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第四話

 地下迷宮へと足を踏み入れた冒険者が、まず出会うのはネズミだろう。異常なまでに身体が大きいのは、迷宮内の魔素を吸収し、何らかの変化をきたしたためと言われている。その性格は狡賢く凶暴だ。逃げたと見せかけての待ち伏せ、仲間を囮にしての奇襲など人間顔負けの罠を仕掛けてくる。

 熟練の冒険者が警戒しなくてはならないのが、ネズミの大量発生だ。倒しても倒しても通路の奥から際限なく現れるネズミの波。所詮は雑魚と侮って踏みとどまった多数の冒険者がその餌食となっている。“迷宮の掃除屋”の異名を取るのは伊達ではないのだ。

 異様な気配を感じたら、すぐに退くべきというのが熟練冒険者の共通認識だ。

 アート学術ギルドの研究者達は、ネズミの異常発生周期を探ろうと試みているが成果はあがっていない。そもそも、魔物がどのように生じるかも分かっていないのだから、研究が捗る訳がない。

 一般的には、迷宮最下層から生じている魔素の瘴気が変異し魔物が生まれるとされている。

 故に魔物の体内には魔素濃度の高い部位があり、そこから魔素を結晶として抽出できるのだ。下層に行くほど魔物が強く、凶暴になるのは魔素の濃度が濃い為だと定義されている。

 だが、魔素が異形に変化する瞬間は未だ目撃されたことはない。

 では彼らは自然繁殖はしないのだろうか。――否、迷宮内には魔物の子供が確認されている。つまり、地上の獣のように雄と雌がつがいとなり、子を成すという当たり前の流れがあるということだ。現に自然繁殖により群れを成す魔物――オーク、リザードマン、八つ目蜂などが確認されている。

 魔物を生かしたまま外へ連れ出せば、研究は進むと学者達は地団駄を踏む。

 だがそれは物理的に不可能だ。まず迷宮を覆う結界が、全ての魔物を阻むのだから。結界は活性化した魔素を持つ全ての生物を阻む。

 人間も例外ではない。魔術の源は魔素であり、それを蓄えることが出来る特性を持った者が魔術を扱うことが出来る。魔素を持つ人間の通行を可能にするのが探索許可証という名の魔術刻印だ。魔素を持たない人間ならば結界を素通りできるため、星教会の衛兵達が常に目を光らせている。

 倫理的な面からも、魔物の連れ出しや、結界の抜け穴を探ろうとする行為は許されない。

 死体の持ち出しも許されてはいない。万が一地上に魔物が放たれでもしたら、手がつけられなくるのは明らかだった。

 好奇心旺盛で勇敢な愚か者には、星教会から異端として厳罰が与えられる。試そうとした何百という愚か者が異端認定され、己の罪を嫌というほど分からされた後に処刑されている。それでも後に続く物が減らないのは、人の業といえる。


 



「ふぅ、それにしてもネズミしかいないのかしら」


 勇者が刈り取った尻尾をぶんぶんと振り回しながら愚痴を吐く。

 現在勇者達は地下二階を探索中である。両者が背負っている皮袋は尻尾で満たされていた。


「もう百匹ぐらいは狩りましたよね」


 汗を拭いながら、マタリが答える。使用した布巾は赤くなっている。負傷したわけではなく返り血の汚れだ。

 新しい布巾を勇者に差し出すと、ありがとうといって乱暴に顔を拭い始める。


「私達はネズミ駆除に来たんだっけ? だったら猫でも放しておけば良いのよ」

「確か、地獄猫とかいう魔物が出るらしいとか書いてありましたけど」

「名前は立派ね。猫って名前だからって、アンタ可愛がろうとしたら駄目よ。魔物は魔物なんだし」

「そ、そんなことしませんよ!」


 マタリが頬を膨らませて怒る。勇者は意地の悪そうな笑みを浮かべ、それなら良いんだけどと軽く受け流した。

 年齢はマタリが二十歳。勇者が十七歳。マタリの方が年上なのだが、勇者の方が年長者のように振舞っている。


「とかなんとか話をしてたら、まーたネズミ」

「おまかせを!」


 段々とコツのようなものを掴んできたマタリは、ネズミが態勢を整える前に狙いを定めて斬りかかる。脳天を断ち切られた哀れなネズミは、悲鳴を上げることなく息絶えた。慣れた様子で尻尾を斬り飛ばし、袋の中へと投げ入れる。


