第七話
迷宮から帰還したギルド員達が集い、夜の戦士ギルドは賑わいを見せていた。
無事に生還した冒険者は、魔物を倒した証である部位を換金するのだ。換金は教会から認定を受けたギルドでしか原則許されてはいない。
その稼いだ金をもって、徒党の仲間と喜びを共にしたり、女を買いに街へ繰り出したりする。
そこまで我慢できない横着者が、ここで勝利の美酒に酔っているのだ。
戦士ギルドは酒場を改装した建物なので、普通の酒場と殆ど違いがない。今まで使っていた建物が古くなってきたので、こちらへと移転してきたのだ。異なるのは酒場の裏に訓練場があることぐらいだろうか。
酒を提供しているのは副業でやっているだけである。副業とはいえ調理人や女の注文係を雇う本格的なものだが。
勿論本業は本業で真面目に取り組んでいる。一定量の魔素を納めなければ、ギルドマスターの首が挿げ替えられてしまうのだから。
今日の本業はというと、魔素の集まりもそこそこで、ロブは上機嫌で仕事をこなしていた。酒場マスター兼ギルドマスターなのでとても忙しい。後十年もしたら副業一本に絞ろうと密かに考えているのだった。
戦士ギルドは『ゴミ箱』などと揶揄されているが、所属人数が多いため、集まる魔素量も当然多くなる。来る物拒まずで受け入れてきた結果であり、教会からのロブの評価は上々であった。
一方、出身階級や経歴で選り好みし、試験まで課すのが剣士ギルドだ。彼らは少数精鋭を謳っているが稼ぎは芳しくない。そのうちギルドマスターが変わるのは間違いないだろう。引退までに過疎ギルドを丸ごと飲み込んでやると、ロブは密かに意気込んでいた。
今晩は新人達も多く、先輩ギルド員からありがたい助言や忠告を貰っているようだ。
経験を積み、生き抜いてきた彼らの言葉は金では買えない貴重なものだ。新人達も真剣な表情で聞き入っている。
「ようロブ。今日も繁盛しているじゃないか。この様子じゃ笑いが止まらないだろう」
「ああ、副業が賑わいを見せるのもどうかとは思うがな」
「よく言うぜ! どっちが本業かわからんぜ全く」
「酒場を移転先にした俺の考えは正解だったろう?」
「先代は腰抜かしてたじゃねぇか」
「ありゃ元からだ」
古参ギルド員と軽口を叩きながら酒を提供する。本業優先なのは言うまでもない。
「ふーっ。この一杯が生きている事を実感させてくれるねぇ。生還を祝う大事な儀式だな」
「毎日やってるじゃねぇか」
「これをやらないとどうにも落ちつかなくてね。ここも酒の種類と若い女が増えれば言うことなしなんだがなぁ」
古参の男は、ギルドで換金しその場で酒を軽く飲んだ後、歓楽街に繰り出していくのが日課となっている。
退廃的な生活だが、本人は全く気にしていない。好きなように生き、運が尽きたら死ぬだけだと考えている。五十階層辺りを稼ぎ場所としているだけあって、腕の方は一流と言って良い。
五十階までが一流。七十階まで行ければ超一流。それ以降は化物である。魔素の瘴気に耐えながら戦闘をこなすなど正気の沙汰ではない。一撃離脱で狩をする手もあるが、危険度が高すぎる。他にも手がないことはないが、あまり現実的ではない。
地下百階が現状では最下層とされているが、そこまで乗り込んだ決死隊は全員魔素中毒により死亡している。証明するものは、唯一地上に戻った戦士の遺言のみだ。
「ハハッ! 若い女まで揃えるなら、酒場を本業にするさ」
「その時は是非呼んでくれ。贔屓にするからよ」
「ここを首になったらな。残念ながら、もう暫くは俺の地位は安泰だ。教会から睨まれない程度には『魔素』を提供できている。ここの酒の種類を増やすためにも、お前らにはもっと頑張ってもらわないといかん」
