18話 ペルソナを剥がせ!
ここまでは予定通りだ。
鈴木を公開討論に出さなかったことも、H組を会場に集めなかったのも、高坂を誘導するための布石に過ぎない。いや、こちらの意図を悟らせないための偽装である。
俺達にとってもA組とH組の乱闘が、あの時期に起こったことは想定外だった。
それは、当然、高坂達にとっても同様だろう。自分のしていることは正しい改革だと信じていたのに、急ブレーキをかけなければならないほどの大きな出来事だったからな。だから、自分達のしていることに僅かばかりでも疑問を持ったはずだ。
だけど、認めたくはないだろう。自分達の過ちに。
あまつさえ、その直前の俺達の公開討論の申し込みによって警戒感は、極限に達したはずだ。だとすると、なりふり構わず全力で俺達を潰しにくるのは明らかだった。
盗聴の証拠を掴んだからこそ、俺は公開討論を申し込んだ。確実に高坂を潰すために、この武器は必要不可欠だった。そして、兄弟学校だけではなく、全国にその実態を知らしめるために、この場で公開しなければならなかった。
高坂が俺達を探る前には、もう俺達は高坂を探っていたが、信者達の存在、高坂の性格を分析するに、聖人君主とは到底思っていなかった。だから必ず、改革の綻びが出始めれば、絶対に動くと踏んでいた。
学校改革以降、生徒間の雰囲気は異様なものだった。分かりやすい混乱はなかったが、生徒達の活力が明らかに消えていた。A組やB組といったクラスは、端から見ると活発になっていたようにも思えたが、実際には自分本位で考える人間が増えていただけだった。
また全体で見ると、静けさが増し、学校に来なくなる生徒も続々と出てきた。表面上は問題がないように見えるが、高坂の唱える『活力ある学校生活』とは程遠かった。
しかも、六月に行われた中間テストの結果は、高坂にとって不都合なものだった。前回の中間テスト・期末テストの両方と比較しても、70%以上の生徒が学力を落としたことは、明らかに多くの生徒が学力の低下に陥っていた。生徒間で学力の格差が広がり、中間テスト終了の後から、一層、学校に来なくなる生徒が増えた。
だから、高坂も違和感を感じていたのだろう。どういう手段を使ったのかは聞かないことにしたが、鈴木が盗聴の証拠を入手していた。鈴木は「偶然に、本当に偶然に、こんなテープが手に入ってしまった! 白崎、どうしよう? ……でもまた手に入るかもよ」と、大げさに嘆いていたので、俺達は仕方なく使うことにした。
そのため、決して高坂に悟らせれてはいけなかった。俺達が不都合な事実を知っていることがばれた時点で、完全に敗北が確定してしまう。高坂が事実をもみ消した上で、俺達が盗聴犯として仕立て上げられる恐れすらある。
だから、高坂を緊張状態に陥らせるような大事件は公開討論まで起きてほしくなかったのだが、そういう時に限って裏目に出る。A組とH組の乱闘が、高坂の警戒心を高め、しかも俺達にとって圧倒的に不利な状況を作ってしまった。
だから、利用するしかなかった。あえて俺達がA組とH組の乱闘を仕組んだと高坂に勘違いさせるように動いた。盗聴されているのを承知の上で、あたかも俺達がやっているかのような言動をした。露骨に行うと本当に犯人にされてしまうため、いくつもの言動を組み合わせることで、ほぼ確実な状況証拠を作った。俺達はあくまで盗聴を知らずに、踊らされている振りをした。
先ほどの論戦だって、かわそうと思えばできた。高坂もそれは百も承知だっただろうが、そうなった時には、盗聴で得た情報を使って俺を追い詰めればいいだけだった。
高坂にとってはこの絶対的優位性がある限り、勝利は揺るがないと思っていたはずだ。最終的に、議論で追い詰められれば自ら切り出したと思うが、俺自身から言わせることで勝利は確実に決まる。この話題から避けられない以上、完全に試合を決めることができる――と、勘違いしているからこそ、高坂を転がすのは実に簡単だった。
あの時は、A組とH組の紛争を高坂に利用されてしまったが、それを逆に利用させるとは思っても見なかっただろう。
認知的不協和。自分に不都合な事実は認めたくない。その心理が心の奥底に眠っているからこそ、高坂に俺達が仕組んだと確信させることは容易かった。
