第三十一話
ヤトゥムとの遭遇から一週間が経過した。
あれから特に騒ぎが起こるようなことはなく、街はそれなりに平穏を保っている。
リモンシーに依頼した学者は睡眠不足でぶっ倒れて療養中である。悩みが解消されたはずなのに、研究が捗る事はなくそれが新たな悩みとなったようだ。
「それで、種馬の居場所は分かったの?」
迷宮帰りの勇者達は戦士ギルドで一息ついていた。周りも一仕事終えて一服している人間が多い。自慢気に狩りの成果を語り合っている。声が喧しいと勇者は思ったが、機嫌の良い戦士に一杯奢ってもらえたので黙っていることにした。
「ん? ああ、エクセルな。どっかの酒場で、傭兵の連中とたむろってるらしい。剣の腕を見込まれたのかもしれねぇな。ま、俺がとやかくいう事じゃないんだが」
「言わないと駄目でしょうが。女連中の世話どうすんのよ」
「アイツが帰ってくるまで、立て替えてやるぐらいはかまわねぇ。別にこれ以上の贅沢は望んでねぇしな。俺のへそくりで援助してやるさ」
勇者は呆れて言葉もなかった。お人好しにも程がある。とはいえ、放り出したら女連中はどうなるのだろう。路頭に迷い、お腹の子供は確実に死ぬだろう。ロブがそう決めたのなら、それで構わないような気もした。
エクセルは救いようがない男だが、人の縁だけは良かったのかもしれない。本人がそれに気付くことはないだろうが。
「泣ける話よねぇ。私こういう話に弱くて」
「嘘つくんじゃないわよ。貧乏クジご苦労様みたいな顔してるわ。流石はピンキー、性格が悪い」
「チッ、何とでも言いやがれ。糞ッたれ共め」
ロブは舌打ちすると酒の替えを持ってくるといって、奥へと引っ込んでいった。
「ロブさんはぶっきらぼうですが、本当に良い人なんです。じゃなきゃ、家を飛び出した私の鍛錬なんて普通はしてくれないですから。いつか、この借りは返したいと思っています」
「マタリちゃんも本当に良い子ねぇ。どっかの捻くれ者とは違って」
「うるさいわね。ちょっとロブ、お代わりはまだなの!」
勇者は残りの酒を一気に飲み干す。空になったグラスでカウンターを叩いてお代わりを催促した。
うるせぇなぁと言いたげな顔で、瓶を両手に抱えたロブが戻ってくる。今日は徹底的に飲むつもりのようだ。ギルドマスターの業務はもう終わりにするのだろう。外は既に暗闇の世界だ。
「ほらよ。言っておくが、この酒場業務は俺の趣味だからな。本業はギルドだ。それを忘れるなよ」
「こっちも本業でしょ。ほら、一杯奢ってあげるから飲みなさい。勇者様の奢り。戦士ギルドに箔がつくわね」
ロブのグラスに酒を注いでやる。溢れるぐらいまでなみなみと。
「そいつはありがとうよ。野郎共、勇者様が俺に酒を奢ってくれたぞ。勇者様に乾杯だ!」
『乾杯!』
ロブが音頭をとると、ノリの良い冒険者達がそれに続く。一時は勇者に声をかけて来る者は皆無だったが、まただんだんと打ち解けてきている。基本的に勇者は自分に害を為してくる者以外には手を出さない。勇者の力をここにいる者達が恐れているのは確かだが、魔物と違い話が通じる。日々命を削って戦っている冒険者にすれば、それで十分だった。仲間とまではいかないが、同業者としてはやっていける。そんな距離を保つ事に決めたのだ。
「はいはい、乾杯乾杯っと。ところで、傭兵って儲かるの?」
