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勇者、或いは化物と呼ばれた少女  作者: 七沢またり


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第三十六話

 聖鳥に乗った勇者達は最大の激戦地、迷宮広場へと急行する。

 だが、その上空には赤い巨大な竜が我が物顔で旋回している。

 地上を見ると既に防衛線は崩壊、兵士達は各個孤立してしまっている。後一時間も経たないうちに全滅するのは必定に見えた。


「……ドラゴン?」

「伝説にある、赤き竜。アークドラゴンよ。その皮膚は剣を弾き、矢を通さないというわ」


 マタリの疑問に、エーデルが答える。厄介な敵が現れたという顔をしている。


「ど、どうすれば」

「私に任せておきなさい。何せ一回ぶっ殺してるからね。あの時は翼をもいでから首を刎ねてやったんだけど。アンタ達は振り落とされないように、しっかり捕まってなさい」


 勇者はマタリに告げると、聖鳥の背中を軽く叩き合図する。


「後方からいく。一撃で仕留めたいけれど、無理なら何度かやる」


 聖鳥はその声に応えるように旋回し、大きく回り込むように飛び始める。

 勇者は二振りの剣を強く握り締め力を溜め始める。もう体力、気力が残り少ないことを自覚している。魔力は言わずもがなだ。

 だが出し惜しみしていても仕方ないと決断し、魔力を練り始める。

 竜は雄叫びを上げると、体勢を変えて別の方角に照準を合わせ始める。

 後方から近づく勇者達には全く気付いていない。


「――いくわよ」


 赤い竜に勇者は降下するように飛び移る。その勢いのまま、二本の剣を背中に深く突き入れる。

 竜は突如として走った激痛に、大地を震わせる雄叫びを上げる。


『――グアアアアアアアアアアアアアア!!』

「よいしょっと!」


 両腕が埋まるまで体内に抉りこませる。限界まで、内臓を抉るように突き入れる。


『ゲアッ!! グギャアアアアアアアアアア!!』


 竜は口に溜めていた炎を上空へ狂ったように放ち始める。

 勇者は振り落とされないように身体に力を篭め、体内へと炸裂魔法を流し込む。

 さらに剣先からも光魔法を発生させながら、背を骨ごと断ち切っていく。身体から閃光が迸り、竜の口から夥しい血液が吐き出される。

 もがき苦しみながら落下を始めるアークドラゴン。勇者は移動してきた聖鳥にそのまま飛び降りる。


「や、やったんですか?」

「とどめが、まだよ。……アンタも構えなさい。下から首を狙うの。薙ぎ払う感じでね」

「は、はい! やってみます!」

「アイツをやりゃ竜殺し。猪娘から卒業できそうね」


 勇者はマタリに笑いかけてやった。

 聖鳥は墜ちるドラゴン目掛けて急降下を始める。

 勇者は剣を右肩に構える。マタリも上段に構えて好機を待ち受ける。

 きりもみ状態で墜ちていく竜に、聖鳥が背後から抜き去った。

 勇者とマタリは、すれちがい様に剣を一閃させる。大小の二本の剣は、見事に竜の首を断ち切ることに成功した。

 主を失った巨大な胴体はそのまま広場に落下していき、多くの不運な魔物を押し潰す。無念の形相が滲む竜の首は迷宮入り口の横に落下し、趣味の悪い芸術品のように鎮座した。


「ハアッ、ハアッ。やれやれ、寝起きには辛いわ。最初は鼠程度にして欲しいわよね」


 息を荒げながら、勇者は聖鳥の背中にもたれ掛かる。


「ド、ドラゴンを、あんな強そうなドラゴンをやったんですね私達!」

「そういうことよ猪娘。でも、まだ喜ぶのは早いわよ。下を見なさい」


 霞が掛かった視界から大地を見下ろすと、数え切れないほどの魔物が展開している。早くなんとかしなければ、残り少ない生き残りは全滅するだろう。

 勇者は大きく溜息を吐くと、さてどうしたものかと考えを巡らす。一匹一匹片付けていくほどの時間は残されていない。しかしあれを殲滅する程の魔法を放つことはとても出来ない。

 勇者はふと空を見上げる。眩しいばかりに太陽が輝いている。


(これならいけるかな。太陽の力と、魔力を溜めれば)


