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閉ざされた学園  作者: 西部止
3章 反撃
12/20

12話 疑心暗鬼

 久しぶりに校舎はどこか眩しく見えた。

 開放された校門は、誰をも歓迎しているように感じるが、俺が入っていいのか分からなかった。自然と制服のポケットに手を突っ込む。

 少しの躊躇いの後、門を静かにくぐる。今は午後の授業が終わる時だ。白崎に会いに来たのだが、果たして真面目に学校に通っているのだろうか?

 いや、それにしても――。  

 普通、授業中は静かなものである。学生特有の騒がしさが影を潜め、外側から眺めると違和感がある。そんな特異な時間である。

 しかし、今日は様子が違う。久しぶりに学校に来たから、感覚を忘れてしまった、という訳ではないだろう。校舎に近づくにつれ、喧騒な雰囲気になっていくのは明らかだった。

 ――どういうことだ?

 怪訝な顔をして校舎中に入ると――中は、また異様な様子だった。教師が廊下を慌しく走り回り、教室内からも騒ぎ声が出ていた。授業中にも関わらず、出歩いている生徒もちらほら見える。

 何が何だか分からずに、とりあえず辺りを歩くことにする。

 と、その時、一人の見知った奴に出会った。

 そいつ、加藤雄介は、俺を見て「青沼じゃん」と、声を掛けてきた。目が細く、こけた頬は、お世辞にも面がいいとは言えない。だが、自然に声を掛けられた以上に、その相貌だからこそ、今までの不安がふっと消えた。

 すぐに不安は好奇心に入れ替わり、「何があった?」と口にする。

「あったも何も大事件だぜ。もう大乱闘でパニック状態!」加藤は大げさな身振りで言った。が、その顔には悲壮感がなかった。

 だから、その昂ぶりに応えるように、「大乱闘?」と俺が語尾を上げて答えると、一段と興奮した顔で加藤は言った。


「そう、A組とH組の男子が大喧嘩をして、今大混乱中!」


 ――事の発端はこうだった。本来であれば、兄弟高校の体育は二クラス合同で行うことになっており、A・B組、C・D組、E・F組、G・H組の4つに分かれていた。副教科の選択制の導入により、体育の授業は強制ではなかったが、やはり体育は、男子生徒にとって人気の高い教科であるため、ほとんどの男子生徒は選択していた。

 ただ、今日だけは特別だった。B組が株式市場見学として、一日、課外授業となっていたため、本日に限り、A・H組が合同で体育を行うことになったそうだ。例外的な組み合わせであったため、無難にサッカーを行うことになったそうだが、徐々に軋轢が生じた。

 原因は、点を取るたびにH組の一人がA組を煽ったことらしい。学力の劣等感を晴らそうとしたのか、H組の他の奴らもそいつに続き、露骨なファールを連発し、どんどん険悪な雰囲気になったそうだ。H組に対抗し、A組も同様のことを始めて――場は荒れた。

 後は結果の通りだ。檻を破った猛獣のように、数十人単位の大乱闘が始まって止まらなかった。当然ただでは済まない。けが人が続発し、現在、学校全体が大騒ぎになっている。

「今、H組の奴らが生徒会室に行っているそうだぜ。俺も行くところなんだけど」加藤が興奮気味に言った。一瞬、どうするか逡巡したが、付き添うことにする。実際の状況が未だによく分からないが、大勢がパニックに陥っている状況は、俺の心を落ち着かせた。

 

 生徒会室の前はH組の生徒で溢れていた。

 いや、H組だけじゃない。他の組の奴らも結構いる。ドアの前で「おい! 出て来いや、高坂!」と叫びながら、木製の扉を蹴っている。蝶番が僅かに揺れ、その脆さを浮き出している。他の組の奴らは、止めることなく興味津々に成り行きを見守っているだけだ。

「いや~、すげ~な。教室で待機してろって言われているのに、結構な人数がいるな」

 加藤は暢気な声を上げていたが、俺の内心も同じだった。上にいる奴が落ちることほど喜びを感じることはない。今まで、俺を蔑んでいた奴が地に落ちる姿を想像し、思わず頬が緩む。

