15話 彼女の自殺の孤独な真実
……なんだ、こいつは。
西島智子は驚愕の表情を浮かべた。私と同様に熱狂していた生徒達も、喫驚しているのが分かる。こいつは、単に目立ちたいがためにこんな討論を申し込んだんじゃなかったのか? こんなあからさまな敵意を示して生徒会に歯向かってきた人間はいなかった。
しかも高坂会長の発言を利用した。その上、野次を飛ばしていた生徒に動じることもなく、無理やりやり込めてしまった。
完全なアドリブであんな主張ができるのか? 本を暗記して発言できる内容ではなかった……。信じられない。
「――な、なるほど。え~と、ま、まとめると、急激な改革は失敗するということですね。確かに、この学校の改革は急速に進められた面はあると思います。それについて、生徒会側で反論はありますか?」
この異様な雰囲気を慌てて取り持つように西園寺さんが口を開いた。
でも、ちょっと待って。こんな反論をされるとは思っていなかったから心の準備ができていない。発言する気は微塵もないけれども、他の二人はどうか不安になってしまう。特に高坂会長がこんな反論をされた姿は見たことがなかったので、冷静に対応できるのだろうか? いくら高坂会長が優秀だといっても、絶対ということはないのだから。
心がざわつき、ちらっと高坂会長を一瞥すると――表情に変化はなかった。
それどころか、笑っている?
「なるほど。急激な改革は失敗をもたらす、ですか。確かにその危惧もあるでしょう。分かります。しかし、考えてみてください。この改革でなければ、学校は改善されなかった。二つの事件が兄弟高校で生じ、先生方、生徒達、学校全体が大混乱に満ちていた。それは、今までの学校教育の弊害から起こった面は否めないと思います。そうした状況を正すためにも、学校の改革は必要不可欠だったと考えています」
高坂会長がそこで間を取ると、息を吹き返すかのように、会場から「そうだ!」という声が上がった。うん、と頷きながら、高坂会長は言葉を続ける。
「きっかけは不幸な出来事でした。しかし、あの出来事がなければ改革を行おうとする声は上がらなかったでしょう。教育機関にも関わらず、日本を貶める言動で日本人の誇りを奪おうとする教師陣。事なかれ主義に徹する教育委員会。そんな既得権益集団による裏からの圧力が、学校を悪化させていったのです。だから、あの時でなければ改革はできなかった。時期を逃せば、このまま衰退するだけだったのです――そうは思いませんか!」
高坂会長が最後に語気を強めると、拳を握る生徒が見えた。真っ向から攻撃してきた反論をすっぱりと断ち切った技量はみごとだ、という顔で頷く生徒も見えた。どこか討論の内容というよりも、討論の様子自体に喜んでいるように見える。あくまで、自分達は蚊帳の外という姿勢を崩していないが、感情は私達と一体になっているのだろう。
「その改革が正しいとは限らないでしょう」再度、白崎が反論すると、高坂会長は余裕の表情で対応した。
「学校は閉鎖空間とよく言われます。教師と生徒という限定された人間しかその中に入ることができない。もちろん、学校である以上当たり前の話なのですが、閉鎖されすぎることは隠蔽することも容易になります。例えば、いじめの問題ですね。学校が閉じられているが故に、いじめが発覚しにくく、発覚したとしても隠蔽するのが容易です。閉じられた空間故に、いじめられている生徒自身も冷静な判断ができなくなります。外部と接触できませんからね。つまり、人や情報が分断されてしまうのです。だからこそ、学校全体を開放させることは間違いなく良い方向に向かいます」
そう言って、マイクを静かに置いた。
白崎は渋面を作って腕を組んだ。
――凄い。さすがだ。
私だったら、的確に反論できなかっただろう。あんなに強い口調で言われたら、冷静さを失ってしまう。たとえあらかじめ答えを用意していたとしても、あんなに綺麗に受け流すのは絶対に無理だ。
私が高坂会長の勇姿に惚れ惚れしていると、今度は「文芸部の方からの反論はありますか?」と、西園寺さんが言った。それに渋々応えるように、再度、白崎がマイクを持った。
「いじめと改革は高坂会長の主張とずれていると思いますが。この改革の当初は、沢登という生徒の自殺から決意したと会長は言っていました。しかし、皆さんもご存知のとおり、沢登さんはいじめが原因で自殺したわけではなかった。遺書にも残っているように毎日が退屈だから死を決意したと書かれています。だとすると論点を逸らしているのではないでしょうか?」
