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閉ざされた学園  作者: 西部止
1章 復讐
4/20

4話 ショック・ドクトリン

 学校から帰宅し、ベットに体を放り出した。沢登の報道、衆議院選挙、この一ヶ月間で大きな出来事が湧き起こったが、俺自身に変わりはなかった。いつもと同様に学校に通い、部活に出て、怠惰な毎日を過ごす。大津武彦は沢登涼子の話題をよく引用したが、衆議院選挙が終われば沈静化した。騒いでいるのは俺と無関係の人間だけである。

 が、中川先輩の様子が気になっていた。高坂のテレビ出演は、あの時が最初で最後であり、今では地元の報道機関のインタビューに答えているぐらいだ。無断でのテレビ出演によって学校側は激怒した。そのため選挙期間中は、高坂のテレビ出演を学校側が断固として断っていた。そして選挙期間が終われば、兄弟高校を取り囲むマスコミの嵐はぱったりと収まった。それでも諦めようとしない高坂に対し、もう勝手にしろ、と学校側は高坂を放置しているのが現状だ。

 俺の懸念は杞憂に終わった。ただその程度のことだった。が、中川先輩は、思い悩んでいるような顔をよく出すようになった。その憂いを帯びた顔には、あの明石でさえ気付いているだろう。表面上は笑いを絶やしていなかったが、作り笑いなのは明らかだった。

 時計を見ると、二十時に達しようとしている。結構、学校に残っていたなと思いながら、ゴロゴロと体をベットの上で回転させる。手を左右に広げ、天井をボーと見つめているととても落ち着く。

 人生の境地とは無である。何事にも囚われず、欲求を滅することで悟りを開くことができるのである。だとすると、寺で座禅を組むよりも、ベットで横になるほうが限りない無に近づくだろう。無こそベットであり、ベットこそ無である。無になれば睡眠欲求も起こらない。

 なぜ、人間が睡眠を取るのか。記憶の整理と休息を取るためだけに睡眠があるのならば、心を無にすればよい。五感を全て閉ざし、心を塞ぎ込めば、そこに睡眠などいらない。人と接せず、ひたすらベッドの上で無の境地に達することで睡眠という制約から解放される。

 したがって、ニートが最強なのである。


 ――そんなことを思い耽りながら寝っ転がっていたら、半分眠っていたようだ。携帯電話の着信にすぐに気がつかなかった。

 誰だ、俺の睡眠を邪魔する奴は? と思い、乱暴に手を伸ばした。文句の一つでもつけてやろうと携帯の画面を凝視すると『中川静先輩』と表示されている。

 中川先輩――こんな時間に何の用だろう? 中川先輩が電話してくることなど滅多にないので怪訝に思ってしまう。携帯電話って使いにくくて、そう言っていたことを覚えている。……珍しい。とりあえず通話ボタンを押し「はい」と携帯の向こう側へ呼びかけた。


「いやああああぁぁ」


 突如として、甲高い声が俺の鼓膜を襲った。刹那に肌が粟立つ。

 何だ? 俺は思わずベットから飛び起きた。そのまま辺りを見渡してしまう。急な出来事に混乱した。言葉を発することが出来ずにいた。

 ――と、携帯の向こう側から尋常ならない声がまた聞こえた。

「何なの、これは、やめ――」

 この声はいつも聞いている、――中川先輩だ! 携帯を通してでも、中川先輩の息遣いが直に聞こえるようで、異常な様子が伝わってくる。

「中川先輩! 白崎です! どうしたんですか!」

 大声を出し呼びかけるが、返事がない。一旦、携帯電話を耳から離し、スピーカーに向かってもう一度怒鳴るが――何の返答もない。あの冷静な中川先輩がこんなに取り乱しているなんて明らかに緊急事態だ。家の中を忙しなく動きながら中川先輩に呼びかけるが、全く応答がない。携帯電話の向こう側からは雑音が聞こえてくるだけで、それがまた不穏な感じを醸し出している。どうすればいい。

 ――考えるより先に、俺は取る物も取り敢えず家を飛び出した。今日に限って、家に誰もいない。鍵を掛けずに、乱暴に玄関の扉を投げ閉める。

 行く先などまるで検討もつかない。ただ、携帯の向こう側へ呼びかけ、耳を澄ます。ノイズがひどく状況が全く分からないが、時折、中川先輩らしき人の叫び声が耳に入る。聴覚を集中させ、何か手がかりがないか必死に探していると――中川先輩の声の他にくぐもった声が一瞬聞こえた。――誰かいる!