 だからか。その衝動を抑えることができずに、自然と扉の前に近づいた。

 すると、H組の一人が俺を見て、声を上げた。

「青沼じゃん! ちょ~いいタイミング! 今高坂を倒すところ」

 ドアの前に立っていた奴らが一斉に振り向く。一瞬、戸惑ったが、そいつの声に呼応するように次々に声が上がった。

「まじで~、青沼! 絶好の時に来たな!」

「お前も恨みがあるだろ、A組に! 今、ボコボコにしたところでな。次は生徒会だぜ」

 H組の奴らは皆興奮し、声を上ずらせていた。その様子は、草食動物に群がる肉食獣のようだったが、俺にとっては嬉しかった。不満が溜まっていたのは俺だけじゃない。その一体感が俺の感情も高ぶらせた。


 ――と、その時、ゆっくりとドアが開いた。

 そこから一人の男が出てきた。今までの熱気が嘘だったかのように一瞬辺りが静まり返った。堂々と顔を覗かせ、スルリと廊下に出てくる様子は、俺より遥かに上に見えた。

「何の用ですか?」

 そう口を開いた。

 寒気を感じさせる凍えた声に一瞬躊躇した。黒さだけが浮き出た眼球に、感情が浮かんでいない。小気味悪さだけが、目に残る。

 だが、どうやら他の奴らも同じだったようで、誰も口を開かない。思わず、唾を飲み込む。

 が、意を決したように、一人のリーダー格、御子柴竜太が荒げた声を出した。

「どうもこうも、お前のせいで俺達の学校生活は最悪だ! 周りからは劣等生の烙印を押されて生きてる身にもなってみろよ!」

 不安を吹き飛ばすかのように声を張り上げる。内心はどうか分からないが、体格も相まって凄みが出ている。こんな大声で言われたら、普通はビクつく。

「特段、劣等生と呼んではいませんが……。それに悔しければ努力し、上を目指せばいいだけでしょう。そうすれば誰も劣等生の烙印は押しませんよ」

「そういうことを言ってんじゃねえよ。お前が気に入らねんだよ!」

「話の趣旨がずれていますが……。だから、H組と言われるんじゃないんですか」

 高坂はたじろがなかった。それどころか、狡猾な狐のように、目を細めながら煽ろうとさえしている。……自分の立場が分かっていないのか?

 当然ながら、御子柴の表情は険しくなった。「てめえ…」そう言って、ゆっくり息を吐く。

 すぐに殴りかかろうとするのが分かった。御子柴の体が動き――咄嗟に俺は体を掴んだ。「離せ!」と俺の腕の中で騒ぐが、俺は御子柴の体を開放しなかった。いや、自分でも何で掴んだのか分からない。臆病風に吹かれてなどいないのに……

 だが、その時、高坂の顔が曇った気がした。なぜだ? 助かったはずなのに……

 やはり、何かが変だ。殴っちゃいけない気がする。再度「落ち着け」と怒鳴り、そいつの体を両手で羽交い絞めにする。その様子を高坂は気に入らなさそうに、見下ろしていた。

「誰かと思ったら……青沼君でしたよね。謹慎は解けたんですよね」

 急に声を掛けられ、咄嗟に顔を上げる。微笑んでいるのだが、どこか不気味である。だが、同時に気が強くなりもした。高坂が俺を知っていることに驚いたが、むしろ高坂みたいな奴に知られていることがプライドを刺激した。

「まあな」

 なるべく悪そうに顔を作りながら、高坂の言葉に答える。

 しかし、高坂は俺に関心を見せる素振りを即座に消して、鼻で笑った。

「今度は気をつけて下さいね。次はないと思いますから」

 手玉に取られたように感じた。俺の感情を見透かし、見たくない表情を作られた。お前なんかとは同格ではない。そう言われた気がした。

「なんだ、その態度は!」と、後ろから声が上がる。敵意は高坂に向かう。

「あなた達も気をつけたほうがいいですよ。ここで暴力を振るったら、後戻りはできないですからね」

「何言ってんだ! お前が偉そうなこと言ってんじゃねえ!」

 後ろから雪崩のように言葉が膨れ上がり、体が押される。皆の視線は高坂に向かっている。

 助かった。今の俺の様子をこいつらに見られた幻滅される。

 さりげなく顔を隠しながら、ちらりと高坂を見ると、愉快なものを見ているかのように笑っていた。完全にこいつらも俺も馬鹿にしている。そんな感情がありありと出ていた。

 ――潰してやる。

 急速に憎しみが高まっていく。潔癖なくらい磨き上げたであろう、その汚れのない肌を引きちぎって、薄汚い面を取り出してやる。小奇麗な仮面を剥がして、泥に塗れた表情を取り出してやる。

 お前に笑われる資格はない!