「慣れてきたみたいね。でも、慣れた頃が一番危ないわよ。アンタは特に気をつけなさい」

「は、はい。油断は禁物ですね」


 年下から説教めいた助言をされ、マタリは戸惑いながらも返事をする。


「袋の中はネズミの尻尾で一杯。倒す時間より、切りとって袋に投げ入れる手間のほうが掛かってる気がするわ」


 マタリが剣を構えてから、狙いを定めて斬りかかるのに対し、勇者は無防備に近づき、木の棒で急所を突いて一撃で殺している。

 何故魔法をもっと使わないのかとマタリが尋ねると、『魔法は精神力を消耗するからあまり使わない』と勇者は答えた。


 マタリはそれを聞いて、少し疑問に感じた。

 迷宮内は魔素が大量に漂っているので、魔術師は労する事無く魔素を取り込み、短時間で魔力を満たす事が出来る。

 取り込める魔素の容量が大きい者が、魔術師としての才に優れているということになる。

 地上では“精神集中”し、意識的に自然界の魔素を取り込むことで魔力は回復する。また、魔素結晶を液体化したポーションを服用する事で、回復することもできる。あまり多用すると、魔素中毒の原因になるが。

 この程度は魔法を扱わない者にも知れ渡っている。道具屋にも普通にポーションが販売されているのだから。少量の癖に高価で、一般人が易々と手に入れることは出来ない。勿論魔法の才のない人間が飲んでも、何の効果もない。

 迷宮内において基本的に魔法は使い放題なのである。詠唱に時間が掛かるため乱発は出来ないが、出し惜しみはない。

 故に、『精神力を消耗するから魔法を控える』などという言葉は、ありえないはずなのだ。でなければ魔術師が重宝されるはずはない。数回魔法を撃つだけで疲弊する戦力など、役には立たない。


「やっぱり、私が敵を防ぐので、勇者さんはもっと魔法を沢山――」

「疲れるから雑魚相手に魔法なんて使わないって言ってるでしょ。乱発で私がぶっ倒れたらアンタ担いでくれるの?」

「どうして倒れるんですか?」

「アンタと話してると、私の精神が疲弊するからじゃない?」


 この猪娘と勇者が額を突こうとしたので、マタリは慌てて回避した。

 仕方なくマタリは話題を変える。重量の増した皮袋を開けて。


「そ、それにしても、こうして見ると結構気持ち悪いですね」

「ドブ臭いしね。お金に換わらなかったら即座に焼却してるところよ」

「慣れてきた冒険者は、ネズミの尻尾には見向きもしないそうですよ。銅貨二枚では、割りに合わないのでしょうか」

「パンも買えないじゃない。やっぱり投げ捨てようか」


 パンの値段は銅貨十枚。二枚ならばパン屑程度なら売ってくれるだろう。


「折角切りとったんですから、持って帰りましょうよ。最初なんですし」

「そうね。記念に持って帰ろうか。気が向いたらアンタに首飾りを作ってあげる」


 そういうといきなり尻尾を取り出して輪を作ろうとしたので、マタリは慌てて阻止する。


「や、やめてください! 臭いし気持ち悪いし何か呪われそうです」

「冗談よ。魔物じゃないんだから。アイツら人間の骨や皮で気色悪い物を作るからね。あー、想像したらムカついてきたわ」


 骨ならばまだマシな方だ。目玉を繋ぎ合わせた首飾りやら、腐りかけの生首を使用した杖、人間の皮をなめしたマントなど。あれを見たら、『人間と魔物は分かり合える』など口が裂けても言えないと勇者は思っている。