そう言って手のひらを高坂会長に向け、答えを促した。その急かすような仕草に苛立ちが表れていた。
白崎とは対照的に、高坂会長はゆっくり頷いてマイクを持つ。
「もちろん、沢登さんの死はいじめから生じたものではないことは存じております。いじめの表現は、あくまでそういう側面があるという一般論で申し上げたまでです。そして、沢登さんの件は、再三申し上げたことだから、説明いたさなかっただけです。ただ、今回はテレビ中継が入っているとのことで、まだ私の主張について知らない方もいることを失念していたことも事実です――失礼いたしました」
そこで高坂会長は恭しく頭を下げた。しかし、そのまま発言権を譲らなかった。
「退屈という言葉はどうしてくるのでしょうか? それは規則に縛られている面が強いからです。皆さんも想像してください。過保護な親の下で育った子供が自立した人生を歩むことができるのでしょうか? 今まで自分で考えることもせず、ただひたすら親の言うことを聞くだけだった子どもが自分の足で立って厳しい社会を歩むことができるのでしょうか? 僕は出来ないと思います……。そしてそれならまだいいです。問題なのは、自分の足で歩く力を持っていながら、既存の規則に縛られて、行く道を阻まれている人たちです。そして、沢登さんもその人間の一人だと思います。だから『退屈』という表現を彼女は使った。規制に縛られて動けないから! だとすると、沢登さんを死に導いたのは、凝り固まった規制なのではないでしょうか! そのために自由を求め、改革を進めることは絶対に必要だった!」
高坂会長はそう熱弁した後、頬を一瞬膨らませて大きく息を吐いた。
――と、その言葉が終わるのを待っていたかのように、会場から一人の生徒が立ち上がった。体格がよく、半袖から見える腕毛が、遠くからでも分かる。
何だ、と多くの観衆の注目を集めたところで、その男は、皆にアピールするように拍手をした。さあ、お前らも、という目で顔を左右に動かしている。その顔に全くの戸惑いはなかった。
最初は戸惑っていたのかもしれないが――その自信に応じるように拍手が各地で上がり始め、大きな音に変わった。シャッター音が再び響き渡る。これは――。
まるで、もう勝利を決めた瞬間のような祝福の嵐が巻き起こった。万雷の拍手だ。私達を心から肯定するように、皆の笑顔が輝いている。
だから、高揚感が私を襲ってきた。こんな興奮を間近で感じられるなんて、昔は知らなかった。思わず顔が綻んでしまう。
そんな私に高坂会長はゆっくりと顔を向け、にっこりと笑った。「大丈夫だよ」と、優しげな眼差しは言っていた。
――本当に凄い。高坂会長は凄すぎる!
一時は静寂に包まれた会場を一気に盛り上げてしまった。しかも、動揺一つみせることなく。
これが高坂会長なんだ。本当に誇らしい気分になってしまう。優越感が体からぽつぽつと沸き起こり、会場を見渡す余裕が僅かに生まれた。そのため、文芸部の二人がどんな表情をしているのか見てみたい。
これが私達の会長だ! あなた達のところの不機嫌そうな平凡な男子とは違う!
そう思い、ゆっくりと向かい合う席に目を向けた時、一人の生徒がマイクを持つのが見えた。
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手のひらに汗が滲む。
さすがに高坂会長といったところですね。簡単に流れを戻されてしまった。
白崎さんの開口一番の挑発に乗ってくることはなかった。そこで綻びが出れば、つけ入る隙もあったはずだけど、上手くかわされてしまった。
動揺一つ見せない姿は見事だったが、それはこの会場ということも関係しているんだろう。生徒の中に高坂会長の信者と呼んでもよい人間が少なからず入っているために、高坂会長の発言を盛り上げ、会場の雰囲気を誘導している。その安心感があるからこそ、高坂会長も冷静に発言できるのだろう。
私で大丈夫だろうか? そう思ったら、心臓がどきっと高鳴った。
生徒会側と違って、少しの隙は、即、失言に繋がる。私のような味方がいない人間が、会場全体を敵に回してまで、冷静に主張することができるのだろうか?