ロブが新しい酒を提供すると、古参の男が豪快に笑う。
「ハハッ、それなら新入りの訓練に力をいれることだ。たまにはマスター直々にな。ジャバの奴が嘆いていたぜ。なんでもかんでも俺に押し付けるなってな」
「その分の手間賃は払っているんだ。もっと喜んで欲しいもんだ。俺が腰を抜かすような逸材が転がっているかもな」
ロブが冗談を言いながら、とある少女の姿を思い出す。逸材なのかは分からないが、注目すべき人物なのは確かだった。
それにマタリ。あの娘は実戦経験を積めば大成する。その素質は十分にある。だからロブが直々に稽古をつけたのだ。
「へっ、喜べってのは難しい注文だ。馬鹿のお守りで命を落としたら洒落にならねぇ。ジャバが引率した貴族の連中、泣きながら逃げ帰ったそうじゃないか。全く根性の足りない奴等だぜ」
新人の癖にやたらと威張りちらしていた貴族の若者達。先ほど全員脱退手続きを行なった。彼らには二度と探索許可証が発行されることはない。それが規則である。
しかし、入ったその日に脱退とは戦士ギルドの中でもかなり早い。最短はロブがぶん殴って強引にやめさせた人間だ。
装備は立派だったが、実力が全く伴わないとこんなものである。そもそも、彼らは剣士ギルドを希望し、試験に落ちていやいや戦士ギルドにやってきたのだ。いなくなっても大した問題はない。
「うちのギルドは魔法の才能がない連中が集まるからな。そういった舐めた手合いがどうしても多くなる。それを底上げするのが仕事なんだがな」
ロブがやれやれと首を振りながらぼやく。
「ちげぇねえ。剣を『使える』のと、剣で『戦える』のは別物だ。そこを理解することが、駆け出しを卒業するための第一歩さ」
「それが何より難しいんだ。頭と身体で理解する前に、あの世に行ってしまう」
ギルドに所属する際、魔法の才能がある連中は確実に『魔術師』か『聖職者』ギルドを希望する。
魔法の才能は後天的に身に着けることは出来ない。『魔法の器』があることがギルド所属の条件となる。才能の有無は教会で紹介状を発行してもらう際に無料で行なってくれる。魔法を教え、扱いまで伝授してくれる為、ギルドというより学校のようでもある。
次に育ちの悪い奴等、癖の強い連中は『レンジャー』ギルドを紹介される。鍵開け、罠の取り扱い、剣術、弓術について教えてくれる。
そういった荒事に関わっていた人間が多いため、元々の技量が高い。所属条件は、ギルドマスターに認められること。ただそれだけだ。
他には先ほどの『剣士』や、魔物や迷宮についての研究を第一とする『学術』ギルドが存在する。
そして魔法の才能がなく、レンジャーにも適正がない連中。言い方を変えると、己の肉体と剣で戦うのが戦士ギルドだ。
所属条件は特になし。ここは基本的に誰でも受け入れる。
あまりにも舐めた馬鹿でもないかぎり、ロブが受け入れを拒否することはない。
剣術、戦士としての立ち回り方、連携についても請われれば教えるが、そうでなければ何もしない。毎月数十人と入れ替わるのだ。一々構っていられるほど暇ではない。
脱落する人間が最も多いのが、この『戦士』ギルドなのだから。一流と落ちこぼれの格差も大きい。
魔術師や聖職者、レンジャーと組むことが出来ない奴等は、落ちこぼれ同士で組むことしかできない。そうなれば上層部でうろうろすることしか出来ずに、やがて自分の才能に絶望することになる。
無理して地下に挑んだところで、死体になるのが関の山だ。迷宮はそんなに甘くはない。
――ロブは顎を擦りながら考える。
(あの勇者を称する小娘。あいつはどっちになるのやら。一流になる姿が全く想像できねぇ)
ロブが、現実を知り悲嘆にくれる小娘を想像していると、ギルドの扉が開かれる。
