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第九話

 勇者達が買い物を済ませてから三日後。勇者はマタリの体力、精神力が完全に回復したと判断した。

 パンをスープにつけながら、勇者が探索再開を告げる。


「アンタの身体、もう完全に治ったみたいだからそろそろ迷宮行く?」

「ようやくですか! 私は、もっと前から大丈夫だって言い続けてたじゃないですか!」

「食事中は静かにしなさい」

「あ、す、すいません」


 大声を上げてしまったマタリが小さくなる。顔を赤くしながら周囲に頭を下げ始める。

 勇者はパンを食べ終えると、店員を呼びつける。


「ねぇ、マスターに言って林檎の果実酒貰ってきて。グラス一杯分で良いから」

「かしこまりました」

「あ、蜂蜜をいれてね。言えば分かるわ」


 店員が会釈して立ち去っていく。果実酒は勇者が先日キープしておいたものだ。マスターお手製で中々の上物だった。


「迷宮に行く前にお酒ですか?」


 とはいえ果実酒の一杯くらいなら酔いつぶれることはないので、マタリもそれ以上咎めることはしない。

 お代わりは全力で止めるつもりでいるが。


「ちょっと身体が重い気がするから景気付けにね。私、林檎の果実酒に蜂蜜を入れたのが好きなのよ。なんでかしら」


「なんで好きなんだろうと聞かれても。美味しいからじゃないですか?」


 勇者は店員からグラスを受け取ると、軽く香りを楽しむ。

 そして果実酒を一気に飲み干した。


「甘すぎるのは苦手なんだけどね。まぁいいや。美味しければ良いし」

「そんな甘そうなの良く一口でいけますね」

「酸味と甘味が調和して程よい美味しさになってるのよ。栄養も抜群」


 マタリが丁寧に切り分けた肉を口に放り入れる。


「そうはんへすか」

「口の中の物を消化してから喋れ」


 勇者が睨みつけると、マタリは更に小さくなった。

 

 三十分ほどで朝食を食べ終えると、二人は自室に戻り探索準備を整える。完全に武装すると、階段を下りて客で賑わう極楽亭を後にしようとした。

 その時、入り口あたりで見知った声に呼び止められる。


「勇者ちゃん、ちょっとお願いがあるんだけどー」

「…………」

「勇者ちゃーん、お願いがあるんだけどー!」


 勇者は聞こえないフリをしてみるが、更に声を大きくして呼びかけてくる。


「……どうしようか。きっと面倒なことよ」

「立ち止まった時点でもう選択することは出来ないかと。……受けるかはともかく、聞くしかないのでは」

「そうよね。すごく面倒臭そうだけど聞くぐらいは仕方ないわよね」

「はい、残念ですが仕方ありません」

「二人とも全部聞こえてるんだけどー。超楽チンで簡単に儲かっちゃう、超美味い話が来てるのに。ひどいわよもう」


 語尾の延びた頭の悪そうな声で、怒ったフリをする茶髪の女。極楽亭でよろず業務を担当しているリモンシーという女だ。

 派手な化粧と男を挑発するような衣装を身に着けているが、酒場の業務担当ではないらしい。

 勇者とマタリは既に面識があり、お近づきの印とカチコチに固まったパンをプレゼントされた。

 顔はしまりのない人の良さそうな笑みを浮かべているが、目は本気で笑っていない。勇者は腹に一物抱えた喰えない女という認識を抱いている。


「美味しい話は知らないけど、死ぬ程硬いパンの話なら知ってるわ」

「あれは間違えちゃったのよ。本当よー。勇者ちゃん、私を信じて」


 両手を合わせて謝罪してみせるリモンシー。その弱々しい姿に騙されてはいけない。

 間違えたといいながら、結局パンの交換をしないのがリモンシーという女だ。恐らく仕舞い込んでおいたパンの処分に困り、捨てるのも勿体ないので目に付いた人間に配ったのだろう。他の客も顔を顰めながらパンに齧りついていたのだから。