「やめて、来ないで、来ないで! それ以上近づかないで!」

 はっきりと声が聞こえた。何が起こっている。

「中川先輩、どうしたんですか! 返事してください!」

 変質者? 凶悪犯? 頭には最悪の映像が思い浮かぶ。俺は、短い人生の中でこれ以上ないぐらいの大声で懸命に呼びかけた。必死に声を絞り出すが――。

 頼む! 応答してくれ!

 ――と、その時、ひどく弱弱しい声が聞こえた。

「っっ、し、白崎君?」

 繋がった! 

「そ、そうです、白崎です! いまどこにいるんですか!」

 俺は慌てながら言葉を発した。が、中川先輩は俺以上に取り乱していた。

「来ちゃだめ! こ、こんなこと、どうしたらいいのかっ、あっ……」

 かなり動揺している。下手に大声を上げても余計に狼狽させてしまうだろう。

 どうする、どうすればいい。

 脳を必死に回転させて思考を巡らせていると、諦めに似た、今にもかき消されそうな声遣いが聞こえた。

「……こんな状況で白崎君とは話したくなかったけど……最後に話せてよかった、かも。もう私は無理だよ……ごめんね、白崎君」

「無理って何ですか? いったい何が起こってるんです!」

 俺は必死に声を振り絞った。が、中川先輩の耳に入っているのだろうか? この世の終わりのように震える息遣いだけが聞こえる。俺の言葉が届いていないように感じる。

「……信じられないよ、もう何もかも……そんなこと……」

 どういうことだ。何を言っているんだ。そんな言葉じゃ分からない!

 必死に中川先輩に呼びかけるが、何の返事もしてくれない。耳元に聞こえてくる息遣いがだんだんと荒くなり始め、苦悶に満ちた顔が見えるような気がした。血の気がなくなり、再び携帯電話に向かって怒鳴るが、――中川先輩の息遣いが小さくなっている。中川先輩が消えそうに感じた。

 そして、その灯火が消えるように、最後の力を振り絞るような声が聞こえた。


―――――――狂ってる――――――――――この学校は狂ってる―――――――

 

 そこで、音は途絶えた。

 携帯電話からは、先ほどの緊張状態が嘘のように気配一つ聞こえない。あれだけうるさかった雑音が嘘のように消え失せ、静寂だけが携帯電話を通して伝わってくる。

 俺は、親からはぐれた子どものように途方にくれた。どうしたらよいのか検討もつかず、その場に泣き崩れそうになった。僅かな間であろうが、限りなく長く感じた。暗闇の住宅街の中に、まるで俺一人が取り残されたようだ。

 もう誰も見たくない。会いたくない。真っ暗闇の景色が俺の体中に流れ込んでくるようだ。視界も遮られてしまっている。……もう何も聞こえない。

 と、呆然自失し、サナギのように固まったままの俺の耳元に、静かに声が入ってきた。

「――三丁目の東山公園」

 ブチッと鈍い音が鳴り、無機質な音が繰り返された。男のようにも女のようにも聞こえる、ひどく平坦で特徴のない声色であった。

 明らかに中川先輩の声ではない。誰だ。こんな電話をしている以上、単なる一般人ということはない。……罠か? しかし、なぜ。

 だが、もう迷っている暇はなかった。選択肢がない以上、行くしかない。

 俺はゆっくりと歩き始めた。が、徐々に早足になり、それももどかしくなり、結局は走り出す。足の速さと比例するように、心臓音が高まっていったが、不思議と疲れは感じない。コンクリートが足に直接衝撃を与えるので、普段は走り出す気にもなれなかったが、そんなことは今は関係なかった。