事実であろうとなかろうと関係ない。それが自分にとって都合がいいならば、無意識に飛びついてしまう。もう、自分にとって不快な事実は、高坂の頭の中から消えていた。
明石と中川には悪いと思ったが、あいつらの性格を考えると、話せなかった。それに、二人が真実を知らないからこそ重みが出る。真実を知っている俺と鈴木は、ボロを出さないように、なるべく学校で会わないようにしていた。
全てはこのための布石だった。
「やっほ~、高坂先輩聞こえる~。ああ、あと、3年B組の高崎先輩に振られた山崎先輩も! 俺が公開討論に出ない理由これで分かったでしょ。アホな親父の手下である君達と戦っても良かったけど、盗聴の事実をみんなに知ってもらったほうがいいからね! ばれて君達に握りつぶされる前にね! ねえ、今どんな気持ち? ねえ、どんな気持ち?」
スピーカーを通して、鈴木の声が聞こえてきた。煽りすぎだとは思ったが、同情はしない。奴らの罪だ。
盗聴、その行為は重い。
多くの国家機関が行っていることは暗黙の事実として皆知っているが、それが露見した際は大きな痛手を受ける。大使館に仕掛けたり、首脳の電話を盗み聞くことなんてことも多々ある。だが露見すると深刻な国際問題だ。下手をすると自らの首を絞める。
テレビカメラを通して全国に発信されている。もう、逃げられない。
山崎は真っ青な顔で震えながら、下を向いている。その姿を見れば、誰もが分かる。こいつらが全校生徒を騙していたことを。一人は落ちた。
お前はどうする? 高坂。
「……まったくやってくれる。このために、わざわざ不自然な行動を起こしていたなんて思いもしなかったよ」
そう言って高坂は笑った。だが、いつまでその表情が保てるのか?
「でも、この事実がそんなに悪いことなのかい。いや、確かに違法な行為だって分かっているよ……。でも、仕方ないことは事実なんだ。現にA組とH組の乱闘が起こった。今回は未然に防ぐことができなかったけれども、そういう問題を防ぐために僕達はやらざるを得なかったんだ。むしろ最小限にしかやらなかったからこそ防げなかった。そういう現実的な側面があるんだよ」
皮肉めいた顔で、高坂は笑った。そして、そのまま言葉を続ける。
「君達には分からないかもしれないかもしれないけどね、多くの生徒を導いていくのは大変なんだ。もちろん良い生徒がほとんどだけれども、僅かな生徒の暴動で甚大な被害を生み出す可能性だってある。しかも、日本人の安全保障の意識はどうだい? 地震、噴火、台風、津波、洪水、といった自然災害だけじゃなく、周辺国家による侵略の恐れだってある。それにも関わらず、未だに平和だと思っている人々は山ほどいる。戦争反対と叫んで何もしないことが、自分達を苦しめていることにすら気付いていないし、平和を守るための行動を徹底的に批難する……。でも、そんな人々に限って、事が起これば慌てふためき、誰かに責任を転嫁させようとする。『何で今まで何もやらなかったんだ!』てね。真剣に考えない人々が大量にいる中で、この学校、いや日本を守るには違法であったとしてもやらざるを得ないことだってあるんだよ」
皮肉めいた自嘲から一転して厳しい表情をする。あくまで、自分が正しいという姿勢を見せつけようとしている。
――まずいな。崩れない。
こういう状況になった時の対応を考えていたのかもしれない。予想外に動じていない。
いや、高坂にとって、この事実が発覚した時点で、生徒会長の座どころか退学は確実だろうし、批判の目も大量に集まるだろう。完全に不意を突いた攻撃だからこそ、高坂は間違いなく屈辱に感じているはずだ。
しかし、こうも自信を持って弁明されると、事実が有耶無耶になる可能性が高い。もちろん、高坂の行動で、学校改革の賛否について議論がまた盛り上がるだろうが、高坂という改革の象徴が人々の前で瓦解しない限り、事態は変わらない。そして、崩れない限り、時間が経てば高坂が復活してくることさえもできるだろう。人々の心に、改革の失敗が明らかにならない限り、改革は終わらない。
俺達の行動は、ただ無駄なだけで終わる……。どうする? どうすればいい?
