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閉ざされた学園  作者: 西部止
4章 決戦
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最終話 ぼくらの夏

 辺りは、涼しい風が吹いていた。

 人数は少なく、小さな子どもとボール遊びをしている父親らしき人がいるだけだ。日の光に反射して煌めく木の葉は、先ほどの喧騒を打ち消していた。

 河川敷に敷かれた芝に腰を下ろす。夏の太陽に照らされた草の乾き具合が丁度よく感じられる。そのまま、脳を休めながら水面を眺めていると、川のせせらぎが聞こえてくる。小石と波がぶつかり、心地よい音色を奏でている。静かに瞼を閉じる。

 ――平和である。こんな時間は久しぶりだったからか、どこか実感がない。こんなことがあっていいのか不安になってしまう。平穏すぎて違和感しかない。本当に不自然なだけだ。

 だからだろうか。何となく感づく。変な素振りを見せないように鼻の頭をつねりながら、口元を引き締める。静かに息を吐いて、心を落ち着けた。 


「――おい、出てきたらどうだ」


 そう言うと、突風が吹いた。

 思わず腕で顔を隠してしまう。まるで呼ばれるのを待っていたかのような勢いだった。

 すぐに風の勢いが一瞬にしてなくなり、そのまま重力から開放されたように顔が浮き上がると――そこにそいつはいた。


「――久しぶりだね。まさか、君から声を掛けられるとは思っていなかったよ」


 いつの間にかそいつは正面に立っていた。

 以前と変わらない姿は、俺を恐怖の底に誘い込むはずであるのだが――なぜか安堵してしまう。長い間、会っていなかったかのように錯覚した。

 あの時の言葉通り、こいつは一度も現れなかった。だが、現在も大混乱に陥っているはずの兄弟高校について、どう感じているのだろう。シナリオが崩れたからこそ、俺の前に現れたのだろうか――いや、混乱という意味では、筋書き通りなのか。

 疑問が顔に出たのか、そいつはわずかに顔をしかめた。

「……それで、満足かい? 僕が煽った人間を倒して」

 そう言って苦々しく笑った。世を憂うような表情は、とても儚く見える。

 そのため、あの時と違って心臓が体を突き破りそうになることもない。自然にこいつを見ることができる。

「……まさか。気分は最悪だよ。これからのことを考えると死にそうでたまらん。なあ、いっそのこと殺してくれないか」

 俺がそう言うと、こいつは目を見開いた。そのまま、無造作にポケットに手を突っ込み「くくっ」と小さく笑った。が、明らかにその声は弱弱しかった。

「へえ~、本当に君じゃないみたいだね。あの時の臆病さが嘘のようだよ。でも、残念。僕は白崎君を殺せない」

 あの時の憎しみの視線はどこにも感じられない。長い間、脳裏から離れず俺を苦しめた表情は、どこにもなかった。

 いつのまにか、そいつは顔を背けていた。

 ――顔を見せたくないのだろうか?

 奇妙な沈黙が生まれ、それを埋めるかのように「殺せない?」と俺は問いかけた。

 だが、そいつはさらに顔を下に向け、視線を逸らした。

「……そう、殺せない。むしろ、ここにいるのが不思議なくらいだからね……。よっぽど未練が強かったのかなあ、僕は……」

 ますます理解が遠くなった。

 こいつの思わせぶりな言動を何度も見たはずなのに、何の見当もつかなかった。

「何だそれは? まるでお前が死ぬようだな」

 俺は何気なく笑って言ったが――なぜかそいつの姿が薄く見えた。この小さな体に収まりきれず、止めどなく溢れていた怨念の欠片がこいつから消えている。

 ――おかしい。まるで、邪気が感じられない。いや、生気すら感じられない。

 だが、そんな俺の疑念を無視するかのように、そいつは目を閉じた。

「僕は親殺しの罪を背負ったからね。その時点で僕はこの世から消えるはずだった」

 存在がぼやけて見えた。

 親殺し? 何のことだ? つい、眉を寄せて顔をしかめてしまったが、先ほどと同様に、そいつは俺を気にも止めることなく言葉を続けた。

「……僕は存在してはいけなかったんだよ、あの時からね……。でも、どうなるか見てみたかったんだ……。母さんがいなくなって、君がどうするのか見てみたかった」 

 は?