「で、お願いって何よ」


 リモンシーの話術に嵌る前に、勇者はとっとと用件を聞く事にした。


「えっとね。この人の護衛をお願いしたいのよ。魔術師さんなんだけど」

「……おい。こんな駆け出しっぽい人間を僕に紹介する気か」

「貴方にはお似合いの二人よー。今売り出し中の期待の新人さんなんだから」

「他の酒場を周ることにする」

「別に帰ってもいいけどー、紹介金は置いてってね。うちも慈善事業じゃないのよ」


 黒装束と黒マント、黒帽子を身に着けた若い男が立ち去ろうとすると、リモンシーが呼び止める。

 男は溜息を吐くと、杖をイラついた様子で何度か突く。


「ならばまともな人間を紹介してくれ。最低でも肉壁程度にはなってもらわんと困る」

「それなら尚更この二人が良いわよー。なにせ、あの、サルバドを討ち取った超凄い実績持ちだからね!」


 リモンシーが声高らかに宣言する。周囲の人間の視線が嫌でも集ってくる。

 勇者は案の定面倒臭いことになったと後悔した。マタリは視線を逸らしている。


「……この二人が?」

「そうよー。売り出し中で超お買い得。ただし仮許可証だから乱暴なのは駄目よ?」


 猫撫で声で色目を使うリモンシー。勇者は思わず鳥肌が立った。


「ならばこいつらで良い。僕には時間があまりないのでね」


 男が金をリモンシーに渡すと、勇者達に振り返る。リモンシーが笑顔を浮かべる。


「はいありがとうー。じゃ勇者ちゃん達、この人の護衛お願いね。ああ、大丈夫よー。仮許可証で入れる三時間程度だから。場所も七階で超近いからねー。もう超楽勝ね」


「……私は受けるとは一言も言ってないんだけど。ねぇマタリ」

「え、ええ。何が何やらさっぱり」

「それじゃあ今から話すからよーく聞いてねー」

「話は簡単だ。僕が七階でスライム相手にある実験を行なう。その間、お前達は肉壁となって僕の背後を守るんだ。道中の魔物は僕が全部始末するから問題ない。魔法が使えないお前達でも出来る仕事だろう。僕の実験が終わったらお前達は死んでも構わない訳だし」


 男が偉そうに見下してきたので、勇者の機嫌が即座に悪くなる。


「なんか話し方が腹が立つわね」

「回りくどい言い方が嫌いでね。本来はこんな実験も必要ないのだが、最後の置き土産として完璧を期する事にしたんだ。というわけでさっさと行こう。三時間も拘束されるとは非常に気分が悪い」

「気分が悪いのはこっちよ。偉そうに。一人で行けばいいじゃない」

「まぁまぁ、勇者ちゃん。付き添うだけでお金ももらえるし、何だか良く分からない実験も見れるし、ここは一発引き受けてみましょうよ」


 リモンシーが他人事のように勇者を宥める。紹介金を貰った時点で、既に他人事なのだった。


「マタリ、どうしたい?」

「そ、そうですね。スライムは手強そうなので、できれば一回は見ておきたいです」

「じゃあ引き受けましょうか。どうせ三時間の我慢よ。死ぬほど胸糞悪そうな三時間だけど、死ぬ気で我慢しましょう」

「僕の名前はノルマン。魔術師だ。ああ、お前達は名乗らなくて良い。覚えるつもりもないし、たった三時間の付き合いだ。肉壁との馴れ合いなど僕には不要。それでは行こうか」