勇者はグラスをぶらぶらさせながら尋ねる。傭兵といえば、金目的に己の腕を売る者達のことだ。一歩間違えれば野盗と変わらない連中だと勇者は認識している。荒っぽい事も金次第では引き受けるのだから。
「最近はそこら中に大小の傭兵団が乱立してるぜ。どいつもこいつも名を挙げて一発当ててやろうって奴ばかりだ。儲かるかどうかは仕事しだいだな。村の防衛なんて慈善活動をやってる連中もいりゃ、人さらいや殺人までなんでもありだ」
「傭兵ねぇ。この前見たけど、盗賊と変わりなかったわよぉ。街の治安を悪化させてる要因の一つじゃない?」
「ここは金周りが良いし、人が集る。更に中立ってことで各国のお偉いさんの出入りも多い。教団の裏の仕事もある。冒険者だけじゃなく、傭兵にとっても楽園って訳だな」
魔物を殺し、迷宮を探索するのが冒険者。人間を相手にするのが傭兵。どちらも危険度の高い職種だろう。その道に入るのは当然碌でもない連中だ。例えばこの場にいるような。どこまで業に手を伸ばすかは、その人間次第だ。
「……本当、クソみたいな街ね。星教会の本部があるくせに。教えを広める前に、自分の足場を綺麗にしろってのよ」
「い、良いところもあるんですけど。え、えーと、お、温泉とか。気持ち良いですよね」
「アンタは幸せそうで羨ましいわ。いつかその幸せ分けて頂戴ね」
勇者が皮肉交じりに呟くと、マタリが豊満な胸を張る。
「も、勿論です! どんどん持っていって良いですよ!」
何だかムカついたので、握りつぶしてやろうかと思ったが堪えた。隣のエーデルが勇者にもたれかかってくる。その大きな胸を勇者の顔にわざとくっつくようにして。このような状況は男なら嬉しいのだろうが、悲しい事に全く嬉しくない。
「それじゃあ、私も一口のらせてね。私も幸せが欲しいのよねぇ」
「アンタは無理よ。ピンクに塗れて窒息死すると思うわ。アンタが死んだら世の中少し平和になるだろうから、その意味では幸せかもね」
「あらあら、ピンクは幸せの象徴なのに。それが分からないお子様はひっこんでなさいなぁ」
いつものくだらない応酬が始まる。ロブは額に手を当てて呆れている。マタリは骨付き肉に齧りついている。
――今日も一日が無事終わる。そう思ったそのとき。
『さっきの、なんだったんだろうな。ありゃただごとじゃないぜ』
『触らぬなんとかに祟りなしだ。この街で生きていく秘訣だろ。俺は絶対に関わらないぜ』
『そりゃそうだ。エクセルには悪いが、こっちの命の方が大事だからな』
ギルドに帰還した二人の戦士が、困惑しながらロブのもとへと戻ってくる。戦利品の換金を行なうつもりだろう。
「よう、無事生還したってのに浮かない顔だな。しかもこんなに遅いなんて珍しい。どうかしたのか?」
「ああ、ロブ。……あー、アンタには話しておくか。ついさっきの話だ。夕方くらいに迷宮から俺たちは帰還したんだけどよ。で、門を抜けたところでエクセルの野郎を見かけたんだ」
「エクセルを?」
「ああ、間違いない。噂どおり傭兵っぽい連中と一緒だったな。二十人程度がスラムの方へ向かっていったのは確認した。俺たちは仲間の手当てがあったから、一旦治癒術師んとこ行ったのさ。その後、やっぱり気になったからスラムへ向かったら――」
「この世のものとは思えない奇声が聞こえた。ひどく恐ろしい声だ。あれは人間のものじゃない。スラムの入り口まで届く耳障りな声。……情けないが、思わず足が震えたぜ」
勇者の呼吸が一瞬止まる。スラム。奇怪な声。人間のものじゃない?
