特典SSその1
時系列としては、第一話、街に到着する前といった感じです。
薄暗い森の中を、勇者は当てもなく歩き続ける。人が通ったらしき僅かな痕跡だけを頼りに、道なき道をひたすら進む。
空は木々に覆い隠されていて、今が一体何時頃なのかも見当がつかない。夜でないことは確かだろうが、日光が差し込むことはない。
地面はぬかるみ苔が生い茂り、乱雑に立ち並ぶ高い木々が方向感覚を奪っていく。
周囲からは、鳥の鳴き声や獣の遠吠えが時折聞こえてくる。人間が近くにいる気配はまるで感じられない。
腹部が赤く染まっている服が、汗で滲んでいく。靴は中まで泥だらけで、歩くだけで気持ちが悪い。
傷は癒えているのに身体がひどくだるい。頭は痛いし眩暈もする。お腹も減ったし、身体も洗い流したい。
森を抜けた先に宿があったとしても、お金がないのでどうしようもない。
(もう今日は、野宿にするか。同じところをぐるぐる回っている気もするし。誰かが通りかかったら道を尋ねれば――)
勇者が気力と体力に限界を感じた時、近くから奇妙な音が聞こえてきた。
その音は一定の間隔で打ち鳴らされている。金属の類ではなく、それよりもっと鈍いものだ。
「……魔物でも、いるのかしら」
勇者は警戒しながら周囲の茂みに目を走らせる。石斧を盾に叩きつけ、群れを成して威嚇してくる魔物もいた。
残念なことに、今の勇者には手持ちの武器がない。身に着けているものも血で汚れたこの服のみだ。奇襲されれば少し厄介なことになる。
いざとなったら武器を奪って返り討ちにしてやろうなどと考えつつ、身構えながら音の方へゆっくりと歩を進めていく。
奇妙な音が段々と近づいてきた。打ち鳴らされる間隔も早くなってきているようだ。焦っているような感じを受ける。
「あの木の傍からか。さて、一体何がいるのやら」
視線の先には、かなりの年齢を生きてきたと思われる大木がある。鈍い音はそこから発せられていた。
茂みを掻き分けてその大木に近づくと、二人の人間の姿が目に入った。
一人は大木に寄りかかり、眠るように目を閉じている中年の男。大きな荷物が横にあるので、行商人なのかもしれない。だが、良く見ると男の顔は酷く黒ずんでおり、蛆がたかっている。
どうやら旅の途中で力尽きてしまったようだ。病に侵されて行き倒れというのは、別に珍しい話ではない。
もう一人は薄汚い襤褸布を纏った黒髪の少女。年は六歳から七歳ぐらいだろうか。青白い頬と痩せ細った身体、粗末な身なりを見れば、貧しい身分だというのは一目で分かる。
その少女は両手に石を持ち、男の死体に向かって必死に打ち鳴らしている。何をしようとしているのかは分からないが、勇者のことには全く気が付いていないようだ。
勇者は、とりあえず声をかけてみることにした。
「ねぇ、さっきから一体何をしてるの? 石を打ち鳴らしてるのは、死者を弔う儀式かなにか?」
「…………」
少女から返答はない。こちらを見ようともしない。夢中で何度も何度も石を打ちつけている。時々指が挟まっているらしく、石には赤いものが滲んでいる。それでも止めようとはしない。痩せた手で飽きることなく同じ行為を繰り返している。
もしかすると言葉が理解できないのだろうか。その場合は、獣に向かって話しかけているのと同じことだ。
「ねぇ、私の言葉が分かる? アンタは何をしているのかって聞いてるのよ」
「これを、焼くの」
語気を強めて少女に問いかけると、今度は返事が帰ってきた。獣と違って言葉は通じるらしい。
そして何をしているのかも理解できた。この少女は火を起こそうとしているのだ。
だが、残念ながら何年経とうがそれが叶うことはない。火打ち石同士を打ち合わせたところで火種が起きることはない。見よう見まねでやろうと思ったのだろうが、無理なものは無理だ。
「そのやり方じゃ何百年経っても火は起こせないわよ。その石は鋼に打ちつけないと火種は生まれない。火を起こすのにも色々と順序があるのよ」