入ってきたのは、教団配布の白いローブを着た少女。自称勇者の帰還である。
「お、見ろよマスター。新入り様のお帰りだぞ。あの顔を見るに中々の稼ぎだったんじゃないか? 可愛らしい嬢ちゃんがどこまで成果を上げたか実に気になるね」
赤ら顔でガハハと豪快に笑う熟練戦士。ジャバとの諍いの件を見ていないため、特に思うところはないようだ。
あの少女は一見可愛い顔をしているので、どこまで部位を持ち帰ったかぐらいの興味だろう。
それに騙されると、ジャバのように酷い目に遭わされるのだが。
「……ああ、そうだな」
少女の実力を垣間見ているロブは、一言だけ答えた。
「なんだい、その気の抜けた返事は。興味ないのか?」
「いや、ちょっとな。勿論興味はある」
「おいおい、新人の初仕事からのご帰還だぞ。マスターならもっと景気をつけてやらないと駄目だぜ。新人は褒めて伸ばすもんだ。そうだろ?」
「お、おい。何をする気だ」
「おい野郎共、新人の嬢ちゃんの凱旋だ! 皆で盛り上げてやろうじゃないか!」
ロブの問いかけと同時に古参の男が声を張り上げると、思い思いに酒をあおっていた連中も声を上げる。
からかい半分に拍手やら賞賛の言葉を叫び、場が一気に盛り上がる。
「おお、少女戦士様のご帰還だ! 英雄の凱旋に乾杯!」
「ハハハ、ネズミ狩りの達人になれたか?」
「まさか尻尾一個ってことはないだろうな。ガハハハ!」
「いやいや、きっと十個はあるぞ。まさに驚くべき戦果だな!」
「よーし、戦乙女に乾杯だ!」
『乾杯!』
騒がしくなった場に、盛大に顔を顰める少女。ロブも騒音に思わず顔を覆う。酔っ払いは手に負えないのだ。
少女はやたらと満杯の皮袋を背負い、実に不機嫌そうな顔をしている。
仕方がないので、ロブから声を掛けることにした。
「おい、こっちだ。魔物の部位の換金は俺が受け付けている。こっちの仕事はさっさと済ませたいんでな。とっとと来い」
そう促すと、少女は軽く頷いてカウンターまでやってくる。
白いローブの下は血で染まった服を着用しているようで、鉄錆びた臭いが微かに漂い始める。
カウンター席で酒をあおっていた古参戦士が、陽気に声を掛ける。
「よう、初めての迷宮はどうだったよ。興奮しすぎてイッちまったか? それとも優しくしてくれたかい。何しろ初めてだったんだろう? ――なんてな、ハハッ!」
「……うるさいわね。疲れてるんだからあっちに行ってなさいよ」
「ワハハ、愛想がないなぁ嬢ちゃん。そんなんじゃ嫁の貰い手がないぞ。女ってやつには慎みが必要だぜ。日常生活でも、ベッドの上でもな」
厭らしく笑うと、ポンポンと少女の肩をたたき始める。また一騒動起こるかとロブは嫌な予感がしたが、少女は特に気にする様子はなかった。撫で回していたら、恐らくジャバと同じ末路だっただろうと予測する。
「この酔っ払い何とかして頂戴。ぶん殴りたくなってくるから」
「ハハハ、威勢が良くて結構! その意気だぞ!」
古参の男が上機嫌で離れると、少女が嘆息する。
「マタリはどうした。一緒だったんじゃないのか?」
ロブは、少女が一人でいることを疑問に思い率直に尋ねる。万が一があったとは考えにくいが、一応確認だ。
他の新人より、マタリに対する思い入れは強い。彼女の行く末を見守りたいという気持ちがある。
「今は極楽亭の寝室で寝てるわ。罠に掛かって軽い怪我をしちゃって。でも身体に問題はないから大丈夫よ。直ぐに良くなるから」
「……そうか。それなら良いが」
ロブが安堵のため息を吐く。上層部ならばもう迷宮に挑ませても大丈夫だと判断したのは自分。
初日で死なれるような事になったら、自己責任とはいえ目覚めが悪い。