「断末魔に近い感じだった。……いや、ありゃ怒ってたのか? 何しろ確認することすら恐ろしくてな。絶対に近寄っては駄目だって脳が訴えたぜ。何が待ってるか分からん」
「近くにいた教会の衛兵も聞こえない振りだぜ? スラムの出来事なんか知るかってとぼけた顔してやがった。その癖膝が震えてやがんの。いざって時に使えねぇ」
二人の話を聞いたロブが腕を組む。
「エクセルの馬鹿、一体何に首突っ込みやがったんだ。――っておい、どうしたんだ血相変えて」
「気になるから見てくる。マタリ、エーデル、行くわよ」
「は、はい」
「…………」
困惑した様子のマタリ、険しい表情のエーデル。ロブに酒代を支払い、勇者達は戦士ギルドを飛び出す。全力で駆け始める。
嫌な予感がする。全身の肌がザラザラする。口内がひどく渇く。息が知らぬ間に荒くなる。
夜のスラム入り口へとたどり着く。夜間のこのあたりは特に治安が悪いため、一般人は絶対に近づかない。衛兵も適当に見回る程度。出入りするのは訳ありの連中のみ。今は更に人の気配がないように思える。まさに、廃墟というのが相応しい。
「…………油断しないように。もう話は通じないかもしれない。危険と判断したら問答無用で殺しなさい」
「で、でも!」
「そういう心構えを持ってないと、本当に死ぬわよ。手加減して勝てる相手か自分の頭で判断しなさい!」
勇者が一喝すると、マタリが納得いかない様子ながらも紅い大剣を背中から抜く。ぬめりと光るその剣の色が、ひどく不吉に思える。エーデルは杖を取り、左手に何枚かの札を用意している。外で死体の召喚は許されることではない。それに代わる何かを用意しているのだろうか。
いつもなら道端でたむろする浮浪者、ならず者の姿すら見かけることができない。勇者一行は目を光らせ、得物に手を掛けスラムを警戒しながら歩いていく。
目指すのはコロン達の隠れ家――スラムの廃倉庫。まず間違いなく、奇声の発生源はそこである。
道に散らばる瓦礫を踏むたびに、じゃりじゃりと耳障りな音がする。勇者の何かがその度に崩れていくような。そんな錯覚すら覚える。見逃す決断をしたのは自分、だから、その結果は受けいれなければならない。どんな結末が待っていたとしてもだ。
それが、選択した者の責任である。
勇者達は、廃倉庫にたどり着いた。
血の臭いがする。充満している。先日勇者達を出迎えるために開かれた扉には、血痕のような黒い染み。
マタリが息を呑み込む音がする。エーデルは一度だけ夜空を見上げ、覚悟を決めた様子で正面を向き直る。
勇者は、左手を扉に手を掛けた。ゆっくりと。出来れば届かなければ良いと、そんなことを思いながら。
「…………」
中は闇だった。星の光すら差し込む事がない闇の世界。
先に入った勇者は、目を凝らす。腰の袋に入っていた銅札に火をつけ、室内へと放り投げた。
闇が炎で照らされる。
一瞬で室内の惨状が明らかになる。
「――ヒッ!」
マタリが思わず悲鳴をあげた。足元に小さな死体があったのだ。あるべきものがない。首がない。
勇者はそれを探すと、壁に無残にうちつけられていた。
エーデルが冷静に状況を調査し始める。その顔が幾らか青褪めてみえるのは贔屓目だろうか。勇者には分からない。
勇者は転がっている死体を無言で回収し、火の側へと並べていく。散らかった部位が多いため、どれが誰の者か判別するのが難しい。それでも勇者は一つずつ集め、分かる限りで組み合わせていった。
マタリは地面に膝をついて嘔吐している。狂っていない証拠である。勇者は羨ましく思った。
死体は全部で十体発見された。
「……これで全部よ」
「ご苦労様。さて、調査を、始めるわ」
死体は勇者の顔見知りの少年たち。コロンも死んでしまっている。ひどく悔しげな顔をしている。沢山の涙を流したのだろう。その痕には泥がこびりついている。
少女のものはない。シルカの姿が見えない。そしてヤトゥムの姿も。