「……そうならないように気をつけます」


 マタリの脳裏に最悪の結末が浮かんでくる。胃の中から酸っぱいものが湧き出そうになるのを必死に堪えた。

 勇者は『そうしなさい』と適当に慰めた後、きっぱり宣言する。


「次からはネズミの尻尾は無視するわ」

「わ、分かりました」

「重いし、これ以上は戦いの邪魔になる。上でダラダラするだけならこれで良いのかもしれないけれど。酒場の酔っ払いみたいに」


 酒場で目的もなく酒をあおり続ける男達。その顔は何かを諦めた表情だ。彼らの酒代は、このネズミの尻尾である。

 金がなくなれば迷宮に入りネズミを適当に狩り、酒場に戻って酒を飲む。彼らの日々はこの繰り返し。

 怠惰な生活で肉体が衰え、剣を持つことすら難儀するようになった時、彼らはネズミの餌となる。


「それではいけません。私達が目指すべきはもっと高みに存在するのですッ!」


 調子を取り戻したマタリが力強く宣言する。声が迷宮の通路に響き渡る。声の大きさに、勇者の精神力が低下する。


「はいはい、そんなこと言っている間に次の階段にたどり着いたわよ」


 地下三階への階段。特に何事もなく二人は二階を突破した。左手についた星の刻印は、白と黒が半分。おおよそ一時間半が経過したぐらいだ。


「まだ結構残り時間があります。良い感じじゃないですか?」

「……下に誰かいるみたいね。一応警戒して進みましょう」


 地下三階へと続く階段の先。一際明るい光が灯っており、何やら話し声が聞こえてくる。魔物ではなく、人間のもののようだ。


「他の冒険者でしょうか。今まですれ違わなかったのが不思議なくらいですしね」


 当然ながらマタリだけではなく、他の冒険者達もこの迷宮を探索している。彼らは率先して協力し合うこともないが、わざわざ妨害をすることもない。魔物は腐るほどいるわけで、奪い合う必要はないのだ。

 ――ある例外を除いて。


「いきなり襲い掛かられてあの世行きなんて嫌よ。マタリ、不意打ちに備えなさい。むしろ襲い掛かる心構えが必要よ」


 今までにない真剣な表情で、勇者は木の棒を構える。勇者が今まで始末してきた魔物の中には、堕ちた人間も当然含まれる。善人のフリをした彼らのほうが、判りやすい異形よりも厄介だった。

 本気で不意打ちしかねないと思ったマタリが制止する。


「そ、そんな乱暴な。下にいるのはどうみても人ですよ」

「だからでしょ。ほら、しっかり盾を構えて。私が先に行くわ」


 棒を前に突き出しながら、勇者は静かに階段を下りていく。マタリは盾を前面に構え、不測の攻撃から身を守る態勢だ。

 ――息を押し殺し、階段を下りきった先には大部屋が広がっていた。中心には焚き火がおかれ、それを囲むように人間達が休息を取っていた。

 焚き火から出た煙はどこかへと流されていき、部屋が白い物で充満することはないようだった。


「……ここは休憩所? 私達もお邪魔しちゃって良いのかしら。丁度お腹が空いてきたところだったのよね」


 勇者の声に、座り込んでいた面々が顔を上げる。

 疲れきった顔で座り込んでいた、立派な鎧を着込んだ若者が五名。

 勇者達に気が付いていたと思われる、骨付き肉を炙っている無精髭の男。

 そして星教会の僧衣に身を包んだ、白い頭巾を被った目を瞑った痩身の男。計七名。

 一拍おいて、若者達が立ち上がり剣を抜き放つ。


「だ、誰だお前ら!」

「魔物か!?」

「どこの世界にこんな魔物がいるのよ。冗談はその顔だけにしときなさい。それに足が震えてるわよ」


 勇者が指摘すると、若者達がいきり立つ。高い身分の出身らしく、馬鹿にされることに慣れていない。


「お、お前、この前の酔っ払いか!」

「平民風情が無礼な! 今すぐひざまずき謝罪しろ! この私を誰だと――」

「やかましいッ! 食事ぐらい静かにできねぇのか、この役立たず共!」


 肉を炙っていた男が、食べ終わった骨を勢いよく投げつける。骨は若者の顔に当り、悶絶する。他の面々も気迫に押され、萎縮してしまったようだ。

 経験と実力が違いすぎるため、若者が全員で襲い掛かってもこの無精髭の戦士には勝てない。ネズミ相手に苦戦してしまった若者達には、それが嫌というほど分かってしまっていた。


「この地下迷宮では己の腕だけが頼りだ。仲間がいようと、それは変わらん。まして地位や身分なんか糞の役にも立たねぇ。今のお前らと同じようにな。……って、お、お前はッ!?」


 威厳ある表情で語っていた無精髭の男が、勇者を見た瞬間奇声を上げて固まる。先ほどは、降りてきた人間が誰かまでは確認できてはいなかったのだ。


「うん?」


 勇者がその態度を不審に思いじっと戦士の顔を眺める。片目を瞑り、何かを思い出そうとする。不快な印象はあるが、それが何だったかは思い出せない。


「ゆ、勇者さん。この人、確か戦士ギルドの」


 あの時の出来事が強く印象に残っていたマタリは、すぐに思い出した。

 勇者に対しちょっかいをかけ、数倍の報復をもらってしまった哀れな熟練戦士。マタリ達の先輩に当る人物。

 勇者は得心した様子で、構えていた棒を肩へと持ち直した。


「ああー。アンタあの時の。あれだけやったのに案外丈夫なのね。もっと痛めつけてあげれば良かったかしら」


 ケケケと“勇者”にあるまじき笑いを漏らす。その不敵な態度はどうみても正義を成す英雄とは思えない。


「ゆ、勇者さん」


 マタリが言いすぎだと宥めようとするが、何というべきか分からなかった。この不精髭の男への同情心は殆どないからだ。勇者から誇りに対する説明を受けた後では、特にである。