今まで逃げてばかりいたつけが回ってきた。こんな大舞台での経験なんか当然ない。白崎さんの前ではいつも強がっていたけれども、内心は甘えていたことに、恥ずかしさを感じてしまう。憎まれ口を叩きながら、不安な気持ちを消そうとしていただけであった。
間違いなく白崎さんは私のそんな気持ちに気付いている。でも気付きながらも、むしろ進んで道化を演じ、私を包み込んでくれた。そんな何気ない気遣いに、本当に心が安らいだ。
――だからこそ、私も応えたい。私にとって一番大事な文芸部の一員として、助けたい。
絶対に私にしかできないことがあるのだから!
「――高坂会長に反論します」
そう言って、大きく息を吸い込んだ。
思った以上にマイクを通して声が広がる。鼓動がどんどん早くなる。
その驚きが、他の人達に伝染したように、私の一言で会場が静まった。特に私を知っている同級生からは信じられない声の張りに聞こえるのだろう。
大量の視線が向けらたのを感じた。体が強張り、震えそうになる。目線を合わせただけで、私が壊れてしまうかもしれない。そう思ってしまい、顔も動かせない。
急に不安が大きくなる。でも、顔を背けようと目線を少し動かすと――目に入った。
――白崎さんが。
そこには弱気な感情はない。いつも通りの捻くれた表情をしながら、僅かに顔を下に向けていた。他の人はきっと勘違いするだろう。深刻そうな表情なのだが、そのままくだらない冗談を言いそうな余裕があることが私には分かった。
――白崎さんらしいと感じた。
無意識に、もう片方に首を動かすと、明石さんが頷きながら笑った気がした。「まかせた!」と元気よく励ましてくれたように感じる。子どもが悪戯をするかのような無邪気な表情は、ここが敵陣だということを微塵とも感じさせない。
本当に羨ましい。こんな素敵な顔ができるなんて。こっちまで楽しくなってきてしまうほどの魅力ある女性だ。
大丈夫だ。この二人がいるんだ。何が起こっても私を助けてくれる。
だからこそ、私も頑張らないといけない!
「私は、中川かなでと申します。私のことを知らない人がほとんどだと思いますが、どうぞ、よろしくお願いします。――私みたいなのがどうしてこの討論に、と思われている方はたくさんいらっしゃると思いますが、でも、私はこの討論でどうしても訴えたいと願っていました」
そこで一息つく。緊張で頭が一杯だったけど、大丈夫。声はちゃんと出る。
「私はこの学校が改革された後に入学しましたが、私の姉は改革以前の学校しか知りません。その理由は簡単で、私の姉は死んでしまったからです。本当に簡単に、呆気なく、殺害されてしまいました――姉の名前は、中川静と言います」
――その瞬間、会場にざわめきが広がった。
生徒達だけじゃない。報道陣が獲物を捕らえるような好奇心に満ちた表情でカメラを向けた。動物園の珍獣のようだ。何かおもしろいことをしないか、失言や突飛な行動をしないか、皆が期待している。
……気にしない。こうなることを狙ったんだから!
「私は姉が好きでした。自慢の姉でした。おっとりしてるけど、優しくて、いつも笑っていました。姉と話していると、とても楽しかったです。だから姉が死んだ時は、信じられなかったです。本当に何もできなくて、毎日が、ただ過ぎていきました。だから、兄弟高校の改革なんて言われても全然興味はありませんでした」
その時、「興味がないなら発言しないほうがいいんじゃないか!」と野次が上がった。
その言葉にどっと会場が沸いた。マスコミの人たちが私の表情を逃すまいとシャッターを切った音が聞こえた。少しでも気を緩めると、涙が出てきそうだ。
でも大丈夫。まだやれる。
「……でも、私を助けてくれた人がいました。信じられないけれども、こんな私を包み込んでくれた人がいました。姉を失って自暴自棄になっていた私を温かく励ましてくれた人がいました。その時、初めて分かりました……大切なことが」
私は平静を装いながら言葉を続ける。