 ただ俺の中にあるのは、胸を締め付け、体を蝕んでいこうとする漠然とした畏れだけである。雲に覆われ、月の見えない秋の夜道を駆け抜けていくが、人っ子一人見当たらない。もしかしたら、今いる場所は現実世界ではないのでは、と一瞬考えてしまう。

 焦燥感が襲う中、空気を切り裂き、風と一体になったように走り続けると、ようやく見知った場所に行き着いた。錆びついたフェンスと草木で囲まれた空間がいやに広く感じた。

 誰もいない?

 公園の正面に立ち息を切らせながら目を壊すと、視界に入るのは、寂れた遊具と沈黙を守る暗闇だけである。風が僅かに吹き、公園の隅にそびえ立つ大木が揺れた。ザワザワと木の葉を鳴らしながら佇むその姿は、余計に焦燥感を募らせる。そのまま目線を下に移すと――何かが動いたのが分かった。

 誰かいる!

 思わず心臓が跳ね上がってしまう。 

 ――いや、落ち着け。こんなことぐらいで驚き慌てるとは情けないと思わないのか、と自分に言い聞かせる。そのまま、目を凝らすと、大木に寄り添うように小さな物体がぼんやりと見えた。

 ――子ども?

 じっと観察すると、小学生ほどの小さな子どもが顔を下に向け、両手で隠しているのが分かった。――泣いているのだろうか?

 凶悪犯が公園に潜んでいるんじゃないかと思っていたせいか、微妙に安堵感を覚える。こんな時間に子どもがいるなんて珍しいと思ったが、泣きながら落し物でも探しているんだろう。おそらく、今日、公園で遊んだ時にゲーム機でも忘れて、親に怒られながら必死に見つけようと公園に来たというところか。

 体が弛緩する。よかった。この子どもには悪いが、近くに人がいることに安堵してしまった。先ほどまで誰にも会いたくないと思っていただけに、自分の都合のよさに自嘲してしまうが――。

「おい、どうしたんだ?」

 俺はその子どもに近づいて、声を掛けた。先ほどは、迷子のように途方にくれていたこともあって、親近感を持ったのかもしれない。普段の俺なら決してしないのだが、自然と肩に手を掛けようとした。

 ――と、その瞬間、その子どもは顔を上げた。


「遅かったね」


 全身に悪寒が走るその言葉の冷たさ、それでいておどけた声に思わず仰け反ってしまった。先ほどの安堵感が一気に消え失せ、全身を大量の虫が勢いよく這うような、おぞましい恐怖心に体が固まる。何だ、力が入らない。

 いや、言葉だけでこんな恐怖を味わっているのではない。この子どもの眼球から目が離せない。目を大きく見開き、強烈な殺気で俺をじっと見つめている。まばたき一つすることなく、俺を決して逃がさないように、目を妖しく光らせている。爬虫類にも似た、苔のように淀んだ眼球に、縦に裂けるような瞳孔は、外見ではなく、俺の内面の隅々まで観察しているように感じてしまう。

 ――気持ち悪い。体の奥底から、吐き気を催してしまう。血の気が失せ、立っていることができない。いつのまにか俺は地面に尻餅をついて、小さいはずの子どもの顔を見上げていた。

