ヘンドリクス殺人事件
ポバティー辺境伯領 ポバティー村
毎週水曜日にポバティー村では水曜市が開催される。ポバティー辺境伯領内だけでなく、色んな土地から商人がやってきてモノの売り買いをするのである。
「おいしい桃だよ!とれたてみずみずしい桃だよ!」
「えー農奴はいらんかい!働き者のいい農奴だよ!」
普段なら閑散としている村一番のメインストリートも、この日は人の出が少なくない。そんな中怪しい二人が近くの小屋で密談を繰り広げていた。
「……でありますので、さらって参るよう手配しました」
「ご苦労。すぐに売り飛ばせばよい。後でなんとでも理由はつく。無礼を働いたと言えばよい」
「エスメラルダなど所詮ノミのような存在ですが、それでも痒みを起こす害虫には違いないですからな」
それはピーターソンとヘンドリクスであった。どちらも私腹を肥やし民を虐げる人物として知られていた。いかに金をポバティー伯爵やひ弱な行商人達からせしめるかの相談中でもあった。
「エスメラルダを捕らえました!」
男が彼女を引っ立ててきた。猿ぐつわをはめられ唸っているが、その目には激怒の感情が籠っていた。
「ふん。もうその不快なツラを見ることもあるまいよ」
「ヘンドリクス様、では早速競売にかけさせていただきます」
「せいぜいまともな主人に買われることを祈るんだな」
高笑い。そのまま彼女は連れていかれた。
小屋の扉が不意に開いた。二人がはっとして振り返るとマスクを被った謎の人物がそこに仁王立ち。
「が、しかしそんなことはここではもう許されぬ」
「何者だ!」
「まあ民の味方とでも言えばよいかな」
「曲者!曲者!」
「おっと。君の仲間達ならそこで永遠におねんねしているよ」
「っ!」
ポバティー伯爵はその頃村を散歩中であった。歩いているとどこかが騒々しい。
「これは何かの間違いだ!」
「そうだ!伯爵に会わせろ!」
喚く二人。あっという間に捕獲されていた。
「おしおきだ。君らも永遠におねんねしてもらうよ」
覆面の男がそう言うと二人の顔が恐怖でひきつった。
「こんなことがあっていいのか!」
「人でなし!」
広場には騒ぎを聞いた大勢の人が集まっている。これだけの人間がいるというのに、取り押さえられる二人に同情を持つものは誰一人としていなかった。
「王に訴え出るぞ!」
「ええい放さないか!」
マスクの男は二人を同時に抱えている。それぞれの首に縄をかける。建物の高い梁にもうかたっぽを縛り付けた。
「悪く思うな」
「放せ!」
「お望み通り放してやるよ」
二つの体が虚空に浮かんだ。ひとしきりもがいた後、ぴくりとも動かなくなった。騒々しくなった群衆に向かってマスクの男は高らかに言い放った。
「民の名において、人の道を外れ私腹を肥やす輩を処刑した!」
「いいぞいいぞ!」
群衆の熱狂は頂点に達しようとしていた。
一方で市場の外れでは農奴の競売が行われていた。伯爵は何の気なしにその人の輪に加わってみて驚いた。
「だ、旦那様!」
「エスメラルダではないか!そんなところで何をしておるのだ」
「ああ駄目ですよ旦那、これは売り物なんだから」
「売り物?!そんな馬鹿な!」
「興味があるなら入札してくだせえ」
「ふざけるな!この者はわしの従者。売った覚えなどない!」
「なんだ言いがかりはよしてくださいよ。金がないなら散った散った!」
伯爵は強い憤りを感じた。しかし貧乏ゆえ買い戻すだけの金がなかった。
「頼む!お願いだ売るのだけはやめてくれ」
「世の中金なんだよ、この貧乏人め!」
「旦那様、わかりましたか。人を売るとはどういうことかを」
「おお!金がないのだ。金がないから全てが悪いのだ!」
そこへ一人の若者が駆け込んできた。
「ピーターソンとヘンドリクスが広場で吊るされたぞ!」
「な、なんだって?」
「悪行に加わったものは皆処刑だそうだ!」
「ひいっ」
「人を売っている場合じゃねえや。お前も早く逃げろ!」
競売は中止になり、農奴たちは開放された。
