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消息ハレーション


 次の日、アリアは一人で家を出た。

 エフピーシックスに悟られないよう、物音をたてず外出の準備を進め、リュックサックを背負うといつものように玄関から外に出ていった。目的地は学校ではない。どこか遠くの町だった。

 アリアは気がついていた。

 心臓の鼓動は聞こえづらいと誤魔化すことができたとしても、呼吸をしない人間はいない。

 エフピーシックスが寝息をたてることはなかった。

 家を出るとき、アリアは小さく「さようなら」と呟いた。

 彼女は一人で家を出たつもりだったが、もちろん、すべて観察されている。

 エフピーシックスは少女の意思を尊重して、極力彼女の行動を阻害しないことにした。


 アリアはまず駅に向かった。

 紅葉鮮やかな木々に囲まれた無人駅で二時間に一本、一両編成の電車が来るはずになっている。

 駅舎は閉まっていた。ガラス扉にべったり張り付いて中の様子を確認してみたが、待合室でストーブが寂しそうに季節がうつろうのを待っているだけだった。

 壁にかけられたら時計を見あげると時刻表に刻まれた時間はとうに過ぎていた。

 それから二十分待っても線路が震えることはなかった。

「おかしいな……」

 いくらなんでも遅延しすぎだ。公共機関がアナウンスもなしに遅れるなんてあるのだろうか、とアリアを首をかしげたが、電車が通るはずはなかった。

 運営する人なぞいないのだから。


 三十分まって電車が来なかったので、諦めて帰ることにした。

 町は山に囲まれており、幼い少女の足ではとてもじゃないが山越えは難しい。彼女にもそれがわかっていた。

 自宅に戻り、納屋から祖母が使っていた自転車を表に出した。秋の日の陽光を浴びても、錆びた自転車が輝くことはなかった。

 タイヤはパンクしており、チェーンも外れている。まともに走れる状態では無かった。

「弱ったな……」

 せめてもの救いは納屋に錆び落としのスプレーがあったことだ。錆はなんとかなるが、アリアは普通の十五歳で、パンク修理など、したことがなかった。

 途方にくれて、空を見上げた。

 秋の空は高く澄みわたっていた。


「学校サボってなにしてたの?」

 タイミングを見計らいエフピーシックスはアリアに声をかけた。

「ロク……いたの……学校はどうしたの?」

「それはこっちの台詞だよ」

 時間的にはまだ午前中である。

「サボタージュは学生の特権だもん。1日くらい出なくても変わんないよ」

「ごもっとも」

 それどころか学校も機能もしていない。観客いなければ、サーカスは演じられない。

「ロク……自転車、直せる?」

「……」

 アリアはすがるようにエフピーシックスを見つめた。

 もちろん、容易い。しかし、断りの返事をいれるように母艦が信号を送ってきていた。

 言い淀むエフピーシックスを見てアリアは浅くため息をついた。

「無理だよね、こんなボロボロじゃ……。他に自転車なかったっけ」

「……自転車直してどうするの?」

「遠くに行くの」

「どこに?」

「どこか遠くの、ここじゃないどこか」

「行ってどうするの?」

「確かめるの」

「なにを」

 庭の落ち葉がかさかさと音をたてた。晩秋へと近づく。長い冬が始まろうとしていた。

「世界が無事かどうかを」


 秋風が吹き、すすきが一斉に頭を垂れた。どこかの庭に植えられた金木犀が豊かな匂いを漂わせた。

「どういう意味?」

 もしエフピーシックスに汗腺が備わっていたら、脂汗を垂らしていたことだろう。

 彼女の言葉は確信を持っていた。

「ロク、あなたはいい人だから、疑わないで信じて聞いて」

「……うん」

 アリアは常に観察されている。

 それはもうどうしようもない事実だ。それでもその事を彼女に教えることはできない。

「私にも詳しいことはわからないけど、この世界は紛い物な気がするの」

「紛い物……?」

「これは妄想かな。私、頭がおかしくなっちゃったのかな」

「落ち着いて話してよ。なんでそんな風に思うの?」

「私以外のみんなは本当に意思を持ってるのかわからなくて。なんだが全部が空虚なの」

「思春期にはよくあることだよ、深く考えたって答えはでないし。真面目な話、倫理の教科書を読んでみるといい。胡蝶の夢という荘子の思想があるんだけど、結局この世界が夢であろうがなかろうが、そんなのはどっちでもいいんだって」

「……」

 アリアは渋面になって、エフピーシックスを見つめた。

「シミュレーション仮説って、知ってる?」

「……」

 嫌な例えを出された、とエフピーシックスは思った。

「地球はコンピューター上にプログラムされたシミュレーションなんだって。私は夢というよりも、こっちに近い気がしたの。何となくだけど……」

 アリアの声は震えている。エフピーシックスにはどうすることも出来なかった。

「この世界が水槽に浸かる脳が見てるバーチャルリアリティーだとしても、それを見破る手段は、ない……」

「オカルトだよ。そんなの考えたって、答えはでないんだから、もっと気楽に、さ」

「私だって真面目に信じてるわけじゃないよ。アホらしいと思ってる、けど……」

「けど?」

「なんだか、すごく……」

 体が冷えたのだろうか。自らの腕を抱くようにして、アリアは身震いした。

「ありえそうな気がして……」


 アリアは泣き出していた。

 頬を伝った滴が地面に丸いシミを作る。

 誤魔化せ、と指令が来ていた。

 なんとしても、誤魔化せ、と。

 違和感を与えるな。

 正しい道へ導け。

 アリアに気づかれてはならぬ。見抜かれてはならぬ。

 なんとしても、誤魔化せ、と。

「直せるよ」

「え」

 エフピーシックスはただそれだけを告げた。

「自転車。直せるよ。任せてよ」

 アリアの瞳が輝いた。

「いいの?」

「うん。だからご飯作って、待ってて。お昼過ぎには終わるから」

 耳奥で信号が交差したが、エフピーシックスには届かなかった。



 もし神様がいるのなら、私は謝ります。

 私はわかっていました。ロクが私のお願い事を断るはずがないって。

 たとえそれがロクの利益にならないことでも、私のためならと、いつも汚れ役を買ってでてくれます。

 神様……いや、私が謝るべくはロクに、だ。

 だけど、この謝罪の言葉がロクを傷つけると思うと、私はただ無邪気を演じるしかないのだ。

 ありがとうと嘯きながら。




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