「貴方がジャバを散々に痛めつけた人ですか。おかげであの日の私の睡眠時間は一時間でしたよ。貴方の一撃が相当重かったようでしてね。どうもありがとうございます」


 僧衣の男が、瞑っていた目を開け皮肉交じりに感謝を述べる。

 鎧の上からの鍛え上げられた戦士の腹部への一撃。治癒術を掛け続け、肉体の傷が癒え意識が戻ったのは数時間後だった。死に至るようなものではなかったが、肋骨にはヒビが入っていた。それを完治させるのに時間がかかったというわけだ。

 瞬時に体力を回復するような便利な治癒術は存在しない。止血や解毒は出来ても、切り落とされた腕や、内臓に至る致命傷を治す事は不可能だ。彼らがやっているのは、人間の持つ自然治癒力の促進なのだから。

 それでも彼ら聖職者が求められるのは、保険のためだ。彼らがいれば出血を止めることは出来る。その間に迷宮を脱出し、篤い治療を受けるための貴重な時間を作る事ができるのだ。

 治癒術だけではなく、魔術師には劣るが退魔術も行使する。肉体に自信のある者は、自己回復を促進する術を駆使して壁役にもなれる。

 ――それが聖職者という名の、教会お抱えの兵士達である。

 彼らはギルドに属した瞬間から星教会への忠誠を誓わされ、有事の際には教会の尖兵となる義務がある。それと引き換えに、門外不出の治癒術を会得する事が許されるという訳だ。


「別に感謝には及ばないわよ」

「貴方には皮肉というものが通用しないらしい」

「……クランプ、よせ」


 ジャバは僧衣の男――クランプを目で制止する。


「……私は何もする気はありませんよ。生憎、腕に自信はありませんので」


 クランプは嘆息交じりに呟き、再び目を瞑る。

 ジャバは暫く逡巡した後で立ち上がり、勇者達に近づき始める。

 武器は焚き火の側に置いたままだが、腰には小型のナイフが括り付けられている。

 マタリは慌てて警戒の態勢を取るが、勇者は平然としていた。殺気を感じられないこと、そして襲い掛かられたとしても、一撃で屠る自信があるからだ。


「何か用かしら?」

「……この前は悪かったな。その姿を見りゃ文句の付けようがねぇ。どうやら遊び半分ってわけじゃなさそうだ」

「…………?」


 予想していた展開と異なり、勇者は怪訝そうな顔を浮かべる。そして自分の姿を見下ろす。普段着が赤く染まっている以外は異常はない。


「ここを度胸試しや、華々しい冒険の場と考える馬鹿が後を絶たなくてな。ついこの前は調子に乗っちまった。この通り謝罪する」


 ジャバは頭を深く下げて謝罪を行なった。軽く頭を下げるようなものではなく、上半身を直角に曲げて。

 十秒ほど経過した後、ジャバは顔を上げて恥ずかしさを誤魔化すように無精髭の顎を擦り始めた。


「この赤い化粧がお気に召したのかしら。中々素敵でしょう」


 勇者が服を見せびらかすように一回転すると、返り血が辺りに飛び散る。それを浴びてしまった若者達は、小さな悲鳴を上げる。


「この馬鹿共ときたら、家宝の鎧に血が付いたなんて騒ぎ出しやがってな。ネズミ一匹に大騒ぎだ。その上かび臭いだの、血生臭いだの散々文句を垂れた挙句、もう動けないときたもんだ」

「し、仕方ないじゃないか。この鎧は本当に重いんだ。こんなものつけて走り回れるか!」


 自分の装備に対し文句を述べた後、偉そうに言い訳する若者。呆れたジャバは冷たく言い放つ。


「実力もないくせに分不相応な物を使うからそうなる。お前らには木製鎧で十分だ」


 重厚な鎧は防御力に優れる分、動きが制限される。体力の消耗も大きい。木製鎧は防御力に難があり壊れやすいが非常に軽い。駆け出しが体力を鍛えるのに相応しい装備である。しかも安価である。


