足の悪い魔女と飛べない弟子
「師匠! だから家の中は箒で飛ばないでって言ってるじゃないですか!」
私が寝床から起き出してふよふよと箒に乗って移動していると、ちょうど竈の部屋に入ったあたりで、朝の水汲みから帰って来た弟子が部屋の戸口で叫んだ。彼の蜂蜜色の髪が朝日に輝いていた。
「朝からうるさーい」
「いいから! またバランス崩して鍋をひっかけられたら目も当てられません!」
寝起きの頭に弟子の声が響く。
私は彼の声を無視してふよふよと箒に乗ったまま、その場で耳を塞いだ。
足の悪い私は、昔から何処を移動するにしても箒を使っている。外出はもちろん、家の中でさえ。
家の作りは少しゆったりと作ってあるけれど、数年前、うっかり弟子の前で鍋をひっくり返してしまった事がある。軽い火傷で済んだけど、箒に乗ってたからすぐに逃げられなかった。
それを間近で見ていたからか、身体が成熟した今、彼は自分が私の箒代わりになろうとする。
「はい、こっちに来てください」
私の正面に来た弟子は腕を広げる。
私はむぅ……と唇を尖らせながらも弟子の首に腕を回した。彼が私の腰を抱いて支えると、箒がすい~っと浮遊して、適当な壁に立てかかる。
「で、何がしたいんですか」
「薬の調合。さっき、となり山の魔女から手紙が届いたから」
「分かりました。それじゃ、椅子を……っと」
弟子は私を抱き上げたまま、足癖悪く、椅子の足を蹴って竈の前まで移動させる。
「もー、そんなお行儀の悪いことして」
「家の中で箒使われるよりマシです」
そんな風に軽口を言いながら、弟子は私を竈の前に座らせてくれる。
そうして弟子はこう言うのだ。
「何の薬を調合するんですか? 素材出してくるんで」
弟子の言葉に、私は分かってましたとばかりに懐から一枚の紙を取り出した。
「はい、これ。分量を一寸も間違えずに計りなさいよ」
「了解」
弟子のためのメモ書き。
さすがに彼の行動パターンを、私も覚えたからね。
私は「えーっと……」とメモを見ながら薬草倉庫に向かう彼の背中を見送る。
そしてふと思い出した。
───一昔十年。それくらい前だったかな。
今でも思い出せる。
崖から落ちて、絶壁に引っ掛かっていた子供の前を私は通りがかった。
空を飛べない人間の子。下には勢いのある川があって、落ちたらまず助からない。上を見ても、その子供を助けるような人間もいない。
私はそのまま見殺しにするのも後味が悪くて、その子供に言ったんだ。
『あら偶然。助けてほしい? 姿を見られたからには、家に帰さないけれど』
子供は震えながらも必死に助けを求めた。だから私は助けた。
最初は薄汚くて、あちこち痣だらけで、なんであんなところに一人でいたのかも分からなかったけど、まぁ連れ帰るにあたってそんなことは関係なかったよね。彼も望んでいたようだし。たぶん捨てられて、途方もないところに足を滑らしたってところかな。
そうして拾った子供を、私は享楽半分で育てたんだけど……
「師匠、これの場所分からないんだけど……」
「どれどれ」
私はくいっと指で箒を招くと、薬草倉庫から出てきた弟子は慌てたように箒を押さえた。
「だー! 俺が行きますから大人しくしていてください!」
「むむ」
彼は箒を立てかけ直して、有言実行、椅子に座っている私に歩み寄る。どこで育て方を間違えたのか、今ではこんなに過保護に。いやまぁ、私が昔ドジ踏んだからなんだろうけど。
なかなかの好青年に育った弟子。出会った時は骨と皮だらけで、こんな細腕で何ができるのだろうかとすら思ったけど、今じゃ私を軽々と抱き上げてみせるんだよなぁ……
私がしみじみと彼の顔を見ていると、彼はじろりと私を睨み付ける。
「師匠、聞いてる?」
「ん? あぁ、ごめん。聞いてなかった」
「もー、流石の歳で耳が遠くなりましたか」
「失敬な。私はまだまだピチピチの二百歳ですぅ」
私が唇を尖らせれば、弟子は「はいはい」と適当に相づちを打つ。むぅ、君こそ聞いてないじゃんか。
少し納得いかないけど、私は今度こそ彼の言葉に耳を傾ける。
成長した弟子は、私の知識のあれそれを沢山教え込んだ。
私がいなくても、私から離れても、一人で食べて生きていける程度には。
でも彼は私の世話を未だに焼いてる。というかむしろ焼き始めている。なんだろ、介護のつもりか、そうなのか。
でもま、それを嫌だとは別に思わないから。
しばらくは飛べない弟子に付き合って、私も地を歩いてみるのもいいかもしれない。もちろん、足は弟子だけど。
少なくとも、二人で一緒にいる間は、私も彼も、寂しくはないはずだから。
魔女は気が長いの。
人の一生分くらいの享楽には付き合ってあげるわ。