「――やめろ」


 だが、俺達が高坂に殴りかかろうとするその瞬間、大きな声が廊下に響き渡った。

 誰だ? 俺だけじゃなく、皆が声のあったほうを振り向いた。

 そこに奴がいた。息を切らせながら、こちらを睨みつけるその姿は、俺の知っている人物とは思えなかった。

「ここで殴れば、高坂の思うつぼだ」

 真剣な表情を浮かべながら、その男、白崎立也は、高坂を見据えながらそう発言した。意外な奴が現れ、俺も、こいつらも動きを止めた。

「どういうことだ?」

 H組の新井が、困惑した顔でそう言うと、白崎は続けた。

「今の現状は高坂にとっても不都合なんだよ。H組の乱闘で、生徒会にも影響が出ないはずがない。間違いなく、学校改革による不祥事だからな」

 白崎はそう言うと、一層強く高坂を睨みつけた。その強い目は、明らかにここにいる奴らとは違っていた。熱気に包まれた空間を気にも留めない、鋭い表情だった。ただ、一点だけに焦点を当てている。

 しかし、高坂は、そんな白崎の姿に動じた様子がなかった。

「誰かと思ったら、今度は白崎君ですか。先ほどは、随分なご挨拶でしたね。僕達の生徒会に対する抗議をしたかと思ったら、今度は僕を悪者扱いですか」

 口元を曲げながら高坂は言った。対する白崎も「被害妄想だな」と、鼻を鳴らしながら答えた。

 俺の知っている白崎じゃない。こんな余裕綽々と会話をする姿を見たことはなかった。つまらなそうに、気だるげに喋る記憶しかない。ああ。ふん。なるほど。そんな言葉と態度だった。

 急に焦燥感が湧き、白崎がどこか遠くに行ってしまったように感じた。

「そんな演技は止めたほうがいいですよ。まったく、悪者はどっちなんですかね。狙ったようにこんな事件が発生するとなると、誰か首謀者がいると疑わないんですか……ねえ――白崎君」

 そこで、白崎は、はっとした表情を出した。

 ――どういうことだ?

 白崎の表情の変化を見て、高坂はにんまりと笑う。

「皆さんも聞いてください。私達は今日の朝に、白崎君から『公開討論』の要求を受けました。生徒会へのやり方への抗議として! しかし、その直後、このような事件が起こりました。……これは偶然なんですかね」

 公開討論? 白崎は一体何をやっているんだ? ますます理解が遠くなった。白崎は、生徒会と対決するってことなのか? とてもじゃないが、あの白崎の行動とは思えなかった。

 しかし、今の高坂の言葉は見過ごせない。高坂の発言の意図は、明らかに白崎が事件を起こしたと言っている。となると、H組は利用されたことになる。

「違う。俺が関与できるわけがないだろ。体育に参加もしていない」

 白崎は必死に否定するが、その言い訳は苦しい。時期が出来すぎている。こんな大事件が、ここぞとばかり起こるのだろうか? いや、しかし――。

 高坂の態度も胡散臭さが漂っているのも事実だ。心底、H組を小馬鹿にした態度に、信頼を置くことなどできない。

 ――どっちが本当なんだ?