エスメラルダが遠慮会釈なく伯爵に突進してきた。こんな無法が許されるのは国王かエスメラルダくらいであろう。
「旦那様っ!」
「おお。わしが間違いであった。大きな間違いだ。こんなにも貧乏が嫌になるとは!これからは我が領内では人を売るのは禁止としよう!」
「ぜひそうしてください。仁君として讃えられますよ。・・・それと、あの二人の処刑は旦那様がご命じになられたことなんですか?!」
「いや、初耳だった」
エスメラルダは伯爵の目を見つめた。
「王様の命令ですか?」
「わからん。そうかもしれんし、そうでないかもしれん。しかし吊るした犯人は捕らえなくてはならん。これはれっきとした殺人だ」
しかし広場にはその男はもういなかった。忽然と姿を消したのである。
「清々しましたわ。王様も見るところはちゃんと見てくださってるんですわね」
とエスメラルダはケロリとしている。
「すぐさま全土に指名手配せよ!しかし王の下命とあれば事前通告があってしかるべきだが・・・」
普通は王家が貴族の家庭事情に介入することはない。
その後、ヘンドリクスの執務室から裏帳簿が見つかった。彼はギュスタブノ庄という辺境伯領の中でも比較的裕福な土地の管理を任されており、仲介商のピーターソンと共謀しそこから上がってくる税収の半分を自分の懐の中に入れていたのだ。
「いくら収入があって、いくら支出があるか、旦那様は把握しておいでですか?」
「そうだなあ。一応帳簿のようなものは付けているんだけどな」
と伯爵は紙の束を取り出した。
「これによると、収入は12,000ダカット、支出は10,000ダカットのはずなんだがなあ。何で毎月借金が膨らんでいくのかわからんのだよ」
「ここはやはり有能な会計官をつれてこなくてはなりませんよ」
「しかしそれにも金がかかるだろう?」
「いえいえ。そういう者は案外近くにいるものです」
「そんなものかな」
次の日伯爵はなんとなく散歩に出かけた。そしてポバティー城からポバティー村に続く道で、何故か一心不乱に算盤をはじき続けている男を見つけたのである。
「本当にいたよ」
「何です?」
「気にするなこちらの事情だ」
伯爵は鼻をすすった。
「どんな理由があって算盤をはじき続けているのかはわからんが、騙されたと思ってわしの会計官になってくれぬか?」
「はあ」
名前はリューリクといった。その使い込まれボロボロになった算盤はそれまで謎に包まれていたポバティー家の台所事情を明らかにしたのである。
正確に再計算したところ支出に関しては、調べると出てくるわ出てくるわ使途不明金が。
「使途不明金が14,500ダカット?そんなにあったのか。何故そんな巨額が今まで放置されていたんだろう?」
「こっちが聞きたいくらいですぜ、旦那」
「聞くも恐ろしいが、借金はどれくらいになっているんだ?」
「旦那の借財は総額で450,000ダカットにまで膨らんでおります。利子の支払いだけで月に15,000ダカットですから、使途不明金と合わせるとそれだけで30,000ダカットの赤字です。生活費や交際費等々を足し合わせると赤字は月40,000ダカットにもなりまさあ」
「道理で食うものにも困る訳だ」
ポバティー伯爵は余りに貧困すぎて朝抜きである。一日二食しか食べない。
ヘンドリクスが消えたが、ポバティー伯爵にはまだまだ敵が多い。今回序列三位のヘンドリクスは始末されたが、ナンバーツーであるヒュームと序列一位のイアーゴにも黒いうわさがついて回っていた。家臣団の中でもこの二人は派閥さえ作り主君そっちのけで利権争いをしているのである。
「いやあ疲れた」
時間がなくヒュームとイアーゴの二人には手をつけることができないまま、ポバティー伯爵の休暇である一週間は終わりを告げた。借金を抱えながらも再び王都に戻らなくてはならない。宮廷の勤め人の苦労なことである。
「結局内政ができなかったな」
伯爵は次回帰ってきたときは必ずしようと心に誓った。王都でクエストをこなす日々が始まる。