ヤトゥムのものと思われる袋が落ちていた。中の果物はグチャリと潰れて、蟻が果汁にたかっている。無残に潰れているその形状が惨状を連想させ、胃の奥から何かが込上げてくるのを感じる。
「ゆ、勇者さん。こ、これはヤ、ヤトゥムがやったんですか? こ、この子達はヤトゥムがッ!!」
「落ち着きなさい。今それを調べているわ。アンタも少し落ち着いたら手伝いを――」
「ど、どうしてそんなに冷静なんですか貴方はッ!? コロン君たちが、死んじゃったんですよ! こ、こんな、こんな酷いことって」
「……アンタは手伝わなくて良いわ。後は私がやるから」
「ゆ、勇者さんッ、貴方はなんで――」
血が上ったマタリが勇者の肩に手をやり、強引に振り向かせる。あまりに冷酷な言い様が許せなかったのだ。
だが、勇者の顔を見てしまったマタリは、吐きかけた言葉を出す事は出来なかった。
「邪魔、するなら、そこに。……そこで休んでなさい。後は、私が、全部やるわ」
何とか一句ずつ言葉を吐き出すと、勇者は屈んで死体を確認する。エーデルがその隣に位置する。
「……あ、ご、ごめ、わ、私は」
その場に座り込むマタリ。それに構う事無く調査を続行する。
殆どの死体はバラされ、切り刻まれている。弄ぶかのように、壁にうちつけられたり、歪な形に捻じ曲げられたものもある。
問題は、これが誰の手により行なわれたかということだ。
ヤトゥムの仕業と考えるのが当然だ。この場におらず、奇声があがったという証言もある。しかも人間を食べる魔物である。
だが、本当にそうなのだろうか。この子供達は殺されただけで、喰われてはいない。しかもヤトゥムの武器である強靭な顎、毒針が用いられた様子がない。
確認する必要がある。小さな死体の列を順番に眺める。一人が限度だ。しかも状態ができる限り原形をとどめている者。
コロンが最も適していると勇者は判断した。左右の腕を失ってはいるが、頭部を失ってはいない。
即死することはないはずだ。
「……どうする? どうなるか分からないけど、衛兵に報告する?」
「その前にやることがある。もしも私が帰らなかったら、死体は燃やして頂戴。晒し者は嫌だからね。よろしく」
「ゆ、勇者ちゃん、一体何をする気?」
エーデルを払いのけ、勇者は剣を地面に置く。大きく深呼吸して、精神を統一する。
死ぬかもしれない。それも良いかもしれない。だが、今はまだ駄目だ。死ぬ訳にはいかない。
コロンの切り離された腕を、その胸の上で交差させる。一度だけその泥に塗れた顔を撫でると、勇者は詠唱を開始した。
「精神を統一し、引き込まれないように発動する。私は生きている。私は確かに生きている。私は、まだここにいる」
「勇者ちゃん、何を!?」
エーデルが手を伸ばすが、勇者の体から発せられた青く淡い光に弾かれる。マタリは言葉を失いながらも、それに目を奪われる。
左手を自らの胸に当て、動かない右手をコロンの胸に当てる。
「――さ、彷徨える哀れな魂よ、我が祈りに応じ、再びこの器に、ま、舞い戻り給え」
詠唱の段階から既に死が現れていた。苦しみを堪え、詠唱を続行する。
「こ、これが、そ、蘇生魔法。ラスの追い求めた――」
「わ、私、何だか、この光に見覚えが」
「ハアッ、ハアッ――」
勇者の身体を伝い、淡い光りがコロンへと流れ込んでいく。流れ込んだ光は、コロンの元に一瞬だけ留まるが、直ぐに消え去ってしまう。
勇者の顔から生気が失われていく。呼吸が荒く、心臓の鼓動が激しくなる。意識が遠ざかりそうになると、勇者は唇を噛んで耐える。背後を乱暴に振り返らせようとする嫌な感触も無視する。耳元の甘い囁きを決して受け入れない。
続けて激痛が訪れる。コロンが死に至った暴虐の数々。それと同等の痛み、いや数倍の痛みが勇者の精神を削っていく。
勇者は激しく吐血する。光は未だにコロンを包むことはない。駄目だ。失敗する。このままでは失敗する。
勇者の背後には数え切れない程の亡者の腕が伸びている。振り向かないつもりなのに、身体ごと引き摺り込むつもりなのだ。