 言うだけ言うと、ノルマンはさっさと極楽亭を出て地下迷宮へと向かい始める。

 勇者とマタリは呆然とそれを見送った。リモンシーは既に別の客の相手をしている。


「……やっぱり立ち止まるのは失敗だったと思わない?」

「……強くそう思います」





「上層部は相変わらず他愛がない。ネズミばかりじゃないか。こんなことだから中層部で未熟な馬鹿があっさり死ぬんだ」


 ノルマンがネズミの群れを氷結魔法で一掃すると、呆れたように呟く。

 現在位置は地下迷宮七階。ネズミがほどんどだが、初見の毒蚯蚓、吸血蝙蝠も一回だけ出現した。

 残念ながら、勇者とマタリが攻撃を仕掛ける前に、ノルマンが魔法詠唱を終えて始末してしまったが。


「いないんだから仕方ないじゃない」

「肉壁は自ら言葉を発しなくて良い。僕の指示に従っていろ」

「す、すいません」

「…………」


 発言していないマタリが勇者の代わりに謝罪する。

 勇者が必ず背中を蹴飛ばしてやると決意したその時。

 勇者達の前方に鋭利な爪を持った兎が飛び出てきた。目は赤く充血しており、体毛も灰色である。

 特徴的なのは右手の爪。その爪だけがナイフの様に飛び出しているのだ。

 リズムを刻むように飛び跳ね、飛び掛る隙を窺い始めている。


「こいつは首狩兎だ。肉壁は一枚僕の前方に出ろ。背後にも一枚。こいつらの得意な戦法は、背後からの奇襲だ。それがわざわざ前に出てきたという事は、後ろに何匹か隠れているはず。最大限に警戒しろ」

「マタリ、アンタが前。私は後ろの殺してくるわ。曲がり角に三匹いるから」

「は、はい!」


 マタリがノルマンを庇うように前へと進み出る。ノルマンが気だるそうに詠唱を開始。

 勇者は安物の剣を抜き放ち、曲がり角目掛けて走り始めた。


『キシャアアアアアアアアッ!』


 奇声をあげて、首狩兎がマタリの首筋目掛けて飛び掛る。マタリは新調したばかりの盾で受け止める。衝撃はそれほどではない。

 剣を兎目掛けて突き出すと、馬鹿にしたような素振りで回避。そのまま更に盾目掛けて連撃を加えて来る。

 威力が徐々に上がっている。盾が叩きつけられた勢いで左右に揺れ動く。


「――待たせたな。『氷結弾』」


 調子に乗って爪を走らせていた首狩兎の顔面に、氷の礫が炸裂する。礫はそのまま貫通すると、石壁に当たって砕け散った。

 首狩兎が前のめりに崩れ落ちる。痙攣しているが、絶命しているのは間違いない。


「お、お見事」

「そいつの抽出部位はその爪だ。刈り取るなら好きにして良い。僕にはもう必要ないものだ」

「は、はい、ありがとうございます!」


 マタリは狙いをつけると、剣を振り下ろして爪を腕の部分から切り取る。部位を皮袋に入れると、血糊を振り払った。


「あの馬鹿で鈍そうな肉壁はどうした。背後を守れといったはずだが」

「三匹いるから殺してくるって言ってました」

「……まぁ肉壁が死のうが僕にはどうでもいいがな」


 ノルマンが先に進む指示を下そうとした時、勇者がだるそうに歩いてきた。剣には哀れな兎が三匹ほど突き刺さっている。

 頭部、胴体、頭部がそれぞれ串刺しとなり、奇妙な肉団子となっている。


「ちょっと時間が掛かったわ。二匹ぶっ殺したらいきなり逃げ出すんだもの」

「ど、どういう戦いをしたらそうなるんですか?」

「引きつけてグサリよ。攻撃する瞬間が一番隙が出来るからね。これが一番楽なのよ。最後のは逃げてるところを狙い澄ましてぶん投げた」

「お、お見事です」

「…………」


 ノルマンは奇妙なものを見るような目で勇者を眺める。首狩兎は俊敏で、駆け出しの戦士が最も苦戦する相手だ。三匹まとめて相手となると、熟練でも嫌な顔をするだろう。先程の如く、固められて連続攻撃を叩き込まれてしまう。それを短時間で始末するのは至難の業だ。


「これどこ切り取れば良いの?」

「あ、爪だそうです。ちょっと待ってくださいね」


 マタリが手際良く肉団子を外して爪を切りとって行く。


「このクソ兎食べれると思う? マスターにお土産で持っていこうか」


 勇者が屈んで爪のなくなった兎を剣で突く。普通の兎肉ならば食用として重用される。


「止めた方が良いですよ。この兎何を食べてるか分からないし、なんかお腹壊しそうですし」

「やっぱりそう思う? 魔物は駄目ね。腹の足しにもなりやしない」


 もともと、全く食べる気のなかった勇者は、どうでも良さそうに立ち上がった。

 ノルマンは嘆息すると、先に進むとだけ告げて一人で歩き始めた。

 