「……そうなんだ。残念」
少女はどこか気落ちした様子で肩を落とすと、二つの石を用済みとばかりにその場に投げ捨てた。
そして、男の荷物から錆びたナイフを取り出すと、大きく振りかぶって死体へ突き立てようとする。
勇者は慌てて制止の声をかける。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 何の恨みがあるのかは知らないけど、そいつはもう死んでるじゃない」
「本当は焼いてから食べようと思ったの。生だとお腹を壊すから。でも無理みたいだからこのまま食べることにした。お腹が減って死にそうだから」
「……アンタ、もしかして人間を食べようとしてるの?」
「お肉が食べたいから。その辺の草も食べてみたけど、凄く不味くて食べられなかった。家に帰れば食べ物はあるけど、私の分はないし。この人の荷物も探したけど食べ物はなかった。だから、ここに落ちてるお肉を食べようと思って」
頭の悪い回答に幾らか頭痛を覚えたが、勇者は説得してやめさせることにした。他人事とはいえ、こんな子供が人間の死肉を漁る姿など見たくはない。知ってしまった以上は見逃すこともできない。
「馬鹿なことはやめなさい。腹が減っても、食べてはいけない物もある。人間は人間を食べてはいけないのよ」
「……私のご飯を、貴方も取るの?」
外見に似合わぬ低い声と共に、少女がこちらを振り向く。勇者の脳に強く警告が発せられる。その幼い外見に騙されるなと。気を抜けばこいつは襲いかかってくる、絶対に油断するなと。
その証拠に、少女の目はひどく濁っていた。半開きになった口からは涎が垂れ、手には錆びたナイフが握られている。頭の中には食欲のことしかないのだろう。邪魔をするならばお前も喰い殺すと言わんばかりだ。少女の姿でなければ、その目は飢えた狼のものとしか思えない。
「そんなもの私は食べないし、いらないわ。但し、人間を食うのは見逃せない。アンタが魔物になるのを見逃す訳にはいかないのよ。私は勇者だからね」
「……そうなんだ。でも、本当はお肉を独り占めする気なんでしょう。貴方も私からお肉を取るんだ」
「そんな訳が――」
「前も、私が持って帰った兎の死体を全部食べちゃったし。皆はお肉なのに、私には骨しかくれなかった。私が見つけたお肉なのに、そんなのずるい」
少女はゆらりと立ち上がると、腰を低くしてこちらに向かって飛びかかってきた。動きは荒く隙だらけだが、殺意だけは魔物に匹敵する。ナイフはともかく、下手に噛みつかれでもしたら、死ぬまで離しそうにない。
「この餓鬼ッ!」
突き出されたナイフを叩き落し、少女の喉下を掴み上げる。目覚めたばかりとはいえ、こんな雑な攻撃を喰らうほど衰えてはいない。
「――ッ!!」
少女は苦しみながらも、両手両足をバタつかせて必死の抵抗を見せる。流石に殺すつもりはないが、離した瞬間に襲いかかってくるのは目に見えている。
勇者は顔を限界まで近づけて恫喝してみることにした。
「気迫だけは大したもんだけど、まだまだ甘いわ。――良く聞きなさい、意地汚い食いしん坊娘。私に襲いかからないと約束するなら解放してやる。約束できないなら、このまま絞め落とす」
「――ッッ!!」
歯を剥き出しにして首を横に振る少女。襲いかかる気満々らしい。勇者のことを食料を横取りする盗人と完全に誤解している。
殺されることへの恐怖よりも、食料を奪われることへの怒りが上回っているようだ。
「良い度胸じゃない。ただ、餓鬼相手でも私はやるときは本当にやるわよ。魔物を殺すことに躊躇はないからね。良く考えなさい」
それでも少女は首を横に振る。しかも微かにだが口元を歪めている。やるならさっさとやれという意志の表れだろうか。全くもって年齢に似つかわしくない表情だ。
「餓鬼の癖に良い根性してるじゃない。って、感心してる場合じゃないか」
勇者は少女の喉下を掴んだまま悩む。このまま殺すのはやはりまずいだろう。だが離したらまた襲ってくるのは間違いない。一体どうしたものか。