「エミール・デュルケムという社会学者がいます。自殺論という本を書いたことで有名な方です。この本は、私の感情をそのまま説明していましたので本当に驚きました……。そのため、是非、皆さんに聞いてもらいたいと思いまして、この場で、その内容――そして、私の考えを述べさせてもらえればと思います」
拳を緩め、掌中に溜まった汗を開放する。落ち着いて話せばいい。
「要約すると、次のようになります。都市部と田舎では都市部のほうが自殺が多い。既婚者と未婚者では未婚者のほうが自殺が多い。軍人とそれ以外の人ではそれ以外の人のほうが自殺が多い。カトリックとプロテスタントではプロテスタントのほうが自殺が多い……こうした統計を積み重ねる中で、デュルケム氏は一つの結論を導き出しました」
そこで一呼吸置く。会場が少し静まった気がする。
「それは、人は集団に属さないと自殺しやすいということです。デュルケム氏は自立した『個』がよいとは決して言っておらず、共同体の一員ではないと個は不安になり、自殺に追い込まれると結論を出しました。つまり、人は孤立すると自殺を起こしやすくなるということです」
会場から音が消えた。誰もいない風景に私だけが溶け込んでいる。
「……沢登さんの自殺も同じだったのではないでしょうか? 決して束縛された状態が自殺を導いたのではなく――むしろ逆だったのではないでしょうか! これは私達が調べた限りですが、彼女は部活にも課外のサークルにも属さず、友人も少なかったそうです。つまり何かを友人と共同で行うことはなかった。社会に属すことができず、自分が何者か分からなくなってしまったとは考えられないでしょうか? だって自由すぎて何をすればよいか分からなくなったから……」
会場の空気を読む。私の視界には誰も映っていないが、確かに感じる。
――決して不快ではない。
「本人に直接聞いた訳ではないので、断言はできませんが、少なくとも私の場合はそうでした……。私は友人が少なく、唯一気を許せる相手は姉しかいませんでした。だからいつも優しく笑っているお姉ちゃんと毎日――本当に毎日、色んなことを話していました。取りとめのない会話だったけれども、こんな時間がずっと続くんだと思っていました」
油断していると、声が詰まりそうになる。必死に顔を堪える。
だって、私は話さなければならないのだから。
「……でも、そんな姉がいなくなってしまい、私は完全に孤立してしまいました。頼れる友人がいなかった私にとって、人と接する機会がなくなってしまいました……。私の世界は消えてしまったのです」
息を呑む音が聞こえた。ゆっくりと眠っていた目線を前に向ける。野次を飛ばしていた生徒が見えた。大きく目を見開いている。
「自由とはそれほどよいものなのでしょうか? 行き過ぎた自由は秩序の崩壊をもたらします。特に、私のような未熟な人間が、『自分で何でもやりなさい』と言われても、何をしたらよいか分からなくなってしまいます。認めたくはないですけれども、私はとても弱く、何でも自分でできるような人間じゃないです。……でも、ほんの少しでいいから、些細なきっかけがいいから――そんな時に助けてくれる人がいたから、私は前を向けました。大切な人ができたから、生きようと思いました」
そう言って、横に座っている二人を一瞥する。最後まで堂々と伝えなければ。
「決して自由や競争を否定するわけではありません。でも、私達のような不完全な若者を解放し過ぎると、孤立し、不安になり、感情が不安的になってしまうと思います……。だから大切なのは、人を孤立させるのではなく、共に歩みながら社会を作っていこうとする態度そのものではないのでしょうか! その優しささえあれば――私達は何とか生きられると思います」
そう言って、マイクを置いた。ことり、と小さな音が響いた。厚みのある音が、私の体に残った。とても怖かったが、辺りの様子を伺うために一瞬だけ会場を見渡す。
会場の雰囲気が違っていることが分かった。嫌な視線が消え、皆が考え込んでいるように見えた。
……私はやれたのだろうか?