「どういうことなんだ、白崎?」

 新井が混乱した様子で言う。他の奴らも戸惑っている様子だ。 

「言葉のとおりですよ。白崎君が君達を煽って乱闘させた。……誰かにラフプレーをするように事前に命令しておけばいいだけですからね」

 そう言って、高坂は余計に口の端を吊り上げた。対照的に白崎の顔に影が差す。高坂が一歩踏み出したように錯覚する。

 徐々に白崎が追い詰められていく様子になっている。先ほどまで高坂に向いていた無数の足先が白崎に向いている。じりじりと目線で白崎にプレッシャーをかけ、隙あらば飛びつこうとしているように見えた。

 

「いいかげんなことを言わないで!」


 と、そこで、声が上がった。圧迫された空気に潰されることなく、強い瞳を高坂に向けている姿に迷いはなかった。

「みんな、騙されないで! そいつは、全て憶測で言っているのよ。だって、白崎がみんなを煽る理由なんてないんだから!」

 凛とした声が一直線に向かってくる。先ほどまであった重苦しい空気が急速に引いていき、皆の視線を自然と集めていた。その女の風貌は、明らかに他の奴らと違っていた。

「……でもよ、こんな偶然なんてねえんじゃねえの」

 その姿に気後れしたのか、少し落ち着いた声で御子柴が言った。一方、その女は、動じることなく、被せるように反論した。

「違うわ。偶然だから利用したのよ。考えてみて、白崎はD組よ。A組ともH組とも全く関係ない。しかも友人が少ない奴だから、生徒会のメンバーと知り合いですらない。そんな奴がなんでこんな事件起こすの?」

「それは……確かに」

「それにあんた達やばいわよ。このまま高坂に殴りかかったら、スケープゴートにされる。自分の不祥事を転嫁するために罪を被せられるわよ!」

「えっ」と御子柴は声を出した。鋭く睨みつけていた眼光が、一瞬にして動揺に変わる。完全に無意識だろうが、その不安を解消しようと顔を左右に動かし、周りの奴らの様子を伺った。

 だが、周りの奴らも困惑しているだけであった。

 だから、その気まずさを誤魔化すかのように、御子柴は「でも、そいつをぶっ潰さないと俺の気は収まらねえんだ」と呟いた。

 しかし、その女は即座に首を横に振った。

「残念ながらそれもできない。だって――ここに高坂翼の信者達が待機しているから」

 そこで、初めて高坂の顔色が変わった。

 一瞬だけではあったが、目を見開き、眉間にしわを寄せた。「何を根拠に」と言葉にはしたが――返答が早い。その口調には僅かな動揺が見られた。

 辺りで「まじかよ!」と声が上がる。皆が顔を見合わせ、どこにその信者がいるのか表情を鋭くしたのが分かった。

 辺りが静まり返った。高坂は何も言わない。これは――。

 疑心暗鬼になってもおかしくないこの状況であった。それぐらい皆が混乱していた。

 しかし、今の空気は明らかにこの女の言葉に傾いていた。なぜか?

 それは間違いなく、この女の存在自体が大きいからであろう。H組と対立関係にあるA組の人間が自分達を守ろうとしていることだけでも十分なのに、真っ直ぐに心に響く言葉と態度は、嘘とは到底思えないものだった。

 明石瞳。その姿を見ると、複雑な気分になる。明るく、活発な性格で、男女わけ隔てなく話せる人間だった。勉強、運動、全てに秀でていて、男子生徒からの人気は高かったが、決して女子生徒からの評判も悪くない。さっぱりした性格であったため、下手な嫉妬を買うことないし、うまく関係を保つ処世術も持っていた。

 そんな彼女は、俺にとっても心惹かれる要素は十分だった。いや、もう憧れに近い。何か神聖なものを見ているようで、俺が手を伸ばしても届きそうになかった。

 明石が言っているのだから間違いないのだろう。理屈は関係なく、高坂と明石のどちらを信じるかと問われれば、確実に明石を選ぶ。そして、それは他のH組の奴らも同じだろう。いくら高坂が支持されてようが、それは揺るがない。

 だから、勝負は既に決まろうとしていた。

 でも、だから、なおさら許せなかった。明石がここに現れたことには驚いたが、現れたこと自体が許せなかった。

 いや、違う。あいつの側に現れたから許せなかっただけだ。白崎の隣に立っているのが許せなかっただけだ。徐々に俺の中の炎が燃え上がり始め、白崎を殺したいほどの衝動に駆られる。

 なんでお前がそこにいる。俺と同類のお前が並んでいい相手じゃないだろ。俺なんかを見捨てたお前が、明石の側にいる資格なんてないだろうが!