「……どうしたの、そんなに驚いた顔して? 携帯電話の向こうで散々聞いていたじゃない? 今さら何に脅えるの?」

 そう言って、その子どもは不気味な笑みを浮かべた。その顔は、凶暴というよりも、獲物をいたぶり殺すことを至福とするような、狡猾かつ残虐な感情を映し出していた。

 しかも、この子どもの言動と相まって、混乱は余計に高まった。

 まさかこいつが――中川先輩を襲った人物? 到底信じがたいことであった。

 だが、こいつの雰囲気の異常だ。子どもが到底出せる雰囲気ではない。そもそも人間のものとも思えない。

「ふ~ん、全然喋らないね……。やっぱりその程度の人間か。ちょっぴり安心したよ」

 正面にある顔は確かに笑っているはずなのに、異体の知れない恐怖心が体を駆け巡った。体が竦んで動くことができない。まともに目線を合わすことすらできなかった。

「……お前は何なんだ?」

 やっとのことで口を開く。だが、そんな俺の言葉に失望したかのように、ちっと舌打ちをした。そのまま軽やかに体を動かし、威嚇するように顔を突き出した。

「何なんだって聞かれてもね~。ごく普通の小学生って言ったら信じてくれる?」

「っ、まじめに答えろ! それと中川先輩はどうしたんだ!」

 力を振り絞り声を張り上げる。大声を上げないと正気を保てない。だが――。

 俺のそんな必死さも可笑しいのか、その子どもはますます口元を歪める。

「中川先輩? あの幸薄そうな女の子のこと? そんなの決まってるジャン」

 そう言って、俺に体を近づけてくる。咄嗟に仰け反ろうとするが、体が震えて動けなかった。まるで自分の体ではないように感じた。

 そんな俺を捕らえるように、ゆっくり顔を俺の耳元に寄せ、こいつは小さく呟いた。声と同時にかかる小さな息は、まるで俺の体を侵食するように黒く広がった。

 

「死んだよ」


 確かにそう言ったのが、耳元に残った。



                  ▲



 死んだ? 誰が? 

 頭は一瞬にして真っ白になった。もはや現実にいるとは全然思えなかった。尋常じゃなく取り乱していた中川先輩と、恐怖に怯える俺自身の精神、そして正体が未だに分からずこの世のものとは思えない子ども。

 これが夢だったらどんなによいかと、泣きそうになる。だが目の前の子どもは俺の前から離れてくれない。全く以って、どうしてこんな状況になったのか分からない。俺の気持ちを与することもなく、薄ら笑いを浮かべながら、この不気味な子どもは佇んでいるだけである。

「そんなに驚いた? たかだか女の子一人死んだだけだよ。そんなことでびっくりしていたら、アフリカとかには行けないんじゃない?」

 手を後ろに組みながら、まるで何事もなかったかのように再び俺の前に顔を突き出す。たまらなく悪寒がするのに、この瞳から目を離すことができない。

「どうして死んだんだ……」

 もう考える余裕などなく、条件反射のように呟いた。

「そりゃあ、僕が殺したんだよ。こう刃物でブスブスってね」

 吐き気がする。「……どうして……どうして」とうわ言の様に口から言葉が出る。空気を切り裂く音がした。大げさなため息をついていた。

「……何だか気の毒だね、白崎君を見てると。哀れすぎて見てらんないよ、本当に」

 言葉とは裏腹に、その子どもは両手を広げ楽しそうに体を回した。まるで無邪気な子どもが大人と係わり合いたいかのように「どうして殺したか教えて欲しい?」と言いながら、俺の側にすり寄ってくる。

「え~とねぇ、まず~、中川ちゃんを殺した理由は二つあるんだけど~、一つは、邪魔だったからだよ!」

 答えもしていないのに、こいつはペラペラと喋りだした。顔を見ているだけでも吐き気がするのに、俺の口は自然と反応してしまう。

「……邪魔?」

「そう、彼女は危険だった。気が弱いながらも、聡明で心に芯が通っている。だから、計画が進むにつれて、彼女が立ち塞がるのは明白だった」

 計画? 計画とは何のことだ?