そもそも、この場面を見てしまったのが失敗だった。知らなければそのまま素通りてきたというのに。面倒なことに巻き込まれたのは、全て自分のせいである。
そのまましばらく悩んだ後、勇者は妥協案を提示することにした。
「じゃあこうしましょう。アンタは死ぬほど肉が食べたい。私はアンタが人間の肉を食べるのが見逃せない。だから、別の肉を用意してやるわ」
「……別の、お肉?」
「そこらへんの獣を狩って食わせてあげるわ。それでどう?」
「…………」
勇者が確認すると、少女はようやく大人しくなり頷いた。目の濁りは幾らか薄くなり、理性が戻ってきたようだ。その代わりに、口から出る涎の量は増えていたが。お腹の音のおまけつきだ。
疲れてきた勇者は、思わず溜息を吐いた。
「これでよしっと」
勇者は少女が持っていた錆びたナイフを使い、近くにいた哀れな野兎と野鳥を連続で仕留めた。
男の残した荷物の中に、調理に使えそうな器具があったので、遠慮なく使わせてもらう。
適当に毛と皮を削ぎ落とし、内臓を取り除く。血が滴る赤肉をナイフで適当に切っていく。それらを鉄の串に刺して、地面に突き立てる。
掻き集めた木の枝を組み合わせ、魔法で火を起こして豪快に焼いていく。食欲をそそる香ばしい匂いが辺りに漂い始める。
少女はその作業を座って見ていたが、もう我慢の限界だといった顔をしている。まだ半焼けだというのに手が伸びてきたので、遠慮なく叩き落す。
手を押さえながら、少女が今までで一番悲しそうな顔をする。大事な玩具を取られてしまった幼い子供の顔だ。
「焼けるまでもう少し待ちなさい。半焼けで食べるとお腹を壊すわよ」
「壊してもいいから今すぐ食べたい」
「ったく、食い意地もそこまでいけば立派なもんね。なら、一番焼けてそうなこれでも口に入れてなさい」
小さい肉が刺さった鉄串を少女に渡してやる。満面の笑みを浮かべると少女はそれに貪りつく。すぐに飲み込むことなく、良く噛んで肉汁を味わっているようだ。長い時間をかけてそれを食べ終えると、至福の表情を浮かべる。
これほど美味そうに食事をする人間は初めてだったので、勇者は思わず吹き出してしまった。
「何の味付けもしてないのに、ご馳走を食べたみたいな顔しちゃって。アンタ、本当にお腹が減ってたのね」
「美味しい。ねぇ、こっちももう焼けた?」
「焦げ目が少し付いたら食べて良いわよ。私は、この一本だけでいいから」
勇者がどんどん食べろと促すと、少女は両手で鉄串を握って再び食事を開始した。口の周りには肉汁だらけ。全く気にすることなく次から次へと口に放り込んでいく。
勇者もお腹が減ってきたので、手近にあった鉄串を掴んで肉を噛み千切る。野性味溢れる味がする。臭みを消すための香辛料が欲しいところだが、ここでは贅沢も言えないだろう。
それから三十分もしないうちに、少女は全ての肉を食べ終えた。勇者が食べたのは一本だけだったが、見ているだけでお腹が一杯になったので特に文句はなかった。
「ねぇ、アンタの名前はなんて言うの? その凄まじい食い意地を讃えて、一応聞いておいてあげる」
「私はシェラ。この森の傍にある村に住んでる」
シェラと名乗った少女は手に付いた油を丁寧に舐めている。お腹が膨れたことに満足したのか、目からは濁りが完全に消えている。
「その村に、アンタの家族はいるの?」
「いるけど、私のことはいらないって言ってた。売ろうとしたのに、すぐに死にそうだから売れなかったって。だから、家では役立たずって言われてる。ご飯もほとんどくれない」
魔王が死んだというのに、この世界は相変わらずのようだ。勇者がいた頃と全く変わっていない。このような話は、これから幾らでも聞けそうである。
人買いがシェラを買わなかった理由も理解できる。この顔色と体つきを見れば、長くはないと判断しても仕方がない。