 地下七階、下り階段とは全く別方向へと進んでいくノルマン。設置されている灯りも途切れがちになり、薄暗さが増している。

 魔物の姿は全く見えなくなった。代わりに湿度が増して、妙に蒸し暑い。通路の壁も苔が至る所に生じている。

 勇者はあちーと呟いて手で顔を扇ぎ始める。マタリは手ぬぐいで汗を拭う。

 やがて一行は行き止まりにたどり着く。

 そこには半透明で緑色の粘液が天井から壁一面まで覆っており、毒々しい色の水泡が途切れる事無く発生していた。

 緑色の液体が特に集中している箇所には、人間の腐乱死体がある。冒険者のようだが、外見ではもはや判断がつかない。

 スライムにより殺害された後、ゆっくりと時間を掛けて捕食されているのだ。

 この近辺には迷宮の掃除屋のネズミすら近寄らない。人間、魔物の区別なく襲い掛かってくるからだ。


「ここが実験の場所だ。スライムが発生しやすい危険な場所だが、稀に魔素結晶が落ちている。それを撒き餌としてスライムは獲物を待ち受けているのさ。こいつらは動きが鈍いから、基本的には待ち伏せ型だ」


 ノルマンが革袋を下ろし、実験の準備を始める。スライムは特に反応する事無く捕食を続けている。時折、何かが蒸発するような不気味な音が聞こえる。


「こ、これを相手にするんですか? ひ、引き返しませんか?」


 マタリが後ずさりする。勇者はその肩を掴んで引き寄せるとノルマンに問いかける。


「ここまで来て逃げてどうするのよ。ねぇ、あれぶっ殺して良い?」

「待て。これから実験を始める。肉壁一枚は先程のように僕の前に立て。もう一枚は背後だ。挟み撃ちだけは避けなければならない」

「わ、私が前に立つんですか!? あ、あの、い、嫌、なんですけど」

「見ておきたいと言ったのはアンタじゃないの。近くで存分に見る絶好の機会よ」

「も、もう十分に見たので満足です。他の場所にいきましょう! あ、あんな風に食べられるのだけはちょっと」


 捕食されている死体を視界に入れてしまったマタリの顔が青ざめる。新調した耐魔鎧が泣いていると勇者は呆れた。


「仕方ないわね、今回だけよ? ……なんて甘い言葉は掛けないわよ。アンタが前。私が後ろ。ほら、さっさと立て!」

「わ、分かりましたから押さないで! ちょ、ちょっと近い! 近いです!」

「しっかりと盾を構えろ! 目を逸らさない!」

「は、はい、分かりました!」


 マタリが腰を落として盾を構える。勇者はノルマンの背後に立って奇襲に備える。スライムの気配にも注意を払っている。

 スライムは完全にこちらの動きを注視している。捕食に夢中になっているように見えるが、殺気までは隠せない。


「で、肝心の実験はまだ?」

「これより試作魔道弾の実験を開始する」


 ノルマンが告げると、手にした小さな球体をスライム目掛けて投げつける。攻撃を受けたと判断したスライムが天井、床、石壁から前衛のマタリ目掛けて一気に飛び掛る。

 驚愕したマタリが悲鳴を上げると同時に、ノルマンが指を鳴らす。

 球体が弾けると、煙と共に凄まじい冷気が生じる。スライムは飛び掛った状態で完全に凍結してしまった。冷気は死体にまで波及し氷漬けにしてしまっている。

 それらは奇妙な彫像のようでもあり、最前列にいるマタリは呆然とするほかなかった。


「実験終了。試作魔道弾は威力、起爆共に問題なしだ。スライムの完全凍結、及び殲滅に成功した」