全身全霊を頭に込めて、考える。
今もなお必死に話し続けている高坂の喧しい声を止めるために――思考する。めまぐるしく頭の中を言語、感情、映像が飛び交っていく。ここを逃せば、次はない。
燃え上がる炎と、その熱を冷まそうとする流氷が体中でひしめき合い、感情と理性が激しく衝突する。その衝撃が頭で弾け、静かな灯火を――見つける。答えを。
――人格だ。
高坂を支えている根幹を砕けばいい。
高坂が自分でも気付いていない真相を突きつければいい。ちんけなプライドを粉々にへし折って、会場全体、いや、日本中に見せつければいい。大衆が熱烈に支持していた男の末路を赤裸々にしてやればいい。
が、下手をすれば自分に返ってくる。禁じ手を使う以上、少しの動揺が敗北に向かう。失敗は許されない。だが、これしかない、方法は――。
だったら、やるしかない。
腹に空気を溜め、静かに吐き出す。最後の覚悟を決め、俺は口を開いた。
「――お前、怖いんだろ」
そう言った瞬間、高坂の言葉がピタリと止んだ。
何を、と高坂は口にした。こいつの目をしっかり見据えながら、慎重に言葉を続けた。
「お前は典型的な支配者なんだよ、高坂。誰も信じられなくなって、全てを知ろうとする。自分で秩序を崩壊させておきながら、その事実に直面できない無能」
言葉を続ける。
「だから、盗聴をし、全校生徒を監視しようとする。自分の見えないところで何が起きているか分からないことが怖いんだろ。自分が全てだ、自分が正しい、と内心思っているからこそ、この僕が知らないことはプライドが許さない」
高坂の顔が僅かに歪んだが、俺は気にせず言葉を続ける。
叩け!
「こんなに特別な僕が知らないことなんてあるはずはない。僕より劣っている人間が、自分の知らない仕組みを知っているのが許せない! だって、僕が一番優れているんだからな! だから、複雑な仕組みを解き、壊し、単純なものに直そうとする。全てを共通のものとし、自分だけが勝てるようにする!」
叩け! 粉々に叩け!
「お前がやってんのは、お前が毛嫌いしているやつらと同じなんだよ。いけ好かなく、つまんねえ見栄だけを持っている馬鹿なジジイや厚かましいババアどもと同じだ。好き放題わがままに周りを薙ぎ倒していきながら、全ての責任を他人に転嫁させる。単なる猿真似なんだよ、お前のやってることは! お前は特別な人間じゃない!」
高坂の表情が急激に変わった。顔面に張り付いていた膜が一気に弾け、高坂の薄汚い感情が露呈する。今まで見せなかった鬼のような憎悪を見せた。本気で俺に憎しみを見せ、その態度を隠そうとしない。
そこに表面的な爽快感は現れていなかった。
「そんなことはあるはずはない! 僕は、この学校を建て直すために、人にはできないことをやり続けているんだ!」
高坂が声を荒げた。
だが、叩く。叩いて、叩いて、叩く。ひたすら叩く。
強靭な岩盤を必死に崩す。中に眠っている泥をもっと掘り出すために。
崩れろ!
