第三十三話
教皇エレナにより異端殲滅令が出されてから半日が経過した。
教会精兵部隊、ラフロレンシアを率いるティモールの働きはめざましいものがあった。僅か半日余りで、イルガチェフに近いと目される過激派の面々を拘束していったのだ。
星教会の古参幹部、『緑の衣』さえも例外ではない。大半は恐れ戦き、抵抗することなく大人しく従ったが、勇敢にも剣を抜いて立ち向かってしまった人間の末路は悲惨である。その場で異端認定の上、手足を叩き折られ、連行された後は苛烈な拷問にかけられた。情報を吐こうが吐くまいが関係ない。異端への判決は死しかありえないのだから。
半日の間に異端の疑いありとして拘束された数はおよそ1千人。異端として直ちに始末された数は3百余り。
イルガチェフ一派に対する仕置きの初手としては、大成功といっても良いだろう。
だが肝心のイルガチェフについては取り逃がしてしまい、星玉の確保もまだ達成出来てはいなかった。
星塔最上階、教皇の間にてイコナが悔しさを滲ませながら報告する。
「緑の衣については、全て取り押さえることに成功しました。また一般教徒達の動揺も最小限で抑えられております。……ただ、イルガチェフ並びに奴の一派、アート家当主レケンについては、未だ拘束出来てはおりません」
エレナの命令を受けたイコナは、直ちにイルガチェフの屋敷に急行したが既にもぬけの殻。星玉も見当たらず、まんまと取り逃がす結果となってしまった。続いて向かったレケンの屋敷も同様だった。恐らく異端審問官が急襲するという情報が漏れていたのだ。
だがこれではっきりしたことがある。レケンがイルガチェフと行動を共にしていることだ。
星玉と大結界という二つの要をイルガチェフは手にしている。一刻も早く手を打たなければ、恐ろしい事態が訪れるだろうことは言うまでもない。
「イコナ、奴の行方に心当たりはあるか?」
「先程、奴のもとに潜ませていた内通者より連絡がありました。地下迷宮下層部に隠れ家を築いていた様子。これより近くの階層まで転移し追撃致します。もはや奴が逃げられる場所は御座いません。確実に捕捉できるかと」
こちらの情報が漏れているのと同様、イルガチェフの一派にも内通者を潜ませていた。これはイコナの独断での行動だ。いずれこのようなことが訪れる事を予想し、予め手を打っておいたのだ。――内通者の家族を人質にして、強制的に。
「お前に一任する。レケンだけは出来れば生かして捕らえよ。奴が管理する大結界の魔道書の在り処を吐かせるのだ。……こんなことならばさっさと教会の管理下に置くべきであったな。功労者の末裔と遠慮したのが間違いの元だ」
アート家一子相伝の結界術。その全てが記された魔道書さえあれば、元々レケンなど不要なのだ。だが、かつての功労者の末裔とありエレナは最大限の敬意をもって接していた。それが裏目に出てしまった。
――教皇エレナはこの機に乗じてアート家を取り潰すつもりでいる。
イコナは全てを理解し、深々と頭を下げた。
◆
勇者が眠る部屋に、白い烏が現れた。全開にしていた窓から入り込むと、我が物顔で羽根を優雅に広げている。
看病していたマタリはそれを横目で確認し、再びベッドへと視線を落す。以前勇者がかまっていた烏だと分かったからだ。
烏は特に鳴声をあげることなく、無言で勇者を眺めていた。
窓に飾ってある、勇者手製の芸術品『自由への飛翔』――太った水色ひよこ。そして不細工な木彫りの烏の置物。挟まれるように白い烏と並んでいる。元気で喧しかった頃の勇者を思い出し、マタリは思わず口元を綻ばせた。