「貴族がそんな粗末な物を着れるか!」

「それなら好きにしろや。お前らが生きようが死のうが俺は知らん。だが二度と同行はしない。大金を積まれてもだ」

「――ううっ」


 言葉に詰まった若者は座り込み、完全にへばってしまった。

 勇者はへたりこんでいる若者の顔を眺めていく。ギルドに集った初日に、散々馬鹿にしてくれた奴らだったと思いだした。


「三日ももたなかったわね。でかいのは態度と口だけね」


 勇者はケケケと小悪魔のような笑みを浮かべ、一人ずつツンツンと額を突いていった。

 マタリはその笑い方はやめてくださいとやんわりと宥めている。

 小さな復讐を終えた勇者は、ジャバへと向き直る。


「私はもう全然気にしてないわ。でもそのお肉をくれたらもっと気にしなくなるかも。とっても美味しそうだからね!」


 勇者は炙られている数本の骨付き肉を指差す。油の焦げた匂いが食欲をそそる。食べごろなのが見て取れる。


「分かったよ。これでこの前の事は水に流してくれ。……アンタ、只者じゃなさそうだしな。俺は実際に殴られたから良く分かる」


 ジャバが真面目に返事をすると、骨付き肉を手渡す。

 油断してたとはいえ、鎧の上からの素手の一撃があの威力。勇者などと大言壮語するのも分からないでもない。あの時、本気を出されていたら、腹部を貫かれていたとジャバは本気で考えている。


「どうもありがとう。私もやりすぎちゃって悪かったわ。カッとなるとついね。ごめんなさい」


 勇者は肉に齧りつきながら謝る。済んだことは深く考えない。それが楽しく生きる秘訣だと勇者は思う。


「いや、冒険者って奴は皆そうさ。そのぐらいの気迫がなきゃ、この糞みたいな迷宮には耐えられねぇ」

「でも苦労した分だけ美味しい思いが出来る場所なんでしょ?」

「ハッ、生き残ることが出来りゃあな。こいつらみたいに観光地と間違えてくる奴は、俺の経験上真っ先に死ぬんだがな。最後の最後で運があったらしい。実にツイてるぞ、お前ら」


 ニヤリと笑みを浮かべるジャバ。先ほどまでとは違い、熟練戦士の余裕が伺える。

 それを見た貴族の若者達は顔を青ざめさせる。


「それにしてもジャバが一方的に倒されるとは。こう見えても熟練の冒険者なんですがね。見習いを引率する程度にはギルドからも信頼を得ています」

「こう見えてとはどういう意味だ」

「そのままの意味ですよ」


 睨み付けるジャバに対し、素っ気無く返すクランプ。付き合いは長く、しぶとく地下迷宮を生き残ってきたコンビである。未踏の階に挑む際は、他の面子を組み込んで探索に赴くのが彼らのやり方だった。

 金や名声もそれなりに溜まり、現在は新人の育成をギルドから直接依頼されている。今回はそれが貴族の若者達だった。


「誰だって油断はするものでしょう? あの時はきっと私の運が良かったのよ。ね、引率者さん」


 勇者がおどけて答える。ジャバとクランプが胡散臭そうに眺める。猫を被っても、鋭い牙が垣間見える。


「……ふん、貴族のガキどもの引率なんか知ったことか。金にならなきゃ誰がやるか、こんなこと」


 肉を乱暴に噛み千切り、ジャバが吐き捨てる。


「まぁ現実を知ったようですから、次はないと思いますよ。今度こそネズミの餌になるかもしれませんからね」

「う、うう。な、何でこんな目に」

「自分で望んだからですよ。そして私達は貴方達のお守り役。今更確認するまでもないでしょう」

「で、でも聞いていた話と全然違う。もっと華麗に華々しく戦えるって」

「そういうのがお望みでしたら、数多くある英雄譚でもお読みになるのをオススメします。千年前に魔王を倒した“三勇者”の話なんてどうです? 少なくとも命を落とすことはありませんからね。お父様もきっとお喜びになりますよ」


 残酷な微笑を若者達に向けるクランプ。若者達は既に二度と来るまいと固く決心している。それが分かっているからこそ、クランプは言葉で嬲っている。時間を無駄にさせられた怒りを発散するために。


「ところで、私達ネズミにしか会ってないんだけど。いつまでネズミ地獄が続くわけ?」


 クランプの底意地の悪い虐めを眺めるのに飽きた勇者が、誰にともなく尋ねる。


「ネズミはどこにも棲息しているぞ。毒やら病気をもった奴もいるから油断しないことだ。舐めて掛かると、骨まで齧られちまうぜ」

「ジャバの言う通りです。ネズミの脅威はその数です。自信をつけた頃に、あっさりとネズミの餌になる者は後を絶ちませんからね。群れで襲われる事がないよう、最大限の注意を払わなければいけません」