「はい、これ。今回取ってきた“魔物”の部位よ。全部換金よろしく。疲れているから手早くお願いね」
勇者が皮袋を勢いよくテーブルに置く。言葉通り疲労が激しいらしく、顔色が青ざめている。
「初日からそんな調子で大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
「色々あったのよ。だから、ちゃっちゃと済ませてくれる?」
「分かった。それでは確認させてもらうぞ」
手早く済ませてやろうと思い、ロブが皮袋の口を開ける。
中には尻尾が満杯に詰っていた。漂う腐臭に流石のロブも顔を顰める。
血とドブの臭いが混ざり合い、凄まじいことになっている。顔を離し、皮袋を横にしてから中身を取り出していく。
初回でこれだけの尻尾を取ってくる奴は珍しい。大抵は十本程度で一旦引き帰して来る。
「いつも思うが、ネズミの臭いはたまらんな。頭にツーンと来る」
「その臭いがたまらねぇって奴もいるらしいぞ。一線を越えると癖になるそうだ。この前なんか焼いた尻尾を美味そうに咥えてやがった」
「そいつとはお友達になれそうにないな。……さて、こいつを束にしてと」
酒が不味くなるとロブは肩を竦めた後、十本単位で尻尾を纏めていく。
「しかしこりゃ中々のもんだ。ネズミったって厄介なことには変わりはないからな。初日でこれだけ取れりゃ上々。少しだけ見直したぜ、お嬢ちゃん」
「確かにな。こいつは期待できる新人が入ってきたんじゃねぇかロブ?」
「まぁ、そうだな」
不精髭の顎を撫でながら、感心した声を上げる古参の男。騒いでいたギルド員達も同様だ。
軽く見た感じでも百本はある。中々の成果であるのは間違いない。ロブも同意する。
「大したことないわよ。ただ、ちょっと重かったけど」
「そう、その重さが厄介でな。そのうちぶっ殺しても、尻尾を刈り取らなくなる。銅貨二枚じゃ割に合わないことに気がつくのさ。そうなれば、駆け出しは卒業だ。嬢ちゃんも頑張れよ」
古参の男が応援の声をかける。先輩として、見守る気持ちぐらいは持っているらしい。
ロブは尻尾を数え終えると、ギルドの功績表に記録する。
「今回はネズミの尻尾が百十個だ。これはマタリとの共同成果ということで構わないな?」
「ええ、問題ないわ」
「宜しい。それでは記録させてもらった。これが報酬だ。しっかりと配分するようにな。……初回にしては中々だ。これからも精進して、ギルドに貢献してくれることを期待する」
こうして回収された魔物の部位は、雇っている鑑定士の手によって抽出作業が行われる。
抽出した魔素を教会に納める事が、各ギルドに課せられた基本業務ということである。他にも評価対象となる項目はあるのだが、戦士ギルド員にそこまで求める事は出来ない。頭が回る奴は殆どいないのだから。
抽出量が教会の期待よりも下回り続けると、無能の烙印を押され、ギルドマスターを解任されてしまう。
よってギルドマスターは、ギルド員の教育にも力をいれなければならない。
見返りとなる報酬は大きい。ロブは多額の報酬を受け取り、アートの街で豪邸を手に入れた。
元は一介の傭兵出身のロブ。それが貴族並みの豪邸を手に入れてみせた。戦士ギルドの出世頭である。
「どうもありがとう――と言いたいところだけど、もう一つあるのよ。アンタ、一個見落としているわよ」
「うん? もう尻尾はないようだが」
「これよ、これ」
ロブが怪訝な表情を浮かべると、勇者が無造作に皮袋をひっくり返す。
カウンターの上に、血糊の乾いたものや、泥が散らばり、最後にドス黒く変色した物体が現れる。
切り取られた人間の手首だ。
「おいおい、穏やかじゃないな。これは誰のものだ?」