――次の瞬間、烏が声を上げた。可愛らしい少女のような声で人間の言葉を喋ったのだ。
『思ったより早かったね。あんな戦い方をしていれば、いずれこうなるのは分かっていた。でも、それが勇者の選択なら、私はそれを見届けるだけさ』
「カ、カラスが、喋った?」
『三百年も待ったんだから。後しばらくぐらい何でもないさ。私ももう飽きてきたし、今度は一緒に逝くとしよう。――腐れ縁だからね』
カラスはそう言い終えると、翼を広げて飛び立つ態勢に入った。
「――ま、待って!」
マタリは慌ててそれを遮ろうとするが、手をすり抜けて飛翔していく。窓から行方を追おうと上半身を乗り出して確認するが、既に烏は遙か上空へと飛び立ってしまっていた。もう追いつくことは決して出来ないだろう。
極楽亭の上空を三回ほど旋回すると、やがて太陽の方角に向かい消えていった。
溜息を吐いて椅子に腰掛けると、綺麗な白い羽根が一枚ふわふわと舞っていた。やがて羽根は勇者の左手に着地した。白い羽根は、勇者の左手に刻まれた紋章を覆い隠すように着地している。
左手には、鎖に囚われた剣と白い翼が二枚の紋章。その雁字搦めに囚われた剣が、まるで今の勇者を現しているように思えた。
◆
地下迷宮下層部のある階層。
異端を撃滅すべく突入したイコナと異端審問官達は、数え切れないほどの魔物に重囲されていた。
もたらされた情報では、この階層にある隠し部屋にイルガチェフ一党が潜んでいるはずだった。
だが、隠し部屋に進入した先に待っていたのは、魔物達による容赦のない洗礼。先行した審問官は悉く皆殺しにされた。
残りの審問官者達も窮地にある。部屋の四方から大小様々の魔物が隊列を組んで押し寄せてきたのだ。魔物の意志ではなく、何者かに操られるかのような動きで。
精鋭で編成された審問官達は、イコナの号令の下、素早く隊列を組み上げ各通路を抑えてそれを迎え撃った。
――だが、数が違う。あまりにも違いすぎるのだ。
魔物を一匹殺している間に、遙か後方から増援が現れる。積み重なり障害となる魔物の死体は、同じ魔物の手により取り除かれ、新手が続々と押し寄せる。とてもではないが防ぎきれるものではなかった。
通路の『狭さ』を活かして迎撃していた審問官達も、徐々に部屋の中央へと追いやられていく。魔物は消耗しても新手がいるが、人間はそうはいかない。
「イ、イコナ様! これ以上は持ちこたえられません! 数が違いすぎますッ!!」
悲痛な悲鳴がイコナの耳に入る。屈辱から歯軋りするイコナだが、戦況を冷静に判断し最善と思われる命令を下す。
「止むを得ん、転移石の使用を許可する! 殿は私が引き受ける! 全員直ちに撤収しろ!」
「し、しかし、それではイコナ様がッ!」
「他に方法はない。貴様らは一旦撤収し増援を引き連れてこいッ! ラフロレンシアの投入をエレナ様に進言するのだ! さぁ、早くしろ!」
「りょ、了解しました!」
「いくぞ! ――『散光』!」
イコナが目晦ましの魔法を放った隙に、審問官達は転移石を掲げた。
――だが。
「な、何故なにも? 転移が――」
「前を見ろ馬鹿者がッ!」
「――え?」
視力を快復した醜悪な魔物――トロルの棍棒が、隙を見せてしまった審問官の頭部に直撃する。脳漿を撒き散らしながら、審問官は崩れ落ちる。息絶えているにも関わらず、手足は未だに痙攣していた。
「取り乱すなッ! 何かしらの力で転移を無効化しているのだろう! 全員円陣を崩すな、隙を見せたら全滅するぞ!」
一喝しながら、イコナは素早く攻撃魔法を詠唱してトロルに放つ。トロルの顔面は鋭利な氷柱で串刺しにされ、立ったまま絶命した。
