子の宮――東宮に置くつもりなのだろうか。
もうあれから一月近くが経ったのである。
麗華からの手紙は頻繁に届いていた。
そのどれもが、尉遅氏の救済を催促する手紙だった。
もちろん伽羅とて楊堅の正妻。
親しかった皇太后が亡くなったとて、懇意の大貴族はまだまだいる。
そちらに渡りをつけて、別働隊として出征中の夫の手を煩わせずに皇帝陛下に密告するぐらいのことは、わけもない。
そうすれば、必ず皇帝陛下は愚息を叱責するだろう。
尉遅熾繁も解放されるだろう。
「しかし、それは出来ぬのです、麗華。
どうぞ堪えておくれ。
……今は太子が尉遅氏に飽いて早く館に戻れるよう祈るのみ」
と、呟いて伽羅は唇を噛んだ。
しかし佞臣共が工作を行ったにもかかわらず、間もなく尉遅熾繁の件は数人の貴族に漏れ出した。
これは伽羅が漏らしたわけではない。
尉遅熾繁を哀れに思う他の有力な妃たちも、麗華同様に実家に文を書いたのだ。
太子妃の母がいっこうに動く様子を見せぬので、しびれを切らしたのかもしれない。
娘から事情を漏らされた奥方たちが、続々伽羅のもとに相談の文を届けさせた。
その数は四人。
太子の妃は有力な後ろ盾を持たない宮婢・宮女あがりの者が多かったが、貴族の娘も数人いたのだ。
どうやらその全員が義憤に駆られ、実家に文を書いたようだ。
その者たちは大貴族とまではいかぬが、いずれも皇帝に密書を送れるだけの伝は持っている。
伽羅は少々思案し、表向きは付近の貴族の正妻だけを招く『お茶会』ということにして、ご婦人方全員を招待することにした。