「まあ、それでも彼女には計画を止める術はないんだけどね。残念ながら、彼女には味方が少なすぎてね……。でも、だからこそ厄介だったんだ!」

 意味が分からない。こいつの言おうとしていることがまるで検討つかない。

「そして二つ目だけど、白崎君。『ショック・ドクトリン』って言葉知ってる?」

「……ショック・ドクトリン?」

 俺が眉をひそめ、語尾を上げて言うと、

「そう、ショック・ドクトリン。カナダのジャーナリストであるナオミ・クラインが執筆した本の名前なんだけど、学生だと知らないかな……。でも読んだほうがいいと思うよ。読めば、これから僕が起こすことが分かるから」

 そう言って、その子どもはこれ以上ないというぐらい嬉しそうな顔をした。まるで夏休みの自由研究をするかのような無邪気な声色だった。

「いわゆる新自由主義、構造改革とも呼ばれるものなんだけど、この政策を推し進めるには急激な変革を伴うことになるんだよ、今までの規制をぶっ壊すからね。たとえば、う~ん、たとえば~、徹底した民営化とか、かな。他にも~、そうそう、規制の撤廃や福祉サービスや医療費の補助の大規模な削減といった改革とかが挙げられるね。だから、できるだけ公的な関与を減らすことが、これらの政策の目的となるんだ。でもね、実はこれには問題があってね。――教えて欲しい?」

 この不気味な顔を見るのも嫌だったが、俺は顔を上げ、無言で続きを促す。

 その様子に満足したのか、こいつは話を続ける。

「それは、国民の生活の根幹を変えてしまうんだよ! 効率性と競争を強化する政策だからね。だから、うかうかしていると、給料は下がるし、下手すると失業しちゃうんだなあ、これが! しかも外国人や移民といった安い労働力とも戦うことになるから、余計に貧乏になっちゃう! でも、そうなると一般人はどうすると思う?」

「……それは、抵抗するんじゃないか?」

「正解! でも考えてみて。そうなると困ったことに、肝心要の改革が進まないんだ。これじゃ目的が果たせないんだよ! ……さあ、どうしよう?」

 俺はこの子どもが何を伝えたいか、未だに読めなかった。だが、中川先輩の真相を知りたいだけのはずなのに、なぜか惹きつけられる。

「ピノチェト独裁政権下のチリ、ソ連崩壊後のロシア、アパルトヘイト後の南アフリカ、アジア通貨危機、9・11後のアメリカ、天安門事件後の中国、スマトラ沖津波……有名な出来事ばっかりだけど、これら数々の事件の後には必ずあることが起こったんだ。それはね……」

 そう言って不自然に言葉を溜める。どうやら俺がこいつの言葉に必死に耳を傾けている様子が可笑しいのだろう。だが、俺に選択肢はなかった。

「それは、大規模な改革なんだよ。戦争、内乱、天災、テロといった社会全体を揺るがす出来事が勃発すると、人々は恐怖のどん底に嵌ってしまうからね。結果として、人々は思考停止に陥ってしまうんだ、残念! そうなってしまったら、もうお終い。その人々が取る行動は一つしかないんだよ!」

 表情、言葉、雰囲気、こいつの発するもの全てが、俺の体を鎖で引き付け、そして締め上げる。悶え苦しむが――この鎖を外そうとする勇気が残っていなかった。

「くふっ、正解は……極めて面白いことに、人々は、単純で、分かりやすく、過激なフレーズに飛びつき、熱狂する人ばっかりになるんだ! だからね、その際には『改革』とか『維新』とか、単純明快なワンフレーズを使うと効果抜群! 大多数の人は即落ちるよ!」

 いつの間にか俺の手足は垂れ下がり、頭だけが正面を向いていた。糸の切れた人形のように体が縮まり、俺の頭にはこいつの言葉しか入らない。が、これ以上は聞きたくなかった。聞いてしまったら、もう後戻りができないような気がした。

 しかし、そんな思いも空しく、俺の体を徐々に蝕んでいくように、話は止まらなかった。

「そして、これを利用した手法が、悪逆非道で人有らざる者の所業と呼ばれる人類最悪の手段、倫理を捨てた者にしかできない絶対零度の業火の炎……通称『ショック・ドクトリン』と呼ばれるものなんだよ!」

 脳がガツンと揺れた。全身に黒ずんだ邪気が回っていく。

 まさか、こいつのやろうとしていることは――。

「CIAが行っていたように洗脳、拷問、薬物投与等で身体的ショックを与えて、人の脳を白紙状態にすることもできるけどね。ただ効果も薄いし、いくら僕でも大量の生徒をそうすることはできないしね。」

 やめろ!