しかし、自分の状況を淡々と説明するシェラにはどこか違和感を覚える。見かけ通りの年齢ならば、もっと泣き喚いても良いと思うが。
「アンタ何歳なの? 見かけの割りに、えらく大人びてる気がするけど」
「多分六歳ぐらい。年なんてどうでもいいから、よく覚えてない。大事なのは、今日何が食べられるかだけ」
シェラはそう言って男の死体を振り返る。舌なめずりするその姿に、嫌な予感を覚えたので釘を刺す。
「だから、人間に食欲を向けるのを止めなさい。今のうちにそのとんでもない悪癖を直せ」
「一口だけ食べてみて良い? どんな味がするのか気になるから。一口だけ」
「絶対に駄目よ。それに、不味いから止めときなさい」
「人間を食べたことがあるの?」
「ないに決まってるでしょ。馬鹿なことを聞くな」
「食べたことがないのに、どうして不味いって分かるの?」
「……そ、それは、ほら、どう見ても不味そうだからよ」
本当に不味いのだろうか。そんなこと知る訳がない。かといって食べて確認する訳にもいかない。第一、人間相手に食欲を抱くようになったら魔物と変わらない。
「味はともかく、人間を食べたら魔物になるから駄目よ。絶対に駄目!」
不覚にも言葉に詰まってしまったが、勇者は強く言い切った。
「どうして人間を食べたら魔物になるの?」
「そういうものだからよ」
「じゃあ、人間を食べた動物も魔物になるの?」
矢継ぎ早に質問を投げかけてくるシェラ。やり込めてやろうというのではなく、純粋に疑問に感じるのだろう。
動物が人間を食べると魔物になるのか。多分ならないと思う。この死体を狼が食べたとしても、それはごく当たり前のことだ。いわゆる自然の摂理。
だが、人間だけを狙って、しかも喜んで食べるような輩は魔物以外にはあり得ない。今までも腐臭が凄まじい奴しかいなかった。たとえ元が人間だったとしてもだ。当然皆殺しにしてきたし、これからもそうする。
「人間を喜んで食べるような連中が魔物になるのよ。動物だろうが人間だろうがね!」
「じゃあ、なんで私たちは他の動物の肉を食べても良いの? 私は喜んで兎と鳥を食べたけど、魔物になってない」
「……なんでって言われても」
「人間だけが特別なの? それはどうして?」
答えに窮する。そういうものだからとしか言い様がない。食べて良いという訳ではないが、食べなければ人間は生きていけない。他の動物も同じことだ。
人間だけが他の動物を食っても許されるのか。そもそも、許す許さないなど誰が判断するのか。聖職者ではない自分には些か難しい問題だ。神など見たこともないし、信じたこともない。
――だが、一つだけ言えることがある。
「とにかく、人間は人間を食べてはいけないの。勇者である私が言うんだから、絶対に間違いないわ。他の小難しいことは、大きくなってから考えなさい!」
「人間は、人間を食べてはいけない」
「そうよ。勇者の私が言うんだから絶対の絶対よ!」
「そうなんだ」
勇者が胸を張って答えると、シェラも引き下がる。だが視線は男の死体にまた向いている。全然分かっていないようだ。
勇者はシェラを睨みつける。
「アンタ、私が行った後でこっそり食べるつもりでしょ。顔にそう書いてあるわよ」
「本当?」
シェラが顔をペタペタと触り始める。小さな顔が肉汁塗れになってしまった。
「それぐらい顔に出てるってことよ。……そうね、じゃあこうしましょう。この先、アンタが人間を食べないって約束したら、もっと沢山肉を取ってやる。それに火の起こし方も教えてあげる。それでどう?」
「もっとお肉が食べられるの?」
シェラが釣り針に食いついてきた。
「そうよ」
「もし、その約束を破ったらどうなるの?」
「別になにも起きないわ。アンタが約束を守れない人間になるってだけよ。但し、約束を守れないような人間は、ご飯も美味しく食べれないでしょうね」
勇者は思いつきで適当なことを喋るが、シェラは真面目に聞いている。
暫く考えこんだ後、シェラは深く頷いた。
「分かった。私は人間を絶対に食べない。約束する」