ゆっくりと両隣の二人を見ると、微笑んでいるのがはっきりと分かった。最後まで頑張ったな、と言ってくれている気がした。その顔を見られただけで、私の心は光で満たされた。
――と、声が聞こえた。
目線を声のほうに向けると、真っ黒な肌をした人が口を開いていた。まるで話が届いていないかのように、私を見ていなかった。
その鈍い声は、まるでやすりを指で撫で回したような、ざらざらとした感触だった。
「それはそうだけれども、競争は大事なんじゃないか?」
その人物、山崎遼副会長は、腕を組みながら言った。マイクを使わなくても体育館の後ろまで届くんじゃないかと思うほど、野太い声だった。ちょっと怖いと感じたが、きちんと反論しなければと思い、口を開いた。
「ええ、競争自体を否定するわけではありませんが、そのバランスのことを言っているのです。行き過ぎた自由は……」
「いや、それは分かるけど、努力を怠っている人間は他人の足を引っ張る面もあるだろ」
私の発言に被せるようにして、副会長は反論した。そして、私の言葉を気にも留めることなく、言葉を続ける。
「俺もテニスやってるから心底痛感してるんだよね。テニスってさ、一人ではできないでしょ。だから、必ず相手がいないと練習ができない。周りが上手くなきゃ上達しないんだよ」
そう言って、洒落た外国人のような仕草で右手を上げた。
「だから、周りが下手だと練習にならないの。そもそもラリーすらまともにできない奴だと、こっちはボールさえ打てない。真面目にやってるんなら話は分かるけど、適当に部活に来てへらへらボールを打っている奴とやると、白けるんだよね。だから、真面目に頑張る人間を伸ばす改革は必要だと思うけど。そこんとこはどうなの?」
そう得意げに山崎副会長は言った。ふざけた態度だが、真摯に反論しなければいけない。
「確かに真面目に部活をしない生徒は問題かとは思いますけれども、ちょっと私が伝えたいことと違うのではとは思います。私が伝えたいのは、教育の義務を撤廃し過ぎると問題が起きるのではないかと懸念しているのであって、競争自体を……」
「同じだよ。本当に練習を一生懸命して下手なら同情も沸くけど、徒に足を引っ張る人間は淘汰されても仕方ないだろ。下手なやつらと勝ち抜きのラリーをしてると、俺がいつまでも残ってしまって気まずくなるだろ。俺も、そいつらも、みんなが!」
また、横やりを入れられた。人の話を聞く気はないのか? 最後の『が』を強調して発音していたが、その大きく開いた目と口は、とても醜く見える。
「……いや、そいつらが嫌な目に合うなら分かるけどよ、何で俺まで居心地悪くならなきゃいけねえんだって話だよ」
でも、私のそんな思いも感じ取ってくれることもなく、山崎副会長は鼻で笑いながら言葉を続けた。自分の意見を全く疑っていない。
気弱なお前には分かんねえだろうな、そう聞こえた。ぶつぶつと暗い自分語りをしてんじゃねえよ、とその顔が言っていることに気付いた。
思わず、羞恥心から顔が赤くなってしまう。
「おい、それ自分がテニス上手いアピールか~」一人の男子生徒が声を上げた。ふざけた口調で「ちげ~から。俺は競争の大切さを言ってんの!」笑いながら山崎副会長が応えると、最初に発言した生徒の周りから笑い声が起きる。
手をぺらぺらと振りながら、山崎副会長は発言を止めなかった。
――でも、誰を追い払っているのだろう。
「とにかく、俺は真面目に頑張る人間が阻害される環境は間違っているんだと思うんだよね。学校のテニス部だと物足りないから、テニススクールに通っているけど、一生懸命取り組む奴らが増えれば、活気は出るし、部活も楽しくなると思うぜ」
そう言って、爽やかに笑った。最初とは打って変わるように、小気味よく話す。本人は意識しているのか不明だが、そのギャップは、発言を観客に印象づけた。
「……いや、真面目に取り組むのは分かりますけど、それなら、皆で協力できるようにするべきじゃないでしょうか? 個人個人がバラバラになると、特に団体競技で勝てなくなると思いますし!」
口調を強くして発言する。口を挟ませないように頑張って声を張った。
でも、そんな私の試みを無駄にするかのように、より一層、山崎副会長は声を張り上げた。
「それは綺麗ごとだよ! 一生懸命取り組む人間が増えれば、周りも頑張ろうとするでしょ。やる気のない奴に合わせて練習すれば、みんな下手になっちゃう!」
そう言って、先ほど騒いでいた集団に向かってガッツポーズをする。
そのふざけた態度に、また別な集団から歓声が上がる。「りょうく~ん、ガンバ!」と甘ったるい声を上げて、手を取り合ってきゃーと騒いでいる。
――厄介な相手だ。真剣に話しても全く効果がない。
いや、効果がなくなってしまったといったほうが正しい。深刻な雰囲気を壊すには、おちゃらけるしかない。うまく冗談を交えながら話せば、本来の目的を逸らすことだって可能だ。
山崎副会長はふざけた態度を取っているが、愛嬌があるのであまり不快な気分が起きないのだろう。爽やかな笑顔で堂々と主張されると、どうしても気が引けてしまう。
さらに悪いことに、その態度ゆえに、真面目に話そうとすればするほど私がむきになっているような印象を与えてしまう。そしてペースに乗せられて、どんどん論点がずれていく。
「確かに中川さんが言うことも分かるよ。でも、この改革があったからこそ、学校は活気溢れるものに変わったんだよ。これはどこの学校でもできない大きな取り組みでしょ! それを否定するなんて、ちょっとおかしい~んじゃないの?」
いつのまにか頬杖をついている。そのいい加減な態度にイラついてしまう。
この人、真剣に議論する姿勢があるのだろうか!
