ハールーンでの舌戦
「あっちだ!敵は研究所に隠れたぞ!包囲せよ!包囲せよ!」
ガスマスクを着けた兵士達がどんどん駆け込んでくる。町の中心にあった中央研究所の残骸はヒュームの兵士で充満している。
「逃げても無駄だ!」
「出て来いポバティー!」
「わしはもう逃げたりはせん。ここにいるぞ!」
逃れられぬと見て伯爵は研究所の天辺に姿を現した。眼下はあまりのたいまつの数でまるで昼のような明るさだった。
「残念ながら研究所を爆破したのはわしではない!」
「そうだそうだ!その通りでさ旦那!」
「じゃあ誰がやったんだ?」
「お前ら以外いないだろうが!」
と野次が飛ぶ。
不意に眼下の人の波が割れる。そこにはヒュームの姿が。ガスマスクをつけていない。
「下手人は既に捕らえてある!伯爵の命令に従ったと自白してるんだぞ!」
男が一人引っ立てられてくる。その顔が明らかになるとエスメラルダとリューリクは悲鳴に近い声を上げた。
「あっ、お、お前はサンデルじゃねえか!何やってやがんでえ馬鹿野郎!」
「あの男は下男のサンデル!確かにポバティーの者ですわ!そんな!」
「その通り。この男は伯爵が生まれる前からポバティー家に仕えていた忠実なるしもべ。その男が研究所を爆破したのだ。誰の差し金かは既に明らかであろう!」
ヒュームが高らかに宣言する。サンデルはうつむいたまま伯爵の方を見ようとしない。
「そ、そんな。しかし旦那は関係がねえ!サンデルの馬鹿が小さい脳みそで何を考えたのかわからねえが、旦那が指示した証拠なんてどこにもねえ!」
「ある、としたらどうなる?」
ヒュームは書簡を取り出した。
「ここにしっかりと書いてあるのだよ。伯爵からの指示書だ。ハールーン中央研究所を爆破せよ、と書いてあり、花押も伯爵本人のものに違いない」
「そ、そんな!あんまりですわ!……旦那様が爆破のときとっさに逃げたのは心当たりがあったからですの?」
「俺はどうすればいいんだよ!こうなったら戦って死ぬか!」
「死を!死を!」
とヒュームの家人たちが声をそろえて叫びだす。
一方でポバティー伯爵は沈思黙考。その姿を見て皆のざわめきがだんだん納まってくる。やがて完全な静寂が訪れ、誰もがその口元からどんな言い訳が発せられるのか見守った。
「犯人は、お主だ!」
その指の先にはヒュームの姿があった。あまりに突拍子のない発言に場は失笑の渦に巻き込まれた。
「何を言うのか我が君?血迷われたか?」
「中央研究所を爆破したのはお主だ。ヒューム」
「いくらなんでもヒュームが自分の町を壊すなんて滅茶苦茶な真似はしないはずですわ」
「やけっぱちもいいところにしましょうや旦那!」
「いや、もう少し正確に言うならば、ヒュームは町が爆破されるのを見過ごした」
「どういうことですの?」
「奴は共犯に過ぎない!黒幕であり真犯人はイアーゴその人だ!」
「イアーゴが、ですかい?」
ポバティー辺境伯領では影の領主と呼ばれるその男。名ばかりととはいえ名目上はれっきとした領主であるポバティーは煙たい存在であることに間違いはない。
「お主とイアーゴは取引をした。町を爆破させる代わりに、わしをさらに没落させ、ハールーンを独立都市にするという野望を果たすためにな!」
「これはお笑いだ!全ては伯爵の妄想。何の根拠もない」
ヒュームは両手を上げ下げしてやれやれと言いたげだ。
「根拠ならある。研究所には多量の爆薬が運び込まれていた。あの量はお主の黙認がなければとうてい許される量ではない。動機もある。お主は完全なる独立を願っていた。そこに来てイアーゴからの独立の餌だ」
「……」
「辺境伯領はいよいよ瓦解し、色んな町々が独立するだろう。しかしお主にとって想定外であった。イアーゴは狡猾な男だ。爆破するといっても館や田畑ではない。肝心要の研究所を爆破したのだからな。」
「……」
「今、真剣に怒っているのはわしだけでない。お主もそのはずだ」
「……」
「イアーゴはこの機会を捉えて両者を破滅させるつもりだったのだよ。浄水場という収入源を失いハールーンが低迷するのは必須。わしも悪評が立ち二度とポバティー辺境伯を名乗ることはできなくなるだろう。そこで誰が出てくるか?イアーゴだ」
「……」
「じゃあ何でサンデルが爆破犯なんです、旦那?」
「奴は正直者だ。ヒュームの館を爆破すれば主君であるわしの立場も上がる、とかなんとかをイアーゴに吹き込まれたのであろう。馬鹿正直に従っただけだ」
「どうだ、ヒューム。わしと組まないか?」
「急に何を言い出す!伯爵が爆破犯という疑いは晴れていないのだぞ!」
「そんなことはもはやどうでもいい。それよりお主はこれからどうするつもりだ?浄水施設を失い何もなくなった町は衰退の一途をたどるだろう。イアーゴに立ち向かうには力が必要だ。力を合わせればまたもとのような町に戻れるかもしれない」
「くっ、まさかここまで破壊されるとは!」
「ボロが出やがったぜ!」
「わしはこれでもポバティー辺境伯領で一番偉い。わしを旗頭にすればイアーゴを反乱分子にできる。どうだ?」
「……」
「わしが全領土を再び掌握したとしても、各都市には税金を払ってもらうだけだ。行政にまで介入しようとは思わない。まさに君臨すれども統治せず。まあ面倒だからな。それがイアーゴがポバティー辺境伯に躍り出てみろ、全ての都市や町は奴の思うがままにされるに違いない」
「わかった!わかりました!」
ヒュームが顔を上げる。
「もうこれ以上、この町を壊さないで……」
その目には光るものが。伯爵は仰天してしまいなすすべを知らなかった。
こうしてここ数十年で初めて辺境伯領内でポバティー家が実効支配する都市が増えた。ポバティー村とハールーンの二つは、弱小都市ながらも、さらなる一歩を歩み始めたのである。