「どうやらレンジャーギルドの人間らしいが。死体を弄るのは良くねぇぞ」
古参の男が咎める口調で忠告する。誰かの死体から、悪戯で切り取ってきたのかと疑っているのだ。
レンジャーギルドと分かったのは、手首に鍵とナイフの職業刻印があるからだ。
この刻印はレンジャーギルド、『盗賊』の刻印。
「なんか賞金首らしいわよ。見せたら驚くって。名前はサルマタだったかしら。よく覚えていないんだけど、そんな感じ」
「……そんな名前の賞金首はいない。騙そうとしているなら止めておいたほうが良いぞ。鑑定すれば一発で分かるんだからな」
ロブは声色を低くして警告する。
賞金首に関しての“嘘”は罪が重い。ギルド間の信頼にも関わる為、一発で除名対象だ。
仮許可証の少女が除名された場合、二度と迷宮に入ることは出来なくなる。職業刻印を持たないので、結界を通過出来なくなるからだ。
「嘘じゃないわよ。なんかピンクの女が教えてくれたもの。あんまり思い出したくない服装だったわね。あれは目に優しくないわ」
「ピンクの女?」
「そう。変態魔術師のピンキーって言ってた」
ピンクの女と聞いてロブが思い出すのは一人しかいない。イカれた魔術師、エーデルワイスだ。
変態魔術師というのも全くもって間違いではない。賞金首一歩手前でなんとか留まっている女。
死体を操るなどという外法を操り、単身で中層部辺りまでの探索を行なっている。
実力は認めるが、さっさと死んで欲しいとロブは願っている。迷宮で見かけたとしたら、即座に殺しに掛かりたい対象だ。
自らが操られる立場になったらと考えると、実に不快で反吐が出る。
「その女が誰かというのは心当たりはありすぎるな。まぁ良い、一応鑑定してみよう。今回は違ったとしても罪には問わん。そのピンク女に騙されたということにしてやる」
「ハハッ、どうしたんだロブ。随分優しいじゃないか。まさか年下が趣味なのか? 奥さんに告げ口するぞ」
古参の男がからかうと、ロブは不機嫌な顔を浮かべて手を払う。
「やかましい。そんな事したらお前の酒だけ二倍に薄めてやる」
ロブの妻は信じやすい性格なので、本気の喧嘩になるだろう。それも一方的にロブが責められるという。機嫌を直してくれるまでには、一週間は掛かる。
「それだけは勘弁してくれ。しっかし、ロブの優しさには頭が下がるねぇ」
「今更褒めても何も出さないぞ。おい、この“右手”を鑑定してやってくれ」
先ほどから無言で傍に控えていた痩せ気味の男に、ロブは右手の鑑定を頼む。
この男は魔術師ギルドの人間で、ギルド業務に必須な“鑑定”の為に雇っている。魔素の抽出もこの男が行っており、腕前は確かなものだ。残念ながら迷宮探索に耐えうる体力を持ち得なかった為、冒険者としては成功出来なかった。
だが魔法の才能があれば、このように色々と潰しが効くのだ。
「……はい。それでは失礼します」
「そこの上に乗っかっている手だ。見ていて気持ちが良いものじゃないから、手早く頼むぞ」
「……了解しました」
鑑定士がぼそぼそと返事をすると、カウンターまで近づいてくる。
手をかざし、意識を集中することでその物体の詳しい情報を入手するそうだ。基礎魔術の応用だと本人は語っていた。
ロブは全く興味がなかったので、そういうものなのだろうと適当に納得した。真贋が分かれば問題ない。
作業を終えると、鑑定士は感情を篭めずに鑑定結果のみを報告する。
「……手配されている賞金首に該当あり。罠師サルバドの右手に間違いありません」
鑑定士の言葉に、場が一瞬静まり返る。ロブが確認するようにもう一度尋ねる。
「何だって?」
「……罠師サルバドの右手です。職業刻印から割り出した、誤りのない鑑定結果です。賞金首の討伐と認定します」
