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第13話 ーーねえ先輩、知ってますか?

 パチパチと毒々しいほどに赤い炎が、小さな子供たちをばら撒きながら立ち上る。メアの物憂げな横顔をぼぅと赤く照らしていた。


「はぁ……本当に野宿になるとは……」

「お前もいいって言っただろう」


 今いるのはちょっとした崖の下。

 崖の下といっても大したことはない。さすがに草木が生い茂るところでは無理ということで見つけた、岩の壁のそばの岩肌が露出した場所だ。

 そこで俺たちは夜を過ごすことにした。適当に拾って来た木の枝に火をつけ、何をするわけでもなくぼーっとしていた。


「いいとは思ってないっス。まだマシって思ってるだけっスよ」


 そう言ってメアは自分の体を抱きしめるように腕を回した。

もしかして寒いのだろうか。


「……ほら、これでも使え」


 俺は自分が来ていたマントを差し出した。別に今は夜でも凍えるほど寒くもないし、マントの下の服装もしっかりしている。凍えるなんてことはないだろう。


「……」

「なんだ」


 てっきり少しくらいお礼を言われるのかと思ったが、返って来たのはわかりやすい疑いの視線。警戒するように顔をしかめ、黒い双眸はこちらに向いていた。


「いえ、先輩が珍しく優しいので、何かあるのかと……」

「失礼なやつだな。いらないなら返せ」


 さすがに少しムカついたので、マントを取り上げると、「あ……」とおもちゃを取り上げられた子供のような視線を向けてくる。そんな目でこちらをみないで欲しい。否応無しに罪悪感が湧き上がってくる。


「はぁ……冗談だ。使え」

「あ……えと、すいません。言い過ぎたっス。あと……ありがとうございます」


 メアは心なし申し訳なさそうにはにかみ、俺のマントを自分の体に巻きつけ、顔をうずめた。

 その雪のような横顔がなんとなく赤く感じるのは、火に照らされているからだろうか。


 妙に素直なメアに首を傾げつつ、軽く頷いて背後の絶壁にもたれ掛かる。大した理由はないだろう。今が夜遅くだからとか、いつもと違う状況だからとか。といっても二人で野宿は今回が初めてではないのだが。


「……」

「……」


 互いになにも話さない。リリリと何の虫かわからないが虫の鳴き声が儚げに響く。強くも弱くもない冷たい夜の風が木の葉を揺らし、俺たちの肌を撫でた。

 俺たちは何かをするわけでもない。時々メアが、適当に拾って来た木の枝を火の中に放り込み、俺はそんなメアの後ろ姿と轟々と燃える炎を眺めていた。


 時計もないし俺自身もただぼーっとしているだけだ。だから時間の感覚なんてほとんどないが、しばらくしてメアの頭がコクリコクリと揺れ始めた。


 俺は立ち上がりメアに近づき、肩を揺らした。


「おいメア」

「ん……何っスか?」


 俺の声に反応して振り返ったメアの表情は、いつもと変わらない無表情ではあったが、なんとなく頑張って目を開けているような気がした。


「先に寝てていいぞ。俺が見といてやるから」

「いや、でも……」

「明らかに今寝そうになってたろ。俺はまだ目が覚めてる。先に見張りやるよ」

「……ありがとうっス。襲わないでくださいよ?」

「襲わねえよ。返り討ちにされる未来しか見えないからな」


 ここは街の外で森の中。しかも夜であり、前線付近だ。何もいないなんて考えるのは楽観的すぎるだろう。だからこういう状況では片方が眠り、片方が見張る。しばらくしたら交代というのが普通だ。