「し、しかし、このままではいずれ――」
「エレナ様の為に死ぬのだ、何を恐れることがあるか! 全員異端審問官としての使命を果たせ!! 我等の誓いを思い出すのだ!」
『教皇エレナの為に異端を殺し、教皇エレナの為に命を捧げる。さすれば我らの魂は永遠に救われるであろう』。
イコナが祝詞を唱えると、全審問官が復唱する。恐慌状態にあった審問官達は、直ちに己の信仰を取り戻す。
全員最後の一兵まで戦い続け、死ぬのだ。それが異端審問官の役目。
各自が最善を尽くして、魔の大群相手に奮戦する。剣を振るい、杖を翳し、槍を突き刺す。数々の異端を滅ぼしてきた実力は飾りではないのだ。魔物の死体が積み重なっていく。
「悪しき魔物め!!」
「トロルには複数でかかれ! 決して攻撃を受け止めるな! 奴の一撃は受け流すのだ!」
押しつぶそうと踊りかかってきたトロルをかわし、急所に攻撃を喰らわせる。絶命させることには成功したが、円陣に僅かな隙が出来てしまう。そこに邪妖精達が切り込んでくる。盾を使って押し返すが、その後ろには再びトロルの巨体。
「畜生、キリがない!!」
「――こ、これまでです、先に行きます! エ、エレナ様万歳ッ!」
体力、気力に限界がきた審問官の一人が魔物の群へと突進していく。
「勝手に陣形を崩すなッ! 入り込まれるぞッ!!」
イコナ達は勇敢に戦ったが、人間である以上限界は必ず訪れる。士気が旺盛とはいえ限度があるのだ。
円陣の一角。小さな穴が再び開いた瞬間、魔物達は一気に雪崩れ込んだ。先程とは違い、一斉に襲い掛かったのだ。
そうなれば最早少数の人間に勝ち目はなかった。乱戦で有利なのは、数で圧倒的に勝る魔物なのだから。
鼠に体中を啄ばまれる者。はぐれオークの斧で、盾ごと真っ二つにされる者。魔法を唱えながら、蟲に身体を食われていく者もいる。
約二百名の教団精鋭の審問官達は、雪崩をうつように壊滅していった。
――最後に残ったのは異端審問官、局長のイコナ。
自らの周りに、強力な氷の結界を張り、一切の魔物を近づかせない。敵味方の区別ができないため、先程は使えなかったが今は違う。己以外は全て敵。皮肉なことに、一人になったことで遠慮をする必要がなくなってしまった。
(例え一人になろうとも、任務は遂行する。必ず、必ず機会は訪れるはずだ!)
周囲には氷柱の弾幕を張り、もがく魔物を串刺しにしていく。結界を乗り越えようとした魔物は結界の効果により脚部を損傷し、移動手段を失う。イコナは魔素ポーションを飲み干し、更に全方位魔法を打ち込む。
「全てを打ち祓え、『氷針』!」
「焼き払え、『炎弾』」
イコナのばら撒いた氷の弾幕を、同じ数の礫により妨害された。深い闇から現れたのは、枢機卿イルガチェフ。
以前とは別人と見間違うほど、禍々しい気が感じられる。これが既に完成したという星玉の力なのだろうか。
イルガチェフは薄ら笑いを浮かべると、尊大な態度で語りかけてくる。
「イコナよ。そろそろ観念したらどうだ。部下達は、既に逝ってお前の到着を待っているぞ。貴様に情報をもたらした内通者もな」
「異端者イルガチェフ、その首貰い受けるッ!!」
「無駄なことはやめておけ。まさしく、時間の無駄だ」
「我が最強の魔法を受けるがよい! ――『氷嵐』!!」
イコナは杖を叩きつけ、全魔力を注ぎ込んだ最大の一撃を放った。部屋の温度が急激に下がる。不足している詠唱時間の代償として、己の生命力を引き換えとする。死ぬか、もしくは廃人になるのは間違いないだろう。
(我が命に代えても、この異端だけは殺す!! エレナ様の障害になる者には死をッ!)