「真面目に答えて下さい! この学校の是非について話し合っているんですよ。そんな態度で言われても説得力はありません」
私がそれ以上ないぐらい大声を出すと、この人はポリポリと頭を掻いた。
本当に癪に障る。
「これでも真面目に話しているんだけどなあ。う~ん、……ああそうだ。それと一つ質問いい?」
「……質問?」
「そう。中川さんってさ~、大切な人がいたから生きられたって言ってたけどさあ……それって、横の二人ってこと?」
そう言われて、ドキッとした。言葉に出すのは気恥ずかしく、あまりしたくなかったが、沈黙もしたくなかった。仕方なく「そうですけど……」と答える。
だけど、その答えを聞いて山崎副会長は――嫌な笑みを浮かべた。
「じゃあ、あまり説得力ないんじゃない? 横の明石さんはともかく――白崎君ねえ~。彼、あまり良くない噂あるじゃない。友人を見捨てる人間がねえ~。先ほども偉そうなこと言っていたけど、学校の改革なんて大事なことを言う資格があるの? 友達の喧嘩も止めずに、逃げ出した人物が!」
目を大きく見開いて、山崎福会長はそう叫んだ。完全に会場を煽る意図は明らかだった。
だって、顎を上げながら私を見下す目線が訴えていたから。お前なんかと一緒にいる奴なんてろくな人間じゃないんだよ、と。
俺と違ってな、と。
そんな悪意のある声に応じるように、「あの白崎って奴、逃げ出したからH組の奴にボコボコにされたんだぜ!」と、会場から声が上がった。
次々に「え~、うそ~」と大げさな声が至るところで沸き起こった。
怒りと恥ずかしさで顔が真っ赤になる。こんな軽薄な人間に言い返せないことも悔しかったが、一番は、白崎さんが侮辱されていることが許せなかった。しかも、こんな馬鹿な人間に言われるなんて。この馬鹿が勝ち誇っているのが許せなかった。
なんでこんな馬鹿が。
ああ、そういえば、馬鹿は論破できないって白崎さんが言っていたっけ……本当だ。
こんな人間にむきになった時点で私の負けだった。あんなに白崎さんに言われていたのに乗せられてしまった。一生懸命頑張ろうとしたのに――私は失敗しちゃった。
二人の役に立とうとしたのに。
――悔しい。なんでこんな奴に。
いつのまにか、頬に一筋の涙が零れた。ここで泣いたら駄目だって分かっているのに、体が勝手に反応していた。……でも、誰も同情してくれないだろう。
「泣けば許されるんじゃないぞ!」大きな声が聞こえた。
「泣いて同情を引く気かい。これだから卑怯な奴は!」別の声が聞こえた。
本当に情けない。とてもじゃないが、会場を見れなくなり、ちらっと山崎副会長を一瞥してしまった。
でも、やはりという言うべきか、そこには醜悪な顔があった。
僕の勝ちだね、と満面の笑みで言っているようだった。それは、学校の代表の一人である副会長とは思えないほど、ひどく不快な顔だった。
何でこんな人間が何で持て囃されるんだろう。全然理解できない……。
でも、そんなことよりも、私は取り返しのつかないことをしてしまった。
ごめんなさい。折角の機会を台無しにしてしまった。なんでこんなに私は弱いんだろう。なんで何にもできないんだろう。白崎さん、明石さん、ごめんなさい。全てを壊してしまって……。
もう消えてしまいたい。
「――いいかげんにしなさいよ!」
でも、そこで透き通るような声が上がった。
私はどこかで期待していたのかもしれない。必ず、この心地よい声を私の耳に届けてくれるのを。絶対に私の元に駆けつけてくれるのを待っていた。
それは、力強く吹きながらも、とても優しく体に染み込む、虹色に輝く風であった。