 脳みそを掻き毟りたい衝動に駆られる。

 また同時に、泣き崩れそうになった。明石が白崎を見る瞳から目を背けたかったが、どうしても目が離れない。胃が逆流し、喉下に嘔吐物に近い不快な物質が溜まっていくようだった。

 ――どうして。止めてくれ。なんでそんな目をするんだよ。そんな最低な奴を。胸が突き刺されたように痛む。ますます胃が逆流して吐きそうになる。

 ――だから、本気で殺意が湧く。何とかして白崎を殺したいと感情が溜まっていく。

 殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。体内に溜まった汚物を、鋭利な刃に転換させる。

 どす黒い感情が体を支配していくように感じた。その黒い霧に体を預け、自己を忘却させる。全てを忘れ、ただこの感情のままに任せたい。

 何かないか。白崎を潰す方法は。何か――何かないか? あいつを潰せれば何でもいいから!

 必死に考える。そのことだけを考える。それだけできれば何もいらないから……


 ――瞬間、視界が闇黒に覆われた。


 ――あった。とっておきの方法が!


「うるせえ! どっちが悪いなんてどうでもいい。高坂も気に入らないし白崎も気に入らねえ! どっちも屑に決まっているだろうが!」


 怒りを込め、俺は精一杯叫んだ。場の空気を何とかして変えようと、必死に表情を強張らせた。体を揺らし、目を据わらせて、本気で感情を高ぶらせる。こいつらが引くほど、憎しみを込める。

「だいたい停学になったのも、お前のせいじゃねえか! お前だよ、白崎! 高坂! 何いい子ちゃん面してんだよ! 偽善者ども!」

 突然の俺の叫びに、H組の奴らも驚いている。目を見開き、ただ俺を凝視する。

 明石が一瞬怯んだのが見えた…………困惑の表情を浮かべていた。

 なんで俺をそんな目で見るんだよ! 頬が痙攣し、泣き崩れそうになる。

 だが、もう後戻りはできない。

「結局、お前らのせいで、俺はこうなったんだよ! 停学も、蔑みの目も、全部お前らのせいだ! 何で俺だけこんな目に合わなきゃいけねえんだよ! てめえも一緒に堕ちやがれ!」

 誰もが動けない中でいる中、自分の動きだけはいやに鋭敏に感じた。視界がゆっくり動きながら、高坂に殴りかかる。「やめて!」と明石が叫んだのが聞こえた。白崎が一瞬目に入ったが、目を大きく見開き、驚愕の表情を浮かべていた。

 ――ははっ、その顔が見たかったんだよ。いつもいけ好かない面をした仮面を破りたかったんだよ! ざまあみろ、卑怯者!

 ――お前も予想外だっただろ。俺がここにいたことは。人生なんてうまくいかないなんて実感できただろ!

 ――だから、お前だけ明石と一緒にいようなんて思うなよ。

 俺は白崎が気付くように、精一杯憎しみを込めて汚い笑みを作った。


 水中で動くかのように、ゆっくりと時を感じた。

 高坂に無理やり殴りかかったが、寸前で腕で防御される。そのひ弱な腕で防がれたことに苛立ちが増した。

 もう一発、もう一発だ。何度も拳を振り上げる。こいつを何とかして痛めつけたい。俺の全てを壊したこいつを何とかして死ぬほど後悔させなきゃ気が治まらない。夢中で腕を動かす。まだだ。

 だが、何度も殴っているところで背後から大きな力が俺を引きずり出した。いいところで邪魔すんな、とありったけの憎しみを込めて振り向くと、下種な笑みを浮かべた奴らが、俺を羽交い絞めにしようと襲い掛かってきた。

 ――いや待て。俺だけじゃない。H組全員が押さえつけられている。

 おい、そいつらは殴りかかってねえだろ。言葉にしようとするが、地面に顔面が押し潰されて、うまく言葉にできない。蒸気した顔が冷たい廊下にのめり込む。

 ――結局、こうなるのか。

 悪意に塗れた顔面は地面で圧迫されていたが、確かに俺は笑っていた。


「高坂会長、大丈夫ですか……本当にH組は駄目ですね」


 そいつらは、そう言って笑った。





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