第二章 動乱の世と新妻 六
ややあって、楊堅はやっと言葉を紡いだ。
「宇文護に密告した宮伯の張光洛めが言うには、独孤将軍はその企てを確かにお止めになられたのだそうだ。
しかし陛下や、同僚の趙将軍を告発するような真似はさすがに出来なんだらしい。
今、宮中ではそれが問題となっている。
私は今から父上や繋がりのある有力貴族に連絡し、助命嘆願書を書いていただこうと思う」
「では、わたくしも。
すぐに筆を取って助命嘆願文を書きまする」
言い募る伽羅の言葉を切るように、楊堅が首を振った。
「気持ちはわかる。わかるとも。
しかし、官位も持たぬ一婦人の言葉では、刑を左右することは出来ぬのだ」
「一婦人……っ!」
楊堅の言葉に伽羅は呆然とする。
幼少の頃より父からその才を認められ、兄たちと比べても飛びぬけて優秀であった。
教養だけでなく、狩の腕前も男になど負けはしなかった。
今も名門揚家の嫡子――夫である楊大将軍と夜毎対等に議論を交わす。
いや、夫を論破してしまうことの方が多い。
その自分が『力なき一婦人』でしかないと、そう言われたのだ。
しかし、そのことに憤り、楊堅に怒りを向けたわけではない。
まさにそうであると気がついたのだ。
名家の正妻といえど、一婦人に力など無い。
あの悪名高き『末喜』に『妲己』
彼女たちですら、その権力は皇帝の確かな寵愛無くしてはありえなかった。
認めたくない事実を突きつけられた心地であった。
色を失った伽羅の顔を見た楊堅は、慌てて思うところを追加する。
「私は伽羅を軽んじて『一婦人』と言ったわけではない。
伽羅には今回のことには極力かかわって欲しくないのだ。
もしそなたが表に立ったならどうなる?
万が一義父殿の罪と処刑が確定したなら、遺恨を持つ血族の女として宇文護に目をつけられる。
私はそのことが恐ろしい。
ここは我が楊家の柱である父の力と、微力ながら大将軍の地位にある私に任せてほしい。
隣国との状況から鑑みて、戦の要地を担っている父とその嫡男を独孤将軍に続いて処分することは難しいはず。
我らなら、宇文護の意向一つで殺されはせぬ。
だから任せてほしい。必ずや多くの嘆願書を集めてみせるから」
どちらかというと、普段は頼りない楊堅であったが、ここは男を見せた。
独孤信が『愛娘』のために選び抜いた『婿』としての能力と気概は、十分にあったのである。
そうして方々に早馬を飛ばし、あるいは直接押しかけて多くの助命嘆願書を集めることに成功したのだった。