もう使ってはならない。そう分かっていながら使った。魂を呼び戻すなど許される行為ではない。だから、これはその報い。終わりだ。
――勇者が覚悟を決めたその時、コロンの目が微かに開いた。今にも掻き消えそうだが、何とか光が留まっている。
『ゆ、ゆうしゃの、ねーちゃん』
「コ、コロン、戻ってきた!?」
勇者はコロンの身体を抱きかかえる。即座に治癒術をかけ、左右の腕の再生能力を高める。出血死させてはならない。
だが、蘇生はまだ完璧ではない。魂が定着していない。肉体の損傷も激しい。コロンの気力と体力がもつかどうか。
「――ほ、本当に蘇った。じゅ、術式はラスの研究と大差はない。だが、そ、そうか、掛け金だ。魂を呼び戻すには掛け金がなくてはならないのよ。そうか、そうだったのか。わ、わかった。全部わかったわ」
エーデルが繰言を呟いているが、勇者の耳には入らない。マタリは呆然と勇者とコロンを見ている。
『暗いんだ。とても暗い。暗いよ』
「こちらに来なさい! 意識を保てッ!」
『シ、シルカを助けて。はやく、しないと』
コロンが虚ろな瞳で呟く。光が輝きを失っていく。
「意識を、意識を強く保て! 絶対に目を閉じるなッ」
『ね、ねーちゃん。本当に、本当に怖いのは、魔物なんかじゃ、ない』
「コロンッ!!」
『……みんな』
最後にそう言い残し、光は弾けた。蘇生は失敗した。コロンが目を開ける事は二度とない。小生意気に笑う少年の姿を見る事はもう出来ないのだ。
勇者は立ち上がる。行方不明のシルカを探さなくてはならない。どういう結末が待っていようとも。
◆
廃倉庫はそのままにし、勇者達は裏口から外へと出る。何とか落ち着きを取り戻したマタリが、ある痕跡を発見したのだ。
それは緑色の液体。火を灯すと初めて浮かび上がる道筋。ヤトゥムの体液なのだろうか。それは分からない。
その液体はスラムの最も奥にある、寂れた廃酒場に続いていた。空瓶が散乱し、普段はならず者たちのたまり場となっているようだ。今は明かりが灯っており、何やら喧騒が聞こえてくる。
殺気だった怒鳴り声、或いは茶化すかのような下卑たものも混ざっている。
勇者は躊躇する事無く、廃酒場の扉を蹴破った。
「な、なんだてめぇら」
「ここは俺達の貸切だ。悪いがさっさと出ていきな。扉を直してからな」
「女が三人か。こんな時間にうろつくんじゃそういう目的だろう。ちょっと待っとけや」
「じゃあ、さっさと始末するか。おいエクセル。しっかりとそのガキ――お嬢様を押さえておけよ? 大事な荷物だからな」
「は、はいっ。任せてくださいッ!」
「二人ほど空席が出来ちまったからな。本当は使い捨てるつもりだったが、お前を我がキャラバン傭兵団に迎えてやるよ。ツイてるやつだぜ。キリキリ働くんだぜ」
卑しい笑い声を上げる頭風の男。エクセルはシルカの首に腕を巻きつけ、剣を当てている。いつでもシルカを殺せる態勢だ。
床に横たわっているのは、二つの死体。頭を食い破られたようで、悲惨な死に様を晒している。仲間と思われる傭兵達は特に気にする様子はない。臭ぇと言いながら元仲間の死体を蹴飛ばし、笑っていた。
残りの傭兵は剣や槍を構え、ヤトゥムと対峙している。ヤトゥムは負傷しているようで、緑色の血液を流しながらただ立ち尽くしていた。戦闘態勢はとっていない。
「勇者のお姉ちゃん、助けて!! こ、こいつらがコロン達を殺したのッ!!」
こちらに気付いたシルカが、絶叫する。
勇者が状況を理解し行動を起こす前に、ヤトゥムは傭兵達の得物により全身を貫かれた。
「ヤ、ヤトゥム!! い、いやあああああああああああッ!!」
「う、うるさい!!」
叫ぶシルカを柄で殴り、エクセルが強引に気絶させる。
「しかしよう、なんで魔物が地上にいやがんだ?」
「知らねぇよ馬鹿。しかし、この虫が突っ込んできた時は焦ったぜ。ケケッ、見事に頭を食いつぶされてるじゃねぇか」
頭部を潰された傭兵を顎で指す。