「やっぱり死骸を食っているのはネズミ?」


 勇者が確認するように尋ねると、ジャバが頷く。


「ああ、何でも食うぞ。悪食だから食わないのは装備ぐらいだな。まぁ、その装備を食う魔物もいるんだが」

「……それってスライムですか?」


 先ほどから無言だったマタリが、確認するように話しかける。

 手には教会で買った迷宮の本初級編を持っている。休憩中にしっかりと読み込んでいたのだった。


「ああ、その通りだが。――ってお嬢ちゃん。そんなインチキ本買っちまったのか。銀貨一枚の価値なんかないっていうのに全く。魔物の情報ならギルドでいくらでも調べられるぞ」

「いえ、私にとっては立派な教本です。とても役に立ってます!」


 マタリがきっぱりと言い放つ。勇者はジト目で本を睨みつけた。


「……やっぱりそういう本だったのね」

「教会の人間が鼻ほじりながら適当に作った奴だからな。くだらんことが延々と書かれているだけだ。“ネズミには気をつけよう”?全く笑わせやがる」


 ジャバが呆れたように呟いているが、マタリは全然聞いていないようだった。

 再び本に没頭して、スライムについての情報を探している。それを尻目に、クランプがスライムについての情報を語り始める。


「半透明で緑色をした液状の魔物です。生物を見ると問答無用で攻撃してきます。打撃、斬撃が効きにくい上、魔法にも耐性があります」

「出来れば相手をしたくねぇ奴だな。まぁ滅多に会わないが」

「彼らスライムを構成している液体は、装備を溶かす性質を持っています。身体に直接浴びれば、『痛い』と心の底から叫ぶことができるでしょうね」

「なんか弱点はないの?」

「半透明の身体の中心に、核があります。そこを、壊れても良い武器で攻撃してください。当れば一撃です。武器はボロボロになりますが」

「まぁ、動きはトロいから逃げるのが一番だ。倒しても部位を刈り取れねぇから旨みもない」


 スライムを構成する中心核が抽出用の部位なのだ。だが、倒すためにはこれを攻撃しなければならない。破壊しないように中心核を奪い取るのは至難の業。そのため、スライムから取れる抽出用部位は高額となる。含まれている魔素の濃度が高いのと、珍しい特徴を持っているからだ。