「ハ、ハハハ、そいつは何かの間違いだ。サルバドが駆け出しにやられる訳がねぇ。あの野郎イカれている癖に、全く油断しやがらねぇからな」
乾いた笑いと共にそれを否定する男。周りで聞き耳を立てていた人間も同意する。
「その通りだ。あの野郎、陰険な罠ばかり仕掛けやがって。糞みたいな奴だが、実力に間違いはねぇ」
「もう一度鑑定したらどうだ? そこらに転がってた死体の手に違いないぜ!」
彼らの言葉に、ロブは頷くことは出来なかった。
鑑定魔法は職業刻印から正確にその身元を割り出す。
そして鑑定士は鑑定業務において決して嘘をつかない。嘘をつくことは己の誇りを汚すことになる。
更に、鑑定士の偽証は罪が重い。最悪教会から異端の烙印を押されてしまう。異端指定を喰らったら最後、地獄の果てまで『異端審問官』が追いかけてくる。そうなればこの世からは、晴れておさらばという訳だ。
そんな危険を犯してまで、嘘をつく必要が鑑定士にはない。
つまり、この右手は『罠師サルバド』のものに間違いないのだ。
「鑑定士は鑑定結果に対し嘘をつかない。それはお前達も分かっているだろう。命と引き換えにそんなことをする理由が何もない」
「……無論です。我々鑑定士は己の仕事に誇りを持っております。虚偽の鑑定をするぐらいなら、死を選びますよ」
「い、いやしかしよう。サルバドを殺るなんてことが出来る訳がねぇ! それもこんな小娘にだ!」
古参の男がカウンターを乱暴に叩きつける。その表情からは酒が完全に抜けている。
「ねぇ、それで賞金はくれるの? 本当に疲れてるからさっさと帰りたいんだけど」
髪をかき上げながら、先ほどから黙っていた勇者が疲れきった表情で尋ねる。
ロブはそれに答えずに質問を投げかける。
「……一体どうやった? お前みたいな駆け出しに殺せる相手じゃない。ましてやアイツは徒党で行動している。今まで何人の練達が殺されたことか」
「全員普通に殺したわ。徒党全員皆殺し」
「み、皆殺し?」
「そう。頭吹っ飛ばしてやったわ。素早いだけの雑魚だったわね。ああ、でも面白い罠があったかしら。あれだけは悪くなかったわね」
特に表情を変えることなく、勇者は答える。
「サ、サルバドを雑魚だと!」
「お、お前、ほ、本当なのかよ」
「そこまで疑うなら自分の目で見てきたら? 地下四階の小部屋に作動済みの罠が落ちてるから。でも死体で判別するのは多分無理ね。屑に相応しい死に方をしてるから」
勇者は口元を歪めて獰猛な笑みを浮かべると、周囲の人間が息を呑む。
ロブは気圧されながらもどうするかを考える。いずれにせよ確認はするべきだろう。だが未動作の罠が残っている可能性もあるため、危険が伴う。罠の解除技能に長けるレンジャーギルドに一報を入れておけば後は勝手にするはずだ。
そもそもサルバドの首に賞金を掛けたのはレンジャーギルドである。
信頼を裏切り、身内を手に掛けたことから恐ろしい程の憎悪の対象となっていた。
「レンジャーギルドに報告してこい。うちのがサルバドを地下四階で仕留めたと。証拠はあるから詳しく知りたければ来いとな」
「わ、分かりました」
ロブが命令すると、一人のギルド員が了解して足早に飛び出していく。
すぐにでもレンジャーギルドの連中が押しかけてくるだろう。数だけと馬鹿にしている戦士ギルドの連中に首を取られたのだから。
「――さて。やるべきことはさっさと済ませよう。賞金首サルバドを間違いなく討ち取ったと認定する。奴の賞金は金貨十枚。……良くやったな」
「し、信じらんねぇ」
ロブが金貨を小さな袋に入れて勇者へ手渡す。
戦士ギルドはすっかり静まり返り、誰もがそれを呆然と見つめている。