「エクセル、お手柄だぜ。お前がガキを盾に脅さなかったら、ちょっとばかりヤバかったぜ。普通は魔物相手に人質をとるなんて思いつかねぇ。イカれてるお前は傭兵に向いてるぜ」
「あ、ありがとうございます!」
愛想笑いを浮かべるエクセル。勇者はこの場に漂う腐臭に、思わず眩暈がした。堪えられそうにない。
「虫の始末はついたと。さて、それじゃ次はおまえら――」
勇者はゆっくりと室内へと歩き始めると、手を伸ばしてきた傭兵三人を炸裂魔法で粉砕する。汚らしい肉片が撒き散らされる。閃光の勢いで、マタリとエーデルが後方へと弾き飛ばされる。
「な、なんだ! 魔術師かッ」
慌てて指揮を始める男を無視し、勇者はヤトゥムの下へと歩み寄る。
ヤトゥムは泣いていた。四つの目から綺麗な雫を零している。勇者は息が詰る。
「ゴ、ゴメンナサイ。ミ、ミンナ、シンジャッタ」
「…………」
「シルカ、タスケタカッタケド、ヤトゥム、モウムリ」
真相はこうだろう。何らかの狙いで、傭兵団はシルカを攫おうとした。それを防ごうとしたコロン達だったが、力及ばず惨殺された。果物を持ち帰って帰還したヤトゥムはそれを発見してしまう。怒りと悲しみから奇声を発し、この場所を突き止めて乗り込んだ。ここまで勇者を案内した緑の体液は興奮した際に流れる分泌物だろう。八つ目蜂はそれを頼りに仲間の増援に駆けつける。
そして、二人を倒したヤトゥムだが、シルカを人質にとられてしまい為す術なくこうなってしまったという訳だ。
人間が人間を人質に取り、人間を助けに来た魔物が人質を庇って死ぬ。
――何かがおかしい。理解出来ない。なんでよ。おかしい。逆じゃないか。
「後は、私が――」
「タスケテアゲテ。ユウシャ ト、トモダチ。ト、トモダチニ、オ、オネガイ」
一つずつ緑の目が閉じていく。ヤトゥムの震える手が勇者の右手に重ねられる。
やめろ。やめて。友達じゃない。魔物は友達じゃない。魔物が人間を庇って死ぬなんてあってはならないのに。どうして。やめろ。お願いだからやめて!
「ヤトゥム ミンナノトコロ――」
そういい残し、ヤトゥムは死んだ。緑の瞳は二度と開くことはない。耳障りな羽音も聞こえない。緑の体液が勇者の足元を濡らす。ドクドクと流れていく血液が、勇者の手元を汚していく。右手を見ると、粘ついた緑色に染まっていた。
ゆっくりと立ち上がると、エクセルを睨みつける。
「ゆ、勇者さん。ち、違うんです。親御さんがシルカさんを探していて。僕たちはシルカさんを保護しただけなんです。そうしたら勘違いであの子達が襲い掛かってきて。それで」
腐臭の混じった声が聞こえてくる。魔物が何か喋っている。勇者は殺意を向ける。
「それで悪戯半分に弄んで、四肢をバラバラにして殺した。ご丁寧に両足を腕に見立てたりして。魔物に相応しい所業ね。臭いからそれ以上口を開くなクズが」
突如として切りかかってきた傭兵の喉下を捉え、握りつぶしてやった。
胴体が力を失い崩れ落ち、首はコロコロとヤトゥムの元へ転がっていこうとした。気に入らなかったので踏み潰してやったら目玉と脳漿が飛び出した。
「こいつ、タダモンじゃねぇぞ。全員気合入れてかかれ!」
頭の一喝でエクセルを除く全員が隊列を組んで襲い掛かってくる。マタリとエーデルが手を出そうとしてくるが、目で牽制してそれを阻止する。自分だけで十分である。
無言のまま剣を走らせ、蹴りで背骨を叩き折り、火炎を発して顔面を焼き尽くす。
人間じゃないから、作業をするように殺していく。魔物相手はやりやすい。何やら命乞いをしているようだが、関係ない。
魔物は殺す。そう決めている。
「た、たすけ――」
頭らしき男だ。涙と鼻水を流している。両手を斬り飛ばしてやったが、まだ生きていた。
弱いものには強いくせに、自分がやられるのは嫌なようだ。
最後まで言う前に、首を刎ねた。血飛沫を撒き散らし酒場の外に勢い良く飛んでいく。
「ひ、ひっ」
残りはシルカを拘束している魔物のみ。勇者は剣の血糊を払い、近づいていく。