「だから彼女には犠牲になってもらったよ。兄弟学校を恐怖で支配するためにね」



                  ▲



 全てが繋がった。こいつの目的も、なぜ中川先輩を殺したかも――見当がついた。

 こいつの目的は兄弟高校の改革。高坂が演説した内容と関連があるのだろうか。抜本的に教育制度を改革し、徹底した自由と競争原理を持ち込むことにある。

 ただ、改革には必ず障壁が伴うことから、容易に変えることができない。そこで、中川先輩を殺し、学校中に衝撃を与え、震撼させ、恐怖に陥れ、思考を停止させる。思考力が消えた人間を操るのは容易いだろう。どうすればよいのか不安になっている人間なんて、単純な言葉や行動に簡単に左右される。先ほどの俺の行動が良い例だろう。ただ立ち尽くすだけであった俺は、こいつの言葉に誘導されるままにここに来た。他に何をしたらよいか分からなければ、目の前の物事に飛びつくしかない。

 ましてや、つい最近、沢登の自殺があり、学校全体が不安定になっているから好都合である。同時にこんな衝撃的な事件が起こるなんて、不幸な偶然だ。

 ――偶然?

「まさか、お前、沢登の死にも絡んでいるじゃ……」

 俺の投げかけに対して、奴は嬉しそうに答える。

「ピンポーン! その様子だと、ようやく分かったみたいだね。おめでとう!」

 両手でパチパチと拍手をしながら、奴は言葉を続けた。

「もちろん沢登ちゃんの自殺にも僕が絡んでいるよ。彼女、かなり不安定な状態だったからね。ちょこっと暗示をかけて『授業中に騒いだ後に、屋上から飛び降りること』って洗脳したら、いとも簡単にあの有様だよ」

 唾を飲み込んだ。別の質問をすることにする。無意識に喉を手で押さえていた。

「……高坂翼とも関係はあるのか?」

「くふっ、当たり前じゃない! だって、彼がいないとこの改革は成り立たないからね。……だけど、彼みたいな人材を探すのは本当に苦労したよ」

 そう言って、手のひらを広げ、大げさな仕草をする。高坂の演説や態度には違和感があったが、やはりこいつが絡んでいたのか……。

「頭脳明晰で弁も立つ生徒なんて、あんまりいないからね……そして何より、優秀である故に周りを見下していることが不可欠であるし! だから彼を見つけた時は飛び上がって喜んだよ。本当に! 凄い! これで計画が達成できるんだって」

 この言葉から察するに、高坂も沢登と同様に洗脳でもされているのだろうか。感情に訴えて暗示に掛かりやすくしていると、こいつの言葉から読み取れる。……何とも信じがたいことである。

 いや、そんなことよりも……こいつは本当に何者なんだ。こんな大掛かりで残虐な行為をする子どもなんて、世界中を探したっていやしない。違う、それよりも、――何故こんな学校の改革を推し進めようとしているんだ?