 残り少ない精神力を掻き集め、再び集中する。

 聖鳥がけたたましい鳴き声を上げて警告を発してくるが、勇者は無視する。

 目標は迷宮前広場一帯。円を描く様に狙いを定める。これが上手く行けば形勢は変わるはずだ。

 二振りの剣を十字に交差させ、祈りを籠める。

 誰に対して祈っているのか勇者にも良く分からないが、心の底から念じてみた。


「――生ける者達、死せる者達。人と魔物、全ての者に光あれッ!!」


 迷宮広場を眩い光が包み、地面に巨大な魔法陣が展開された。

 魔物達は途端に動きが鈍くなり、行動する気力を失っていく。


「い、今のは!?」

「説明している、時間は、ないわ。早く降りて、全部叩き潰してきなさいッ!」

「は、はいっ!」


 勇者が一喝すると、マタリとエーデルは降下し動きの弱った魔物と戦闘を開始する。

 押されていた義勇兵、教団兵達も最後の力を振り絞って剣を振るい始めた。


『……今ので、残り時間は一時間をきった』

「知ってるわ。でも、まぁ、いいんじゃない。後は、鼠の親玉を始末すれば」

『……本当に、馬鹿だな』

「それも、知ってる」


 勇者は呼吸をするのも苦痛になりはじめていた。この両足は走ることすら出来ないだろう。

 元々残り少なかった蝋燭。最後に盛大に油をかけて一気に燃やしてしまっただけのこと。地味に消えるより、派手に燃え落ちたほうが良い。その方が明るくて、悲しくなさそうだから。

 だが、出来うるならば、その油が最後の鼠を燃やすまではもって欲しい。勇者はそう思った。


「へ、へへっ。ようやく勇者様一行のお出ましか。全く、遅すぎるってんだ。――野郎共、押し返す最大の好機だ!! レンジャーギルドの名前を汚すんじゃねぇぞ!!」

「おう!!」

「勝負はこれからだ!!」

「頭、いきましょう!!」

「その意気だ!! 糞ったれ共を押し返してやれ!! 手当たり次第にぶっ殺せ!! おらああああああああああ!!」


 大斧を手にボーガンは巨体を揺らして突撃する。腰の手斧を抜き放ち、アークデーモンの額に突き立てる。


「あの熊男に負けんじゃないよ! 全員気張っていきな!」

「了解ッ!」


 クラウ率いるレンジャー部隊が即座に態勢を整え反撃を開始。それに続くように、孤立していた生き残りも士気を上げる。エレナも気力を振り絞って教団兵を指揮。犠牲を出しながらも包囲を再構築することに成功した。

 

「ど、どうなっているのだ。イ、イルガチェフ様からお預かりしたアークドラゴンが。こ、この失態、一体どう弁解すれば良いのだ」


 緑の衣を纏ったイルガチェフ子飼いの教徒、コスタは激しく動揺し狼狽しきっていた。

 最強と確信していたアークドラゴンが何者かによって首を落とされた後、眩い光が広場を埋め尽くしたのだ。進軍していた魔物達の動きが止まり、全滅寸前だった守備隊達に反撃される始末。

 空から降下してきた二人の人間の動きは特に凄まじく、瞬く間に魔物の軍勢が一掃されていくのだ。

 しかも魔物の死体は敵の手駒として蘇り、同士討ちを始めている。優勢だった戦況は完全に覆ってしまった。


「ち、地下からの増援が止まっているのは何故だ!! どうして出てこない!!」


 コスタが迷宮入り口に当たる階段へと目を向けると、巨大な白い怪鳥が、鋭い目つきで睨みを利かせている。時折その嘴から煉獄の炎を繰り出すと、地下から低い悲鳴が響き渡った。