「勇者との約束だからね。破ったら直ぐに分かるわよ」
「絶対に、破らない」
「よし、それじゃまた獲物を探しましょうか。さっきよりもデカい奴をね。火の起こし方はその後よ」
勇者は適当に周囲を散策して獲物を探し回った。中々見つからなかったが、最終的に大きな猪を仕留めることに成功した。
男の荷物に入っていた火付け道具を取り出し、火打石、火打ち金を使った着火方法を教えてやる。おがくずや粉々にした枯葉などを使って、徐々に火を大きくしていく。これは、ずっと昔に勇者の仲間から教えてもらったことだ。旅をする上での基本的な知識の一つ。
シェラがこの先活かしていけるかは分からないが、教えてやると約束したからにはしっかりと実行する。約束は守らなくてはならない。
「これを食いきるのは結構大変よ」
「全部食べてもいい?」
「腹八分目という言葉を覚えなさい」
時間をかけて猪を解体した後、長持ちする保存の仕方を教えてやった。ついでに腐っているかどうかの判断方法も。シェラは、この場で一頭丸ごと食べるつもりだったようだが流石に無理がある。
これらの知識が根本的な解決になるとは思えないが、当のシェラは明日もお肉が食べられるととても嬉しそうだった。
勇者は最後に男の死体を埋葬してやることにした。勝手に商売道具を使わせてもらった礼も兼ねてだ。ちなみにシェラも手伝ってくれた。
一通りの作業を終えた頃には、辺りは暗くなっていた。元々日光が差し込まない森だったが、更に闇が増してきている。
「これで、私が教えられることは終わり。後は、アンタが約束を守るだけよ」
「ありがとう」
大事そうに残りの猪肉を袋にしまうと、シェラが感謝の言葉を述べる。食べている時と比べて心が篭っていないような気がするが、これも性格なのだろうと思うことにした。
「ところで、この辺に大きな街とかない? どっかでお金を稼がないと生きていけないからね」
「ここをまっすぐ行くと大きな川が流れてる。それを下っていった先に、アートっていう大きな街があるって村の人が言ってた」
「そう、教えてくれてありがとう。あー、アンタは村まで一人で帰れる? あれなら送っていくけど」
勇者が尋ねると、シェラは大丈夫だと頷いた。
「ここら辺は良く知っているから平気」
「そっか。まぁ、アンタも精々元気でやりなさい。腐った肉は食べるんじゃないわよ」
勇者は手を振ると、その場を後にする。シェラは特に何も言わずにその場に立ち尽くしていた。
目標の川を見つけたので、流れに沿って歩きながら考えを巡らせていく。
この後、シェラが無事に生きていけるかどうか。それはかなり難しいように思える。家族からは役立たず呼ばわりされ、碌に食事ももらえていないようだ。自分で殺すのは嫌なので、さっさと死ねということなのかもしれない。貧しさが極まれば、親子の情など簡単に薄れていくものなのだろう。
森で狩りを行い続けるのもシェラの体格では難しい。動物の死体を漁るか、木の実や茸などを取るしかない。森には危険な動物も多数いるだろう。盗賊の類も身を潜めているかもしれない。幸運がいつまでも続く訳ではない。明日には自分が食べられる側になるかもしれないのだ。
それが分かっていても、勇者にはどうしようもない。シェラのような子供は数多くいるだろうし、それを一々助けていくこともできない。勇者は神ではないのだ。求められるがままに救いを与えて回ることなどできはしない。
結局、勇者にできることは一つだけなのだ。――魔物を殺して殺して殺し尽くす。そのためだけに、勇者は存在している。
「……本当に、相も変わらず嫌な世の中ってことね」
勇者が溜息を吐いたその瞬間。
「ねぇ」
「――ッ!!」
すぐ背後からいきなり声をかけられたので、勇者は慌てて距離を取って振り返る。そこには、不思議そうに首を傾げているシェラの姿があった。