 わかったっスといって、メアはさっきまで俺がもたれていたところに歩いていった。


「まったく、なんで女なのにそんなに強いのかねぇ」


 差別的に聞こえるかもしれないが、俺の心の中の素直な疑問だった。心の中の疑問だったのに、愚かにもそれを口にしてしまった。


「そんなの……決まってるじゃないっスか」


 俺の背後でそんな声が聞こえた。


「強くなるしかなかったからっスよ」


 それはあまりにも深く、冷たく、悲しい声だった。メアの声と気づくのに少しかかった。それほどまでにその声が纏う雰囲気が違っていたのだ。

 思わず俺は振り返った。


「ッ!」


 ガツンと頭を殴られたような思いだった。彼女は無表情だった。

 いつもの彼女は無表情といっても完全にではない。長い付き合いだったりよくよく見てみれば表情はきちんとあるのだ。言ってみれば感情表現が乏しいだけ。

 だが今の彼女には何もない。『無』だった。なのに何故だろう。無だというのに痛々しく感じるのは。


 ああそうだった。一度拒絶されていたじゃないか。これ以上踏み込むなと、言外に言われたじゃないか。この状況でいつもと変わってしまっていたのは俺もらしい。あまりに無神経な自分自身に、かすかに苛立ちを覚えた。


「ねえユルト先輩、ご存知っスか? 前線付近の街において、先輩たちの街はかなり異質なんすよ?」


 たじろぐ俺を無視して、メアは話し続ける。


「ねえ先輩知ってますか? 治安がまだ悪い前線付近では、力が全てってこと」


 それはメアには見えなかった。決められたセリフを淡々と話すそれは、人間と呼ぶには無機質すぎた。


「ねえ先輩知ってますか?」


 ーー性別が女(力がない)のを理由に屈辱的な扱いを受ける苦しみを。


 ーー若い女(力がない)からと理不尽な扱いを受ける憤りを。


「ねえ先輩、知ってますか?」


 いつの間にかメアのいつもの話し方は消えていた。

 もしかしたらメアも偽っているのかもしれない。悪としての俺のように仮面を被っているのかもしれない。

 メアを自分と同族のように感じたことが、酷く気持ち悪く感じる。


 俺は、今のメアにどう声をかければいいかわかりかねていた。


 どうにかして慰める?


 ーーバカ言え。俺はメアのことを何も知らない。そんな奴からの慰めなんて、むしろ傷を負わせるだけだ。


 そう、俺は何も知らない。だから何かを言う権利は無いのだ。


 ーーだからと言って、黙ったままでいるのか?


 そんな終わりの見えない自問自答が、頭の中を駆け巡る。メアは相変わらずこちらを見ていた。


「……ッ! すいません……ちょっと寝ぼけてたみたいっス」


 メアはハッと表情に少しの色をつけ、慌てたように俺に背を向けた。


 下手な言い訳だった。付き合いが短くても見抜けるような言い訳。でも、何も声をかけることができなかった俺がそれを追求できるわけもなかった。

 メアは俺に背を向け、俺のマントを掛け布団にして寝転んだ。


「あ、ああ、おやすみ。しばらくしたら起こすから、それまで安心してゆっくりしておけ」

「……はい。おやすみっス」


 この場はなんとかなった。切り抜けた、と言うより通りすぎた。道端で起きている出来事を無視して。見て見ぬ振りをして。

 だがそれは、確実に俺の心の中でグニャグニャと形を変え続ける。少なくとも、俺にとって悪い形へと。


「……ユルト先輩」


 ボソリと、注意して聞いていなければ聞き逃してしまうほどに小さな声で、そう聞こえた。


「……なんだ」


 俺も同じくらいの声量で返す。変な理屈を抜きにして、何故だかこれくらいでなければならない気がしたのだ。


「さっきの話、忘れてください。ただの、夜にあてられた私の戯言です」


 それだけ言ってメアは黙ってしまった。もうこれで話は終わりとばかりに寝息がかすかに耳に入ってくる。これでは完全に言い逃げだ。


「忘れられるわけ……ないだろうが」


 メアが寝てしまってからの遅すぎる返答。確実にメアは聞いていないだろう。


 忘れられるわけがないのだ。初めて、少しだけ見ることができた、いつもの少しふざけたような小馬鹿にしたような仮面の下の悲痛な素顔。

 あれを忘れられるわけがなかった。忘れたくなかった。


 炎は相変わらず堂々と燃えている。なんとなく、先ほどより勢いが弱くなっている気がした。

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