「――そ、そんな。こんな馬鹿な」

「馬鹿はアンタでしょ。戦闘中に余所見するなんて、随分と余裕だったみたいね」


 振り向こうとした瞬間、腹部から光輝く剣先が突き出てくる。

 口から夥しい量の血が溢れ、緑の衣を汚していく。呪詛を呟く間もなく返す刀で首を斬り飛ばされ、コスタは絶命した。






「ここも、大分、片付いたみたいね。……ちょっとだけ、休憩するわ」


 勇者はその場に崩れ落ちると、肩で息をする。


「勇者さん! 大丈夫ですか!?」

「私の事は良いから、入り口を制圧しなさい。アイツもいつまでも抑えてはいられないわ」


 聖鳥が炎を発射する間隔が短くなっている。地下からの敵が数を増している証拠だ。

 このままでは再び突破されてしまうだろう。


「で、でも、勇者さんを放ってはいけません!」

「うるさい。良いから行け。それがアンタのやるべき事でしょうが!」


 肩を支えようとするマタリを押しのける。その力が余りに弱弱しかったので、マタリは驚いているようだ。

 自分の力の衰えに情けさを感じるが、それを顔には出さないよう努める。


「わ、私は――」

「アンタと一緒に戦えて楽しかったよ。今までありがとう、マタリ」

「ゆ、勇者さん?」

「行きなさいマタリ。私の事は良いから。さぁ、早くしなさい! 振り返るな!」


 マタリはゆっくりと立ち上がると、迷宮入り口へと向かい始める。一度だけ勇者を振り返ると、大剣を掲げてまた走り出していった。

 エーデルは既に入り口の封鎖へと全力を尽くしていた。戦死した人間すらも操り、全兵力を地下迷宮へと送り込んでいる。あれならばもう暫くの時間は稼げるだろう。勇者はそう判断した。