 懐から手帳を取り出すと、呟きながら実験結果について記入していくノルマン。

 マタリは深い溜息を吐いて座り込む。勇者はまだ戦闘態勢を解いていない。


「こんな凄いものがあるなら先に言ってください。こ、心の準備って物が」

「肉壁が実験内容について知る必要は全くない。説明する時間が無駄だ。フン、三時間も必要なかったな。早速撤収するぞ」


 ノルマンが言い捨てると、マタリは顔を引き攣らせながらも引き下がった。

 勇者が剣を鞘に納める。


「ねぇ、ひよっこ黒帽子さん。アンタさ、詰めが甘いとかよく言われない?」

「……なんのことだ。それにひよっこ黒帽子とはどういう意味だ」


 ムッとした表情で手帳を閉じるノルマン。


「黒い帽子だから黒帽子。ひよっこはそのままよ。アンタが迂闊に背中を見せた瞬間、その氷付けは飛び掛ってくるわよ」

「何を馬鹿なことを。完全に死んでるじゃないか」

「じゃあ試しに顔を近づけてみたら? さぞかし綺麗なお顔になるんじゃないかしら」


 勇者の挑発にノルマンが良いだろうと返す。

 無警戒に凍結した彫像に近づいた瞬間、氷の塊が緑色の光を発する。一部分が赤く禍々しい怪光を放つ。スライムの核だ。これが光っているということは。


「ば、馬鹿なッ!」


 ――スライムはまだ生きている。ノルマンに緑の液体が襲い掛かる。瞬間、勇者はノルマンを思い切り横に蹴り飛ばす。


「うげッ」

「邪魔だからどいてろ、ひよっこ黒帽子」


 攻撃を回避されたスライムが石床でどろりと広がり始める。赤い光が消え、再び核の場所が分からなくなる。目測で適当に剣を突き入れると、スライムの魔硫酸により溶かされてしまう。放っておけば再び態勢を整えて飛び掛ってくる。強敵とされる所以はこの特性にある。

 勇者は手を無造作に緑色の液体へと突っ込む。スライムの魔硫酸が勇者の手を焼き、皮を溶かし、血管が剥き出しになり、肉を削ぎ落とす。骨が露出しはじめていく。それでも気にする事無く、液体の中を掻き混ぜながら探っていく。


「ゆ、勇者さん何してるんですか! 早く抜いてください! と、溶けてますよ!」

「あーあったあった。ちょっと待ってなさい」


 勇者は半分融解している手で、スライムの核を引き抜き握りつぶした。その衝撃でふやけていた肉や皮が混ざり合い、血が滴り落ちる。スライムの緑色だった液体は、黒に変色し、やがて蒸発して完全に消えてなくなった。残ったのは哀れな犠牲者の残骸だけである。


「……肉壁のやることは非常に理解に苦しむね。自傷願望でもあるのか? その有様では治癒術師とて」

「ほ、包帯巻かないと! そ、それに、薬草はどこ!? いや、その前にやっぱり包帯包帯!」


 マタリが物凄い速度で包帯を剥がして勇者の手に巻こうとする。乱暴に巻きつけるので全く傷を覆えていない。

 勇者は苦笑するとマタリを宥める。


「慌てないで、マタリ。ちょっと手拭貸しなさい」

「手拭なんて駄目です! とにかく包帯です! 直ぐに薬草を潰すのでちょっと待ってください!」

「あー、まぁ包帯でも良いわ。こうしてぐるぐるっと巻いて」


 勇者が手品でもするかのように指を鳴らす。青白い光りが重傷を負った右手を包み込んでいく。包帯を解いていくと、何ら異常のない無傷の右手が現れた。ノルマンもそれには驚いたらしく息を呑んでいる。