「本当に君は僕と違うね! あんな子達に囲まれて。あんな子に思われていて!」

 こいつがそう叫ぶと、強烈な突風が巻き起こった。やり場のない思いがぶつかってくる。まるで駄々をこねる赤ん坊のように、小さな体を俺に預けてきているように感じる。

 だが、そいつの叫びは、必死に堪えているようにも見えてしまう。

「君は感謝するといいよ。君を信じてくれた二人を。あんなにいい子達はそうはいないよ。本当に幸運だね……」

 僕と違ってね、そう言っている気がした。そのまま顔を下に向けた。そして、そのまま微動だにしなくなってしまった。

 不安になり「おい、大丈夫か……」声を掛けようとすると、そいつは俺の言葉をさっと払いのけた。そのまま視線を不安定に動かしながら「でも、僕はこういう運命だからね、君と違って」と明るい声で言った。

 無理をしているのは明らかだった。今まで考えもしなかったが、こいつの境遇はどうだったんだろう? 想像もできないことだが、間違いなく良好なものではなかったことだけは分かる。

 学校は? 友人は? 家族は? ただならぬ風貌である奴だが、こいつにだって日常があったはずなのだろう。破壊された未来の中で、どんな生活を送っていたのだろう。

 そんな思いを巡らせていた時だった。こいつはあくまで何気なく言った。


「……だから忘れないでおいてね。君のことが好きで好きでたまらなかったのに、その思いを必死に隠しながら母さんに譲った――こっちが泣きたくなるほど、いじらしい女の子を」


 ――瞬間、全身に電流が走った!


 心臓の鼓動が早くなる。体が固まった。全力で打ち抜いた弾丸を綺麗に弾き返されたような、信じ難い逆襲が俺に覆いかぶさった。

 そんな馬鹿な……彼女……なのか?

 様々な思いが頭の中を駆け巡り、必死に頭を振り払おうとする。どこをどう考えても、そんな態度は彼女にはなかった。

 ――どう考えてもありえない。

 腕に力が入らず、口が半開きになる。全身から力が抜けてしまう。そんな未来なんて想像もしなかった――だからか、こいつがこんなにも……

 だが、そんな俺の様子に嬉しくなったのか、「まだまだ甘いね」というような顔を、こいつはやっと作った。その瞳は、ごく普通の悪戯っ子のようであった。

 が、すぐにその眼差しを消して、不敵な笑みを浮かべた。

「今度はちゃんと守るんだよ。不器用な君なんかを慕ってくれる、素直になれない女の子を……」

 こいつがそう言うと、はっきりと俺の頭に浮かんできた。

 本当に俺は……。

「でも楽しかったよ。白崎君、最後にしゃべれてよかったよ……。これから、困難な道が待ってると思うけど、それは母さんを助けなかった未来の自分を恨んでね」

 そう言って、そいつは何度目か分からない笑みを浮かべた。だが、どこか愛嬌のある優しい表情は初めて見るものだった。いや、初めて見るものではない……彼女に似ている。


 先ほどと同じ突風が吹いた。

 思わず、目をつぶってしまう。がむしゃらに体を振り回しているような乱暴な風だったが、どこか照れたようなくすぐったさを感じた。まるで、子どもが無邪気にじゃれるような痛みのない衝撃だった。