 エーデルには別れの言葉は必要ないだろう。明日にはピンクを纏って元気に死体を操っているはずだ。

 使い魔のジャッキー君と共に踊っているエーデルを思い浮かべ、少しだけ笑いを浮かべる。


「……貴方が、伝説の勇者なのか? 災厄をもたらすものと聞いていたが」


 赤き衣を纏った少女が、憔悴している勇者に声を掛けてくる。

 激戦を物語るが如く、顔は泥だらけ、身体は傷だらけのひどい有様である。


「アンタ、誰?」

「私の名はエレナ。エレナ・エカルラート。星教会の教皇を勤めている」


 生真面目そうな少女の顔を眺めた後、纏っている赤い衣を凝視する。

 見覚えのある真紅のローブ。勇者の脳裏に、とある女の姿が思い浮かぶ。

 自分を見捨て、更には魔王軍残党と手を組み自分を封印に追いやった元凶。確かに面影がある。

 この少女とは関係ないとは理解していたが、手が先に動いてしまった。


「うらっ!」


 拳骨がエレナの頭に炸裂する。


「い、痛ッ! な、何を、するんですか!? い、いや、一体何をするのか!!」

「偉そうに喋ってないで敵の親玉の居場所を教えなさい。私が潰してやるから」

「い、今調査中だ!」


 顔を赤くしたエレナが大声を張り上げたところに、教団兵が現れる。


「イルガチェフ一派の一人を捕らえました!」

「よくやった! イルガチェフはどこだ! 言え!」

「ち、地下迷宮百階さ。お前らも知る、聖域だ。知った所で、誰も行く事はできない。いや、しないだろうがな。ククッ――」


 緑の衣を纏った男はそう勝ち誇って気を失った。出血が激しかったようだ。


「せ、聖域だと。あ、あそこは」


 勇者は顔を曇らせるエレナの胸元を掴みあげた。


「……本当に時間がないの。その聖域とやらに行く手段があるなら、さっさと教えなさい。今すぐにッ!!」







 勇者は聖域へと乗り込んだ。教会が所有していた百階で記録されている転移石を使用して。行けば戻ってくる事は出来ない、片道用の転移石。

 勇者はマタリたちに声をかけることはしなかった。見送ったのはかつての裏切り者の末裔だけ。

 それで良いと勇者は思う。これ以外どうすることもできないのは確かなのだから。暗くなること間違いなしの言葉を聞く必要もないだろう。

 地下階層百階は、一つの大部屋だけだった。中央には奇妙な祭壇があり、一人の老人が玉座に腰掛けている。

 空気が澱んでいる事を想像したが、特にそういったこともなく、松明の薄明かりに照らされている。


「良く来たな、勇気ある愚か者よ。ここに来れば、どうなるか知らぬ訳ではあるまい」

「魔素が充満していて、入っただけで中毒になって死ぬんでしょ。知ってるわ」

「そう、もう手遅れだ。後数分もすれば、お前の身体は腐食して死ぬ。この階層の魔素は濃密だが、目で見ることは出来ない。だが、確実に存在しているのだ」

「あっそ」

「我が手によって殺されるか、腐食して死ぬ事を選ぶか。好きにしろ。お前の勇気を讃え、選ぶ権利をくれてやる」

「お前を殺してからゆっくりと考えるわ」


 勇者が二振りの剣を構えるが、イルガチェフは戦闘の態勢に入らない。懐から星玉を取り出す。


「愚かな者よ。魔素とは、何か分かるか?」

「魔力の塊」


 勇者は問答を受けつつ、力を溜め始める。


「間違ってはいない。だが、正解でもない。正しくは、人間の悪意の塊なのだ。この迷宮は、人間の悪意を吸い込むための装置なのだよ。人間の悪意が凝縮され、魔物は生まれるのだ」


 星玉から放たれる、禍々しい光が強くなっていく。


「人間の悪意とは恐るべき力を秘めている。例えば、嫉妬の感情がある。嫉妬が高まれば殺意へと代わり、やがては相手を死に至らしめることすらある。弱き人間のたった一つの感情が、凄まじき負の力を与えるのだ。それを限界まで凝縮すれば、どのような力を生み出すことか。無知なお前にも分かるだろう」

「分からないわね。悪意に踊らされてるだけの屑の言葉は」


 勇者が鼻で笑うと、イルガチェフが激昂する。


「踊らされているのではない。利用しているのだ! このように!!」


 イルガチェフは素早く呪文を詠唱すると、星玉を掲げた。黒き光が迸り、黒煙の中からある魔物が現れる。

 昔と違い、装束は劣化し、肉体も朽ち果てている。それでも対峙しているだけで重圧を感じる。

 三本の角、四枚の羽をもった竜族の末裔。かつて魔王を名乗り、勇者と死闘の末敗れた魔物。


「……また、随分と懐かしい顔が出てきたわね」

「何を戯言をぬかすか。かつて人間を恐怖の底に陥れた古の魔王だ。我が力をもってすれば、蘇らせることすら容易い。お前如きにはもったいないが肩慣らしだ。精々逃げ回って見せるが良い! その後に魔物を再侵攻させ地上を制圧する!」


 イルガチェフが嘲笑を浮かべる。


「アンタの命令なんか、コイツが聞く訳ないでしょう。いや、誰の指図も受けないわ。私達は自分で考え、戦い、そして決着をつけた。お前みたいな屑に、こいつの魂が屈する訳がない」

「ならば見るが良い。いけ、古の魔王よ! 愚かな小娘を八つ裂きにするのだ!!」

『…………』


 命令を受けても魔王は微動だにしない。イルガチェフは苛立たしげに声を張り上げる。


「これは命令だぞ! お前は我が力により蘇ったのだ。それを理解出来ぬほど知能が退化しているのか!!」

『――愚か者め。我が魂は我の物也。我は誰にも屈せぬ。我は我也』


 魔王はそう言うと、束縛を破り己の体内へと腕をめり込ませる。乾いた心臓を掴み取り、逡巡する事無く握りつぶした。魂を失った死体は崩れ落ち、劣化していた四枚の羽根が霧散していく。