鑑定士だけは尻尾の束を抱え、奥に戻っていく。抽出業務に取りかかるのだ。
彼らにとって大事なのは、正しい鑑定を行う、部位から魔素を抽出する。それだけなのだ。
「これで新しい装備が買えるかしら。流石にこの服も限界ね。あー、それにマタリの鎧も買わなくちゃ」
袋をジャラジャラと鳴らす勇者。白いローブの下から覗く、血塗れの服を見て顔を顰めている。
「…………」
「それじゃこれで失礼するわ。ちゃんとマタリにも渡すから心配いらないわよ。報酬は山分けよね」
勇者は挨拶し軽く手を振ると、背を向ける。
ロブは思わず言葉を漏らしてしまった。ギルドマスターとして相応しくない言葉を。
「……お前は一体何者なんだ。本当に、信じられん」
それを耳にした勇者は笑顔で振り返る。
「私は勇者。魔を殲滅するために存在する。別に信じなくても構わない。誰が何を言おうと、私が“勇者”であることに変わりはない。私は勇者であり続けることを選び、そして戦い続けてきた。だから私が勇者。私が勇者なの」
「な、なにを――」
「ただの独り言よ。フフッ、気にしないで良いわよ」
勇者の笑みを見てしまったロブは、言葉を続けることが出来なかった。
駆け出しなどとんでもない。――これは、幾たびも修羅場を潜り抜けてきた化物だ。化物の目には希望も絶望もない。何かを悟り、そして壊れてしまった人間の目。ロブの背を冷たい汗が伝う。
こういった類の人間とは関わるなと本能が警鐘を鳴らす。壊れているか狂っている――もしくは、既に死んでいるのか。
ロブはこれと似た人間の目を見たことがある。魔素瘴気の充満する迷宮下層部へと挑み続けた狂人達だ。
既に金、名声、実力を得ていながら探索を繰り返す決死隊。魔素中毒を患いながらも、中和剤を大量に服用して、奥へ奥へと進んでいく。
その中の一人に、ロブの先輩にあたる人物がいた。ロブは必死に止めた。これ以上行けば必ず死ぬ、もう十分ではないかと。だが止める事は出来なかった。何かに取り憑かれたかのように、彼は制止を振り払ったのだ。
最下層と言われる地下百階に辿りついた時、彼らの肉体を魔素が完全に覆い尽くした。
人間の成れの果て。見るも無残な状況になりながらも、唯一人彼は転移石により地上へ帰還した。
そして地下迷宮の最下層は百階であると言い残し、彼は息絶えた。そこに何があるのか、何を見たのか。その答えを抱えたまま死んだ。
彼の顔は爛れ落ちながらも笑みが浮かんでいた。心から満足そうに。そしてその目には。
「……ッ」
「……ねぇ、どうしたの? 顔色が悪いわよ?」
勇者がロブの顔に近づく。それが分かっているかのように至近距離まで近づいてくる。
生暖かい吐息が触れ、ロブの背筋に震えが走る。彼らと同じ目を、ここで見るとは予想もしていなかった。
死人と同じ目。あれは見てはいけない。覗いてはいけない。死にたくなければ関わってはいけないと、本能が叫ぶのだ。
「…………」
勇者が無言でロブから離れ、再び背を向けて歩き始める。
ギルドにいる全員が下を向き視線を合わせようとはしない。声をあげようとしない。
去り行く後姿を、ロブは立ち尽くして見送ることしか出来なかった。
やがてその扉が閉まったとき、一同はようやく安堵のため息を吐く。緊張が弛緩する。
「……駆け出しなんてとんでもねぇ。あの目はヤバい。ロブ、お前も覚えているだろう。何かが壊れてるんだよ。じゃなきゃあの目はできねぇ。あの人達と同じだ。なぁ、お前もそう感じただろう?」
古参の男が纏わりつく恐怖を振り払うように、一気に捲くし立てる。
この男もまた、変わり行く人間を間近で見ていた一人だ。あの時の恐怖も分かっている。
「……俺に聞くな」
それは、ロブの本心から出た言葉だった。