「お前、治癒術師だったのか? しかもそんな高等な……。いや、そこまでの重傷を即時に治せるはずが」

「勇者は凄いから何でも出来るのよ。ひよっことは違うって訳」

「……ふむ、現に治っているな。鈍そうな見掛けに寄らず、相当の技量持ちということか?」

「え、、む、無傷? どうなってるんですか?」


 包帯に塗れたマタリが疑問の声を上げる。


「アンタの包帯のおかげかもね。ありがとう、マタリ」

「もう痛くないんですか?」

「慣れれば痛みなんてどうにでもなるのよ」

「……そうなんですか?」

「そうよ。勇者はどうでも良い嘘をつかないからね」


 マタリの隣に座り込む勇者。ノルマンも無言でその場に屈む。死体を一瞥すると、勇者に向き直る。


「先程は助かったよ。しかもそこまで高度な治癒術を扱えるとは。良ければ名前を――」

「お前に名乗る名前なんてないわよ、ひよっこ黒帽子」


 舌を出しながら嫌なこったいと拒否する勇者。ノルマンは鼻を鳴らして苦笑する。


「フン、では最後まで肉壁と黒帽子で通そうじゃないか。どうせ後一時間程度だ」

「だってさマタリ。やっぱりコイツ腹立つわよね。アンタも一回蹴りいれてきて良いわよ。魔法が使えない奴を見下す癖があるみたいだし。私が許す」

「え、わ、私は遠慮しておきます。魔法撃たれたら嫌ですし」

「詠唱する前にぶん殴れば良いのよ。ひよっこ魔術師なんてこの拳で一撃ね」


 勇者が拳を握り締めると、そこにノルマンが何かを投げつけてくる。勇者が反射的に受け取ると、銀貨一枚だった。


「先に報酬を渡しておくよ。本当は銅貨三百だったんだが、色をつけておいた」

「それはどーも」


 勇者のどうでも良さそうな返答に、ノルマンも鼻を鳴らしてそっぽを向く。

 通路を警戒しつつ、三人は無言で座り込む。勇者とマタリは時間になれば自動的に地上へと転送される。ノルマンは転移石を用いればすぐにでも脱出できたが、そうはしなかった。


「……今回の実験は、魔術師の負担の軽減が目的だった」

「マタリ、肉壁相手に黒帽子が話し始めたわよ。どうする?」

「ど、どうしたらいいんでしょう? 肉壁は口を聞くなと言われましたし」

「これは独り言だ。聞こうが聞くまいが好きにしろ」


 ノルマンが睨みつけると、勇者はフフンと笑みを浮かべる。


「じゃ、私は寝てるから、魔物が来たら起こしてね」

「え、ええっ?」

「魔術師は、魔素を体内に取り込み、魔力に変換する事で魔法の行使を可能とする。だから、魔素の生じている地下迷宮では魔法が使い放題だ。だが、その代償として多くの魔術師が病んでいくんだ」


 魔術師はその火力が絶大なことから、迷宮探索においては引く手数多である。それ故、魔法行使は必須であり、否が応にも乱発する羽目になる。酷い場合は、魔素ポーションを濫用してまで。

 自らの実力を把握できている熟練の魔術師は計算しながら行使する。それでも少なくない人数が魔素に犯され、身体、あるいは精神を病んでしまう。

 廃人となったギルド員を間近で見たノルマンは、この状況を何とか出来ないかと研究を開始した。より効果的な中和剤開発にも携わった。

 そして、最後に完成させたのがこの試作魔道弾である。魔術師が魔力を篭め、使用者の起爆合図と共に発動する武器。魔術師の魔法使用回数を削減すると同時に、魔法を扱えないものでも火力を備えることが出来るというものだ。

 火力については実験済みで、今回は属性魔法の発動実験だった。


「これらの魔道兵器が実用化されれば、僕達魔術師の負担は確実に減る。そして魔術師がいなければ製造は不可能なのだから、不要とされることもない」

「製造で酷使されて廃人になっちゃったりして」


 勇者が茶々を入れるが、ノルマンは気にせず続ける。


「僕の最終目的はな、魔術師の犠牲をなくすことなんだ。魔法の力は軍事以外の分野で有効に活かすべきなんだ。泥臭い戦いなんか無能共にやらせとけば良い」

「ご立派な考えね」


 勇者は欠伸をしながら呟いた。良い事を言っている気もするが、やっぱり違う気がする。この男は良くも悪くも自分に正直なんだろうと思う。それにこの性格では敵の数も多いだろう。引く手数多の魔術師が、わざわざ金を出して仲介を依頼するということは、そういうことだ。