「で、出来損ないめが! 魔王とはいえ、所詮は敗れし者という訳か!」

「出来損ないはお前だろうがッ!」


 勇者が光輝く剣を投擲すると、イルガチェフの左腕を貫通する。狙いは胴体だったが逸れてしまった。視界が揺らいでいるせいか。それとも腕が震えているせいか。

 イルガチェフは悲鳴を上げながらも、反撃の呪文を唱える。


「おのれ、魔素に犯されし死に損ないがッ!! 失われし呪文をその身に受けよッ、『氷晶』!!」


 勇者の体内から、歪な氷の刃が生じ、肉を貫きその姿を現す。串刺しにされた人形のような姿になっていることだろう。

 勇者は激痛を堪えながら、必死に意識を保つ。今までは、もう一人の人格に押し付けていた痛み。それが全て自分に返ってきただけのこと。泣き言をいう訳にはいかない。

 そうだ。痛くない訳がないのだ。誰だって刺されれば痛い。傷つく事を言われれば心が痛い。今まではもう一人の自分に押し付けてきただけ。元に戻っただけだ。何ともない。

 勇者は唇を噛み締めて治癒呪文を唱える。肉体が再生する。蝋燭はないが、まだ油は残っていたようだ。

 体内の氷が赤く染まって溶け出していく。


「ば、馬鹿な。内臓を掻き乱されて、生きていられる人間がいる訳がない!」

「人間の前に勇者だからね。これぐらいじゃ死なないわ!」


 勇者は光の剣に篭めておいた魔力を炸裂させる。光の剣が刺さっていたイルガチェフの左腕が、閃光と共に弾け飛ぶ。


「ギャ、ギャアアアアアアアアア!! わ、私の、ひ、左腕がッ!!」

「星玉の力で、失われし呪文を使えるんでしょ。私みたいに治癒呪文を使えばいいじゃない。でも、凄く痛いわよ。同じ痛みと共に再生するからね。アンタみたいな小物に我慢出来るかしら」

「こ、小娘がッ!! 失われし呪文、『完全再生』!」


 イルガチェフが星玉を握り締めて治癒呪文を唱える。


「――あ、あガっ。い、痛い、痛い、痛いッ!!」


 失われた左腕が再生するが、再び同等の激痛が走り、堪えきれずに床を転げ回る。

 そこに勇者が左足で地面を踏み切り、イルガチェフの頭部目掛けて膝蹴りを喰らわせる。両足が万全ならば、この一撃で粉砕できていた。だが、もうその体力がない。

 弾き飛ばされたイルガチェフが、壁に激突して呻き声を漏らす。


「な、何故、何故だ。どうして私が圧倒できないのだ!? 星玉の力を得た私は無敵のはず! それがなぜ!!」

「屑が何を使ったって一緒よ。さっき言ったでしょ、アンタは踊らされてるだけだって。悪意に取り込まれて、己を見失ってる。いつからそうなったのかは知らないけれど、哀れね」

 『私と一緒で』。そう続けようとして、止めた。本当に哀れに思えてきたから。勇者とイルガチェフ、そのどちらかは分からないが。多分両方だろう。


「わ、私は、神になるのだ。新しき世を作るのだ。お前如きに、哀れみをうけるなど、許されん! 失われし呪文――」


 イルガチェフが苦悶の声を上げる。喉下が急激に圧迫されたからだ。青い光の輪が幾重にも巻き付いている。


「無駄よ。もう封じたから。アンタが夢を語っている間にね」


 勇者は足を引き摺りながら、闇に覆われている剣を使って進み始める。イルガチェフは喉に手をやりながら、恐怖を覚えて後ずさり始めた。


「わ、私は教皇になるのだ。星玉の力を使って、教皇にッ。こ、こんなところで、何も為さずに死ぬ訳にはいかぬ!」

「それが、本当の、夢? 神から随分と格が下がったわね」


 勇者は疲れた顔で笑うと、更に近づいていく。後数歩でイルガチェフの元にたどり着く。


「わ、私の話を聞け。聞くのだ。先程話した通り、この星玉は、悪意の固まりなのだ。そして、これは私にしか扱えないように、魔力による同調が行なわれている。私が死ねば、暴走を起こすようにだ。こ、この意味が、分かるか?」

「それが?」

「私が死ねば、この恐るべき悪意が世界中にばら撒かれる。魔素を防ぐ大結界は既に消失している。大量の悪意が地上に撒き散らされるのだ。それがどんな惨事をもたらすか考えてみよッ」