「ふーん。面倒くさそうだけど、まぁなんとかなるでしょ」

「――スライムは核が弱点、スライムは核が弱点。触ると痛い、触ると痛い」


 マタリが詠唱するように確認作業を行っている。勇者はいずれインチキ本を廃棄してやろうと決めた後、ジャバ達に問いかける。


「で、アンタ達いつまでここにいるの?」

「三時間経ったらこの馬鹿共が強制的に戻されるからな。俺達はそれを見届けて、普通に上って帰る。それまではここでのんびりしているさ」


 竹筒を口にして、液体を飲み干すジャバ。勿論酒ではなく水である。油断しているように見えるが、警戒は怠っていない。迷宮内に安全地帯など存在しない。


「ええ、迷宮は瞑想にもってこいですからね。こうして精神を研ぎ澄ませるのです。魔素が体内に染み込み、思わず身が引き締まります」

「やれやれ、また始まった。早く時間にならねぇかなぁ」

「貴方も一緒にやりますか、ジャバ。精神を集中すれば切れ味も上がるでしょう。魔術の才能に目覚めるかもしれませんよ」

「いや結構。俺はこうしてダラダラしているのが一番の瞑想なんだ」


 クランプは目を瞑ると、精神を集中し始める。

 ジャバは勇者達に軽く手を上げると、欠伸をかみ殺して剣の手入れを開始した。

 若者達は疲労ですっかり伸びている。


「じゃあ、そろそろ行く? 休憩も出来たでしょ」

「そ、そうですね! スライムについて勉強できましたし!」


 勇者とマタリが大部屋を後にしようとすると、声がかけられる。


「あー、一応注意しておくか。必要ないかもしれないがまぁ聞いておけ」


 ジャバが真剣な表情で忠告する。


「迷宮内の揉め事は、基本的に冒険者同士でケリを付けるのが暗黙の了解だ。星教会やギルドが直接介入してくることはまずない。泣きついてもどうにもならん」

「……誰かが襲ってくるのかしら?」

「魔物を殺しながら地下に延々と進むより、冒険者を狩った方が儲かると判断した奴らもいるのさ。貴族の道楽と勘違いした、こういった馬鹿共がうじゃうじゃいるからな」


 ジャバが視線を貴族の若者達へ向ける。身に着けている物は一級品。剣も価値のある逸品。市場に流せば買い手に困る事はない。

 それが例え盗品だとしても。


「でも、冒険者からは憎まれるんじゃない? 噂になるでしょ」

「当然賞金首だ。教会は関与しないがギルドが懸賞金を掛ける。見つけ次第、即座にぶち殺せとな。だが、そう簡単に尻尾を出す連中じゃない。そんな雑魚はすぐに淘汰される」


 迷宮内で殺人が起きる。哀れな冒険者の死体が出来る。普通はそれで終りだ。

 だが、運良く被害を免れた者がギルドに届けを出すと、容疑者に対し聴取が行なわれる。

 容疑者が素直に応じた場合、白か黒かがギルドマスターにより判断される。その後、星教会に身柄が引き渡され裁きが実行される。応じなかった場合は犯した罪に応じて賞金が掛けられ、除名の上で賞金首として各ギルドへ手配される。

 手配された者は、街を出るか、アートのスラム地区へと身を潜めることになる。迷宮内に身を潜めるという手もなくはない。

 衛兵達は賞金首だろうと関係なく迷宮への通行を許可する。賞金首の確保は彼らの職務ではないからだ。地上での騒ぎには駆けつけるが、迷宮内での揉め事までは関知していられない。

 ただし教皇から異端として始末するように指示がくだった場合は別だ。即座に異端審問官が行動を開始する。彼らに捕まる事はそのまま死を意味する。教皇から疑いを掛けられた時点でその者は異端なのだ。