 魔法の才のない者への態度もあからさまだ。勇者が魔法を扱えると分かると、途端に態度を軟化させ饒舌になり始めた。だが魔法を扱えないマタリには見向きもしようとしない。


「類稀な魔法の才を持っているというだけで、戦いの矢面に立たされてきた。そんな馬鹿げた話はありえない。学術ギルドの連中が、対魔術師用の兵器開発に心血を注いでいるようだが、それが叶うことはなくなる。魔術師が矢面にたつことはなくなるのだから」

「魔術師って自分で望んで戦ってるんじゃないの? 迷宮探索のためにわざわざ来てるんでしょ?」

「好きでここにいる奴も多いけど、国の命令でこの街に送り込まれる者もいる。魔素に溢れた地下迷宮で命がけの修行を強要されるんだ。地上よりも効率的だから。そして無事に修行を終えた者だけが故郷へ帰る事が出来る。僕も実力を認められて、待ちわびた帰国命令が来たって訳さ」


 国家によって見出され、誘いに乗った者達はこの街でふるいに掛けられる。無事に成果を残せば帰国後に仕官の道が待っている。将来が約束されるため、この話を断る者は少ない。成長が見られなければ見放されてしまうが。

 ノルマンには大陸西方の支配者、故郷のキーランド帝国から帰国命令が下っている。戻り次第、帝国軍魔道技術部へと配属され、新兵器の開発に携わる事になるだろう。

 それ故、最後の置き土産として、試作魔道弾を魔術師ギルドへ提供しようとしたのだった。


「まぁ、何にせよ帰れるなら良いじゃない。良かったわね黒帽子」

「肉壁に褒められても嬉しくはないけどな。――さて、そろそろ時間か」


 ノルマンが立ち上がり、転移石を取り出す。暫く考え込むと、皮袋から一つの球体を取り出し、勇者へ放り投げる。


「余ったからくれてやる。これは時間起爆型だ。紐を引っ張ってから五秒後に発動する」

「どういった風の吹き回し?」

「ただの気紛れだ。お前も精々魔法の使いすぎには気をつけることだ。病んでからでは遅いからな」

「アンタも最後の詰めには気をつけなさい。油断して気を抜く癖があるみたい」

「忠告は感謝するが、余計なお世話だ。……僕の依頼を受けてくれた事には感謝するよ。さらばだ」


 転移石を掲げると、ノルマンの身体を白い光りが包み込む。十秒ほど経過したところで、ノルマンの姿は完全に掻き消えた。

 勇者とマタリだけがその場に残される。


「いっちゃいましたね」

「魔術師って変な奴が多いわね。黒だのピンクだの。次はオレンジかしら」

「私は青が好きです!」

「別にそれはどうでもいいんだけど」


 勇者は貰った球体をしばらく眺めた後、興味なさそうにマタリへと放り投げた。


「いらないんですか?」

「私にはいらないわね。アンタが持ってた方が多分役に立つと思う。という訳で持ってなさい」

「ありがとうございます! 私でも魔法を使えるのかと思うとワクワクしますね」


 マタリは嬉しそうに自分の腰袋へとしまいこむ。勇者は壁に寄りかかると、両手を上げて大きく伸びをした。

 あのひよっこ黒帽子の研究で一番喜ぶのは、魔法を使えない者達なんだろうな、などと考えながら。



 キーランド帝国へと戻ったノルマンは寝食を忘れて研究に没頭した。そして数年後、新型魔道兵器の開発に成功する。その威力は試作段階でも絶大で、戦況を左右するほどの効果が期待された。開発責任者ノルマンの名声も高まり、更なる栄達の道が約束された。出世すれば独自の研究が許されるようになる。彼の本来の目的である、軍事以外への魔法研究の夢がようやく叶おうとしていたのだ。

 だが、最後の詰めの甘さだけは生涯治ることはなかった。

 新型魔道兵器の開発者、及び犠牲者第一号として、魔術師ノルマンの名は帝国史に記録されることとなる。

孤独なノルマンさんのお話。ギルド員からは自分たちの地位を脅かす物を作る変人として、距離を置かれてしまいました。

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