 そして、そんな生意気な風に乗るように、透明な声がどこからか聞こえてきた。


「―――――――――ありがとう――――――――――――お父さん―――――」


 全身が光に包まれた。全てのものを優しく癒すような心地よい空間であった。まるで、母親の体内にいるかのような安らぎを感じる。

 煌々と輝いていた光が止み、目を開けると、そこには誰もいなかった。いつのまにかボール遊びをしていた親子がいなくなっており、自分だけ取り残されている。

 これで、よかったんだろうか……。俺だけが生き残ってよかったんだろうか? 周りを見渡すが、やはり誰も応えてくれなかった。

 ――いや、誰かが見える。真っ直ぐにこちらに向かってくる姿を見て、自然と安堵感が漏れた。だから、強い力で腕をつねり、必死に表情を固くした。


「――もう、勝手にいなくならないでよ。今日は祝勝会なんだから。かなでちゃんも鈴木も待ってるわよ!」


 そう言ってそいつは笑顔を浮かべた。いつもと変わらない愛嬌のある顔のせいで、緩みそうになる頬を必死に堪える。

 しかし、俺のそんな厳しい表情を見て、明石は勘違いしたのだろう。急に声の調子を落として「……これで終わったのかな?」と呟いた。

 あまり見たくない表情であった。だから一層、顔が険しくなりそうだ。

 気まずさを隠すために、髪をくちゃくちゃにいじった。

「いや、終わらないだろう。そもそも俺達がやったことが正しいかなんて分からない。高坂を潰したところで新たな奴が出てくるだろうし、そもそも、全てを壊すつもりで公開討論に臨んだ時点で、俺は高坂と変わらない……。むしろ、新たな混乱が生まれるだけかもしれないし、たとえ多くの人の考えが変化したとしても、俺達の行動で世の中が急激に変わるほうが怖い」

 そう言うと、明石は何も言い返してこなかった。その静かな表情は何を思っているのだろう。こいつでも後悔することがあるのだろうか? 一抹の不安を感じた。

 が、こいつはいきなり顔を上げて言った。

「……相変わらず、辛気臭い考えしかできないわね~、あんたは! もう少し、明るい考えは持てないの! そんなんだといつまで経っても暗い気分のままじゃない!」

 そう言ってぷんすか怒り出した。覆いかぶさっていた邪気を振り払うように、ばんっと俺の背中を叩く。なぜか痛みは感じなかった。……明石らしい。

「ふっ」不敵に笑うと、「その笑い方、やめなさいよね。あんたがやっても寒いだけだから」と、明石は目を細めた。……本当に失礼な奴だ。

「……いいんだよ。寒かろうが、辛気臭かろうが、俺達の言動が未来の誰かのために残ればそれでいい。たとえ――小生意気なガキだけにしか伝わらなかったとしてもな」

 そう言って青空を見上げた。見なくても分かる。明石が小さく笑った。

 と、その時、前方から大きな声が聞こえてきた。


「――お~い、早く来いよ~!」


 遠くのほうから二人が歩いてくるのが見えた。手を振りながらこちらに向かってくる姿を見て、もう俺の頬は我慢できなくなってしまった。

 いつのまにか風が止み、日差しが一層強くなっている。厳しい残暑は、なかなか終わりそうにもない。空高く掛かる送電線に覆いかぶさるような太陽は、当たり前にあるものも、見たくもないものも、全てを照らし続けているように感じる。

 体力を消耗してしまう辛くて気が滅入る季節だからだろうか、活動的にはなりようがない。しかも、死に急ぐには時期が悪すぎる。

 誰だよ、この季節だったら自殺しやすいなんてほざいた馬鹿は。そういう奴に限って長生きするのが定番だ。高齢化問題を助長してどうすんだ。問題は山積みであり、これから明るい未来なんて見えてこない。

 だから、こんなに気が滅入ってしまっては、自殺する気は失せる。自殺する気が失せてしまったら、もう諦めるしかない。諦めたら、やることは一つしかない。

 だから、仕方ないのだが、本当に仕方なくてしょうがないのだが――もう少しだけ生きてやろうか。この暗い世の中を。


 夏は終わらない。体中の熱が周りの景色と溶け込んでゆくようだ。

 風が吹き、隣を歩いていた明石の髪がなびく。一瞬、目を奪われた。

 同時に、憎たらしい小さな風が体に入り込んできた。

 だから思ってしまった。そんなことあるはずもないのに……。

 だけど――。 


 その風の軽さに、ふと、もう訪れない未来を思ってしまった。

                                  (終)

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