 思考の混乱が止まらなかった。

「くふっ……。僕のことがそんなに気になる? こんな子どもがなぜって?」

 そんな心境を見透かしたように、目を細め、体を揺らした。一段と動揺する。目の焦点が合わない俺の姿をじっくりと楽しんでいる。こいつは――。

 濁った目を見開きながら、口が動いた。


「僕はね、君が憎いんだ」



                  ▲



「…………憎い?」そう呟くと、奴は小さく頷いた。

 まるで理解ができなかった。こんな薄気味悪い奴と会ったことがあるならば、忘れるはずはない。間違いなく初対面であり、恨まれる覚えなど全くない。

 見当もつくはずなく「どういうことだ」と尋ねた。

 すると、こいつは小さく笑った。

「だって考えてみてよ。今の人々って与えられるままに行動し、衣食住も保証されているでしょ。しかも、電気は通るしガスや水道も使える。具合が悪くなれば救急車は呼べるし、通るための道路も整備されている。治安はいいし、夜道に女性が一人で歩くこともできる。安い費用で介護や医療サービスを受けられるし、衛生状況も良好。自業自得で困窮しても、自己破産はできるし、生活保護も受けられる。不法滞在者や犯罪者ですら人権が守られる。それだけできれば、十分立派な社会だと思わない?」

 俺の質問を無視するかのように、脈絡のないことを言う。だが、何か繋がりはあるのだろう。仕方なく「でも、困っている人は沢山いるんじゃないか?」と答えると、こいつの目が一段と鋭くなった。

「でも、その困っている人を生み出しているのは誰だと思う? そんなの決まりきっているんだけどね。でも誰も気付いてない……ほんと、虚しくなるよ…………

………………………………………………………………………だって、そいつら自身が壊してるんだから! そいつらが! 先人が必死に作り上げてきた大切な遺産を古臭いとか既得権益とかと批判して、嘆いて、嘲って、潰そうとする! 自分では何も考えてないくせに! 嫉妬、妬み、その日の気分によって、今まで守り続けてきた社会の根幹をいとも簡単に破壊する。胸糞悪いね、まったく。自分で崩壊させておきながら、自分を絶対正義だと思い込んでいる偽善者、偽悪醜、無能者! それが今の人間なんだよ!」

 ――強烈な悪意が突風と化し、俺に襲い掛かってきた。今までのおどけた姿が嘘かのように、体を震わせ、己の感情を喚き散らしていた。まるで奴の手から、口から、体から、悪玉が熱気として噴き出している。妖しく光る獰猛な瞳が、より一層、俺の恐怖心を募らせる。

「僕のいる世界は酷いよ。誰も他の人のことを考えない。だから、公益なんて誰も信じていないし、絆(笑)なんて甘っちょろい言葉もなくなった。全てが自己責任で、警察・消防・救急は金がないと使えない。道路は穴ぼこだらけで橋は頻繁に崩落する。社会保険は事実上、破綻した。格差は広がり、強者は勝ち続け、敗者は溺れるだけ。県もなくなり、国境もなくなった。移民二世、三世と世代が変わるたびに外国人が増大し、そもそも誰が日本人かも分からならなくなった! そもそも自分が何者かも分からない!」


――――――どうしてこうなったと思う? ――――君達のせいだよ――――――


「君達は『自由だ! 権利だ!』と好き勝手叫び、際限なく欲望を撒き散らした。しかも、簡単に作り直せるかのように、先人が作り上げた制度を壊し続けた! 物に置き換えて考えてみれば分かるよね? 壊した物を元通りにするのがとても難しいことなんて、子どもでも分かる! でも、君らには分からない。そして散々自己責任、自己責任と喚いていたくせに、いざとなったら、『年金をよこせ』『飯を作れ』『パンツを変えろ、ウンコを拭け』と怒鳴り込む。国を否定しておきながら、最後は『私達の人生は国に弄ばれた』と、嘆いてみせる……。でも、そんな奴らは、好き勝手暴れまわった中で、幸せに、幸せに、この世からいなくなった……。壊しつくし、壊しつくし、壊しつくし、壊しつくし、壊しつくし、壊しつくし、壊しつくし、壊しつくし、壊しつくし、壊しつくし、壊しつくし、……最後に残ったのは、僕のような腐りきった人間だけ………………もう、何もない」

 そこで、こいつの言葉が一瞬と止まった。ゆらゆらと体を不安定に揺らしながらも、決して俺から目を逸らしてくれない。

「……だから僕は復讐をすることを決めた。奴らが傍若無人に振舞って、そのまま安らかと死ぬ前に、この甘やかされたお坊ちゃん達の社会を根幹から破壊し、破滅へ導く。その足がかりが、君の学校なんだよ!」