勇者は考えに集中していたが、警戒は怠っていなかった。背後を取られるなど、既に一撃受けているも同然である。シェラに殺意があれば、自分の背中にはナイフが突き立っているだろう。
油断したつもりはないが、気付くことができなかったのだ。
「さっき聞き忘れてたから、教えてもらおうと思って」
「いきなり後ろから話かけないで。思わず全力でぶん殴るところだったわ」
「ごめんなさい」
全く悪いと思っていない顔だ。短い付き合いだが、なんとなく分かる。
「……それで、何が聞きたいのよ」
「魔物は食べても良い?」
「…………は?」
「魔物は食べても良いの?」
「……アンタ、魔物を食べたいの?」
勇者は呆れながら確認する。目の前の食いしん坊娘は冗談を言っている気配はない。真剣な眼差しだ。
食欲もここまでくれば一種の才能だろう。何の役に立つのかは全く分からないが。
「凄く食べてみたい」
魔物は食べても良いのか。そもそも食べられるのか。そんな馬鹿なことは考えたことがないし、食べたいなどと思ったこともない。
食べてはいけない理由はないだろう。元が人間でないのならば。外見自体は動物や虫のような奴らが多い。食欲が湧くような連中ではない。むしろ、踏み潰してやりたくなる。
「ま、まぁ、元が人間じゃなければ別に良いんじゃないの。でも、きっとお腹を壊すわよ。あいつらの性根は腐ってるからね」
「分かった、今度見つけたら食べてみる。ところで、魔物ってどんな姿をしてるの?」
全然分かっていない様子のシェラが更に問いかけてくる。
「一発で分かるわよ。人間とは違う異形の者だから。一応言っておくけど、もしも見つけたら全力で逃げなさい。死にたくないならね」
「色々と教えてくれてありがとう。それじゃあね」
シェラは楽しげに口元を歪めると、火付け道具を楽しげに打ち鳴らしながら森の中を歩いていった。
どうやらシェラは己の気配を殺すことができるらしい。今まで何度も森を出入りしているうちに、自然に身につけたのだろう。あれならば当分死ぬことはないように思える。腹は膨れないだろうが。
勇者はシェラの後姿を見送った後、複雑な顔でその場に座り込んだ。だが、暫くしていよいよ堪えられなくなり、笑いを押し殺すのを止めた。
「――クク、アハハハッ、魔物を食いたいなんて馬鹿な奴、初めて見たわ。人間が強くなったのか、魔物が弱くなったのか。いずれにせよ、あの食いしん坊娘に負けていられないわ。全部食べられる前に、私が皆殺しにしなきゃ」
勇者は勢い良く立ち上がると、不敵に笑って周囲を睨みつける。こちらの様子を伺っている者が四人。旅人目当ての追いはぎの類だろう。人の姿をしているが全く遠慮はいらない。
「私は魔物に堕ちた人間には容赦しない。腐臭がするお前らは全員皆殺しよ。ああ、私は食べたりしないから安心して死ね」
「――こ、こいつ、魔法を使うぞ!」
「まずいっ! 早く殺せッ!」
「遅いわよ、馬鹿共が」
勇者は歯を剥き出しにして手を翳す。眩い白光が発せられると、追いはぎ達が得物を構えて慌てて飛び出してきた。
白い光が弾けると、四つの悲鳴が森の中に木霊する。
少々加減しすぎてしまったらしく、瀕死の状態で数人が生きていた。まだ目覚めたばかりのせいで本調子ではないようだ。いつもなら一発で粉微塵にできている。
「まだまだ戻らないか。本当に腹立たしい」
「た、助け――」
「耳障りだから人間の言葉を話すな」
追いはぎ達が泣きながら命乞いをしてくるが、無視して顔面を踏み潰す。残りの死に損ないも魔法で殺す。魔物とは交渉しない。昔から決めていることだ。
近くの川で全身の汚れを洗い落とした後、浅瀬に寝転んで勇者は星空を眺めることにした。
これから行く街にはどんな連中がいるのだろう。どんな魔物がいるのだろう。自分はそこでどうなるのだろう。
色々なことを考えた後、勇者はゆっくりと目を閉じることにした。
最後に考えたのは、今の自分は溺死体にしか見えないだろうという、本当にどうでも良いことだった。
シェラ……一体何者なんだ。