「ま、待ってください。ちょっと待って、待ってくれよ! な、何でこんなことするんだよ。同じ人間、しかも顔見知りなのに!」
「お前らは魔物でしょ。悪いけれど、魔物に知り合いはいないわよ」
「あ、あの子供達の事を怒ってるんですか? べ、別に良いじゃないか。死んでも誰も悲しまない、生きてても誰も喜ばない奴等がいなくなったって! 僕達とは違うんだから!」
死んでも誰も悲しまない、生きてても誰も喜ばない。それは勇者のことだろうか。実にあてはまっている。正解だ。
「……それで?」
「先に剣を向けてきたのはあのガキ達なんですよッ! だから返り討ちにして殺した! それの何が悪いんだ! あんな奴等死んで良かったんだ! スラムに捨てられた挙句、スリをやるような犯罪者達なんだから!」
眩暈が酷い。勇者の足が止まる。瞼が重い。腕が上がらない。辛い。何でこんなに辛いんだろう。
「…………」
「ぼ、僕はもうすぐ子供が生まれます。知ってるでしょう? 三人もですよ。お、お金がいるんですよ。あんな将来のないガキより、自分の子供の方が大事じゃないですか。だ、だから、ここは見逃して下さいよ。今まで何回も助けてくれたじゃないですかッ! あ、貴方は勇者なんだから弱い者の味方でしょうッ!?」
勇者は左手に力を入れようとした。動かない。世界が歪んでいく。口から何かが溢れてきた。良く知っている味がする。
脱力して崩れおちようとした身体を誰かが受け止めてくれた。
涙目のマタリだ。エーデルも押さえてくれた。
二人とも必死で叫んでいるようだが、もう何も聞こえなかった。
世界はこんなにも暗いんだと、今更ながらにわかった。満足気味に、勇者は少しだけ口元をゆがめた。
――本当に、真っ暗だ。
◆
意識を失った勇者を両手で抱え、エーデルが告げる。
「今すぐ治癒術師に見せないと危険よ。力の使いすぎかもしれない。もしくは――」
「……エーデルさん。勇者さんとシルカちゃんをお願いします」
言いたい事を叫んで満足したのか、エクセルはその場に泣き崩れ、意識のないシルカは血溜まりの中に崩れ落ちている。両者共外傷はないように見える。他に散らばっているのは死体だけだ。元が何だったのか分からないモノが至る所に散乱している。だが、全く同情することは出来ない。
「貴方はどうするの? 騒ぎを聞きつけて、もうすぐ衛兵が駆けつけるかもしれないわ。捕まると色々面倒よ。特に貴方はアートの一族だしね」
「……このままヤトゥムを見世物にしたくないですし。コロン君たちと一緒に埋葬します。その方が良いと思うんです。短い間だったけど彼らとは友達でしたし。それに――」
マタリは勇者を見つめた後、沸きあがる感情を押し殺して生き残った魔物を睨みつける。
「私は“後始末”をしなくてはいけません。地上に魔物がいてはいけませんから。勇者さんの抱え切れなかった重荷は、私が担ぎます。残りの魔物は私が殺します」
マタリはエーデルの返事を待たずに、紅い大剣を両手で握り締めた。舌なめずりすると、獲物を捕捉する。狂戦士としての本能、殺意が全身に漲ってくる。
エーデルは魔法を詠唱して肉体を強化する。警戒しながらシルカを回収し、マタリとすれ違う。
勇者とシルカを何とか肩に担ぎあげると、ゆっくりと歩き始めた。
――その一時間後、廃酒場と廃倉庫からは火の手が上がる。焼け跡からは損傷の激しい身元不明の遺体が数十体発見された。
どの死体も顔面が完全に潰され、八つ裂きにされている始末。この有様で身元が分かるはずもない。
通報を受けた衛兵達が調査を行なうが目ぼしい発見はなく、ならず者同士の抗争ということで事件は決着となった。
エクセルはこの日から完全に消息を絶ち、二度と姿を見せる事はなかった。
何とかヤトゥム編完結。こういう話なので、間隔があいてしまいました。
ヤトゥム編はプロット組み立ててるだけで、何か溜息が出ました。
次はラストスパートしたいです。ちょっとチャージします。