魔王の憂鬱
そこは厳かな雰囲気を纏った、赤と黒を基調とした大広間であった。そしてその中央には、等間隔に置かれた燭台が照らし出す長方形の長いテーブルと、恐らく何人もの者が座るのであろうテーブルに沿って茶色のゴシック調の椅子が幾つも置かれている。そしてその最奥、そこには他とは明らかに違った煌びやかな装飾のものがある。ひと目見た者ならそれを、間違いなく『王座』だと答えるであろう。
そんな王座に座る者がいた。黒く艶ややかな髪に、漆黒に染まる服は『魔王』という言葉を体現した様な姿をした男だ。そしてその尊顔は恐ろしくも魅力的な顔である。
「ふぅ…やはりこのお茶は美味しいなー」
まるで年老いた者の様な、それでいてどこか温かな雰囲気さえまとっていなければ…。
「いやぁ、お茶は東方の緑色に限る。なんだろ、物凄く落ち着く」
唐突にーー些か厳か過ぎる扉が…3度叩かれる音が響く。
「ーー入っていいぞ」
「失礼致します…」
そう言って恭しく入ってきたのは、見るものを惹きつける程の相貌を持った妙齢の女性だ。黒と白を基調とした使用人の様な服装をするその女性は、飾り布で一本に纏めてある長い銀髪をなびかせながら男の方に向かって歩いていくが、その顔には若干の呆れが張り付いていた。
「ーー魔王様…私には良いですが、そのようなお顔をされていては下の者に示しが付きません。もし入ってきたのが私でなく…"グランズ"でしたら、どうなっていたか…」
女性はため息を吐くと、片手で顔を覆う。
「何を言ってるんだ、お前だと分かっていたから俺は態度を変えないでいたんだよ"アリシア"」
アリシアと呼ばれた女性は、その言葉を聞くと今度はその片手を一瞬口元に持っていったかと思うと直ぐに両手を前で合わせる。
「…だとしてもです。ともかくお気を付け下さい」
「ああ、分かってるよ。十分気を付けるから安心してくれ」
緑色の飲み物を飲みながら、ほのぼのとした顔を見せる魔王にため息を重ねようとしたアリシアだが、何かを思い出したのか佇まいを直す。
「申し訳ありません。ご要件をお伝えするのを忘れていました」
そう言って、アリシアは洗練された礼を魅せる。
「ん、何かあったか?いや、そうか…。そう言えばそろそろ魔王主催!大運動祭!!だったな」
魔王は運動祭というように、いかにも祭り事のように言ってはいるが、この魔王城には"幹部"だけしかおらず、それも数人しかいない為、祭といった派手な行事にはなりはしないだろう。
「………」
「無言で掌を此方に向けるのは止めてくれないか!?」
「何を仰いますか。どうせ、私がどんな"魔法"を魔王様に放った所で擦り傷一つ負わないではありませんか」
拗ねたような口調で言う姿は、普段の完璧な振る舞いとは違くとても可愛らしいもので、その姿を見た男は心を奪われること必至である。しかし、この姿は魔王にしか見せる事のない表情である為、拝むことはないかも知れないが。
しかして魔王は、見慣れた光景であるかの様に、その顔に動揺ではなく苦笑を浮かべる。
「あまり私を過大評価するな。お前の魔法ならば間違いなく、傷くらい私に幾らでも付けられる。例え傷が付かなかったにしろ、痛いものは痛いだろ?」
その言葉を聞いたアリシアはまたしても呆れたような顔をするが、今度のそれには優しさが含まれている様に見える。
「……ともかく、その話は置いておくとしてご要件についてです」
「ああ、そう言えばそんな事を言っていたな。どんな要件なんだ?」
アリシアは顔を真剣なものに変えると、口を開く。
「はい…そしてこれはとても重要な件で御座います」
それを聞いた魔王は、一瞬にしてその顔を引き締め、さらに少しずつだが、抑えきれないとばかりに魔力も漏れ出してきている。
「そんなにも大切な要件をこの私が把握していなかったというのか?」
その言葉からは少々の怒りが見え隠れしているように見える。
「も、申し訳ありません!」
魔王のそんな気配を察知したのだろう。アリシアは即座に跪き、そう言った。
「顔を上げてくれ…アリシア。今のはその事に愚かにも気付かなかった私自身に対して怒りを感じていたのだ」
「魔王様……」
「そして…私は魔王である前に1人の"魔族"である。此れからも至らぬ点が出てくることであろう」
「そのようなことは決してありません!魔王様はーーー」
「よい!よいのだ…だからこそ私はお前達を頼る事が出来るのだから」
「ッ…魔王様!」
「苦言こそが!至らない私にとって大切なものなのだ。だからこそアリシア、遠慮は要らぬ申してみよ!」
「……分かりました、魔王様。恐れながら申し上げさせて頂きます」
奇妙な緊張感が辺りを包む中、アリシアは口を開く。
「いい加減魔王としての自覚を持って、王国の姫でも攫って来たら如何ですか?"駄魔王様"」
「だから何度言ったら分かるんだアリシア!そんな面倒極まること、俺は絶対に嫌だ!」
この後、この2人は小1時間ほど言い争いを続けるのである。
頻繁に行われている、こういったやり取りは間違いなく『茶番』以外のなにものでもないのであった。