 ――星教会を統べる偉大な教皇が、判断をあやまる事は絶対にないのだから。

「怪しい場所には極力近づかない、どんな人間にも最大限の警戒をする。長生きするための鉄則ですよ」


 クランプが瞑想しながら独り言のように呟く。


「とりあえず覚えておくわ。助言ありがとうね」

「あ、ありがとうございます! ジャバさんにクランプさん!」

「なぁに良いって事よ。同じ戦士ギルドだしな。精々無理しないようにな。まだまだ始まったばかりだ」

「私は聖職者ギルドですがね」

「お前は一言多いんだよ」


 ジャバとその一行に別れを告げ、勇者とマタリは先へと進み始める。

 順調に三階を突破し、地下四階。特に見新しいものはない。殺風景な造りの通路が広がる。

 魔物は相変わらずのネズミばかりだが、二人は危うげなく処理を行なっていく。もう尻尾には見向きもしない。

 今日のところは、制限時間になるまで下に進んでみようという意見で纏まっていた。

 そして再び現れる黄色の矢印。勇者は不愉快そうに見下ろす。一本道のため、仕方なく誘導に従い進んで行く。


「……この矢印、当てにするのも考えものね」

「え、どうしてですか?」

「上層は駆け出しの素人ばかり。まず頼りにしてしまうのはこの矢印。じゃあこの矢印が本当に正しいという証拠はあるの?」

「で、でも教会の本には親切な冒険者が塗ったと――」

「その時はでしょ。それが書かれてからどれぐらい経ったのかしらね」


 地面に描かれた黄色い矢印を勇者は勢い良く踏みつける。

 塗料が剥がれ、灰色の地肌が覗く。


「……それは、誰かが仕掛けた罠かもしれないということですか?」

「地獄への道標かもね。とにかく、絶対に油断するな。常に張り詰めているのは無理でも、奇襲だけは喰らわないようにしなさい」


 勇者が強く忠告すると、マタリは表情を引き締めて頷いた。緊張からか身体はガチガチに固まっている。

 勇者は逆効果だったと頭を抱えたくなったが、死ぬよりはマシだろうと気にしないことにした。

 やがて三叉路につくと、マタリが矢印の方向へと進んでいく。盾を前面に突きだしながら。矢印のない道が安全という訳でもないので、勇者は無言でその後に続く。

 勇者は徐々に表情を険しくする。先ほどから不快指数が上がっている。何かに見られている気がしてならないからだ。背後を振り返るが誰もいない。凝視するが、姿は見えない。

 舌打ちして勇者は再び歩き始める。勇者とマタリの呼吸音だけが周囲に響いている。

 更に二又の道が。矢印のある右へと進む。

 別れ道を進んでいくと小部屋が二人を待ち受けていた。ここが終点。両者は小部屋の手前で立ち止まる。


「あ、あれ。行き止まりですよ」

「……みたいね」

「ど、どうしましょうか」

「不用意に入るのは危険よ。こういう場所は気をつけないと」


 警戒しながら二人は矢印通りに進んできた。襲われることなく終点へと無事辿りついた。だがそこには地下への階段はなかった。

 小部屋の入り口の矢印は真っ赤に塗られている。入り口から見る限りでは異常はないように見受けられる。

 薄明かりが照らす部屋の中心には、宝箱のようなものが置いてある。まるで入って来いと誘っているかのように。蓋はまだ閉まっている。

 勇者は顔を顰める。怪しい宝箱を見たからではない。

 血の痕跡が濃すぎるのだ。部屋中に染み付いている。入り口であるこの場所にまで漂ってくる。

 時間経過とともに臭いは掻き消えようとも、そのこびりついた痕跡を勇者は嗅ぎ取ることが出来る。どんなに死体を隠そうとも、勇者の眼を誤魔化すことは出来ない。悪意の残滓を隠し切ることは出来ない。

 かなりの数の人間が、この場所で命を落としている。間違いない。部屋に入るまでもなく危険。『既に敵の領域に入ってしまっている』と、勇者が警告しようとしたその時。


「あの箱に何かがあるのかもしれません。背後の守りをお願いします!」

「ば、馬鹿が、戻りなさいッ!!」

「私は重装備ですから大丈夫ですよ!」

「いいから戻れッ!!」


 小部屋の中心へ盾を構えて一直線に進んでいくマタリ。勇者が二度目の制止をした時、既に赤の矢印を越えてしまっていた。

 何かカチリと嵌る音が聞こえ、マタリが不思議そうな声を上げる。


「――えっ?」


 足元で何かが炸裂し、マタリは体勢を崩した状態で部屋の中心へと投げ出される。勇者も巻き添えを喰らい、後方へと弾かれる。

 対人用の罠。呑気に入ってきた『駆け出し』を狩る為の初手。


 「う、ううっ」


 中央で態勢を崩したまま、辺りを伺うマタリ。盾は衝撃を受けた拍子で、手放してしまっていた。

 愛用の盾を拾いに行こうと、よろよろと立ち上がる。


 ――その瞬間、殺人装置の第二手が発動した。


 空気が抜ける音が多数する。それは備え付けられた弩が自動で発動された証左。音の数だけ弩は設置されている。部屋の四方から、ある一点目指して。


「……え」


 マタリは自分の身体を眺める。使い古してきた重鎧。その上から、小さな鋭い矢が深く突き刺さっている。一本だけではない。前面だけでも数十本。厚い鎧を易々と貫く程の威力で。

 口から夥しい量の血がドロリと流れ落ちる。何が起こったか理解出来ないまま、マタリは力を失い崩れ落ちる。

 その身体は針山のように矢が刺さっていた。頭部だけが無傷なのは幸運と言えるのだろうか。


「――あ、アア」


 マタリの目が入り口で立ち尽くす勇者を確認する。もう身動き出来ない。マタリの視界が白く、やがて薄れて霞んでいく。

 震える手を、その方向へと伸ばす。


「ゆ、ゆうしゃ、さん」


 勇者はそれを感情のない目で眺めていた。一人の人間の命が掻き消えていくのを。入る必要は全くないと、勇者の脳が強く警告を発している。小部屋へ決して入るなと。

 罠はまだ動作中、入ればみすみす死地に飛び込むことになる。

 勇者が『入るな』と制止したにも関わらず、マタリは飛び込んだ。

 未熟な小娘は報いを受けた。致命傷であることは疑いようがない。数刻を持たずして、息絶える運命だ。マタリは死ぬ。

 勇者の脳裏に、マタリの能天気な表情と言葉が浮かぶ。

『これから共に戦う仲間、格好良く言うと生死を共にする仲間ですから』

 その言葉は本気ではないだろう。勇者には分かっている。

 逆の立場なら、勇者はきっと見捨てられるだろう。伸ばした手を誰も掴んではくれない。人間とはそういうものだ。

 そして勇者はまた一人で戦い続ける。魔を滅する為、呪われた魂が消滅するその日まで。

 ――だが、勇者は行く事を選択した。そうするべきだと思ったから行く。伸ばされた手を掴まなければならない。マタリの目は、既に閉じているが、行くのだ。

 

 

 勇者が、罠の待ち受ける小部屋へ足を踏み入れようとした瞬間――。

 誰かの嘲るような笑い声が響き、マタリの細首目掛けて、煌く白刃が振り下ろされた。



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