 イルガチェフが星玉を盾に、懐から転移石を取り出し、掲げる。光がイルガチェフを包み始める。

 十秒後にはイルガチェフは脱出に成功するだろう。


「そうだ、それで良い。お前は何も出来ずに、ここで死ぬのだ。私は機を見て再び――」


 言葉の途中で、イルガチェフは転移石を手放してしまった。

 勇者の剣が、老人の心臓を貫いたのだ。


「――お、お前は、自分が、何をしたのか、分かって」

「分かってる、わよ。元ある場所に返すだけ、でしょ。アンタが生きているほうが、大惨事よ」

「……ば、馬鹿な。な、何故こんなことに。どこで、間違えた? し、死にたく、ない。私こそが、教皇に――」


 イルガチェフはそう言い残し、呆気なく死んだ。

 勇者は既に視力を失っている。闇の剣を無造作に引き抜くと、杖代わりにしてとある場所を探し始める。

 体の腐食が進んでいるようだ。肺が腐ったのか、満足に息が出来なくなった。生暖かい何かが口元からとめどなく溢れる。何も聞こえない。目だけでなく耳もやられたのか。だが棒のような足はまだ動く。

 そして、何とか間に合った。闇の剣が目当ての物にぶつかったのだ。屈んで、手で触ってみる。

 魔王の三本角。目で確認は出来ないが、間違いないだろう。

 勇者は闇の剣を手放し、その上に崩れ落ちる。剣は持ち主に返さねばならない。きっとこれで勘弁してくれるだろう。

 ふと思う。イルガチェフには一つだけ感謝しても良いのかもしれない。

 自分に再び用意してくれたのだから。あの時、むざむざと見過ごしてしまった場所を。


「よ、ようやく、見つけた。わ、私の、死に、場所」


 心から満足そうに勇者は微笑んだ。最後の最後で願いが叶った。本当に嬉しかった。

 勇者は魔王の死骸に寄り添うようにして、眠りにつくことにした。意識に靄がかかり、徐々に暗くなる。今まで感じていた激しい痛みが薄れていくのを感じる。これで、ようやく解放されるのだ。

 マタリとエーデルの顔が一瞬だけよぎる。

 口元を少しだけ緩めた後、勇者の目から光が消えた。




 ――『星教会の歴史』、星教会内乱終結について。

 勇気ある少女が地下へと突入してから間もなく、大規模な地震が発生した。震源地は地下迷宮下層部。後の調査により、魔素の塊である星玉の暴走が原因であると判断された。暴走の原因については現在も調査中。

 イルガチェフの死体は回収できなかったが、地下迷宮の状況から死亡と判断され、生き残った残党も全員死罪となった。

 これを機にエレナは大陸全土に残った過激派の粛清を断行。狂皇と蔑まれながらもイルガチェフ一派の完全な殲滅に成功した。

 教皇エレナは事態の収束後、内乱の責任を取り退位。教皇の座を穏健派のニカラグへと譲り渡して隠遁した。

 だが、魔物を操り反乱を企てるという前代未聞の事態は、星教会の威光に大きな傷をつける結果となった。

 

 内乱から僅か一年後、天変地異、異常気象が頻発し、大陸全土は混乱の極みに陥る。

 人々はこの一連の自然災害を『星神の憤怒』と呼び、ただひたすら怒りが収まる事を願い続けるしかなかった。

 

 難航する復興作業に従事するアートの住民達。彼らの心を勇気付けたのは、新たな三勇者の存在だろう。

 一人はアート家を勘当されていたマタリ・アート。大結界を消失させた兄のレケンを討ち、結界構築の魔道書を奪還した。その後は防衛戦に参加し大いに奮戦する。アート家は断絶となったが、マタリは英雄として讃えられることとなる。

 二人目は死霊術師エーデル・ワイス。禁忌の術を行使する異端同然の魔術師だったが、街の危機に参戦。地下迷宮の魔物封じ込めに多大な貢献をし、さらには大結界の再構築に成功した。今もなお忌み嫌う者もいるが、彼女がいなければ今のアートは存在しなかったであろう。星教会は彼女のみ、死霊術の行使を認める触れを出した。

 最後の一人は名前すら記録に残っていない勇気ある少女。自らを勇者と称し、白き聖鳥と共に赤き竜を一撃で屠ったと伝えられている。数々の失われし呪文と巧みな剣術を駆使して魔物の群れを討ち払った。

 最後は帰還出来ない事を知りながら、魔素が充満する地下百階層――通称聖域に単身で突入。見事イルガチェフを討ち果たしたが、彼女もまた還らぬ人となった。一説には、全てを見届けた後、聖鳥とともに星神のもとに還ったとも伝えられる。

 


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