 体の震えが止まらなかった。おかしい。狂ってる。こいつの考えも、今の大人も、そして……現状に気付かなかった、この俺も……。

「今の若者は本能として薄々分かっているからね。この先の未来も、自由の境地の危うさも。だから、今は理解できなくても、経験を重ねれば、必ず『改革』の危うさに気付くだろう。そして、社会の基盤を少しずつ守ろうとするだろう……。でもその時は遅いんだ。もう社会はもう守れない……。いや、むしろ懸命に守ろうとしたからこそ、今の大人が生き延びる時間を与えてしまった。好き勝手壊し続けた人間が死んだ時から本格的な崩壊が始まり、その被害を受けるのは、必死に社会を守り続けた者だけ……。こんなのってないよね? 理不尽すぎて反吐が出るよ……。だったら、歯止めをなくすしかない。社会の基盤である教育を壊し、学生を暴徒化させる。学生自体が『変革』の象徴だからこそ、今なら過激化させることは容易い。そうすれば、もう止めるものは誰もいない!」


―――――――――――現在を壊し、未来を消し去る―――――――――――――

――――――――――そのために、僕は未来から来たんだ―――――――――――


 最後に小さく呟いた後、こいつは、ゆっくりと暗闇を見上げた。


 

                  ▲


         

 未来。こいつの言動から普通ではないことは明らかだったが……だが、信じがたい主張であるが、嘘とは思えなかった。いや、小学生のような外見だからこそ、奴の話に信憑性があるように感じる。だが――。

「……だとしても、俺を憎むのはおかしいんじゃないか? 諸悪の根源は今の大人だろ」

 そう吐き捨てると、奴は微笑を浮かべた。しかし、笑ってはいるのだが、その瞳の中は、まるで汚物に侵食されたかのように濁っていた。

「僕はね、君が一番憎いんだ。前に言ったでしょ、中川ちゃんは危険だって。どうして危険かって言うと、彼女の出方次第では未来は変えられたから……。聡明で、冷静で、優しくて……まだ未熟だけど、近い将来、誰も対打ちできないぐらいの知性と影響力を持てる人物だった……。だけど、君が潰したんだ! 彼女の能力を宝の持ち腐れにしたんだ!」

 俺が……潰した?

「君はいつも斜に構えているよね。世の中を知ったような気になって、周りを小ばかにして生きている。周りに支えられて生きているのにね、笑ってしまうよ。しかも変にプライドがあるから、自分から動こうとせず、かったるいとか言って何にもしない。そんな人間なんて成長すると思う? …………そして周りの人間が成長すると思う?」


 まさか――。


『世の中こんなもんですよ、誰が何やっても変わりませんよ』、『先輩は考えすぎなんですよ、もう休みましょう』、『そんなことをしたって敵が増えるだけですよ、先輩みたいな人が矢面に立つ必要なんてないですよ』、『利己的な人間はどうにもなりませんよ、俺達は何もしなくていいんですよ』


 嘘だろ……


「どうしてだか不明だけど、君は彼女に対して影響力があったみたいでね。本来であれば、多くの人々に絶大な影響を与えることもできたはずなのに、彼女はそうならなかった。それどころか、言われなき中傷の中で死んでいったよ、無残に、残酷に、冷酷に……。彼女に優秀な仲間がいれば結果は違ったのかもしれないけどね。本当に残念だよ……。これで、分かったでしょ、何で君が憎いのか……なんでこの学校を選んだのか……」


 そんな、馬鹿な。信じられない。いや、信じたくない!


「…………君は見ていくといいよ。彼女が消えた後の学校が、社会が、どうなっていくかを。ただでは、殺さないよ、大人も、老人も、君も、何もかも!」






 さあ、カーニバルの始まりだ!




                1章「復讐」(終) 2章「崩壊」へ続く

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