「……愚かな」
「黙れ異端め! 潔く裁きを受けよッ!」
氷の礫を伴った強大な嵐が室内に荒れ狂う。巻き込まれた魔物は、身体を引き裂かれ氷の礫に撃たれ、耳障りな悲鳴を上げながら絶命していく。
だが、イルガチェフには効果がない。氷の礫を寄せ付けず、強風の影響すら受けていない。
ただ笑いを浮かべながら立ち尽くしているだけ。まるで余興を眺めるかのように。
あまりの実力差に、イコナは絶句する。以前のイルガチェフとは明らかに違う。ここまでの差はなかった。魔術に卓越した枢機卿とはいえ既に老体。肉体、精神共に衰えは現れていたはずだ。
――これが、これが『星玉』の力なのか。魔素を極限まで凝縮した星玉の力は、これほどのものなのか。
「実に哀れだなイコナよ。従うべき者を間違えた末路がそれだ。それだけの実力がありながら、余りに惨めな最期。恨むなら、愚鈍なエレナを恨むが良い。すぐに貴様の後を追わせてやる」
「戯けたことを! 我らに誤りなどない! エレナ様こそ常に正しいのだ! エレナ様に栄光あれ!」
「よくぞ言った。その忠誠心だけは見事なものだ。では、餞別に面白いものを見せてやろう。我が星玉の力の一片だ。歴代教皇が夢見た至宝の輝き、とくと目に焼き付けて死ぬが良い」
イルガチェフがゆっくりとした動作で、懐から星玉を掲げる。禍々しい光が輝きを増した。
――瞬間、衝撃と共に波動が迸り、イコナの展開していた結界が跡形もなく霧散する。
結界が一瞬で消滅させられたことに、イコナは我を失う。
「ば、馬鹿な。わ、我が結界がこうも容易く――」
「伝承のみに残されし失われた呪文。その身をもってとくと味わうが良い」
「う、失われた呪文だと!?」
「『氷晶』」
イルガチェフが呟くと、イコナの体内から何本もの氷の刃が生じた。内側から食い破るかのように。白い氷の刃は瞬く間に赤く染まり、イコナの命を吸収していく。
イコナが生命力をかけて放った以上の魔法を、イルガチェフは無詠唱で放ったのだ。
その場に崩れ落ちたイコナが上を見上げると、巨大な氷の塊が浮かんでいた。
「遺言があるならば、貴様の飼い主に伝えてやるぞ」
「殺せ、異端め」
イルガチェフが指を鳴らすと同時に氷の塊はイコナを押し潰した。
暫くすると氷塊は掻き消え、原型を留めていない肉塊だけが残される。
「エレナめ。少々見誤っていたようだな。まさかこのような強行策でくるとは予測していなかったぞ。決断出来るような器ではなかったはずなのだが。……とはいえ、結果はこの通りだ」
イルガチェフは、イコナの死骸を忌々しげに踏みつける。
「フフ、フハハハハハハッ! 愚かな小娘の狗は全員殺したぞ。この私を破門だと? 愚か者共めが! この偉大な星玉は魔物すら操る事が出来る。最早この私に敵う者などおらぬわッ!!」
イルガチェフの腹心と、レケンが姿を見せる。その背後には数多の魔物がひれ伏している。
「――イルガチェフ様」
「計画を開始せよ。愚かな狗共は始末し、災厄たる小娘は人事不省。もはや障害となるものは何一つない。我が忠実な下僕コスタよ。この街の“浄化”を開始するのだ!!」
「お任せ下さい。全てはイルガチェフ様のお導きのままに」
恭しく跪くコスタ。続いてレケンが進み出る。
「大結界についてはもう間もなく。その後は騒動に乗じて手筈通りに」
「レケン殿。貴殿には感謝しているのだ。アートについては、約束通り支配権をお返しする。私は一層上を目指さなければならぬのでな。星玉が完成した今、このような穢れた街に用などない」
「…………」
「星教会は私の手により正しき方向へと導かれる。エレナなどではなく私の手によって。そして、星玉の力により、全ての者は星神の化身たる私に跪くのだ。――いよいよだ。いよいよ私の時代が始まる。輝ける新しき時代は、この私の手により開かれるであろうッ!!」
星玉を握り締めたイルガチェフは、充足感に身を振るわせ、ただひたすらに笑い続けた。
歴代枢機卿、教皇ですら為しえなかった星玉の完成。それを実現させたのだ。このイルガチェフが。
星神はこの身体に宿り、衰えていた魔力は全盛期を容易く上回っていた。死が遠のいていくのを実感する。星玉さえあれば不老すら夢ではないのだ。アートの街など足がかりに過ぎない。この魔力を用いて各国を捻じ伏せ、大陸全土に星教会の威光を広める。イルガチェフの力を広めるのだ。誰もが成し遂げ得なかった大陸制覇。それをこのイルガチェフが実現する。
そしてイルガチェフは神となるのだ。夢物語などではない。星玉にはそれを成し遂げる力がある。
狂ったかのようなイルガチェフの哄笑が、いつまでも、いつまでも響き続けた。
幕間その2。前とくっつけても良かったのですが、話の区切り的に丁度良かったので。
もう完結まで書きあがっているので、見直しと付けたしを行ないつつ、ぼちぼち更新したいと思います。
エピローグ入れ忘れてたので、それも含めて後三話です。