「いや、お前は支配者ですらないかもな。だって誰もができることをあたかも苦労しているかのように振舞っているだけだからな。敵を叩いて、叩いて、叩いて、自分の感情を荒ぶらせているだけだ。そこに守るべきものは何もない。だから楽でいいけどよ、俺はお前みたいになりたくない。だって――お前は空っぽだからな! 高坂! お前みたいな薄っぺらな人間に惹かれはしねえんだよ!」
バキっと鈍く、それでいて、大きな音がした。
正面に広がっている木製の机が歪んでいる。高坂の手の甲が赤く燃え上がっていた。
まだだ。崩せ。
プライドの高いお前だ。こんな屈辱無いだろう。俺みたいな凡人にいいように批難されてるんだ。黙っていられるはずが無い。だから、見せてみろ。
「困難な状況に立ち向かっている自分が心底愛らしいんだろう、お前は! 分かりやすい外敵を潰しまわって、快楽を貪る。ガキみたいな奴だよ、精神年齢が遥か昔で止まったままだ! 最も楽な生き方を選んだ温室育ちのお坊ちゃんに、中身なんてあるはずないだろ、高坂!」
心底恥ずかしいものを見るような視線を与える。筋の通った鼻梁。その鼻っ柱を粉々に砕き、毒の篭った膿を吐き出せ。泥に塗れろ。高坂!
お前の本性を見せろ。土俵に上がって来い。本性を隠し通せると思うなよ。
この世の中はそんなに甘くない。来い! ぶつけて来い! お前の本音をさらけ出せ!
「ふざけるな! 僕は特別な人間だ! お前とは違う! お前が僕になろうなんておこがましいんだよ! ……そうだ、お前なんか逃げ出したじゃないか! 青沼がぼこぼこにされているのを尻目に逃げたじゃないか! お前みたいな臆病者とは違って、僕は必死に戦っているんだ! お前みたいな凡人とは違うんだよ!」
泥が弾け、地中から濁った大量の泥水と化し、辺りに飛び散る。今まで締め付けられていた反動で一気に膨れ上がり、火山の噴火のような勢いで会場全体を荒らし回る。猛毒が吹き出てくる。だから応えなければならない。
「確かにそうだな。俺は逃げ出した……。でも、だから気付いた。自分がとりとめのない人間だって。臆病者だって……。状況が違えば、俺だってあいつのようになっていた。だから、俺が偉そうに言う資格なんてどこにもないが、ここで逃げ出したらあいつに顔向けできないんだよ。だからこそ恥を忍んで俺はここにいる。自分が正しいのか今でも分かんないが、それでもおかしいと思うことに対しては、勇気を振り絞って発言するしかないんだよ!」
歯を食いしばり、昂ぶりを押し潰す。
高坂を真正面から直視した。俺の存在を抹消するかのように、心底憎らしく思っていることをぶつけるように、顔が大きく歪んでいた。
もはやそこに秩序はなかった。
「綺麗事を言うんじゃない! 認めろよ! 慌てふためいて、惨めな姿を俺に見せろよ! お前なんてそんなもんだろうが! 無能の癖に俺に歯向かうな! H組のように、他の連中のように、馬鹿な姿を俺に見せろ! 俺に偉そうな口を叩くんじゃねえ! 俺はお前らと違って特別なんだよ!」
――高坂の叫びが会場に広がった。全身全霊を込めた言葉だった。
だが、高坂は気付いていなかった。あの喧騒はとっくに消えうせ、会場が静まり返っていることに。もう誰もお前を支持していないことに。援護はない。
はっとした顔で高坂は顔を小刻みに動かした。忘却の彼方にある意識が現実に戻ったようだ。だが、もう遅い。その当惑を隠しきれない哀れな姿は、どこにでもいる単なる学生にしか見えなかった。
だから、その不均衡を正すように、俺は口を開いた。
「自分が案外大したことがないって自覚することが、歩き出すための大切な一歩なんじゃないのか……。お前には一生かかっても気付かないかもしれないがな」